みんたた!

「みんたた!」 : みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2009年8月のテーマ: 「蛇のように賢く、鳩のように素直に」

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■マタイによる福音書 10章16~23節(新共同訳・新約・p.18)

16 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
17 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
18 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。
19 引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。
20 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
21 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
23 一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。

(毛利さんのリクエストより)

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 毛利
2009/08/03 (Mon) 00:48:59
言い出しっぺの毛利です。これは、布教活動をする前にイエスが語った言葉だと思うのですが、信徒ではない人達は狼みたいなものだから、注意しなさいというのは納得するのですが、蛇のように賢くということがひっかかります。蛇と言えばアダムとイブを騙した悪魔の化身ということをイエスは当然意識していたのでしょうから、蛇がイブを騙したように、非信徒を騙しなさいって奨励しているように解釈できます(と言うか、それ以外の解釈が思いつかない)。

もしそうだとすると、一部の原理主義教会が何も知らない新参者に1/10献金や創造科学、バプテスマの意味を隠して、取り敢えずイエス・キリストを受け入れなさい、受け入れたらバプテスマを受けなさいと教えるのも、この教えに従っているということになります(バプテスマを受けると1/10献金が自動的に発生するのですが、それはバプテスマを受けると他の信徒の前で宣言した後で伝えられます)。完全な騙しのプロセスだよなぁと思っていましたが、これは聖書的には正しい行動ということになりますよね。

この聖書箇所は、宗教の恐ろしさを感じます。騙して信者にしてしまえ、兄弟同士、家族同士での争いもあるが、それはイエスが予言している通りなので受け入れなさい、そして迫害が酷くなったら他の町に逃げてしまえばいい・・・。

「きちんと相手を納得させて教えを広めよう」という姿勢ではないのが、どうにもスッキリしません。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 牧師 Home
2009/08/07 (Fri) 01:05:11
出張に出ていて、すぐに書き込みできませんでした。すいません。

毛利さんの考えは、なかなか鋭い面もあるんじゃないかなと思います。
草創期のイエス派の運動(キリスト教成立以前)は、多分にカルト的な要素があったのではないかと思います。そうであったからこそイエス派は危険視され、イエスは殺されたのでしょうし。

ただ、この聖書の箇所そのものは、マタイの教会が置かれていた状況を踏まえて、マタイが教会のメンバーたちに呼びかけた作文である可能性が高いとは思いますが。

明日からまたドタバタしますので、ちゃんとした書き込みがしばらくできないかもしれません。どうぞみなさんも、ご自由にご発言ください。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - トマス
2009/08/07 (Fri) 23:07:44
ウチではこのところ使徒言行録を読んでいるのですが(ということはルカなわけですが)状況に対する対応としては案外に似ている部分があるかもしれませんね。
というのは、
・使徒言行録でもステパノの殉教を除くと迫害されたら(後の時代の外典のように殉教一直線ではなく)その町を逃げ出すのが基本(23節と同じ)
・言うべきことは聖霊が教えて下さる、はルカも福音書で書いている(と思ったら17-23節は3福音書がいずれも書いている記事でしたね)

さてそうすると16節は?と思って簡単にチェックしたところ、問題の16節後半だけはマタイにしかないのですね。とすると後半はマタイの作文?それとも他の場所から取ってきた?もうちょっと調べて&考えてみますね。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - トマス
2009/08/10 (Mon) 22:56:18
くだんの16節後半ですが、トマス福音書の語録39にも出ておりました。のですが、マタイから取ったのか、別伝承から取ったのか、解説に載っていなかったので現時点ではそれ以上のことは判っておりません。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 牧師 Home
2009/08/16 (Sun) 23:07:35
毛利さんの疑問は、そのマタイ10章16節後半に関するものなんですよね。ここに話をしぼりましょう。
とはいえ、トマスさんのおっしゃるように、この部分を丁寧に解説した資料がなかなか見つかりません。
私の恩師H本先生のマタイの注解では、「ユダヤの格言であろう」とされています。その出典は定かではないのですが、その一方でT川先生の「訳と註」では、4世紀ごろのラビの発言に、
「神はイスラエル人に関して言った、私のもとでは彼らは鳩のように完全であり、この世の異邦人のところでは蛇のように狡猾である」
というものがあることが紹介されています。
これは、固有の領土を失ったユダヤ人が自分たちのコミュニティで過ごす顔と、異邦人たちの社会で丁々発止生きていく時の顔の使い分けを、うまく表現しているようで面白いなあと思います。
もしマタイの時代(1世紀後半)からこういう格言があったのだとしたら、それをマタイが引用して、キリスト者がこの社会で生きるときの知恵として伝えた可能性もありますよね。

