みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2011年9月のテーマ: 「離縁してはならない」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
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マタイによる福音書5章31~32節

みなさんから特にご要望もないようでしたので、山上の説教シリーズに戻ります。
今月の課題聖句は、マタイによる福音書5章31〜32節、「離縁してはならない」です。
短い箇所ですが、はらんでいる問題は大きいと思います。
具体的に夫婦関係の崩壊の問題を抱えている人は、この世にたくさんおられます。
下記に新共同訳の日本語テクストを提示します。みなさん、忌憚の無いご意見をお寄せ下さい。

******************************

マタイによる福音書5章31〜32節
31 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。
32 しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

******************************

私はこの聖書の箇所について幾分か論考したことがあります。
この章句は並行記事がマルコ、ルカにもありますが、マルコが書いた最初の記事を、マタイとルカがそれぞれどのように改ざんしたかを比較して読むと面白いですよ。
では、どうぞみなさん、たたいてください。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 毛利
2011/09/02 (Fri) 08:53:36
平行記事を並べてみました。
マタイ5:32では「不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる」
マルコ10:9では「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」
ルカ16:18では「妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる」
マタイでは
1. 「不法な結婚をした場合の離婚」は許可している
2. 不法ではない結婚をした男性は、再婚しなくても、離婚のみでも妻に罪を着せる
3. 離婚せずに別の相手と次々に結婚する場合は触れていない
マルコでは
1. 離婚&再婚は、理由を問わず、男女を問わず、申し出た側が罪を着ることになる
2. しかし再婚せず、離婚のみの場合については罪が問われるかどうかは触れられず
3. 離婚せずに別の相手と次々に結婚する場合は触れていない
ルカでは
1. 不法な結婚かどうかに関係なく、離婚&再婚は妻に対して罪を着せることになる
2. しかし再婚せず、離婚のみの場合については罪が問われるかどうかは触れられず
3. 離婚せずに別の相手と次々に結婚する場合は触れていない
マタイとルカでは女性が「男性側の都合で」罪を着せられるという意味では理不尽ですし、離婚のみで再婚しなかった場合については共通の結論に至っていません。この辺りは下世話なQ&Aで書いてあることなのでかなり重複しますが、私が気になったのは3番目です。つまり「離婚しないで次々に重婚をしていけば問題ない」ということになりませんか?
共通して「(どんな組み合わせであれ)離婚は何かしら問題だ」とは言っていますが、離婚をしないで結婚を重ねることについては全く問題視していません。問題視するまでもないことで「一夫一婦制が暗黙の了解だから言うまでも無い」とも取れますが、イエスのエッセンスは「離婚させられて捨てられてしまった女性」が気の毒だと言っているのではないかと思うのです。ですから(親権とか養育費とか生々しい話は別にしても)多夫多婦制が成立しているのであれば、それは構わないように思います。そもそも、一夫一婦制なんて誰が決めたことなのでしょうか。
男性の立場で言いますと、二人の魅力的な女性が目の前に現れたとして、その内のどちらかしか選べないなんて、不自然ではないですか?例えば男性が多くの男性の友達を持つことは「良いこと」とされているのに、相手が女性になると限定しなければならない。どうしてですか?いいじゃないですか、好きだと思うパートナーと次々と結婚していけば。
叩きすぎましたかね、現実離れした飛躍し過ぎた解釈だとは自覚していますが、私は一夫一婦制について、心のどこかで納得していません。好きなパートナーが沢山居て、片っ端から結婚して、何が不都合なのでしょうか?好きな人を独占したいという、人の持つ独占欲を優先した結果として一夫一婦制が成立しただけで、そこは「ある程度の我慢をすれば」済むことではないかと思われてなりません。その方が子孫繁栄にも繋がるでしょうし。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 入谷
2011/09/02 (Fri) 20:21:56
「不法な結婚でもないのに]って、私にすれば意味不明です。
口語訳は「不品行以外の理由で」で、こちらが素直な訳のようですが。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - masaki@iChurch.me
2011/09/03 (Sat) 17:57:05
一夫一婦制を暗黙の前提にして話していたんじゃないかなと思いますよ。
ほかにも、たとえば夫が死んだら、次々と弟と結婚して、結局7人の兄弟の妻になったけれども(NHKの『江』みたいだね)、死んで復活したときは誰の妻になるんだ、という話がありましたでしょう?
たぶん当時の人も、一夫多妻が法に触れないことは知ってはいたけれど、じっさい男が女子供を養わなくてはいけないという社会では、2人の妻とその子供たちを養うというのは非現実的だったと思うんです。
現実に今でもムスリムたちはいっぷ多妻OKですけど、実際にやってる人は少ないでしょう。
あれは実際にやったら、めちゃくちゃに経済的にも精神的にもしんどいということをみんな知ってるからですよ。
それ以外については、どれも時代を反映して男尊女卑的ですが、その中でも最初に書かれたマルコは、まだその中でも男女平等的なところがあります。
でも、マタイもルカも基本的に男は罪を負わない、という姿勢ですから、そのほうがこの福音書が書かれた時代には読者のウケがよかったと言えるでしょうね。
「不法な結婚でもないのに」というのは、確かに変な訳ですよね。
「不品行」と訳されているのは、「ポルネイア」という、現在の「ポルノ」の語源になった単語ですよね。
だから淫らなことをしたのであれば離縁しても良いぞ、という許可ですよね、実質的には。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 入谷
2011/09/04 (Sun) 01:08:44
毛利さん、並行記事の紹介ありがとうございました。
ただ、私としては、この箇所、
マルコ福音書 10.7-9
それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。
なる文脈とつなげて、はじめて腑におちる文章です。
性的交渉に関してすこぶるナイーブだったように見える 30 男のイエス、私は好きです。
余談ですが、このサイトに投稿するようになるまで新共同訳を読んだことがありませんでした。
大抵は気にならないのですが、自分に思い入れの深い文章 (上のマルコの文章もしかり) については、テンション低いなあ、との感じを否めません。

