みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2010年5月のテーマ: 「神の愚かさは人よりも賢い」

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■コリントの信徒への手紙(一) 1章22~25節(新共同訳・新約・p.300)

皆様、たいへん遅くなり、もうしわけありません。5月のみんたたは、入谷さんのリクエストにより、コリントの信徒への手紙(1)1章22~25節を課題聖句といたします。
以下、新共同訳で日本語本文を書いてみます。

***********************************************

コリントの信徒への手紙(一)1章22~25節

22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
24 ユダヤ人であろうとがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

***********************************************

以上です。どうぞみなさん、叩いてください。
みなさん、イいてください。

■Re: 5月のみんたた - 入谷
2010/05/08 (Sat) 18:19:16
言いだしっぺの私ですが、早くも、22 - 25 節だけでは少々舌足らずだったかと反省しております。18 - 21 節を補足すると
<quote>
18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする。」
20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
</quote>
となっています。

この荘重で持って回った文章 (ギリシア語原文の響きがどうなのかは知りませんが) を読んで、わけがわからないままに、カッコいいと感じたのが 21 歳の私 (16 歳の云々は間違い、あの時点ではまるで歯が立ちませんでした)。

「要してみれば、「俺様のいっていることは、お悧巧さんのあんたがたには馬鹿みたいにきこえるだろうが、それはあんたがたが選ばれていないからだよ」といっているだけぢぁあねえか、お前こそ一人よがりの勝手なことを吹いてんぢぁあねえぞ」と毒づいているのが今の私、ということになります。

それにしても、パウロ書簡は私にはすこぶる難解です。わからないのは私の頭が悪いせいだと信じていたのですが、田川建三さんの「新約聖書・訳と註」3, 4 巻を読んで、支離滅裂なことをいっている箇所も散見されるらしい、教祖のいうことをあまり「糞」真面目に受け取るべきではないなと気づかされました。

キリスト教のメインストリームの一つだと思うのですが、クリスティアンの方々があれらの文章 (たとえば、コリント前書 14, 34 - 36 の問題発言) をどう料理しているのかきいてみたいところです。

■Re: 5月のみんたた - maimai
2010/05/10 (Mon) 15:01:51
> 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
こんなことあっさり断言されても困ります。パウロさんって、しばしば根拠も論証もなしに、重要な事をいいっ放すから…( 使徒の権威ってものなのかしらん )
「神の愚かさはいかなる人よりも愚か」かもしれないじゃないですか…

> そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
宣教がなぜ「愚かな」手段なのかはわからないですが、少なくとも、「一見愚かなことをやっているように見えるわたし(パウロ)は、神の命によってやってる立派な人間なんだぞ~、(もっとましな手段を思いつかなかったからやってる愚昧な人間じゃないんだぞ)」とパウロさんはいいたいらしい、と感じました。

■Re: 5月のみんたた - 入谷
2010/05/11 (Tue) 20:20:53
「不合理故に我信ず」の世界、倒錯の極地がパウロの世界かと。

パウロは変態さんです。まっとうなクリスティアンさんもまたそれなりに変態です。

私はといえば、予定調和を信じているコンフォルミストよりも、変態さんの方に共感を覚えます。

■Re: 5月のみんたた - にじは
2010/05/13 (Thu) 20:03:08
以前この掲示板でおすすめ?だった阿刀田高さんの「旧約・新約聖書を知っていますか」を読んでいます。

パウロさん変態とか言われちゃってますが(分かる気もしますけど・・)この本で阿刀田さんは
「パウロがいなかったら(12使徒だけだったら)ここまでキリスト教は広まっただろうか」
みたいな事が書かれていてそれもそうだな、とも思います。

確かに「熱い男」って感じで暴走気味ではありますが、彼も「ちょっと言い過ぎたかな?」みたいな時も
あったのかもしれませんし(手紙も2000年も読み継がれると分かっていたら言葉を選んでいたかも)

