みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2011年6月のテーマ: 「「みだらな思いで他人の妻を見る者」

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マタイによる福音書5章27~30節

遅くなりました。6月のみんたたテーマを提示します。
といっても、前回のテーマ箇所から派生して、じゅうぶんこちら側にも話題が発展していましたが、でもまあ改めて仕切り直しという事でいいんじゃないかと思います。
では、下記に新共同訳からの本文を引用します。

*****************************

マタイによる福音書5章27〜30節

27 あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
29 もし、右の目があなたをつまづかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。


*****************************

という短いところです。
それでは、みなさん叩いてください。
ちなみに、前半と後半では伝承の源が違うと指摘されている箇所です。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - et
2011/06/05 (Sun) 20:34:21
旧約律法の姦淫というのは、人妻または婚約している女性だけが、対象でした。
そして、当時のファリサイ派は、この律法を守れていると思っていました。
しかし、ここで、イエスは、姦淫の罪の定義を拡大して、ファリサイ派の自惚れを打ち砕いています。
そして、これを聞いた人々は、この律法を守ることは不可能と感じたことでしょう。
そして、イエスは、人は律法を守ることが出来ない存在であることを、人々に悟らせようとしたのでしょう。
ユダヤの歴史の中では、律法が守られていない時代のほうが長く、イエスの時代は、ファリサイ派によって、比較的律法が守られていた時代と言えるでしょう。
そういう意味では、ファリサイ派はユダヤ教を立て直した功労者と言えるかもしれません。
ただ、イエスはこのファリサイ派に対して、福音書の中で、非常に激しい非難を浴びせています。
クリスチャンでも、敬虔で熱心な人ほど、ファリサイ派と同じ誤りに陥りやすいように感じるこのごろです。
そして、そのような一見敬虔に見える人に、その人が内包している危険性を教えるのが牧師の仕事だと思います。
でも、人間的な視点から見ると、どうしても、信仰生活がチャランポランな人のほうが問題だと考えてしまうので、なかなか難しいでしょうね。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 旧友
2011/06/05 (Sun) 22:38:21
>ユダヤの歴史の中では、律法が守られていない時代のほうが長く、イエスの時代は、ファリサイ派によって、比較的律法が守られていた時代と言えるでしょう。
これは面白い説明だと思ったので、ちょっと教えていただきたいのですが、
「ユダヤの歴史」とは、もちろん現在まで続いているわけですが、その長い歴史の中で「守られていない時代の方が長く」あったというのは本当ですか? 気になるのは、それがどうやってわかるのかということと、どのくらいの割合のユダヤ人が守ると「守られている」ということになるのかという点です(守っていない人が一人でもいると「守られていない」ことになるのか、それとも、過半数というような意味なのか――となると、何でそれを確かめるのかという点がますます興味深いです)。
それとも、「ファリサイ派登場以前のユダヤ教」(つまり、いわゆる「初期ユダヤ教」)の意味で仰っているのでしょうか。初期ユダヤ教は、捕囚期以降の流れの中で徐々に成立してきたものと見られていますが、ファリサイ派が登場して来る紀元前2世紀中頃以前にすでに、律法を守らない「時代」が長くあり、それへの「立て直し」としてファリサイ派が登場したという説明はこれまで見たことがなかったので、何に基づいた知識か教えていただければ幸いです。
ちなみに、福音書に描かれているファリサイ派像は、福音書が書かれた1世紀後半の事情を反映しているので、ファリサイ派の歴史像としてそのまま使うことはできないし、ファリサイ派についてはその実像があまりはっきりしない、というのが「通説」になっています。
歴史的事情の説明として書いておられるので、ちょっと根拠が知りたくて。そもそもこの箇所は、ファリサイ派批判として書かれてはいないようですが。