Re:不法な結婚? - トマス
2011/09/04 (Sun) 01:26:20
ちょっと穿ちすぎのような気もするし、文法的にもこう読めるかどうか調べていませんけど。
>不法な結婚でもないのに
不法な結婚であれば、その時点で既に姦淫は有罪。姦淫をいくつ重ねようと有罪(勝手にせぇ)
不法な結婚でないなら、姦淫については未遂のハズなのに既遂にする気か(怒)
てな読み方はどうですかね。ヨハネがヘロデを批判したという辺りをちょっと思い浮かべながらですが。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - @ぷー
2011/09/04 (Sun) 12:10:07
余談ですが、ご存じのとおりカトでは、婚姻はサクラメントの一つに数えられており、教会法上の離婚はできません。
ただし、離婚はできませんが、「その婚姻はそもそも無効だった」ということにするのは可能です。ただそうするのも、書類をバチカンに送ってから審理にけっこう時間がかかり、
そもそも後になって取消のきくサクラメントって何なの?
と考えてしまいます。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 毛利
2011/09/04 (Sun) 14:25:50
富田先生>
一夫多妻制にすると経済的な意味でも精神的な意味でも厳しいのは分かります、ただ「多」夫多妻制ならばどうなのかな、と思った次第です。どこかの国で一人っ子政策をやっていましたが、あれは「人口が増えすぎたから困った→ならば子供の数を制限させよう」という理屈ですよね。逆に言えば「人口を増やすにはどうすれば良いか」を考えれば「より子供を増やす政策」が導入されるべきだと思うのです。当時のユダヤ人にとっては、子孫繁栄が大切だったのだろうと思うので、その中で一夫一婦制は極めて非効率的ではないかと思います。
更に、夫Aと妻aとの間に生まれた大勢の子供達は(妻を小文字に書いたのは女性差別的な意味では無いです、便宜上そう書いただけです)、遺伝的に似てしまいますが、夫Aと妻a、b、c、夫Bと妻a、 b、c、夫Cと妻a、b、cとの間に子供が出来れば、かなり「遺伝的にランダムな子供」が誕生しますので、その方が病気などにも強い子孫が残る可能性がUPします。すみません、人間の「社会の常識」をぶち壊した話をしています。
入谷さん>
「人は離してはならない」が気になりませんか?私は、ここは「泥棒猫で相手の伴侶を奪うのは良くない」と牽制しているように感じました。自発的に離婚を決めたカップルについては黙認しているのかな、と。
@ぷーさん>
カトリックが離婚を禁止する理由は、何が根拠になっているのでしょうかね。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 入谷
2011/09/04 (Sun) 16:01:18
「この人と添い遂げようという覚悟がないのであれば、結婚なんてするな」とこの度し難いロマティストはいっているだのと思います。
とすれば、「自発的に離婚を決め」るなんて問題外、ということになりませんか。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - トマス
2011/09/04 (Sun) 19:09:23
>この度し難いロマンティスト
それがイエスなのか福音書記者たちなのか、はたまたイエスと福音書記者の共犯なのか、悩ましいところです…。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 入谷
2011/09/04 (Sun) 20:41:11
ロマンティストの誤記です、すみませんでした。
私としては、相愛の二人が添い遂げるというのは、イエスの純情の表現だと思いたい気分です。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 入谷
2011/09/04 (Sun) 21:27:06
@ぷー さん
話をどんどん横道に逸らせますが、教会法が鬱陶しければ非公式な関係で逃げるという手はないんでしょうか。
同棲・野合ですませろといっているわけではありません。正式に結婚すれば民法上いろいろ有利なことがあるらしいし。
つまり世俗法上では婚姻契約を結んで、秘蹟は受けない。やむを得ない事情があれば、世俗法の上で離婚・結婚を繰り返す。
こんなのが常態化したときヴァティカンがどうでるか知りませんが。
えっと、@ぷー さんの投稿を揶揄しようとの意図ではなくて、こんなふうに制度をゆさぶってみるのも、いいかな、という程度の意図です。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - @ぷー
2011/09/04 (Sun) 23:13:46
>つまり世俗法上では婚姻契約を結んで、秘蹟は受けない。>やむを得ない事情があれば、世俗法の上で離婚・結婚を繰>り返す。
>こんなのが常態化したときヴァティカンがどうでるか知り>ませんが。
いや、実際バチカンのお膝元イタリアではそういったカップルが増えてきてるようです。
宗教を制度化した弊害というのでしょうか

