みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2011年4月のテーマ: 「多くの部分、一つの体」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
日本聖書協会の認可を受けています。

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コリントの信徒への手紙(一)12章12~13節

4月のみんたたは、ノンクリさんのリクエストにより、第1コリント12章12〜31節といたします。
例によって、下記に新共同訳の日本語テクストを提示します。

*****************************

コリントの信徒への手紙(一)12章12〜31節

12 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。
13 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
14 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
15 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
16 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
17 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか、もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
18 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
19 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
20 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
21 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
22 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
23 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
24 見栄えのよい部分には、そうする必要がありません。神は見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
25 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
26 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
27 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
28 神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
29 皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。
30 皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。
31 あなたがたは、もっと大きな賜物を受ける熱心に努めなさい。

*****************************

以上です。とても大切なメッセージ、テーマが語られているように感じます。
どうぞみなさん叩いてください。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - et
2011/04/02 (Sat) 21:04:29
28節の預言者って、現代の教会で言うと誰のことでしょうね?
三番目の教師が、現代で言う牧師のことでしょうから、現代の教会には見当たらないですね。
それと、当時の教会では、異言を語る人と解き明かす人が、セットでいたのですね。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - ノンクリ
2011/04/03 (Sun) 13:11:15
 単なる道徳論ではなく、パウロのそれまでの人生経験、苦労からにじみ出た、悟り、教訓だと思いますね。
 どうも、文章が下手でうまく説明できないのですが、彼自身、人を裏切ったり裏切られたりしたし、迫害に見舞われたかと思えば、思わぬ人々の善意に救われることもあった。
 パウロ自身、「俺は何をやっているのだろう?」とか「自分のやっていることは本当にこの世で意義があるのだろうか?」と、思ったり悩んだりした時期もあった。
 「キリスト教」の事実上の創設者として、教会の組織づくりにも奔走し、いろいろと苦労もしたでしょう。
 組織も大きくなると、仕事も複雑になってくるし、内部での対立だっておきてくる、真面目な奴もいれば、一癖も二癖もある奴もいる・・・。
 一種の「社長」として、そんな教団員たちをいかに適材適所でうまく活用していくのか?頭を悩ませたこともあったでしょう。
 そんな彼の人生上の紆余曲折、長年の伝道活動から、悟るに至った結論、なのかも?と思ってます。もちろん、個人的な勝手な解釈ですが・・・。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - トマス
2011/04/04 (Mon) 17:15:31
ノンクリさんの解釈におおむね同感です。 
付け加えるとしたら、  
>教会の組織づくりにも奔走し、いろいろと苦労もしたでしょう  
元来はパウロは傍流ですからね。 元々はどうしてもイエスの直弟子を懐いたエルサレム教会が主流だったわけで、そういうところから始めたパウロの苦労というのは並々ならぬモノがあったのではないか、と思います。 

