みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2011年7月のテーマ: 「右の頬を打たれたら」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
日本聖書協会の認可を受けています。

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マタイによる福音書5章38~42節

7月のみんたたのテーマは入谷さんのリクエストにより、マタイによる福音書5章39節を含むペリコーペにします。
以下は新共同訳の日本語テクストです。

******************************

マタイによる福音書5章38〜42節

38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒にニミリオン行きなさい。
42 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」


******************************

以上です。ではみなさん、どこからでも叩いてください。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - トマス
2011/07/02 (Sat) 21:32:25
平行するルカを見ると、マタイ版の38節、39節前半、41節がない状態で、マタイ版では次の「敵を愛しなさい」となっているところに組み込まれていますね。さて、マタイにせよルカにせよ、手元に届いた材料(伝承)をどう料理したんだか…。
41節に出てくるミリオンという単位はローマのものですから、聞き手としては当然のようにローマ兵に徴発される場面を思い浮かべるでしょうね。徴発の有無がマタイとルカの状況の違いだったのか、あるいはまた別の意図があって41節の有無が別れたのか…。どうなんでしょう。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 入谷
2011/07/03 (Sun) 08:50:50
「悪人に手向かってはならない」という命令を全面的に引き受けられるのは聖人だけでしょう。
凡人にあっては、「悪に対して抵抗しなければいけない、必要とあらば剣をとって」を貫徹することも無理なようです。
自分の無力を認めた上で、それでもなお、できることからやっていきましょう、といえれば上出来というものです。
悪であると知りながらホロコースト (ショア) を傍観していた人々を責められる人がおりましょうか。私がその状況に立たされれば、私もその中の一人だったろうと思います。(家族に友人に塁が及ぶことが確実だとわかっていて、それでも国家権力にたてついた少数のドイツ人は本当にすごい。)
そこには「悪人に手向かってはならない」とつぶやいて、良心を黙らせた品位なき人もたくさんいたはずで (戦後そんなことが行われていたとは知らなかったと言い放った人々のことです)、私が気にするのは、福音書とそうした不潔な付き合いをする良きキリスト教徒のメンタリティです。
「良きキリスト教徒」、とはいふもののお前ではなし、ということで読んで気を悪くしないでください。
70 年時計を巻き戻したのは、今の日本の小ヒトラーを引き合いにだすと話題が生々しくなりすぎるかと懸念したためです。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/04 (Mon) 09:00:42
38節の「目には目を、歯には歯を」と言う言葉は、旧約では元来は「同害報復法」という原始的な刑法だといっている人は多いですね。
そして、これは本来は「目をつぶした者は、第三者の証人の前で、目をつぶされなくてはならない」「そして、これ以降は個人的な復讐を禁止する、というものだったように記憶しています。
しかし、イエスがここで引用している「目には目を」という言葉の使い方は、そういう元来の使い方ではなく、「復讐しても良い」という意味ですし、聴き手もそれを当たり前のように前提していたからそういう言葉遣いで教えることになったのでしょうかね。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 毛利
2011/07/06 (Wed) 04:15:48
法律の下、同害報復法で裁かれたとしても、裁かれた側がすんなりと納得するとも思えず、逆恨みや別の憎しみを生む可能性は高いと思います。報復は報復しか生まない。それならば、相手に逆らわずに相手が求めるがままにしておけば、取り敢えずは争いは起こらないでしょう、というのがイエスの考えだったのかな、と思いましたが、それにしてはあまりにも非常識/非現実的で、短絡的な発想だと思っていました。それとも、出来もしないことを言っておいて、どこまで本気でどこからが皮肉なのか分からないようにしているのか、とも思いました。
ただ・・・「この言葉をイエス自身は実践して十字架にかかった」のかもしれない、ということを、ふと思いました。この言葉がイエスの死後に福音書作家が追加したのか、誤って伝えられたのか今となっては分かりませんが、イエスが言っていたのだとしたら、イエスは自分の言葉に責任を持って行動をした、そんな気がしました。42節の、相手がイエスの命を求めるならば、命くらいくれてやる、それを貫いたのではないか、と。
考えすぎでしょうかね?

