みんたた!

「みんたた!」 : みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2009年6月のテーマ: 「不正な管理人」のたとえ

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
日本聖書協会の認可を受けています。

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■ルカによる福音書 16章1~13節(新共同訳・新約・p.140)

1 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。
2 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。
3 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。
4 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。
5 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。
6 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。
7 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。
8 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。
9 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。
10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
11 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
12 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。
13 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

(トマスさんのリクエストより)

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 毛利
2009/06/06 (Sat) 01:12:14
*.ocn.ne.jp
 普通に読めば「不正なことをした管理人は偉い。だから不正な方法で友達を作りなさい(そうすれば将来的にも困ることがない)」と、不正行為を奨励しておきながら、「小さな事に不忠実な人は大きな事でも不忠実だから駄目です」と我に返ってまともなことを言い出して、でも最初に言ったことを再び思い出したのか「一生懸命不正をした人にこそ本当の価値が与えられる」と言い出している。そして、最後は宗教家らしく「神と富の両方に仕えることはできない」ではぐらかしている。

何かイエスが不正なことをして(弟子達が管理していた金をごまかしたとか)、誰かに咎められて、とっさに考えた言い訳を言っている、といったところでしょうか。

普通に読んだら、そうなると思うんですよね、ここって。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/06 (Sat) 15:43:27
*.aol.com
 早速ありがとうございます。

関西にいる時に教会の人から聞かれて一応のことは答えたものの自分でもイマイチ納得いって無いというか、ピンときていないというか、謎の多い箇所です。

ルカの方を見ていても書いてありませんが、マタイの6:24を見るとこの如何にも取って付けたような13節には平行本文があることが判ります。

で、12節までを一区切りとして読んでもやっぱり難解なのですねぇ。
ツッコミどころは他にもあるのですが、まずはそういうことで。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - ノンクリ
2009/06/06 (Sat) 20:41:46
*.dion.ne.jp
 あまり難しいことはわかりませんけど、こういうイエスの言動を読んでいつも思うのは、彼は現代でいうところの共産主義者、左翼なのかなぁ?ってことですね。


 いろいろ異論はあるでしょうが、思うに共産主義もキリスト教も水と油のようで良い点、悪い点ひっくるめて似てるよなぁ、というのが私の持論でして。具体的には



 ・ともに、既存の社会秩序の矛盾への疑問、弱肉強食への反対、弱者救済の精神などからスタートしていること。
 ・ともに本来は民族、人種を問わないインターナショナルな思想であること

 ・ともに、少数派である間は激しい弾圧を受けたこと
 
・ともに、いざ天下を握ると、かつて自分たちが受けた以上の弾圧を反対者に加え、言論、思想の自由を抑圧、腐敗していった歴史をもつ。


 ・ともに、外部の敵対者との争い以上に内輪もめ、分派争いによる犠牲者が多いこと



 などなど、ほとんど双子の関係、といってもいいんじゃないかと思います。どちらも、「聖書」、「資本論」という聖典があるし、進化、進歩の果てにやってくる「神の国」「共産主義社会」がどのような理想社会であるか、具体的なことは何もいっていない(と私には思える)ことも共通してますね。


 >10 ごく 小さな 事 に 忠実 な 者 は 、大きな 事 に も 忠実 で ある 。ごく 小さな 事 に 不忠実 な 者 は 、大きな 事 に も 不忠実 で ある
  
11 だから 、不正 に まみれ た 富 に ついて 忠実 で なけれ ば 、だれ が あなた がた に 本当に 価値 ある もの を 任せる だろ う か
 この辺りのセリフで思いだしたのは、ゴルゴ13ことデューク東郷の「どのような金だろうが、金は金だ、本質に変りはない」というセリフと請け負った依頼、契約はたとえ依頼主が死亡しようがやり遂げる、仕事に対する姿勢、ですね。
 うーん、話がずれまくってるかな?すいません・・。

 

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - がん子
2009/06/06 (Sat) 22:51:59
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 あらためて聖書を読んでいます。
今夜読んでるのは本多哲郎訳ですが、腑に落ちるには時間がかかりそうです。
 

