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 Q. キリスト教とイスラム教とは敵なんですか?
【パート1にもどる】 【パート2】
  1.同じ神を信じている
  2.同じ「啓典の民」
  3.キリスト教の対応
  4.無知と恐怖が敵意を生む
  5.侵略が反撃を生む
  6.愛するというジハード
  7.結び
 A. ほんとうは姉妹兄弟のような宗教なのです。

4.無知と恐怖が敵意を生む

  アメリカへの留学から帰ってきたある生徒がこんな報告をしてくれました。
  「彼らは"いつかアメリカは衰える時期がくる"とも断言していました。多分、アメリカ市民(南部の人の話ですが)は、アメリカが世界一大国でありつづけたいという思いから人を殺すという残酷な方法で、いろいろな口実をつくって攻撃しているんだと思います。簡単にいってしまえば、アメリカ人は、いつかは世界の中心から遠ざかっていくという不安から、どうにかして生きのびようと必死なんだと思います」
(2003年9月12日、2003年度同志社香里高等学校3年授業提出小レポートより)
  これは示唆に富む報告だと思っています。
  マイケル・ムーアが映画『ボウリング・フォーコロンバイン』で指摘したように、アメリカ人は政治家とマスコミによる恐怖のキャンペーンでマインド・コントロールされてしまっているのかも知れません。
  かつては旧ソ連がアメリカ人の恐怖の対象でした。いまはイスラームが恐怖の対象です。そういう形で国民の心理をたばねるしか、あそこの政治家には方法が思いつかないのでしょう。
  そのような恐怖でマインド・コントロールされてしまった人たちの多くがプロテスタント・クリスチャンであるために、彼らは「キリスト教 vs イスラーム」、「正義と悪」、「神と悪魔」といった幻想にとりつかれているわけです。
  ですから、
問題はキリスト教に原因があるのではなく、恐怖に支配されてしまったアメリカ社会の精神構造というか心理状態にあるではないかと思います。

  アメリカの国民でパスポートを持っているのは30パーセント程度だそうです。アメリカ人は国土が広いせいか、世界に影響を与えている国の割には、海外に旅行する人がたいへん少ない国です。加えて、毎日毎日テレビネットワークが、イスラームについての恐怖や偏見をかきたてるような情報をタレ流します。このため、イスラームについてのまともな情報、また自分の国の軍隊が海外でどれだけの殺戮を展開しているかと知る人は、アメリカではたいへん少ないのです。
  そして、日本もまた同じような状況にあります。日本のテレビで流される情報は、ことイスラームに関しては、ほとんどがアメリカに都合のいいものばかりです。したがって、日本人もアメリカ人と同じ無知と恐怖を、国内にバラ撒かれているわけです。


5.侵略が反撃を生む

  ムスリムが自らの信仰に忠実ならば、その武力行使は「専守防衛」であるはずです。
  イスラーム世界を侵略する者は殺してもよいのです。しかし、「決して自分からは攻撃してはならない」のがムスリムです。
  これも一種の平和主義です。キリスト教の新約聖書に書いてあるように
「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5章44節)というような絶対平和主義ではありませんが、しかし、多くのクリスチャンが自分たちの正典に書いてあるとおり「敵」を「愛せない」自己矛盾に悩み苦しんでいることを考えると、たいへん現実的・合理的な平和主義と言えると思います。みんなが絶対に自分から暴力を振るってはならないのであれば、戦争は起こりませんから。(もちろんわたしはイエスの説く逆説的平和主義もなくてはならない考えであると思っています)