蛇は賢いとされているわけですが、これはもう天地創造の初めのお話からそう書かれています。
「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった」(創世記3章1節)
この部分の70人訳ギリシア語旧約聖書でも、マタイ10:16後半と同じ単語で「賢い」と書いてあります。

ギリシア語の「賢い」は「フロニモス」。分別のある、思慮深い、利口、賢明……ということで、辞書で見る限り、「ずる賢い」といったマイナスなイメージはありません。
マタイ福音書の中でも7章24節「岩の上に自分の家を建てた賢い人」の「賢い」はフロニモスです。
そうすると、さっきのラビの発言のように「狡猾」というのとは、ちょっと意味のズレがあります。
キリスト者以外の人をだましていけ、というような意味ではマタイは使っていないようだと言えます。

では創世記のほうの蛇のほうは、なぜ賢いのかというと、これは古代のエジプトやメソポタミアで、蛇が知恵の象徴であったことを関連している、とまたまた恩師のN本先生の注解では述べられています。
蛇は古代の神話や民話の世界では、生命・知恵・富・生殖・癒しなどを司る神として登場することが多いです。
しかし、イスラエル民族はそういう文明の神々から決別する所から成立しています。にも関わらず、イスラエルの王たちは豊穣を司るカナンの蛇信仰に影響を受けたり、蛇を信仰する国々から娘たちをハーレムに入れたりして、ヤハウェ信仰を徹底できない。そこで、それを批判する意味で、蛇を誘惑者として悪役に仕立てた、という説もあるそうです。
そうすると、もともと蛇が「賢い」のは悪い意味ではなかったのですが、ここで悪役に仕立てられたから、後々「狡猾」という解釈がなされるようになったのでしょうね。

くりかえしになりますが、ギリシア語では「フロニモス」は悪い意味ではありませんし、マタイ福音書でもポジティヴな意味で使っています。
マタイがこの格言(?)をこの10章16節に置いたのは、彼の当時、17節以降のように実際クリスチャンが迫害される状況があったからでしょう。
クリスチャンを迫害する者に対しては、思慮深く、分別のある行動をとりなさい。その利口な行動のなかには、当然「他の町へ逃げて行きなさい」(23節)ということも含まれているわけです。

ですから、これは「だましてクリスチャンの仲間にしてしまいなさい」という状況ではありません。そういうことをしている余裕が無い、迫害状況下です。

もし毛利さんが「クリスチャンとは、人を騙して入信させるやつらだ」と思っておられるとしたら、そう思わせた教会の伝道者たちは、とんでもない思い違いをしているんでしょうね。
しかし、毛利さんの例に限らず、本当に口先だけで人を騙して、本人もよく訳が分からないうちに、教会のメンバー扱いされていた、なんて事例は、他にも知っています。
まったくふざけた教会ですが、あくまでここでマタイが言っているのは全然違う意味なんだということを強調しておきたいと思います。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 毛利
2009/08/17 (Mon) 14:46:35
ありがとうございます。フロニモスに狡猾という意味がないなら、マタイとしては前向きな意味で説明させたかったということですね。でも、いくら格言からの引用を自分なりにアレンジしていたとしても、蛇と名指しするのはどうかと思います。少なくともアダムとイブを騙したのが、蛇そのものなんですから。「嘘も方便」の聖書版かなとか考えてしまいました。

