みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2010年1月のテーマ: 「天地創造 第1日」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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■創世記 1章1~5節(新共同訳・旧約・p.1~5)

では、2010年最初の「みんたた」は創世記1章1~5節としたいと思います。とりあえず新共同訳の本文をここに出しておきます。

創世記1章1〜5節
1 初めに、神は天地を創造された。

2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
3 神は言われた。
 「光あれ」
 こうして、光があった。

4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、

5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

はい、では皆さん、ご自由にご意見をお寄せください。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス
2010/01/09 (Sat) 00:31:52
*.aol.com
最初に光と闇が分けられたというのがなかなか意味深かもしれませんね。

ところで、光と闇を分けたのだけど、夕べから一日が始まったのでしょうか?(みなさん御存知と思いますけど、ユダヤ暦では1日は日没から始まりますよね)つまり、もともと闇があったところに光りあれと言って光が出来たのだけど、光が出来たところからは1日は始まっていないのですよね。むしろ1日が始まってから光が作られた。
いや、5節の言葉の順番が微妙に引っ掛かっているのです。拘るほどのことではないのかもしれないですけど。


■はじめまして - 爽歌-Sayaka
2010/01/09 (Sat) 01:14:30
*.docomo.ne.jp
四年間くらいからこちらを覗いている爽歌といいます。
受洗の学びをしているときにたまたまこちらを発見しました。
下世話なQ&Aに励まされました。
教団北海教区の社会派・メソジスト寄りの教会で受洗しました。


>1 初めに、神は天地を創造された。
>2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

神は混沌を創造し、それから天地を分けたんでしょうか。
神よりも先に混沌があり、それを天地に分けたんでしょうか。
ユダヤ人はどのように考えていたんでしょうか。

人間の考え方からすると…カオスなんて造らずにいっぺんに天地をつくってしまえばいいのに、と思ってしまいます(笑)

■古事記の天地初発はこうなっています - 入谷
2010/01/09 (Sat) 18:58:54
*.cyberhome.ne.jp
<quote>
天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかあまはら)に成れる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神と成りまして、身を隠したまひき。
 次に国稚く浮きし脂の如くして、久羅下那州多陀用弊流時、葦牙の如く萌え騰る物に因りて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神。次に天之常立神。此の二柱の神も亦、独神と成りまして、身を隠したまひき。
</quote>

神々が生まれる以前に世界は存在し、時間は流れていた。
とすれば、神々が去った後も、世界は存在し続け、時間は流れ続けるだろうと、いう世界像でしょうか。

他方、創世記では、神が「光を昼と呼び、闇を夜と呼」んで、昼夜が交代し始めて、はじめて時が流れ始めた。
始まりがあるのであれば、終りもあるだろう、そしてそれは、神の意思によって来たらされるものだろう、というストーリーになるかなと。

私は、こういう世界像の違いが、人間の倫理意識の違いに対応するとは思っていないのですが、どんなものでしょうか。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス
2010/01/09 (Sat) 23:44:18
*.aol.com
爽歌−Sayakaさん、はじめまして。これからもよろしくです。

>カオスなんて造らずにいっぺんに天地をつくってしまえばいいのに
そうなんですよね。ホント何考えているんだか。
我々俗人の理解を超える御方ですね。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 牧師 Home
2010/01/10 (Sun) 10:29:32
*.infoweb.ne.jp
爽歌-Sayakaさん、初めまして、これからもよろしくお願い致します。

まず夕べから一日が始まり、昼が後なんだ、ということで、なぜユダヤ教の時間感覚かするとそうなるのか、実際のところ私もよく知らないです。
ただ、ある師匠によると、「まず神の創造、神の癒し(再創造:recreation)の時があり、その恵みによって人間は生きるものなのである、という解釈があるそうです。