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/06 (Wed) 21:59:23
またまたご登場いただきますが、田川先生の場合『イエスという男』では、「右の頬を殴る奴には、左を差し出してやれ」という、圧倒的に身分の違う層の人間からの暴力に対する、一種の非暴力的抵抗のような解釈をしておられたように憶えています。違っていたらごめんなさい。
でも、それと同時に、負け惜しみしか言えない弱い立場の人間の思いを吐露しているという考えも併記されていたと思います。これも違っていたらごめんなさい。
「この荷物を担いで、1ミリオン行け!」とローマ兵が通りすがりの貧しい属州民に命じるのはよくあることで、それ逆らえない人間が「あんたが1ミリオン行けって言うんなら、2ミリオン行ってあげましょうかい」という挑戦的な言葉だということなんですけどね……。
イエスが行為で表した愛のあり方というのもありうると思います。
敵を愛せ、迫害する者のために祈れ、という言葉と相通ずるものがあるでしょう。
そして、実際イエスはそうやって死んでいった。
それはパウロの言葉を借りれば、「人間の目には愚かだが、それが神の賢さだ」ということになるのでしょうが、そうやって自分を完全に捨て去ることで、自分の人生を完結するということがイエスにとって大きなテーマだったのではないかな、と思います。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - にじは
2011/07/07 (Thu) 01:28:17
「右の頬を打つ者には」これってノンクリの人もよく知っている言葉ではないでしょうか。
非暴力的抵抗ですか。分かるような気がします。
読んだ人が気分を害されたら申し訳ないのですが、私の父は気が短く、暴力もありました。
母が言ってましたが抵抗すると時間もかかるし力もセーブできなくなるから黙ってるのが一番だそうです。
イエス様は子供の頃いわれのない暴力を経験したのかも知れないとちょっと思いました。
「やるならやれ、こっちも叩け」と言うのが唯一の抵抗だった人が多い時代だったのかも知れませんね。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/07 (Thu) 08:42:47
キング牧師が公民権運動を闘っていた頃、アメリカ南部では、バスの席が、黒人用と白人用に別れていました。このような差別を撤廃する為に、キング牧師がとった戦術が、バスに乗らないで、歩くというものでした。
これには、バス会社のほうがまいってしまい、ついには、白人席を撤廃するという結果になりました。
右の頬を打たれたら、左もという言葉は、実は積極的な抵抗を秘めた言葉ではないでしょうか。
ところで、この話からすると、通勤電車の女性専用車輌という発想は、人権侵害のように思われますね。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 入谷
2011/07/07 (Thu) 18:15:44
「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」は、「わたしの国
はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っ
ている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。」という発
言を背景に理解すべきだろうと考えています。
あなたの国もこの世のものであってはならない、あなたの右の頬を打つものとかか
ずらわってあなたの貴重な時間を無駄にしてはいけない、とか。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - にじは
2011/07/08 (Fri) 00:16:59
etさん
女性車両は人権侵害、そういう見方もあるかな?
私、キング牧師の話は詳しく知らないのですが、もしかしたら白人席は良い場所で
(座り心地が良いとか、振動が少ないとか?)悪い場所が残り、の様な差別だったのかなと思いました。
女性専用車両は場所を決められているだけで条件が変わらないように見える
(もしかしたら不利なのかも知れませんが)のであまり抵抗はありません。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - ともたん
2011/07/08 (Fri) 02:03:43
etさん
私は女性専用車両は痴漢から女性を守るためのものと、ずっと思ってました。 以外に多いんですよ。痴漢にあって通学が苦痛な学生さんや習い事に行けなくなる女の子が・・・
私の周りだけでも3人もいるくらいですから・・
流石にこればっかりは、右を触られたら左も、という気持ちにはなれません。 女性専用車両の発想は痴漢行為をする人たちのおかげで他の大多数の男性には迷惑な発想ですよね。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/08 (Fri) 07:25:29
政府や電鉄会社がやる気になれば、通勤電車の混雑を緩和することくらい簡単なことです。
2階建て車輌の導入や、首都機能の分散等も一つの方法でしょう。ところが、電鉄会社は女性専用車輌という一番安易な方法をとっています。
これは、男性全部を痴漢及びその予備軍と見なしている点で人権侵害でしょう。
公民権運動当時、黒人は危険なので、白人と座席を別けるという発想と変わらないのでは無いでしょうか?