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - tomita@iChurch.me URL
2011/09/05 (Mon) 11:01:14
ぼくは入谷さんのおっしゃるような、ナイーブなイエスというイメージが割に気に入っています。
それから多夫多妻ですが、子孫繁栄を科学的に割り切ればそういう形がいいように思いますが、それで社会を平和に保つというのは難しいと思うんですよ。
それこそ、Macの昔のコマーシャルみたいに、人間を全部ロボット化して独裁者のマインドコントロールで動かすような社会でないと、無理なような気がします。
やはり人間、所有欲がありますから、パートナーの取り合いになるし、モテる人とモテない人の差別が激しくなるし(それは今でも同じか)、父親が誰かわからないような状態になると、男性はとことん子どもの養育に対しては無責任になるでしょうし。
しかも、古代にはそういう遺伝子の多様化などの知識はなく、子孫繁栄は大事ではありましたが、それと同じくらい家父長制も強く、基本的に女性は父、あるいは夫の私有財産に過ぎない位置づけですから、男性側の所有権の主張が激しい限り、一夫多妻にならざるを得なかったと思います。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - トマス
2011/09/09 (Fri) 08:35:18
>一夫多妻
話題を散らかすようで申し訳ないですけど、人類学者に言わせると、極々少ないですが、一妻多夫の社会も有るようですね。
そういう文化の中に生きる人がこの聖句を見たらどう思うか?なんて考えるのも自分自身の聖書の読み方を相対化する一つのヒントになるのかな?実際に話しを聞けばそれはまたもちろんのこと違ったモノになるのでしょうけど。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - tomita@iChurch.me
2011/09/12 (Mon) 07:40:23
一夫多妻というのが容認されてて、かつ自分にそれだけの経済力があっても、2人より多くなるともうわずらわしいですねえ。
2人だと、一方で甘えられない時は、もう一方であまえちゃうな。NHKのドラマ見てて「秀吉はええなあー(笑)」とぼやいたりしてますよ。
一妻多夫は、責任感が希薄でいいかもしれない。でも、独占欲もあるから、かなりスネそうな気がしますが。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - トマス
2011/09/12 (Mon) 09:17:36
>一夫多妻
イスラムは4人まででしたっけ。その場合平等でなければならない、と釘を刺していますよね。これはしかし元を手繰ると戦争未亡人(←これも大概差別語だけど)救済の制度だと説明されてますよね。
>秀吉
こういう権力者の場合は明らかに序列がありますからねぇ。
ついでに書けば、江戸時代の大名の場合、正妻は必ず江戸常駐なんですよね。人質を兼ねますから。一緒に参勤交代なんてさせてもらえない(するのも大変でしょうけど)。だから国元の奥向きには必ず??側妾が居る、というどうもそんなことだったようですね。もちろん、国元にも江戸にもたくさん側妾が居るという大名も居ったはずですが。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 毛利
2011/09/12 (Mon) 13:11:22
トマスさん、富田先生
すみません、多夫多妻のネタを振ったまま逃げてしまっていました。
私が気になったのは、どうしてイエス程の「常識破壊のプロ」が、一夫一婦制を前提として話していたのかな、ということです。離婚するから捨てられる、捨てられるから傷つく人が出る、だったら離婚そのものの概念を無くす為には、最初から結婚しないか、子孫繁栄を考えるなら何人と結婚しても良い、というくらい柔軟な発想をしても良かったのに、と思った次第です。
そういう社会制度になっていたら、それはそれで世の中は上手に回っていたのではないかと私は思いますよ。子供に対する価値観とか愛情表現も今とは違うでしょうけれど、バランスは保てていたのではないかな、と。少なくとも夫婦の縛りによるDVや、子育ての義務から来る児童虐待という事件は無いと思いますし。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - tomita@iChurch.me
2011/09/14 (Wed) 00:02:08
