みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2009年10月のテーマ: 「平和ではなく、剣を」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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■マタイによる福音書 10章34~39節(新共同訳・新約・p.184)

34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。
36 こうして、自分の家族の者が敵となる。
37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしく ない。
38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

Re: 10月のみんたた - トマス
2009/09/30 (Wed) 23:46:06
いきなり他のスレに書き込みして「みんたた」がだいぶんと下に行ったので上に上げておきます。
富田先生、無題は無いっしょ。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 牧師 Home
2009/09/30 (Wed) 23:50:31
へい、すんまへん。無題はやめて、ちゃんとしたタイトルに書き直しました。これで、いいですね(笑)。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/09/30 (Wed) 23:54:08
どうもです。
月末にアップする時は最初の3レスはバッサリ削除?(笑)

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/01 (Thu) 22:32:34
 これは、困った聖句ですよね。善意に現代風に解釈すれば、家族、血縁関係を超えた、人間愛、人類愛を訴えたのかもしれないけれど。

 あるいは、旧約聖書とかユダヤ教の、例えば子孫繁栄に繋がらない性行為は自慰すら悪とする、お家第一の考えに対する過激なプロテストか?

 正直、イエスは一体どういうつもりで?との疑問が抜けないですね。これを悪用する怪しげなキリスト教系カルトも多いですし。

 私にとって、キリスト教と聖書に対する躓きの一つですね。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/10/01 (Thu) 22:48:47
ちゃんと調べてないのですけど、パッと読んだ印象では、34-36、37-38、39と3つの伝承をひとつに纏めたような感じですね。

39節だけを見れば、迫害下における殉教に対して永遠のいのちを保証したことになるのでしょうか。でもイエスの時代に殉教は視野に入っているのかなぁ。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷
2009/10/02 (Fri) 18:52:05
教えて君 としてふるまうのが、感心したことではないのはわかっているつもりなのですが、他の福音書の対応箇所がどうなっているのか、教えていただけませんか。

どこそこのサイトを覗いてみたら、といった情報も歓迎です。

よろしくお願いします。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/10/02 (Fri) 23:54:35
>対応箇所
私も気になったのでチェックしてみました。

10:34-35は ルカ12:51-53 とトマス16 に対応していますね。
ちなみに、10:34はルカ12:49&トマス10にも近いです。
マルコには平行箇所はなさそうです。

後半
10:37-38は ルカ14:26-27 とトマス55、101 に対応しています。
これはマルコは微妙ですね。10:38がやや書き換えられた16:24はマルコ8:34とルカ9:23におおむね対応

10:39は ルカ17:33 とヨハネに平行あり。

さらに、参照箇所として、16:25がマルコ8:35とルカ9:24とほぼ完全に平行。

平行の組み合わせとしてはなかなか面白いですね。
でもなんか少々ややこしいです。書き間違えていたらご指摘ください。


Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/10/03 (Sat) 00:18:18

10:35-36は旧約ミカ書の7:6から引用

とすると、ここでイエスは何が言いたくてミカ書を引用したのでしょうね。
ミカ書って何やら曰くありげな預言書のような気がします。
ちなみに、新共同訳ではミカ書7:1-7の小見出しは「民の腐敗」
さて…

Re: 2009年10月の「みんたた」 - グレゴ
2009/10/03 (Sat) 02:17:01
すみません。お騒がせしたグレゴです。
この個所の僕の理解は、
キリストに従いなさい。この世の事柄に執着してはなりません。たとえ、家族であってもキリストが優先されるべきである。
いままでの常識を覆す教えを説くので、紛糾することのなるかもしれないが、その苦労を背負ってでもキリストに従わなければならない。
(十字架が出てくるのは、キリストの最後を暗示している。)
キリストが復活するように、この世の命をなくしても(この世に執着しないで)永遠の命を得られる。
ということかと思っています。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/03 (Sat) 10:23:50
ノンクリさんの意見に凄く近いです。

特に「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」は、失言としか思えません。何ら肯定的な答えが私には見あたりません。

本当にイエスがこんなことを言ったとは、どうにも考えられませんので、信者獲得(か、それに相当すること)を狙った福音書作家が勝手に付け足したのではないかと想像しています。

