みんたた!

「みんたた!」 : みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2009年7月のテーマ: 「誓ってはならない」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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■マタイによる福音書 5章33~37節(新共同訳・新約・p.8)

33 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。
34 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
35 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。
36 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら 、あなたは白くも黒くもできないからである。
37 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ 以上のことは、悪い者から出るのである。

(地の塩さんのリクエストより)

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 地の塩
2009/07/02 (Thu) 16:32:51
ありがとうございます。
誓いを立てたとしても、それを守れるも守れないも自律しうるものでない。「われの善くて悪をなさざるにあらず」のごとく、神のみ手に委ねるしかないのが被造物たる我であることをしかと知れ!と言う事かと解釈しています。
「今度こそ!」と誓って、いつもいつも挫折・・・
もし事、成就すれば、それは神のみ恵み・・・
にしても、この聖句、キリスト教世界では意外に無視されていませんか?
なんやかやと誓わせている気がします。
我も我もとキリスト教式結婚式で「はい、一生!」なんて誓ってますし・・・
自力に頼った若い日が過ぎ去り、この絶対他力が心の安定を支えてくれています。(私事ですみません)
皆さんの解釈をお願いいたします。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - トマス
2009/07/02 (Thu) 23:03:40
>にしても、この聖句、キリスト教世界では意外に無視されていませんか?
無視されまくっていますね。
洗礼式(信仰告白式)、役員就任式、准允式、按手礼式、牧師就任式(御丁寧に牧師と教会員の両方)、…
それはともかく、37節の言わんとするところがよくわかりません。33-36はある意味イエスの言葉らしいな、と思うのですが。「悪い者」をどう解釈するか、かな?

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 地の塩
2009/07/03 (Fri) 05:56:24
>それはともかく、37節の言わんとするところがよくわかりません。33-36はある意味イエスの言葉らしいな、と思うのですが。「悪い者」をどう解釈するか、かな?
37節は聞きようによっては「てめえらは黙ってろ!」と聞こえなくもないですよね・・・
まさかイエスが盲従を求められるはずはないと思います。う~ん、・・・まあ、しかし、ファリサイを凌ぐ律法の完成を促すマタイが自力完成、自力到達を否定するとは思えませんので、これは可成りイエスの言葉伝承の古層に由来しそうな気がします。
とすれば、(悪い者)とは自力を誇り、神の前で立てた誓いを完遂して自慢するファリサイ的な者達と解釈してはどうでしょうか?