Re: Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - et
2011/06/05 (Sun) 23:27:08
旧友さんは、なかなか博学ですね。
正確に何を持って、律法が守られていないと定義するかというと、私もそこまで厳密に考えて、書き込みしているわけでは、ありません。
ただ、旧約聖書は、人間が律法を守れないことを証しているという見方もできるのではと思います。
また、ファリサイ派以前の例えばマラキの時代も律法が守られていなかった代表的な時代と言えるでしょう。
また、イエスの時代には民衆が律法を守れるように、律法学者が律法の細かい規則を定めたていました。
そのようなことを考え合わせると、律法があまり守られなかった時代のほうが長いのではと言えるかもしれません。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス@残業中
2011/06/05 (Sun) 23:55:19
>イエスの時代には民衆が律法を守れるように、律法学者が律法の細かい規則を定めたていました。
ベクトルが違うように思うのですが、どうなんだろ。 
律法学者が律法の解釈(適用)を通じて規則をドンドン細かく作っていってしまった。 で、守りきれない民衆が増えた。 それがゆえに多くの人が罪人と見なされていった。 そんな時代に、律法の表面を見るのではなく、律法のベースにある精神に注目せよ、と語りかけたのがイエスだった。 
と理解して居るんですけどねぇ。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス@残業中
2011/06/06 (Mon) 00:00:23
>ファリサイ派についてはその実像があまりはっきりしない 
70年頃のエルサレム攻防戦とそれに伴う神殿崩壊(炎上)によってサドカイ派が雲散霧消してしまった後に残ったのがファリサイ派で、つまりは福音書が書かれた時代に目の前に居たのがファリサイ派だったモノだから悪役にされてしまった、なんて解説はよく聞きますね。 
福音書では悪役ですけど、復活思想にせよ、天使の存在にせよ、実はキリスト教はファリサイ派から受け継いだんだ、みたいな解説を聞くこともありますよね。 それに福音書に書いてあるような石頭な人たちだとすれば、エルサレムに住むことは難しかったでしょうから、柔軟に現実に適応する人たちだったのかな、と(個人的には)考えています。 
それにしても実像ははっきりしてないんですか。 そこは知らなかったな。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - tomita@iChurch.me
2011/06/06 (Mon) 10:30:22
実はイエスはファリサイ出身だったと唱えている本も読んだことがあります。ますますわからなくなりましたが。
洗礼者ヨハネの弟子だったことは否定できないけど、そもそもヨハネ教団の実体がつかめてませんしね。
まあでも、ファリサイ派がみんなコチコチ頭かというとそうでもなかったようで、たとえば使徒言行録などには、パウロの師匠のガマリエルさんが「ほっとけ。神のご意志なら広がる。ご意志でなければ消滅する、と言いましたね。
腹が座っているという感じですね。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - ノンクリ
2011/06/06 (Mon) 13:46:45
>しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
 いつ読んでも、皮肉と逆説に満ちた、イエスらしい聖句だなって思います。でも、ダビンチコードではありませんが、そういうイエスの男女関係、性生活はどうだったんだろう?とついお下劣な勘ぐりをしてしまう私は罪深い男・・・(笑)

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - et
2011/06/06 (Mon) 19:06:19
律法のように、文字に書かれた戒律を守るには、どうしても、規則.細則は必要となります。
什一献金でも、厳密に律法として守ろうとすると、細かい規則が必要となるのが、良い例です。
例えば、
十分の一と言っても手取りの十分の一なのか、それとも税引前の十分の一なのか。
それとも、収入から必要経費を差し引いて残ったお金の十分の一なのか。
収入の無い主婦はゼロで良いのか、それとも家計の十分の一なのか。
不幸にも失業してしまった場合は、失業給付の十分の一をするのか。
このように、いくらでも考えられます。
什一推進教会では、これらの細かい規則を牧師が決めているのでしょうが、イエスの時代には、これら細かい規則を律法学者が、決めることによって、一般の人が迷わずに律法を守れたということは一つ、言えるのではないでしょうか。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス@残業中
2011/06/06 (Mon) 22:36:58
>歴史的事情の説明として
私も今まで聞いたことのない説明だな、と思ったのですが…
そういうことでしたか。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス@残業中
2011/06/06 (Mon) 22:40:39
>ついお下劣な勘ぐりをしてしまう  
同感です。 小説家的想像力を働かそうと思えば、謎が多いだけに何とでも言えますね。 マグダラのマリアあたりが最有力にアヤシイでしょうか? でもマグダラのマリアも謎の人物か。 伝承と言うより伝説ですが、イエスの妻子がフランスの何処やらにまで逃れて行ったとかいう話もあったように思います。 
学問的(?)な話としても、当時ラビと呼ばれるには結婚している人物である必要があったとかいう解説もあり、それならばイエスも結婚していたのではないか、と繋がったりします(福音書の中にイエスがラビと呼びかけられる場面がありますので、でもこの場面も検証が必要なのかな?)。 
ヨハネ教団に入るまではおそらくヨセフの跡を継いで大工していたでしょうから、結婚していたとしても不思議ではないような気がします。 あるいは逆にヨセフが早死にしたモノで、弟や妹を養うのに手一杯、結婚どころじゃなかった、なんて可能性もあるかもしれません。 本当のところはどうだったんでしょうね。 野次馬的興味は尽きません。 

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス@残業中
2011/06/06 (Mon) 23:06:14
>そもそもヨハネ教団の実体がつかめてませんし
確かに実体不明の教団ですよねぇ。 たまたま先日見てた注解では、福音書が書かれた時代頃まではヨハネ教団も残存していたのではないか?なんて書いてたりもします。 
福音書を丁寧に読むとユダヤ教に対するのと同じようにヨハネ教団に対しても批判的な箇所がある。 それは初代教会にとってヨハネ教団がまだまだ侮れない力を持っていたから。 だそうです。 
そう思って読むと成る程と思う箇所は確かにありますよね。 そうすると、ヨハネ教団はヨハネの死後数十年は力を持っていたことになるわけで、単純にヨハネのカリスマ的な力だけで集まる集団と見るのは無理があるのかもしれませんね。 やっぱり謎ですね。 