今でこそイエスは愛の神というイメージを定着させていますが、当時は実はかなりカルト的だったのではないかな、と思えてならないです。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷
2009/10/03 (Sat) 13:40:35
イエスとその教えは、当時既成の制度の枠組の中でぬくぬくと「仲良きことは美しきかな」などと嘯いていた育ちの良い人々の目に、「その残忍性のため、ローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていたところの最も重い刑罰 (http://ja.wikipedia.org/wiki/キリストの磔刑)」 である十字架刑に処せられ当然のスキャンダルと映っていたとのだろう、と私は表象しています。(このサイトからも啓発されるところ大でした、ありがとうございます。)

とすれば、34 - 37 節は、イエスの意思の掛け値のない表白であり、同時に、親しいものをイエスとその同調者に奪われてしまった人々の率直な思いでもあったのでは、とすんなり理解できます。

この箇所への異和感は、現時点では特にありません。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 牧師 Home
2009/10/05 (Mon) 19:25:41
この箇所は、イエスがまるでカルトの教祖のように感じられるような言葉ですね。
しかし、じっさいカルトだったんじゃないかな、と思ったりもします。

39節の「自分の命を失う者が命を得る」というのは、弾圧を前提とした言葉のように思えますので、イエス以後の教会の産物かも知れません。
ちなみに、マルコ8章35節では「わたしのため、また福音のために命を失う者は」となっているのですが、マタイでは「福音のため」がありません。

38節の「自分の十字架を背負って」というのも、十字架刑の後に出てきた言葉じゃないでしょうか。イエスは、自分は殺されると予期していたでしょうけど、「十字架で」殺されるかどうかはわからなかったでしょうから。石打ちで殺される可能性もあったのではないか。あるいは剣で暗殺される可能性もあったでしょうし。

話が前後しますが34節の「剣」はマタイ独特ではないでしょうか? ルカ版には「分裂をもたらすため」と書かれていますね。なぜ剣なんでしょう?(とぼけてるんじゃなくて、本当に質問です。だれかわかる人、書き込んでください)
「剣」か「分裂」か、どちらがイエスなのか。あるいは、どちらもイエスの言葉ではない可能性もありますね。

35節はミカ書7:6ということですが、イエスがこういう風に旧約を引用したということが、そのまま伝承されて記述されたのでしょうか、疑問です。むしろ、イエス以後旧約との照らし合わせが行なわれたのではないでしょうか。

そうなると、イエス自身に遡れるのは37節くらいかな?(わたしより父、母、息子、娘を愛する者は)
しかし、そうだとしても、家族を捨てて自分に従いなさいと言っているわけですから、これは非常にカルト的です。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/05 (Mon) 20:40:03
>イエスの言葉ではない可能性もありますね。

 個人的にはそうだと思いたいんですけど・・。でも、福音書にはイエスの家族仲は至って醒めたものであったことを伺わせる記述がチラホラ出てくるし、イエスの物語全般に家族の影が薄いところをみると、さもありなん、と思ってしまうのもまた事実。
 
 現代はもちろん、福音書が書かれた当時の基準でみたって過激なセリフ(ですよね?)であるわけで、キリスト教の伝道、イエスのイメージにとってマイナスにこそなれ、決してプラスになるとはいえない、こんなエピソード、記述をどうしてキリスト教業界はそのまま残しているのかな?との疑問もわきますね。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/05 (Mon) 20:53:55
> しかし、じっさいカルトだったんじゃないかな、と思ったりもします。

キリスト教的には神を冒涜したと当時の人々から思われたから処刑されたことになっていますが、実際にはこんなことを言い続けていたからカルト扱いされて処刑されてしまったのかななんて思います。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - グレゴ
2009/10/05 (Mon) 22:51:58
私は、新約聖書は全てイエスの言葉と思っています。
ただ、どれもが正確に書きとめたかどうかは疑問ですが、
イエスの言葉を聞いて書いたものと信じています。
ここの部分は、皆さんがおっしゃるように非常に衝撃的です。
しかし、この世で平和を享受するよりも、重要なことは死を迎えてからの後、
永遠の生命を得ることのほうが重要であり、
そのためには福音、イエスの言葉に従わねばならないことを
言っているのだと思います。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/06 (Tue) 00:03:03
グレゴさん、確かにこの箇所は「生きている世界よりも死んだ後の世界を強調している」ように読めますよね。それが自然な解釈だと思います。

