みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2010年2月のテーマ: 「バベルの塔」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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■創世記 11章1~9節(新共同訳・旧約・p.13~14)

ノンクリさんのリクエスト(?)により、2010年2月のテーマは、創世記11章1~9節とします。

創世記11章1~9節(新共同訳)
1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。

2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。

4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
6 言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。

7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、そこから彼らを全地に散らされたからである。




以上、みなさん、どうぞたたいてください。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 牧師 Home
2010/02/02 (Tue) 01:20:14
*.infoweb.ne.jp

とりあえず、ノンクリさんの最初のコメントを、ここにコピペしておきますね。

*****

創世記でしたら、最近、個人的に興味あるのは11章のバベルの塔の話でして。ここ数年来の世界的なバブル景気とその崩壊、特にドバイの状況とその象徴ともいうべき世界一の高層ビル「ブルジュ・ハリファ」なんかをみるにつけ、あれは何かしらの史実を物語っているのではないか?と。ドバイも中東だし・・(強引?)

 
ドバイといえばリーマン・ショック以前は世界中の投機マネーが集まり、夢を求めて労働者が殺到した街ですが、リーマンショックとともにあっけなく、景気後退。支払いが滞り工事の止まった建設現場があちこち続出。

 
今年、1月4日に資金難から予定より1年以上も遅れて、世界一の超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」(高さ800m!)がオープンしたものの、当初予定の価格では入居者、買い手がつかず、すでに中国資本が当初予定の半値で買いあさっている、という有様。まさに、「バベルの塔」ならぬ「バブルの塔」。さらに、もしも資金難により手抜き工事、保守不足による劣化などがあったら、旧約の「バベルの塔」そのまんまになりかねないよなぁ。
 旧約聖書の時代にもこれに類する実話があったのかなぁ?なんて愚考したものでした。

*****

■バベルの塔 - 爽歌―Sayaka
2010/02/03 (Wed) 22:54:19
*.docomo.ne.jp
ここ読んでも…裁きしか感じないんですよね。
神を越えようとする人間への裁きと戒めでしょうか。
確かに人間には神を忘れ神を越えようとする奢りがありますので
こういう戒めは必要なんだと思います。


北海教区は社会派の教会が大多数ですので
バベルの塔の物語をひいて多様性の豊さをとく説教をする牧師もいらっしゃいますが
なんか無理な解釈かもしれません。

結論には賛成ですが。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 牧師 Home
2010/02/03 (Wed) 23:30:25
*.infoweb.ne.jp
ぼくはここを読むと、建築と権力の関係といったものを連想します。
以前、会社勤めをしていたとき、主にお客さんが建築関係だったので、誰が本当にお金と権力を持っているのか、ということをよく考えたんです。


歴史をさかのぼっても、古墳を作った人たちとか、都の整備とか、寺院の建築とか、城を築くとか、高層ビルとか、権力を持つ人たちは、その権力の象徴として規模の大きな建築物を作りますよね。逆にその建築物を見れば、その時代に誰が力を持っていたかがわかります。

よくバベルの塔の「バベル」というのは「バビロン」つまり、紀元前6世紀の新バビロニア帝国のことを指しているのだ、と解釈され、それによって、バビロニアで当時最大の建築であったジグラット(またはジッグラト)という巨大神殿をモデルにしているのだ、と言われます。
もしその解釈が当たっているとしたら、バビロン捕囚で連れて行かれたユダヤ人たちが、異教の神の神殿、それも天に少しでも近づくようにと建てられた当時としては高層の建築物の建設労働にかり出されて、苦痛と屈辱をなめた記憶の反映という風にも読めますね。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 毛利
2010/02/05 (Fri) 00:04:11
*.ocn.ne.jp
もしその解釈が当たっているとしたら、バビロン捕囚で連れて行かれたユダヤ人たちが、異教の神の神殿、それも天に少しでも近づくようにと建てられた当時としては高層の建築物の建設労働にかり出されて、苦痛と屈辱をなめた記憶の反映という風にも読めますね。


うーーん、ちょっと混乱してきました。バビロン捕囚で連れていかれたユダヤ人がバビロニア帝国の為に働かされた、で、その時の苦しみをベースにバベルの塔の話が登場した、ということでしょうか。だとすると、どうして「ユダヤ人達」が様々な言葉を話すようになって、言わば神から処罰されたと言う話になるのでしょう・・・。

それとも、様々な言葉を話すようになったのはユダヤ人ではなくて、他の人達のことを指していますか?

