みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2009年12月のテーマ: 「洗礼者ヨハネの誕生予告」

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■ルカによる福音書 1章5~25節(新共同訳・新約・p.99~100)

2009年最後の「みんたた」テーマは、トマスさんのリクエストにより、ルカ福音書1章5~25節、「洗礼者ヨハネの誕生、予告される」です。
例によって、新共同訳の本文を以下にあげておきます。どうぞみなさん叩いてください。

■ルカ1章5~25節
5 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。
6 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。
7 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。
8 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをし ていたとき、
9 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。
10 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。
11 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。
12 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。
13 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。
14 その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。
15 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、
16 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。
17 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」
18 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。
19 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。
20 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
21 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。
22 ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。
23 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。
24-25 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠してい た。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」


■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/03 (Thu) 19:52:29
責任上?最初の一手を(笑)

いろんな切り口があると思うのですが、私が面白いなと思う箇所のひとつが18節です。ここでザカリアが簡単には信じられない、と言わんばかりの問いかけをすることによって実はガブリエルの名乗りを引き出しているのですね。
ザカリアが「そうですか。ありがとうございます」と簡単に信じてしまっていたら、ガブリエルの名乗りは無かった可能性が大きいわけです。だからどうだ、と言われればそれだけのことなのかもしれないですけど「よくぞ口答えしてくれました。ザカリアさんに1票」って感じです。

他にもありますけど、また順次。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/03 (Thu) 23:07:46
そうですね。ザカリアが簡単には信じない態度を見せると、天使のほうがむきになるのが面白いですね。
これは、旧約聖書にも、アブラハムとサラの夫婦が簡単には信じず笑ったところからイサクという名前が引き出されたり、モーセが燃える柴のそばで神の名を引き出したことも連想させますね。

神と人、あるいは天使と人が、交渉しながら物事を進めてゆくというところに、人間のしたたかさと神の人間くささがよく描かれているような気がします。
ここでは、神と人、天使と人は対等ですね。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/04 (Fri) 08:50:02
>交渉しながら物事を進めてゆく
だから「契約」という概念に辿り着くのかな?

ここで、神と人、天使と人、が対等なのだとしたら、絶対者にして対等なる者という二面性を神が持つことになりますね。それも面白いな。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/05 (Sat) 12:33:19
「交渉」という面に着目すると、この前の談話室での話題でも出ていたように、アブラハムと神の交渉(この町に何人の正しい人がいれば)が連想されますよね。
神と人間が対等とまでは言えなかったとしても、少なくとも交渉のテーブルにはつかせてもらえるというか、神が一方的に人間に命令するじゃなくて、人間と対話した内容が結果に反映されてゆくという信仰を、最初のイスラエルの人たちが持っていたというのは、面白いと思います。

ところが、だんだんイスラエルが「自分たちは罪のゆえに罰せられている。だからこんなに不遇の時代が続くんだ」と思い始めたあたりから、神は絶対的な君主で、一方的に罰を与え、また民を贖う、あるいは救う、という考え方になってきたんじゃないですかね。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/05 (Sat) 19:08:51
>ところが、だんだんイスラエルが…
そうやって変化した後の姿をキリスト教は引き継いだわけですね。旧約時代の人々の信仰はやはり素朴だな、と思います。素朴だからいけないのではなく、素朴だからこそ時代も文化も越えて共感できる部分があると思いますね。

>アブラハム
アブラハムの名前が出たついでと言うとナニですが、これもありかな、と。13-17節の天使の言葉が28節以降のマリアへのお告げと内容も形式も対応しているのは明らかですが、中でも前半部分はアブラハムへの約束(特に創世記17:19-)の形式も強く意識していますね。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/07 (Mon) 01:30:47
アブラハム物語の影響はそういうところにも出てるんですね。
あと、アロン家の娘エリサベトというところに、モーセとの関連性を見る説も読んだことがあります。
まあ、ちょっとこじつけっぽい気もしますが(笑)。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/07 (Mon) 22:24:16
とりあえず、私が思いついたネタをもう一つ。

>人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った
これってどれぐらいの大事件だったんでしょうね。この後、ザカリアは同僚や上司から事情聴取を受けたりしたんでしょうか?事情聴取があったとしたら、どこまで喋ったんでしょうか?また、人々はザカリアはどんな幻を見たのだろうとかウワサしたんでしょうか?そのウワサはザカリアの耳に入ったんでしょうか?

そして、(またまた今月のテキスト外に飛びますけど)シメオンとアンナはこの事件をどんな風に知ったのか?どう思っていたのか?なんてことも気になるのですよね。ま、余計な御世話と言われそうですが。

そういう物語のディティールにこだわって読んでみたいなと最近思っています。

追記
事情聴取に対して、もちろんザカリアは喋って答えることは出来なかったわけです(上では喋ったと書いてしまいましたが)。しかし、祭司ですから筆談は可能(実際ヨハネ命名の時は筆談していますし)ということでお願いしますね。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/07 (Mon) 23:52:25
水を差すことになりますが、これだけ神から祝福されたヨハネの最期は王家の都合による、首切りによる処刑ですよね。

神様に認められることで、恐怖のどん底に落とされる死に方をするくらいだったら、平穏無事な小市民の方が良いと思いたくなります。

我が子が、こんな惨めな最期を迎えるなんて両親が先に知っていたら、子供なんて産まなかったのかもしれないのに。

ま、それを言い出せばイエスもそうなんですけれど。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/08 (Tue) 12:17:02
やっと参加者が