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - れお
2009/07/04 (Sat) 11:31:07
※【33~36】はこれまで自分が疑問に思っていた箇所で今まで結構調べてきたので、他人の解釈がかなり含まれています。オリジナルかな~と思うのは【37】だけです。
【33】昔の人は「主に対して誓いを立てたら、果たしなさい」と命じられていた。しかし、「そんなこと言ったって、人間だもの、果たせないや」と諦めつつも何とかできないかと考えた。
そこで思いついたのが、【33~35】で見られるような天・地・エルサレムに誓うことで、「主」に対して誓っているわけではないし、命ぜられていることに反しているわけではないと逃げ道だった。天・地・エルサレムは神が作られたものだけど、神そのものではないという理屈で逃げることにした。
そういう現状を目の当たりにしたイエスは【34】で「〝一切〟誓いを立ててはならない」と言った。【33~35】では人間以外のものを、【36】では人間自身にかけて誓ってはならないと。天・地・エルサレムは神の王座・足台・大王の都だと断言し、また、人間が自分自身に誓うことも頭髪の色を自由に操作できないことを用いながら無理だろうとおっしゃった。人間の非力さを用いて説得しようとした。
ここまでで、「人間は神にかけても、自分自身にかけても誓ってはならない」とおっしゃった。
そして・・・・・
※ここからは単純に解釈を述べるよりは、私の思考回路を書いたほうが分かりやすいのではと思い、余分かもしれませんが書くことにしました。
実はこの【37】が物凄く難しかったのです。考え込んじゃいました。
①何に対してそのように言いなさいと言ったのか?
②悪い者とは何か?
最初はこの2点を考えればたどり着けそうだと思ったのですが、全く答えが出ず…。
そもそも「人が誓う」という状況をもっと考えなくてはたどり着けないような気がして、次第に誓うということに対して「〝わざわざ〟誓うのは何故なんだろう」と思えてきました。いつの間にか〝わざわざ〟という副詞がついてきてしまいました。たしか…「誓いを立てなさい」とは旧約では言ってないんですよね。誓いを立てるか、立てないかの自由はあったのかな~と思います。
自信(→語弊があるのかもしれないけれど)がないから、誓うんじゃないのかな…そんなところに落ち着きました。政治家などにはパフォーマンス・はったり的なものが多いけど。「神にかけて○○する、しない」というのには程度の差はあるけどとにかく偽りがついてまわるのだと…。
本当の気持ちに従っているなら、「誓う」という行為は不要なんだと思います。そこをイエスは突いているのかな~なんて思いました。
で、【37】に話は戻って、①の疑問は愚問(私達は他人と接していようと、常に神の御前にいるはずです)。
ハイはハイ、イイエはイイエという「シンプル・イズ・ベスト」な態度が良しとされ、「○○すると誓います」などとつべこべ言ってるうちは自分の思いが100%真実ではない状態ですよという意味。シンプル・イズ・ベスト的な方が間違いなく実行に移しているはずです…。
②の「それ以上のものは悪い者から出る」という箇所については、マタイ6章7節「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない」や、14章11節のように「口から出て来るものが人を汚すのである」を参考に考えました。悪い者は悪魔や異邦人を指すのかなと思いました。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 牧師 Home
2009/07/06 (Mon) 23:27:16
これだけ、あれにかけて誓ってはならない、これにかけて誓ってはならない、と言っているのですから、よほど空しい誓いが多く行われていたんでしょうね。
しかし、誓いも必要なことがあるんじゃないかと思います。
じっさい結婚式で
「約束できません。ケースバイケースで、ハイと言えるときにはハイと言いますし、イイエとしか言えないときにはイイエと言います。それが逆に一番人間として誠実だと思いますがっ」
なんて言ったら、結婚生活が不安定でとてもこれでは続けられないではないですか。
ああ、でも、だから「契約」というものを重視するのかも知れないですね。結婚も形のない口先だけの誓約ではなくて、それは神と人間の契約にモデルを取った(本当は逆だろうけど)契約なんだと。
ちゃんと文書に残す契約です。文書は人よりも永続的なものですもんね。だから、人間の寿命よりも永い聖書のほうが信頼できるんですもんね。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - hotaro
2009/07/10 (Fri) 08:57:37
人間みんな ハイな時は やたら「誓い」を立てたくなるものですよね。結婚とか、洗礼とか。元々、明日のいのちがどうなるかもわからない人間が、将来の状態やアクションについて、約束なんてできるものではないでしょう。そういう誓いのむなしさみたいなものをイエスは衝いてきているのではないかと思います。仮に誓いを立てるにしても、「もしその内容がみこころに適っていて、そこまで存えさせてくださるなら・・・ お約束します」という祈りが付随していると解釈します。
そこで、「是を是、否を否としなさい」と続くのは、状況倫理の事だと考えます。つまり、ある誓いの内容が、時空を越えて通用するような社会は、罪な人間社会ではあり得ないのだから、我々は、きょうここで遭遇するひとつひとつの事柄に対して、その都度 是非を判断して生きていくしかないんだと。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 牧師 Home
2009/07/10 (Fri) 09:22:03
ぼくの受け取り方も、だいたいそんな感じです。
祈るときには、言葉にする場合と、無言の前提としての場合とがありますが、「もし御心でしたら、○○してください」と祈っていますね。
でも、祈りというのは、ある意味、本気で信じていることが必要だということも言われますし、自分から安全地帯を引いておくのはおかしい、という考え方もあるんですが……

