宗教裁判展示室

2007年5月21日(月) 日本キリスト教団大阪教区 第52教区総会期 第1回常置委員会議事録

〔解説〕
 ・これは、前回(4月16日)行った、富田正樹を大阪教区総会開会礼拝の説教者から引きずりおろす決議をしたことを、今度は打って変わって謝罪しようという内容を話し合った記録です。なぜ、こんな風に形勢が逆転したのかというと、大阪教区は大まかに2つの勢力に分かれており、それが常置委員会ではほぼ互角に拮抗しているのです。前回の決議は1票差でなされました。この1票差は話し合う前から見えていました。ですから、勝つことを承知のうえで、富田を降ろしたい人々は確信犯的に富田を裁く発言と動議を行うことができたわけです。
 ・しかし、5月3−4日の大阪教区総会で、常置委員を改選したとき、この形勢は逆転しました。彼らのほうが過半数議席を取れなかったのです。そういう状況に陥ると、実に弱気になってしまう愚かな姿が、今回の議事録の見どころです。特に、冒頭部分で、同志社関係各校から抗議文が来ていることに対して、前回の議事録を読まれたくないと思った委員がうろたえているところ、あるいは、後半で、「そんな議決はしなかった」と平気でウソを言いだす委員がいたりするところが笑えます(いや、笑えないかもしれません。このような議事をいい大人がやっていることに怒り嘆かなくてはならないのかもしれません)。
 ・本文中「当該教師」という言葉が何度も登場します。これは富田正樹のことです。
 ・関連議事の一番最後に、「教団の執行部が当該教師の本について抗議文を出したことについて、事実経過を明らかにしていただきたい」という要請があり、議長が「確認する」と約束している場面がありますが、これは教団議長が教団総会の議決も経ないで勝手に議長の角印を押して、教団出版局に勇み足の圧力文書を送りつけた件のことを指しています。この件については、大阪教区議長はきちんと教団常議員会で質問、追究してくれています。

〔最終更新日:2007年7月26日〕

大阪教区 第52総会期
第1回大阪教区常置委員会議事録


日時;2007年5月21日(月)午後5時30分〜8時30分
場所:大阪クリスチャンセンター
出席者:22名
職務陪席:2名
要求陪席:7名

議事の確定
ここで議長より、同志社中学校、同志社高等学校、同志社女子中学高等学校、同志社香里中学高等学校、同志社国際中学高等学校の教務教師から教区総会説教者の選考について抗議文が提出されていることが紹介され、議案とすることを承認した。

〔中略〕


議案
1) 前回議事録承認に関する件

質疑

・ 新しい常置委員会で前回の常置委員会記録を確定できるのか。(軽込)

・ 期が変わるときの議事録承認手続きは今K委員が言われた通りだが、前期から残っている常置委員が十分に過半数を満たしているので、その同意をもって承認できると考える。(伊勢副議長)


以上の質疑の後、副議長の提案を受け入れて、今回は現在の常置委員会で前回の議事録を諮ることとした。


・ 同志社の各中学高等学校から抗議文が来たのはいつか。内容を明らかにせよとの文言があることに驚いている。抗議文が来ていることを事前に知らされていれば、もっと議事録を慎重に精査していたはずだ。(岡村)

・ 抗議文と議事録は関係ない。抗議文があるから議事録をきちんと精査するというのはおかしい。(U委員)

・ この抗議文は5月3日に教区事務所に届いており、新しい常置委員が選ばれた最初の常置委員会である今回にこれを出した。他に意図はない。(向井議長)

・ この議事録は教区の教会、伝道所に配られるものであり、同志社の各中学高等学校にこのまま出すのは問題ではないのか。(岡村)

・ 同志社からの文書を受け止めるかどうかもまだ決議していないのだから、対応についてはこれから話し合えばよい。(TY委員)

・ 抗議文をどう扱うかは常置委員会で議論していただきたい。(向井議長)

・ 要望だが、この議事録は教区総会の中でも取り上げられて議論の土台とされるべきであったものである。持ち回りで議事録承認が出来るならば、次回からは教区総会に出してほしい。(OS委員)


以上の質疑と語句の訂正の後、第10回常置委員会議事録、並びに臨時常置委員会議事録を承認した。


〔中略〕


3)第52回大阪教区総会に関する件(K委員長)
5月21日に開催された総会準備委員会の報告が口頭でなされた。

質疑

〔中略〕

・ 常置委員会の会議形態についてだが、一人の人についてこれだけ議論がなされ、決議がされ、議事録が出されていくが、それで済むものなのか。前回の議事録にも「採決はなじまない」という議長の言葉が何度も出てきているが、しかしこれを決議にもっていって、当該教師が説教者にふさわしいかふさわしくないか決めてしまった。書物についての内容論議が出ていたが、議事録を読む限りでは全部推測である。誰一人当該教師に聞いていない。そういう話し合いがなされて、最後に採決がされた。生身の人間であり、教団の同じ教師である。その人の信仰がどうかなどということは誰も分からない。それを全部想像で、今後起こるかもしれない教会の問題にすり替えて決議をしてしまった。こういう会議形態は変えて行かなければならない。生身の人間に対する感性をもたないと、物事を決断するなかで人間を軽んじてしまう。そういう採決をして人間不在となってしまったということにもっと痛みを持たなければならない。その点で、当該教師は勿論、諸教会・伝道所に対して、常置委員会としてきっちりと謝罪をしなければならない。(S委員)