ヨハネ自身は覚悟の上での王への苦言でしたでしょうから、まぁ仕方ないのかな、と思います。

しかしザカリアにすれば(ザカリアがヨハネ処刑の時まで生きていたとは思えませんが)、一度はあきらめた自分の家系(祭司の家系)の継続が、ヨハネ誕生という喜びを経て、結局のところ最終的にはやはり絶たれてしまう、これは当時の価値観から言えば大きな苦しみであったと思います。
その意味では、ヨハネの死に様までは予告されていないのは、ザカリアに対するせめてもの(天使の?)思い遣りでしょうか。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/08 (Tue) 18:32:00
当時の価値観でも、今の価値観でも、ヨハネのような最期の迎え方は歓迎されるものではないはずです。

神様的にはイエスを送り出す前振りとしては上出来なシナリオかもしれませんが、人間的に見ればとんでもない話で、神に祝福されるとろくなことがないという教訓にしか思えないんですよね・・・。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - ぢょおう Home
2009/12/09 (Wed) 12:17:36
書き逃げご容赦をば。

  24-25
   その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠してい た。
   そして、こう言った。
   「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間から
   わたしの恥を取り去ってくださいました。」

女性が子供を産めないのは、ある意味不幸なことだと思います。
しかし、それを「恥」だとする時代があった。

それはともかく、そんな「恥」を持つ妻がいても、祭司をやれてたのですわね~なんてことが
ふと思い浮かんだわけでございます。

ぢょおう的には、
そんな歳(何歳なんでございましょうかね)になって妊娠するほうが
「何かしら」言われそうな気がするのですけれども。
・・・え、ぢょおうがヨゴレてます?

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/09 (Wed) 17:48:26
>ぢょおうさま

その当時、「恥」で済んでよかったのかな、と推測します。つまり、「罪のせい」だと言われてなかっただけ、エリサベトはよかったのかな、と。まあ、あくまで推測ですが。
祭司の妻だったから、まさか罪はあるまい、ということで「恥」程度に済まされていたのかな、とか考えたりします。
そして、アブラハムの妻サラの物語があるからこそ、年老いてからの子どもは、特に喜ばれたのだろうと思います。

>毛利さん

当時の価値観については、詳細はわからないですが、今の価値観とはずいぶん違っていたのではないかなと思います。
今の日本の小市民の平穏無事な死に方といえば、やはり、病院かホスピスで、あるいは自宅で、家族に看取られながら、静かに眠るように息を引き取るといった死に方でしょうか?

しかし、当時のユダヤ人において、そういう死に方がどれくらい許されていたのかな、と思うのです。(意外とそういうことを調べあげた研究書というのが、見つからないのです。まあ、そのうちぼくの古い友人がいい資料を紹介してくれるんじゃないか、と淡い期待をしているんですが(笑))

まあ社会層によってずいぶん違うでしょうが、祭司階級はわりといい生活をしていたのかも知れませんね。
だから、祭司の子ヨハネにしては悲惨な最期だったのかも知れません。
しかし、当時のほとんど多勢を占めていた貧しい人たちの死に様ってどんな風だったのでしょうね。
神殿の権力者たちから、そしてローマからの二重支配を受けて、搾り上げられるだけ搾られて、生活の安定も将来の保証もない、一身の安全も保証できない、そんな状況での死に方というのは、あまり平穏無事ではないような気がするのですが。
税をおさめそこなっただけで、妻や子どもが奪われ、反抗した者は十字架につけられ、といったことを想像するのですが。
夜、外を歩くだけでも、野獣、追いはぎ、ローマ兵……あぶない奴らがうようよいたでしょうし。
ぼくの推測は悲観的過ぎますかね。

そういう状況のなかで、「どうせ人間ろくな死に方はしないよ」という風潮が広まっていたとしたら、殉教というのは悪くない死に方だということになるんではないでしょうか。

まあ、しかし、文学的には、洗礼者ヨハネの死は、イエスの死を暗示するものとして取れる気がしますが……。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/09 (Wed) 18:21:55
さっき書いた事と関連して、ちょっと連想した事があるのですが。

我々のあいだは、人権思想の浸透のせいか、先進国に住んでいるせいか、さっきの小市民的な平穏無事な死に方を望む人が多くなっていますよね。
また、死ぬということは、生命の最終的な敗北なのであって、人間はとにかく生きなければならないのだ、という風潮が世の中の多くの人に広まっているようにも感じます。

それは別に悪いことではないと思うんです。
人は惨い殺され方をされてはならないし、せっかく与えられた命を大切にし、またできるだけ健康で長生きできたらいいなとは思います。
そして、例えばうちの職場にいるたくさんの若い人、これからまだまだ先の長い人生を渡ってゆく人たちには、自他ともに命を大切に生きていってほしいと思うんです。

しかし、その一方で、人生の後半戦に入った自覚を持つ自分としては、どうせ死ぬんだったら、どんな死に方をしたいのか、ということを考え始めています。
長く生きたいのか、早くけじめをつけたいのか、病院や自宅で死にたいのか、仕事中に死にたいのか。死ぬ前にできるだけ多くの人に愛されたいか、それとも嫌われてもいいから筋を通すか、殺されることも覚悟で闘うか。
もちろん、こうして選びたいと思う事じたい、恵まれている証拠なのです。そのことに思い至ると、今度は死に方を選ぶことも許されなかった時代、死に方を強制されていた時代や社会にいた人たちのことを考えたりします。

たとえば、60数年前は男児は死に方を選べず、官製の死に方を強制されていました。どうせ死ぬなら……と潔い死に方をという思考に進むでしょう。
また、ある時代のある武士たちには「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉を実践した者たちもいたでしょう(決して全ての武士ではない)。
あるいは、妻も子どもも親も殺され、職場もつぶされ、もう生きていることに意味を見出せなくなった人が、自爆テロを殉教と称して行うことは、現在でも世界の一部では起こっています。

そして、イエスの時代はどうだったでしょうか。
どうせろくな死に方をしないのなら……と思った人びとが、反権力の死を遂げたヨハネの死を美化しないではいられなかったのではないかと思います。

