みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2011年10月のテーマ: 「アナニアとサフィラ」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
日本聖書協会の認可を受けています。

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使徒言行録5章1-11節

10月のみんたたテーマは、使徒言行録5章1−11節「アナニアとサフィラ」です。
下記に新共同訳聖書のテクストを提示します。
どうぞみなさん、ご自由にご意見をお書きください。

***********************************

使徒言行録5章1〜11節

1 ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、
2 妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
3 すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。
4 売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
5 この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。
6 若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。
7 それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事をしらずに入って来た。
8 ペトロは彼女に話しかけた。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と言った。
9 ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
10 すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。
11 教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。

***********************************

これはなかなか面白いエピソードですね。
ぼくは、この中で、4節に目を引かれました。
「売らなくても良かったし、売って自分のお金にしておいてもよかったんじゃないのか」と言っているわけですね。
つまり、そこまでして教会に入会しなくてもいいじゃないか、と言っているように聞こえるのですが、ぼく何か間違っているでしょうか?


Re: 名誉欲という誘惑 - トマス
2011/10/06 (Thu) 21:37:36
では4節から…
>また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか
ルカは何気に教会では財産を共有したと読めるようにも書いております(4章後半)が、5章を見るとそうでもない。 不動産は私有可能で動産は共有という解釈も可能なようにも思いますが、そうでもない気もします。
私にはここは動産も私有してよい、を前提に読んでいいように思えます。 そこで考えたのですが、アナニアとサッフィラの心に名誉欲という魔物が忍び込んだのではないか?と。
大きな背景としては、いわゆる終末遅延の問題があると思うのですよ。 そこを押さえずに、私有財産だ財産の共有だ献金だと言い出すと、変なことになるような気がします。
4章に書いてあることは終末近しという緊張感の中で持ち物の共有が行われていったと読むべきでしょう。 特にルカ文書であることを考慮すると。
そして5章では、終末がなかなかやって来ない状況下(終末遅延)、終末に対する緊張感が薄れる中で、あの夫婦は全財産を投げ出したと言われたいという名誉欲に負けた夫婦が代金の一部と言わずに代金全部のような顔をしたことが不味かったのではないか。 と思うのです。(裏返せば最初から代金の一部と言ってたら問題なかった。)
そこで、現代社会へのアダプテーションとして、やはり現代社会は様々な誘惑がある。 その中で我々はどう生きるか? 全てを捨てて終末を見据えた修道生活のような生き方をするのか? こんな欲もあんな欲も持っています。 ということを神の前にさらけ出すという形で神の前にゴマカシなく生きるのか?
そういう説教を書きました。 こうしてみると、私も4節を中心に組み立てていますね。
おあとよろしく。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/06 (Thu) 22:46:37
これ、早くも私の着目点と違っていていますね。土地を売らなければ「こんなことにならなかったのに」という意味ですよね。そこは着目していなかったです。
私が気になったのは(と勝手に持論を展開しますが)ルカの福音書に限らず他の福音書でも「神の命令に背いた」という理由で即座に殺されたという描写は無かったと思うのです。たとえ話を使っていることが多いですが、全ては天国だかで神が裁きをする、でもそれは「死後に裁かれる」ことを意味しており、今生きている時に裁かれるという事例は、私の記憶の中では1箇所も無かったと思うのです。
ところが、この箇所ではルカの福音書作家が絡んでいる(とされている)のに「天罰が下った」訳ですよね。旧約では天罰は何度となく登場していますが、どうして使徒行伝で「金銭をごまかした」くらいで殺されねばならないのか、非常に違和感を感じました。ユダヤ人が信徒を石で打ち殺されても下されなかった天罰が、入信しようとしてきて(これだけでも大きな進歩ですよ)、でもちょっとした出来心だけで夫婦共々命を落とす。
何とも納得しないな、と思ったので、今回のテーマとして取り上げさせてもらいました。何か旧約の神の流れをくんでいるのでしょうか?

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/06 (Thu) 23:48:24
献金額を多少偽ったくらいで、人が死ぬのなら、今ごろ、日本中の教会は死体だらけになっているでしょう。
ですからまず、このような事件が事実かどうかから、考える必要があります。
この話はエルサレム教会でのことなので、ルカがその場にいたことは考えられません。
つまり、この話自体ウワサ話の域をでません。
また、どこにも神様がアナニヤとサッフィラを殺したとは、書かれてないので、ひょっとしたらペテロが彼らを大声で罵倒して呪ったので、二人とも心臓麻痺で死んだ可能性もあります。
しかし、この箇所でペテロは、非常に恐ろしい存在として描かれていますね。
とても、クリスチャンとは思えません。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/07 (Fri) 18:58:47
トマスさん
終末遅延とは、どういう意味でしょうか。トマスさんの書いている内容を私なりに噛み砕いたのですが
・終末が近づいている(とペテロも含めて当時の人達は考えていた)
・ところが、この夫婦は、その思想に水を差すような行為をした(緊張感が薄れる、とはそういう意味かと思いました)
・しかも「全額寄付した」と偽った
という解釈で正しいですか?そして、それを「終末遅延」と呼んでおられるのでしょうか?後は「ルカ文章であることを考慮すると」という辺りも補足頂ければ幸いです。私の中ではルカと終末が結びつかないので・・・。

etさん
ペテロが恐ろしい存在、確かにそうです。2人が命を落とすシーンを人々は「非常に恐れた」と書いてありますので、恐らく実話(史実)では無いこととは思いますが当時の人達にですら、受け入れがたい光景だったのだと思います。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/07 (Fri) 19:13:33
毛利さん
この箇所は、『聖霊を汚す罪によって打たれた』などと、わけ知り顔の解釈をよく見ますが、納得のいく解釈を見たことがありません。
ですから、こんな事件はなかったと考えるかペテロのせいで心臓麻痺で死んだと考えるほうが自然だと思います。
いずれにしても、神様が殺したわけではありません。
また、ここは什一献金推進教会によって悪用されやすい箇所でもあります。
つまり、この箇所を使って信者が什一献金をごまかすのを防止しているようです。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/07 (Fri) 20:56:10
etさん
そうなんですよね、献金問題が浮上するだろうと思っていました。私も同じ感覚を抱きましたから(ですので「みんたた」に投稿するべきか躊躇しました)。カルト系が悪用しようと思えばいくらでも悪用できる記述です。
しかし
・聖書に書いてある以上「全くのフィクションだった」と言い切ると聖書そのものの信憑性が危ぶまれる
・ペテロのせいで心臓麻痺でなったという根拠が乏しい(そう解釈する根拠が全く無く、確率的にも罵倒されて2人立て続けに命を落とすことは考えられない)
・旧約の記述なら「古い約束は終わり新しい約束をイエスが与えた」で済みますが、ここは新約に含まれている
・旧約の神は、少しの事でも腹を立てて平気で人を処罰していた「前科」がある為、神が殺したと考える方が自然等を総合すると、今回の箇所を「深追いしないでいいですよ」「字義通りに読むのは間違っている」とは言い切れませんし、むしろ聖書を通して神を見ているのではなく、自分達の都合に合わせて神を造り出しているということになります。自分達の都合で神を解釈することは、やはりカルト系が好む手法です。
だから厄介なのです。もう一歩下がって、歴史的な背景を視野に入れないと、この部分だけを叩いている限り「献金をごまかすと殺される」方に勝ち目があると思います。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/08 (Sat) 08:28:10
毛利さん
この箇所が、『事実ではない』または『大事な内容が抜けている』と考えたのは、この箇所が、福音書に描かれているイエス様の生き方とあまりにもかけ離れていると思ったからです。
自分を十字架にかけた人々さえ、十字架上で赦しを願った神の子がアナニヤとサッピラ夫婦を殺すでしょうか?しかも、献金をごまかしたくらいで。
キリスト教というのは、イエスキリストの死と復活を体験として信仰する宗教であって、聖書という書物を信仰する書物信仰ではないと言うと言い過ぎでしょうか?