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - ノンクリ
2011/06/06 (Mon) 23:36:59
>マグダラのマリアあたりが最有力に
 これは勘ぐられても仕方ないですよねぇ。イエスの行く先々に登場しますし。なんといっても、復活の際も、両親の元には顔を出さないくせに、彼女のところには真っ先に顔を出しますし・・・。
 もっとも、彼女が本当にイエスの愛人でも、私的には何も「文句」はありません。「救世主」としての「お仕事」をきっちりと果たしているのなら万事OKです(笑)。
 そういえば、カトリック国のフランスとかイタリアって政治家や著名人の男女関係のスキャンダルには結構寛大、アメリカなどプロテスタント国は非常に厳しく追及するってイメージがありますね(だからといって品行方正ってわけでもないけれど)。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - @ぷー
2011/06/08 (Wed) 23:13:58
そもそもイエスには性欲がなかったのでしょうか?そんなことはないと思います。美しい女性を見れば、はっきり言えばそれなりのことは感じていたのでは?では「みだらな思い」という言葉は、単なる生理現象を指しているのではないように思えます。想像ですが、当時のユダヤ社会は女性は無権利だったわけでしょう?単なる男性の所有物と考えられていた
とすれば、やはり男性の身勝手を批判するところに主眼が置かれてるのように思えます。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/09 (Thu) 23:05:35
>前半と後半では伝承の源が違うと指摘されている箇所 
 
そう言われてみると、たしかに前半と後半で雰囲気が随分と違いますねぇ。 
でもって平行箇所を見ると… 
これはまた如何にも色々ありそう。 
新共同訳では平行箇所指示はありませんが、後半の29節と30節はマタイの18:8-9とマルコの9:43-48に平行箇所があります。 
チェックしてみるとマルコに対してマタイ18章は一部省略しつつおおむね平行。 このマタイ5章は18章にさらに手を加えつつ、なんと手と話と目の話で前後している。つまり目が先で手が後なのはマタイ5章だけ。
ということで、 
後半はマルコから取った、前半は(マタイの作文かそうでなければ)マルコ以外の資料、ということですね。 なるほど別伝承だ。 
マルコは9:42-50がひとまとまりです。 マタイは18:6-9でひとまとまりです。 3つ読み比べると面白いですよ。 マタイが山上の説教で手を加えたそのやり方が見えてきます。
全部コピペした方が早いかな? 

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 毛利
2011/06/15 (Wed) 01:32:43
今回の箇所、私としては比較的すんなりと受け入れられたので、特に叩く部分が無くてコメント出来ずにいたのですが、敢えて言うなら「人妻になった女性は、男性を誘惑しないように、おしゃれをしてはならない」とイエスに言って欲しかったです。
当時のユダヤ人社会のことは全く疎いので、あくまでも「今の時代」で当てはめて考えてしまうのですが、結婚しても綺麗に着飾って男性を誘惑している(ように思える)服装をしている女性に対しては、私は一種の違和感を感じます。それは背中に餌をつけてライオンの檻に入るようなものだ、と私は思うからです。
女性の方にとっては「女性は結婚した後でも綺麗でいたい」という願望はあるのでしょうけれど、それは逆に「女性が男性を淫らな思いにさせている」という罪に問われても仕方ないような、そんな気がします(以前にも、ここで書いたことですが)。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - et
2011/06/15 (Wed) 08:47:37
毛利さん、イエスは、出来ないと分かっていて、このような厳しいことを言っているのではないでしょうか?
だから、この箇所は姦淫に関する戒律をより厳しい新約基準で守れと言っているわけではなく、ファリサイ派に対する強烈な皮肉と理解して良いと思います。。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 毛利
2011/06/15 (Wed) 10:31:02
出来ないと分かっていて言っている・・・そうなのでしょうか?

確かに目や手を捨ててしまえというのは無茶苦茶な論法だと思いますが、本当に「出来ないこと」を言いたかったら「みだらな思いで」とは言わずに「他人の妻のことを美しいと思ったら」等と言った方が良いのではないかと思います。
どうにも私には皮肉には感じられないのですよ、この箇所は・・・。