さて、さらに話が変わりますが、最近、古屋安雄さんの『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか 近代日本とキリスト教』という本を寝る前に読んでいます。
これ、なかなか面白い本ですよ。同じ事の繰り返しが多いですけど。三十番地図書館にもあげとこうかなと思っています。
この本に、日本のプロテスタントには殉教者がいない、という話がありました。
カトリックに殉教者がたくさん日本にもいたことは周知の事実です。しかし、プロテスタントは、その多くが明治時代に失職した武士たちであり、武士道的キリスト教なんてものも標榜した人がいたにもかかわらず、「死ぬことと見つけたり」という言葉を実践した人はひとりもいない、ということです。
最近「死」について考えている事と共鳴する部分があったので、紹介しておきます。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/09 (Wed) 18:50:44
> そういう状況のなかで、「どうせ人間ろくな死に方はしないよ」という風潮が広まっていたとしたら、殉教というのは悪くない死に方だということになるんではないでしょうか。

聖書には、亡くなった人をイエスが生き返らせるシーンが何度が登場していました。或いは病気で苦しんでいる人々を完治させたという場面も沢山あります。そして、その数々の奇跡を目にすることで当時の人々「でさえ」感激してイエスに従ったとあります(細かいことを言えばイエスに従った「から」治った/生き返ったのかもしれませんが)。当時の人々にとっても「生きること」が最重要なことだったから、ではないでしょうか。だからこそ「処刑されたイエスが復活した」ということが人々を勇気づけたのですよね。そういう意味で、「死に打ち勝つ」というのがイエスの教えが広まった最も大きな要因だと私は思っています。

人間の最期について、現代人とは違っていたことは分かりますが、それでも「少しでも生き続けたい」と感じるのは現代人と何ら違わなかったのではないかと思うのです。むしろ現代人の方が生きることに執着しなくなってしまっているのかと思うくらいです。

それに、ヨハネの死を聞いたイエスが悲しんだという描写もあります。つまり現代人が「ヨハネ、気の毒に」と感じるのと同様に、当時の人達も、イエスも、彼の死を強烈な悲劇として受け入れていたのではないかと思います。イエスをも悲しませるような「悲惨な最期」という運命を背負わせた神は何をしたかったのか、全く理解できません。逆に言えば「神を信じて、神にすがった結果が、こんな残酷な死をもたらした」ということは、神に対する不信感を募る以外の何物でもないかな、と。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/09 (Wed) 22:14:37
>祭司階級の生活
どの程度だったのでしょうね。謎ですね。古い友人さんだよりですか?期待してしまいますね。

祭司階級の生活レベルは、おそらくほぼ確実に他の人達よりは幾分良かっただろうと思います。しかしザカリアの場合はお勤めの期間ごとにエルサレムに上京する地方祭司ですから、祭司だけで飯を食っていたのではないのでしょうね。普段は何をしていたのでしょう。そしてエルサレムでのお勤めに対するペイはどれぐらいだったのでしょう。
と考え出すと判らないことがたくさん有りすぎてもぉ…
でも、判らないなりにココが判らないねと確認しながら少しずつ考えていくことで何かひらめきがあるのだろうと思っています。

>恥
当時は一般的には恥どころか罪のせいでしたものね。そうするとここでエリザベトが恥と言ったことも相当に深いものが隠れているのかもしれませんね。
もちろん、祭司の妻だから罪ではなく恥だった、というのは有力な解釈だと思います。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/10 (Thu) 00:32:11
>毛利さん

まあ、それはそうかも知れませんね。
生に対する執着がなかったということはないと思います。
ただ、福音書のなかでも、たいてい永遠の命を欲しがってイエスに近寄ってくるのは、金持ちの友人とか、律法学者とか、割と恵まれた社会層の人たちなんですよね。
そしてそのような人たちに、イエスは「こうすれば永遠の命が得られるよ」といったことは何一つ教えない。
それどころか、話を富の再分配の話にすり替えてしまいます。
そういうところを読んでいると、イエスは「永遠の命」というものに関心が無かった、あるいはそんなものはあり得ないと割り切っていたんじゃないか、という気がするのです。

そして、赤貧洗うがごとしという生活をしていた人びとにとっては、永遠の命より今日明日の命だったろうと思います。
どのような死に方をできるだろうか、という未来のことを考えるより今日明日の生活ではなかったでしょうか。

まあこのへんも断言はできませんが。というのも、ユダヤ教における終末と救いの感覚が、どういう内容で、その程度貧困層まで浸透していたか、よく知りませんので、そのあたりは保留しながらです。

イエスもヨハネの死に方を悲しんだわけですが、結局イエス自身も悲惨な死に方から逃げずに引き受けていくわけでしょう。
だから、自分以外の人が平穏無事な死に方ができなかったことを悲しむ一方で、自分の死については別の覚悟をする人がいるということではないかなと思います。

でも、平穏無事かどうかは別にしても、人が死んで神を恨むのは、ぼくもそうです。
もう本当に、「なんで今この人の命を奪うんだ」と叫びたくなるような知人の死に遭います。
そして「神なんていないんだ」と思ってしまうのです。
最近もある知人がガンで死にました。
「神さまなんていない」と家族にもらしていたそうです。たくさんこの世に未練を残した、無念の死です。
神が何を考えているなんて、わかりません。
神は存在しないかも知れないし、存在していても、何も考えてないし、何もしてくれない。そんなものなのかも知れません。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/11 (Fri) 17:49:39
神がいない、或いはいたとしても何も考えていないし、何もしてくれない、のであれば、人間が勝手に神を過大評価して勝手に期待して勝手に落ち込んでいるだけということになりますが、今回の聖書箇所は明らかに「神が意思を持っていて、きちんと考えていて、その結果として天使を送った」という前提で書かれています(それ自体が実話なのか後から付け足された神話的なものかは別にして)。