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/08 (Sat) 09:36:34
私は、この物語が事実に基づいているとはあまり思わないですし、元になる事実があったとしても、「原因不明の突然死」としか思わないです。
死んだ人がいたかも知れませんが、それを「お金をごまかしたから神に打たれたのだ」と解釈する人がいて、それを物語化した人びともいたということだろうと思っています。
では、なぜそのような物語を生み出したかというと、やはり背景に、「あいつは全財産を教団にささげたと言っているけれども、本当だろうか」と言われるような人がいたり、疑う人びともいたり、かなり疑心暗鬼になっている人たちがいたということではないでしょうか。
その背後には「いつまで待っても終末が来ないじゃないか」という、トマスさんが言うところの『終末遅延」の問題があるでしょう。
つまり、「もう終末が来る! もうすぐこの世は終わる!」と思っていた信者たちはともかく、それから何十年経っても終末が来ない。
そうなると、全財産を寄付した人の間から、『もったいない事したのかな……」という後悔が出てきてもおかしくないんじゃないか。
そして、そういう疑心暗鬼が広がると、教会に大盤振る舞いで献金する人は少なくなる。
だから、教会としてはこういう疑心暗鬼を抑えるために、「ウソつくとバチ当たるぞ」的な物語を流そうとする。そういう流れではないかと思います。
しかし、終末が遅延している事自体は、教会も否定できない。「いや、もうすぐ来るんだ! 待ってなさい!」とも言っていられなくなる。
だから、ペトロがアナニアに言ったように、「なぜ売ったのか。あるいは売ってもお金を自分の好きに使えばいいじゃないか」という事になると思うんです。
「別にウソまでついて、入会して欲しいわけじゃないんだよ」と。
『そんな事をし出したら、みんながごまかすようになるから、やめてくれ。本気で参加してくれる人だけでいいんだよ」という思いで、こういうエピソードが説教のような形で流布されたんじゃないですかね。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/08 (Sat) 09:43:55
それから、突然裁きにあって死ぬ、というパターンは、確かに今正典に残っている福音書には珍しいですが、それでも、理不尽な裁きというのが皆無というわけではなくて、たとえば、イエスが実のならないいちじくの木を呪って、一気に枯れさせる場面とかがありますよね。
それに、正典には入らなかった福音書群やイエスの幼児期の物語とかには、イエスと肩がぶつかったから呪われて殺されたとか、イエスが遊んでいたのを邪魔したから呪われてすぐ殺されたとか、そういうのは割とありふれた形で転がっています。
正典に採用された福音書には、そういう物語は少ないですが、さきほどのいちじくとか、使徒言行録のアナニアとサフィラの突然死でも、初期のキリスト教文学全体から見れば、珍しくなく、それが正典化する時には排除される傾向にはあったが、それでも一部正典には残っている、と。
そして、排除された外典、偽典にそういう神やイエスの怒りに触れて突然死した人の物語がごまんとあるということは、一般大衆にはそういう物語がかなり流布していたことの表れでしょうし、「バチがあたるよ」という教訓はふつうにされてたでしょうし、結局それは旧約時代以来、ずっと連綿と受け継がれてきたメンタリティなんだと思います。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/08 (Sat) 12:07:26
富田先生
嘘をついてまで入会して欲しい訳では無い、うちらは真面目に信じているのだから、水を差すな、というニュアンスでペテロ或いは教会は激怒したということですよね。でも、そこには「この世の終わりがもうすぐ来るのだ」という恐怖(か希望か分かりませんが)があるとしたら、現代の基準で考えても、かなり危険な宗教のような気がします(福音書では「世の終わりは父なる神しか知るよしが無い」と書いてあるにもかかわらず)。自宅訪問をする人達の宗教と通じる物があると感じました。
それから裁きを受ける件、イチジクの木は確かに有名ですが、あれは素直に「実がならないから枯らしてやった」という天罰としての解釈では「無い」のかと思っていました、もっと違うメッセージが込められているのだろうと私の中では棚上げしていました。ただ、正典に入らなかった記録にイエスにまつわる「殺された」事件が書いてあるとは初めて知りました。聖書の編纂をする時(ニケア会議でしょうか)に、これらの記録が全て排除されたということは、この会議が開催される頃までは一部の人達はイエスに対して「天罰を下す方」という思想を持っており、決して「柔和で誰からも愛されて、弱々しいイエス」ではなかったということですよね。そう考えると、etさんの書いておられる「イエスの死と復活を体験として信仰する宗教」とは、もっと近年になって成立した新しい考え方、というような気がします。
結局、今回の聖書箇所には「キリスト教の原点が持つ終末に対する焦り」が見え隠れしており、現代のキリスト教とは微妙に違う概念を持っていたのか、ということでしょうか。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/08 (Sat) 12:33:57
etさん
仰る通りで、聖書を信仰することではないと思っています、それは原理主義がやっていることです。
ただ、聖書にある「から」イエスは復活したとなっています。そしてイエスの誕生は旧約で預言されていた「から」神の子であるという称号が与えられている部分があります(勿論、それが全てではありませんが)。つまり聖書の立ち位置が「かなり受け入れつつ」かつ「それなりに受け入れない」という二律背反を要求されていると思うのです。今回の箇所に限らず、例えば創世記が歴史的に正しいのか、神が世を造ったという部分のみ正しいのか、その1つを取り上げても解釈は様々です。
このように「部分的に受け入れる」ということは、クリスチャンにとっては線引きが難しいことだと私は思っていますし、それ故にお互いが理解し合えることも難しいのではないでしょうか、特に「信仰深い人」にとっては。リベラルな人ならば、もっとあっさりと割り切って考えることが出来ると思うのですが、etさんが直面されている什一献金の被害者の方々は恐らく信心深い人達ではないかと想像しています。そういう人達に「聖書を字義通り読まなくても良いのですよ」と説得するのは、かなり難しいことのように私には思えます。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/08 (Sat) 12:41:07
毛利さん
ああー、それはもうカルトですよ(笑)。あるいはカルトと紙一重。
イエスも初期キリスト教も、「世の終わりは近い! 悔い改めよ!」と言っていたカルトなのです。
「世の終わりは神にしかわからない」というのは、終わりがなかなか来ないから書かざるを得なかった言葉でしょう。
イエスによる天罰という発想は、実は福音書が生まれる頃では、割とありふれたものなんです。
それは、イエスによる癒しの奇跡とか、自然現象に対する奇跡と並んだものとしてあったものなんです。
イエスの死と復活を体験した人びとが始めた信仰というのを否定するのではありませんが、それと並行して、イエスの裁きという発想は色濃く残っているし、たとえばそれはマルコ福音書の中で前提とされている、エルサレムのローマ軍による陥落も、イエスを十字架で殺したユダヤ人たちへの罰だ、という信仰もあったのです。
だから「責任は全てユダヤ人にある」という発想で福音書が書かれていたりするのですよね。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/08 (Sat) 13:15:26
富田先生
現代のキリスト教では「イエスは全ての罪を背負って十字架にかかった」「神との新しい約束を提案した(律法からの呪縛を解き放った)」「イエスを信じることで救われる」「神は愛である」「神は赦す」「隣人愛こそ最も重要だ」という、言わば「これから生きていく上での希望」としてのイエスが強調されていますが、それは当時のイエスの思想の根底にあったかどうか定かでは無く(勿論、そういう側面もあったのだろうとは思いますが)「この世の終わりだ、だから急いで悔い改めろ」という恐怖感を煽る、現代でも十分にカルトと認定される思想は少なからずあった、ということですか。
もしもそうだとしたら、イエスの「良い部分だけを抜粋した」共観福音書が福音書の3/4を占めている理由も納得いきます。恐らく当時の人々に最も受け入れやすいイエス像を描写をしていますからね。もしも正典に入れられなかった書物も聖書に組み込まれていたら、キリスト教はここまで普及しなかったのではないかという気にすらなります。それこそアナニアとサフィラのような恐ろしい天罰が列挙されていたら、イエスは父なる神と同じ「恐怖による支配」を目論んでいたと受け取られても仕方ないですし。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/08 (Sat) 13:22:49
毛利さん
什一献金については、旧約聖書を字句どおり読むと、その矛盾点がもっと露呈します。
例えば、レビ記27章を読めば、当時の十分の一規定は、農業および牧畜収入のみに適用されていたことがわかりますし、その使われかたも、レビ人及び社会的な弱者の為に使うことが定められています。
現代の什一献金のように教会の維持費や牧師給に使われていたわけではありません。
つまり、旧約聖書を詳細に読めば、現代の什一献金は律法とはかけ離れた代物(偽律法)であることが、明らかになります。
また、現代の什一献金のように、律法を拡大解釈して全収入の十分の一としたのは、当時のファリサイ派であることが、ルカによる福音書の18:9以下のファリサイ派と徴税人のたとえやマタイ23:23の『はっか、イノンド、ういきょう』の箇所を読めば理解できると思います。
つまり、聖霊派や福音派の信徒さんが、什一献金を絶対的なものと捉える原因は、聖書を字句どおりに捉えることにあるのではなく、一部の牧師たちが意図的になした信徒教育にあるのではないでしょうか?

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/08 (Sat) 16:23:37
etさん
私は什一献金の「義務化」については反対の立場を取っています、その点ではetさんと同じ立場でありますが、その上でコメントします。
ルカ18:9は什一献金が形式的であるとイエスは批判していますが、マタイ23:23では後半で「ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません」とも書いてありますので、後半部分を取り上げられると什一献金についてイエスは全否定している訳では無い、むしろ「正義とあわれみと誠実をおろそかにすることが駄目」であって、それらを併せて什一献金することを奨励していると取れます。什一献金を強要する教会は、その箇所を引用しているのではないでしょうか?
私は「ただし・・・」以降は教会関係者が後で付け足したのかと疑っています(が根拠はありません)。
レビ記は27:30以降ですか?どうも、漠然としか書いていないのですが。確か、もっと明確に記載してあった箇所を紹介頂いた記憶があるのですがマークし忘れていて探せません。すみません、具体的な箇所を教えて頂ければ幸いです。

なお、レビ記27を例に出すなら「シェケル」に換算してからでないと駄目ということになりますが、今時献金をするのに当時の通貨に戻して計算することはありませんから、それを「今風にアレンジしたら」単位は「日本円」になり、「今風にアレンジしたら」用途は「教会の運営」になるのかと思うのですが(いかんせん、レビ記27では什一献金が社会的弱者に使われるとは読めませんので、あまり踏み込めません)。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/08 (Sat) 18:31:07
毛利さん
マタイ23:23の箇所で、言及されている『はっか、イノンド、ういきょう』というのは、当時十分の一規定の対象外とされていた、香辛料のことです。
つまり、この当時のファリサイ派は、十分の一規定を拡大解釈して献げていたわけです。ですから、イエスが、わざわざファリサイ派の拡大解釈部分に言及している点に注目し、後の箇所でこの拡大解釈部分を『ぶよ』にたとえている点を見れば、イエスが決して什一献金を勧めているわけではないことが理解できるのではないでしょうか?
また、ここは日本語訳によって私たちの受け取り方がまったく違ってくる箇所ですので、注意が必要です。
また、私たちの教会のホームページ掲示板で什一献金については、詳しく議論していますので、よろしければ、訪問してみてください。
http://www.eonet.ne.jp/~mount-zion/index.html