>いろいろ異論はあるでしょうが、思うに共産主義もキリスト教も水と油のようで良い点、悪い点ひっくるめて似てるよなぁ、というのが私の持論でして。


 「行為」として似ているところがあると思い、革命を目指す社会主義者の方々と勉強会をしています。
感覚的なことしか言えませんが、「根っこ」で違う、そう感じています。拠り所が違うのかな・・・。


 この箇所、いろんな方法で感じてみたいと思っています。このような場を設けていただいてありがとうございます。


Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - ノンクリ
2009/06/07 (Sun) 14:03:29
*.dion.ne.jp
 ただ、日本はともかく、欧米のキリスト教会は政治的には「保守」だったり「反共」のところが多いですよね、良し悪しは別にして。

 
 アメリカの「宗教右派」は有名だし、カトリック教会にしても1978年、冷戦の最中にポーランド出身のカロル・ヴォワチエ氏を教皇ヨハネ・パウロ2世として選出したのは、当時の東側共産諸国への当てつけというか挑戦以外何ものでもないし・・。

 
 1950年代にソビエトのガガーリン少佐が人類初の宇宙飛行に成功しますが、日本で有名なのは「地球は青かった」というセリフですが、キリスト教国家のアメリカ人にとって有名かつカチンときたセリフは「いくら周りを見渡しても神なるものはいなかった」で、その後、アメリカは無神論国家ソ連を追い越すべく猛烈な勢いで宇宙開発に取り組むことになり、結果として有人月面着陸に成功するわけで、そういう意味では月面着陸は「キリスト教のおかげ」といえなくもない、のかな?(立花隆氏著「宇宙からの帰還」)

 すみません、また、話そらしてしまいました。皆さん、構わずスレを進めて下さいね。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - hotaro
2009/06/08 (Mon) 09:04:48
*.bbtec.net
 借金をチャラにする、というのは、旧約聖書のヨベルの年、というのもあるし、日本にも徳政令というのが、中世からあったようです。
 貧しい人々は、生きていくために借金をせざるをえないし、返せなくなれば奴隷に売られてしまう、という現実もあります。この話しに出てくる主人のように更なる蓄財のために人を傭えるような金持ちなら、その余っている金をちょろまかされたって、痛くもかゆくもないじゃないか、とイエスは思っているんじゃないでしょうか。「借りた金は返さないといけない」とか、不正をはたらいて得た金、とか、その金を性格づけよう、ということは、このテキストのイエスの言葉からは、あまり感じられません。
 それより、手段はどうであれ、人が世の中で生きていく上で重要なことは、愛と信頼関係という交わりの中で生きていく、ということが、金で買うことなどできない至上のものであるから、その事のために金を使う、ということが、ダーティーな金のもっとも賢い使い方なのである、という逆説的なイエスのユーモアのように感じられました。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 地の塩
2009/06/09 (Tue) 07:16:35
*.eonet.ne.jp
 牧師様、初回からこりゃまた難題を・・・う~ん

 この世にはこの世の処世の術があり(富を基軸とした)、主によりて始まり今そこに来ている神の国には福音を基軸とした更新された生き方がありますよ。とイエスは言っておられるのでしょうか?
 
 不正な管理人のせこいけれど保身に走る有り様をイエスはパリサイ人に対するほどには激高して裁断されていないみたい。
この世で生き凌ぐために悪知恵を駆使する人間の肉の弱さをからかい口調でヨイショした後に、ところで神には別の仕え方がありますよと説かれるあたりにイエスの神髄を見ます。
 
 だけど、この世も今や恩を売ったからと言って必ず恩返しがあるなんて、当てに出来ませんよねえ・・・

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/10 (Wed) 23:10:14
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 教科書的に解釈すれば、小さなことは地上のことで、大きなことは天国のこと。地上のことに忠実な人は天国のことにも忠実。逆に言えば、不正な富にすら忠実でないヤツは天に積む宝に忠実とは思えない。(天に積む宝というのはマタイ的表現なのでちょっと違うかもしれませんが)
となるのでしょうけど、これはちょっと護教的すぎる?さてどうなんでしょう?