そうだとしたら、ヨハネの誕生のシーンでは凄く派手な演出をしているくせに、聖書に残っているヨハネの行動は微量であり(イエスに洗礼を施したというのが偉業なのでしょうか)、最期は理不尽な殺され方をする、これらは全て神が計画していたということになってしまいます。

一体、ヨハネは何のために生まれてきたのかと思わずにはいられませんし、神の横暴にしか見えません。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/11 (Fri) 22:02:25
スレの流れに乗ってないことを書きますが、明日以降来週いっぱい出てこれそうにないので小ネタをもういくつか。

アブラハム物語との関係ということで言えば、18節後半のザカリアの問い返しは、これもアブラハムと同じ事を言っていますよね。ちょっと面白いです。そしてアブラハムと共通しているのは(アブラハムは伝説上の人物といわれればそれまでですが)アブラハムの夫婦にせよ、ザカリアの夫婦にせよ、子供が生まれるからと言われてちゃんと励んだわけですよね。そのあたりが面白いと思います。

19節冒頭ですが、ここだけ「答えた」なのですね。そこまでは、天使は言った、ザカリアは言った、と続きます。ザカリアの発言は天使に答えたのではないということでしょうか。
この順番は次のイエス誕生予告も同じですから、あるいはルカの手によるものかもしれませんけどね。

ザカリアが至聖所に居る時間というのは、外は騒がしかったのでしょうか?静かだったのでしょうか?何とも書いてないですけど、そういうことを考えるのも物語のディティールになるのかな?と思います。大勢の民衆が外で祈っていたということは相当にざわついていたのでしょうか?幡祭をささげる物音がしていたのでしょうか?そうやって考えていくと、物語を取り巻く景色が頭の中に浮かんできませんか?
頭だけでなく、五感を総動員して物語を感じてみたいと思っています。

前にも書きましたけど、シメオンとアンナはずっと神殿に居た人だというのなら、当然この出来事(ザカリアが至聖所で幻を見たらしい)も知っていたでしょうね。そして風の噂に聞くヨハネの誕生と命名のいきさつ。メシアの誕生が近いことをきっと確信したことでしょう。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/12 (Sat) 23:15:35
>毛利さん

私は、人間が勝手に神を過大評価して、勝手に期待して、勝手に落ち込むということが、あちこちで起こっていると思います。
落ち込むというのは、期待して、その期待が裏切られるから落ち込むんですよね。

この聖書の箇所にしても、私は、「明らかに神がすべてを計画し遂行している」と前提されているからと言って、それを真に受けたりはしません。
ですから、ルカは、自分の書いている物語が、実はいかに神の横暴さを描く結果になっているのか、気づいていないんだ、ということになるんでしょうね。
そう考えると皮肉だけど面白いな、と私は思います。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/13 (Sun) 00:20:51
はい、私も、この箇所は皮肉な意味で面白いところだと思います。思いっきり神のイメージダウンに繋がる描写ではないかと思うので。もっとも、当時の人達にとっての神は、こういう横暴でシナリオが無茶苦茶なことをするものということで自然と理解されていたのかもしれません。

ところで、ヨハネもイエスも奇跡的な誕生の仕方をしていて、どちらも人々に教えを説いて、人々から慕われていて、共に理不尽な理由で処刑されていますが、どうしてイエスの教えがキリスト教として残ってヨハネの教えは殆ど消えてしまっているのでしょうか。

ヨハネの行動は聖書には殆ど記録として残っていない(と思う)ので単純に比較することは難しいですが、イエスは数々の奇跡を行い、更に処刑後も復活していると聖書にはあります。多分、ここがイエスとヨハネの大きな違いではないかと私は考えています(勿論、イエスの方がより話が上手で人々に慕われていた、ということも考えられますが)。

イエスが処刑された後、イエスの弟子達が「イエスは復活したことにしておこう」と言いふらしたり、或いは信者が催眠術や暗示に掛かっていたり夢を見ていたりよく似た人をイエスと思い込んでいたのであれば、ヨハネの処刑の後でも同じように「ヨハネは蘇った」と言い出す人が登場していてもおかしくありません。しかし、ヨハネの死は復活について触れられることなく終わっています。

イエスが救世主と呼ばれるようになった、その同じ場所と時代を生きて同じような命の落とし方をしたヨハネが、どうして救世主になりえなかったのでしょうか・・・。話が脱線していますが、考え出したら良く分からなくなってきたので書き込ませて頂きました。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/13 (Sun) 00:38:45
>「言った」 と 「答えた」
1週間出てこないと言いながら早速出没しておりますが、明日からはホントに難しいだろうな。

昨日も書きました「言った」と「答えた」ですが、ちょっと思いついたことがありますので追加。

ヨハネ誕生予告だけ見ていてもよく判りませんが、イエス誕生予告の方をよく読むと、「言った」と「答えた」の違いが何となく浮かんできました。「言った」の方はそこに少し間が空くようですね。「答えた」の方は即答みたいな気がします。
・ザカリアが不安を覚えているのを確認して天使が言った。
・天使の言葉を聞いてしばし考えてザカリアが言った。
・ザカリアの言葉に対して天使が即答した。
そんな情景が浮かんできました。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/13 (Sun) 00:51:39
>毛利さん

楯突くようですけど、この箇所が皮肉な意味で面白いと言われるとすごく違和感があります。
ハッキリ言ってちょっと傷付きます。
この箇所を「神のイメージダウン」という捉え方でしか捉えることが出来ないのは何故でしょうか?
そのように読まれるととても悲しいです。