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - トマス
2009/07/11 (Sat) 14:03:19
どうも37節後半もですけど前半をどう読むか、というところに解釈の幅があり、読みとることにバリエーションがあるみたいですね。面白いな。
>ハイはハイ、イイエはイイエという「シンプル・イズ・ベスト」
>「是を是、否を否としなさい」
どちらも新しい感覚で読ませていただきました。多謝。
悪い者の方ですが
>自力を誇り、神の前で立てた誓いを完遂して自慢するファリサイ的な者達
そうかもしれませんね。実は私「悪い者」ではなく「悪いもの」と読んでいたことに今回気が付きました。

「悪い者」と「悪いもの」 - 牧師 Home
2009/07/18 (Sat) 00:21:28
「悪い者」ですが、ギリシア語の原典では、「者」にあたる語がないと思います。冠詞があって「悪」という語があるだけです。なんで「悪い者」なんでしょうね? トマスさんの「悪いもの」のほうが原典に誓いですね……じゃなかった、近いですね。
よく参考にさせていただくT川先生の訳によれば「それ以上のものは、悪から生じるのである」です。素直に読むとそうなると思います。

マタイのごまかし細工 - 牧師 Home
2009/07/18 (Sat) 01:09:33
この37節の前半を、T川先生の訳で読むと、
「汝らの言葉は、然り然り、否否、であれ」です。
これも、ギリシア語と比べて読むと、ああなるほど、これが一番素直な訳だなと感じます。
ギリシア語で「ナイ、ナイ、ウー、ウー」と反復しています。「然り然り、否否」です。
しかし、これはどうやらオリジナルのイエスの言葉にマタイが手を加えたものらしいのですね。
ヤコブ書5章12節にこういう言葉があります。(まだここの部分はT川訳が出てないので、とりあえず新共同訳で書いておきますね)
「私の兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと、裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。」
こちらのヤコブ書のほうがイエスの元来の言葉をよく伝えているのだというわけです。
こちらは「然り、然り、否、否」ではなくて、定冠詞が「然り」の前について、「である」という動詞の三人称命令形「としなさい」とが入っています。
これで初めて、私たちがここで話しているように、「然り」は「然り」、「否」は「否」としか言えないのであって、誓う事は全く拒絶しなければならない、というのがイエスの主張に近いのだろうと言えるわけです。
では、マタイは何をやったのかというと、このイエス自身に遡りうる誓いの拒絶の言葉を、定冠詞を抜いて、単純な単語の反復にするだけで、巧妙に、当時のユダヤ教の誓いの言葉に変更してしまった、というのですね。
事実、タルムードやその他のユダヤ教文書に「然り、然り」「否、否」と言って誓いなさい、というくだりがあったり、実際に誓いの趣旨で言っている例があったりするそうです。
つまり、マタイは、神の玉座や神の足台にかけて誓ってはならないが、「然り、然り」「否、否」という形式で誓うことは許したのだということです。
以上ここまでは、まるっきりT川先生の受け売りです。
でも、ぼくには説得力あるように感じられます。マタイが一見イエスの言葉を語って、ユダヤ教を批判するように見せかけておきながら、結局はユダヤ的なものに戻ってゆくというのは、ぼくも大学院で勉強していた部分なんです。
余談的に話を横道にそらしますが、例えば、この「誓ってはならない」の前に「離縁してはならない」がありますよね。
これ、3つの福音書に平行記事があるんですが、もともと離縁を禁じたイエスの言葉を、マタイは「不法な結婚でもないのに」という言葉を付け加えることで、実際には「不法な結婚だと判断できたら、離縁してもいいぞ」という許可に変えてしまっているのです。
離縁の条件をいろいろ判例を出して論じているユダヤ教文書と軌を一にする傾向です。
そんなわけで、本題に戻しますが、本当の論じるべきはヤコブ書なのかも知れませんね。
また余談になりますが、T川先生、この部分の注解で、日本を代表する若手ヤコブ書研究者と目されるぼくの友人を、ボロカスに叩いてます。かわいそうに……。
でも、T川先生に「世話を焼いておくことにする」なんて言われるのは光栄かも知れないよね。
ああ、そういえば君は、日本キリスト教団総会議長に「回収、絶版、廃刊にしろ」と叩かれるなんてある意味光栄じゃないかと言ってくれたことがあったね。
アホに叩かれるのが光栄か、碩学に叩かれるのが光栄か、よくわかんないね。
いや「世話を焼いて」もらえるんだから、きっと君は幸せ者だよ。お互い若いしガンバロウ。あ、がんばりませんけどね。(私信に走ってすいません)