Re: Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - et
2011/06/15 (Wed) 18:30:14
もちろん、神様の基準からしたら、他人の妻を淫らな思いを持って見るだけでも、罪だと言えるでしょう。
しかしながら、このような、戒律を生きている間、守り続けることができる人は、健康な男性ならまずいないと思います。
もし、人が、努力してこのような戒律が守れるなら、十字架は必要ないし、無駄だったということになります。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - ともたん
2011/06/16 (Thu) 02:52:20
はじめまして。いつも楽しく読ませて頂いています。
女の立場からの解釈ですが直接姦淫という形で辱められなくても、淫らな目で見られるのは怖かったり辛かったりする場合もあるんです。特に年若い人妻さんだったらそう感じる人も結構いらっしゃると思います。
イエス様は、弱い立場の人を憐れむ方だから、淫らな目で見られてもどうしようもない女性の立場を思われてそう言われたのかも・・・
ただ男性も生理的に淫らな目で見たから悪いと言われても
辛いですよね。女性も女としてのキャリアを積むにつれて男性の淫らな目を嫌だと思わなくなるので大丈夫です。
だだ、淫らな目がまだ辛い女の子や新妻さんもいるのだということを、どこかで忘れないでいてくれたら嬉しいです。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/16 (Thu) 12:32:00
>ともたんさん
ようこそ御出下さいました。
これからもよろしくです。
言われてみればその通りで、男性目線ではついつい見落としがちなことですね。でも、キャリアを積むと大丈夫というのは、一抹哀しい部分も有るかもしれませんね。

イエスの本心なのか皮肉なのか - トマス
2011/06/16 (Thu) 12:41:09
さて、イエスの皮肉なのか本心なのか、落ち着き悪い議論になっているような気がしますので、ここはちょっと視点を変えてみて、
では、姦淫についてマタイ福音書の他の箇所ではどのように書かれているだろうか?  と考えてみると、イエスの(あるいはマタイが理解したイエスの)文脈が幾許か見えてくるような気がするのですが、如何?
ということで、探してみました。とりあえずは19章に有ります。ピンポイントでコピーすると、
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。 言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」
ホントはこの前後10節分ぐらい読むべき何ですけど、それはそれぞれお手元で確認していただくとして…
でもって、平行するマルコと比較すると、
イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。 夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
マタイがかなり書き換えていることが判ります。 つまりマタイ自身の「姦淫」に対する解釈が入っている。 と思いながら今月の箇所に帰るとどうでしょうか? データ出しただけで私はまだ考えていませんのですが。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 入谷
2011/06/18 (Sat) 08:07:10
この「妻」でもって何を表象したらいいのでしょうか。
当時の婚姻関係は家と家の間で結ばれるもので、個と個のあいだのそれではなかったように思えます。
それに、妻が一人とも限らなかったようです。
レアもラケルもともにヤコブの妻で、どちらかが、正妻で、他方が側妾というわけではなさそうですから。
あるいはマタイのいう「妻」は別の (ほれたはれた的な) 文脈で考えるほうがいいのでしょか。、

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/18 (Sat) 13:52:57
>当時の婚姻関係
両方の側面と事例があったんじゃないですかねぇ。
支配層では家同士の側面が強かったのは明らかですけど、それでもヨハネが非難したヘロデ・アンティパスのスキャンダルもありますし。家柄なんてモノが意味のない庶民の結婚事情はあまり書き残されておりませんし…。
入谷さんの元々の疑問への答えにはなっておりませんが。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 入谷
2011/06/18 (Sat) 20:58:41
「家柄なんてモノが意味のない庶民」に対しては少しく異論があります。

家柄がものをいふ社会であれば、上層は上層なりに、下層は下層なりに、その狭い層のなかでの家格を維持するのに汲々としていたであろう、というのが私の見解です。
性的なことは、その辺の公序良俗を乱しかねない危険性をはらんでいるので、それだけ厳しい枷をはめられたということはありそうですが。
29, 30 節はおきざりです。すみません。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - ともたん
2011/06/19 (Sun) 01:09:31
確かにマタイ19章とマルコ10章では少し姦淫のニュアンスが違うように思います。マタイ10章のファリサイ派の「何か理由があれば夫が・・・」のくだりの「何か」が気になります。 これはこの当時の夫婦関係を想像すると「妻に子供ができなけば」という理由で離縁することが正当化されていて又、多かったのではないでしょうか?そう解釈すると後半19:12に違和感なく繋がります。
又、マルコ10:12の「夫を離縁・・・」にも同じ理由で納得できます。  私はそういった条件だけで愛不在(おおげさなら情不在の男女関係、思いはすべて姦淫だという事ではないかなと思います。時代を問わず、条件のみで情不在の男女間に姦淫の匂いを感じてしまうのは私だけでしょうか?