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - ノンクリ
2011/10/08 (Sat) 23:27:45
>それに、正典には入らなかった福音書群やイエスの幼児期の物語とかには、イエスと肩がぶつかったから呪われて殺されたとか、イエスが遊んでいたのを邪魔したから呪われてすぐ殺されたとか、そういうのは割とありふれた形で転がっています。
 ええ~!そんな話があるんですか。知りませんでした。でも、それじゃ、救世主どころか、「恐怖新聞」とか「エコエコアザラク」の黒井ミサじゃないですか。(知らない人、すみません、昔のホラーマンガです)。
 >イエスも初期キリスト教も、「世の終わりは近い! 悔い改めよ!」と言っていたカルトなのです。
 そうですよね。今、カルト、異端扱いされている、某教団も、あの教団は何百年か後には立派な「伝統宗教」となり、教祖や開祖に向けられた社会的非難、取り締まりは「法難」とか「迫害」ってことになるんでしょうかね?
 とすれば、まともな宗教とそうでない宗教、教団、教会はどうやって見分けたらいいんでしょうね?なんだかわからななくなってきます。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/08 (Sat) 23:49:21
etさん
教会を紹介頂き、ありがとうございます。「悪用される聖書箇所」でしょうかね、特に注目すべき点は。簡単に読めれば、と思って開いてみましたが本腰を入れて読まないと理解が難しいと感じましたので、ここは別途感想を書かせて下さい(すみません、要は読めていませんので今は書けませんということです)。
マタイ23:23ですが、いくつかの聖書を並べてみましたが、いずれにしても以下の<・・・>に相当する箇所は記載されています。
マタイ23:23 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。<もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。>
次に続く「ぶよ」は、らくだとの関係が理解できず、どう繋がっているのか把握できませんでした。ただ、23:23を読む限り、<・・・>の箇所は「拡大解釈をしているにしても、正義、慈悲、誠実と一緒に什一の『捧げ物』は大切だ」と私には読めます。
そもそも、今回のテーマとなっている聖書箇所でも深くは触れられていないのですが、当時のキリスト教会では(捧げ物ではなく)献金に対して条件を設けていたのか、というところが分かりません。1つ前の章では
4:32 信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
4:33 使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。
4:34 彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、
4:35 使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。
4:36 クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、
4:37 自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。
とありますように、実は当時の人達は「全ての物を寄付&換金するのが常識」だったのではないでしょうか。トマスさんが触れられた通り、終末を覚悟していた人達だからこそ出来たことなのかもしれませんけれど、本来ならば什一と言わずに全額寄付せよ、という前提で動いていたのではないでしょうか?そもそも什一については「捧げ物」であって「金銭」という視点で見れば使徒4:34〜4:37にある通り、「有り金全部」だと私には読めます。
勿論、そんなことをしたら一般社会では生活できませんし、キリスト教も広がりませんから現実的では無いのですけれど、それでも「全てを売り払って共同で生活をしていくこと」が当時のキリスト教会だったのではないか、という気がしています。そして4:35で「だれにでも分け与えられた」訳ですから、それはそれで俗世間から離れて小さな集落で生活するという雰囲気があり、悪いことではないのかな、とも思ったりしています。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/09 (Sun) 07:27:30
毛利さん
マタイ23:23についてですが、一つの解釈としては、当時のファリサイ派が勝手に律法を拡大解釈していたことに対するイエスの皮肉と読むこともできます。
つまり、『おまえたちファリサイ派は、律法を拡大解釈して、はっか、イノンド、ういきょうの十分の一を納めているが、律法で一番大事な正義、憐れみ、忠実をないがしろにしている。
もちろん、おまえたちが、勝手に拡大解釈したのだから、これら香辛料の十分の一も納めるべきだが。』
という解釈もできます。
しおんりべらるっぽい掲示板の最近の書き込み(悪用される聖書箇所ではない。)でアタナシウスさんが、マタイ23:23のいろんな聖書訳を比較したサイトを紹介されていますので、参考にしてください。
初期のキリスト教会での財産の共有は、すべての教会で行なわれていたわけではありません。
財産の共有は、エルサレム教会のみであって、パウロが開拓した異邦人教会は、財産の共有は行なわれていなかったと考えられます。この異邦人教会こそが現代の教会のルーツです。
そして、もちろん異邦人教会で什一献金が行なわれていたという記述は聖書にはありません。
パウロが書いているのは、献金についてではなく、募金についてです。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - がん子
2011/10/10 (Mon) 07:12:46
昨夜の聖研で「土地を私有しない」ことについて学びました。
その中で「ルカ的『原始共産教会』の幻想」というお話があり、ちょうどこの個所が出てきました。
問題点として
・私有が前提とされ、それへの執着心の放棄が中心(個人の心的態度)
・財産の私有そのものは否定しない
というお話をされました。
この方はルカが大嫌いなので(笑)、この箇所を「信者たちに自分の所有を全部吐き出して教会に献下させる強迫観念(精神的な態度が必要という考え方)を受け付ける物語だ」とおっしゃっていました。
テーマが土地を私有しない神学だったので、このルカの考え方が後の教会の大地主化に繋がったのだということを学びました。
天罰的な考え方はけっこうあるのだということも聞きました。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/10 (Mon) 10:06:54
>ノンクリさん
まとな宗教とそうでない所を見分ける方法は、究極的には自分の感性しかない、という気がします。
自分がそこで幸せならば、それでいいのですよ。
どんなにお金をむしられても、どんなに奉仕を強いられても、自分が満足なら、その人にとってはカルトではないのですよ。
そこが難しいところでもあるんですけどね。入信してしまった人は、絶対に自分は正しいと思っていますし、それを脱会させるためには、「逆洗脳」とでも呼ぶにふさわしい方法、つまり洗脳と同じ方法で、こちらの世界の常識を叩き込みますから、やってる人も自分がやってることが妥当なのかどうかわかんなくなってしまうこともあるみたいです。
そして、脱会者も、「頭では自分のやっていたことが間違っていることはわかった。でも、あの頃の充実感、生きている手応えは、懐かしいし、それを失った事は寂しい」とおっしゃったりしますからね……。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/10 (Mon) 10:13:48
>毛利さん、がん子さん、etさん
ぼくも、そんなにめっちゃ詳しいというわけではありませんが、例えば、ペトロのいるエルサレム教会では、全財産の寄進が求められた……しかし、異邦人教会ではそういう事をしたところもあれば、しなかったところもある、ということですかね?
使徒言行録よりもずっと早く書かれたパウロや他の人の手紙を見ても、全財産を捧げるという事が行われていた形跡は感じられませんね。
パウロなんか、「俺はテント職人で、自分の手で稼いでいるんだ!」と自慢そうに言っていますしね。
ルカさんの真意はともかく、全て捧げよ、というのは、教会中心主義の理想論であることは間違いないですね。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - ノンクリ
2011/10/10 (Mon) 17:24:37
>自分がそこで幸せならば、それでいいのですよ。
どんなにお金をむしられても、どんなに奉仕を強いられても、自分が満足なら、その人にとってはカルトではないのですよ。
 うーん、なんだかミもフタもない気がしますが、そんなもんですか・・・。
 結婚の問題と似てるかな?第三者からみて夫、あるいは妻からひどい扱いを受けても別れない人もいれば、「え?そんなことで?」といいたくなる理由で別れる人、被害を訴える人もいるし、みたいな感じで。
 初期キリスト教についていえば、何もネロみたいなエキセントリックな皇帝だけではなく、哲人皇帝マルクス・アウレリウスとか、帝政末期、衰退していくローマ帝国を必死で支えたディオクレアヌス帝、など有能で責任感溢れる皇帝も、というか、そういう皇帝ほど、キリスト教大嫌いだったというのが、初期キリスト教の問題点とか特徴を浮き彫りにしているかも・・、と思うのですが・・。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/10 (Mon) 22:22:10
『どんなにお金をむしられても、どんなに奉仕させられても、自分が幸せなら、それで良い。』
一見まともな意見に見えますが、本当にそうなのでしょうか?
まず、一つ言えることは、お金は、いずれ尽きるし、奉仕だっていつかできなくなる日が来るということです。つまり、頑張れるうちは良いのでしょうが、頑張れなくなった時、カルトに所属していると精神的な圧迫を受けて最悪精神を病んでしまうということを忘れてはならないと思います。
また、カルトでは献金を非常に強調すると同時に、終末論によって財産を騙し取られる為に、信徒は、大切な老後の蓄えを失います。
また、終末論を強調するところでは、信徒は年金も必要ないと考えてしまうために、無年金の信徒もいると聞きます。
極端なところでは、『什一献金は救われる為の行ないの最低ラインだ』という偽の教えがまかりとおっているので、貧しい信徒は、借金をしてでも什一献金を納めるそうです。
でも、サラ金から追い込みをかけられていて、それでも幸せと言えるんでしょうか?
もし、本当にそれでも幸せというなら、マインドコントロールによる偽物の幸せではないでしょうか?