ぼくは、DVとか児童虐待というのは、一夫一婦制とはそんなに関係ないんじゃないかと思います。
むしろ核家族化と住宅環境の違い、そしてプライバシーとか近所付き合いの変化という要素の方が大きいと思います。
今の子育ては確実に一昔前よりしんどいものになっていますから。
簡単な例で言えば、大家族で同居している場合、嫁姑の確執はあったかもしれないけど、そこをうまくクリアできれば、子どもの世話は爺さま婆さまやおばさんおじさんで交代に面倒見ることもできたわけで、今のように、両親だけが子どもの世話をする、という状況よりもっと楽な部分があったと思います。
多夫多妻だったら子どもが幸せかというと、これは全く予測がぼくにはできませんが、多夫多妻ならDVなどが無いということは無いんではないかと思います。
イエスが「常識破壊のプロ」かどうかは疑問が残ると思います。
ぼくは、イエスは「とてつもなく人間を愛した人。そのためには手段を選ばない」という印象はありますが、常識を破壊することが目的ではなかったように思います。
例えば山上の説教に関して言えば、彼は、律法の規定を逆手にとって逆の事を言う場合と、律法の規定をとことん徹底するとこうなる、といった論法を使い分けています。
つまり、彼の場合、大切なのは人間なのであって、人間への自分の愛、あるいは神からの愛、赦しを宣言するために、ある時はアグレッシブに、しかし、あるときは超コンサバティブにという場面があったのだろうと思います。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - 毛利
2011/09/14 (Wed) 14:51:34
失礼しました、DVとか私自身とは無縁な世界ですので、かなり勝手な想像を交えて話していました。その辺りについての知識も持たずに「無責任な親が居るのは親の力量が足りないから」という程度の認識で「だったら、より頼れる親が居れば良いのでは」という短絡的な発想をしていました。
なお「常識破壊のプロ」というのは、「常識を変えることを主目的とした人」という意味では無いです。律法に縛られるのが「常識」とされていた時代に「律法の為に人があるのではない」と逆説的なことを堂々と唱えるイエス、それは当時の常識を覆しました。ですから破壊が目的ではなく、人間愛を貫く上で必要に応じて常識を変えていった、という意味です。常識を変えることすら、時としては果敢に迷うこと無く取り組む人、という意味です。
勿論、イエスは巧みに律法や聖書箇所を利用して「石頭の律法学者」を論破してきましたから、彼自身の中で律法や聖書がどういう位置づけを占めていたのか、とは思いますが。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - ノンクリ
2011/09/14 (Wed) 19:05:50
>ご存じのとおりカトでは、婚姻はサクラメントの一つに数えられており、教会法上の離婚はできません。
 これなんですが、夫婦ともどもカトリック、ならともかく、片側のみカトリックって場合、なおかつ、結婚にカトリック教会が全く絡んでいない場合はどうなるんでしょうかね?。
 特に非クリスチャン、無宗教の人間に「神が引き合わせ給うたものを・・」なんて説教したところで、無意味でしょうし。
>「離縁してはならない」
 私個人はこれは、家主体で、現代とは比べものにならないくらい女性の地位が低く、夫側から「捨てられる」といった形の離婚が多かった時代の状況を鑑みての話かと思うんですが。
 単に一度結婚したからには、我慢しろって話ではない、と思うのですが・・・。まあ、イエスに直接聞いたわけではありませんので、本当のところはわかりませんけど。
 そういえば、イスラムも妻帯が4人まで可で、これをもって男尊女卑の信仰と非難する向きもありますが、本来の目的は戦争などによる孤児出現、家族崩壊の防止策、という話を聞いたことがあります。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - ノンクリ
2011/09/14 (Wed) 19:14:05
 連続投稿、かつスレ違いな話題で恐縮ですが。
>江戸時代の大名の場合、正妻は必ず江戸常駐なんですよね
 冗談半分なんですけど、今も事情が変わらなかったりして・・。というのは、二世、三世の国会議員、政治家って、たとえ、選挙区が新潟とか福岡とかの地方でも、当人は東京(首都圏)育ちの場合がほとんどじゃないですか。
 安倍氏(山口県)、田中真紀子氏(新潟県)、麻生太郎氏(福岡県)、小沢一郎氏(岩手県)・・・etc。

