礼拝説教ダイジェスト:2003年

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 ここは、メッセージの要旨を並べてある部屋です。下記のリストにて、当教会に収録してあるメッセージの要旨が紹介されています。

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【メッセージ・リスト】……要旨

 「囲いの外へ」
聖書:ヨハネによる福音書 10章1−18節(「羊の囲い」のたとえ+イエスは良い羊飼い)(新共同訳・新約・p.186-187
2003年1月7日(火)日本キリスト教団香里ケ丘教会・新年祈祷会奨励
  わたしは牧師ですが、教会という囲いの中ではなく、もっぱら囲いの外でたくさんの羊の皆さんと出会う仕事をしています。
  そのような仕事をしていると、「囲いの外の羊もイエスの声を聞き分ける」という聖書の言葉が、真実であると確信できます。
  しかし、今日の多くの教会は、羊を招くより、基準を設けて選別し、基準に合わない羊を排除する、キリスト教と言うよりは「キリステ教」としか呼びえないような働きをなしているところもたくさんあります。
  イエスは、「囲いの外の羊をもわたしは導く」と言います。そして、囲いの中の羊と外の羊はやがて「ひとつの群れ」になると言います。その羊の群れはどこに向かってゆくのか……聖書は意外な答えを用意しているのです。
  一年の初め、教会がどのようにこの世にあるべきなのか、そのヒントを聖書から学びましょう。

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 「父を癒す」
聖書:マタイによる福音書 26章36−39節(「ゲツセマネで祈る」)(新共同訳・新約・p.53
2003年3月9日(日)日本キリスト教団香里ケ丘教会・受難節第一主日礼拝説教
  なぜ旧約聖書には、あんなに恐ろしい怒りと裁きを人間にぶつける神さまが描かれているのでしょうか? その恐ろしい罰と愛情の狭間で揺れ動く姿は、まるでドメスティック・バイオレンスをやめられない父親のようです。
  イエスは神に「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言わしめた存在です。そしてそれまで人びとが旧約聖書の物語を通して知っていた神は、ご自分の「心に適わない者」をことごとく滅ぼされる方でした。しかしイエスは、「神がもっとも愛する子、神の心に適う者」である自分が「罪が赦されるように、多くの人のために血を流す」という新しい物語を綴ろうとしました。
  いわばイエスは「お父さんが子どもを殴らずにおれないのなら、ぼくを殴って。その代わり、もう二度と他のみんなを殴ったり放り出したりしないで」と言って身をささげる子どもでした。それは人への愛であると同時に心を病んだ父への愛でもありました。
  イエスの、死をかけた父への愛は、父を癒し、もはやわたしたちは父の裁きを恐れて生きる必要は全くない。
  わたしたち人間は完全に自由なのです。

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 「この方にわたしたちも罪を犯した」
聖書:イザヤ書 42章18−25節(「捕囚の解放」)(新共同訳・旧約・p.1129−1130
2003年4月16日(水)日本キリスト教団香里ケ丘教会・受難週早天祈祷会奨励
  イラク戦争では、アメリカの指導者もイラクの指導者も、「神」の名を語って戦争を命令しました。特にブッシュ大統領は信仰深いクリスチャン大統領として有名です。信仰深いクリスチャンの政治家が、神の正義を振りかざして命令する戦争で、多くの大人と子どもが血を流し、体を引きちぎられ、焼かれ、命を奪われる光景を、わたしたちはこの戦争の間中、報道を通じて見せつけられてきました。そして、「神はアメリカを祝福する。神は我々に勝利をもたらす」と歌い祈るアメリカ国民の姿もわたしたちにショックを与えました。
  しかし聖書は、神を信じる者、神に遣わされた者こそが、神の御心を知らず、神に対して罪を犯している、と警告しています。
  そしてイエスは「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てたのですか」と叫んで死にました。この叫びは戦争の犠牲者の叫びと同じです。
  「神はわれわれに勝利をもたらす」と声高に演説する政治家の発言はウソに満ちており、「神はわたしを見捨てた」と叫ぶイエスの言葉こそが真実であり、現実なのです。

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 「向こう岸に渡ろう」
聖書:マルコによる福音書 4章35−41節(突風を静める)(新共同訳・新約・p.68−69
2003年8月31日(日)日本キリスト教団大阪東十三教会・聖日礼拝説教
  わたしたちは、川や湖や海が土地や国などを隔てる「壁」のように感じがちです。しかし、大昔から人類は川や湖や海を「壁」ではなく、「道」として用いて生きてきました。風さえ順調であれば、水の上は陸路よりも楽に大量の荷物を運べ、自由に移動できる「道」だったのです。
  水を、民族や国を隔てる「壁」として利用するのは、政治であり、権力者です。人と人を分断するのは、実は自然環境ではなく、人間の欲望と敵意なのです。そして、それはイエスが生きたユダヤも、現代の日本も同じなのです。

  ガリラヤ湖を超えて、ヨルダン川の「向こう岸」に
「渡ろう」というイエスのかけ声は、互いに無知や偏見を持たされ、不安と敵意と恐怖心に満ちたまま、分断されてしまったわたしたちに、「もういちど和解と平和を産み出す橋をかけようじゃないか」と呼びかける声なのです。

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 「誰がそれを教えたのか」
聖書:ヘブライ人への手紙 12章12−13節(弱くなったひざをまっすぐにしなさい)(新共同訳・新約・p.417
2003年10月19日(日)キリスト教学校教育同盟関西地区・新人教師研修会・主日礼拝説教
  山に登っていて、怪我をしました。ただ帰りたいから、立ち止まると死ぬから、泣きながら歩きました。
  ただ必死に、カッコ悪い姿をさらしながら歩いていただけなのに、ゴールについてみたら、「あなたに大切なことを教わった」という人が現れました。わたしは何も教えていません。しかし、その人は自分で何かを学びました。その人にその何かを教えたのは誰でしょう。

  わたしたちは、教えたり、教えられたり、と言いますが、
人間が教えるだけではなく、人間の意図を超えて人を教え導く、真の教師の存在・働きをも信じる余地を持つべきではないでしょうか。

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 「大きなやすらぎの輪の中へ」
聖書:ルカによる福音書 2章8−14節(羊飼いと天使)(新共同訳・新約・p.103
聖書:エフェソの信徒への手紙 2章14−18節(キリストはわたしたちの平和)(新共同訳・新約・p.354
2003年12月24日(水)日本キリスト教団香里ケ丘教会・クリスマスイヴ音楽礼拝説教

  イエスが生まれた時代は、ちょうどわたしたちの置かれている現代と同じ、軍事力で自らの論理を世界に押し付けようとする大国と、それに抵抗するテロリズムが激しく衝突する時代でした。イエスが生きていた当時、世界は「ローマの平和」という武力による力のバランスで覆われていたのです。
  しかし、イエスが生まれたとき、天使の群れが羊飼いたちを照らして、「天には栄光、地には平和」と歌いました。「ローマの軍事力のおかげで平和が保たれている」と言われている時代に、「今こそ平和を」と歌ったのです。人間が武力で造ろうとする平和と、神による平和とはどのように違うのでしょうか?

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