しばらく書き込みできないのにこんな質問をして申し訳ないですが、毛利さんの読み方はあまりに聖書に対してマイナスイメージが強すぎるような気がするのです。もっと聖書からプラスのものを読み込もうと思われてもいいのではないでしょうか?
プラスに読もうと思って読めば何かプラスなものが見えてくるのではないでしょうか?
よく言うではないですか。幸福の神は走ってやってくる。両手を広げて掴まえる用意をしていないと掴まえることが出来ない。と。聖書の読み方も同じだと思います。聖書の暖かいメッセージは後ろ手では掴めません。プラス指向で読みましょうよ。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/13 (Sun) 02:13:31
神に祝福されて生まれてきたヨハネが最後には「ヨハネの首が欲しい」と言いだした王女(?)に首を切られて殺されるなんて、そんな酷い話はないと思いませんか?いや、それでもヨハネは天国でイエスと共にいる・・・と、そう信じる人は自由ですが、私にはそういう風には思えませんので。

聖書に書いてあることを美化して読むことは私が以前いた原理主義の教会で見てきました。受験に受かった子供に対しては「神の導きがあったのです」と言うくせに、受験に失敗した子供については何も触れない。教会でインフルエンザが流行っていない時には「教会は神に守られていますから」と言うくせに病気が流行りだしたら何も触れない。天気が良い時には神に感謝して、大雨の時には何も言わない。そういう教会に何年間かいましたので「何でもかんでも、良い風にとらえて、良い解釈をするのがキリスト教原理主義者の発想なのか」と思ったものでした。

聖書のプラスのメッセージについては、確かに私はプラスに受け止めています。先日の牧師さんのぶどう園の話についても、色々と考えさせられたり言いたいことがあって、とにかく私の好きな話の1つです(他にもいくつか、聖書の箇所で涙を流しながら読んだ箇所もあります)。ですから、自分にとって素直に伝わってくるメッセージに対してまで否定的に考えている訳ではありません。

ただ、自分が読んで、納得がいかなかったり理不尽だと思うところについて、無理矢理「いや、これは素晴らしいことなのだ」と自分に偽って思い込ませることは、もう止めようと思った次第です。例えばイチジクの木を枯らした話でも私は「これって、普通で考えたら酷い話だ」と思ってしまうので(もしかしたら、そこにもそれ用の素晴らしい解釈があるのかもしれませんが)自分に素直になることがとにかく今は大切だと思うのです。

そう考えると、繰り返しになりますが、ヨハネの生涯を考えると、凄く悲しい気持ちになりますし、神って理不尽だと思わずにはいられません。逆に、このヨハネの末路について「ヨハネが処刑されて良かった」という解釈があるのであれば、それを是非とも聞いてみたいです。決して揚げ足を取ったりするつもりはありません、真面目に聞いてみたいのです。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/15 (Tue) 23:14:01
毛利さんのつっこみは、なかなか面白いと思うんですよ。
ヨハネの人生の末路を含めて、どう暖かいプラスのメッセージが出てくるか……むずかしいですよね。
ぼくは正直言って、わかりません。

でも、洗礼者のヨハネの物語は、まず祝福された誕生があって、そして結局殺された、という流れではなくて、もともとヨハネの悲惨な死に様があって(事実だったと仮定して)、そのままでは放っておけない人たちが、ヨハネの誕生の祝福を描こうとした、という順序ではないかなとは思います。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/16 (Wed) 12:13:53
仰る通り、ヨハネの悲劇が先にあって、後からこの「物語」が付け足されたのだろうと思うのですが、神からのメッセージとなっている箇所

15 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、
16 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。
17 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」

を読むと、イエスとの交わり、出会い、イエスの洗礼等が全く述べられていません。唯一、イエス(子)のことを言っているのかもしれないと思える箇所は「父の心を子に向けさせ」ですが、「日本聖書刊行会」訳では「父たちの心を子供たちに向けさせ」と複数形扱いになっていますし、KJVでもfathers/childrenとありますので、イエスと神との関係を述べているとは思えません。

つまりヨハネは、あくまでも一般庶民を神に立ち返らせる偉大な人、という形で描かれています。処刑されてしまうことを天使が伝えると親がショックを受けるから黙っていたとしても、イエスとの絡みについては伝えても良い訳ですし、むしろ聖書に出てくるヨハネの最も目立った活動(最大の役割)はイエスに洗礼をしたというものだと思っていますので、それは述べられていなければならないことだと思うのです。

どうして天使は、そんな大事なことまで伝えなかったのでしょうか(どうして福音書作家が、そこまで物語を膨らませなかったのでしょうか)。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師
2009/12/16 (Wed) 19:05:57
いよいよ、おもしろいですねえ。
17節の「父たちの心を子供たちに向けさせ」というのは、気がつきませんでした。
新改訳を使っている人たちのほうが、「われわれの聖書のほうが原典に忠実だ」と言う様子が目に浮かびます。よくそう言われますよね。
これはどう解釈したらいいんでしょう。ちょっとすぐには浮かばないんですが。

イエスに洗礼を受けさせたことは、ルカは決してヨハネの功績のようには思っていないと思います。
じっさいイエスの洗礼の場面でも、ヨハネは「私のほうがあなたから受けないといけないのに」とへりくだりますが、イエスから「今はこうさせてくれ、正しいことを行うのは神の意志に適っている」とかなんとか言って、イエスがヨハネから洗礼を受けたのは、イエスの特別なへりくだりであるかのように描いています。
ルカとしては、イエスのほうが偉いと書きたいんだけど、イエスが一時期ヨハネの弟子になったことは当時の関係者筋では明々白々の事実で、それにオブラートをかぶせるために、こういう受洗物語を作り、ヨハネの誕生の場面では、イエスの道筋を準備する人という描写をしたのではないでしょうか。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/17 (Thu) 09:41:05
またしばらく書き逃げになりそうです。もう木曜ですものね。寒くなりましたので、みなさま足元にも寒さにもお気を付けください。