女性専用車輌は、日本のような人権意識の低い国では、受け入れられていますが、人権意識の高い欧米では、あり得ないでしょう。
もちろん、私も二人の娘の父親なので、痴漢という人権侵害も何とかしなければならないと思います。
ただ、日本人の人権意識の希薄さには、少し驚いています。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - トマス
2011/07/08 (Fri) 11:26:39
etさんの最初の書き込みでは、女性専用車が「男性に対する」人権侵害であるという意図は読み取れないですね。サラリと読むとあたかも女性に対する人権侵害と読めてしまいます。ちょっと言葉足らずかな、と思います。2回目の書き込みで書き足してくださったのでようやく話の流れが判りました。
たしかに男性に対する人権侵害である部分もありますでしょうが、痴漢事件の2次被害を含めた様々な事柄、一方で痴漢事件に関わる冤罪、などを考えると、女性専用車両が男性に対する人権侵害であるということは、私にはかなり針小棒大なモノの見方のように思えます。
まぁ、女性専用車を作ればいいというのは一面で安易な発想である(被害者を閉じこめちゃえ的な発想があるとすれば女性に対する人権侵害でもありますね)のも確かですが…。
そして、驚くかどうかは別として、えてして日本人が一般的に(何を持って日本人一般というかはまた大きな問題ですが)人権意識が低い、それも自分の人権を守ることと他者の人権を守ることの両面から人権というものを見ることが出来ない、というあたりは常々感じますね。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - トマス
2011/07/09 (Sat) 06:55:28
>「この言葉をイエス自身は実践して十字架にかかった」のかもしれない
有り得るような気がします。 
ところで、同害報復法といわれるこの罰則(?)、ハムラビ法典にも書かれていることは有名ですが、西アジアで広く言われたもののようですね。これは個人間の同害報復でもありますけど、おそらく当時はそれ以上に部族間の同害報復であった、ということのようです。
愛敵の教えのラジカルな徹底、というところでしょうか。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/09 (Sat) 17:15:32
>にじはさん
バスボイコット運動の起こる前のアメリカ南部のバスは、前半分が白人席で、後ろが黒人席。ただし、乗客が混んでくると、黒人席も白人の使用が優先するので、黒人は白人に席を譲って立たないといけない、というものだったはずです、ぼくの記憶では。
で、そういう事態に出くわしたある黒人女性(ローザ・パークスさん、10年前くらいに亡くなられた)が、運転手の指示に従わず、「私は立ちたくない。もうたくさんだ」と言って反抗したのですね。
それでパークスさんが逮捕されて、バスボイコット運動が始まったんだそうです。
キング牧師が初めて黒人差別の問題に本腰を入れて取り組み始めたきっかけなった有名な事件ですよね。
>etさん、トマスさん
男性専用車両ってないんですかね? 喫煙専用車両とかも。
男性と女性とか、人間をくっきり2つに分けて考えるのも、実際には矛盾がいっぱいあるわけで、そうはいっても通勤電車などで一人一人の事情に合わせた個室を用意するわけにはいかないのですから、結局賛否両論いろいろある中で、面白いサービスを考えた電鉄会社が良いということになるんじゃないでしょうか。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - ともたん
2011/07/10 (Sun) 00:24:26
両面からの人権!本当にトマスさんのおっしゃるとおりですね。正直女性専用車両が男性の人権の無視とまでは考えなかったのでいい勉強になりました。 富田先生のおっしゃる面白いサービスのアイデアが少しあるので今度電鉄会社のアンケートボックスに投稿してみようかなと思っています。
同害報復ではなく非暴力的抵抗には共感を覚えますが、私は頬を打たれた側よりも打った側の気持ちに興味があります。
日常私自身が人の頬を打つに等しい事をしてしまうので、この説教には人を打ってしまった人間にも救いの手が差し伸べられてる様に感じています。ただ性善説が前提ですが・・・
ホロコーストや黒人差別のことを考えると、その性善説もゆらぎそうで聖書のこの部分の言葉には気持ちの葛藤を覚えます。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - トマス
2011/07/11 (Mon) 11:29:59
42節は山上の説教冒頭にある幸いの教えの主語と述語逆転バージョンですよね。
コチラに書くのもナニですが、気持ちが落ち着くまでしばらく第一談話室から退室させていただきます。
あれほど無神経にして無体な言葉を掛けられたのは久しぶりです。キーボードを打つ手が震えました。再見。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - ノンクリ
2011/07/11 (Mon) 12:56:51
 武士の世であった19世紀半ばまで、日本では「仇討ち」は合法的な行為でしたが、明治維新により、西洋風近代国家になってからは禁止になりました。
 西洋、欧米で「仇討ち」が合法でなくなったのは、やはりこの「右の頬を打つ者には・・・」の聖句が影響しているのでしょうか?