確かに騙して信者を増やす以前に、自分たちが迫害されている身分なので、余裕がないというのも理解できます。今の教会とは、だいぶ違うのでしょうね(あ、いや、迫害されている理由を認識せずに、被害者意識が強く、勧誘ばかりしている教会だか団体もありますけれど)。

それと、私の通っていた教会としては騙したつもりはないのでしょう、それが厄介なところなんですけれど。悪意は微塵もないのだと思います。伝統的なプロセス(結果として騙しに通じるのですが)を守ってきているだけと言いますか。1/10献金の話をすると信者が離れてしまうから言わないでおく、創世記(創造科学)の話も、信者がどん引きするから信仰が深くなるまで(俗的な言い方をすれば信者になると宣言して逃げられなくなるまで)触れないでおく、恐らく今までそうしてきたのだから、これからもそうやって何も知らない人達を良心の名の下に洗脳していくのでしょう。まぁ私としては、かなり悪質なものを感じますけれど。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - れお
2009/08/17 (Mon) 22:28:05
※この箇所は本当に全く説教を聴いたこともなく、かなり自分勝手な解釈かもしれません。かなり笑われるかも・・・です。

>蛇がイブを騙したように、非信徒を騙しなさいって奨励しているように解釈できます(と言うか、それ以外の解釈が思いつかない)。

関連箇所の創世記3章1~15まで読みました。

まず、「騙す」という認識が私にはなくって…。確かに、イブやアダムから見た蛇は「我々を騙した存在」になるんでしょう。

でも、私から見れば、蛇は騙したんじゃなくって、知っていることを言っただけ…そんな風に私は思っているのです。

確かに新共同訳の3章の題名は「蛇の誘惑」となっています。でも、「蛇が誘惑しただなんてよく言うよ…」と私は思っています。事実を教えただけで、何が誘惑だ???と

そんな風に思っているので、14・15節を読んだとき「こんなこと言うから、蛇も悪魔になったんだよ。いくらなんでも神様は酷すぎるんじゃないの?まぁ、ソレほどまでに、親ばかになるほどに我々を愛しているってことなのかもしれないけど」なんて思いました。

しかし、私みたいに考えると、「蛇は悪魔の化身」というのが受け入れられないという事態に…。いつの時点から悪魔の化身ってことになったのだろうか?神にあんなことを言われたからだろうか?なんて考えます。私はこっちで困っています

悪気のない人たち - 牧師 Home
2009/08/18 (Tue) 09:34:51
>れおさん
蛇はだましたつもりはないはず……ですか。
私はこの場面はなかなか蛇が狡猾に描かれているように感じますが……。
ここでの蛇は、確かに決定的なことを一切言わないのですが、質問形式でエバを追い詰めていってるところが上手だなと思います。
エバが想像もしなかった疑問を抱かせているのですから、やはり誘惑者と言われても仕方がないんではないでしょうか。
ただ、くりかえしになりますが、この物語自体が、最初からカナンの地の地元の宗教を批判する意図で書かれている可能性があります。

>毛利さん
教会の人もだましたつもりはない……。
悪意があったらあったで問題ですが、悪意がないのも困り者ですね。いいことをしているつもりでカルトまがいのことをやられちゃあね……。

「何のために宣教しているのか」という根本的な問題ですよね。
教会の人数を増やすためなのか。それとも、本当に人間の幸せを願っているのか、ということですよ。
教会が自己目的化したらだめだと思います。教会はあくまで人間が救われるための手段だと思います。人間が教会を栄えさせる手段になってしまったら、だめですね。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 毛利
2009/08/20 (Thu) 01:51:00
自分たちの考えが正しい、自分たちの考えを人々に広めたい、人々を救えるのは自分たちしかいない、とは思っているのでしょう。

じゃあ人間が本当に救われるのか・・・最初は綺麗な言葉で飾るから救われたと感じるのですが徐々に隠していた部分が見え隠れしてきて幻滅と絶望感は教会に行く前以上に落ちる訳です。