古事記の神話の場合、人格神というのは、自然現象や山や、川や、樹木など、非人格的なもののほうが先行するのかもしれませんね。
人間のような人格的な存在のほうがあとで、しかも神々も人間と隣り合わせですよね。
このあたり、ギリシャ神話などとは共通点があるのではないでしょうか。
これに対して、ヘブライ人の神話では、あくまで人格神の第一声が先行するというわけですね。

カオスなんて造らずに……というのは、本当にそうですね(笑)。
でも、カオス的なものも時には必要ではないでしょうか。
「ご破算で、願いましては……」という「ご破算」がないと、何もかも秩序づけられて煮詰まってしまうと、どうにも息苦しくなりますので、時には破壊と再創造が必要なのではないでしょうか。
まず、カオスがあるというのは、じっさいの社会の状態や、個人の意識がそうだと思うんです。
そこから、人格が秩序を作ってゆく。
しかし、煮詰まったところでご破算です。そして再創造。
ノアの洪水の物語は、この破壊と再創造ととらえることはできないでしょうか。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - ぢょおう
2010/01/10 (Sun) 18:42:21
*.infoweb.ne.jp
「最初に造った天地」が暗く混沌だったということは
・・・微妙に失敗作?

光あれ、それと対する闇もあれ   だったら
もうちょっと過ごしやすい世の中でしたかも?

神が先に闇を作ったから世の中パッとしないのか、
単に神がコントロールしない場所で人間という種が暴走しているのか。

それとも、悪いこと(暗)をしていても、その後に光を作ってくれたからこそ
人は救われるのでございましょうか?

■「ご破算で、願」えれば、どれほど幸せなことでしょう - 入谷
2010/01/10 (Sun) 19:20:53
*.cyberhome.ne.jp
洪水の後、どこかで Jahve 君は、二度と「ご破算」はしないと述べていたような記憶があります。ゲームのようにリセットのきく世界のむなしさを、悟ったからなのかなと思っていました。

人生をリセットすることはできないし、してはいけないことだ、というのが旧約聖書の考え方の特徴の一つだと感じています。
犯した罪は購いようがないのであれば、罪を犯すことがないよう自分の人生を厳しく管理していくべきであると。

免罪符なんてぇのを持ち出した時点で、南欧のカトリック教徒はこの陰鬱な世界観を放棄したようで、すこぶる共感できるのですが、他方、それを文字通りに取ったピュ−リタンへの共感 (大好きなホーソンの「緋文字」のことを考えています) も禁じ兼ねない私であります。

■そうですね。ご破算したいです。 - 牧師 Home
2010/01/11 (Mon) 00:28:55
*.infoweb.ne.jp
そうですね……ぼくの頭の中では、「ご破算なんてできるわけがないでしょう」という考えと、「いやご破算が許されているはずだよ」という考えが交錯しています。

世の中の全てはリセットするわけにはいかないですが、しかし、自分の本でも書いたように「やりなおし」はあって欲しいものだと思うのです。
ルカ福音書の放蕩息子のたとえ話のように、人生に失敗した人が帰ってきて、やりなおしを許してもらう、という意味でのご破算はあってほしいものだと思うのです。

リセットはできない。
けれども、朝の来ない夜はない。
新しい朝、やりなおす事は許されているのではないだろうか。
そんなことを思います。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 毛利
2010/01/11 (Mon) 22:08:28
*.ocn.ne.jp
> 4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、

せっかく昼間を作ったのに、どうしてわざわざ闇(夜)を作ったのでしょうか。

一日中昼間だったら、人間は一日中働いてしまうから、という親心なのでしょうか。でも、光と闇を分けた時点では人間そのものが存在していなかった訳で・・・。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 牧師 Home
2010/01/12 (Tue) 21:21:34
*.infoweb.ne.jp
まあ、物語の成り立ちとしては、まず実際に夜と昼があって、それの説明として神がそういう風に作ったんだよ、という物語が作られるので……現実にそうだから、としか言えないんじゃないかな、と思うんですが、それではあまりに味気ないでしょうか?