Re:「悪い者」と「悪いもの」 - トマス
2009/07/18 (Sat) 23:59:28
え~と、冠詞+形容詞って○○な人(とか物)でしたっけ。そんな風に習った記憶が。間違っていたらゴメンナサイ。でもなんでそうなるんでしょうね。その辺が他国語の面白さですかね。
日本語の方も考えてみたら面白いモノで、「者」と「物」の違いはともかく、「もの」になるとまたニュアンスが変わってくる。私の場合、この箇所が「もの」だったのは者と物の両方を含んだニュアンスで捉えていたようです。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 牧師 Home
2009/07/19 (Sun) 07:00:31
あ、そういえばそうですね。
たとえば「貧しい者」で「ホイ・プトーコイ」=「the poor」ですね。
うーん、じゃやっぱり「悪い者」の可能性もあるんですかね。両方の意味に取れますね。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - ぜつぼー(仮)
2009/07/19 (Sun) 08:29:13
はじめから1つの結論を求めたり決めたりして、
それに誓うより、後に考えられる可能性、
(誓った)以降に起こりうる事象についてを
優先すべきではないですか?と
イエスが言ってるのだと解釈しています。
はじめに結論を出してしまったら、
可能性という可能性を失ってしまうことに
なるので、それは神様から与えられた
未来の可能性をないがしろにすることに
なってしまいますよ、と
イエスは言いたかったのではないでしょうか。
そう考えると37節の「悪」「悪いもの」が、
神様から与えられたものをないがしろに
してしまうこと、と言えなくはないでしょうか。
悪い「者」「もの」については、
イエスが言いたかった「悪い」が、
悪い「行為」だと考えると、
「もの」だと言える気がします。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 友人 Home
2009/07/19 (Sun) 15:15:52
牧師殿
「ヤコブ書研究者」の友人です(もう「若手」じゃないよ、お互いに)。励ましの言葉、ありがとう。とても嬉しく読みました。
私信ってことだったから、メールで返すべきかもしれないけど、注解書のことだから、他の皆さんにもご覧いただくのがいいかと思ったので、こちらに書かせてもらいます。
問題は、マタイ5:37の「然り、然り、否、否」が誓いの代りを果たす定式として用いられていたかどうか、ってことですよね。T川先生はそれを肯定する立場。で、僕が、これに反対する立場の学者を紹介したら、ルツが言ってるからってだけで無批判に追従してる、と叩かれたわけだ。
T川先生に叩かれるってのは、ある意味光栄なことです、本当に。だって、読んでくれてるってことだから。同じ叢書で出てるH口氏のガラテヤ書注解なんて、取り上げてすらもらってない。
あの箇所は確かに手抜きしてます。自分できちんと調べてないのは事実なので、批判されても仕方ない。でも、ちょっと言い訳するけど、ヤコブ書注解なんだから、マタイ福音書のことについて詳しく書いてなくても許容範囲なんじゃないのと思うんだけど。
それに、よく読んでもらえればわかるんですが、別に僕はルツが言ってるから無批判に従ったわけじゃない。当の箇所には、他の学者の名前も挙げてます。つまり、「然り、然り、否、否」が「誓いの定式じゃない」という学者は意外に多い、ということを言ったまでのこと。僕自身の判断は書いてません。だって調べてないから。
それをT川先生、ルツを叩いたその勢いで、ルツの意見をよく調べないで取り上げた(くどいけど、賛成してるわけじゃない)僕にまで斬りつけた、ってわけです。
私信への返事が長くなってしまいました。ついで(というか、本来こちらを書くべきでしょうが):
この箇所は、ヤコブ5:12の方が、元来のイエスの言葉に近いと思います。「裁きに陥らないためである」はヤコブ書の著者が二次的に付け加えたようですが。
「君たちの『然り』は『然り』、『否』は『否』であれ」とは、言葉と振舞いの一致を言っているように思います。それが出来ないときに「誓い」という形式が登場するのだと。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 牧師 Home
2009/07/22 (Wed) 00:13:15
おおお~出て来てくださいましたか、友人さん。
しかし……
「あの箇所は確かに手抜きしてます。自分できちんと調べてないのは事実なので、批判されても仕方ない……」