でも、彼らは依然として自分たちの考えは正しいと信じている(思い込んでいる)ので厄介なのです。で、こういう体験をすると「宗教を信じている人とは近づきたくない」と思ってしまうんです。結果としてキリスト教のイメージダウンにつながっているんですよねぇ。

ま、その教会のおかげでここの教会に辿り着けたので結果はOKなのですが。

Re: ユダヤの格言 - トマス
2009/08/20 (Thu) 20:58:10
EKKという分っ厚~い注解書があるのですが、そこでもこの16節後半は「難解」である、ということになっていますね。そして神学的に過剰に解釈するな、とも。

それはさておき、その本の解説でもこれがユダヤの格言であろうと読めるのですが、面白いことに(?)多くの格言では「鳩のように素直でありなさい」的な部分だけなんだそうです。蛇のように云々という部分があるのは伝えられる格言の中でも例外的なものである。と書いてあります。(出典は略号で書いてありましたので私にはわかりませんのですが、MidrHLってミドラシュハラハーのことですか?紹介されている格言の本文から見てT川先生と同じ出典みたいですね。)

さて、その例外的な格言をマタイは知っていたのでしょうか?謎ですね~。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - トマス
2009/08/20 (Thu) 21:06:02
さて、8月も残り少なくなってきましたので、他の部分も話題にしてもよいでしょうか?

実は22節と23節前半の関係もよくわからないのですねぇ。
どうやら元々は別の伝承をマタイがここでひっつけたようなのですが、それにしても言っていることが随分とずれてる。16~23節全体として迫害に遭えば逃げてもいいんだよ、と言いたかったのならなぜその直前に「最後まで耐え忍ぶ」云々と書いたのでしょうね。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - hotaro
2009/08/23 (Sun) 11:25:01
蛇のように聡く、鳩のように素直に。

釈義的にはよくわからないけれど、この箇所全体は、やはり私たちの福音が証しされるとき、この社会からどのようなリアクションがあるか、そのようなものに対して私たちの心と体をどのように平安のうちに保つか、ということが言われているように感じます。
「日の丸・君が代」に象徴される天皇制と向き合うと、この迫害の現実が非常にはっきりします。と共に、今現場で処分されたり裁判をやっている人たちの証言を聴くと、クリスチャンであるか否かを問わず、その人たちは、この聖書にあるように、真実の声に対して鳩のようにすなおで、そして抑圧的な権力に対しては、蛇のように聡く立ち向かっています。権力側は、ある意味で、私たちよりも福音の真の力を知っていて、恐れています。君が代斉唱の時に起立しないものを、たったの一人でも赦さない、というあり方がその事をよく表しています。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 牧師 Home
2009/08/23 (Sun) 21:26:52
そうですね。現代の文脈において考えるなら、まさにそのような状況にこそ力を発揮する言葉だと思います。

以前は「日本人は無宗教」という言い方がよくされていましたが、最近よく聞くのは「日本人は宗教に対して寛容だ」という言葉です。大人も、高校生もそうです。そんな風に他の教科の教師が教えているのかもしれません。
とんでもないことです。戦時下、クリスチャンがどれだけ迫害されたか。そしていかに翼賛体制に協力することで生き残ることができたか、そして今、日の丸君が代で同じことが繰り返されているかを、きちんと認識したいものです。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 毛利
2009/08/26 (Wed) 00:18:35
イエスの教えが当時迫害されたのは、どうしてなんですか?何となく当時の神を冒涜しているからかと思っているのですが、イエスの教えが受け入れられた瞬間(大勢の人がイエスにすがった等)もあるのですよね。

そんなに短い間に、どうして精神的指導者から犯罪者に落とされて処刑されてしまったのか・・・。初歩的な質問ですみません。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - れお
2009/08/26 (Wed) 21:05:06
>トマス様
私もいざ言われてみると「分かっていないかも」と思いました。