で、私が常々疑問なのは、イエスは生きている今の世界と、亡くなってからの後の世界、どちらにより重きを置いていたのかな、というところなのです。

他の箇所も総合的に見て判断しなければならないですし、そんな簡単に結論付けをする訳にはいかないですが、どうもこの聖書箇所に限って言えば「後の世界」を強調しているように見えます。

ところが、カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。一体、どうしてなんだろうって思ってしまうのです。生きることを重視して、自殺は罪とまで言い切っている。それって、このイエスの言葉に反しているんじゃないかなって。

話、思いっきり脱線させてしまってすみません。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/06 (Tue) 22:07:40
>カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。

 話を脱線させて申し訳ないんですが・・。最近のカトリック教会はよほど保守的な神父でない限り、自殺者でも普通に葬儀してますよ。
 
 逆にプロテスタントでも保守的な教会では、「牧師として公式に葬儀を司式することはない」とおっしゃる牧師もいますし、そんなに単純でもないですね、近年は。

 離婚も、表向きは禁止で、あまりおおっぴらにはいいませんけど、よく聞くと(離婚)してる人結構いるんですよね。婚姻を無効にする、つまりなかったことにするみたい。そもそも問題になるのは、夫婦双方がカトリック教徒同士の場合だけのようですし。
 まあ、カトリック信者でない人間に「神が引き合わせた者を云々」などと説教してもしょうがないですしね。

 これは私の独断と偏見ですので、間違っている、あるいは不快感を覚えられたら、謝まるより他いないですが、どうもカトリックの方々は二律背反をとぼけた顔してやり過ごす傾向があるみたいで。カトリックが保守的でいられるのは、信者が「それはそれ、これはこれ」で面従腹背するからのような気も。
 良くも悪くも、あまり「宗教の信者」という感じのしない人が多いです(賞賛してるわけでも批判してるわけでもありません、念のため)。
 
Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/06 (Tue) 22:07:45
>カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。

 話を脱線させて申し訳ないんですが・・。最近のカトリック教会はよほど保守的な神父でない限り、自殺者でも普通に葬儀してますよ。
 
 逆にプロテスタントでも保守的な教会では、「牧師として公式に葬儀を司式することはない」とおっしゃる牧師もいますし、そんなに単純でもないですね、近年は。

 離婚も、表向きは禁止で、あまりおおっぴらにはいいませんけど、よく聞くと(離婚)してる人結構いるんですよね。婚姻を無効にする、つまりなかったことにするみたい。そもそも問題になるのは、夫婦双方がカトリック教徒同士の場合だけのようですし。
 まあ、カトリック信者でない人間に「神が引き合わせた者を云々」などと説教してもしょうがないですしね。

 これは私の独断と偏見ですので、間違っている、あるいは不快感を覚えられたら、謝まるより他いないですが、どうもカトリックの方々は二律背反をとぼけた顔してやり過ごす傾向があるみたいで。カトリックが保守的でいられるのは、信者が「それはそれ、これはこれ」で面従腹背するからのような気も。
 良くも悪くも、あまり「宗教の信者」という感じのしない人が多いです(賞賛してるわけでも批判してるわけでもありません、念のため)。
 

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/06 (Tue) 22:50:34
このテーマで躓いたと先月書き込みしたれおです。
よろしくお願いいたします。
グレゴさん、私のほうこそ、お騒がせしました。
不快な思いをさせて、すみませんでした。

ここの解釈も大体同じです。

ただ、「剣」とか物騒なことを言い出すなんてちょっとイエスの言葉とは思えないなぁ…と躓きました。


しかし、結局「家族とかごく親しい人間でさえも振り切って、己の信じる道(イエス・キリストについていく)をとるべき」という意味だと解釈して、早くこの言葉に会えればよかったと思っています。個人的には物凄く励まされます。「私は私なんだ」と解放されました。