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/11 (Mon) 20:32:30
あくまで、一般論ですが、人間が自分自身をはかる尺度と他人をはかる尺度にはかなり差があるようですね。
得てして、他人には厳しく、自分には甘いというところでしょうか?

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/12 (Tue) 02:54:30
まあ、そんなもんですよ。私もそうです。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/12 (Tue) 03:06:03
>ともたんさん
人を打った人にも救いの手が差し伸べられている、ですか……。
どうなんでしょうね。打たれた側が徹底的に自己放棄をし、打った者や盗む者や重労働を課す者や求める者に、求められるままに与えきってしまうということが、加害者に対して赦しになるという考え方でしょうか?
まだ、ちょっとそこまでぼくは理解が行かないです。
もう少し、詳細に説明してもらえるとわかるかもしれないですが。
まあでも、確かにイエスの十字架刑というのは、まさにそういう行いであったわけですし、イエスが十字架上で加害者の罪を責めなかった、その上その事が加害者の罪を贖っているというという考え方も、十字架の神学から遡ればそういうことになるのかもしれませんけど……。
でも、十字架の贖いの教理自体後づけではないかという気がぼくにはするので、ちょっと納得はいかないですね。
私はこの件に関して言えば、暴力が止むことによってしか救いは訪れないと思います。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 入谷
2011/07/12 (Tue) 18:29:33
富田さんや、ともたんさんが考える暴力って何なのでしょうか。
日の丸掲揚君が代斉唱時に起立しないものはクビだ、と恫喝するのは、暴力ですか。
これが暴力だとしたら (私は暴力だと思いますが)、人種差別を撤廃しないとバス・ボイコットだぞ、と恫喝するのも暴力です。
暴力の程度が違う、発する動機が違う、という異論があるかもしれませんが、問題の本質に関わる異論ではなさそうです。
娑婆に暴力はつきもので、そこには、良い暴力と悪い暴力、その適切な使用と不適切な使用、の違いしかないと認めた方がすっきりしませんか。
良い・悪いといい、適切・不適切といい、誰にとってそうなのかが問題になるのは当然のことです。

Re: Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/12 (Tue) 19:30:20
入谷さんがどのような意図で書かれたのか、わからないので、的はずれかもしれませんが
聖書はそもそも、暴力を否定していません。キリストだって神殿で商売していた商人たちを鞭でもって追い払ったではないですか?
ただし、キリストが嫌われたのは、君が代を歌わないならクビにするぞという類いの権力者の暴力です。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 入谷
2011/07/12 (Tue) 20:55:29
et さん
聖書には、何でもありだと思っています。
U.S. の TV 伝道師たちが、それをネタに好き勝手なことを吹きまけるくらいに。
私が気にしているのは、福音書の精神 (霊)にどう真剣に対峙すればいいのだろうかということです。

Re: Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/12 (Tue) 23:09:02
福音書の精神ですか。難しいこと考えているんですね。
隣人愛の実践もその一つかもですね。
少し、肩の力を抜いて信仰生活するのも、お勧めですよ。
どちらにしても、私たちは、そんな大したことはできません。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - ともたん
2011/07/13 (Wed) 00:12:14
>富田先生
人を打った人にも救いの手が差し伸べられている、・・・
ですが、個人的な話で恐縮ですが私の場合人を言葉で打ったり、人の時間を奪ったり、煩わしい手間を課したりしている時、心の中では泣き叫んでいる事が多いのです。決して幸せではないんです。
で、打たれてなおかつ右の頬をだしている相手を見ると、はるかに私より幸せそうなんです。強くたんたんと幸せそうなんです。
打つ私は、そんな人を見て「こんな苦しいのは嫌だ私も幸せになりたい。助けて欲しい」と思いました。
たまたま、私に右の頬を出して下さる人が昔からクリスチャンの方が多かったので、イエス様に泣きつくことができました。神様が「お前みたいなどーしようもない奴はこっちへ来い」と導かれた様な気がしています。
でも先生・・・これはとても個人的なたわいのない救われ方で現実この世の中の出来事は、与えきってしまうのは間違いだと思わざるをえないケースの方が多い様に思ってます。
>入谷さん
・・・が考える暴力って何なんでしょうか?
とても考えさせられました。
私の考える暴力は力ずくで人を傷つける事ですが・・・
暴力と抵抗はある意味とても似すぎていると思いました。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 道川勇雄
2011/07/14 (Thu) 09:54:28
「右の頬を打つ者には」は、無抵抗主義を言ったものではなく、エゴの塊である人間間では、「等価の配分」が不可能だ、という指摘です。
だから、あなた方が理想とする「等価の配分」を実現したいなら、「右の頬を打つ者には」をしなければ出来ませんよ、というイエス(神)の目線です。
たとえば、国境線にしても、こちらから観るとこちらに寄り過ぎているし、先方から観ると、先方に寄り過ぎて見えるでしょう。
簡単に言うと「人間は、自分の物と、人の物の区別が付かない者だ」ということになります。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/14 (Thu) 20:15:34
>道川さん
この掲示板では初めまして。ツイートが面白くてフォローさせていただきました。これからもどうぞよろしくお願い致します。
ところで、「等価の配分」を人間が理想としている、という前提があるのかどうかわからないんで、ちょっとおっしゃっている意味がわかりませんでした。
>ともたんさん
おっしゃっていることは、偶然ですが、私がこの前の日曜日に徳島でやった説教と非常に相通じるものではないかと思います。
近日中にアップしますので、またお読みいただければありがたいです。
ところで、何か非常に自分自身をも傷つけるようなお仕事をなさっているようなご様子に読めるのですが、もし、ここで差し障りがあるようであれば、ダイレクト・メールでお話いただいてもかまいませんよ。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 道川勇雄
2011/07/15 (Fri) 09:25:53
富田 様