またまたスレの流れを乱しますが
>暖かいメッセージ
ヨハネ誕生予告の場合に、ヨハネの一生を、ヨハネの働きを、思い浮かべることはとても大切なことだと思うのです。しかし、ここはザカリアに対する誕生予告ですよね。ザカリアあるいはエリサベトを中心にメッセージを組み立てたい箇所です。
そうすると、ヨハネの悲惨な死に様(確かに悲惨です)にあまり引きずられるとメッセージがぼやけると思うのです。前にも書いたように、ヨハネの死に様まではザカリアは聞かされてはいないのですから。
ということで、とりあえず、ザカリアに焦点を絞ってみますとこう考えることで暖かいメッセージを語るが出来るように思います。

天使のお告げ、信じがたいお告げを聞いて、結局のところザカリアとエリサベトは子作りに励んだわけですよね(その意味でここはイエス誕生予告よりも判りやすいでしょう)。ガブリエルに向かって「ホントですか?にわかには信じられません」と言い返したザカリアも、あるいはそれを聞かされたエリサベトも。しかも相当な歳だったにもかかわらず。そこに彼らの神への信頼を見ることが出来ます。天使のお告げを信じなかったのなら、子作りに励まなかったらよかったのです。まぁ、老人だからやっちゃいけないということは元々無いのですが。その彼らの信頼をメッセージの中心に置けば暖かいメッセージが可能になると思うのです。
すっかり諦めていたところに与えられた思いがけない恵み(報いと言ってもいいかも)。私たちの計画や思いを越えたところで神は私たちに報いて下さる。それは生き難い現代社会における希望のメッセージとなると思うのです。

これをたとえば、単に希望の先送りだと言ってしまえばそれまでです。でも、それを言ってしまうと、そこで言い止(と)めてしまうと、このメッセージは一気に冷たいメッセージになります。それはもう疲れた現代人に対するメッセージたり得ないでしょう。
むしろ希望の先送りだからこそ、待つということを通じてアドベントのメッセージとなるのかもしれません。それならば、希望が先送りされることにではなく、待つことにポイントを置くことで暖かいメッセージが、プラスのイメージが、語れるように思います。何しろ待降節なのですから。

思いがけないときに、
思いがけない形で、
主は報いてくださる。

3題話にどうですか?

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/17 (Thu) 19:47:56
何とか夕方にも少し時間が出来ましたので再登場

毛利さんの質問にも答えておかなければなりません。
毛利さんのツッコミどころは私も面白いと思うのです。ただ、突っ込んだところで立ち止まっている気がするのです。そうではなくて、理不尽な物語の中からいったいどんな暖かいメッセージが汲み取れるだろうか?と思って私は読みたいのです。
というのが総論。以下、各論に入りますね。

>聖書に書いてあることを美化して読むこと
  それは私もすべきでないと思います。また

>自分が読んで、納得がいかなかったり理不尽だと思うところについて
  もちろん、理不尽だと思っていいのです。私もよくそう思います。ヨハネが殺される箇所だけではありません。そして

>このヨハネの末路について「ヨハネが処刑されて良かった」という解釈があるのであれば
  私もそれはないと思います。

さらには、私も祝福されて生まれたヨハネが残酷な殺され方をしたことを酷いと思います。しかし、すぐ上のレスにも書きましたけど、ヨハネの殺され方が残酷であったということは確かですが、そのことに捕らわれすぎるとザカリアに与えられた祝福に意識が向かなくなるような気がするのです。ザカリアにとっては、やはりこれは祝福のメッセージなのです。

個人攻撃にならないように書くのは難しいのですが、毛利さんの書き込みを読んでいるといつも感じることがあるのです。「残酷だね」「酷い話だね」ばかりが表面に出ていて、そこからどんなプラスのメッセージが読みとれるだろうか?という気配のようなものが伝わってこないのです。
それで最初の私の書き方になったのです。

そして、重ねて書きますが、「皮肉な意味で面白い」と読まれるととても悲しい思いになるのです。ここはやはりザカリアが祝福された箇所なのです。皮肉な箇所ではないのです。

私の思いがなかなかうまく書けなくてもどかしいのですが、これで毛利さんからの質問の答えになりますでしょうか。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - hotaro
2009/12/17 (Thu) 22:05:43
ルカは、ヨハネやイエスの誕生を、彼らの出自を、裕福な人々に理解できる形で説明していると思うんです。正統的な祭司の家柄である、とか、ダビデの家系とかですね。ところが、ヨハネにしてもイエスにしても、まったくそれらの後継にはならないわけですよ。この個所の後には、マリアがエリサベツを訪ねてきて、有名な「マリアの賛歌」を歌うわけですけれど、これは、イエスによって、恐るべき革命が起こる、という預言ですから、このルカの私信の受取人であるテオフィロ閣下などは卒倒してしまうような内容です。ヨハネやイエスは、いったいどのような幻を見て、彼らの運動に自己を投げ出していったんだろうか。そういうことをルカは、富める者にも貧しい者にもいっしょに考えてほしかったんだ、と私は思います。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/18 (Fri) 01:17:40
トマスさん

ご指摘ありがとうございます。仰っている意味は凄く分かります。そして、私自身も、一方的な読み方をしていることを自覚しています。

ただ、今回の聖書箇所を読んで「神はザカリアに恵みを与えて下さった」と解釈するのは、やはり無理があると思うのです。普通に考えれば、最終的に処刑されてしまう子供を神が祝福して与えるなんて、少なくともクリスチャンじゃない人は誰も受け入れないと思います。