  それでは、現在われわれが「テロ」と呼んでいる行為は、ムスリムにとって「正当防衛」なのでしょうか?
  見方によっては、そのとおりです。

  最近よく話題にのぼる、アフガニスタンやイラクに話を限定しても、アメリカが被害者とはとうてい言えません。
  たとえば、オサマ・ビン・ラーディンという人物はアメリカ側のマスコミによって世界で最低の極悪人のように喧伝されていますが、オサマ・ビン・ラーディンを戦士として鍛え上げたのは、実はアメリカです。彼は聖地マッカ(メッカと呼ばれがちですが、本当のアラビア語の発音は「マッカ」に近い)のあるサウジ・アラビア出身の敬虔なムスリムです。旧ソ連のアフガン侵攻に対して、CIAは現地のムスリムを訓練して応戦させたのですが、そこにムスリムの義勇兵として参加していたのが彼です。ところがソ連軍が撤退すると、アメリカはさっさとアフガニスタンから手を引きました。アフガニスタンに残されたのは、焦土と死体と飢餓と貧困です。残された兵士たちはタリバーンとなり、彼らとビン・ラーディンは自分たちがただアメリカに利用されただけだと思い知ったわけです。
  また、ブッシュ大統領はイラクに大量破壊兵器があるはずだと主張してやみませんが、それはかつてアメリカがイラクに大量破壊兵器を供与したことがあったからではないでしょうか。イランの台頭を抑えるためにアメリカはやはりCIAを通じてフセイン大統領をそそのかし、資金と武器を提供してイランと戦争をさせています。イラン・イラク戦争です。イランを叩いた後、今度はイラクをつぶしておくために、アメリカはフセインにクウェートへの進出をそそのかし、実際にイラクがクウェートに進軍すると、手のひらを返したように「侵略国家だ」と世界に宣伝し、国連を動かし、他国籍軍を編成してイラクを攻撃した。湾岸戦争です。
  アメリカ自身は、自らの国土は少しも傷ついていないし、一般市民は怪我ひとつしていない。アメリカが自らの政治や資源確保の利害のために各地で戦争を起こし、現地の兵士を使って戦争し、家や学校や病院が破壊され、農地が焼かれ、町が崩され、老人も子どもも区別なく一般市民が何万人と殺されているのに、です。
  
アメリカこそ真の侵略者であり、謀略国家である、という見方は、間違ってはいないのではないでしょうか。

  加えてムスリムは、国境を越えて「イスラーム世界はひとつである」という意識を持っているようです。
  世界中のムスリムは、一日5回必ずマッカのカーバ神殿の方角に向かって礼拝をします。そういうことも影響を与えているように感じますが、敬虔なムスリムほど、自分がどこの国民であるか、ということよりも「自分はムスリムである」という意識の方が強いように感じます。そしてムスリムが集まってすんでいるところは、みなイスラーム世界の一部なのです。
  ということは、イスラーム世界のどこかが侵略されたということは、全ムスリムが「自分の問題である」と感じる可能性が高い、ということです。
  アフガニスタンを、そしてイラクを空爆した、ということは、イスラーム世界が侵略された、ということです。世界中のどこに住んでいても、ムスリムにとっては自分たちの共同体が破壊され、兄弟姉妹が殺されたことになるのです。
  ならば、この
アメリカをなんとかストップさせるために、たとえ地球の裏側にいるムスリムが行動を起こしたとしても、それはイスラームの「専守防衛」の考えに適う、「正当防衛」になるのです。

  ただし、どのようにその防衛戦を行うのか、その手段・方法については、個々のムスリムに任されています。ですから、中には過激な方法をとるムスリムもいます。
  しかし、国家と国家の利害で立ち向かう一国の国民とは違って、
世界中に広がるおよそ14億人のイスラーム世界の人々が、みな一様に「アメリカはイスラーム世界への侵略者である」という見解で一致しており、しかも「侵略者は殺してもよい」、さらには「ムスリムの男性はみな戦士である」という教えのもとに生きていることを考慮に入れると、じっさいに起こっているテロの件数からして、いかに世界中のほとんどのムスリムが穏健で平和的な生き方を選んでいるかがわかろうというものです。


6.愛するというジハード

  「ジハード」という言葉は、日本のメディアではよく「聖戦」と訳されます。
  「聖戦」という言葉は、武力行使を宗教的に正当化するときに使われる言葉です。
  しかし、これはジハードの実像とは程遠いようです。