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス@夜勤中
2011/06/19 (Sun) 04:05:51
私がイメージしている「庶民」と入谷さんがイメージしている「下層」が違うのかもしれませんね。
私は旧約で言えばアブラハムの雇い人たちとか、新約で言えばぶどう園の労働者の譬えに出てくる雇い人たちとか、そういうあたりでイメージしているのですが。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 入谷
2011/06/19 (Sun) 08:15:45
私が考えていたのは、
うちには二反の田畑があるけれど、あそこは一反、だから、嫁/婿 取りするわけにはいかねえ、
みたいなことですが、トマスさんからしたら中層になるんでしょうか。
本当に無一文の最下層にあっては、基盤となる物質的要因がないのだから、差別はあっても、流動的かなと思います。
でも「鉄鎖のほか失うべきものは何ものをももたない」人々って、当時のユダヤ社会でも、ごく少数だったような気がします (数値を導出できるような資料はないんでしょうけれど)。
イエスの同伴者は下層の人々であったと言われるのをよく聞きますが、たとえば取税人はそれなりにものも持ちだったのではないでしょうか。
釜ケ崎「炊き出し」支援を行われている富田さんからすれば、そういう (明日のたつきにもこと欠く) 人々の存在は日常の一部なのかもしれませんが。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/20 (Mon) 03:18:42
やはり私がイメージしていたのと微妙にズレているような気がします。 どちらの方がより下層かというよりも、都市と農村の違いでしょうか。  
本当に無一文ということもないでしょうけど、土地持ち農民よりは都市部の雇われ労働者の方が家柄だの何だのということに対して無関心で居られるかな、と思います。 逆にいえば、小さな土地でも持っておれば幾許か気にしたかもしれないですね。
>イエスの同伴者  
実のところはよく判らないようですが、福音書で見る限りはむしろ下層ではない人が居たことを意識させる書き方になっていますね。 収税人しかり(これは嫌われていた人というニュアンスの方を読み取るべきなのかも)、ヘロデの家令の妻(ルカ8章、とはいえここはルカのそもそもの出版意図を読み取るべきでしょうけど)、などなど。 もちろん、差別されて社会から切り離された人と堂々付き合ったところにイエスの革命的なところがあったことも間違いないようですが。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - tomita@iChurch.me
2011/06/20 (Mon) 13:57:48
下層という言い方が当てはまるのかどうかはわからないのですが、汚れた者、あるいは裏切り者、というカテゴリーの方がイエスのフォロワーには当てはまるように感じます。
金持ちか貧しいか、地位があるか無いか、地主か小作農か、というカテゴライズもあるんでしょうけど、聖書に書かれた世界には、清浄か汚れているかという分類のほうが強く印象づけられているという気がします。
取税人、収税人、徴税人……は金持ちだったようですね。しかも組長みたいなリーダーがいて子分をこき使って金を集めていたらしいです。
あと、漁師が4人いますが船と定職があるというのは最下層とは言えないですね。その頃のガリラヤは、漁獲や農産物などをローマ帝国のあちこちに輸出していた商業都市があったので、漁師が金持ちだったとは言わないまでも、生活はできていたんじゃないかと思います。
金も地位も土地も定職も何もない人や、病人を弟子にしたという記事は無いように思います。まあ、マグダラのマリアは悪霊を追い出してもらったようですが。
むしろ、漁師、双子、徴税人、熱心党という人々は、汚れているか危険な人物か、その両方だったりしているので、そこにイエスの弟子の特徴が出ているのではないかと思います。
あと、女性の弟子を連れて歩くというのは、これはイエス様、ずいぶん危ない事をなさるという気がします。
ここでも何度も話題になっていますが、女性は基本的に父親か夫の所有物です。
夫の許可無しに、夫以外の男性と会話をしただけでも離縁の理由にされるという社会です。
そんな社会で、人妻を家出させて連れてあるいてたら、完全に反社会的カルトです。彼が処刑されたのも、群衆が「殺せ!」と叫んだのも全く不思議ではありません。
逆に言うと、イエスには女性が家や夫や父を捨ててでもついて行きたいと思うほど(まあ夫に先立たれていたとかいう人もいたわけですが)魅力的であり、彼女らにとっては解放者だったんだろうなと思います。
そういう背景から連想するのですが、(本題に戻りますが(笑))男たちがお互いの持ち物(妻)を、「あっちのほうが旨そうだな」と隣の芝生みたいにうらやましがったり、「チャンスがあったら寝てみたい」と物欲しげな視線を投げたり、そういう事を話して笑い合ったりという男性の愚かさと、女性に対するシンパシーの気持ちの表れではないかな、という気がします。
「気がします」の話ばかりで申し訳ありませんが。不勉強なのでね。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/20 (Mon) 20:07:25
そういえば、羊飼いだったという弟子は居ないですね。 もっとも、12人の直弟子のウチ、前職が記されているのは半分も居りませんが。 
>生活はできていた 
ヤコブとヨハネの兄弟なんかは、船だけでなく父と雇い人を置き去りにしたと書かれていますからこれも最下層ではないですね。 
>女性に対するシンパシーの気持ちの表れ 
イエスは早くに妻に先立たれたのではないか? それがあの時代にしては有り得ないような女性への優しさに繋がるのではないか? という解説を読んだことがあります。 誰の本だったかな? 