私なりに色々と考えたのですが、今回の話から教訓を得ようとするなら、「神は信仰深い人に、より厳しい耐え難い試練を与える」ということではないでしょうか。聖書箇所ではヨハネが処刑される旨を神が伝えたとは書いていませんが仮に神がそのことをザカリアに伝えたとしても、ザカリアはその運命を受け入れてヨハネを産み、育てていたのではないかな、と。何故なら、それが彼らにとっての宿命なのだから。

そういう、避けることの出来ない運命を背負って生き続け、最悪の結末に向かって突き進みながら、それでも神への信仰を捨てない人こそ「本当の信仰心がある人」と神は見ているのではないかなと思うのです。神はザカリアやヨハネに対して生死をかけた踏み絵を命じていたのではないでしょうか(ヨハネは信仰を捨てれば処刑されずに済んだのでしょうから)。

神を信じると神から救ってもらえるというのは、少なくとも今回の話には全く当てはまりません。それどころか、神を信じていることによって命を縮めてしまった実例になっています。しかし、それでも良い、命を捨てる覚悟で信仰に入ると思えるならば神に付いてきなさい、そう神は語っているように読めます(実際、イエスも同じような踏み絵で命を落としましたし、イエスの弟子達もそうだったと聞きました)。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - れお
2009/12/18 (Fri) 18:52:16
かなり盛り上がっているようですね。

私は「時が来れば実現するのに、もうちょっと辛抱強く待ってればいいのにさ、あなた、私の言葉を信じなかったでしょう。だから、ことが起きる日までは話ができなくなるようにしてやる!」っていうのは何故なのかしら?と感じました。休職させて奥さんの元に帰らせるためかなぁ。

それから、5ヶ月だけで良かったのかとか…。出産までは10ヶ月くらいかかるけど、残り半分は人の目にさらされても良かったのだろうかなんて…。

また、ヨハネは「そうかそうか、ぶどう酒は飲まないよなぁ」とか、今まで気づかなかったところも気づかせてもらいました。

神は…うーん…不条理回避をしてくれたりするものだとは思っていないので、普段はそんなに残酷さを感じないのですが、自分のトラウマに関連する箇所なんて読むと、毛利さん同様私も「神、酷いじゃん」って思いますから、なんというか…。

話は変わって、ちょうど「永遠の命」について考えていたので、10日の牧師さんの書き込みは興味深く読みました。「永遠の命」ってないよね…と感じています。「今ここにある苦しみ・悲しみ」に常に寄り添ってくれる人なので、死んだ後のことをどうこう言っているようには思えません。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/18 (Fri) 20:18:40
毛利さんとの議論ももう少し深めてみたいところですが、今は時間が。

れおさんのレスより

>5ヶ月だけで良かったのかとか
良かったのかどうかはわかりませんが、続くイエス誕生予告では6ヵ月目にガブリエルがマリアを訪れ、マリアがエリサベトを訪れ、となっておりますので、その関係のような気がします。私としては、マリアですら6ヵ月目まで知らなかった、という点にエリサベトの身の隠し方の徹底ぶりを見る思いなのです。
あれ、ひょっとしてマリアが訪ねていったからエリサベトが隠れていられた期間が5ヵ月だったのでしょうか?そんな解釈を思いつきました。

>休職させて奥さんの元に帰らせるため
なるほどそういう読みもありますね。面白いな。「務めの期間が終わって自分の家に帰った」と書いてありますけど、喋れなかったら祭司の仕事に差し支えるでしょうからねぇ。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/18 (Fri) 22:01:18
私は、毛利さんのコメントに自分の感覚が近いように感じます。
自分はどういう死に方をするか、ということ。
あるいは、避けられない死を前にして、その死をどう受け入れるのかという大テーマがここに横たわっているように思います。

人はどうせ死にます。
もちろん私だって死にたくないです。望まない死を避けられないと知った時、イエスだって泣き言を言いました。
また、彼は最後の最後に「わが神、わが神、なぜ私を見捨てたのですか」と嘆きの叫びをあげました。
見方によれば犬死にです。
でも、イエスは逃げなかった。ヨハネも逃げませんでした。逃げるよりは死を選んだのです。このことで死ななければならないと悟っていたのではないでしょうか。
泣き言を言いながらでもいいから、それでも、自分は何のために死ぬのかということを、私は問いかけられているような気がします。

ただ、なぜイエスだけが復活したという信仰が広まったのかは、まだわからないのですが……。

ヨハネの誕生予告から、関連がないわけではありませんが、ちょっと離れすぎたかな……?

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/20 (Sun) 20:50:31
>なぜイエスだけが復活したという信仰が広まったのか

あんまり深く考えなくても良いような気がします。つまり、イエスは(福音書の記事を信じる限り)自分の復活を口にしていますが、ヨハネは自分の弟子に向かって復活とか何とか言い残さなかった。ということなんじゃないか、と思いますけど。割り切りすぎでしょうか。

追記
ちょっと言葉が足らなかったかな?ヨハネの場合も復活信仰は持っていたでしょうけど、それはいわゆる終わりの日における復活だったような気がします。イエスのように3日目に復活するなんてことは考えていなかったのでしょう。
そうなればそうなったで、イエスの3日目というのがどこから出て来た?という謎も浮かび上がるような気もしますが、そこまでいくとちょっとスレからずれすぎかな?
それはともかく、ヨハネの復活信仰が終わりの日の復活であるならば、ヨハネの弟子達もヨハネがすぐに復活するなんて考えなかったということで辻褄は合うような気がします。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/20 (Sun) 20:56:42
>一方的な読み方
そんなことないと思いますよ、毛利さん。
それを言うなら、誰しも自分の一方的な読み方で読んでしまうものです。先にも書きましたけど、毛利さんのツッコミどころはすごく興味深いです。強いて言えば(繰り返しになりますけど)そこから一歩踏み出す読み方をすれば、自分が納得できるかどうかは別にしても、何か違ったものが見えてくることもあるんじゃないかな、ということで。