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/11 (Tue) 13:01:58
やはり本人が「幸せだ」と感じ続けることができていたら、幸せでしょう。
マインドコントロールによる幸せであっても、やはり本人が幸せだと心底感じる事ができていたなら、幸せなんだと思いますよ。
まあ一種の極論でして、だからカルトは良いのだなどと言うつもりは全くないんですが、ただ、私たちから見てカルトから何とか救いたいと思っても、なかなか本人を説得するのは難しいですよ、ということです。
結局、逆洗脳をかけないと戻らないし、その逆洗脳も完璧ではないこともままありますから。
それにカルトを自分とは全く相反するもののように物を言う人が多いですが、自分が受けてきた教育だって、いわば一種の洗脳ですからね。やはり片寄った思い込みが自分の中に全く無いかというと、それは嘘になるでしょう。
そういうことを反省すると、自分だって、自分がいいと思っているから人に勧めたりしているけれど、他人から見れば実に奇妙な思い込みに洗脳されているようにしか見えないのではないか、ということを考えてもいいのではないかと思っているだけです。
ある宗教団体に献金をいくらしようが、本人の自由であれば問題ないし、強制であったとしても、それだけの価値があると信者が思ったら、結局は自発的な判断による献金ですよ。
精神を病んでしまったり、収入や蓄えを失ってしまって、「しまった!」と思うとき、洗脳が解ける人もいるでしょう。洗脳が解けてしまえば、それまでやってきたことは何だったんだ、ということになりますが、それでも、そこで洗脳が解けるまではやはり幸せだったのではないですかね。幸せは、その時点で終わってしまいますが。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/11 (Tue) 15:39:30
etさんのご指摘も凄く納得いきます。最後は使い捨てられるのに、その一時的な幸せの為に騙されていることを気づかずに走り続けることは良くないことではないか、ということだと思います。偽物の幸せ、とは、まさにその一言に凝縮されています。
一方の富田先生の「教育そのものも洗脳だ」ということも分かります。唯一引っかかるのは「強制であっても献金する価値があると思ったら」という部分ですかね。強制であり、かつ価値があると思う、という部分が成立するのか、という気はします。恐らく価値は感じていないけれど恐怖感で渋々払っているのではないかと思うからです。
会社で働くことは最も典型的な洗脳のような気がします。会社のためにサービス残業をすること、命を削って働くこと、仕事をしないと金をもらえないと思い込んでいること、そして労力とは見合わない給料を手に幸せを感じる、言わば「会社教」という宗教に洗脳されている社員が「○○さんは△△の宗教にのめり込んでいる」と批判することが出来るのだろうか、という気がします・・・が、それでも本人が幸せだと思っていたらそれで良いという気もします。
結局、人間は最後まで幸せだと騙され続けていけば幸せなのかな、という気がします。知らぬは仏、ではないかな、と。あぁ、まとまっていないことを書いていますよね、すみません。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/11 (Tue) 16:17:44
被害者本人が最終的に、気づいた時には、お金もなく、年金もなく、仕事もなく、精神まで病むという事実があることは確かですからね。
そして、カルトの指導者のみ、豪邸に住んで高級車に乗って、年金もきっちりとかけている。
信徒の子供は、ろくに教育も受けられないのに、 カルト指導者の子供は海外に留学しているケースまであります。
リベラルな教会にいると、シオンの丘教会の教会員もそうなのですが、このような話を聞いても、実感がわかない為か、なかなか理解しずらいとは思います。
逆洗脳する必要はないと思いますが、私たちはこのような事が、実際に日本のキリスト教会で行なわれていることは、知っておく必要があるのではないでしょうか?

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/11 (Tue) 19:14:34
私自身は、etさんや毛利さんのおっしゃるように、組織に利用されてしゃぶりつくされて生きるのは嫌ですよ(笑)。
もう現時点で嫌だと思った時点で、いわゆる「会社教」とか「勤勉症」というのではないと思います。
でも、いくらリベラルで、カルトに批判的だったからといっても、やっぱりリベラル風キリスト教に洗脳されている状態なのかなあ、とか自己反省しちゃったりするんですよ。
どんなにしんどくても、学校という本業の以外に教会から来た仕事を断らない自分を発見したとき、「あれ? なんで俺こんなに必死になってるんかなあ?」とおかしくなる時があるんですよ(笑)。
あれだけ教会のことをボロカスに言っておきながら、実は人一倍教会を愛しているんですよ、きれいな言葉で表現すれば。
でも、時々、同じ牧師の仲間から「おまえはおかしい」と言われることもあります。「お人好しにもほどがある」と。
その時、あれ? ぼくは教会にイカレちゃってるのかな? とか思ったり。
あるいはジョブズ教にもかなりはまってますよね(笑)。
いくらコンピュータ関連危機にお金をつぎ込んでるのかと。こんなにAppleにむしりとられて、それでもAppleのファンだなんて、やっぱりおかしいんじゃないか、とか。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/12 (Wed) 12:03:11
コンピュータ関連危機 → コンピュータ関連機器

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/16 (Sun) 19:53:46
私もApple信者ですので、先生と同じようにAppleに献金をしています。みすみす新機種に買い換えさせられるとわかりつつも低価格でOSをインストールする、案の定iPhoneやMacが徐々に遅くなり、新機種が出て購買意欲が一気に爆発して買ってしまう・・・でも損をしたとは思わないです。何故かを考えてみました。
教会に献金することに抵抗を感じるのにAppleに献金をしても損をしたと思わない理由は「結局、教会には献金する価値が無い」ということではないかと思うのです(教会関係者の皆様、申し訳ないです、暴言を吐いているかもしれません)。Appleは新機種になると確実に進化していて便利になっている、より快適な製品を提供しているのに対して、教会では「祈りましょう」「神の恵みを感謝しましょう」と言う割には神の恵みが無いことが多い。気持ちとしてはマイクロソフトに対して金を払いたくないのと似ているような気がしています(マイクロソフト関係者も敵に回した気がしました)。
ですから、カルト教団であっても「心の底から感謝を感じている」「物理的な御利益がある」のであれば自然と金を払うのはやむを得ないのかと思う反面、今回の聖書箇所ではありませんが「金を払わないと殺される」というのは、やはりルール違反だと思います。結局、自発的に、周囲の目を意識することなく、自分の自由意思で(製品で言うならオープンプライスで)献金させるような魅力を教会側が提供していないことに、違和感を感じずにはいられません。
そういう意味では教会を愛しているのではないですね、私の場合には・・・。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/16 (Sun) 20:23:59
教会に献金する価値がなくなっているという毛利さんの意見は、残念ながら当たっています。
イエスは一種の革命家のような存在として現れたので、やはり、当時の人には、魅力的だったのでしょうね。
それが、2000年もたつと、単なる宗教組織になり、保守的で魅力のないものになってしまったということでしょう。
中でも、什一献金信仰(神学というほどの内容はないので)は酷いもので、教理的にはでたらめです。
キリスト教も、けっこう金に執着している宗教と言えるでしょう。しかし、神様にお金を献げるとは、いったい何なのかと、非常に疑問に思うこの頃です。本当に教会で献金をすることを神様が望んでいるのでしょうか?
非常に疑問です。
現代は、宗教改革が必要な時代かもしれません。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/17 (Mon) 09:08:44
先日、近所の(以前私が関わっていた)原理主義教会から秋の説教のチラシが届きました(近所の家々に配布しています)。
それによると「献金はクリスチャンが神様への感謝を込めてするものですので、どなたにも決して強制されるものではありません」と書いてあります。神に献金することで神が喜ぶとは思えないのですが、それは別にしてもここは什一献金を「教会員になると」強制されます。ならば、その旨もきちんと明記して欲しいと思います。
一時期携帯電話のゲームでも表向きはフリーと言っておきながら裏ではアイテムを購入すると課金される、ということで問題になっており、今では小さな字で「一部有料のコンテンツもあります」と書いてありますが、どうして教会は「会員になったら別途、什一献金を強制する」という記述をしないのでしょうか。
そこには納得いかないです、騙していると言われても仕方ないと思うのですが。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/17 (Mon) 12:39:23
毛利さん
什一献金を本気で正しいと考えている教会では、サイトに什一を明記しているケースもあります。
これは、これで立派だと思います。
しかし、大多数の教会は什一を書くと、教会に来る人が減ると考えているので、サイトに載せないというのが、本音でしょう。
それと、信徒さんが、献金の悩みを献金から給料をもらっている牧師に相談するケースがよく見受けられます。
しかし、これなんか、うなぎ屋に行って、『うなぎは身体に良くないでしょうか?』と相談するのと、ほとんど変わりません。
献金から給料をもらっている牧師にしたら、什一しないで良いと言えば、自分自身の首を絞めるようなものでしょう。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/17 (Mon) 17:13:15
なるほど……
私はetさんのコメントから思い出すのは、私が時々「教会担任の牧師でなくてよかった……」ということですね。
献金で食べてる牧師から見れば、「献金は自由ですよ」というのは、かなりリスキーですよね?
でも、ぼくはそんな強気ではないどころか、信徒に自分の生殺与奪の権利を握られていることで、ものすごいストレスになってしまうと思います。
信徒をお客さまみたいに接待してしまいそうです。
信徒が献金しなくなったら、自分はおしまいですからね。
まあだから、献金でメシを食いながら、強気で信徒に迫れるという図太い神経の持ち主に少しはあやかりたい気がします。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/17 (Mon) 18:45:16
冨田先生、献金から給料をもらっている牧師たちが強気なのは、献金が神様の命令だと信じこんでいるからです。
ただ、新約聖書を読めば、献金のお勧めによく使われる第2コリント8章〜9章は、パレスチナで飢饉があった時の、義援金であって、継続的な献金ではありません。
このように新約聖書には献金についてほとんど書かれてないのに、献金が神様の命令だと強気になっている牧師たちを見ると、もうちょっと聖書を読むようにアドバイスしたくなります。
本当は、牧師も平日は働いて経済的自立をして、休日に教会を支えるようになれば、世間からも尊敬されるし、経済的な余裕をホームレス支援等に回して社会貢献できるはずです。
什一献金もそのように使われるなら、私も喜んで献金すると思います。
それと、現代日本の教会で、教会員に什一を義務付け、会員数100名を超える教会なら、経済的な余裕があるはずなので、社会貢献できると思いますが、あまりその手の話は聞こえて来ませんね。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/18 (Tue) 02:50:08
富田先生、私は逆に、普段から「何かあったら神が祈りを聞いてくれます」と言い続けていて、まるで神を味方にすれば何でも出来ると言い続けている牧師さんが、神に祈っても聞いてくれないと嘆く信者さんに対して「信仰が足りない」と言っている牧師さんが、実際には什一献金で(それも聖書的な根拠も無く)強要するのは、いかがなものかと思います。
信徒に対しては「祈りは神が聞いて下さいます」と言うならば、まずはご自身から率先して「献金が無くても神は必要な物を与えて下さいます」を実践するべきではないのかなと思うのです、厳しい言い方ですけれど(特に原理主義の教会全般に対してそう思います、リベラルな教会でしたらそこまで字義通りに神の約束だとか言わないとは思いますけれど)。
何かその辺りの自己矛盾を、牧師さん達は抱えていないのかな、ということはずっと気になっています。
後は繰り返しになりますが、什一献金を払う価値が無い、綺麗事しか言わないで、本当の意味での弱者の救済をしない牧師さんが「神への感謝」と称して什一献金を求めるのは、神への冒涜のような気もします。いくつかの教会を回りましたが、新しい発見とか心の支えとか、色々と考えさせられるとか、本当の意味での「生きている喜び」を提供してくれる教会には30番地を除いて出会ったことがありません。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/18 (Tue) 11:38:50
毛利さん、
私は、牧師に勧められるがままに、什一献金するほうにも問題があると感じます。
信徒も、少し常識を働かせれば、牧師は献金に利害関係があることくらいわかるではないですか。
しかしながら、牧師に献金の相談をする信徒さんは後をたちません。
利害関係があれば、牧師の答えは火を見るより明らかなはずです。献金の相談は、牧師ではなく、むしろ先輩の信徒にするほうが良いでしょう。
まあ、自分が献金する額くらい、自分で決めるべきです。
なんで他人に決めてもらおうとするのか、理解に苦しみます。
牧師の意見はあくまでも参考に過ぎません。
八百屋に行って、『ここの野菜は、農薬大丈夫ですか?』
と聞くような、愚かな行為です。
八百屋なら、たとえ中国産の危険な野菜だったとしても『うちの野菜は、中国産なんで危険なんですわ。』
と言うでしょうか?