今回の「いたはる」というメッセージのなかでも取り上げましたが、確かに創世記では、労働というのは、ネガティブな捉え方をされているとは言えますが。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 毛利
2010/01/13 (Wed) 00:22:32
*.ocn.ne.jp
労使は昔の人にとっても「きつく辛いこと」だったとは思いますが、狩猟をして毎日を何とか生き延びてきたところを、村を作り、動物を飼育し、田畑を耕作することによって改善させたのが労使ですから、今日の労働者とどちらが精神的に満足していたのか、というところには疑問があります。別に彼らは仕事を罰とは思っておらず、ただ「とにかく苦労をした」のだと思うのです。

そして「いたはる」に登場した聖書箇所は、むしろ現代人にこそ相応しいことだと思います。仕事は罰なのです。神が人の裏切りに対して与えた罰なのだ、という方向で考えた方が私にはしっくりします。罰だから誰も読まない資料を黙々と作ったり、出来レースなのに形式的な会議をしたり、誰にも喜ばれない製品を開発したり・・・。これは罰を与えられたから仕方なくやるものなのだ、そう考えた方が納得できるのですが。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス
2010/01/13 (Wed) 20:35:38
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労働と言えば、エジプトで面白いモノが見つかったそうじゃないですか。ピラミッドを作った労働者のものらしい墓が出たとか。奴隷が作っていたわけではないんだ、というようなことを発掘した学者たちが言っているようですね。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 牧師 Home
2010/01/13 (Wed) 21:26:17
*.infoweb.ne.jp
>毛利さん

農業が主要な食料生産手段にした時点から、食料の備蓄が可能になり、その結果、貧富の差が生じるようになり、身分の違いが発生していった、という話を聞いたことがあります。
食料の備蓄が可能になると、貧富の差ができる、というところが、ちょっとよくわからなくて、社会科の先生に聞かないといけませんが。トマスさんが詳しいんじゃないかな……。
身分の違いが出てくると、労働を搾取するということが発生します。
そうなると、単に「とにかく苦労した」だけではなく、「あいつらの食い扶持のために、自分たちは働かされている」という被害者意識が生まれます。
昔の人のほうが、今の人よりよかった、ということは言えないのではないかと思います。

まあ、しかし、私も最初学校の先生になった時は、あまりにも辛いことが多くて、「俺は罰を受けたんだ」と思っていました。自分がこんな仕事をしなければならないのは、罰なんだ」という気持ちは実体験としてわかるような気がします。

>トマスさん

エジプトでピラミッドなどを作っていたのは、奴隷ではなかったというのは、早稲田の吉村作治さんが随分前から言ってました。
特に、ああいう建築労働は、雇用創出の意味もあったんだそうですね。
ビール飲んで楽しくやってたみたいだ、という遺跡もあるそうですよ。

で、そうなると、困るのがモーセの物語ですよね。
これまではヘブライ人はエジプト人のもとで差別と奴隷労働によって痛めつけられていた、というのが出エジプト記の前提になっていますから。
そんなに苦しくなかったみたいだよ。じゃあ、なぜモーセたちはヤハウエ様と一緒に、あそこまでファラオと戦ったんだろう?
ということになるのですが……。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 毛利
2010/01/13 (Wed) 21:53:32
*.ocn.ne.jp
そうですね、搾取されるという仕組みが発生していたということが頭から抜け落ちていました。江戸時代でも、それが原因で一揆が起きていた訳ですから。

そういう搾取が、一応今の日本では無いであろうことを思えば、昔に比べて仕事をする環境は良くなったのかなと思います。

ピラミッドは奴隷が作ったのではない、という新説、これが正しいとすると、モーセの苦労は何だったのか、無理して長旅をしてきた理由は何だったのか、という辺り、不思議ですね。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス Home
2010/01/14 (Thu) 19:54:53
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>ピラミッド
吉村作治あたりが言ってましたか。そうかもしれないな。
雇用創出ということはアチコチから言われていたような気もします。そうなるとピラミッドもハコモノを作っていたわけで、現代の公共事業と変わらない気がしますね。エジプトの場合は、周辺からの流入人口(聖書に言うところの「寄留者」)も多かったでしょうから、雇用創出は治安上も重要政策だったかもしれませんね。そして治安政策という意味からは、厳しい労働の後にはビールぐらい配給しておかないとマズかったのかも。