……とこれを読んで、笑い過ぎてイスから転げ落ちそうになりました。うーん、なるほど、第一人者もそういうことがあるのか。自分を顧みてほっとしたりして……(笑)。
さて、とにかくヤコブ書5章12節のほうが、イエスの言葉としては有力だという話になってきました。
誓いというものの形骸化をイエスは突いていたのでしょうか。
引き続き、ご意見を投稿ください。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 牧師 Home
2009/07/24 (Fri) 19:20:15
再び投稿です。
ここで私たちは、「イエスは一切の誓約を否定された」という当面の結論を得たわけですよね?
ところが、ここからが私たちが悩まないといけないところだと思います。
つまり、このイエスの教えと、私たちが実際に生きてゆく世の中での生活をどう結び合わせてゆくのか。私たちはイエスの言葉を抱きながら、具体的にはどう生きてゆけばよいか、そこがメッセージの研究の段階なんですよね。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 毛利
2009/07/27 (Mon) 00:39:57
社会での誓いって「強制される」感じがありませんか?間違いなくこの資料を作れ、いいな、約束したな、嘘だったらとんでもないことになるぞ、絶対に今日中に作れよ、何があっても作れよ!!!的な感じで、断りたくても断れない、無理矢理押しつけられるという印象があります。
そういう状況になった場合に対してイエスは「誓ってはならない」と言いたかったのかな、と。
話がそれていたらすみません。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 牧師 Home
2009/07/27 (Mon) 01:32:39
そうですよね。そういう意味では、イエスの「誓ってはならない」は、「いいか、決して誓ったりなんかするんじゃないよ。君自身のためにね」という優しさを持ったものかもしれませんね。
できることは「はい」、できないことは「いいえ」と答える。そうだったらいいのにね。
そういう話題で思い出したんですが、ぼくの過去の説教に、「イン・シャー・アッラー」というイスラームの言葉に触れた話があるんです。「神がお望みならば」という意味なんですが、まあ要するに、約束をするとき、いつも「はい、インシャーアッラー」って言うんです。こうすると果たせなかったときには、「神がそう望まなかったんだ」と言って言い訳をするという話なんですが、もし興味がおありでしたら、読んでみてくださいませ。
「神がお望みならば」
http://ichurch.me/sermon/in_shah_allah.html
しかし、なんですね。イエスも意地悪ですね。
一生裏切らないなんて約束しちゃあいけないよ、ということでしょ。そういうことを一方で言っておいて、他方では、人の嫁さんに色目使うやつは地獄行きだ、と言うわけですよ。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 毛利
2009/07/28 (Tue) 01:04:42
インシャーアッラーの考え方は、得てして言い訳をする(仕事をさぼったのに「神の意志だ」と逃げる等)感じが強いですが、実際には人間の限界を神が吸収しているという意味合いだと思います。それはイエスの誓ってはならない、に通じるものがあると思っています。
他人の奥さんに色目を使うのは、自分でコントロールできることだからイエスは厳しく注意したのではないでしょうか。でも他人から押しつけられるような仕事とか命令については自分自身でどうにもできないので「誓ってはならない」と言ったのかと。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - トマス
2009/07/29 (Wed) 22:37:53
>イン・シャー・アッラー
人間の限界を神が吸収している、ってのはうまい言い方ですね。たしかにそうだろうなぁ。
イスラムの文化で生活している人は言う方も言われた方も「言い訳」とは思ってないのでしょうね。だから「神の御心のままに」なのでしょうね。これ、どっちかが言い訳だと思っていたら大変ですよね。
>人の嫁さんに色目使うやつは地獄行き
罪のないヤツが一番に石を投げたらええやないか。と同じ感覚ですかね。つまり、よその嫁さんに色気感じたこと無いヤツなんかおらんやろ。ってことで。でもこれを展開していくと、私の苦手な贖罪論(原罪論)に行っちゃう気がする。