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 悪友86号
2011/10/19 (Wed) 09:09:25
初めて書き込みします。挨拶もそこそこに書き始めますが、なにゆえにこの教会では献金批判というと毎度のことながら異常に盛り上がるのでしょうか?我々クリスチャンが、と言い切るとこの談話室では言い過ぎなのは承知で書きますと、我々クリスチャンが世に向かって証しすべきは批判でしょうか?福音ではないのですか?もちろんのこと、献金批判にも聞くべきことがあることもまた十分に承知しているつもりでありますが、批判は如何に熱心に語っても福音ではないでしょう。我々が語るべきはやはり福音であります。今月の最初にトマス副牧師が終末遅延の問題を抑えずに議論すると変なことになると書かれたのもそのあたりを心配されたのではありますまいか?
何度でも繰り返します。我々は福音をこそ語るべきなのであります。むろん万歳アーメンだけが福音というつもりはありません。しかしながら献金とカルトの弐題ばかりがかくも盛り上がる談話室には私は違和感を感ぜざるをえません。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/19 (Wed) 13:01:37
おっしゃる通り、私たちが語らなければならないのは、福音でしょう。
しかしながら、その福音を語るには、現在カルト教会で強要されている什一献金の問題は知っておく必要があるということです。
福音を台無しにしている什一強要を横において、福音を語っても、教会に一人来ても、代わりに一人が去ってゆくということになりかねません。
否、日本は、もうすでにそのような状況ですね。
ですから、福音を語ると同時に、教会の抱える什一を含む様々な問題にも私たちは、警鐘をならす必要があります。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/19 (Wed) 15:55:27
福音を伝える・・・この言葉を耳にすることは多いのですが、私には微妙な違和感を感じます。それは
・聖書の都合の良いところだけを抜粋する
・解釈がどうとでも取れる部分は良心的に変換して賛美する
・本当に都合の悪い部分については触れなかったり、何度も質問すると「原本では意味が違う」「当時は今と違う」と称して納得のいかない説明をする
という傾向が非常に強烈に見えるからです。少なくとも私が足を運んだことのある教会は、この傾向が強かったです。
今回の聖書箇所についても、福音の1つとして無視することは出来ませんが、果たして「イエスの福音を伝える」という立場の人達がどのような解釈をされるのかということは興味があります(殆どどなたも書き込んで下さらないのですが)。もしも「当時は終末思想があったから現代には通用しない事象だ」ということならば、イエスの語った言葉についても同様に「終末が近いと思い込んで焦っていた指導者の発言」であり「現代には通用しないことも多々ある可能性がある」ということになります(勿論、今の時代でも通用する逸話も沢山ありますが)。
一体、福音を伝えるとは、どういうことなのか、未だに私には理解できていません。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/19 (Wed) 18:13:08
福音は簡単に言うと、『キリストを信じればその信仰のみによって救われる』ということですね。
しかしながら、カルト化した教会では、信仰義認を言ったら、誰も献金や奉仕をしなくなると考えているせいか、信仰義認は建前、実質的に行為義認というケースが見られます。つまり、福音が語られてない。
逆に、『什一献金したら、経済的にも健康面でも祝福され、什一しないなら、神様から呪われて貧しくなり、病気になる。』
という戦慄の教義が教えられております。
もし、私たちが福音を伝えて、その人が、このような教会に行ったとしたら、福音を伝えて、被害者を生むという悲惨な結果になりかねません。
ですから、インターネットを通じて、カルト教会の問題を広く周知することは、これ以上被害者を生まない為にも必要なことです。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 入谷
2011/10/19 (Wed) 20:27:58
et さん。
簡単に言われると困惑します。
「キリスト」って何ですか。
「信仰」ってなんですか。
「救われる」って何ですか。
et さんからすれば、自明の事柄でしかないもので悩むのが、「迷える子羊」というものではないでしょうか。

Re: Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - et
2011/10/19 (Wed) 22:21:39
入谷さんの真意がちょっと判りかねますね。キリスト、信仰、救い、この3つとも、説明しようとしようと思えば、一冊の本になります。
でも、この手の本なら書店のキリスト教コーナーで、購入できると思います。
例えば、
『「放蕩」する神』
ティモシー ケラー著
いのちのことば社
なんかどうでしょうか。
なかなかの良書で、福音とは何かという疑問に答えてくれる本です。
税抜きで1300円ですから価格もリーズナブルですよ。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - がん子
2011/10/20 (Thu) 06:52:14
>入谷さんの真意がちょっと判りかねますね。キリスト、信仰、救い、この3つとも、説明しようとしようと思えば、一冊の本になります。
私も入谷さんと同じように、簡単に言われると困ります。
「キリスト」「信仰」「救い」
『この手の本』
で簡単にわかることではないということを言いたいのではないでしょうか?
つまり、説明すればわかるということではないというコトです。
洗礼を受ける前に、教会の信徒や牧師に「信仰ってこういうものなんだ」「救いはこういうことなんだ」と簡単に言われて、「こういうことなんだと思えない自分」に悩み、この礼拝堂の中でわからないのは自分ひとりなのかもしれないと、奈落の底に突き落とされるような思いでいたことを思い出しました。
etさんに絡むつもりはありませんが、同じなんだなと感じました。
私は洗礼を受けていますが「キリスト」「信仰」「救われる」ってこういうことなんだというコトがわかったからではありません。いまだに霧の中です。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/21 (Fri) 02:08:10
ぼくは、強気になる牧師たちの真意はわかりませんが、というのは、ぼくの友人の牧師たちは、皆そういう姿勢ではないので。
類は友を呼ぶといいますから、そういう類に呼ばれていないことを喜ぶべきかも知れませんけどね。
ぼくはやはり、パウロが天幕職人として自分で収入を得ながら宣教活動をしていたことに、非常に共感します。
でも、彼の面白いところは、自分は経済的に自活しているけれども、献金によって食べる教会の指導者のことを否定しているわけでもないんですよね。
献金だけでなく、結婚についてもそうですよね。
自分は結婚しないし、今、終末が迫っている時に、結婚なんかにうつつを抜かしている場合ではないと、コリントで語ってます。
でも、使徒行伝では、ペトロなどが結婚して、妻帯であちこちの教会に行く事を、決して非難しないばかりか、むしろその権利を擁護しています。
パウロとペトロが信仰理解などにおいては、決してお互いに一致していたとは言えないだけに、「でも、あなたの権利は私は守る」というパウロの姿勢は、ぼくは見習うべきだと思います。
それから、「キリスト」「信仰」「救い」というのは、全部いわゆる業界用語ですが、もはやクリスチャンでさえも、これらの言葉を聞いても、みんなに共通の理解とか、イメージを持てなくなっている時代なのだと思います。
ぼくは、これらを全部、いわゆるキリスト教用語で説明しないで、一切この一般社会で使われている「ふつうの」日本語を使うとどうなるのかという訳が出てくれることを待ってます。でも、待ってる間に、バタバタ殉教的にたくさんの方々が亡くなられたわけで。