>「等価の配分」を人間が理想としている、という前提があるのかどうかわからないんで・・
「人間が理想」としていた、と言うよりも、聖書の重要な規定です。
出エジプト記16章17節と18節に「マナの配分」と言われる記事があります。
天から降ってきた「マナ」を集めるのに、体力・知力の差で、「多く集めた者」も、「少なく集めた者」もあり、オメル(舛)で計って再配分したことが書かれています。
「等価の配分」です。
もう一つ。
レビ記25章8節から54節には、「ヨベルの年」の命令が書かれています。
体力・知力の差、いわゆる「力量の差」で負債を負ったものを解放するのが「ヨベルの年」です。
「等価の配分」です。
イスラエル・ユダヤでは、この二つの「等価の配分」の規定が守られたのは、一瞬のことで、以降守られることはありませんでした。
ですから、イエスは、ルカの福音書 4章18節、19節で 「主の恵みの年」=前述レビ記の規定をイザヤが預言的に語ったものを引用されたのです。
くどくなりましたが、「等価の配分」を人間が理想としていた聖書的根拠は、他にも沢山あります。
要は、この世の中の原則は「力量に応じて働き、力量に応じて受ける」ですが、主に選ばれたものは「力量に応じて働き、必要に応じて受ける」という原則の中で生きることを意味します。
もちろん、聖霊によって一新されたもの意外には、無理だ、という記述が聖書の中にあふれています。
「右の頬、左の頬」の説話は、この「等価の配分」に連続したもので、無抵抗主義ではありません。
無抵抗主義ならば、初代教会の弟子達が、闘争的とも言える多くの書簡を書くはずがありません。
応えになりましたでしょうか?