場所は変わりますけど、大山陵古墳(仁徳陵古墳)を現代の技術で作ったら、日数、費用、労働者数、などなど全部でいくら必要か、マジメに計算したゼネコンがあるはずです。ピラミッドのはあるかな?

モーセに関しては、確かに考えないといけないかもしれないですね。でも、奴隷労働ではないにしても、けっこう大変だったんじゃないですかね。農業に比べるとやはり石が相手ですから、たとえばそれなりに命の危険があったとか。
一方で、エジプトから逃げ出した後になってイスラエルの民がモーセに向かって「エジプトでは肉鍋を食っていたのに」と文句を言うあたりはかえって説明しやすくなるのかもしれませんよ(苦笑)

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス Home
2010/01/14 (Thu) 20:21:52
*.aol.com
>備蓄、貧富、身分
私もその辺りはあんまり詳しくないんですけど、一応判ってる範囲で…。

狩猟採集経済に計画性がないとは言いませんが、やはり農業というのはいろんな意味で計画を立てて行う生業ですよね。つまり来年春に種をまいて夏に育てて来年秋に収穫することを前提に今年の秋の収穫の一部を取り分けて保存するわけです。それに地域と作物と農業のタイプによりますけど、土地だけではなくて水の管理もしなければならない。水路を作ったり維持したりしなきゃいけない。共同労働も必要になるでしょうし、経験の蓄積も狩猟採集経済よりもはるかに高度なものが要求される(牧畜も同じとは思いますが)。

そうするとやはり村のリーダーが必要になってくる。あるいは祭祀や祭司が必要になってくる。え~と、ここからはどうなるかな?ちょっと難しいです。

備蓄の方はですね、備蓄が可能なほどに生産力が上がってくると(生産余力が出来ると言ってもいいですが)生産に従事しないで飯を食う人間を養うことが出来るようになりますよね。そこで祭司やリーダーが専業化していくというのはあると思います。そのポジションが世代を超えて継承されるようになると身分になっていくのかな?

備蓄と貧富ですか。これは同じ村の中でのことにしろ、別の村との関わりにしろ、様々な条件の結果として(秋の収穫を)翌春の段階で種蒔きに必要な分プラスいくらか残せた人と、ギリギリの人と、種蒔きにすら不足する人とがいたら、そこで貧富の差が発生するような気がします。
その意味で農業の発生と食糧備蓄と貧富の差の発生は繋がっているような気はしますね。言い換えると、備蓄が全く出来ないような生産余力のない状態だと富める者が発生する余力もない、ということでしょうか。

説明になったかどうか、けっこうアヤシイですが。

そうか、備蓄が出来ると、手っ取り早く(あるいは食うに困って)それを奪おうとするヤカラも出てくるわけで、その辺が戦争の始まりなんですかね。戦争となると農業とは別の意味でリーダーの必要性が高まりますよね。戦争が専業化するのは随分と後になると思いますが。


ちょと追加しますけど、上のように考えるならば、貧富の差の最初の発生というのは多分に偶然の要素が大きかったような気がします。つまり、才能とか適性とか賢さとか体力とかではなかった、と。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 牧師 Home
2010/01/15 (Fri) 00:53:48
*.infoweb.ne.jp
うんうん、面白いですね、トマスさん。そういう解説を期待してました。

しかし、創世記1章からは大きくかけ離れてしまいましたね(笑)。
いや、別にいいんですよ。こんな調子でいきましょう。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス Home
2010/01/17 (Sun) 20:48:10
*.aol.com
創世記1章をにまつわる小ネタを。