Re: イスラムは4人まで - トマス
2011/09/14 (Wed) 19:56:34
創世記の族長物語を読んでいてふと思ったのですが、
これってヤコブ物語から来ている数字?

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - @ぷー
2011/09/19 (Mon) 01:37:11
亀レスですが、
>カトリックが離婚を禁止する理由は、何が根拠になっているのでしょうかね。
カトリックでは聖書の解釈は教会(教皇)のみにあると主張しているので、教会(教皇)が、婚姻はサクラメントで離婚は許されないと言えば、信徒はそれを受け入れざる得ないわけです。
夫婦の一方が信徒で、一方が信徒でない場合はどうだっかたか?よく知らないのです。多分その結婚はサクラメントには
該当せず、パウロ書簡のどこかに述べられていたことを根拠に離婚するのは自由だったように思います。(うろ覚えで不正確です。すいません。どこにそのような記述があったかどなたか解説願います。)
「婚姻の無効」の具体的取扱いですが、各教区に離婚問題担当の神父がいて、前婚を無効にしたい信徒がいる場合、事情を聴いて、前婚に、婚姻を成立させる要素になんらかの瑕疵が認められる場合、バチカンの教会裁判所に具申して、同裁判所が前婚の無効を認めた場合、「前婚無効宣言書」が発行されます。
それをもって再婚している人もいます。
案外カトリックは融通きくところもあるんです。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - トマス
2011/09/19 (Mon) 14:22:14
>案外カトリックは融通きくところもあるんです。
確かに…。融通ということではプロテスタントの方がよほどに利かない場面は多いと思います。「ねばならない」が多いのがプロテスタントの特性ですし。それで溜息付く場面は日常いくらでもあります。カトリックはやっぱり懐深いですよ。
>パウロ書簡のどこか
パッと思いつくのは第1コリント 7:12-16 でしょうか。
カトリックの資料を見たわけではないので違う箇所が根拠かもしれませんけど。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - ノンクリ
2011/09/19 (Mon) 18:07:38
 カトリックだから、離婚に杓子定規に禁止、プロテスタントだから自由ってことはないのでは?
 プロテスタント関係者でもガチガチの離婚反対者もいますし、その辺は個人差の問題でしょうね。
 ただ、やっぱり離婚した人の離婚に関する話はやはり、憚られるっていうか、腫物に触るような微妙な感じ、カトリック教会の場合。あまり、あっけらかんとは語られませんね、やはり。
 ま、あくまで個人的な見聞、経験が根拠ですが・・。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - @ぷー
2011/09/19 (Mon) 20:21:23
>パッと思いつくのは第1コリント 7:12-16 でしょうか。
そうそう第1コリント 7:15だったように思います。
>ただ、やっぱり離婚した人の離婚に関する話はやはり、憚>られるっていうか、腫物に触るような微妙な感じ、カトリ>ック教会の場合。あまり、あっけらかんとは語られません>ね、やはり。
実は私は離婚者なのですが、おっしゃるとおりですね。離婚も長い人生の中では、一つの出来事に過ぎないと個人的には思ってますが、何故このことだけ教会では過大視されるのか、なかなか辛いものがあります。

Re: 前提されている婚姻制度 - トマス
2011/09/22 (Thu) 21:23:46
一夫一婦制から若干外れますけど。
隠れた前提としてもう一つ、夫方居住婚が(おそらく)前提になっていますよね。とりあえず現代日本に限定してですが、社会の大勢も夫方居住婚が(一応)前提ですよね。核家族の場合はちょっと違いますし、核家族の割合が今のように多いとまた社会全体の大勢も違うと言うべきなのかもしれませんが、意識としては日本は夫方居住婚が今も前提でしょう。
何が言いたいかというと、そうするとこの聖句を読む我々は、無意識のウチに夫方居住婚だからと思って「我々の」結婚制度を直接に当て嵌めてしまう。無意識にイエスの言葉を無制限無限定に(拡大して)我々の時代に当て嵌めてしまう。という危険性が出て来ます。その辺りは気をつけなきゃいけないな、と思います。
もう一点、族長物語を読んでいると、夫方居住婚のように見えていながらある種の妻問婚的な要素が書かれていたりします(夫婦でもテントは別で暮らしていたらしいこと、妻のテントについては妻自身が管理権を持っていたようにも読めること、など)。
そうすると、古代イスラエルに於いて、夫方居住婚は何時頃からメジャーになったのか?この箇所を夫方居住婚を本当に前提に読んでいいのか?といった辺りを確認する必要があるのかもしれませんね。