もし、12使徒がみんなパウロみたいなタイプそれはそれで...?
イエス様は「布教」と言う目的で弟子を選ばなかったんですね。

■Re: 5月のみんたた - 牧師 Home
2010/05/14 (Fri) 16:12:54
何が変態で、何がまっとうというのは、一面的には言い切る事はできないですし、ぼくも、別のあるメーリングリストで「健全なクリスチャン」なんて発言を不用意にしてしまって、叩かれたこともありますが、確かに論理的には倒錯してますよね。

ぼくは実はパウロのことをあまり知りませんが、愚かさの賢さ、賢さの愚かさというのは、キリストの十字架において言えるのではないかと思います。
パウロ自身も十字架について熱っぽく語っているところがありますが、十字架の死こそが愚かさの極地でありながら、そこに救いの秘密が隠れている、そこに神の知恵があるということと重なっているのではないかと思います。

■Re: 5月のみんたた - トマス Home
2010/05/18 (Tue) 15:31:45
阿刀田高をススメたのはわたしかも。

>確かに「熱い男」って感じで暴走気味ではありますが、彼も「ちょっと言い過ぎたかな?」みたいな時もあったのかもしれませんし(手紙も2000年も読み継がれると分かっていたら言葉を選んでいたかも)

それは大いにあると思います。
パウロにせよ、その他の弟子達にせよ、自分たちが生きている間にイエスの再臨があると思っていたみたいですから、そうすると彼らの知りもしない国の言葉で2000年後に読まれているなんて考えてなかったでしょうね。そう思いながら新約聖書を読むとけっこう面白いですね。

阿刀田も書いていましたけど、結局手紙というのは当事者以外には脈絡がよく判らない部分があるわけで、そういう意味では2000年後に読んでスッキリ判るというのは無理があるのでしょうねぇ。

■Re: 5月のみんたた - にじは
2010/05/18 (Tue) 20:27:11
>手紙というのは当事者以外には脈絡がよく判らない部分がある
パウロの書いた返事の手紙は聖書に残っていますがどんな手紙に対しての返事かは
想像するしかないですもんね。スッキリしないのは当然なのかもしれません。

そしてこの間から気になっているのは「イエス様はなぜあの12人を選んだのか」
イエス様を信じ、信仰を深めそうだったから?心が清い人だったから?
徴税人とか漁師とか、あまり良いとされてない職業の人達なので選んでくれたのか。
それともより悔い改める必要が大いにある人達だったのか...?
聖書ってついあれこれ想像が膨らんでしまうことろがまた楽しいですよね。

■Re: 5月のみんたた - トマス Home
2010/05/18 (Tue) 23:48:01
>聖書ってついあれこれ想像が膨らんでしまうところがまた楽しい

おおいに同感です。
ホントそうですよ。
だからこそ味わいがあるのでしょうね。

パウロの手紙は返信とは限らないかな。具体的な質問状に対する返信は確かに多いように思いますが、風の噂に聞いたけどどういうことだ!!みたいな手紙(部分)もあるような気がします。どちらにしても、パウロの一言が直球なのか変化球なのか、それで意味合いが変わる部分も多いと思いますけど、わかんないですよねぇ。

■Re: 5月のみんたた - にじは
2010/05/20 (Thu) 21:23:55
>だからこそ味わいがある
ぴったりな言い方ですね。

聖書に書かれている事を素直に読み、信仰としていくのはもちろん大切とは思うのですが、「イチジク枯らしたのってもしかして...」(これはいつかみんたたで解説して欲しいくらいです)とか「7の70倍赦しなさいと言いつつ律法学者には手厳しいな」とか下世話な事も考えてしまうから私はあの厚い本を楽しく読み進められるのです。
トマスさんお勧めの阿刀田さんの本のおかげで旧約の苦手意識もなくなりました。