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/15 (Fri) 10:17:45
「等価の配分」についてのご説明はわかりました。
また、世の人びとは「力量に応じて働き、力量に応じて受ける」(あるいはできるだけ少ない力量で多く受ける、ということも言えますかね?)のに対し、聖書的には「力量に応じて働き、必要に応じて受ける」ということも共感します。
しかし、なぜこの「右の頬、左の頬」の説話がそういうテーマと関係するのかが、まだわかりません。
頭が悪くて申し訳ありませんが、「右の頬、左の頬」の話に集中して説き明かしをいただければありがたいです。
本当にすみませんが、私はこのとおり、理解の悪い頭の固い人間なのです。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 道川勇雄
2011/07/15 (Fri) 13:37:26
富田 様
「等価の配分」を、仇敵法で説明すれば、良いのでしょうか?
「目には目」とうのは、目と目ですから「等価」です。
でも、被害者意識に鋭敏で、加害者意識に鈍感な生身の人間の間では、
「カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」(創世記4章24節)
ということになりがちです。
ですから、「等価」にこだわるなら、あるいは「等価」の律法にこだわるなら、「右の頬、左の頬」にしなければ「等価は、実現出来ないよ」「現実的でないよ」という指摘をされたのです。
もう、よろしいでしょうか?
仕事に出ます。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/15 (Fri) 18:34:23
>道川さんへ
やはり、よくわかりません。
「目には目を」というのは、AさんがBさんの目をつぶしてしまったら、BさんもAさんの目をつぶしておあいこにしましょうという事ですよね?
しかし、この説話は「AさんがBさんの右の頬を打ったら、Bさんは左の頬をも差し出しなさい」という意味でないんですか?
それとも「AさんがBさんの右の頬を打ったら、Aさんは今度は自分も打ってもらえるように自分の左の頬を差し出しなさい」という意味なんでしょうか?
それから、一応この聖書箇所は、「目には目を……」の律法に対して、イエスがアンチテーゼを提示したという文脈に書かれていますよね? 律法を越える倫理というか。
なのに、なぜイエスが「目には目を……」の律法よりも、「等価」の律法にこだわったという文脈に読めてしまうのか、これも私には理解できないです。
いや、本当に申し訳ありません。理解が鈍いもので。単純にしか物事を考えられないんですよ。
お忙しい方のようですから、またお時間がある時にでもご教示いただければ幸いです。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 道川勇雄
2011/07/15 (Fri) 23:14:41
「目には目を」というのは、AさんがBさんの目をつぶしてしまったら、BさんもAさんの目をつぶしておあいこにしましょうという事ですよね?
●その通りです。出エジプト記21章24節の律法です。
しかし、この説話は「AさんがBさんの右の頬を打ったら、Bさんは左の頬をも差し出しなさい」という意味でないんですか?
●その通りです。
それとも「AさんがBさんの右の頬を打ったら、Aさんは今度は自分も打ってもらえるように自分の左の頬を差し出しなさい」という意味なんでしょうか?
●違います。前者です。
それから、一応この聖書箇所は、「目には目を……」の律法に対して、イエスがアンチテーゼを提示したという文脈に書かれていますよね? 律法を越える倫理というか。
●アンチテーゼではありません。律法の現実的な適用です。
なのに、なぜイエスが「目には目を……」の律法よりも、「等価」の律法にこだわったという文脈に読めてしまうのか、これも私には理解できないです。
●イスラエルも、教会も、「人類のモデル」として、神に選ばれた者です。
ですから、「仇敵法」においても、「配分」においても、「等価」が出来なければモデルにはなれません。
無抵抗主義がキリスト教の信条なら、一切の新約聖書は書かれませんでした。
聖書は、抵抗の記録の書でもあります。
どうも、余計なコメントを書いてしまったようです。
ご寛容ください。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/16 (Sat) 16:58:02
道川さんはお怒りになられるかも知れませんが、私は自分の問いに答えてもらったように感じてないんですが、何故でしょうね?
出エジプト記21,24の理屈で言えば、「右頬を殴られたら、殴られた人は殴った人の右頬を殴り返せ」ですよね?
これは「等価の配分」であるというのはわかります。
そして、それを等価の配分であると言いながら、実際には等価でやめることができず、無限の復讐の連鎖に走って行ってしまうのが人間の現実である、ということですよね。
そこで、イエスが新たな視点を提供する。
「右頬を殴られたら、左頬も殴らせてやれ」
この言葉において、何と何が「等価」なのかがわからないのです。
殴った人は、もう一度殴り、殴られた人は殴り返さずにもう一回殴られてもいいとする。何と何が等価なのでしょうか?
すみませんが。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 道川勇雄
2011/07/16 (Sat) 22:43:59
別の側面から、お話させて頂き、この対話を終わりにさせて頂きます。
僕は、これまでの人生を振り返りますと、「あそこまで、やらなければ良かった」と悔いる出来事が沢山ありました。
仕事の面でも、社会生活の面でも、家庭生活の面でも、正当な仕返し(対応と言っても良いでしょう)「目には目、歯には歯」のつもりでやった事々を振り返りますと、「やり過ぎ」ばかりでした。
思い出すのさえ、苦しくなることがあります。
「右の頬を打たれたら、左の頬を出す」ぐらいの気持ちで、対応していたら、きっと、今の後悔の気持ちはなかったでしょう。
僕は復讐心が強いのでしょうね。
その後悔の念が、聖書をそう読ませるのかも知れません。