Re: Re: 前提されている婚姻制度 - - @ぷー
2011/09/23 (Fri) 00:12:01
トマス様、なるほど
イエスも当然その時代の文化圏で生きていたわけですから、
その文化圏からの発言となるわけですね。
だからただちにその御言葉を私たちの現実生活に当てはめるのは問題がある。
すこし、気が軽くなったように思います。離婚したことに
悩んでいたので

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - masaki@iChurch.me
2011/09/24 (Sat) 00:58:48
なんでも聖書に書いてあるとおりにすればいいというようなものではないと思うのです。
たとえば第1コリント7章の記事にしても、前後の文脈から読めば、もともとパウロ自身が結婚そのものにネガティブな感覚を持っていますよね。結婚なんかしないほうがいいよ、と。
で、それは別に結婚がいけないと言っているのではなくて、お互いどうしても近づきたいというのなら、結婚するがよかろう、と。
でも、結婚なんかにうつつを抜かしているのではなく、もっと大事なことは(世の終わりが近いのだから)主から与えられた今の生き方を全うしなさい、ということでしょう。
結婚していない者は結婚しないままで(パウロ自身と同じように)、結婚している者は別れないように。
しかし、信仰の有無が大きな問題になるようであれば、離婚してもよろしい。
大事なことは、2人で救われるか、それとも1人でもとにかく救われるのか、とにかく救いの方が大事であって、結婚、離婚の是非は2次的な問題なのだ。
……とパウロが言っているように、私には読めます。
それを前後の文脈や全体的なテーマと関係なく、部分的に言葉尻をとらえて離婚の是非を論じるというのは、私には適切な聖書の読み方には思えないんですけどね。いかがでしょうか?
同様に、離婚を禁じているように読める福音書の各記事も、実は福音書作家ごとに主張の要点がずれていて、何が本当にイエスの言いたかったことなのか、あるいは本当にこれがイエスの言葉なのかも疑わしくなってきます。
このあたりのマタイの記事を根拠にして、「どんな理由があっても絶対に離婚はいけない」と言っていた牧師が、不倫の事実があると聞いたとたんに、「何? それでは分かれなさい。みだらなことをしたら別れなさいと聖書に書いてあるから」とコロリと態度を変えたという例も知っていますのでね、あまり聖書聖書と言うのも、かえって人間としてきっちり一貫性もって考えてるのかというと、そうでもないような人もいるようなので、あてにならないと思っています。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - ノンクリ
2011/09/24 (Sat) 01:17:48
>あまり聖書聖書と言うのも、かえって人間としてきっちり一貫性もって考えてるのかというと、そうでもないような人もいるようなので、あてにならないと思っています。
 そうなんですよねぇ。この種の「聖書は誤りなき神の御言葉」って一体、何なのさって思わされる話ってよくありますよね。なんていったらいいのか、聖書の変なところ、矛盾したところについて、とあるカトリック教会の神父さんにあれこれ聞いてみたことがあります。いろいろ話しましたが、答えとして一口にまとめると聖書は一人で勝手に読んで解釈するものではない、背景や前後関係をよく吟味した上でよく考えないとトンでもない誤解や事態を招きかねない箇所は他にもいくらでもある、だから教会、少なくともカトリック教会の場合、一人で勝手に聖書を解釈することは許さなかったんです、とのことでした。