  「ジハード」のアラビア語のもとの意味は、「努力すること」です。そしてじっさいには「アッラーのために戦うこと」の意味にも用いられます。
  しかし「戦い」と一言で言っても、いろいろあります。われわれは、いろんな戦いを日夜戦っています。自分との戦い、運命との戦い、悪との戦い、誘惑との戦い……いろいろありますが、ムスリムもクリスチャンも無宗教者も、人間であるかぎり毎日いろんな戦い/努力をしているわけで、ただ、それがアッラーのためになることだったら、それはジハードなわけです。
  狭い限定的な意味では、それがイスラーム世界の拡張あるいは防衛のための非イスラームとの戦い、ということを意味するのです。広い意味では、たとえば単にイスラームを広める布教の努力、といった意味でも、それはジハードになるのです。(清水芳見『イスラームを知ろう』岩波ジュニア新書430、岩波書店、2003、p.87-88参照)
  ですから
、イスラーム世界を侵略した国や国民に対する武力行使もジハードかもしれませんが、他にも、
イスラーム世界以外の人びとと友好関係を結び、対話し、互いによく知り合い、啓発しあい、教育しあうことも、アッラーのためになる戦いであり、非イスラーム世界からの侵略から自らを守るジハードともなるわけです。
  わたしは日本や韓国の教師をマレーシアに招き、ムスリムの家庭にホームステイさせ、真のイスラームのありのままの姿を学ばせるというプログラムに参加しましたが、日本に帰ってきてから「これもジハードの一種なのかな」と思いました。
  あちらで出会った日本人ムスリムの方に大変お世話になり、お礼を言ったら、「わたしたちはこれをあなたのためにやっているけれども、最終的にはアッラーのためにやっているんです」とおっしゃっておられたことが印象的でした。
  わたしが出会ったマレーシアのムスリムの人たちは、本当にみんな親切で、気さくで、フレンドリーな人たちでした。ムスリムの友だちもできました。互いによく話し、よく知り合い、仲よくなる。そうやって平和を築いてゆく。侵略戦争を防ぎ、神さまに喜んでいただくには、最高の戦い方、最高のジハードではないでしょうか。わたしは彼らがけんめいにもてなしてくれる様子に、アッラーへの使命感を感じましたし、それをとても立派だと思いましたし、尊敬しています。
  わたしは日本人です。いまや米軍を支援する軍隊をイスラーム世界に送り込もうとしている、侵略者の同盟国の国民です。しかも、クリスチャンで牧師です。ムスリムはクリスチャンが自分たちと同じ「啓典の民」であることを知っていますが、多くのクリスチャンはイスラームを異教として嫌悪します。そのような人間を、招いて、愛情をもってもてなす、というすごいジハードを彼らはやってくれたわけです。
  わたしはクリスチャンよりもむしろムスリムの人びとに、イエスの説いた
「敵を愛しなさい」という言葉の実践がどういうものであるかを教えられた気がしました。



7.結び

  そういうわけで、イスラームとキリスト教は本来互いに憎みあう存在ではありえず、むしろ仲よくすべき存在であると、わたしは確信しています。
  もし、クリスチャンとイスラームが敵対して争っているとしたら、それは政治上の問題、あるいは、領土や資源の問題で、利害が対立しているときです。それは宗教の違いから発生した争いではありません。
  もし、イスラームは敵だと思うクリスチャンがいたら、その人は、ムスリムの知り合いがいない上に、アメリカ主導のマスコミ、あるいはアメリカの一部のプロテスタント教会の影響を受けている人です。でも、知らない人のことを悪く言うのは、いいことではありません。

  むしろイスラームとの平和的なつながりは、同じ神を世界中で礼拝するたくさんの兄弟姉妹とのつながりであり、とてつもない視野の広がりと、大きな大きなふところに抱かれているような喜びを、クリスチャンに与えてくれるのです。
  

〔最終更新日:2003年9月24日〕

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