みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2011年8月のテーマ: 「立ち帰れ、悪しき道から」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
日本聖書協会の認可を受けています。

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エゼキエル書33章11節

2011年8月のみんたたテーマは、エゼキエル書33章11節です。
長谷川さんのリクエストです。
準備が遅くなりまして申し訳ありません。
以下に新共同訳の日本語を提示します。

******************************

エゼキエル書33章11節

彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。
わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。
立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。
イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

******************************

以上です。印象的な聖句ですよね。
どうぞ、みなさん自由に感じること、思う事、考える事などを書き込んでください。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - 入谷
2011/08/07 (Sun) 08:10:10
エゼキエル書とは関係がないけれど、「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる」が思いおこさせた二つの逸話。
ひとつはジョーク。
<quote>
要約しますと、洪水で家に取り残された男を助けに、梯子を持ってきた人にも、ボートで助けに来た人にも、最後は屋根に逃げていたこの男にヘリコプターで助けに来た人にも、この男は「助けはいらん。神が助けて下さる。」とすべて断った。 そしてこの男は溺死してしまった。
(天での会話。)
(男)「主よ、なぜあの時私を助けて下さらなかったのですか。」
(神)「私は最初に梯子を、次にはボートを、そしてヘリコプターまで送ったじゃないか。お前はそれ以上何が欲しかったと言うのか。」 (http://sugamo-seisen.blogspot.com/2011/03/blog-post_04.html)
</quote>
もうひとつは、「カラマーゾフの兄弟」から
<quote>
しまいには、いたいけな子供のからだが一めん紫ばれに成ってしまった。が、とうとうそれにも飽きて、巧妙な技巧を弄するようになった。ほかでもない、凍てつくような極寒の時節に、その子を一晩じゅう便所の中へ閉じこめるのだ。それもただその子が夜中にうんこを知らせなかったから、というだけなんだ。... この母親は、よる夜なかきたないところへ閉じ込められた哀れな子供のうめき声を聞きながら、平気で寝ていられるというじゃないか!お前にはわかるかい、まだ自分の身に生じていることを完全に理解することのできないちっちゃな子供が、暗い寒い便所の中でいたいけなこぶしを固めながら、痙攣に引きむしられたような胸をたたいたり、悪げのない素直な涙を流しながら、『神ちゃま』に助けを祈ったりするんだよ、... (http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/38845494.html)
</quote>
神はこの五つになる女の子の祈りになんとこたえる。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - がん子
2011/08/07 (Sun) 11:54:20
「むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。
立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。」
この言葉と、富田さんのロングメッセージの『イエスとの出会い直し』の中の
「サウロがそうなったのは、自分というものに、とことん失望した、自分がとことん駄目な人間だと思い知らされたからです。自分には生きている価値など微塵も無いと実感したからです。
 しかし、そんな自分が十字架につけられて、キリストと共に葬られて、そして再び起こされたキリストと共に新しい人生を生きよう、と足を踏み出すのです。そのサウロの中にキリストが復活しています。」
この箇所が重なりました。そう感じました。
まだ立ち上がれなくても、一歩踏み出せなくてもいつか・・・という希望となる言葉だと思いました。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - 毛利
2011/08/15 (Mon) 15:28:42
「悪」について、法的な「悪」なのか、信仰による「悪(つまり神を信じないこと)」に限定しているのか、その辺りを調べねばならないと思いつつ、読めていません。すみません。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - トマス
2011/08/16 (Tue) 20:04:22
>彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。
「神は死んだ」と当時の捕囚民たちは思っていたのかな?
だとすると、案外に現代に通じるモノがあるかも。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - がん子
2011/08/17 (Wed) 22:09:57
「生きている」
とは「今あるのだ」ということなのでしょうか?
というか、その時代神が「死ぬ」という考え方があったのでしょうか?
知識がなくてごめんなさいなのですが・・・

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - 入谷
2011/08/19 (Fri) 08:41:31
当時、イスラエルという共同体は崩壊の危機に直面していて、そうなれば、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」もまた、その冠辞を喪失して、唯の神に成り下がってしまったでしょう。
それを「死に体」と形容していいかもしれませんが、「神の死」とはちょっと違うような。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - @ぷー
2011/08/19 (Fri) 21:24:18
私は罪人(つみびと)ではなく悪人(あくにん)とされて
いるところが気にかかります。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - トマス
2011/08/29 (Mon) 21:13:37
>それを「死に体」と形容していいかもしれません
なるほど。なかなか言い得て妙ですね。
入谷さんは当然御存知でしょうけど、一般に古代社会に於ける戦争は国同士の戦争であると同時に守護神同士の戦争でもあったわけで、そうするとバビロンとの戦争に負けたのはヤハウェが負けたのだ、というのが一般的な理解だったのですよね(それを引っ繰り返したのが、預言者たちの「イスラエルへの罰としての敗戦と捕囚」論だったわけですが)。
なるほどなるほど、ヤハウェは生きているけど死に体であった。とね。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - トマス
2011/08/29 (Mon) 21:22:48
>悪人
旧新約を通して、新共同訳では悪人という言葉はけっこうたくさん使われていますね。数とか原語とか文脈とかちゃんと調べると面白そうです。どなたかやって下されば。
あれ?@プーさんの関心はそういうところじゃないのかな?