>神を信じると神から救ってもらえるというのは、少なくとも今回の話には全く当てはまりません。
確かにそれをテーマにした箇所じゃないですよねぇ。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 毛利
2009/12/21 (Mon) 01:19:15
トマスさん

一歩踏み出す・・・これが、なかなか難しいのです。思考の方向音痴とでも言えば良いのでしょうか、例えば散々考えた末に右に進もうと決意して踏み出して、ふと辺りを見渡すと皆が左に行っているということ、よくあるのです。自慢できることじゃないんですけれどね・・・。末永くフォローして下さい。

> ヨハネは自分の弟子に向かって復活とか何とか言い残さなかった。

確かに、この違いは大きいですよね。ただ、イエスがヨハネの弟子だったというのが最近の通説になっている(らしい)ので、ヨハネも復活について何かしらをイエスに伝えていたのではないかと思うのです。つまりイエスの復活についての発言も、イエスのオリジナルではなく、ヨハネの影響を受けていたのかな、と。これはもう想像なのですが。

で、一番大きいところは、復活すると言ったか言わないか、よりもイエスが「実際に復活した」或いは「実際に復活したのと同等の現象が起きた」ということだと思うのです。

多くのクリスチャンは「イエスは復活した、だからイエスは神の子だったのだ」という方向に話を展開しますし、それを信じられるかどうかがクリスチャンになれるかどうかを分け隔てていると思うのですが、私はイエスが普通の人間だとしたら復活は絶対に有り得ないと考えています。しかし、キリスト教(つまりヨハネではなくイエスの教え)が実際には広がった、ということはイエスは復活したか、それに等しい現象が起きたと考えるしか無くなってくるのです。

もしも復活していないのなら、ということが、この教会のQ&Aにある「イエスが復活したって本当ですか?」で説明されていますが、文中の「ペテロが見たもの」の「悲観のプロセス」の箇所、これは対イエスのみならず、対ヨハネでも当てはまると思うのですが、ヨハネの時にはそれが起きなかった。よく似た形で生涯を終えた二人のカリスマ的宗教指導者、ヨハネとイエス。しかしヨハネは記録には残ったけれどイエスは歴史に残った。

復活がなかったとしたら、イエスの死後、一体何が起きたのでしょうか。ここで、私の頭は完全に行き場を失ってしまうのです。

今回はテーマと大きくずれるので深追いは避けますが、いずれ別の機会にでも話題にさせて頂ければと思います。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2009/12/29 (Tue) 20:28:26
月末も近いことですので、とりあえずもう一度上にあげておきます。
私が期待したような爆弾発言はなかったですねぇ。何かあるかな、と思っていたのですが(苦笑)

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2009/12/30 (Wed) 13:42:23
イエスが復活したから神の子とされたのか、それとも神の子だから復活したとされたのか、あるいは、この2つは並行して生まれたのか、ちょっと決め難いのではないかと思います。
少なくとも、今のぼくの不勉強でははっきりしたことが言えないです。

ただ、今読んでいる本でヒントを与えられているのは、ヨハネにしろ、イエスにしろ、福音書で伝えられている彼らの姿は、すべて旧約聖書の預言の成就として描かれているということです。
イエスはイザヤ書にある「苦難の僕」の預言を成就した者と解釈されるので、その死には人間の罪を背負って身代わりの罰を受ける子羊、という役割が与えられますが、ヨハネはそうではないですよね。ヨハネはその道の準備をする者に過ぎません。
福音書以前のパウロの手紙類に洗礼者ヨハネのことが書かれてはいなかったんじゃないかと思いますけど、要するに初期のクリスチャンたちにとっては「洗礼者ヨハネ? 誰それ?」という感覚だったんじゃないでしょうか。
福音書作家は情報を補う形で、洗礼者ヨハネのことを出したんではないでしょうか。つまり最初から扱われ方が全然違っていたわけで。

ヨハネとイエスの活動エリアや形態も全然違っていましたし、砂漠にいて「俺のところにやってこい」型の運動をやっているのと、町々をめぐって「あなたのところに出かけてゆこう」型の活動をやって人では、影響力もおのずと違っていたんではないでしょうか。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - トマス
2010/01/04 (Mon) 18:52:49
まだ間に合うかな?

>「洗礼者ヨハネ? 誰それ?」
確かにそうですね。イエス誕生物語そのものと同じで、いわゆる終末遅延の問題が出て来るまでは、ヨハネに注目することは少なかったかもしれませんね。

そうするとその一方で、ヨハネに関する伝承がよく残っていたな。という気もします。その辺りは(イエス自身がどうであったかは横に置いておくとしても)ヨハネの弟子達からイエスの弟子になった人達が伝えていたのでしょうか。3つの福音書に共通して出て来るというのはそんな気がします。

あるいはヨハネ誕生物語についてはマリアがルカに伝えたのでしょうか。つまりイエス誕生物語とヨハネ誕生物語の両方がマリアからルカに伝えられた。ルカ福音書の記事を基本的にそのまま読むならば、マリア自身がエリザベトからかなり詳しい話を聞いていたでしょうから。

■Re: みんたた12月のテーマ:洗礼者ヨハネの誕生予告 - 牧師 Home
2010/01/04 (Mon) 19:25:27
うーん、トマスさん。
私はマリアという女性が実在したのかについては、かなり懐疑的です。
また、たとえイエスの母マリアという人物が実在していたとしても、処女降誕の話を自分で話して伝えた、というのは全く信じられません。
全て、ヘブライ語聖書を下敷きにした創作であると思っています。
すいません。信仰薄くて。

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