 >逆説的なイエスのユーモア
そういう見方もあるのですね。私は皮肉屋イエスの本領発揮か?と読んでしまいました。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/17 (Wed) 19:03:17
*.aol.com
 なんか最初から難しすぎるのをリクエストしてしまいましたかねぇ。

もう1回上に上げておきますね。

でもって、教科書的なことを書けば、100コロスを80コロスに書き換えるのは、当時は律法の規定により利子を付けてはいけないことになっていたので、証文を書く段階で利子の分を上乗せした証文を書いたのではないか、という注解を読んだことがあります。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/18 (Thu) 23:46:50
*.infoweb.ne.jp
 私は、どこからどこまでがオリジナルに近い伝承で、どこからがルカの付加なのか、ということに着目してみました。

 とりあえずいくつかの日本語を当たってみると、翻訳者によって解釈が違うことに気付きました。
 

たとえば新共同訳の注解者(教団出版局刊行のもの)は、1から9節までがひとまとまりの単位であるとしています。つまり、イエスの「不正にまみれた富で……」までをより古い伝承に属すると考えるわけです。
1~9節が大本の伝承、10~12節がルカの付加、13節は更に別の資料からで、これはマタイとの共通するQ資料由来のものと考えています。
 

しかし、こういう意見は少数派で、たとえば、岩波訳は8節までと9節からを区切っています。つまり、8節までのたとえ話と、9節のイエスの言葉を別のものとして、そのかわり9から13節をひとまとまりにしています。
これはたぶん、原語では「マモン」=「富」という言葉が多用されていることからひとまとまりにしたのではないでしょうか。
 

他にもバルバロ訳では、やはり8節と9節の間を改行しています。
9節から12節までがひとまとまり。13節はさらに改行されています。

新改訳でも8節までと9節からを区切りと考えているようです。

ギリシア語原典では、8節と9節の間は、すかっと間が空けてあって、9節の最初の単語「カイ」=「そして/そこで/また」は頭文字が大文字です。しかし、その次の9節と10節の間も改行してあります。解釈の多様性を認めていますね。10~12節がひとまとまりで、13節は独立してます。
 

この13節ですが「神と富に仕えることはできない」というのは、マタイにもありますね。だからこれはQからやってきたやつ、ということで今回考慮からとりあえず外しておきましょう。

原典を見ると、9節の「不正にまみれた富」は「不正なマモン」です。そして11節の「不正にまみれた富」も「不正なマモン」としか日本語では言いようが無いのですが、実はちょっと文法的には違う表現です。
うーん、つまり英語に置き換えて言うなら、9節のが“wealth of dishonesty”だとしたら、10節のは“dishonest wealth”なんです。まあでも、私の手元にあるNRSVでは、どっちも“dishonest wealth”になってますが、原典では違っています。……というか、9節のほうはどちらの写本もあるんだそうです。ですから、9節と10節がひと続きであるかどうかは、どちらも可能性があると考えられるのではないかな、と。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/18 (Thu) 23:47:25
*.infoweb.ne.jp
 どうであれ、10節は言葉遊びの要素が見られます。
日本語ではこの感覚が完全に破壊されていますが、「不正にまみれた」も「不忠実な」も同じ単語(アディコス)です。また、「忠実な」(ピストス)と「任せる」(ピストゥーオー)も同じ語根を持ちます。このピストスは「信仰している」意味も含みますし、ピステウーオーは「信仰する」という意味も含みます。
 
こんな感じです。
9節の「アディコスなマモンで友達を作りなさい」を受けて……
10節
「小さな事にピストスな者は、大きな事にもピストスである」
「小さな事にアディコスな者は、大きな事にもアディコスである」
11節
「アディコスなマモンにピストスでなければ、誰があなたがたに本当に価値ある事をピストゥーオーするだろうか」
12節
「他人の物についてピストスでなければ、誰があなたがたの物を与えてくれるだろうか」


 アディコスなマモンというのは「不正にまみれた富」と訳されていますが、要するにこの世で私たちが稼いだり、金持ちがためこんだりする財産のことだという注解があります。
だとすれば、アディコスなマモンにピストスな人物というのは、結局この世の仕事を大事にする人だということになります。
 

では同じように9節も読んでみると、「不正にまみれた富で友達を作りなさい」これはわかります。この世で流通している世俗的なお金を使って、友達づくりをしなさい、と。

 難解なのはこの次ですね。「そうしておけば、金がなくなった時、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」。

