宗教裁判展示室

2007年9月13日(木) 日本キリスト教団大阪教区常置委員会あて 富田正樹の反論文書

〔解説〕
 ・これは、9月13日付で大阪教区常置委員会に送付した、富田正樹による反論文書です。4月には欠席裁判で講壇からひきずり下ろされ、5月には本人欠席のまま謝罪を決議し……といった風に、まったく本人不在のまま事が進んだのですが、今回、すべての議事録が配布されたことを機に、遅ればせながら反論をしておかなくては思い、発行したものです。
 ・この文書は、9月18日(火)の大阪教区常置委員会で、教区内のすべての教会・伝道所に配布する旨、決議されました。

〔最終更新日:2007年9月23日〕

2007年9月13日

日本基督教団大阪教区議長殿
日本基督教団大阪教区常置委員会の皆さま
日本基督教団大阪教区に連なる皆さま

  先日、教区三役の方々が、わざわざ私の職場にまで足をお運びくださり、教区常置委員会を代表して謝罪をされました(2007年7月6日)。そしてこの時、大阪教区常置委員会の51総会期第10回常置委員会、および第52総会期第1回常置委員会の議事録も届けられ、これを読みました。読んだ上で、当事者としてのお返事ならびにご意見をさせていただきます。
  これまで私は沈黙を続けてきました。というより、特に私の説教者たるべき資質について疑問を呈した人びとのなかから、私との直接対話を申し出た方は残念ながら一人もおられませんでした。当事者である私に対する質問も対話も討論も一切なく、本人不在のまま風評で会議が動いた結果、私が説教の講壇から排除されたのだということを、私は改めて確認しました。
  ですから今回、公式に議事録も出たことですし、これについて一度くらい当事者として思うところをお伝えしてもよいのではないかと思いましたので、ここに私の意見を述べさせていただきます。謝罪を受け入れてから抗議をするというのは順序が違うかもしれませんが、なにしろ議事録が出るまでは、常置委員会での議事もこちらにとっては密室談義です。この度議事録を読んで初めて知ったこともありますから、私にもなんらかの発言をさせていただき、議事録同様、各教会、伝道所、学校の皆さまにお読みいただければと思います。


1.本について

  4月の常置委員会で、拙著『信じる気持ち はじめてのキリスト教』の内容が「キリスト教ではない」と判定した方々がいらっしゃいました。特に復活について、あの記述では抵抗を感じる方がいらっしゃったようです。しかし、多少読解力がおありの方が文章を最後まで読めば、私の本が最終的には復活を否定していないことを読み取れると思います。弟子たちがイエスと出会ったのは事実であり、それはキリスト教の誕生にかけがえのない出来事です。
  しかし、私はあのような記述で復活を表現しました。それは、もはやキリスト者の共同体の内部で通用しているキリスト教の用語法は、一般社会では通用しないことを痛感しているからです。私は、キリスト教の信仰を理解できず、理解したいとも思っていない(ごく平均的な日本人)1000人以上の人びとに、文字通り毎日キリスト教を証するという場所に遣わされています。そこではキリスト者に通用するはずの言語表現は全く通用しません。しかし、神はそういう場所で宣教する役割を私にお与えになったのだと信じています。私にできることは、キリスト者の言葉ではなく、非キリスト者の言葉でキリスト教を表現することなのだと思っています。あの本も、そのような私の仕事の一部です。
  非キリスト者の言葉でキリスト教を伝えようとした試みの結果、あの本の記述が、一部のキリスト者にとっては、逆に躓きの石になるということはありうることです。しかし、なぜそうなるのかというと、それほどまでにキリスト者が互いに語る言葉と、一般社会で理解可能な言葉の世界が、驚くほど乖離しているという事実もあることを、伝道の課題としてキリスト者は反省するべきなのではないかと思っています。
  それでも私は、あの本の復活についての記述について、同じキリスト者が躓きを覚えることに痛みを感じ、6月に再版が出されるにあたっては、多少文言を訂正しました。
  本来、ある書物を非難する場合でも、「修正できないのか」などといった穏当な物言いというものがあるのではないかと思います。しかし、この本に関しては、著者である私に対する連絡も意見も討論の申し入れも、何もありません。ただ、いっせいに教団出版局に対して「回収せよ」「廃刊にせよ」という圧力文書を何人かの人が送っただけです。こんな時代錯誤的な言論弾圧が21世紀の教団教師のやることかと思うと、実に嘆かわしく思います。


2.説教者としての否定について

  大阪教区総会開会礼拝の説教者として、ふさわしくない人物として排除されたことについて、私はこれははっきりと人権侵害だと思っておりますし、人間として、またキリスト者として存在を否定された、と認識しております。人格の否定ではなく、実存の否定でもない、という発言もあったようですが、当事者である私は、人格も実存も否定されたと感じています。
  私は、「説教に命をかけている」とおっしゃっている方が、自分以外の牧師の説教を否定する、ということにどうしても納得がいきません。礼拝説教が「命」をかけるに値するものだと考えるなら、なぜ自分以外の牧師も説教に「命」をかけていることが想像できないのでしょうか。また、他者の説教を否定することは、その説教にかけられた「命」を否定することになるのだ、ということになぜ思い至らないのでしょうか。説教に「命」をかけているのは自分だけだとでも思っておられるのでしょうか。
  私は、ここに日本基督教団からいつまでたっても差別と人権侵害がなくならない一つの原因があると思います。「命」とか「真理」という言葉を声高に発する人自身に、他者の「命」や「実存」に対する考慮も愛もないのです。
  また、「教会は2000年間信仰を判断してきた」という発言もありましたが、これには失笑を禁じえませんでした。ここはプロテスタント教会ではないのでしょうか。カトリックから破門され、異端宣告を受けて袂を分かってきた教会ではないのでしょうか。そして数え切れないほどの分派に散らばり、同じ教団のなかにおいてさえ、さまざまな信仰理解に割れている、そんなプロテスタント教会の痛みに満ちた歴史を、少しでも学んだことのある人ならば、自分を約2000年間の教会の歴史の中心的な正統派であるといわんばかりの発言をすることができるとは、実におめでたいことです。
  この件に関連して、最近ローマ教皇が興味深い声明を出しています。プロテスタント教会は「適切な意味では、教会ではない」というのです(2007年7月10日)。このような事態に対しては先の発言者の方はどのようにお考えになるのでしょうか、是非うかがってみたいものです。