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - tomita@iChurch.me
2011/04/06 (Wed) 21:19:33
素晴らしい言葉ですよね。
みんなが同じだったら、組織や社会はかえってうまくいかないんだ。
自分と違うからといって排除してはいけないんだ。
そして、弱く見える部分がかえって必要なんだ。
……とても大切なことを教えてもらえる箇所だと思います。
特に、弱い、見劣りのする人が、実は必要なんだ、というあたりに、感銘を覚えます。
弱い人、見劣りのする人というのは、組織や社会では不必要な人と思われがちなんですよね。
でも、そうじゃないと。
これは私も現在の職場や生徒たちのグループなどでも感じることです。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 毛利
2011/04/07 (Thu) 15:51:46
皆さん、前向きに解釈されていますね・・・私は逆に考えていました。
世の中には「別に必要とされていないけれど、仕方なく生きている」という人も居る訳で(少なくとも私はその1人です)、そういう人達に対して「あなたも実は必要なのです」と言われても困ってしまうなぁと思いました(24節とか)。
子供の頃の学芸会で、劇の主役をやりたい、或いは劇に出たいと思う子供達がそれなりに多かったみたいですが、私は「その他大勢」の方が良くて、常に「大勢が演奏する笛の集団」で「口に笛をあてるだけで音を出さない」ことに徹していました(音を出さなければ失敗も無いので)。
なので、どういう立場であるかは別にしても、それぞれの人に対して何らかの任務を割り当てられるという思想は、どうにも好きになれないです。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - tomita@iChurch.me
2011/04/07 (Thu) 20:09:53
あー、そうなんですか……
長い事毛利さんとはおつきあいがあるつもりなんですが、全然ぼくはわかってなかったですね。すみません。
聖書の解釈というのは、常に自分の主観が反映してしまうので、僕自身が「誰かに必要とされたい」という願望があるから、そういう読み方になってしまうのかも知れません。
だから、会社員時代、とにかく前に出たもん勝ちだ、みたいな世界だったんで、それにすっかり洗脳されちまって、学校で働き出しても、そうやって前に出よう出ようとして、先輩に嫌われて、ひどい目にあって、それから、「笛を口に当てるふりして音出さない」みたいな事も、生き残る上では大事かなということは最近学んだという気がします。
まあしかし、別に任務があるというほどではなくて、たとえば、今の人間の体でも虫垂とか扁桃腺とか、特に役目もない部分もありますから、別に全てに任務があるというほど突き詰めて考えなくてもいいような気がします。
人間を虫垂、扁桃腺呼ばわりしてすいません。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 毛利
2011/04/07 (Thu) 21:01:24
富田先生
パウロの言い方だと「誰もが目になりたがっている」ことを大前提して「誰もが目になってしまったら誰が聞くのだ」と言っていますが、目にも耳にもなりたくない人のことをまるっきり忘れている気がしましたので書き込みました。
私自身、誰かに必要とされたい、という願望が皆無という訳では無いのですが、乱暴な言い方をすれば「私が望んでいない誰か」からは必要とされたくない、と言えば良いでしょうか。それが私にとっては学芸会であったり、職場だったりするのかなと思います(その辺り、私の人間としての器が小さいのです)。
教会を運営する立場のパウロが、同じく運営する人を相手に語っているからこういう口調になるのはやむを得ないのかもしれませんが、教会の大部分を構成しているのは実は運営者では無くて、酷い場合には身動きすら出来ず、疲弊して救いを求めてきている一般信者だということを考えれば28〜30は言葉足らずなのかなと思います。それとも「使徒」が「一般信者」を指しているのでしょうか。だとしたら「お立てになりました」は酷だと思います。
# 私は扁桃腺でも虫垂でも抜け落ちた髪の毛でも何でも構わないですが、目とか耳とか大事な器官にはなりたくないですねぇ・・・。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - tomita@iChurch.me
2011/04/09 (Sat) 02:56:16
いや、これは教会で神が「お立てになった」役職/運営者に対して物を言っているように読むのが自然なように感じます。
運営者側のことしか思い浮かべてないというより、最初から運営者たちに向けた手紙だから、こういう物言いになるのだろうと思います。
それから、おそらくパウロは、人間の体が細胞からできていて、その細胞も大部分が約90日間で入れ替わるということも知らずに物を言っているのだろうと思います。何せ弥生時代ですから。
で、もし知っていたら、ちょっと生命観とか肉体観になるかもしれませんね。
細胞レベルで考えたら、1個の細胞なんて、そりゃ最初は1個から発生しますけど、大人になったら1個1個の細胞なんて、何の任務で動いているか、ただ酸素吸って二酸化炭素出してるだけじゃねえか、そういうやつがほとんどじゃねえか、という見方もできるわけですよね。
まあたとえというのは、あくまでたとえですから、解釈の限界というものはあると思います。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 毛利
2011/04/09 (Sat) 08:16:36
ありがとうございます。
役職/運営者を相手に向けた手紙ということなら筋が通ります。
これが「教会に来ている、非役職/非運営者」も含めて解釈されてしまい、更に社会全体にまで適用されると、非常に恐ろしい文面だなと思ってしまいました。つまり搾取する側と搾取される側、どちらも必要なんだということになって、搾取される側を救済する(搾取される側の人達の苦悩を見直す)ことを全否定してしまうような言い方なので。神の下に平等と言いつつも暗黙の内に差別を了承しているように拡大解釈できると思いました。パウロの言いたいことは「差別」を産むことではなくて「区別」を付けることであり、そのどれもが「必要/重要」な立場にある、ということなのですけれど、悪意を持って解釈されるとどうとでもなってしまいます(それは、この聖書箇所に限ったことではないのですけれど)。
そうなってくると、社会から脱線した私は、先生の「細胞」という表現を使えば「癌細胞も体の一部なのだから、必要なんですね、じゃあ私は癌細胞として体に『貢献して』あげますよ」なんて言いたくなります(無論、パウロが聞いたら呆れ返ってしまう言いがかりですけれど)。
役職/運営者に話を絞って考えますと、あの当時も今と同様に誰もが脳になりたい(直接的に「脳」とは書いていませんが)、手足にはなりたくないと思っているように感じます。だからこそパウロの手紙がその問題点を指摘しているのかと。適材適所、相応しい仕事、分相応、という発想が当時も無かったのでしょうかね。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - にじは
2011/04/09 (Sat) 08:48:30
毛利さんのお話何となく分かります。
私も中学生の時合唱部だったんですが、先生が勝手に配役を決め主役にされたんです(多分背が低いから)
そんな事されたら死んだ方がマシってな感じで頑なに拒否して無事北風その2にして頂きました。
その他大勢が理想で、私がこの学校に存在している事を見なかった事にして欲しい。
卒業してから「そんな奴いたか?」と言う存在がベストです。
社会に出て働くと、そうはいかなくて辛いですよね。
そうか、パウロは「目になりたい」人たちに向かって書いているのですね。
目になりたくない人向けの話は..ないか(笑)