でも、通っている教会の人とはそんな話は出来ない雰囲気。
だからこそ私は三十番地教会に吸い寄せられた?のかもしれません。

■Re: 5月のみんたた - 入谷
2010/05/21 (Fri) 19:45:52
パウロの眼鏡を通してみると、新約聖書が観念で組み立てられた骸骨みたいにみえてくる、というのが私の経験です。

「聖書」を「聖なる書」として読み始めるわけです。

イエスがその血で人類の罪を購うといふ機能を担つたシンボルにしか見えなれば、十字架上の死も、象徴的な出来事に過ぎず、生身の人間の陰惨極まりない死とは感じられなくなります。

ヘボい脚本を演じている三文役者にまでイエス像を痩せさせたという点を、パウロ教の信者さんはどう考えているのでしょうか (この ichurch.me では、どうもパウロは受けないようなので、多分場違いな質問なのでしょうね、これは)。

単に、私に文学的想像力が欠けているだけなのでしょうか。

■Re: 5月のみんたた - トマス Home
2010/05/21 (Fri) 20:46:14
入谷さん、この部分がちょっと判りにくいです。もう少し前後をお話しいただけますでしょうか。よろしく。

>ヘボい脚本を演じている三文役者にまでイエス像を痩せさせたという点

■三十番地でパウロは受けないか - 牧師 Home
2010/05/21 (Fri) 22:12:40
いやー、入谷さん、痛い所を突かれますなあ。

そうですね、話題がイエスに集中しすぎてしまう傾向があります。
本当はぼくもパウロの話もしたいのですが、共観福音書よりはパウロの書簡は正直言って読み込めてないです。
でも、少しずつでも学んで行かなくては、と思っています。
「受けない」というより、現在はそうかも知れませんが、これからの可能性があるという風に、未来形で受けとめていただけるとありがたいです。

■Re: Re: 5月のみんたた - et Home
2010/05/22 (Sat) 19:31:47
もし、パウロがいなかって、ローマ書もガラテヤ書もなかったら新約聖書はもっと薄っぺらだったろうし、おそらくキリスト教自体現在まで残っていなかったと思います。残っているとしても、非常に戒律の厳しい律法的な宗教であったろうと推測します。もし、ガラテヤ書がなければルターの宗教改革もなかったはずですから。

■Re: 5月のみんたた - ノンクリ
2010/05/22 (Sat) 20:29:51
 キリスト教会からすれば、イエス以上に「功績」のあった人物ですよね。彼がいなければ、ユダヤ教の単なる一分派で終わったでしょうし。

 パウロというのはイエスとは直接面識がない、イエスを初代、開祖とすればいわば「三代目」的な存在ですが、彼の時代に「世界宗教」「大宗教」への道が拓かれたのは、自分としては興味深いです。 

 例えとして適切なのかどうか?って気はしますが、日本最大の某ヤクザ組織が、組織を大きくしたのは「三代目」組長の時代ですし、これまた、日本政治に少なからぬ影響力を持つ某仏教系団体が急速に拡大したのも「三代目会長」の時代ですし、それと共通してるのかな?と勝手に考えたりも・・。

■Re: もう少し前後をお話しいただけますでしょうか - 入谷
2010/05/23 (Sun) 07:00:22
こんなもので、トマスさんへのこたえなっているか自信はありませんが。

福音書を、旧約聖書の預言を充足しておくための様々な前史があって、キリストの磔刑と復活というクライマックスへと突き進んでいく物語、というような読み方をしていた自分への反省があります。

これではイエスとその同伴者が、都合がいいところだけをつまみ食いした旧約預言の操り人形にまで縮退してしまって、ちょっと可哀そうだったかな、という反省もあります。

そういう一面的な読み方しかできなかったのは自分自身の想像力の貧困が原因だとは、重々承知しておりますが、その責任の一半はパウロさんの教説にもある (cf.
<quote>
それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。 (コリント後書 5, 16)
</quote><quote>
必要なことはただ一つだけである。(ルカ 10, 42)
</quote><quote>
この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。 (ローマ書 1, 2 - 4)
</quote>
) と、八つ当たりしているわけです。