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - 入谷
2011/08/30 (Tue) 00:45:07
> それを引っ繰り返したのが、…
そこがすばらしい。
とはいうものの、旧約の敷居は高くて、そのすばらしさについて何事も語れそうにありません。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - トマス
2011/08/30 (Tue) 20:56:24
>>それを引っ繰り返したのが、…
聖書「だけ」を読んでいると、本来は前提であったはずの守護神同士の戦争という一面に気付かず(あるいはそれを知らず)に「イスラエルへの罰としての敗戦と捕囚」論だけが頭に入ってきて、それが当然であるかのように思ってしまうことがありますよね。ある程度の歴史的背景を「知る」ことは、それはそれで大事な事だよなぁ、と思わされます。
そういえば、
>守護神同士の戦争
トロイア戦争を読むとギリシャの神々も真っ二つに別れて人間がやっている戦争への応援合戦になっていますね。面白いです。もちろんのことイスラエル対バビロンの戦争とはいろいろ違うわけではありますが…。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - 入谷
2011/08/30 (Tue) 22:42:10
ある程度の歴史的背景を「知」らせるのも牧師の役目の一つではないんですか。
いまふと考えたのですが、牧師、いい訳語ですね。会衆を牧する人。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - トマス
2011/08/31 (Wed) 19:58:37
>牧師の役目の一つでは
その通りなのですが、なかなかその辺りが難しいです。
広い意味での人文学の教養をどこまで持っているか。
なかなか一筋縄ではいきません。

牧師 - et
2011/08/31 (Wed) 21:47:27
言われるように、牧師という日本語は、信徒という羊を牧する者という意味にとれます。
しかしながら、これでは、牧師のほうが、信徒より一段上という印象を与えかねません。
牧師の教会での働きから言えば、牧師より『教師』のほうが適切だと思います。
私たちの牧者はキリストただおひとりのはずです。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - tomita@iChurch.me
2011/09/01 (Thu) 21:59:54
もう一度日本語本文を読み返してみます。
「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。
わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。
立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。
イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」
この場合、イスラエルよ滅びるな、と言っているわけですよね。
そして、神は悪人が死ぬのを喜ばない、と。
つまり、イスラエルは悪いんだけど、それでも死なないで生きてくれ、と言ってくれているわけですね。
死なずに、立ち帰って生きてくれ、と懇願してくれているわけです。
よく、「わたしなんか死んだ方がいいんだね」とか、泣き言をわざわざ口に出したりする人いますけど、あれのほとんどは「今が生きにくいよ」と訴え、「死なないでくれ」と返事して欲しいという思いの表れのような気がします。
そういうある意味甘えのような感情を裁くことなく、「どうして死んでよいだろうか」と呼びかけてくれている。
これは本当にお人好しというか、神はそういうお人好しすぎるくらいにイスラエルを愛しているのだ、というメッセージに読めます。
死ぬこと自体はたいへん苦痛を伴うでしょうけど、死んだ後は何もないわけで、ある意味究極的な逃げですよね。
でも、逃げずに生きて、与えられた命を全うしてくれというわけですから、しんどい要求でもあります。
途方もなく優しく、しかし厳しい愛ですね。

Re: 8月のみんたた「どうしてお前たちは死んでよいだろうか」 - トマス
2011/09/29 (Thu) 13:49:32
>死んだ後は何もない
そうか、エゼキエルの時代ですものね。復活とか最後の審判とかの考えがまだ無いのですよね。そう考えれば、確かに
>ある意味究極的な逃げ
ですよね。もちろん、死後の名誉みたいな発想は多少ともあったでしょうけど。
>途方もなく優しく、しかし厳しい愛
悪人が悪人のままで終わってほしくないというのは究極の贖罪というところにジワリと近付くのかもしれませんね。いやこれも「お人好し」な神という視点で考えるとまた違ったキリスト教の姿が見えるのかも。

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