いろいろお教え下さり、ありがとうございました。
他の方々との対話の邪魔になってもいけませんし、僕の話せる限界ですので、これで終わらせて頂きます
ありがとうございました。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 毛利
2011/07/17 (Sun) 00:27:41
道川さん
お二人のハイレベルな対話を読みながら色々と考えさせられましたが、目には目を、の対応をされたことが後悔に繋がったということで何となく通じた気がします。
私の経験では、復讐したいと思う場面は実に何度もありましたが(今でもありますが)気が弱いことで反論できず、右の頬を打たれて「しょうがないよ」と引き下がることの連続でした。しかし、そうしたことによって得られたことは殆ど全くありません。まして左の頬も出していたら、もっと落ち込み傷ついていたと思います。強く反論できたら、相手を論破できたら、相手を打ちのめせたら、こっそりと毒を飲ませることができていたら、どんなにかスッキリするだろうかと思う日々です。
ですので私はイエスのこの言葉には実は共感できず、むしろ旧約の神(敢えてそう書かせて頂きます)の怒りの力が欲しいくらいです。それこそ些細なことで怒りを覚えて平然と大量虐殺を遂行した挙げ句、罪悪感を感じない神の凄さに惹かれています。
ですので、同じ事象であっても読み手によって聖書の読み方が全然違うということを痛感した次第です。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - tomita@iChurch.me
2011/07/17 (Sun) 20:12:18
>道川さん
やっと、腑に落ちました。道川さん御自身の生きてきた体験からの言葉が身にしみました。
ありがとうございます。
ここまで引っ張って申し訳ありませんでした。
>毛利さん
ぼくもやられた事にやり返す事ができずに悔しい思いをした事がかつて何度もあったので、しばらくの間、「いかに素早くその場で反撃しやっつけるか」ということばかり考えていた時期があります。
イエスだってやっつける時にはバシッと一瞬で決めてますしね。
即座に反撃し、一撃で倒さないとダメだ、と思っていた時期がありました。
これは別に毛利さんを批判するとか、自分が達観したからとか、そういう事では全然ないのですが、これまでのところ、即座に反撃ができるようになってから人生が楽しくなったかというと、そうでもありません。
むしろ、勝負に勝ってしまって情けなさとか空しさが残るのです。
こんな奴やっつけて何になるんだろう、とか。
無駄な労力を使ってしまった、とか。
まあ、でもそうなるためには、やっぱり「目には目を」では気が済まないくらい反撃していた時代が必要だったようにも感じますけどね。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 毛利
2011/07/18 (Mon) 15:07:33
富田先生
道川さんの経験と富田先生の経験を併せると、「目には目を」が結果として良い結果にならなかった、良い思いを出来なかったということになりますが、私は未だ「目には目を」の体験をしたことがありません。先人の貴重な経験として脳にインプットはしますが、どうにも感覚的にはそのレベルにまで達していません。
確かに報復をする相手と今後とも接していかなければならないとすれば、うかつに報復をすることはメリットが少ないとは思います。人間関係が悪化すると後々で損ですし、相手が逆にこちらを狙ってくるかもしれませんし、不当な攻撃と見なされて法的に訴えられる可能性もありますし、それらのことに怯えて警戒しなければならないならば、黙って我慢した方が「将来も繋がりがあるならば」得策だと思います。ただ、それは本意ではありません。言わば妥協です。泣き寝入りです。
先生の仰る通り、つまらない相手を潰すために必要以上のエネルギーを費やすことに虚しさを感じるかもしれない、とは思いますが、裏を返せば「決して自分に容疑がかからず簡単かつ確実に相手に報復できる方法」があるならば、「目には目を」を実践したい気持ちが強いです。「押すだけで相手に最大限の苦痛を与えることが出来る、自分にしか見えないボタン」があれば、私は躊躇することなく押します。
それならば「労力を使ったことの情けなさ」は感じないと思いますし、自分の精神衛生も極めて良い状態になるのではないでしょうか。夜中に飛び回る一匹の蚊を探して徹夜をするのは虚しいですが、電源を入れるだけで効果のある殺虫剤があれば使う、というのに似ていると思うのですが。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - Maria
2011/07/21 (Thu) 11:28:03
こんばんは。お久しぶりです。読ませていただいています。
難しい議論の最中に失礼いたします。ぜひおうかがいしたいと思います。
「右の頬を打つなら左の頬も出せ」というのは、
不正(な者)に対するふてぶてしいまでの嘲笑と開き直り、絶対に負けない意思、拒絶と抵抗の宣言であると気付いたとき、身も心も救われる思いでした。
それまでは病的なまでに被虐的な言葉に聞こえ、ものすごく嫌でした。まるでDVの被害に遭いながら、「夫が殴るのは自分が悪いから」と思って我慢する女性たちを、さらに抑圧する陰湿な論理のようで・・・。
しかしどんな暴力や抑圧、人権蹂躙を受けても、神に委ねてじっと耐え、不正には目を閉じ、相手を怨まず許すべきで、そうすれば殺されても天国に行けるのだから、なんの問題もないと言うクリスチャンもいます。
だとしたらイエスの言葉を、現在の状況に具体的に当てはめると、
「原発事故で放射能を撒き散られても抗議せず、政府の指示通り、汚染された飲食物も疑わずに食べ、高濃度放射能の土壌の上で子ども達を遊ばせなさい」という意味になりませんか?
聖書(の解釈)は「なんでもあり」なのでしょうけど・・・でも実感の伴わない頭の理屈だけで話しているな、というのはよく分かりますし、自分さえ天国に入れれば、地上がどんな悲惨な状況であっても、神さまのそばで心安らかに過ごせるものなのか・・・私が、べつに死んで天国に行きたいとも思ってない人間なので、関心がないだけなのかもしれませんが。