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/20 (Mon) 20:18:26
少し前のレスに戻りますが、
>時代を問わず、条件のみで情不在の男女間に姦淫の匂いを感じてしまう
それはありますよね。
もっとも、そんな風に考えることが出来るのは近代の結婚観あればこそ、なのかもしれません。昔風であれば、条件で結ばれてもそこから段々と情を育てるのが夫婦というモノ、と言われてしまったかも。一方で、だからこそいつまで経っても条件のみの夫婦というのが余計に目について匂ってくるのかもしれませんが。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 入谷
2011/06/22 (Wed) 18:59:27
人間はその全存在をもって罪を犯すので、右の目や手が罪を犯させることはないと思っております。
この 5.29, 30 節をどう解釈したらいいのでしょうか。
もしかして、右の目と右の手は性器の比喩? つまり
それが邪な情欲を産むのであれば、お前の陰茎と陰嚢を切りおとしてしまえ、
と。
ただ去勢したからといって、性欲はなくならないようです。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/22 (Wed) 21:39:36
>体の一部がなくなっても 
当時のユダヤでは体の一部を失った者は完全ではないから(その家系の出身でも)祭司になれない、という規定がありましたよね。 大祭司だけでしたっけ? 新約には出て来ませんけど、ヨセフスにはヘロデか誰かが自分の意に染まぬ大祭司を追放するのに捕まえて耳を削いだとかいう話しがあったように記憶します。 
その事件よりはイエスの方が古いでしょうけど、その規定の方はイエスも意識していたかも。 
ということで探してみました。 
ちくま学芸文庫版『ユダヤ古代誌4』p.355に出てました。 細かいところは上に書いたのとけっこう違いましたけど、規定と事件の大筋は当たらずとも遠からず。  
ヘロデ大王よりも少し前の時代の出来事ですね。 とすると、イエスにせよ当時の聴衆にせよ、この事件は意識していた、と考えてよさそうな気がします。 今月の譬え話には「耳」は直接出て来ませんが。  
肉体が完全でなくても天国に行けるんだよ、というメッセージが込められているとしたら、「重い皮膚病」の人にとって大きな福音であったかも。 
ちょっと深読みのしすぎでしょうか? 

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - kyunkyun
2011/06/28 (Tue) 14:02:35
神様は、人を裁く方ではなく、人を愛される方だと思います。
聖書には、人間の罪について、色々と書かれていますが、
でも、本当は、神様は、どんな人であっても、
「罪に定めることはしない」 のではないでしょうか?
神様ではなく、人が人を、(聖書の言葉を借りて) 罪に定めているのではないでしょうか。
イエス様は、そのことをいちばん、人に知らせたいのではないでしょうか。
それと、これは性欲のことについてなのですが、
世の中には 「アセクシャル」 といって、性欲の全くない人や、性欲が非常に少ない人がいるそうです。
特に 「シャカ」 と呼ばれるアセクシャルの人達は、全く性欲がないそうです。
人となられたイエス様が、もし、このアセクシャルでなければ、
男性としての性欲はあったと思います。
また関連して、
「性欲とは何か?」 「性欲はなぜ起きるのか?」 や、「セックスレス」 についても調べてみると、
色々と考えさせられます。
◆参考◆
* 性欲がない (24歳男性)
http://okwave.jp/qa/q2499789.html
(* 回答の古い順から見ることをおすすめします。)
* セックスレスのサイト
http://sexless.blue.coocan.jp/home/
(* 男性がセックスをしたがらない、という相談も多いです。)

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - tomita@iChurch.me
2011/06/28 (Tue) 18:01:37
アセクシャル、あるいはエイセクシャル(asexual)ですよね。
無神論者(アセイスト:atheist)と同じような言葉遣いですね。
ぼくはイエスにも当然性的欲求があったと思います。
というか、そうでなかったら、「隣人の妻を淫らな思いで見る」という真理自体理解できなかったでしょうから、そういう言葉は言わなかったんじゃないかと思います。
また、これは小説のような推測ですが、ヨハネ福音書に姦淫の現場で捕えられた女性が石打にされそうになるのを助ける場面がありますよね。
そしてイエスは「この中で罪の無い者から石を投げよ」と言いますよね。そしたら、みんな石を放り出して去って行った。できすぎのような話ですが。
そして最後にイエスは「わたしもあなたを罪に定めない」と言います。
「わたしだって、あなたを裁く権利はないんですよ」と言っているように聞こえてしまうのです。おくまで個人的な感覚ですが。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 毛利
2011/06/29 (Wed) 10:31:25
"罪のない者から石を投げよ"、で、何故イエスが女性を裁かなかったか・・・イエスは彼女が「好きでそんな『仕事』をしている訳では無い」という事情を知っていたからではないかと思っていました。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/29 (Wed) 15:54:07
>罪の無い者から石を投げよ
最初に姿を眩ましたヤツと、最後までその場に残ってたヤツは、どっちもスゴイと思う。もっとも私だったら逃げ出すタイミングを取りそこねて居心地悪く最後まで居てしまいうかも。
>「仕事」
どうもこの場合は「仕事」ではなかったような気がします。ま、ホントのところは判りませんが…。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - tomita@iChurch.me
2011/06/30 (Thu) 08:37:35
セックスワーカーである可能性は無いことはないと思うんですが、そこまではっきり書いてないので何とも言えませんよね。
それに娼婦なら娼婦と書いていてもよいわけですし。
すよね。
あと、ほとんどの場合、父親どうしが結婚について、少年期に相手を決めてしまうので、自由恋愛がないじゃないですか。
結婚してから性に目覚めるということもあったのではないかと推測します。
その時、人を好きになっても、自分はすでに結婚している。となると不倫関係を始めてしまうというのは実はよくあったんではないかと、これももちろん妄想ですwww