この創世記冒頭部分というのは、アポロ8号のクルーが月軌道上から全世界に向かって読み上げた箇所として有名ですよね。たしか天地創造第2日の最後まで読んでいると思いますが。

でもって、後日これが問題になるのですよね。政府機関であるNASAに所属する宇宙船から聖書を読んでクリスマスを祝うメッセージを送るのは政教分離に反するというクレームが付きました。たしかにアメリカの納税者はキリスト教徒ばかりじゃないからなぁ。クルーはキリスト教徒だったはずですが。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス Home
2010/01/19 (Tue) 21:23:46
*.aol.com
>夕方から始まる1日
それ自体はさほど判りにくくないように思います。イスラム暦を見るとすごくハッキリすることですが、太陰暦というのはやはり新月が見えたかどうかで暦の上でも新月となるわけでして、そうすると毎月の1日の始まりも夕方からにした方が収まりがよいですよね。

日本の旧暦はどうなのかな?日の出と共に1日が始まるのかな?ちょっと調べてみないとわかりませんが、旧暦の場合は太陰太陽暦ですから、夕方から1日が始まる必要は無いように思います。

実は私が最初に引っ掛かっていたのは、「光あれ」の前に第1日が始まっているとしたら、闇が先にあったわけで、そうすると日没から1日が始まるのとは符合するのですが。
むしろ5節そのものですね。
と思って気になっていたのですが、この5節の書き方ってヘブル語特有の冗長表現とかいうヤツなんですかね。そう考えるとスジが通るのかな?

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - エレンタール
2010/01/22 (Fri) 22:29:30
*.ocn.ne.jp
>農業が主要な食料生産手段にした時点から、食料の備蓄が可能になり、その結果、貧富の差が生じるようになり、身分の違いが発生していった、という話を聞いたことがあります

狩猟採集でも、貧富の差がまったくないわけではないです。
特に豊かな環境で、獲物や果実の多いところだと、集団の人口も、収穫も多くなり、貧富の差や戦争が普通に出てきます。
無論、人間の社会が恒常的かつ大々的にそうなったのは農耕以後ですが。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 牧師 Home
2010/01/23 (Sat) 17:42:13
*.infoweb.ne.jp
なるほど、いずれにしろ、人間社会は不平等を生む宿命にあったということでしょうか。

授業の関係で、少し日本の神話を調べる機会があったのですが、現状の社会を追認し、権力者の都合を正当化するために神話は作られた、という印象を持ちました。
天皇による全国支配を正当化するために日本神話が作られた同様に、祭司階級による貧農支配を正当化するために創世記は書かれたのかな、という気がしてきました。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス Home
2010/01/24 (Sun) 15:39:10
*.aol.com
>狩猟採集経済
の場合に限りませんが、結局は生産力が人口増加の上限を決めているというのが(衛生関係の技術が発達する)近代よりも以前の姿ですね。譬えは悪いですが、都市部でカラスやハトが増えて困っているのは結局人間が出しているゴミがエサになっているからであって、カラスを減らしたかったら生ゴミを減らせ。というのと(動物学的には)同じレベルのことと言っていいでしょう。