Re: Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/21 (Thu) 19:20:27
mariaさん
おっしゃる通り、この箇所は、自衛を禁じているのではないと思います。
キング牧師はこの『右の頬を打たれたら左も』という箇所を読んで、前述のバス乗車拒否運動を実行したそうですから、この箇所から積極的な抵抗を読み取る人も多いのではないでしょうか?
ところで、天国について書かれていますが、天国は人の死後行く場所という解釈をされているのでしょうか?

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - Maria
2011/07/26 (Tue) 21:52:58
etさま、お返事をありがとうございます。
先日のノルウェーでのテロを受けて、同国首相は「テロにはより強固な民主主義とより大きな寛容性で報復する」"We meet terror and violence with more democracy and will continue to fight against intolerance"と語ったそうです。テロには屈しない、しかし暴力による報復ではなく、寛容の精神で闘うという宣言ですが、ここにイエスの言葉が生きているのを感じました。
また「天国」についてですが、原理主義の教会に通っていたので、死後の霊魂の救済という偏狭な解釈をしがちですが、いまは特に関心がありません。死後、そうした世界があるとしても、イエスを信じる者だけが救われるとは思えず、「天国」とは「行く場所」ではなく「霊魂の体験」、目的ではなく結果ではないか思っています。

Re: Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/27 (Wed) 00:11:50
mariaさん
原理主義の教会ですか。
大変だったのでは....原理主義の教会では、金持ちとラザロの例え話を利用して地獄の恐怖を植え付けるとも聞きますが、本当なのでしょうか?
天国や地獄を死後行く場所と考えるクリスチャンも多いですが、私は、そのようには考えません。
キリストが共にいて下さる状態が天国と考えています。
つまり、キリストが共にいるなら生きている状態でも天国にいると言えます。
そして、私たちは復活するという希望を持っています。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 毛利
2011/07/27 (Wed) 02:08:03
etさん、割り込みですみません、私が関わった原理主義の教会はラザロを引き合いには出していないですよ。流れとしては
・イエスを救い主として信じましょうと言って信じると信仰告白させます(第一段階クリア)
・次にバプテスマを受けると、もっと救われると説明します
・信者がバプテスマを受ける、と言い出すと、皆が祝福します
・その後で、牧師による曲解した十分の一献金の話を出して教育します(ここが問題)
・今更バプテスマを受けないとは言い出せないので、献金についても合意します
・そして献金を促します
恐怖で縛るのでは無くて、今更後に引けないところに持って行って、そこで献金を搾り取ろうというのが彼らのやり方でした。私はバプテスマを受けることは拒否して去りましたが。
etさんは原理主義=カルト的、と思っておられるように見受けられますが、必ずしもそうではないです。一応、ご参考まで。Mariaさんのケースは、Mariaさんの回答待ちですね。

Re: Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/27 (Wed) 08:05:30
毛利さん
ありがとうございました。
毛利さんが行っていた原理主義の教会は、非常に巧妙に信者から、お金を騙しとるんですね。
しかし、金の為にキリストを利用するのは、許せないですね。
私の住む南大阪には、什一を強要(程度の差こそあれ)したり、教会を離れたら地獄に行くと脅して、信者が教会から離れられないようにする教会がけっこうあるので、そのように思いました。
でも、ひょっとしたら、毛利さんが行っていた教会でも、洗礼を受けて信者になっていたら、今度は、教会を離れたら地獄に落ちると教えられたかもしれませんね。
什一献金を長期間してもらうには、うまい方法でしょうから。

Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - 毛利
2011/07/27 (Wed) 12:01:26
etさん
私の関わった原理主義では、教会を離れたら、という想定はどこまでされていたのか定かではありません。ただ、洗礼を受けたら「信仰約束献金」について記載します。要は「1年間にいくら献金をします」という約束をさせられるのです。
この類の教会で悪質だと思うのは「○○の証人、統一○○、○○真理教等とは関係ありません/献金や信仰の強制はありません」と書いてあるのですが、前半はともかく後半は真っ赤な嘘です。せめて一言「当教会は十戒を守っていません」と宣言して欲しいところです。

Re: Re: 7月みんたた「右の頬を打つ者には」 - et
2011/07/27 (Wed) 13:36:09
毛利さんの年収なんて誰にもわからないのだから、適当な金額を献金して、これが十分の一だと言うという手もありそうですが、駄目なんでしょうか?
私の教会が加盟しているバプテスト連盟でも、一応建前は什一なので、『自分の好きな金額を献金して、これが十分の一だと言っといたら。』と言う信徒もいますよ。
まあ、私なんかは、教会内で他の信徒に『什一はしなくて良い。』と公言していますし、特に他教会から転会してきた人が、無理な額の献金している場合は、無理な献金はしないようにお節介なアドバイスしています。
大概は、怪訝そうな顔をされますけどね。

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