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - 毛利
2011/06/30 (Thu) 11:16:41
トマスさん、富田先生、読み返してみましたが、確かに「女」としか書いていないですね。そっち系の仕事をしている人を吊し上げたのかと思っていました。ご指摘、ありがとうございます。
そして、女性が罪を問われていますが、相手の男性については言及していない辺りも、「男性には甘い」時代だったのかと思います。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/30 (Thu) 12:12:56
彼女の仕事であったとしたら、ある意味吊し上げる必要はないのかな、という気がするのです。旧約で言えば「神殿娼婦」になるわけですし(わざわざ禁止されているということは居たであろうということ&族長物語の中(創世記38章)にも出て来ましたよね)、イエスの時代は「神殿」娼婦であったかどうかはわかりませんけど、だいたいが何らかの形で組織化されていた(しかるべき男が背後に居て守っていた)可能性が高いでしょうし。
と、ここまで書いて、そうか組織の連中が流しの「娼婦」や別の組織の女性に嫌がらせした可能性があるかな、と思いつきました。で、
>彼女が「好きでそんな『仕事』をしている訳では無い」という事情を知っていた
それはそれで可能性としては大いにあると思いますよ。つまり、彼女が「仕事」としていたのであれば、イエスがそのことに思い至ったであろう可能性はかなり高いでしょう。
いろんな読み方ができますね。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/06/30 (Thu) 12:29:20
>旧約の律法の条文
申命記の22章ではむしろ男女同罪であることが強調されている感じですね。特に合意の上の姦淫について。これは男に甘かった現実への批判かな?
いずれにしても、娘は父親の持ち物という扱い(他に出エ22章など)ではありますし、女性については結婚前か後かということに拘るのに対して、男性については問わないあたり、扱いが随分と異なりますし、一夫多妻を暗黙の前提にしているあたりも含めて不平等なのは確かですね。
そうそう、28節の所、ヨブ記31章辺りと比較すると面白いかも。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/07/01 (Fri) 22:18:27
無視しようか、黙ってやり過ごそうか、声を上げようか、随分と迷いましたが、やはり一声、抗議の声を上げることにします。今月の「みんたた」も終わりまして、〆の話題にふさわしいかどうかは判りませんが。
結論を先に書きます。6日のレスで、etさんが十一献金を題材にして律法を守ることについての解説をされています。これは今までの私とetさんとの遣り取りを前提に考えるとハラスメントです。ハラスメントだからやはり声を上げないといけないと考えました。だから抗議の声を上げます。
その理由を簡単に書きます。( 昨年秋以来の事を覚えておいででない方には何の話か判らないかもしれません。その点は御容赦ください。)2000年前のユダヤに於いて、律法がどれだけ守られていたか、その時にファリサイ派がどのような役割を果たしていたか、ということがその前後に於ける話題でした。それなのに、何故、現代の日本に於ける十一献金を牧師がどのように指図しているか、ということによって説明される必要性があるのでしょうか?
今までに私とetさんの間で十一献金をめぐるイザコザが何もなかったのなら、まぁそれも説明の一つの方法で有るかもしれません。しかし、そうではない。私が特にetさんの十一献金をめぐる書き込みにナーバスになっていることは、昨秋以前からこの掲示板を読んでおられる方なら御承知のハズです。もちろん、当事者であるetさんも御承知のハズです。
そうであればやはり、2000年前のファリサイ派がしていたことを正面から説明してほしい。それができなくて、現代キリスト教に於ける牧師の仕事に当て嵌めて解説するのであれば、せめて何か別の事によって解説してほしい。
今からでも遅くはないです。当6月の「みんたた」が特集ページに保存される前に、当該レスを削除してくださるか、全面的に書き換えてくださるか、御考慮を願いたいと思います。
まだまだ言い足りませんが、これ以上書くと感情的になりそうなので、ここで停めておきます。
ただ、もう一度、繰り返します。6日の書き込みは私とetさんとの関係に於いては、ハラスメントです。
【付け足し】
例えば安息日規定で充分説明できるではないですか。しかもその方が普遍性があります。誰が読んでもおそらく通じやすい。十一献金って何?という人は居るでしょうけど、安息日規定って何?という人はおそらくそれよりもかなり少ないはず。しかも、名称は知っていても詳細は把握していないかもしれない。如何?