ひょっとしたら、これは「金持ちの青年」や「ザアカイ」のエピソードのように、持っているものを、自分よりも小さくされた者、弱い立場の者(この主人に借金をしている人たちのように)に施せということを言っているのではないでしょうか。
100バトスを50バトスにし、100コロスを80コロスに書き換えさせるのは、自分のもうける利ざやを放棄したと考える注解があります。つまり、彼は自分のもうけを放棄して、この債務者たちに尽くすことになります。
そういうことをした人間が、最終的に「金がなくなったとき」、あるいはこれをこの管理人の一生の終わりと解釈する向きもあるようですが、「金持ちの青年」に言ったように、「そうすれば天の国に迎えられるのさ」というお話なのかもしれません。

 ただ、そうなると、非常に物わかりのいいすっきりとした言葉に見えてくるので、やはり、この9節は、8節までのたとえ話とは別物なのか、という気がしてきます。


 ずいぶん長々と書いてきました。考えながら、ぶつぶつ言いながら書いているので長くなってしまいました。
申し訳ありません。ここまで読んでくださった、あなた。本当にありがとうございます。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/20 (Sat) 10:07:29
*.infoweb.ne.jp
 いや、ほんとに長々と申し訳ありませんでした。

提案ですが、この研究コーナーでのテーマは、毎月1日前後に提示し、1ヶ月程度で締め切って、サイトのなかのあるコーナーに残しておくというのはどうでしょうか?

略して「みんたた」です。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/20 (Sat) 15:09:16
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 富田先生の書き込みを見て、80コロスと100コロスを巡る私の書き込みが非常に不親切なことに気が付きました(笑)
 明後日ぐらいにまたもう少し詳しく書き込みしますね。
今週は今日も!!朝から出張。明日の準備は今からです。



 >提案
いいですね。サーバの容量に問題ないのでしたらよろしくです。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/20 (Sat) 20:26:32
*.infoweb.ne.jp
 >トマスさん

 詳しい注解、よろしくお願いします。ただし、6月末が〆切りですからね、一応。
それから、他の聖書箇所のリクエストがありましたら、みなさんも遠慮なく出してくださいね。


 この「不正な管理人」のたとえですが、実は一度説教に使った事がありました。お恥ずかしい。「礼拝堂」のコーナーでウップ……じゃなかったアップしてますので、そちらのほうを叩いていただいてもいいですよ。ご意見をこのスレッドのほうに書いてください。


 
>サーバの容量

 全く問題ありません。テキストデータだけですからね。ほとんど食いません。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/23 (Tue) 22:18:40
*.aol.com
 この話を読んでいて思うのですけど、やはり当時の社会の状況というか、ディテールが今とは随分と違うな、と。それを考えずに読んでも得るところのある話ですが、一方、それを考えずに読むことで意味不明になったり、考えて読んだら余計に判らなくなったり。


 で、100コロスと80コロスですよね。
もう少しちゃんと書くとですね、律法の規定では「利子を付けて金を貸してはならない」となっています(出エジプト22、申命記23など)。
でも裏道を考えるのが人間というもので、イエスの時代には、80コロスを借りたら100コロスと証文を書いて100コロスを返したらしい、と言われています。

 となると彼のやったことはつまり利子の帳消し。律法の本来からするとよいことをしたのかもしれない。

現代人の感覚で読むと100コロスを借りたのに80コロスに書き換えた、と思ってしまうのだけど、この譬え話の場合はそうではないようです。そして、100コロスを本当に借りていて80と書き換えたのならば、今風に言えば、業務上横領になると思うのだけど、ハナから80コロスしか借りていないのならば、横領でもない。


 私も含めて、ついついこの物語を「不正な管理人」と呼んでしまうのですが、彼の何がどう不正なのか?実はこれもじっくり考える必要があるかもしれません。

まぁ、律法のココロに沿ったことをしたからイエスがほめた、とは思えないですが(苦笑)


 コロスという単位についても一言ありますが、また後日。

 