しかし、見方を変えれば、カルトにも見えなくもないですね…。

※脱線した話の件では、確かにウチも自殺者の葬儀をしています。ノンクリさんのカトリックの人の印象は私も同じことを感じています。なんだか…その時々で臨機応変に対応していて、一貫性がないような…。「ま、いいか」と思いながら通っている私もそんな風になってしまうんだろうな~と思っています。カトリックはそのうち消えてしまうんじゃないかなとさえ思っています。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/06 (Tue) 23:14:08
追記です。

「平和」の意味は「何事もなくのほほーんと過ごすこと」ではないと思います。

イエスの考える平和と、人間が考える平和は違うという説教を昔読んでなんとなく納得したのですが、そうなんじゃないかなと今でも思っています。

ここでイエスは時と場合によっては対立する必要がある…そういう意味だと思っています。そういう意味で「剣」なんて言ったのかな??

キリストが重きを置いているのが今か死後については、「今も死後も」と思います。今この時点からこれから先ずっとの永遠だと思っています。どこに証拠が有るかといわれれば、困りますけれど。

イエス・キリストは今この時点に一緒にいるのではないでしょうか。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/06 (Tue) 23:37:37
>※脱線した話の件では

 (カトリックについて)賞賛してるわけでも批判してるわけでもない、と申し上げましたけど、聖書一辺倒、絶対視ではなく、聖書と伝承をほどほどに信仰の軸とする、「それはそれ、これはこれ」というあり方は宗教のあり方としては健全かな?と思ったりもするのですよ。キリスト教最大の教派の地位を保っているのは伊達ではない、というか、長年の知恵というか・・。

 聖書の場合、仏教の経典のように言っていることがさっぱりわからない、ってことはないのですが、なんていったらいいのか、解釈というか取扱いが難しい書物ですよね。

 あまり、これを絶対視しすぎるとややこしいことが多すぎるように思います。
 大体、世間から何かと指弾されスキャンダラスな扱いをされるエホバの証人や、ひと頃、世間を騒がせた「イエスの方舟」も聖書的に厳密にいえば、「間違っている」とは言い難いし、オウム真理教など、あらゆるカルト団体の終末思想、末法思想のネタ元となっている「ヨハネ黙示録」とか、正直、こんなもの削除すれば?って文書もありますし。

 偶像崇拝、異教崇拝の排除も、あまり度がすぎると「じゃあ、クリスマス(元は古代ローマの未とら教の太陽神崇拝)も止めようぜ」という話になりますし、第一世間との摩擦の元ですし。

 聖書の解釈は教会がコントロールする、というと現代の感覚では「言論、思想の自由」の妨害、という感じがしますが、聖書に関してはその方がよい、健全、と個人的には思ったりもします。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/07 (Wed) 18:51:42
> イエスの考える平和と、人間が考える平和は違うという説教を昔読んでなんとなく納得したのですが、そうなんじゃないかなと今でも思っています。

これ、原文がどうなっているのか知りたいところですね。日本語にないから無理矢理日本語の「平和」を使っているのかと思いました。

あと、今回のテーマの1つ前の33「しかし、人の前で私を知らないという言うような者なら、私も天におられる私の父の前で、そんな者は知らないと言います」も、イエスにしては心の狭い発言だと思います。

どうも、この辺りの一連のイエスの発言は寛容性に欠けている気がしてならないです。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷
2009/10/08 (Thu) 19:11:21
「カルト」という言葉が何回か出てきているのですが、皆さんそれぞれがイメージするカルトって、どういうものなのでしょう。

私はちゃんと調べもせずに、「その構成員を支配するのにマインドコントロールと呼ばれる一連のの技法をもちいる集団」みたいな理解をしていたのですが、これはカルトの一特性に過ぎないのかもしれません。

wikipedia を覗くと、
<quote>
1978年、米国から南米のガイアナに移動した人民寺院信者の900人に及ぶ集団自殺は、米国で社会問題化し、社会的に危険とみなされる宗教団体を指して「カルト」と呼ぶようになる。これを機に 1979年、連邦議会を初め、各州が公聴会を開催した[6]。
</quote>
なる記述があって、「「社会的に危険とみなされる」って何、多数派が「これ駄目」っていったらカルトかよ」というような疑問をもちました。