「最後まで耐え忍ぶ」の目的語は明らかにされていませんが、「いやな目にあって迫害されて逃げたとしても、挑戦することを止めない。逃げた先でもまた頑張ること」という意味なのではないでしょうか。

「上手くいかないな。やーめた」と諦めずに、継続すれば救われるよと言っているように考えましたが…。

>牧師様
なぜこんな風に解釈してしまうのかというと、私の性格の表れかもしれません。何かあると「あー、私のせいなんだわ~」なんて。だから、アダムとイブに対しては手厳しいのかもしれません。「何、蛇のせいにしてんのよ。最終的に食うって決めたのはあんた!」なんてね…。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - トマス
2009/08/26 (Wed) 22:06:20
>れおさん
なるほど、そう読むのも面白いですね。
そうか、私は「迫害を受けた場所で耐え忍ぶ」と思いこんでいたのですね。

>毛利さん
たぶん、精神的指導者から犯罪者に落とされたというよりも、最後まで精神的指導者と思っている人も居たし、ハナから犯罪者だと思っていた人も居たし、という状況だったんじゃないでしょうか。
福音書の書き方だとたしかに如何にも群衆が手のひらを返して「そいつを殺せ」と叫んだように見えますけど、その群衆を構成する人達とイエスの後ろをゾロゾロ付いて行った人達が同じ人だったのかどうか、さてどうでしょう。
今風に書くと、自民党の街頭演説に立ち止まるのも、民主党の街頭演説に立ち止まるのも、どちらも書くとすれば「群衆」ですよね。ってことかと思っています。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 毛利
2009/08/27 (Thu) 00:11:10
トマスさん
なるほど、福音書では「誰もがイエスを信じたのに、最後は誰もがイエスを裏切った」という響きで書いていますが、慕っていた集団と処刑を要求した集団が別物だったのかもしれないということですね。その方が納得いきますね。

あれだけ慕っていた人達がどこに消えてしまったのかと、どうして180度も気持ちが変わってしまったのかと不思議だったのです。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - トマス
2009/08/27 (Thu) 21:10:51
>あれだけ慕っていた人達がどこに消えてしまったのか
2つの集団が別物と考えても(そう考えるからこそ?)、イエスについて行った人達はその時どうしていたのかなぁ?と思ってしまいます。たぶん、弟子達でもあの状態ですから、ゾロゾロと付いてきた人達は本当に息を潜めて嵐の過ぎ去るのを待っていたのでしょうね。怖かっただろうなぁ。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - 毛利
2009/08/28 (Fri) 00:44:30
残された人達、大勢いたのでしょうね。

イエスが逮捕されて、処刑されると決まって、イエスに付いていった人達は気が気ではなかったでしょうが、そのまま処刑されてしまったと知って、本当に絶望的な気持ちになったことでしょう。

次は自分達の番かもしれないとか思うと、さぞ恐ろしかっただろうと思います。なので、そういう人達に対して「蛇のように、鳩のように」と励ますしかなかったのかもしれないですね。

とても「他の信者を勧誘する為のポリシー」というレベルじゃないですよね、なるほど・・・。

Re: みんたた8月のテーマ「蛇のように、鳩のように」 - トマス
2009/09/04 (Fri) 05:55:45
9月になっちゃいましたけど、ちょっと面白いのを見つけたので紹介。関根清三の『旧約聖書の思想』に載っていた解説なのですが、さすが旧約学者で箴言30章の言葉を引きながら(以下引用)さて「鳩」が「汚れのない者」であるのに対し、「蛇」はどの「岩の上の…道」を通るか人に知られない知恵者だというのが、ヘブライ人の一般的通念だったようだ。(以下略)

としたうえで、今回のテーマの部分を指してこんなことを書いています。理性的な知恵を意味するソフォスに対してフロニモスは実践的な知恵を意味する。として「実践知をもたねば愚かで危険だが、世故にたけて狡猾になりすぎるのもいけない。イエスはその均衡を説いているのであろう。」


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