再投稿です - れお
2009/08/01 (Sat) 15:49:11
みなさん、こんにちは~。昨日ギリギリまで7月の課題を再度考えていました。
私は33~36節までは割とすんなりと解釈できたのに、突然37節で何を言っているのだろうと…「然りは然り、否は否」なんて唐突過ぎて全く分からなくなりました。
私には新共同訳とフェデリコ・バルバロ訳しかなく、元々の言葉から考えることはできないので、日本語訳でひたすら考えました。
全く信仰のない者にこの話をしてみたのですが…
誓いは〝契約〟であって、誓いを破ったときには〝契約違反〟となって、〝ペナルティ〟が課される。人間は36節にあるとおり、非力な存在。そんな人間が契約違反をしたときに、ペナルティを課されることから守るために、イエスは誓いそのものを否定した。
じゃあ、そう考えると37節は何を言っているのかというと、神や人間(自分自身も含める)と契約を交わすのではなくて、自分がしたいと思うことをその通りにすればいいし、したくないことはしないでいい。自分がこうしよう、こうするのはやめようと思っていることを、誓いをたててまでしなくていいよ。そんなことは無理なんだから~と言っているのではないか。
わざわざ神にイチイチ「こうします。ああはしません」などと誓わなくてもよく、イエスは「(かなり砕けた言い方をすると)そんなこと勝手にしなさいナ~。イチイチ誓わんでもよろしい!!」と言っているのではないかなー。
と、そんな話でまとまりました。
悪いもの・者はなんとなくは理解できますが、人には説明できません。
誓いをたてずに、「わたしはこうしようと思います。どうかその通りになるように…。でも、御心にかなうように」と「祈り」で生きてゆこうと思います

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - わふ Home
2009/08/01 (Sat) 17:50:08
れおさん、はじめまして。
>誓いをたてずに、「わたしはこうしようと思います。どうかその通りになるように…。でも、御心にかなうように」と「祈り」で生きてゆこうと思います
いい表現ですね。なんか、ほっとしました。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - トマス
2009/08/02 (Sun) 00:13:39
もう8月なんですねぇ。忙しくしていたら7月が終わってしまいました。もうちょっとじっくりと考えを進めてみたかったかな。(と言いつつ、8月も忙しいですが)
>わざわざ神にイチイチ「こうします。ああはしません」などと誓わなくてもよく
山上の説教を思い出しますね。神は求めない先からあなたがたに必要な物はご存じである。とか言ってませんでしたっけ。どこか通じるところがあるように思います。

Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 牧師 Home
2009/08/02 (Sun) 01:52:49
別にいいですよ。「一応」何月の……と決めているだけですから、後から発言していただいてもいいですよ。
ただ、その都度ぼくが、本サイトのほうにコピー&ペーストするのを忘れちゃうかも知れませんけどね(笑)。


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