この米国風の定義に従えば、イエスとその同伴者からなる集団は文句なしにカルトかなという気がします。

皆さんのお考えはいかがですか。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/08 (Thu) 19:24:49
言いだしっぺなのに、「なんとなく…」で捉えていることばかり書いてしまって、申し訳ないです。

私が解放されたというのはたまたま私の個人的事情が先にあったからで、普通は対立したくもない家族と対立しなくてはいけない、そんなつらい状況を書いてあるというのは理解しています。

毛利さんがおっしゃるように、「原文」までたどらないと分からないですよね。平和という言葉を無理矢理使った…というのは考えもしなかった…浅はかでした。

私は日本語訳しか持っていませんが、フェデリコ・バルバロ訳でも「平和」と書かれてありました。注釈にて「イエズスは平和の王であるが、その平和は欲望と不条理な愛情に反する戦いの果実である」とありました。参考までに記しますね。

33節はうーん…そうですね、人間である私達はどうしても表と裏の顔を持っていますから、イエスから「神との関係ではそんなの通用しないぜ」と言われると「いやーん、いけずう(意地悪ね)」って答えたくなりますね。そのくらいの気概でついて来ないとダメだよってことでしょうね…たぶん。

イエス・キリストは優しい、おおらかな方ですけど、ここを読むと厳しい面もお持ちなのかなぁと思います。優しいだけだと、なんというか優柔不断みたいに映るし、やはりこういう厳しさがないといけないような…。しかし、このテーマの箇所は弟子達が勝手に作っていったとも考えられそうな気もします。

また悩むことになってしまった…しかし、悩むけれど、悩ませてくれるからこそ面白いです。楽しいです。

※脱線した話について
カトリックはなくなる…と書きましたが、書いたあとに「だからこそ長生きする」のではないかと思いました。ノンクリさんが書かれていることに納得しました。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/09 (Fri) 01:34:44
私のカルトに対する定義(イメージ)は

1. インチキな教義を用いている、或いは教義はまともなものを使っていても、それを曲解して説明している。
2. 反社会的である(長期的な作戦で徐々に信者を増やして国を乗っ取るということも含めて)。
3. 信者を洗脳して、正しい判断能力を損なわせる。
4. 常識で考えれば多額と思われる金を献金/お布施させる。
を満たしている団体、というところです。ちなみに、2を満たしていなければ、単なる悪徳宗教と考えています。一時期、原理主義教会に通っていたことがありますが、私の定義ではその教会は悪徳宗教になります(創造科学を主張する、洗脳する、洗礼後は1/10献金の強制)。

イエスの場合を考えると、当時の人からしてみれば聖書を曲解しているので1は該当する、当時の社会から照らし合わせると反社会的なので2も該当する、盲目的に従った信者も多かったと思うので3も該当していると言えます。ただ、4については全く満たしていないと思っています。少なくともイエスに金を払うというシーンは聖書を通して1度も無い筈です。ですので、限りなくカルトと思われても仕方ないような行動を取っていたけれど、最後の一線でカルトではない、と私は思っています。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 牧師 Home
2009/10/11 (Sun) 09:49:42
前に書き込んだことと矛盾するようなことを言いますが、最初の34節がイエスの言葉の核になる部分で、その後、あとの部分がくっついて伝承が成長してきたという考えもありかな、と思います。
35節以降の家族との対立に関する記事のために、「平和ではなく剣を」と言っているのが家族との対立のように私たちは思わされていますが、実はイエスはそういうつもりで「平和ではなく剣をもたらすために私は来た」と言っているのではない可能性があるからです。