何か、私は、重要な手がかりを読み落としている感じがしていますね・・・。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 牧師 Home
2010/02/05 (Fri) 01:23:26
*.infoweb.ne.jp
完全に自信がある意見ではないのですが、少なくともこの物語は、ユダヤ人が罰せられたという物語とは限らないのではないかと思います。

ただ、世界を同一の言語で統一しようとしてた帝国を、神が阻止して多言語にしてしまったという物語を通して、神は、人が同じ言語を話し、神に達しようとすることを望んではおられないのだ、ということが言いたかったのではないか、と。

イスラエルの北王国を滅ぼしたアッシリア(だったかな(笑))と、南王国を滅ぼしたバビロニアでは、イスラエル人に対する扱いが違っていたといいます。
先に滅ぼされた北の人びとは、異民族と強制的に婚姻させられて、民族のアイデンティティを失ってしまったようなんです(それが後にサマリア人となる)。でも、南のユダ人(ユダヤ人)たちは、もちろんバビロニアの政策による幸運もあったのかも知れませんが、ユダヤ人としてのアイデンティティは保ち続けるんです。
彼らは「神殿」という、それまでの彼らの宗教的/民族的アイデンティティの「場所としての」よりどころ(トポスって言うんですかね?)は失ってしまう。そこで、「持ち歩ける神殿」としての「聖書」という方法を編み出してゆくんです。
そして、自分たちの神話、律法、そして何よりそれらを形成してる言語を保存してゆくことで、アイデンティティを保っていった。
それが、後世にいたるまで、固有の国家を失っても彼らが民族的アイデンティティを失わずに保った理由だ、ということらしいのです。


そういうことと、これまでの歴史の中で、征服者が先住民を支配する際に、言葉を奪う、少なくとも征服者の言語を強制するという方法をとったことが多かったのではないかと考えると、このバベルの塔(バビロンの塔)の物語における、言語の問題を読み解く鍵があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - トマス Home
2010/02/05 (Fri) 20:22:48
*.aol.com
>ユダヤ民族が処罰された

と読む必要は無いと思いますねぇ。

>様々な言葉を話すようになったのは他の人達

こっちの方が無理がないと思いますね。つまり、ジグラットの建設という記憶が底辺にあるとしたら、むしろバーラルされることによって支配者たちがヘブル語を理解出来無くされた、という事になるような気がします。

もっともそれを言い出せば、ジグラットの建設時にはすでに様々な言語に分かれているのを征服者の言語でコキ使ったわけですから、私はこの物語というのはシンプルに考えていいと思いますねぇ。つまり世界は多言語である、という事柄についての単純な原因譚と見ていいような気がするのですが、違うかなぁ。


>これまでの歴史の中で…
それはアリだと思いますね。

すぐ上で単純な原因譚といっておきながらナニですが、そういう方向でなら読み込む甲斐があるだろうなぁ。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 毛利
2010/02/05 (Fri) 23:53:36
*.ocn.ne.jp
歴史的なことが疎いのですが、イスラエルが南北に分裂したのはソロモンの後ではなかったでしたっけ?

創世記の一部に含まれている話が、そんな先のことを述べていた、と言うかソロモン時代の物語を創世記に挿入する、なんてことがあるのかなと思いましたが、もしかしてイスラエルは何度も分裂しているのでしたっけ?