・ 今の発言は今回の常置委員会議事録を見てのことだと思うが、今日の総会準備委員会の議事録の中で、「ただし当該教師を否定する議決はしなかった」とある。議長は当該教師個人の資質については、議決はしないと言われたので、議決していない。ただし、当該教師を説教者として迎えるかどうかについては議決した。(K委員)

〔中略〕開会礼拝説教者に関わる当該教師の事柄について、常置委員会の責任はある。しかし、それを受けて痛みをもってT教師が説教をし、痛みをもって当該教師が出席していた、そういう教区総会を皆で守った。従って、常置委員会としての責任だけではなくて、大阪教区全体の責任として、何らかの形を決めていただきたい。(A委員)

・ S委員の意見は動議なのか。(TY委員)

・ 動議である。(S委員)

・ 前回の常置委員会に出席していた常置委員の方々に対して、今どう思っているのか。当該教師の書物も当然読んでいると思うが、前回の常置委員会に出て、総会に出て、今どう思っているのかを聞きたい。質問である。(A委員)

・ S委員の意見は、会議の在り方への反省と当該教師に対して常置委員会として謝罪するという動議であるとのことなので、この件については「その他」で別件として扱うこととする。それ以外のことで、何かあるか。(向井議長)


〔中略〕


8)その他
○常置委員会は、前期常置委員会が教区総会開会礼拝説教者に関して議論し、採決に至った会議の在り方を反省すると共に、否決された当該教師に謝罪し、その責任と痛みを担い続ける件
S委員より動議の説明が再度なされた。

質疑

・ 総会準備委員会として提案に対する責任が不足していたと思うが、常置委員会としてあのような決議をするべきではなかったと感じている。大阪教区ではいろいろな立場の人がいて、しかしそれを決して排除せずに聞くという姿勢がある。もし教区総会でこのような議論があったら、決してこのような決議はしなかっただろう。従って、人に言われてではなく、常置委員会がこのような決議をしたことについて、自分たちの手で責任をはっきりさせたい。(K委員)

・ 当該教師を開会礼拝の説教者としてふさわしくないと言ったことについて、常置委員個々人の意見を聞きたい。そのうえで当該教師に謝罪をしていただきたい。このような決議が認められれば、日本基督教団は教会として立っていられない。(A委員)

・ 先日の教区総会でOJ教師が出版局の理事長として来られ、当該教師が説教者にふさわしくないと言っていた常置委員の方は出版局に抗議をすると言っていたが、何の質問もしなかった。なぜなのか。(KM委員)

・ わたし自身は、わたしの教会の役員会にも信徒にも諮り、出版局宛にこの本に関する抗議文を出している。出版局が入門書としてこのような本を出すことは責任があるということで出した。教区総会で、当該教師のことでわたしが口を開くと、個人の信仰についての攻撃になるということを先日の常置委員会でも学習したので発言はしなかった。その後あの本を読み直したが、どうしても復活に関して納得できない。今でも反対したことは間違っていないと思っている。礼拝においてキリストの復活について語られるのが一番よいと思っているので、教区総会の開会礼拝で説教者が説教をするときに、立っているところは明瞭であってほしいと考えている。(岡村)

・ 沖縄の集団自決を扱う議論に似ているように思うが、議論があるから教科書に載せない。しかし、それを見た沖縄の人たちは集団自決を否定されたように感じている。議論があり、自分はこう思うという、その結果として何が起こるのか配慮出来ないような決議をしてしまったことについて、常置委員会は責任を持っている。(TY委員)

・ 個々人の信仰というのは、百人いれば百様である。当該教師の本は信仰告白である。当該教師には言っていないということだが、出版局に出版差し止めの抗議文を出すということは、その本人への結果としての否定である。大阪教区の開会礼拝の説教者として疑義があるからこれを断ったということは、結果として否定したということである。そのことについてどう思うのか、それを聞きたかった。(A委員)

・ 書かれた本に対して、これは間違っている、そして教団出版局になぜこれを出すのか、ということをやるのは良い。しかし問題は、それがすべての意思ではなく、一方ではそれが良い本だと思っている人もいる。そういう状況の中で、その自分なりの意見を判断の基準にして、開会礼拝の説教者にふさわしいかどうかという議論をすることが間違っている。そのことを常置委員は気づかないといけない。(OS委員)