 これは納得いきました。解釈を教会が監督、コントロールというとなんだか言論、思想の自由の妨害って感じがしますが、聖書を読むとこれを字義どおり勝手に解釈すると大変だ、って部分は確かに多かったりしますし、現にその過激な部分(イエスの「家族を棄てろ」発言とか)を「利用」しているカルト団体もあるわけで。聖書に関する限り、ある程度のコントロールはやむえないかも、と思います。
 学校なんかで習う世界史だと、聖書を一般信者から遠ざけ、腐敗の限りを極めていたカトリック教会に対して、ルターをはじめとするプロテスタントたちが敢然と立ち上がり、なんて図式で描かれることが多く、それはそれで間違いではないとは思うものの、ある程度、キリスト教の事情がわかる今となっては「聖書に帰れ」とか「信仰は聖書のみ」って本当に手放しでいいことなのか?と思うようになりましたね。
 ちょっと、レスの内容がずれてたかもしれません、すみません。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - tomita@iChurch.me
2011/09/24 (Sat) 09:02:15
話題があらぬ方向にそれてゆくのは、ここではアリということで(笑)。
プロテスタント運動が、一種の原理主義であったことは否定しきれないでしょうね。
それによって失ったものは少なくないと思います。
と同時に良い物もあるんですね。
だから歴史というのは、複雑で簡単に判定できないし、そこが面白いところなんでしょうけど。
カトリックが聖書の個人的解釈は許さないというスタンスはある面で正しかったとは言えるんでしょうけど、それは結局、一般信徒は聖書など読めなくてもかまわないという態度と表裏一体だったんですよ。
だからミサの最中、祭壇の周辺でラテン語でむにゃむにゃ儀式をやってるけど、後ろの方では会衆は見てるだけ、寝てるだけ、子どもらは走り回って遊んでるという状態だったそうです。
それを、例えばルターなどは、聖書をドイツ語に訳してしまえ! そうすればみんなが自分で聖書に書いてある内容が読めるぞ! という、まあ一種の民主化運動ですね。そして、それをグーテンベルクの活版印刷機の発明という技術革新が後押ししていった。バッハもミサ曲をドイツ語で歌う物に変えていった……という各方面での刷新運動が始まったんですよね。
でも、その反面、マリア崇敬を廃止し、礼拝堂は簡素なものとし、という具合で、キリスト教の女性的側面を切り捨て、男性的な面を強化してしまった。
それから、信仰のみ、聖書のみ、と言うことで、その二つ以外にも教会が伝えてきたいろいろな伝統/伝承を切り捨てた。
聖書を母国語で読めること、教皇制と排した事で、自由というものを獲得し、民主主義の前身みたいなものを作り出す原動力にはなったけれども、裏返せば、みんな銘々勝手に自己主張を始めて、教会が無限に分裂してゆく原因をも作ってしまった。
分裂していったといっても、自由って言っても、事が「真理」に関わることですから、自分と考えの違う者は「異端」として裁き合うことになるわけで、どんどん流血の歴史が刻まれて行きましたよね。
翻って現在ですが、インターネットの普及により、誰かが何か発言したら、世界的権威と呼ばれるような学者の説も、今朝出任せで思いついたことを書き込んでみましたという人も、同じ権威を持つ平等な意見として並べられるようになると、いよいよ大混乱してゆくでしょうね。
そうなると、いよいよ内容と読みやすさで勝負するしかない。チャンスは誰にでも存在する代わりに、何が本当に深い思索で根拠のあるものなのかということは、どんどんわかりにくくなって行くと言えるでしょうね。