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - ノンクリ
2010/02/06 (Sat) 09:00:27
*.dion.ne.jp
言いだしっぺのくせになんですが、私、このエピソードって、神が人間の調子コキに制裁をってことと、言葉が国、民族によって違うって本当に不便だよね~、程度の至って通俗的な解釈しかできなかったです。皆さん、よくいろいろと思考の幅が広げられるものだ、と感心する次第です。

 
私が印象的なのは(新共同訳が正しければ)、あの時代、すでにアスファルトとかレンガなんてあったんですね、ってことと、4節の「さあ、天まで届く塔のある街を建て、有名になろう・・」のフレーズ。

 
実は父が仕事で中東方面に関わったことがあるのですが、あちらの(といってもいろいろな国がありますが)人々って「世界一」とか「世界初」のフレーズが大好きなんですよね。実際、バブル景気であぶく銭を手にすると、早速、「世界一」の高層ビルを建てだしましたし・・。そのメンタリティってこの時代からあったんかな?と思う次第。

 
もっとも、私の場合、「バベルの塔」と聞いて思い出すのは横山光輝氏のマンガ・アニメの「バビル二世」だったりするんですが。今でもこの個所を読むと「す~なの嵐にかくさ~れた~」の主題歌のフレーズとかロデム、ロプロス、ポセイドンを思い出したり、目に浮かんできたりします。
 
 
すみません、全然、話に入ってなくて・・。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 牧師 Home
2010/02/06 (Sat) 11:56:14
*.infoweb.ne.jp
>毛利さん


創世記に収められている物語は、設定としては天地の始まりとされていますけれども、その物語が編集され、書物としての形を取り出したのは、バビロン捕囚の頃以降です。

たとえば、古事記や日本書紀などの日本神話も、天地創造的な物語が収められていますが、書物として完成したのは8世紀ごろですよね。
物語自体は5~6世紀ごろできあがってきたようです。
それは、その頃の社会状況が(あるいは支配者が)、そのような物語で人々を教化する必要があったから、そのような物語が作られた、ということなのだと思います。



>ノンクリさん


いやー、なつかしいです。「バビル2世」
私も今でも主題歌が頭に浮かびます。
でも、今の生徒には全然通じないので、話題にはしていませんが。通じる世代があるというのが、うれしいですよね。


国、民族によって、言葉が違うって不便だよねー、という疑問が基本にあって、こういう物語が作られているんだと思うんです。
たとえば子どもなんかが、「なんで世界中が日本語使ってないのん? 不便やわあ」とよく言います。

でも、そういう発想で日本だって他民族に日本語を強制してきた歴史があるわけじゃないですか。
そういう疑問に対して、世の中の現実を踏まえながら、でも子どもにでもわかるように伝えようとした結果、こういう物語ができてきたんじゃないかな、と思うんですが、いかがでしょうか。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - れお
2010/02/06 (Sat) 12:30:12
*.home.ne.jp
最近ご無沙汰してます。
トマスさんの

>つまり世界は多言語である、という事柄についての単純な原因譚と見ていいような気がするのですが、違うかなぁ。

に共感でして、この箇所読んでてあれこれ出てこなくって…。


あと、ここを読んでて何気なく思い出したことは、寺田寅彦の「天災と国防」に書いてあったことでした。ぼーんやりと似てるな~と思ったまでですけどね。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - ノンクリ
2010/02/06 (Sat) 13:10:09
*.dion.ne.jp
あと、最近のトヨタ自動車のアクセルペダルの不具合、急発進をめぐる大規模リコール騒ぎを思い出しますね、バベルの塔の話を聞くと。
 
世界一の自動車メーカーにのし上がった、と思ったら、この有様、それも、アクセルペダルの欠陥なんて、クルマとしてもっとも基本的な部分でコケるのですから・・。
 
 ミスは致し方ないにしても、それを率直に、早めに報告・公表せず、対応が後手後手で傷を広げているのが、またなんとも・・。

 
かくいう私も、一応工事業の端くれ、慢心(慣れによる油断や思いあがり)による災いには十分注意しなくてはならない立場です。高所作業なんかもあるし・・。
 
あと、こういった現場での安全で重要なのは、作業員、関係者同士の声の掛け合いですが、言葉の問題があったり、コミュニケーションが不十分だったりしますと、それができず、やはり問題で、それは旧約時代の建設現場でも同じなんですね、当たり前ですけど。

 
建設、工事業界は神棚を祭ってある場合が多く、安全祈願は神道頼りですが、こうしてみると、キリスト教(ユダヤ、イスラムも)も結構、建設、工事、製造業向きの、安全訓話に類するお話があるものですね。
 