>毛利さんへ
福音を伝えるというのは、我流で言い換えると、いっしょにご飯を食べれる関係がいろんな所も持たれていて、誰も寂しくなくて、誰もが最低限の生活が保障されてて、それもそれでは食うや食わずの集金なんだけど、それらのお金を動きをきっちりして、最終的にはちゃんと教団総会で承認してもらうべきことはないかと思うんです。教団総会とか教区総会なんで、ガッチリとしたいかにも近未来を、描いています。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/21 (Fri) 23:06:03
すいません。どうも後半は眠りながら書いていたみたいです。
ぼくの場合、寝言もそうなんですが、かなりはっきりとして日本語を、しかし、全く脈絡なく羅列するみたいなんです。
すいませんでした。今日は早く寝ます。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/22 (Sat) 00:26:51
富田先生
恐らく私宛の部分でしょうかね、1行目〜2行目までは理解&合意できましたが3行目〜4行目がどうも「???」でした。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/22 (Sat) 22:23:22
いま改めて読み返してみると、よくこれだけ非論理的なことを明確に書けるなあ、と我ながら感心してしまいますね(笑)。

Re: 葬儀を描いた記事として読むと - トマス
2011/10/23 (Sun) 01:33:06
ボチボチ再登場。途中を読んでいないのでネタを私に振ってくださっていたらゴメンナサイ。
(レス数が増える様子はウォッチしておりましたよ。きっと私が暴走するトリガーになるような議論しておられたと推測しております。それはさておき)
私が個人的に面白いと思ったのは6節と10節です。
当時のユダヤ教がどのような「葬儀」を行っていたのか、あまり詳しくは知らないのですが、この記事の様子が当時のイスラエルに於ける一般家庭での(当時の教会は「家の教会」だったわけですが)葬儀の様子と考えてよいのでしょうか。 でも福音書ではたとえばヤイロの会堂司の娘の蘇生物語(マタイ9章など)では家の外にプロの泣き屋さんが居たことが描かれていますが、それはこの記事の時には居なかったのかな? 知らせてなかったら居ないに決まっている? 知らせる前に墓に収めた? この記事の2人の死に方が普通じゃないから特別? ルカにとっては「お葬式」の様子はどうでも良かった? 物語の効果を高めるために省略した?
いろいろ考えられますけど、ルカの記事を信じる限り、初代教会(エルサレム教会)では、儀式としての葬儀が教会では行われなかったということがうかがえるわけです。 儀式的清浄の問題があるので祭司階級が葬儀に関わらなかったという説明はどこかで読んだ気がします。 家族・一族の年長者もしくは在野のラビと呼ばれる人たちが取り仕切ったのでしょうか? あるいは家ではともかく墓に収める時には誰かが葬りの祈りをしたのでしょうか? だとしたらそれはどんな文言だったのでしょうか? キリスト教2000年の歴史の中で、「葬儀」はどのような発達(!?)の歴史を持っているのでしょうか?
興味は尽きません。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/23 (Sun) 20:44:58
葬儀の歴史から見るのは興味深いですね。
ルカがエルサレムでのユダヤ人による葬儀の風習を知らなかった可能性も高いでしょうけれど……

Re: ルカは知らなかった… - トマス
2011/10/24 (Mon) 11:31:26
この場面で描いているかどうか、ということに限定して言えば、単に知らなかったから書かなかっただけ、ってのは多いに有り得ますねぇ。上記、プロの泣き屋さんのネタも、マタイは書いてありますけど、ルカには書かれておりませんものね。でもそうだとすると、この記事から当時の葬儀の様子のヒントを得るのはムリと言うことになるんですかね。ちょっと残念かも…。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/27 (Thu) 11:16:52
トマスさんがコウカイ説教としてこの箇所を説明しなければならないとしたら・・・どういう風に話を運ぶのでしょうか?終末遅延、最初に投稿して頂いてから、そのことがずっと気になっています。

Re: コウカイ説教? - トマス
2011/10/27 (Thu) 15:53:35
>毛利さん
白状すると、ちゃんとしたコウカイ説教は苦手なんですよ。最後に私自身が「それで何?」になっちゃうので。聖研での講解ならまだいいんですけどね&もちろん物語として読むにしてもある程度の解説はしますけどね。
終末遅延は最初のレスにちょっとだけ書き足しました。終末遅延を念頭に置いて読むというのは、別段講解説教じゃなくてもそうすべきだろうと思います。そうしないと献金の誤魔化しケシカランとか、献金の心理的強要ケシカランとか、そこで停まっちゃうような気がするんですね。特にこの物語は。
終末遅延そのものをもう少し詳しく説明要りますか?

Re: 謎だらけの夫婦 - トマス
2011/10/27 (Thu) 15:58:13
月末も近付いたことだし、改めて読み直したのですが、この夫婦、謎が多いですね。
年齢は? 家族は? 子供は?(子供が居たとしたら、この事件の後は誰が育てた?) 親兄弟は?(親兄弟も信徒?)
いつ頃入信した? 入信のきっかけは? 入信後の「信仰生活」は?(マジメだった?)
何処に住んでいた? 仕事は何をしていた? 売った土地は何?(原語では「畑」ではない) その土地は何処にあった?
幾ら読み込んでも判らないことだらけです。上の疑問はどれも本質的なことではない、という考え方もあるでしょう。でも、このような背景に思いを馳せながら読むことで、物語が抽象的なお話しから具体的なものになってゆくというか、2000年と地球半周の時空間を越えて、読んでいる私に物語が近付いてくるような気がします。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/27 (Thu) 16:25:20
>トマスさん
はい、終末遅延について知りたいです。その言葉がトマスさんにとってのキーワードだとまでは分かるのですが、具体的に終末遅延と今回の箇所の結びつきが見えません。何故、終末が遅れたことによって夫婦が命を落とさねばならなかったのか、トマスさんがどのように考えておられているのか、そこが知りたいです。かなりピンポイントな質問で申し訳ありません。
謎が多い夫婦ですが、1つだけ確かなことは「それなりの覚悟があって信仰の道に入ろうとした」ということでしょうね。しかし神はそれを認めなかった、よりによってイエスを裏切って逃げたペトロが夫婦を叱責して死なせてしまうなんて、どうにも皮肉な話だと私には読めます。

Re: 入信のハードル? - トマス
2011/10/27 (Thu) 16:47:22
富田先生の最初の書き込みに私が引っ掛かっていた部分がもう一度毛利さんの書き込みでも出て来ているような気がするので、そこを先に…。
私の感触なので、私の読みが違っている可能性もありますけど(とはいえ終末遅延とも関わりますが)、この事件、この夫婦の入信早々の出来事ではないような気がするのです。ある程度時間経ってからじゃないかな?と。難しそうに言い換えれば、入信期の物語ではなく教会形成期の物語として私は読んでいるんですね。
あるいは私の中で、エルサレム教会の時間と、記者ルカの時間観念と、ゴッチャになっているだけなのかもしれないのですけど…。
つまり、
>それなりの覚悟があって信仰の道に入ろうとした
>そこまでして教会に入会しなくてもいいじゃないか
という時点での物語じゃないのではなかろうか?ということです。毛利さんの書き方を借りると、それなりの覚悟があって信仰の道に入ってしばらくしてからの出来事ではないか?というのが私の読み方なんです。だから終末遅延が関わってくると思っているんですが…。
使徒言行録の5章というのはその意味でちょっと微妙な位置になるのかもしれません。いやまぁ、歴史上の事実はどのみち2000年の彼方なのですけど…。
それから、
>何故、終末が遅れたことによって夫婦が命を落とさねばならなかったのか、
それは私の中の話の流れや結びつき方とはまた少し違うかもしれませんね…。最初のレスでも少し書きましたけど、「いくらか手元に残しました」と言いながら差し出しておれば、何事もなかっただろう、と思っていますので…。
終末遅延そのものの説明はしばしお待ちください。
私のキーワードというよりも、ルカのキーワードなんですけどね(だから私もこだわるわけです)。

Re: 断章 アナニアの物語 - トマス
2011/10/27 (Thu) 22:58:41
「ペトロさん、約束した献金を持って来ましたよ」
「アナニアさん、無理したんでしょう」
「でも神様に約束したことですから」
「神様が顧みてくださいますように…、アナニアさん。ちょっと、しっかりして。
 おい、誰か居ないか」
隣の部屋から駆けつける若者数人。アナニアを敷物の上に寝かせる。
息を確かめて首を振るペトロ。呆然と見守る若者たち。
若者たちはペトロの指示でサフィラを探しに行く。
3時間後、何も知らずに現れるサフィラ。
話しを聞いて気を失い、支える間もなく倒れるサフィラ。
「ペトロさん、サフィラさんどこにも居ませんよ」
「そうですよ、エルサレム中走り回ったんですよ」
「ここに居るよ」
「あ…」
「倒れた時の打ち所が悪かったらしい」
「そんな…」
「2人一緒に葬ってやってくれよ」
数ヶ月後、ペトロの耳に入るウワサ。
「ペトロさん、アナニアさんたちって献金誤魔化してバチが当たったそうですね」
「は?…」 何それ?
「いやもうみんなそう言ってますよ。土地を売ったお金を誤魔化したんだって」
「え…」 アナニアさん、自分の献金の出所も、神様との約束の中味も、決して他人に言わないでくれと言ってたからなぁ。困ったな。
「ペトロさんがアナニアさんを叱った時に倒れたそうじゃないですか。ペトロさんってスゴイ霊力を持っているんですね」
「あ、いや、そういう事じゃないんだ」 クソッ、何て言えばいいんだ。
「でもその時部屋にいたのはアナニアさんとペトロさんの2人だけだったんでしょ」
「そ、それはそうだけど…」
「アナニアさんってけっこうアコギな商売していましたもんねぇ。献金誤魔化したらしい、って聞いてなるほどと思ったんですよ(以下、炸裂するマシンガントークは省略)」
「う…」 アナニアさん、ゴメン。天国のカギ預かってるのは俺だから…。
約束の献金をようやく果たした気の緩みから倒れるアナニア。
とても夫婦仲の良かったサフィラ。
アコギな商売が祟って献金誤魔化したことにされてしまう2人。
アナニアとの約束の手前、大々的に否定できなかった気弱なペトロ。
回り回ってルカの手元に届いた話ではすっかりそういう事になっていましたとさ。
なんてね。