Re: 不純物?夾雑物? - トマス
2011/09/24 (Sat) 20:05:38
>それによって失ったものは少なくないと思います
随分と前にペニシリンの開発物語を読んだことがあるのですが、面白いことが書かれていました。
初期のペニシリンは(もちろん細菌に耐性がないこともありますが)精製の技術も途上で純度が低いのに、少量でとてもよく効いた。ところが、純度が高まるのと逆行するように効かなくなっていった。理由は耐性だけだろうか?なんて事が書いてありましたね。
pureであることを追求したプロテスタントにも当て嵌まる?

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - ノンクリ
2011/09/24 (Sat) 20:10:56
>pureであることを追求したプロテスタントにも当て嵌まる?
 思うにピューリタンってかなり皮肉、イヤミの混じった呼び方のような・・。17,8世紀のプロテスタントでない(英国教会、カトリックなど)英国人の彼らへの感情、見方が窺い知れるような・・。

Re: 不断の努力 - トマス
2011/09/24 (Sat) 20:15:53
>その文化圏からの発言となるわけですね
もちろん時代や文化の違いを超えて真実であることもたくさん書かれていると思います。逆にそれだけに、そこを見極めなきゃいけない。それが難しいのかな、と思います。見極めようとするコチラも近代文明というバイアスが掛かっていますから。その中で、何処までが「人の思い」で何処までが「神の思い」なのか、本当の見極めは出来ないだろうけど、そこに近付こうとする努力、みたいなものがキリスト教徒の人生を掛けた修行なのかな?と考えています。
連想が飛びますが、イギリスの憲法が不文憲法(集合体としての判例が憲法に当たるモノとして重んじられる)なのは、人間は神になることは出来ないのだから、その限界の中で真実に近付こうとする努力の集大成なのだ、という解説を聞いたことがあります。いろんな意味でイギリスらしいなと感じました。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - トマス
2011/09/24 (Sat) 20:20:27
>皮肉、イヤミ
古い話をすれば、クリスチャン(希:クリスティアノイ)なんてのも少なくとも当時(使徒 11:26)はあんまり褒めた言い方じゃなかったらしいですね。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - @ぷー
2011/09/27 (Tue) 09:51:10
>このあたりのマタイの記事を根拠にして、「どんな理由があっても絶対に離婚はいけない」と言っていた牧師が、不倫の事実があると聞いたとたんに、「何? それでは分かれなさい。みだらなことをしたら別れなさいと聖書に書いてあるから」とコロリと態度を変えたという例
漫才かと思いました。ネタになりそう
>プロテスタント運動が、一種の原理主義であったことは否定しきれないでしょうね。
それによって失ったものは少なくないと思います。
と同時に良い物もあるんですね。
一概にカトリックと言っても、ピンからキリまであり、迷信じみたことを信じている人達は大勢います。
そういった人達は、プロテスタントの聖書中心主義を学ぶべきでしょう。
また、プロテスタントで、カトリック的伝統を回復するといったことはないのでしょうか。聖書に反しない伝統であれば可能なのでは。
原理主義ということですが、最近はカトリック内の原理主義(別名教皇のアルマダ(無敵艦隊)といわれている)の勢力が強くなってきていて、今後プロテスタントとの対話にも支障がでてくるのではないかと懸念しております。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - ノンクリ
2011/09/27 (Tue) 20:53:19
>一概にカトリックと言っても、ピンからキリまであり、迷信じみたことを信じている人達は大勢います。
 カトリックって実際のところ、かなりカオスな宗教団体で、何でもアリ、みたいなところありますよね。右から左まで、リベラル・穏健から過激派、カルトまがいまで、もうよりどりみどりで・・。
 バチカンって避妊禁止(信者が実際に守っているかどうかは別)だの、聖職者の独身制維持だの恐ろしくアナクロで保守的なことを言ってますが、本山がそれくらいでないと収拾がつかないのかも?と思わされますね。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - @ぷー
2011/09/27 (Tue) 23:12:46
>バチカンって避妊禁止(信者が実際に守っているかどうかは別)
スペインおよびイタリアの女性が一生のうちに産む子供の人数の平均は、日本より低いです。ですのでバチカンの教えを守っているわけないです。フランスは若干多いですが、これは婚外子の支援を手厚くしているからであって、カトリックの教えとは関係ありません。
この避妊の教え(要するにコンドーム使用禁止)は、
エイズ蔓延という発展途上国に深刻な問題をもたらしていることは否定できません。
カトリックの融通きかない側面です。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - ノンクリ
2011/09/28 (Wed) 18:30:29
>スペインおよびイタリアの女性が一生のうちに産む子供の人数の平均は、日本より低いです。ですのでバチカンの教えを守っているわけないです。フランスは若干多いですが、これは婚外子の支援を手厚くしているからであって、カトリックの教えとは関係ありません。
 おっしゃる通りですね。データや数字でもその通りの結果が出ています(2003年と少々古いデータですけど)。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1580.html
 フランスなど一応分類としてはカトリックですが、ある意味、世界でもっとも政教分離を真面目にやっている国といえましょう(フランス語でライシテっていうそうですが)。ただ、あまりに真面目に厳格に実行している故に主に旧植民地出身者を中心とするイスラム系移民との軋轢があったりしますが・・。しかし、フランスの場合、カトリック、キリスト教関係のグッズ、風習、儀式の公の場への持ち込みも規制していますので、不公平ではないし、筋は通ってますね。
 日本もそうですが、政教分離といいつつ、聖書に大統領が宣誓するとか、国王の戴冠式はしっかり教会式とか・・要するに自分(またはマジョリティ)の宗教は例外ね、なんて、ご都合主義な国々と比較すれば、はるかに清々しい姿勢で、私個人は、この点、フランスを高く評価しております。

Re: 9月のみんたた「離縁してはならない」 - トマス
2011/10/05 (Wed) 19:58:16
10月に入ってしまったのでナニですが。
>姦通の罪を犯させることになる。
>姦通の罪を犯すことになる。
誰に対して?
という疑問がふと沸きましたが…。

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