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 毛利
2011/04/09 (Sat) 12:10:17
にじはさん
まるで私のクローンみたいですね。私も「その他大勢」「在籍していたかどうかすら忘れ去られている」ことを強く望んでいる部分がありますので、同じ世界観(?)を持っている方が居ると知って嬉しいです。
と言いますか、多分、そういう人は、それなりに居ると思っています。語弊があるかもしれませんが、何らかの形で宗教に関わりたい人って、要は「自力で何でも処理してやる」「自分は強いのだ」、と断言できないからこそ神にすがる部分があると思っているので(「いや、自分は違う」、と言う方も多いでしょうけれど)、目にはなりたくない、手にもなりたくない、出来れば足にも口にも耳にもなりたくないと思っている方は、ある程度の比率を占めていると思っています(消極的というのではなく、自分にそんな大役は果たせないから無理だということで)。
だからパウロには「目になりたい人は目になれば良いけれど、どの部分にもなりたくない人も認めてあげなさい。そういう人も目と同等に、尊い存在なのです」と言って欲しかったです。いや、そういうことを言うのはイエスの役目なのかもしれないですけれど・・・。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - まいまい
2011/04/09 (Sat) 21:12:27
こんにちは
> 一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
これ自体は価値中立だと思いますが、パウロの場合、この発想から、ユダヤ人はユダヤ人のままで・異邦人は異邦人のままで・自由人は自由人のままで・奴隷は奴隷のままで!って話になってしまうという、危険の種をはらんでいると思います。
現代でいえば、牧師は牧師のままで、信徒は信徒のままで(だから牧師に逆らっちゃいかん!)といった差別やヒエラルヒー化への下地を持っているので、そういう解釈をさせないように気をつけないと、と思いました。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - トマス@休憩中
2011/04/09 (Sat) 23:03:55
>22 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。  
パウロが何か人々から白い目で見られるような病気を抱えていたんじゃないか?なんてことがよく言われますよね。  
その事に直接は結びつきませんが、私も僅かなこととは言え自分の身体の一部に思うようにならない部分を抱えるようになりまして、一病息災じゃないですけど、私自身がいろいろなことが見えるようになった部分があるかな、と思います。 そういう意味で、この22節って妙にリアルですね。  

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - トマス@残業中
2011/04/10 (Sun) 22:52:03
>31 あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。  
まだ熱心さが足らないのか、と思うとしんどくなるでしょうけど、 
もっといろいろな賜物がもらえるかもしれないんだ、と考えるなら励み甲斐があるかもしれませんね。  