■Re: 5月のみんたた - 牧師 Home
2010/05/23 (Sun) 17:21:52
イエスの十字架の死を、単なる贖いのシンボルに過ぎない受けとめ方をすれば、あの陰惨な死を骨抜きにしてしまう、というお話があったと思いますが、それは確かにそうだと思います。

実際、「わたしたちの罪のために十字架につけられー、死にて葬られ―、三日目に死人のうちより蘇りー」みたいな、痛みも血しぶきもない観念化された十字架のイメージでしか信仰をとらえていない人もたくさんいると思います。

でも、パウロの「肉によって知る事はすまい」というのは、リアルな人間イエスの生と死には、俺は関心は無いよ、という意味なんでしょうか。
もちろん、パウロは生前のイエスと顔見知りではなかったかも知れませんが、ガマリエルの弟子としてエルサレムに以前から在住していて、イエスの言動を見聞きはしていた可能性はあったでしょうし、ということは十字架の死を目撃した可能性もあったでしょう。

また、それが彼にとって経験としては遠い事件であったとしても、ステファノを始めとするイエス信者に対する弾圧、逮捕、拷問、殺害というのは、彼自身当事者であったわけですし、自分の赦しを祈りながら死んでゆくキリスト者の姿は彼にとってはたいへんリアルだったのではないでしょうか。

だから、彼が「肉のイエス」に拘泥しないというのは、イエスを観念化する、というのとは違っていたのではないかと思います。

■Re: 三代目 - トマス Home
2010/05/23 (Sun) 20:14:13
日本のことわざには「売家と唐様で書く三代目」なんてのもあったように思いますから、三代目で拡大するとは限らないでしょうけど、拡大するにせよ、没落するにせよ、三代目というのがカリスマ的初代の影響を抜け出した後にどうなるかということの一つの分岐点になる頃合いなのかもしれませんね。

■Re: 5月のみんたた - トマス Home
2010/05/23 (Sun) 20:18:36
>入谷さん

たぶん通じたと思います。
御自身のパウロ理解に引きずられて福音書の物語に描かれたイエスを三文役者のように見てしまっておられた時期があるということですね。間違ってたらご指摘下さい。
ご説明ありがとうございます。

■Re: 5月のみんたた - 入谷
2010/06/01 (Tue) 19:15:00
6 月になってしまいましたが。

田川建三さんは、コリント後書 5, 10 に付された注で次のようにパウロを評しています。
<quote>
...どうしてあれだけ強くいはゆる信仰義認を説いてきたパウロが一方ではこういうことを平気で言えるのか。
...ひとことで言えば、あまりに当り前なことではあるが、人間は救済信仰を信じたとて、それだけで生きることはできず、此の世の現実を生きることから逃げ出すわけにはいかない、ということだ。逃げ出せないから、何らかの仕方で此の世の現実の中での生き方を考えざるをえない。しかし、自分では此の世の現実を超越した気でいるから、逆に、まともに此の世の現実と向かい合うこともできない。その結果、自分がこれまで無自覚に信じ込んできた月並みにちやちな因習にしがみつくのである。
</quote>

この指摘がパウロという男の真相を穿っているか、あるいは、的を外しているか、各人が己のパウロ像に照らして判断するしかありません。ただ、理念に淫したある種の人間の特徴をうまく浮き彫りにしているように思われます。

政治的前衛であったのかもしれないけれど、徳田球一は家父長としての権威と権力でもって日本共産党を支配したし、レーニンがこしらえあげた共産党一党独裁はツァーリの支配体制に範をとったものでした。

この文章を読んだとき、私自身のことを指摘されているような気がして、ドキッとしたことを覚えています。私は自分にかたどってパウロを創造しているだけということになるんですかね。


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