>権力の正当化
支配を正当化するというのはあるでしょうね。というか、権力というものがある程度出来上がった段階で、権力の権威付けとして、つまり「おまえたちを支配している王家の歴史は古いんだぞ」と言いたいために神話が編纂されたということはあると思います。古事記の編纂は大和王権が確立した頃ですし、創世記も王国時代の編纂でしたよね。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - hotaro
2010/01/25 (Mon) 08:45:45
*.bbtec.net
創世記の伝承は、それまでの世界の諸神話の集大成とでもいえるものだ。混沌の周辺を神の霊が漂う、という描写を、気功の先生は、生命のエネルギーである「気」が万物の内外を廻る表現であるという。
長野県の野尻湖周辺には、日本列島が大陸と地続きだったころに、ナウマン象などといっしょに大陸から渡ってきた縄文時代人が住んでいた遺跡がある。あの一帯は、弥生時代まで、何度か陸地になったり海になったりしているから、古代人は、海が陸地になって、そこに動植物が上陸するさまを見ていたに違いない。そういう経験から、これらの伝承は生まれたものと思われる。こういう創世記の記事を読むと、キリスト教とイスラム教の争いなどは、もっとずっと後代の子孫のいがみ合いであることが感じられる。今年こそ、真の和解と平和を真剣に求めたい。今年も、よろしくお願いします。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 牧師 Home
2010/01/31 (Sun) 23:04:01
*.infoweb.ne.jp
まず神は天と地をつくった。それから光と闇を分けた。
最初から、二元論的な思考が持ち込まれていますね。
このあと、神は昼と夜を分け、天の上の水と下の水を分け、陸と海を分け、そこで様々な生物を作りますが、人間を男女に分けて作ります。
このような二元論的思考が、他にも何か波及効果を及ぼしているということはないでしょうか。

それから、こういう2種類の解釈を聴いたことがあります。
(1)神は光と闇の両方を最初から作られたのだから、光も闇も神は愛しておられるのである。
(2)神は「光あれ」としか言っていない。闇は光ができたことによって現われてしまう世界のマイナス部分である。したがって闇は神の創造の御意志から外れている。
しかし、いずれの解釈にしろ、「闇」についても神の創造に責任があることは間違いないですね。意図的にであれ、結果論であれ、闇が生まれる原因を作ったのは神だということになります。

「神の霊が動いていた」という時の「霊」は、みなさんご存知のとおり、「風」でもあり、「息」でもあります。ルーアッハという単語です。
深淵の表面をびゅうびゅう風が吹いていたというイメージです。
混沌の「周辺」ではありません。「面」というのは「顔」という意味の単語(ペネー)です。嵐というイメージです。
つまり、風が吹いて水が荒れていて、あらゆるものを呑み込んでしまう嵐の様子がメタファーとして用いられているのです。

あと、古代人が海が陸地になり、動植物が上陸する様を見ていた、というのは私には理解しにくいです。
そういう生命史的な出来事は、何万年、何億年とかかって起こっていったことでしょうから、それを目撃するというのは、かなり不可能に近かったでしょうし、歴史を事実のままに記録するという文化もなかったでしょうから、なおさらのことではないかと思います。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - 毛利
2010/02/01 (Mon) 08:06:43
*.ocn.ne.jp
> このような二元論的思考が、他にも何か波及効果を及ぼしているということはないでしょうか。

2次元という訳ではなくて、むしろ創世記における人類誕生のプロセスを通して思うことなのですが「まず明確な定義があって、その定義をベースに証明を開始する」という数学の手法が、数学の世界では当たり前のように展開されていますが、これは創世記の「まず○○があって、次に△△が出来て」という流れの基になっているのではないかと思うことがあります。こうした数学的な思考はヨーロッパから始まっています。

始点を明確にする、ということはとても大事なことだと思いますが、始点には触れずに「何となくなし崩し的に、暗黙の了解のような感じで話を進めていく」日本人が多いと思うのは(私の偏見かもしれません)日本人には「初めに始点がある」という発想が乏しいからではないかと思います。

こじつけかもしれません。

■Re: みんたた1月のテーマ:天地創造第1日 - トマス Home
2010/02/01 (Mon) 18:20:33
*.aol.com
>数学と創世記
数学(特に幾何学)は創世記に触れるより以前のギリシャで始まっていると思いますから、直接の関係はないと思いますから、むしろ両方に共通する起源を探した方が面白いかもしれませんね。とはいえ、数学と創世記というある意味で似たような思考回路を持つものが出会った後のヨーロッパというのがロジックに偏って進化していくというのは大いにあるでしょうねぇ。



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