Re:re: 断章 アナニアの物語 - トマス
2011/10/29 (Sat) 14:05:49
あれ? ドン引きされたかな? それとも突っ込みように迷っている?
えーとですね、この解釈で礼拝説教を作ることは(私は)ありません。でも、これぐらいの密度で物語にして、イメージ膨らませて、礼拝説教を書き始めることが多いです。一昨日のレス(謎だらけの夫婦)で、背景に思いを馳せながら読む、と書きましたけど、その一つの方法ですね。
礼拝説教の中で場面再現をする時なんかは、登場人物のセリフが何倍にも膨らむことがあります。そんなことしていいのか?という向きもあるでしょうけど、私はいいと思っています。例えばですね、ルカのクリスマス物語、羊飼いへの天使のお告げと天の軍勢による讃美、これを普通に読んだら30秒と掛からないです。でもヘンデルは4分掛けました。「語る」時もそうしていいんじゃないかな、と思っています。
で、この「断章 アナニアの物語」ですけど、発想の転換で、実はアナニアは「いい人」だったとしたらどうなる?とか思いながら、アナニアの仕事とか家族のこととか、いろいろ考えているウチに浮かんできました。いつも悪役のアナニアですから、たまにはいいかな?

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 入谷
2011/10/29 (Sat) 15:28:00
田川建三さんも、トマスさんがいうのと、同じようなエピソードが背景にあったのだろうとの見解のようです (「訳と註」)。これに続けて、
<quote>
しかしそれにしても、世間によくいるしがない小悪人どもが他人の足を引っ張ることだけを楽しんでしゃべって歩く噂話ではあるまいし、教会当局がこういう話を採用して、聖なる教会の聖なる出発点の聖なるお話として採用したのだから、何と申しますか。もしも信者の一部が付和雷同してこういう話を信じたとしても、キリスト教の指導者たるもの、その種のしょうがない話を信じ込んで吹聴してはいけませんよ、亡くなった方たちに失礼ではありませんか、といましめることぐらいすればいいのに、逆に、彼らの方がそれに乗って、これが教会の権威を高めるためのお話だと吹聴なさったのだから、何をか言わんやである。最初のエルサレム教会を作ったペテロ一派の質がこの話によく表現されている。幸いなことに、本当にキリスト教を支え、育てていったのは、こういうペテロ一派の質に埋没することをしなかった人たちであっただろうけれど...
</quote>
と展開されています。

Re:re: 断章 アナニアの物語 - トマス
2011/10/29 (Sat) 22:54:11
ほぉ、田川健三ですか(なんて書くと読んでないことがバレます)。じゃぁホントにそういう事だったのかもしれませんねぇ。
私は、教会の礼拝で語る時は基本的にテキストを改変しないで読むべきだろうと思っていますので、先に書いたような物語にして説教原稿を書くことはありません。今月の箇所の場合で言えば、アナニアの死の事実がどうであったにせよ、使徒言行録に書かれて2000年伝えられてきたことの重みもまた大事にしたいと思うので、礼拝説教の原稿としては、誤魔化してバレて死んだという粗筋は守るべきだと思うのです。細部は様々なイメージで膨らませることができるでしょうが。
しかし、とっても野次馬的興味として、また一介の歴史好きとして、本当はどうだったのかな?とやっぱり思ってしまいますね。そして実はアナニアは誤魔化しても居なかったしペトロに叱られても居なかった、なんていう物語から、自分自身の信仰を省みていくのは許されることだと思っています。もちろん、使徒言行録に描かれた物語から自分の信仰を省みることも大切なことですが。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/30 (Sun) 10:33:33
引いたと言うよりも、ここまで想像力を膨らませて良かったのなら逆に
・ペテロが不正に金を使おうと打ち合わせをしている場面を目撃した夫婦が、そのことを明るみにすると騒ぎ出したので、口を封じるためにペテロが夫婦を殺害し、信者に対しては「彼らが献金をごまかしたので突然死んでしまった。死体はこちらで処理しておいた」とごまかした。
とか、いくらでも話が広がると思いました。割と必殺仕事人とかの世界だと出てくる悪役ですよね、想像力は限りなく広がります。ペテロ自身が裏切り者としての前科を持っている以上、宗教が儲かると知って金のために人を殺すくらいためらわなくても当然という見方もある訳でして。そして「ペテロがそんな悪いことをする筈が無い」と思うのもまた、想像の世界に振り回されているような気もしますし。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/10/30 (Sun) 13:48:25
「みんなでたたこう!」のコーナーなわけですが、そこまで想像すると、何のために? という疑問もわきます。
結局、自分たちの毎日の生活に対して、どういうメッセージを解釈して読み取るかという話に戻したい気がするのですが……

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/10/30 (Sun) 15:50:34
私は聖書を絶対視するつもりはないのですが、ある程度の前提として「そこに書いてある内容」を基準にして、どう解釈していくのかということが大切かと思っています。その結果として「やはり酷いことをイエスは言っている(少なくとも現代の価値基準とは合致していない)」という結論に到達しても仕方ないのかなと思うのです。
逆に「聖書は全て正義である」という前提で聖書記事を無理矢理に別解釈する方が私は怖いです。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - トマス
2011/10/30 (Sun) 22:30:10
すみません。ネタを膨らませすぎました。「オモロイけど何アホなこと考えてんねん」というネタのつもりだったのですが…(ジックリ考えたという意味では大いにマジメに考えましたけど)。
>結局、自分たちの毎日の生活に対して、どういうメッセージを解釈して読み取るか
その点に関しては、私の最初のレスが(私にとっての)基本的なメッセージだということで…
追記
今更このネタでレス数を増やすのもどうかと思うので追記。
なんかどうも矛盾したことを書いていますね、わたし。どっちも本音なんですよ。一笑いしてもらえばいいというのも、こういう物語から自分の信仰を省みるというのも。後者だけもう少し書いておきますと、その物語から、神様との約束って何?お金の出所は?とか考えていくことで、物語が「今の私」に近付くんです。
たとえば、違法なことでも不法なことでもないけど、教会の人には言い出し難い臨時収入があった時に、私だったらどうするだろうか?とか考える切っ掛けになるのです。もっと具体的に書けば、宝くじが大当たりしたとか、株が大化けしたとか、でしょうか。教会に依ったら宝くじ買ったり株式投資したりするのはもってのほかでしょうからね。
あるいは、誤魔化していないのに誤魔化したと思われてしまった悲劇。献金誤魔化したなんて思われるのは、金額の多少に関わらず耐えられないことでしょう。でも時にそう疑われてしまう人生の現実というか悲哀がある。その時、一人の信徒としてどうするか?なんてことを考えるネタになると思うのです。
終末遅延の件、あとすこしお待ちくださいまし。

Re: でもって終末遅延 - トマス
2011/11/05 (Sat) 09:25:59
書き込み遅れてすみません。なかなか忙しくて。
終末遅延ですが、『聖書学用語事典』を頼りにまずは教科書的な内容を書きますね。
フィリピ書なんかを見ているとハッキリ出てくるのですが、ごく初期のキリスト教徒(もちろんユダヤ教から分化する前の時期ですが)は、おそらくはイエス自身が言い残したように、終末(=イエスの再臨)がすぐにも起こると考えていました。自分たちが生きている間に起こるであろう、と。これはパウロだけでなく、ペトロたちもそうであったと考えらています。
ところがなかなか終末=再臨は起こらない。そうするとその理由を説明しなきゃいけなくなります。一つの説明は黙示思想を発展させることです。少し後の時代になりますが、一例を挙げると殉教者の数が一定数に達しないと終末は起こらない、などと考えられてもいたようです。
もう一つはルカ文書の考え方です。終末(=神の国、神の支配、の実現)はイエスによって「先取り」として実現していた(この点はマタイとマルコも同様、神の国についての譬え話を参照)。ただし、全面的に実現するのはもっと先のことになる。それまでの時間、教会は宣教を続けるのだ。と考えます。そのことをしっかりと認識したからこそルカは使徒言行録を書いたのかもしれません。パウロもまた後期の手紙では、終末はすでに起こりつつあり、また起こり続けるのだ、と考えていたようです。とすると黙示的ではなく福音書に近いですね。
そして、ルカにとってルカ文書を書いた主な目的は終末遅延問題の解決にある、という大変有力な学説があります。その学説では、歴史(神の救済の歴史)は、イエス以前(律法と預言者の時「イスラエルの時」)、「イエスの時」、イエス以後(聖霊が働く「教会の時」)に分けることができる、と言います。「教会の時」が、教会が宣教を続ける時が、2000年も続いてしまったのです。何世代に渡ったことでしょう。まさしく終末の遅延です。
異なった切り口に注目する研究もありますが(ex.貧富の問題)、ルカにとって終末遅延が少なくとも重大な関心事であったのは間違いありません。ということは(以下私見)、現代人である我々がルカ文書を読む時に、ルカにとっての、あるいはルカが描いた人々にとっての、終末(遅延)の問題を常に意識しておかないといけない。ルカによって描かれた登場人物の行動だけでなく、登場人物の思いに目を向けなければならない。そしてルカのテキスト(に限りませんが)を現代に直接当て嵌めてはいけない。ということか、と思います。だから終末遅延を意識しないままに財産だ献金だという議論はすべきでないと思うのです。
もっとも、今回のテキスト、10月みんたたの箇所について言えば、一方でルカが貧富の問題にも強い関心を持っていたのも確かですから、その視点も共有したいモノです。ルカのその関心が、何某かルカ自身の教会の状況を反映している可能性は大いにあると考えられます。どのように反映しているのか、可能性は一つではありません。ですから、ルカの教会に何々な背景があったのではないか、という推測は言えても、あったと断言すると行き過ぎになるでしょう。