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 富田@iChurch.me
2011/04/11 (Mon) 08:32:21
>まいまいさん
そうですね。確かに、「そのままでよいのです」という文句が、両刃の剣であることと同じように、同じ言葉でも使い方によりけりですね。
同じような用法で「あなたはその病気のままで神さまに愛されているんですよ」なんて言って人を傷つける人もいますもんね。
でも、たとえば病気の人、障がいのある人が「そのままでよい」という意味ではなくて、しかし、そのような状況の人が社会の中にいるということは、良いことなんだ。健常者の論理で全てが勧められるのではなく、弱者に配慮できる組織は、強者にとっても快適なんだということにつながるのではないか、と私には思えます。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - にじは
2011/04/13 (Wed) 19:41:55
>毛利さん
いつも毛利さんの書き込みは「そうかぁ~」と思う事が多いのに「大役は果たせない」と思うのですね。
私の場合は私がまだ生きていることがバレたら疎ましく思う人がいるだろうから消えたいだけなんです。
でも世の中全ての人が重要な部分になりたかったらやはり上手くいかないと思うので、
「どんな部分にもなりたくない」と言う人も必要だと思って神様は作ってくれたのかなと思います。
そういう意味で「弱く見える部分がかえって必要」と言う言葉はちょっと理解できるような気がします。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - ノンクリ
2011/04/13 (Wed) 21:34:44
 うーん、「目になりたくない人のことを考えてない」とか差別やヒエラルキーの固定化、正当化につながる、いった趣旨の批判に対して、ああ、そういう見方もあるのか、と意表をつかれました。私が能天気すぎるのかな?
 まあ、趣旨はわからないでもないです。仕事や世間の厳しさとか、人間関係の煩わしさ、世の中の不条理にぶち当たり、乗り越えられないときは、確かにそんな気持ち、解釈をしたくなりますから。 
 でも、一方で社会や人間関係から全く縁を切る、逃げる、なんて不可能ですよね。孤島で一人で、食料も燃料も電気もすべて調達して生きる、っていうのなら話は別ですが。
 そういうのでない限り、あなたは本当に社会や他人と関わりなく生きている、生きられるって断言できますか?ってことですよね。
 別に無理をしなくてもいい、誰もが、エラい人、できる人、「優秀」な人になれるわけじゃないし、実際そんなことはあり得ないし、それでは世の中はかえっておかしくなります。
 逆に、今、自分はダメだ、生きている価値がないと思っている人、あるいはそう思われている人だって、どこかに「生きる」場があるはずだし、神様は何らかの役目を負わせてこの世に送り出しているはず、それは俗世間一般の評価とは関係ない、という前向きなメッセージと思っているんですけどね、私は・・・。ていうか、そう思わないとやっていられないでしょう。

 個人的にパウロは、いささか過激、アナーキーなイエスに比べると、なんだかんだいっても、常識的、現実的な思考の持ち主で、良くも悪くも彼のそういう面がよく出たメッセージかと思います。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 毛利
2011/04/14 (Thu) 13:18:40
にじはさん
「生きていることがバレたら疎ましく思う人がいるだろうから」って、悲しい話だと思いました。そこまで周囲に気兼ねして(遠慮して?意識して?気を遣って?)結果として「消えたい」というのは、にじはさんが生きていることを疎ましく思う人が全員消えてしまえば生き続けていたい、ということの裏返しだと感じました。それは「出来ることならば消えたくない」と同義語のように感じますが、どうでしょうか。
ノンクリさん
パウロは常識的で現実的なんですよね、一方のイエスは仰る通り過激だと思います。でも、だからこそ私はイエスの言葉に揺れ動かされます。