なんといっても、イエスの「前職」も工事・建設業者だし・・・。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - トマス Home
2010/02/06 (Sat) 16:45:50
*.aol.com
>横山光輝の「バビル二世」
私もその世代…。実家の本棚を掻き回したら今でも出てくるんじゃないかなぁ。


>アスファルトとレンガ

ウロ覚えなんですけど、アスファルトとレンガというのはバビロニアの建材だそうで、パレスチナでは石が主な建材らしいですね。漆喰もそうなのかな。そういう意味では、この物語はバビロニアでの民族的な記憶をなにがしか反映している可能性はやはりあるのでしょうね。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 毛利
2010/02/07 (Sun) 00:29:29
*.ocn.ne.jp
>創世記に収められている物語は、設定としては天地の始まりとされていますけれども、その物語が編集され、書物としての形を取り出したのは、バビロン捕囚の頃以降です。


なるほど、ならば納得です。初期の頃の聖書は創世記と出エジプトだけしかなかったのかと思っていたもので。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 牧師 Home
2010/02/07 (Sun) 21:05:22
*.infoweb.ne.jp
なるほどねえ……

バベルの塔も、安全訓話として読めない事もないんですねえ。
だから言葉は大事なんだぞ、コミュニケーションが大事なんだ、みたいな。
なるほど……

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - hotaro
2010/02/08 (Mon) 22:00:44
*.bbtec.net
「バベルの塔」で、私が思い起こすのは、何といっても 9・11事件です.世界貿易センターの超高層を含む 3棟のビルが灰塵と化しましたし、あらゆる言葉が通用しなくなって、むき出しの敵意と戦争が、今も続いています。創世記は、本当にリアルな物語だと思います。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 牧師 Home
2010/02/25 (Thu) 10:50:24
203.140.72.82
しばらく2月テーマのみんたたが放置されておりました。
まあ、もうすぐ月末なんで、そろそろ次のテーマを選びたいですし、2月分も一応締めにかかろうかな、と……。


で、バベルの塔のお話ですが、これを使徒言行録(使徒のはたらき)のペンテコステの出来事と結びつけて、神による歴史の転換としてのメッセージを読み取る向きもあるようです。

つまり、かつて昔、人間に対する罰あるいは戒めとして言語をバラバラにした神が、キリスト以後、その福音を全ての言語に広げるという祝福を与えたのだ、というメッセージなんですね。


「なるほど!」と素直に喜べないのが三十番地流なんですが(笑)、それにしてもなかなか面白いと思うんです。
というのは、たとえばイスラームでは、アラビア語原典のクルアーンは、最初の原本と一点一画も狂いがなく、しかも、アラビア語以外の翻訳はクルアーンであるとは認めないんです。
もちろん、各国語に訳されたクルアーンはあるのですが、それはクルアーンについての解釈の書に過ぎないのであって、それは本物のクルアーンに劣る、というわけです。
ところが、キリスト教の場合、聖書そのものの中に、こうして多言語に訳された福音という概念が出てくるわけです。
これはムスリムから観ると、非常におかしくて、いいかげんな宗教に映るらしいです。
でも、キリスト教の立場では、翻訳されても福音の本質は変わらないということになるのです。
それで、例えば世界聖書協会とかいろんな団体が、「今度○○訳の聖書が出た!」「今度、○○族に○万冊の聖書が寄贈された!」とかやって喜んでいるわけです。
キリスト者が「一言一句、あやまりなき神の言葉」と言うのは、実は本当の意味での文字通りの一言一句ではなく、本当は一言一句を超越した概念でないといけないんですが、そのあたりになると、もう言葉の使い方がごっちゃになってしまって、クリスチャンどうしでも話が通じなくなったりするのです。


そして、たとえ言語が同じでも、一致できるもんじゃないんだね……というオチが、バベルの塔の話につけられてしまうのですが、いかがでしょうか?