追記
 
最初のところで無駄遣いをしている、と怒られているわけですから、不誠実な管理人には違いないと思うのですが、さて何が不正なんでしょうね。ついつい現代的に100コロス借りているのに80コロスと書き換えたと思うから?
ま、利子の帳消しが(当時)どれぐらい犯罪的な行為であったのか、というのもホントはちゃんと検証しないといけないのでしょうけど。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - がん子
2009/06/23 (Tue) 23:14:23
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 「みんたた」いいですね(^−^)
何も意見できずにいますが、「へえぇ・・」という感じで読んでいます。
勉強になる、というのとは違うのですが・・・多くの視点から見ることができて助かります。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - がん子
2009/06/24 (Wed) 07:17:44
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 あわわ・・・

>勉強になる、というのとは違うのですが・・

↑勉強になるんです!でもそれだけじゃないという意味で書きました。朝見て青くなりました(>_<)

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 地の塩
2009/06/24 (Wed) 09:50:13
*.eonet.ne.jp
 「みんたた」楽しみにしています。
今感覚で読めば謎めいて、古代人になったつもりで文献研究的に読んでもこらまた迷路に迷い込んで・・・みたいな感じですね。
教会の有志と「みんたた」っぽい聖書勉強会してますが、「そら、ここは一丁古代人になって!」なんて笑いあっています。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/24 (Wed) 15:03:15
*.aol.com
 >100コロス
 
さてこのコロスという単位ですが、とりあえず岩波訳の注では「393リットルか525リットルと言われる」とあります。
でもって、口語訳では麦百石と書いてあるのですね。江戸時代の米麦1石は100升、おおむね180リットル、重さにして約150キロ。倍以上違うやないか。なのですが、まぁそれはいいとして、もうちょっと違うことが気になりました。
 

口語訳が翻訳された時代は今から50年以上昔ですから、麦百石といわれると、それを具体的にイメージできる人が多かったのでしょうね。つまり麦百石といえば、どれぐらいのカサになり、値段がいくらぐらいで、どれぐらいの畑が必要で、労働力もこれぐらい必要になる。それがイメージできた。その意味で、リットルに換算した時に倍ほども違うのは問題ではあるけども、イエスが実際に語りかけたのも農民であるならば、日本語としては百石でよかったんだろうと思うのです。二百石でもよかったかもしれないけど。


 一方の現代訳では、岩波訳はともかく、新共同訳でも100コロスになっているというのは、原表記を大切にしたということだけでなく、今では本当に農業に携わっている人以外は百石といわれてもわからんやろ、という判断があるような気がします。
もっとも、500リットルといわれてもイマイチわからないのが現代の都市住民かもしれません。500として、100コロスといえば、10トントラック5台分ですよね。そこまではわかるんだけど…。


 ついでながら、時代劇を見ていますと下級武士の石高が(だんだん地位が下がると)途中で石から俵にかわりますけど、あれはおおむね3俵が1石です。俵になるとまるまる給与されたと思いますから、30俵取りと25石取りで実収は同じぐらいでしょうか。
200石ですが、4万石程度の小藩なら200石取りといえば中堅どころですね。200石の実収とすれば、知行地は500石。となるともう家老職に手が届く上級家臣です。50万石の藩なら600石ぐらいまでは中堅で上級は1000石ぐらいからでしょうか。旗本でいえば江戸末期の南町奉行として有名な遠山金四郎がたしか500石取りですから実収200石。(四公六民で計算してます)
もひとつついでに、江戸時代末期の米1石ですが、賃金水準を元に換算すると現代では約27万円(磯田道史の試算による)だそうです。

 以上、横道にそれました。失礼いたしました。
ま、ネタとして。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/25 (Thu) 01:53:44
*.infoweb.ne.jp
 いやいや、面白いですよ、トマスさん。ぼくも口語訳を読んでいて、100石と書いてあるのを見て、正確な訳ではないでしょうけど、その言語感覚がいいなあと思っていたのです。


 ここで、さらに叩く材料として、昨年横浜でやった説教の抜粋を貼付けたいとおもいます。コロスとかバトスの度量衡については、参考資料が違うのでトマスさんと食い違いますが、まあそこは目をつぶってもらって、解釈そのものについて、「たたいて」いただければありがたいです。批判・異論OKです。(冷や汗)