34節での「平和」はエイレーネー、やはり普通に言われる平和という単語です。
「平和ではなく剣を」と言ったイエスの真意がどこにあるのか、はっきりとはしませんが。

注意しなくてはならないのは、私もよくやることなので自戒をこめて言いますが、ついついイエスを理想化しすぎてしまって、自分の依り頼んでいるイエス像と合わないものを、「これは本当のイエスの言葉ではなく、後代の加筆ではないか」と思ってしまいがちなのですよね。
そうではなくて、イエスというのはわけがわからんやつだ、ちょっと普通の感覚ではない言葉を口にしている、むしろわけがわからんことを言っている言葉ほどイエス自身のものなのではないか、と考えることもできるのです。
そういう風に考えると、最初の「俺は平和をもたらすために来たんじゃない。平和ではなく剣だ」というわけのわからん言葉の切っ先をかわすために、家族との対立の説明、あるいは十字架を背負うという観念化が行われてこの聖句になっているのではないかとも考えられるのですが、どうでしょうか。

剣 - 牧師 Home
2009/10/11 (Sun) 09:56:39
あと、「剣」という言葉なんですが、まだ日本語でしか確認してませんが、ここではマタイは「剣を」と書いてますが、並行のルカでは「分裂を」です。

それからマタイだけは、イエスの逮捕の場面で、有名な「剣を取る者は、剣で滅びる」という言葉を記録していますが。他の福音書の記者は、この言葉を記していません。
特に違いはルカで際立っていて、ルカ版ではイエスと共にいた人間が大祭司の手下に斬りかかって耳を切り落とすと、「やめなさい。もうそれでよい」と言っています。
暴力の部分肯定ですね。

ルカの場合もっと面白いのは、剣を用意しなさいと言っていますから、絶対非暴力ではないんですね。
「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」
「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」
「それでよい」(ルカ22章35-38節)

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/12 (Mon) 22:05:36
後代の加筆と考えるのは早計なのかなぁ…。確かに、その…こう言っちゃあ何ですが、変人だからなぁ、イエスは…。「は?今何て言ったの?」と耳を疑いたくなるようなことをサラッと言う人ですからね…。「平和ではなく剣をもたらす」の部分は本人が言ったのかもしれませんね。

なんだか、最近「後代の加筆」と考えて読むことが多くなってきました。そういう癖を見直す良いきっかけになりました。おかげさまで。

あと二十日間ほどありますから、じっくり考えようと思います。また振り出しですなぁ…。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - とま
2009/10/13 (Tue) 21:45:55
ご無沙汰ぶりに、たたいてみまふ(爆

>34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。


「外ヅラだけの"平和(なあなあ主義、とも言う)"なんてクソ喰らえ、そんなんだったら本音ぶつけろ」



…という事を言ってるのかなと思ったのですが。。。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/10/14 (Wed) 13:40:21
>「外ヅラだけの"平和(なあなあ主義、とも言う)"なんてクソ喰らえ、そんなんだったら本音ぶつけろ」

それ、いいですね。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - hotaro
2009/10/15 (Thu) 18:31:25
当時の社会状況を考えると、イエスの運動は、熱心党(ゼロテ)やエッセネ派と似たような反ローマ的な性格のものだと思われます。また、そのローマと結託して、民衆の貧しい生活を顧みることなく、奢侈や単なる律法主義に堕している、パリサイ派のような宗教貴族をも激しく攻撃しました。私たちは、現在の南北問題を考えただけでも、資本主義社会における、徹底した収奪と虐げられている貧しい人々のことを、福音の原点に立ち返って考えるなら、イエスのことばは充分に、そのまま理解できると思います。平和、というものも、安定とか魂の平和・平安のような精神的なものだけではありません。家族や財産を捨てて、従ったというのも、誇張ではないと思います。剣や暴力も完全に否定してはいませんけれど、ゼロテのような権力奪取ではなく、最後までいと小さき者と共に歩み、死んだ、というところが、すごいと思います。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/26 (Mon) 19:43:32
hotaroさんの考えもなるほど…と思いました。「家族や財産を捨てて、従ったというのも、誇張ではない」というのも分かるなぁと思いました。

牧師さんの「ルカによるとイエスは絶対非暴力ではない」という箇所ですが…暴力とまでは呼ぶかどうかは個々人によるかもしれませんが、そういえば「マルコ11章15~19節 神殿から商人を追い出す」では随分過激な一面があったよなぁ…と思い出しました。

で、ここから提案ですが、もうそろそろ11月のみんたたのテーマの募集をかけてはいかがでしょうか。次回も楽しみです。

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