Re: アナニア&サフィラ夫婦と終末遅延 - トマス
2011/11/05 (Sat) 09:47:43
具体的な結びつきはレスを分けまして、
終末が遅れたことが直接にアナニア夫婦の死因となったわけではありません。それは断言していいと思います。それを直接結びつけようとすると余計な途中回路を造らなきゃいけなくなります。
私の最初のレスとは少し言い方が変わりますが、終末=再臨がなかなか起こらない、というのが初代教会の人々の悩み所であったわけです。明日にも起こるかもしれない、と思う時の(あるいは熱狂に近いかもしれない)信仰と、昨日も今日も起こらなかった、という思いが続く時の信仰とでは、やはり違ってきます。今日も起こらなかった、という日々が積み重なり、いったいいつ起こるのだろう?まさか終末は来ないのでは?というある種の疑いが心の中に忍び寄った時、それをペトロは「サタンに心を奪われた」と表現したのでしょう。
まだ来ない-->財産は自分の子どもに継承できる、となれば全財産を売る金持ちは激減するでしょう。そこまでいかずとも、まだ来ない-->じゃぁ当面の自分たちの生活費もいるよね、となれば売った土地の代金の一部は手元に残そうとするでしょう。土地の代金を全部シェアしてしまったら、次は自分たち夫婦がシェアされる側に回るのです。それはちょっとイヤだな、と思う人がいても当然でしょうね。それも気の緩みの一つの姿でしょう。気の緩みが起こるのは、我々人間の性です。アナニアたちが土地代金の一部を手元に残しても、それだけならある意味仕方なかったと思います。
おそらく歴史的な事実としては、アナニアの死因は土地代金誤魔化し事件とは別のことによる突然死でしょう。そのうえで、私がこの箇所で礼拝説教の原稿を書くとすれば、
・「天罰」かどうかということにではなく(死因が違うのだから天罰とは思えない)、
・またペトロの役回りの皮肉さにでもなく(それは小説や戯曲としては面白いけど礼拝説教にはならない)、
・おそらくは現代人でも共通するであろうアナニア夫婦の心情を手がかりにして、現代を生きる我々に如何にこの物語をアダプテーションするか、に焦点を絞って書くことになります(と書いて、いわゆる19世紀スタイルの説教だなぁ、と思ってしまったです)。

>毛利さん
これで説明になりましたでしょうか?

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/11/05 (Sat) 19:31:49
トマスさん、ありがとうございます。
一部、釈迦に説法ですみません、Wikipediaによると、ルカ福音書の成立時期は紀元後80~130年だそうで、使徒行伝は紀元後80年との説が有力だそうです。つまりイエスが30歳で亡くなったとして50年近くは「終末が来ない」という苦しみと焦りの時期が続いたということですよね。だとしたら、その「終末思想に水を差す人達」の行動に対して快く思わない人達(具体的には当時のクリスチャン)が居るのは自然だと思います。せっかく(?)本気で世の終わりを信じて、それに備えて準備をしているのに、ちゃっかりと別行動をしている人達に対しては「お前達は本気で世の終わりを信じていないのか?」という怒りが爆発したとしても、不思議はありません。
ですからアナニアとサフィラという夫婦の、半信半疑の世渡り上手な行動、二股をかけた行動が許せなかったから、ペテロが激しく罵ったことによる突然死にしても、全く違う理由の死であったにせよ、使徒行伝で悪者扱いされるのは致し方ない気がします(そもそも、そのような夫婦が実在したのかすら疑問ですけれど)。
「罪の無いイエスを罪人として処刑した当時のユダヤ人」を批判するクリスチャンが、同様にして「客観的に見れば罪の無い夫婦」を罪人扱いして言葉の上では処刑している、人間は常に同じ過ちを繰り返し続けるのだという何ともすっきりしない気持ちです。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - トマス
2011/11/05 (Sat) 20:26:23
私と毛利さんとでは聖書を読む時のスタンスというか何というか、ずいぶんと違うようなので、そこのところが私には結構しっくり来ないのですが、まぁそれは人それぞれの読み方ということで何も言わないでおきます。
ただし、
>Wikipediaによると、ルカ福音書の成立時期は紀元後80~130年だそうで、使徒行伝は紀元後80年との説が有力だそうです
以前にイスカリオテのユダの話をした時もそうでしたけど、どうもwikipediaの記述はイマイチあまり正確ではない事が多いですね(新約聖書の項目読みましたけど…、執筆者の傾向が色濃く出ていますね)。せめて通説は通説として筋を通した後に、異説を述べてくれるとよいのですが。

ルカ福音書の成立時期を100~130年代に持っていくのは非常に限られた人達でしょう(というか、寡聞にして知りません)。4福音書がどれも70年のエルサレム陥落(神殿炎上)以降に書かれていることはまず間違いないでしょう。その上で、下限をいつに持っていくか。が問題です。可能性の高さの釣り合いから言えば、下限を130年とするなら、上限は(伝承によると書かれている使徒言行録の)40年か60年が対応すると言えましょう。この手合いのバランスの悪さが目立つ記事でした。
むしろ可能性の高いストライクゾーンを書いておくならば、マルコ福音書が70年代、ルカ福音書とマタイ福音書が80年代、使徒言行録とヨハネ福音書が90年代、というあたりになります。なので、引用としてもルカ福音書が80~130年で使徒言行録が80年と書かれると、これは(せめてこちらの談話室で年代を見た人向けには)訂正入れておかなきゃな、という気になります。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/11/06 (Sun) 02:17:16
トマスさん
聖書解釈は一意に定まらないということだと思っています。読み手によっていくらでも解釈が出来ますし、トマスさんは「牧師として語る立場」にありますから、私と食い違うことは多々あるかと思います。ただ「読み方が間違っている」と全否定されなかったことに感謝します。
なおWikipediaですが、誰でも編集は可能です。私は「どの説が一般的か」を知りませんので、Wikipediaの情報がどの程度信憑性があるのか分かりませんので、必要でしたらトマスさんご自身でWikipediaに追記されることをお勧めします。ただ、その場合には「出典元」を明記しなければならない筈です。漠然と「○○というのが一般的な解釈である」と書いてしまうと「要出典」扱いされますので。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - トマス
2011/11/06 (Sun) 02:57:42
>ただ「読み方が間違っている」と全否定されなかったことに感謝します
そこはお互い様かもしれません。私の読みは毛利さんからすれば護教的に過ぎるでしょうから。それに、しっくり来ないということであって、明らかに間違っているというような読み方ではないですから。
>wikipedia
えぇ、何とかしたい気はありますが、そこまで手が回らないのが正直なところです。特に「新約聖書」に関しては一部追記とかではなく、システマチックに全体に手を入れないと記述がチグハグになりそうです。「ユダ」は追記でいけそうかな。少し余裕できたら書き込んでみたいですねぇ。
それにしても、キリスト教関係の記事で微妙に引っ掛かる記述がかくも多いということは、他の分野も怪しいのかな?けっこう私は趣味の分野のデータをwikiから引っ張っているのですが…。
>ストライクゾーン
念のために書いておきますと、(これもクセのある本と言われそうですけど)岩波版新約聖書の解説から引いています。機会ありましたら御覧ください。


Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/11/13 (Sun) 08:25:26
>トマスさん
メッセージをやっときちんと読む事ができました。
とても説得力のある、と同時に分かり易く親しみやすいメッセージだと思いました。
近日中にUPします。「みんたた10月連動企画」ということを唄ってよろしいですか?

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - トマス
2011/11/13 (Sun) 15:44:40
>「みんたた10月連動企画」
ここに書かれたらイヤとは言えないじゃないですか(笑)
いやいや、「みんたた連動企画」なんて最初に言い出したのは私ですから、そのようにしていただければ。でもそうすると「みんたた」のテーマでちゃんと連動させていかなきゃいけないですねぇ(汗)
あ、新共同訳の引用部分は特に断る必要ないでしょうけど、トマス福音書の引用は荒井献著・講談社学術文庫から引いたと断る必要あるかもしれませんね。版は2004年の12刷です。シラ書は直接引用してないからいいですよね。新共同訳続編にありますし。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - tomita@iChurch.me
2011/11/13 (Sun) 21:31:01
了解です。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - トマス
2011/11/13 (Sun) 22:29:27
よろしくおねがいします。
御手数掛けます。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - 毛利
2011/11/15 (Tue) 20:43:05
トマスさん、なるほど、と納得しました。ありがとうございます。

Re: 10月のみんたた「アナニアとサフィラ」 - トマス
2011/11/16 (Wed) 12:11:34
こちらこそ。





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