(↓では、ここから)
***********************
 
 本日お読みしました聖書の箇所、ルカによる福音書16章1節以降の「不正な管理人」のたとえ話です。
 
 あるお金持ちのご主人に、何人かの人たちが大量の油や小麦を借りていて、それを返さないといけないのですが、返せずにいるところを、この主人に雇われている管理人が、証文を改ざんして、借りを軽くしてやる、というお話です。
 
 物語のなかには、「油100バトス」とか「小麦100コロス」という単位が出てきます。1バトスは約23リッターという説もあれば40リッターにあたるとも言われます。仮に23リッターとしても、100バトスだと2300リッターになります。油、これはオリーブ油のことでしょうが、およそ2トン近くになりますから、結構な量です。これがある借財人の負債です。また、1コロスというのはおよそ200リッターから500リッター近くまで説が分かれています。少なく見ても100コロスは20キロリッターですから、確実に20トン以上はあるわけです。これも結構な量です。こういう負債を抱えている人たちがいたということです。
 
 私には、この負債を抱えた人びとが、神からこの世の人生を与えられて生きている人間たちに思えるのです。その負債は、本人たちにとって、返すあてもない借り物です。それを活用して新たな商売を展開しているかというと、そういう様子でもなさそうです。あるいは商売をしたかもしれませんが、その結果として、100バトス、あるいは100コロスという負債が残っているわけです。
 
 この物語に出て来る管理人は、主人の財産を無駄遣いしている、と何者かに告げ口をされます。そのため、主人はこの管理人に「会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない」(ルカによる福音書16章7節)と申し渡します。この管理人の男も、主人から任されている財産を有効に活用することなく、無駄遣いをしていることを指摘されて、それを否定もせず、管理人の職を取り上げられたらどうしよう、と考えます。
 この男も与えられたタラントンを無駄にしている一人です。出来の悪い僕です。無駄遣いをしていたというのですから、タラントンを地下に埋める方がまだましです。

 この管理人は考えました。「管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ」(4節)。そこで、彼は主人に借りのある人びとに、その負債を軽くしてやろうとします。
 
 この話はあくまで、たとえ話ですね。現実的にはちょっとあり得ない話です。金持ちに雇われた管理人がやってきて、「借用証を書き換えてあげるから、私がクビになったら私を家に迎えてくれ」と言っても、そこまでのお人好しはいないだろうと思われるからです。
 
 また、主人の財産を無駄遣いしたりしているのに、それに加えて借用証を勝手に書き換えるなどして、更に主人に損害を与えておきながら、それをほめられるというのも、変な話です。
 しかし、「皆いくほどかは、神さまからいろんな重荷を課せられて生きているではないか」という観点から見ると、この管理人がやったことは、一人一人各々の人生の負担を軽くしてやるということだったのかな、とも思えるのです。
 
 人間の社会のなかで、人の重荷を軽くしてあげる事のできる人は、たいへん貴重な存在だと思います。オリーブ油を100バトス借りている人も、小麦を100コロス借りている人も、問題だらけ、重荷だらけの人生を抱えている人のことをたとえていると考えることができます。そのような重荷を軽くしてやるために管理人は立ち回るのです。
 
 ここには、タラントンのたとえと比べて、出来の悪い人ばかりが登場しています。主人の財産を無駄遣いする管理人、大量の借りを抱えながらもそれを返すあてもない債務者たち。しかし、そんな問題だらけの人生を抱えた人間たちが、少しでも楽になるように、そして少しでも自分の身柄を守るために、浅知恵を働かせるという物語です。
 
 そんな管理人のめちゃくちゃなやり方を見て、金持ちの主人はそれをほめたといいます。苦笑しながら皮肉まじりにほめたのかも知れません。いずれにせよ、弱い立場にいる人たちが、なけなしの知恵をしぼって生き残ろうとする姿を見て、その生き様を主人も認めざるを得ないだろう、というたとえ話なのです。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/25 (Thu) 01:54:45
*.infoweb.ne.jp
 (↓続きです。長くなってすいません)