・ わたしは当該教師を呼ばなくてよかったと思う。本を読んだが、とんでもない本である。明らかに教団の信仰告白に対する違反である。(KS委員)

・ S委員の動議は、議決をした常置委員会のことを問うているものであって、当該教師の書物のことではない。(向井議長)

・ あの議論は教区総会の開会礼拝とは何かという議論から入ったと思う。当該教師には不愉快な思いをさせたと思うが、結果としてはT教師が説教したことは評価したい。(I委員)

・ 最終的にT教師が引き受けてくれたことは救いであったが、傷ついた当該教師はどうなるのか。当該教師に対して今どう考えるのかが大事である。(U委員)

・ 自分としては議決をしたことも受け止められなかったし、当該教師を招くことを否決したことも受け止められなかった。しかし、総会準備の責任を持っている者として進めなければならないということがあって、ではわたしはあの決議をどう受け止めるのかということだが、わたしはあの書物は好きだし、とても励まされた。役員会でも読んだ。どうしてこれが否定されるのか理解できない。だから、あの議決は好きか嫌いかでしてしまったとしか思えない。そういうやり方で議決をしたことについて痛みを持っているし、教団の教師をそのようにしたということについては、わたしたちは痛まなければいけない。(K委員)

・ 教区総会の開会礼拝に対して常置委員会が心を砕いて意見を出すことは大事であろうが、事前の段階で議論が深められていればよかったと思う。礼拝に対する思いを調整をして、前回は抵抗のある人がいるのであのようなことになったが、礼拝に対する準備は真摯にやってくださったのだろうと思う。説教者に対する失礼さを重々承知している。(AM委員)

・ 反対した思いは今でも変わっていない。当該教師の人格が立派かどうかとか、好きか嫌いかということではなく、本に表現されているその信仰といわれる内容について大きな疑義があり、基本信条に抵触すると明らかに読み取れた。その本に書かれたことだけを問題にしている。個々の信仰がどうかは別として、教区総会の開会礼拝にふさわしくないと議論している。わたしたちは律法主義ではないが、信仰には枠がある。頼む段階で総会準備委員会の中でもっと慎重であってほしかった。そうすればここまで尾を引くこともなかった。当該教師には結果的に非常に失礼なことをした。議論の中でその本を読んでいる人が少なくて判断できない人がいた。だから、その問題については議決しないということを判断した。そして差し戻すということをした。(T委員)

・ それは違う。(伊勢副議長)

・ 少なくとも差し戻すという判断を常置委員会がした訳ではない。わたしたちが一番問題として感じなければならないのは、礼拝の説教者としてふさわしいかふさわしくないかという議論をした上で、総会準備委員会の提案を受け入れなかったために、一人の人間を傷つける判断を会議体としての常置委員会がしたということである。そういう判断をしたことに対してわたしたちが、どういう責任を感じて、どういうことを次にするのかということを議論するべきである。(M委員)

・ その書物には、はっきりとそうは書いていないがそう読み取れるということであって、それは繰り返し言っているように、読み方や解釈の仕方の問題である。本人に確認した訳でもなく、本人もいないところで、推測や類推でそれぞれの読んだ印象を語って、それを議決してしまったことが問題ではないか、ということになっている。それはわたしたち常置委員会が謙虚に受け止めるべき問題である。誰も本人に対して復活を否定しているのか、基本信条を否定しているのかを確かめていない。(向井議長)

・ 誰も確かめていないが、それは本を読めばはっきりしている。(KS委員)

・ 本にはいろいろな読み方があっていいと思うが、それを判断基準に説教者にふさわしくないという議決をした会議体としての誤りを認め、謝罪するという提案である。(向井議長)

・ 前年度の総会準備委員会の記録やここ数年間の準備委員会の記録を見ても、開会礼拝の説教者については、準備委員会の記録には出ていない。ということは三役にすべて一任されていた。今回も総会準備委員会で議論したのではなくて、三役から報告を受け、それを準備委員会から常置委員会に報告したことになっている。過去すべて三役に一任してそれがどうなっていたのかも精査していただきたい。(KS委員)

・ 総会準備委員会ではこれまで、説教者については三役に一任されており、それを準備委員会に報告してきた。そして、その説教者名も含めた全ての報告が総会準備委員会から報告され、常置委員会で承認されてきている。従って、三役が勝手に決めている訳ではない。(向井議長)

・ 説教者についても、仮議事日程の中で出されて常置委員会の承認をとっているということか。(KS委員)

・ そうである。(向井議長)