パウロの思想は今回の原発事故で言うと「原発で実際に作業をする人達(実際には発注元の孫会社とか曾孫会社の人達らしいです)」が「あなたも大切なのですよ」と、現地から遠く離れた上層部から指示をされている関係と重なりました。でも上層部は実際に被曝のリスクは全くありません。温々とした場所で威張り散らしていれば済みます。責任を取らされるとしてもせいぜいで決められた原稿を読んで頭を下げて給料が少しカットされて昇進が遅れる程度です。被曝することを思えば「実にどうということはない」訳です。
イエスはマタイ20:26~28で「あなた方の間で偉くなりたいと思う者は僕とならねばならない」と言っています。イエスの言葉を原発事故で当てはめるなら「上層部こそ率先して原発内部に入って放射能を浴びながら作業に従事して命を落とすギリギリまで働け。そして最悪の事態が起きたら、誰よりも最初に被曝して命を落とせ」ということかと思います。現実的には「上層部は偉い人間だから、そんなことは聞き入れられない」ということになる訳ですが、「それくらいの覚悟が無ければ上層部になるな」とイエスは諭しているように思いますし、実際にイエス自身が十字架にかかっています。今回の聖書箇所はイエスのこの言葉の前では実に弱いもののように私は感じます。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - にじは
2011/04/15 (Fri) 01:17:16
>毛利さん
「出来る事ならば消えたくない」鋭いですね。
私は小学校の頃からいじめられていて、「いつか殺されちゃうんじゃないだろうか」と思ってました。
毎晩窓の外に向かって「今日も生きてた、明日も死にませんように」と祈ってました。
クリスチャンになった今より本当に真剣に祈ってましたね。
ま、それはおいといて..
原発の話に例える話を読むと、パウロは「口先だけ」と言う事ですか?
分かるような気もしますし、牢獄にも入った事があった気がするので(また記憶で書いてます)
少しは行動も伴ったりしているあたり原発の上層部まではひどくないかと(笑)
でも確かにイエスなら毛利さんの言うとおりの話をし、実行もすると思います。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 毛利
2011/04/15 (Fri) 10:24:24
にじはさん
「いじめられていた=にじはさんは必要無い」ではありませんよ。他人がにじはさんを否定したとしても神は否定していません。一番典型的な例では、イエスは当時のユダヤ人から悪と見なされて処刑されましたが、世界の多くの人達(それはもう、過去からさかのぼると実に天文学的な数の人達)がイエスを救い主として認めています。一方で、イエスの処刑を決めた人達は今では全く評価されていません。世の中って、そんなものなのかなと思います。そういう意味では、今回の聖書箇所(21節とか)は重要な意味を持っていると思います。人の判断なんて、乱暴な言い方をすれば、無茶苦茶ですから。ただ、にじはさんが辛い過去を体験されたことは事実ですので、そのことについての適切な言葉は見あたりません。200年もすれば嫌でも消えますので、それまで待ってみて下さい、としか・・・。
パウロは口先、というつもりはありませんし、彼も最終的には処刑されたとも聞いています。彼の命がけの行動は素直に認めていますし、彼自身は今回の聖書箇所でも思いつく限りの比喩を並べて教会運営者に説明しようとしているのは伝わります。ただ、それ故に長すぎる説明が浮き彫りになり、短い言葉の中に様々な意味を込めて相手に切り込んでいくイエスの言葉の前には全く平凡に聞こえてしまうのです。聖書を通してイエスだけが特異な世界を醸し出しているので、イエスと比べられてはパウロも迷惑かとは思いますが。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - トマス
2011/04/18 (Mon) 21:17:20
まるで筋違いの連想かもしれませんけど…  
近年南極のペンギンが激減と言ってよいぐらいに減ってきているそうですね。 その理由として、温暖化云々もあるそうですが、直接的には商業捕鯨禁止以降のクジラの増加(によるペンギンのエサの減少)が考えられるのだとか。 すべての要素が精緻に組み合わさって全体像が形成されるというあたり、パウロが言っていることと現代科学が解き明かす生態系との間にどことなく通じるものがあるのが面白いです。  