 
 私たちのなかで、自分から生まれたいと思って生まれた者は一人もいません。みな気付いてみたら、この世に生まれていたわけです。
 
 そして、私たちが生まれながらに与えられたもの、あるいは日々の偶然のなかに出会う事のなかには、重荷に感じることも不条理に感じることもあります。
 
 タラントンのたとえでは、人間が神さまからいただいているのは、基本的に良いものなんだよ、という楽観主義が目立ちます。しかし、この不正な管理人のたとえでは、人生そんなに楽じゃないよ、という、幾分か冷めた現実主義が表れています。そして、多少ずるいやり方であったとしても、お互いの重荷を軽くし合うような生き方があってもいいだろう、「なんでもかんでもクソ真面目にやればいいってもんじゃないって、助け合いが大事だよ、それくらい神さまだってわかってくれらーな」といった、ちょっとスレた感じが漂うのです。
 
 しかし、それは、苦労が報われることの少ない貧しい庶民に、ざっくばらんに優しい言葉をかけていったイエスのイメージには合うような気がします。苦しい生活の中で、イエスが笑いながら、こんなたとえ話をして、「こんな風にみんなの借りが楽になればいいのにな」と言ってくれたなら、庶民としてはうれしかったのではないでしょうか。まあこれも、一種の楽観主義といえば楽観主義かもしれません。
 
 私たちの人生は問題だらけです。しかし、何が何でも正面からぶつからないといけないということはありません。いろんな方法を使って、重荷から逃げてみる、というのもひとつの生き方です。また、もっと楽に生きてゆこうよ、と人に勧めるのも時にはいいことだと思います。
 
 そんな、肩の力の抜けた生き方も、聖書から読み取る事ができるのではないかと思います。「もっと楽に生きてもいいんだよ」と、今日の聖書の箇所は私たちに語りかけてくれているのです。

********************************



こんな感じです。はい、叩いてください。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 地の塩
2009/06/25 (Thu) 06:37:04
*.eonet.ne.jp
 牧師さん
 
 この世の庇護と神の庇護、と考えてみると、う~んかなり胸に落ちます。
 
 背負いきれない負債に呻吟する民に対して「それでも借りたものは返せ!」とイエスは言わないですよね。神様のものを不正に取り扱ってもこの世の庇護に一縷の望み、明日まで命を長らえる望みを託さざるを得ぬ民。これって自分のことだなあと思います。そんなショボくさい私をも苦笑いしながら許されるイエス。
 
 これは斜に構え、苦笑を誘う、絶妙の神義論と読めなくもないという気がしてきました。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/25 (Thu) 23:51:28
*.infoweb.ne.jp
 地の塩さん、ありがとうございます。

さて、上の文は説教の後ろ約3分の1で、これで終わっているのです。……がっ、この説教を語った教会で、礼拝後、教会員のみなさんと和やかにおにぎりなんか食べていると、
「先生、あのお説教は途中で終わっていますよね!」と指摘してくださった方がおられました。
つまり、この説教は8節までしか解釈していない。9~13節の部分をまだ私たちは講解してもらってない、というわけです。
 
あちゃー! そのとおりでした。礼拝の聖書箇所を伝えるときに、8節で切っときゃよかったなあ……と思っても後の祭です。
それ以来、若干慎重になりました。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - heartless
2009/07/24 (Fri) 00:46:38
人間はこの世で生き延びるためには自分の物を確保しなければならない利己的な生き物である。
富は他者から奪うことによってしか形成し得ない。
富の基準は出だしから的外れなのである。
的外れなものにどんなものを積んでも同じこと。
俗世の会計ルールといったもともと的外れでしかも政治家や官僚の意向しだいでころころ変わるものにふりまわされては断じてならない。
そんなところに神の愛は存在しないのだから。

Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/07/24 (Fri) 19:15:18
heartlessさん、ようこそいらっしゃいました。
ところで、heartlessさんのご意見は、13節の神と富の箇所についてのコメントですよね。
■8節または9節までのたとえ話と、
■「9~12節の不忠実な富についての教え、
■そして13節の神と富の話
……は、一応分けて考えたほうがよさそうですね。そのほうが整理しやすい気がします。
私、実はこれらの箇所をまとめて高校3年生に読んだ感想を書いてもらったのですが、みんな苦しんでいました。当たり前ですね。かわいそうなことをしました(笑)。


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