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - トマス Home
2010/02/25 (Thu) 13:03:22
*.aol.com
>ペンテコステの出来事と結びつけて

私もそれやりました。私が面白いな、と思うのは、その時に人々が弟子達のアラム後を理解した、のではなく、弟子達の話す言葉が人々の言語になって聞こえた、という部分ですね。単純に考えれば、バベルの塔が多言語の原因譚であることを引きずっているだけ、多言語という現実を前に諦めているだけなのかもしれないのですけど、しかしやはり私には人々の言語になって聞こえたという部分に何某かのメッセージ性を感じます。とはいえ、ペンテコステは神の手による翻訳だったんだろうけど、言語の壁はどこまで乗り越えられたのでしょうねぇ。疑問は残ります。

クルアーンの場合は翻訳の難しさということを重視しているのでしょうか。ところで、クルアーンの場合は原本があるのでしたっけ?微妙に違う写本なんてのは無いのかな?野次馬的興味です。語録の結集・編纂にはそれなりの時間が掛かっていましたよね。


>言語が同じでも
そこが言葉というものの難しいところなのかもしれませんね。自然言語というものが幾何学のように厳密に定義して積み上げるものではないだけに、同じ単語を喋っていても意味が違う。定義が違う。ニュアンスが違う。
大きな落とし穴だと思います。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - トマス Home
2010/02/27 (Sat) 15:38:27
*.aol.com
明日で今月も終わりだし、とりあえずもう一度トップに上げておきますね。

ヨセフスなんかはこの物語をどう書いてましたかね。私たちがいつも見ている聖書とはまた少し違う物語になっているのかな?ヨセフスの『ユダヤ古代史』はそういう面白さが有りますよね。ちょっと今は見る余裕無いです。誰か読んでコメントしてくれたら…(なんという他人任せ)



>クルアーン
考えてみたら、ユダヤ教も(キリスト教の言う旧約)聖書はヘブル語のまま使っていますよね。キリスト教も長らくラテン語限定だったし。あ、いや、キリスト教の場合はギリシャ語じゃなくてラテン語限定になった段階でまたちょっと話が違うのかもしれないな。
とにかく、原本の言葉のままでなく翻訳することを基本に据えるというのは同じ神を礼拝しているはずの3宗教の中では(現代)キリスト教の特徴かもしれませんね。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - 丸福
2010/02/27 (Sat) 18:05:21
*.home.ne.jp
こんにちは。丸福です。

あまりフレンドリーでなく,いきなり登場したので
こいつ何者?と警戒されたかもしれませんが
怪しい者ではありません。(というやつが一番怪しかったりするものですが…)


私は,引越しに伴い,日本基督教団,南部バプテスト,
長老派,同盟キリスト教団などなどを渡り歩きました。

今は,とある単立の教会に通っていますが
キリスト教には少し心理的に距離を置きつつあります。


三十番地キリスト教会は,そんな私でも
ほっとできる場で,こういうコミュニティーがあるのは
ありがたいことだなあと思っています。

みんたたは難易度が高いので,なかなか参加できずに
いますが,みなさまのお話を読むのをこれからも
楽しみにしています。どうぞよろしくお願いします。

■Re: みんたた2月「バベルの塔」 - ノンクリ
2010/02/27 (Sat) 20:20:12
*.dion.ne.jp
>たとえばイスラームでは、アラビア語原典のクルアーンは、最初の原本と一点一画も狂いがなく、しかも、アラビア語以外の翻訳はクルアーンであるとは認めないんです

 
翻訳をめぐって論争、トラブルが絶えないキリスト教を反面教師にしたんでしょうね、多分。まあ、キリスト教より数百年後に興った宗教ですので、時代が新しい分「近代化」「合理化」されてる面はありますね。
 
 
実際、中世はイスラム文化圏がいろいろな意味で世界の最先進国で、ローマ・ギリシャ文明の遺産を保持しその研究が盛んだったのもイスラム圏でしたし。

 
で、話が脇道にそれますが、キリスト教世界で原理主義、ファンダメンタリズム、というと進化論論争が典型的な例であるように、一般的には聖書を「字句通り」に解釈すること、ですが、イスラム圏の「原理主義」とか「過激派」といえば「古き良きイスラムの時代をもう一度」といった類のものらしいですね。


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