3.教団信仰告白と教憲教規について

  近頃、日本基督教団信仰告白を金科玉条のごとく持ち出す人が少なからずいらっしゃいますが、この信仰告白については多様な理解のありかたが存在することを尊重していただきたいものだと思います。
  敗戦後、日本基督教団に留まった教会は、すべての教会が一致して一つの教会の形成に向かったわけではありません。殊に信仰告白においては、旧教派の伝統の違いに伴い、多様な立場が存在していました。そのことは教団史資料集に明らかに記されてあります。
  「旧教派の伝統は根強く残っており、信仰告白に関しては、信仰告白は教会存立の基礎であって信仰告白を持たない教会はあり得ないとするもの、また信仰告白の主体を各個教会に求め、全体教会の信仰告白はその最大公約数にすぎないとしてその拘束性を認めないもの、成文の信仰告白をもたない立場のものなどが、寄り合っていたわけである」(『日本基督教団史資料集第3巻』p.143)
  教団信仰告白制定の直接の契機は、1950年の「教団機構改革案要旨」を可決した際に、この機構改革が会派を公認するものでなかったために、これを不服とした旧日本基督教会系の一部教会が、教団を離脱し始めたことにあります。不服とする理由の中に、信仰告白がないことが大きな部分を占めており、「拘束力のある福音的信仰告白をもたない教団は教会ではない、ということが強く主張された」(同書、p.144)ので、これに対応する形で、「信仰告白制定に向かって努力する」ことが、1951年の常議員会で付帯決議されたのが、信仰告白制定のきっかけです。
  ですから、ここで旧日基系の教会の離脱問題がなければ、あるいはその伝統に基づく主張と主体性を尊重して教団から離脱するに任せておけば、信仰告白制定への動きはなかったのです。このことは、「教団信仰告白制定の経緯」という文書(信仰職制委員会『教憲教規の解釈に関する先例集』第2版、1991、p.86-87)にも明文化されています。
  信仰告白を制定はしましたが、その信仰告白に対して、旧日基系と同様に「拘束力あるもの」と解したとは限らない旧教派の伝統を持つ者もいるのだ、ということをご理解いただきたいものです。多数決で信仰告白を制定したからといって、信仰告白に対する理解や態度まで一致させたわけではないのです。
  また、1954年に信仰告白の制定を決議した際、この信仰告白には「附帯的説明」がつけられました。そこにはこうあります。
  「しかし信条の内容的問題について万一解釈の相違が生じた場合には、第五回教団総会において信条委員長より表明せられた如く、『解釈にはある程度の自由は認めらるべきも、度外れた解釈は認められない』という立場が妥当であろう。しかして解釈相互間の争点については、法的措置の前に、必ず神学的論議の領域が設定されねばならない」(基督教新報昭和26年2月10日号より引用したもの)(『日本基督教団史資料集第3巻』p.171-172)
  私の信仰理解が「度外れた解釈」に相当するかの判断については、主観により相違すると思います。しかし、たとえば私の著書は、日本基督教団出版局の企画委員会の再三にわたる閲読を経て、出版されています。出版局から出されている本の中には、私などよりよほど過激にイエスの復活について扱った書物も出版されています。「イエスの遺体は墓の中で朽ち果てた」と表現した書物も、出版局から発行されています。私はそこまでは言いません。私は「度外れ」ているでしょうか。
  そして、先述の信仰告白に対する「付帯的説明」のなかで触れられた「解釈相互間の争点については、法的措置の前に、必ず神学的論議の領域が設定されねばならない」という配慮は一体どうなっているのでしょうか。私は論議も対話もないままに、「信仰告白に反する者」と一方的に講壇から排除されたのです。このような措置が合同教会である日本基督教団の教会で起こってよいのでしょうか。
  教会における拘束性についての私の理解は、前出の『先例集』の序文にある言葉に拠っています。
  「教団という教会をなにか法で縛られた法的完結体であるかの如く考えないでいただきたいということであります。法は不可欠であります。しかし、それは教会の第一の規範ではありません。従って、法は謙虚であり、未完結であり、つねに自己改革へと開かれていなくてはなりません。教憲教規の解釈にあたってもこのいわば福音的教会の教会観にのっとり人間と教会を自由と愛に向かって解放する福音の原理にそってなされています。」(前出『教憲教規の解釈に関する先例集』第2版、1991、序文より)
  信仰告白ならびに教憲教規を法的第一規範とする考え方には、私はなじみません。それらはいつの世にあっても未完結であり、常に自己改革に向かって開かれたものなのです。こういうことを言うと、信仰告白や教憲教規を「相対化」している、という非難も聞こえてきそうですが、私にはそれらを「絶対化」することのほうがよほど危険であり、合同教会の自由と愛の息の根を止めるものになるのではないかと危惧します。


以上、常置委員会としての謝罪を受けてからの返答になり、論議が前後するようですが、これが今回の出来事にあたっての当事者の声です。

日本基督教団教務教師
同志社香里中学校高等学校聖書科教員
富田正樹


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