・ 総会準備委員会の報告を見ると「但し、当該教師を否定する議決はしなかった」という記述があり、これをもって現在の自分たちを肯定するかのような意見が、今の時点でも尚、常置委員会で出ているという現実は、わたしたちが反省しなければならないことである。こういうことにするつもりはなかったが、結果として当該教師の人格を否定することになったのだ、という一点については、常置委員会としてこれを背負って、当該教師への謝罪を進めるべきである。(TT委員)

ここで議長は議事を10分間延長した。

・ 推定の話によって一人の教団の教師をふさわしいか・ふさわしくないかということを採決してしまうということ、これは今後の常置委員会のあり方としてはふさわしいことではない。(S委員)

・ ふさわしいか・ふさわしくないかという判断をしたときに、当該教師が復活を否定したとか、基本信条に違反したから、という採決の仕方ではなかった。いろいろな意見がある中で、そういう方を開会礼拝の説教者として立ててよいかどうかということで採決した。結果としてお願いした方については申し訳ないことをしたと思うし、そのことの謝罪は当然だと思うが、あなたの書物を読みもしないのに、勝手に復活を否定している人だと決めつけたから謝罪するというのとは全然違う。その区別をはっきりさせていただきたい。(IT委員)

・ 様々な意見がある教師だから開会礼拝にふさわしくないという決議を教会会議がして良いのか、ということが問われている。少しでも反対意見があれば説教者としてふさわしくないということが繰り返されてしまう前例となってしまう。キリスト教の伝道が困難になって行く、そういう状況にあって、いろんな立場の人たちがいる、その中で違う立場の人もいるが、それを教会の中で認めることが出来ないならば、それは良くないことである。従って、そういう決議をしてしまったことが常置委員会としてはよくなかった。そしてその結果として、当該教師を傷つけたことを当該教師に謝罪にするべきであるということである。(向井議長)

・ 開会礼拝にどなたかをお願いしないといけないので、その方をお願いするかどうかは常置委員会で決めるべきことなのだから、ある年には受け入れられないこともあると思う。何でもかんでも三役の提案や準備委員会の提案がすべて通るわけではないだろう。(IT委員)

・ 教師を説教者として立てるということに関して、よほどはっきりしている問題がない限り、ふさわしいかふさわしくないかを議決するべきではないし、慎重でなければならない。今回の場合は、ある一冊の本を読んだ、その印象によって決められたということが問題である。(向井議長)

・ 以前、霊感商法の問題について明確に犯罪の証拠を持っているにも関わらず、常置委員会はそれを扱いもしなかった。今回はすべて類推で、それで議論をしていったことがおかしい。議決したということよりも、議論したことがおかしい。(T委員)

・ この問題があって、わたしも心を痛めて当該教師と話し合った。申し訳ない、失礼なことだが、本人に確認することが一番だと考え、本人に確認したところ、当該教師自身は復活を否定するつもりはないし、信条を否定するつもりはない、そこにいろいろ解釈があるということは本には書いたが、否定はしていない、と本人ははっきりと言っている。そういうことを確かめもせずに、そのことを議論し、議決してしまったことについて、わたしたちはもっと慎重であるべきではなかったかと思う。そしてそのことによって一人の教師を傷つけてしまったことについて謝罪するということは、必要ではないか。(向井議長)

・ 今日確定した議事録を何事もなかったかのように出すのではなくて、そういう決議をしてしまった前期常置委員会としての謝罪文を添えて出すのが良いのではないか。(S委員)

・ IT委員が言ったように、謝罪ということの中身について、一度依頼していたのにそれを断ったという意味では申し訳ないと思っている。しかし、議論の内容や議決については、今でも変わらない見解を持っている。もし今ここで採決をしたら、謝罪したくないほうに手を上げざるを得なくなる。(T委員)

・ 会議体としてこういう形で採決をせざるを得なくなってしまった、ということについて気をつけないといけないということである。一度決まったことをひっくり返そうということではない。もう出てしまっているのだから。(S委員)

・ 気をつけないといけないことは分かる。微妙なことをはらんでいるし。しかし、説教者という、ある意味で教会の真理の問題に触れてくる。(T委員)

・ それは分かるが、なぜあの場で確定したのか。なぜ三役は引き延ばさなかったのか。もう一度臨時常置委員会を開けばよかった。そういう人間存在をどう決めるかというような事柄をすぐに決めてしまったことは、決して良いことではなかった。(S委員)

以上の質疑の後、三役でS委員の意図を汲んだ文書を作成し、常置委員会で提案、承認を受けた後、4月の常置委員会の議事録と一緒にこれを出すことを承認した。また、当該教師には三役から経緯の説明をすることとした。また、同志社中学、高校からの抗議文については、議長はこれを継続とした。

・ 教団の執行部が当該教師の本について抗議文を出したことについて、事実経過を明らかにしていただきたい。(TT委員)

・ 確認する。(向井議長)

〔別の議題に移ったので後略します〕




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