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - にじは
2011/04/19 (Tue) 00:39:15
>毛利さん
何とお返事していいのかとても悩みましたが、ただ、嬉しいです。何度も読んじゃいました。
私が必要無いわけではないと言う発想はとても意外だったので、そんな考えもあるんだと驚きです。
ありがとうございます。
>イエスの言葉の前には平凡に聞こえる
そうかもしれませんね。だからこそ今でも聖書は読んでて良いものだし
今でも救い主だと信じる人が沢山いるんですよね。
>トマスさん
確かに世の中は全てがお互いに影響しあって形成しあっていますよね。
だから25節の「それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています」と言うのは
その通りだと思います。キリスト者だけではなく世界が(地球が?)一つの体と言った感じでしょうか。
だからノンクリさんの言うとおり「社会や人間関係から全く縁を切る、逃げる、なんて不可能」と言うのも
その通りだと思います。私も全ての人間が苦手ではなく、優しくしてくれる人や心許せる友人もいます。
世の中の全ての人と上手くやっていける人ってきっと少数ですよね(と思いたい)

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - トマス
2011/04/19 (Tue) 12:35:37
そういえば、地球そのものを一つの生命体と捉える哲学の流派があったような…。比喩的ではありますけど、案外に当たっている部分もあるのかな?とか思うことが多いです。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 毛利
2011/04/20 (Wed) 09:35:18
トマスさん
ペンギンの話と今回の聖書箇所が結びつかなくて固まっています。
トマスさんの説明を読むと、ペンギンを生かす為には鯨を減らす行為が必要だった、つまり鯨は要らない(居てはならない)ということになり、ペンギンは大切だけれど鯨は存在すること自体が良くないと読めてしまいます。
これは今回の聖書箇所と真逆ではないでしょうか?ペンギンも大切だけれど鯨も大切な役割を担っているのです、だからバランスが取れています、ということならば納得行くのですけれど、どうにもそう繋がらなくて・・・。
にじはさん
悩ませてしまって申し訳ないです。ざっくり言うと必要かどうかを決めるのはご自身なのかと。世界中の人から必要無いと言われてもご自身が必要あると思えば必要ありますし、世界中の人から必要だと言われてもご自身が必要無いと思えば必要無いんだろうな、と。で、自分で決められない(良く分からない)場合には「まぁ今生きているんだから神は必要と判断したんだろうな」と考えれば良いかと思います(この考え方の危険な所は、不本意な形で命を落とした方に対して「神はこの人を不必要と判断したのか」という追及に対して返答できないところなんですけれど)。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - トマス
2011/04/20 (Wed) 10:29:21
>毛利さん  
悩ませてしまったようですみません。 
今回の聖書の箇所を「解釈」あるいは「説明」するためにペンギンを持ち出したわけではないので、あまり深く考えていただくといろいろ無理が来ると思います。 単に「連想」したネタですので。  
ただ、生態学的なことを言い足せば(説明不足でゴメンナサイ)、南極にペンギンがたくさん居る、という我々の思い込みないしは知っている状況というモノ自体が、(商業捕鯨によって)元来の数よりもクジラが少なかったために起こった生態系上一時の現象であった、ということなのだそうです。  
そして毛利さんの考えで私が引っ掛かるのは、クジラが要らない(居てはいけない)と考えるかどうかです。 クジラはもちろん生態系の一要素ですから必要であり、多すぎるとか少なすぎることが(結果的にはエサの取り合いとして)ペンギンの数に影響を与えている、ということです。 けっしてクジラが要るとか要らないとかいう筋道の話しではないです。  
ですから、最後に毛利さんが書いてくださったことの方が読み方としては無理がないと思います。 むしろ私の中では「すべての要素が精緻に組み合わさって全体像が形成される」というところにパウロに通じる面白さを紹介したつもりであったのですが…。  

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - 毛利
2011/04/21 (Thu) 10:08:59
トマスさん
ありがとうございます。「自然界は、一見すると無関係そうに見えるけれど、目に見えないところで繋がっていて、実は想像もしていないところで必要な役割を果たしていた」という解釈でしたら、まさにその通りだと思います。
ただ、自然界をミクロで見れば「食うか食われるか」で構成されています。命の物々交換をベースにバランスを保っています。つまり「命の尊厳」とは正反対の世界で回っています。
これが「神の定めた理論/正義」だとしたら、神はどうしてこうも残酷な世界を造りだしてしまったのだろうかと思います。
暗い書き込みですみません。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - にじは
2011/04/22 (Fri) 01:05:06
>毛利さん
「まぁ今生きているんだから神は必要と判断したんだろうな」
良いですね(笑)せっかく神様を信じて生きるって決めたんですから、ポジティブに
私は神様に愛されてて、必要とされている幸せな人間!と開き直る(?)のも一つの手ですね。
>神はどうしてこうも残酷な世界を造りだしてしまったのだろうか
同じような事を考える時があります。正直、この世のすべてが御心だったらやるせないかも知れません。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - トマス
2011/04/22 (Fri) 12:12:02
>生命の尊厳
冷たく言い放てば、種としてのヒトが食物連鎖の頂点に居るからそんなことが言えるのかもしれません。ヒトが喰われる立場だったら…。その点鎌倉仏教の(元をただせば天台宗から出たそうですが)人間に限らず山川草木すべての生き物に仏性があるという教えにも大切なモノがある気がします。
>…開き直る
時には必要なことだと思います。

Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - トマス
2011/04/30 (Sat) 19:07:13
相変わらず本筋本題とズレたネタを書き込んでいるような気もしますが、 
第1コリントをもう少し先の14章まで読んでいくと、新共同訳でも「異言と預言」という小見出しになっておりまして、何やら随分と異言にこだわった箇所が出て来ます。 コンコルダンスを見ても異彩を放っています。 
パウロは基本的にはその箇所では異言よりも預言の賜物を求めなさい、と書いているのですが、その一方、こんなことも  
>18 わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。  
あれ、パウロも異言を語ったんだ。 ペンテコステの出来事も異言だという説があったりもしますけど、異言ってけっこう当たり前の出来事だったみたいですね。 

Re: Re: 4月のみんたた「一つの体、多くの部分」 - et
2011/04/30 (Sat) 20:56:26
聖霊派の人が、聖霊のバプテスマと異言にこだわって、聖霊のバプテスマを受けて初めて力強いクリスチャンとなれるなどというインチキな主張を聞いていると、異言そのものまで否定したくなりますが、コリント書を読むと少なくとも、使徒の時代には異言は普通にあったと考えられます。
ただ、現代の教会で異言を語る人はいても、異言を解き明かす人がほとんどいないのは、なぜなんでしょう?
不思議です。

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