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/07/09 (Sat) 06:56:57
上記の件、一週間経ちましたが、 レスポンス無し という反応と受け取らせていただいてよろしゅうございますでしょうか? よろしゅうございますね。 今までのようなやんわりした不満表明とは異なり、今回は読み間違えようのない抗議をいたしましたよ。

Re: Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - et
2011/07/09 (Sat) 09:22:01
個人攻撃しているなら、ハラスメントになりますが、一般的に什一を取り上げて書いても、何らハラスメントにはならないと考えます。
トマスさんの書き込みには非常に神経質なものを感じます。
まさかとは思いますが、あなたの教会では、什一を推奨しているのでしょうか?また、什一の祝福とか什一しない場合の呪いとかメッセージされているのでしょうか?
つまり、教会で什一を推奨している手前、教会員が見ているかもしれないこの談話室で什一反対の話題を出されるとマズイということでしょうか?
これだけ、粘着されるはっきりした理由を聞いてないので、こちらで推測してみました。

Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - トマス
2011/07/11 (Mon) 10:46:37
昨年あれだけのトラブルがあったのに何も御理解いただけていないことがよく判る御返答有り難うございます。
お願いですから、ハラスメントについて一度ちゃんとした勉強をしてください。
としか言えない。
>富田先生
私の今のレスまで含めて特集ページに入れてくださいね。
記録のために。
>all
さて、話を振った以上は安息日規定について当スレの流れに沿った解説をしておくべきかな?と思います。今更、という気もありますが、「みんたた」は後々に読み返していろんな読み方が出来ることを確認するのもその目的のウチと考えておりますので。
モーセ五書(律法書)に掛かれている安息日規定はそれほど詳しいものではありません。十戒に至っては、「安息日を聖とせよ」だけです。出エジプト記(20章)と申命記(5章)の十戒に僅かな違いがあることはよく知られておりますが、安息日規定についても少なからず違いがあります。関係箇所を列記しておきますので、関心ある方は御覧ください。
出エ・16章、23:12、31:14-15、34:21、35:2、 
レビ・19:3、23:3、26:2、
民数・15:32-36、
など、他に預言書でも
アモス 8:5、ホセア 2:13、イザヤ 1:13、など
(以上関連箇所は岩波訳の解説より)

私も改めて全部確認したわけではありませんが、一般的に労働禁止規定と言われるように、7日目は働いてはならない、と定められています。それ以上の細かいことは書かれていません。
でも、古代イスラエルでも(古代なりに)都市化が進みますと、何が労働で何が労働でないのか、「耕す時も、収穫の時も、休みなさい(Exd.34:21)」というだけでは困ります。
そうすると大真面目に、何が労働か、何が労働でないか(安息日に行っても許されるのか)が議論されていくわけです。聖書の中でよく知られているのは、安息日に歩いて良い距離はどれだけ、と決まっていた(受難物語あたりにありますよね)とかだったりします。麦の穂を摘むのはよいけど、脱穀してはいけないとか言うのもありましたっけ(弟子達が麦畑から取って食べた話)。
35:3には「火を灯してはならない」とあります。これが現代では電気のスイッチを入れてはいけない、に繋がったりするのですね。入りっ放しは構わないようですし、自動でon/offするものの元電源を安息日になる前に入れておくのはOKだそうですが。
現代の事で言えば、判りやすくてよく知られているのはこの話かな。エレベータを呼んだり行き先階のボタンを押したりするのは労働に当たる、と言われています。なので、イスラエルのちゃんとしたホテルでは(何台かあるエレベータのうち1台は)常時各駅停車で動いている。んだそうです。
そういうことが、細かい規定云々と言うことになるのですが、それも大事かもしれないけど、それより何より、それを命じた律法の心をちゃんと考えなさいよ、ってのがイエスの言動のポイントだったんでしょうね。

Re: Re: 6月のみんたた「他人の妻を見る者は」 - et
2011/07/11 (Mon) 12:42:12
昔、ある宗教者がその人の宗教的な信条から天動説が正しいと考えていました。
それに対してある科学者が地動説を主張したことに、この宗教者は腹をたてて、この科学者の言うことは、私に対するハラスメントであるので、地動説を主張してはならないと命令しました。
この例え話で、仮にこの宗教者の主張がまかりとおるなら、ハラスメントと言うだけで、どんな主張も引っ込めなければならなくなります。
トマスさんがやっているのは、言論の自由の封殺ではないでしょうか?
それと、私の質問にまったく答えていらっしゃらないようですが、やはり都合が悪いのでしょうか?
正直に、什一献金反対論を展開されると、ご自分の教会の営業妨害になるので困ると言われるのであれば、こちらもその点は配慮いたしましょう。

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