みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2011年11月のテーマ: 「金持ちとラザロ」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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ルカによる福音書16章19-31節

2011年11月のみんたたテーマ個所は、ルカによる福音書の「金持ちとラザロ」と呼ばれているイエスのたとえ話を取り上げてみたいと思います。
リクエストはetさんからでした。

******************************

ルカによる福音書16章19-31節

19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。
22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロがとが、はるかかなたに見えた。
24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』
27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。
28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』
30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』
31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

******************************

面白い物語ですよね、これ。
「モーセと預言者に耳を傾けよ」というのは、「モーセ五書」と「預言書」すなわち、ユダヤ人の聖書(旧約聖書)を読め、ということですね。
聖書を読め。ちゃんと読まないなら、死者の中から生き返った者があっても意味ないだろう、ということかと。
そうなると、実は今まで何人も死者の中からよみがえって忠告したにも関わらず、お前たちはそれに気づいていないではないか、というメッセージとも取れるし、逆に、だから死者の中からよみがえることなんかありませんよ、と言っているようにも取れるし、面白いなと思います。
まあ、それは本質的なテーマではないかも知れませんが。
では、みなさん、どうぞご自由に解釈、ご意見などを書き込んでみてください。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - et
2011/10/31 (Mon) 19:12:04
実は、この箇所、教派によっては地獄の存在の根拠になっている記事です。
この箇所を地獄の根拠にする人びとは、この記事をたとえ話ではなく、実話ととっているようです。
実話なら、こんな恐ろしい話はないでしょうね。
http://www.eonet.ne.jp/~mount-zion/index.html

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - 毛利
2011/11/02 (Wed) 21:00:00
よく分からない点が2つ。
1つは「金持ちが贅沢な暮らしをして何か悪いことをしたのか?」ということ、1つは「モーセと預言者に耳を傾けたか否かが問題なのか?」です。前半部分は金持ちであるが故に悪人のように扱われていますが、後半ではモーセと預言者に耳を傾けることが大切、と言っているように読めます。
ざっくり言うと、どうすれば天使の宴に参加出来るのですか?金持ちがモーセと預言者について意識していれば良かったのですか?それとも金を持っている時点でアウトなのでしょうか?ラザロは貧しいにも関わらずモーセと預言者についての知識があったからアブラハムと席を共にすることが出来たのですか?

Re: Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - et
2011/11/02 (Wed) 22:58:28
まず、この話は、どうしたら天国に行けるのかという類いの話ではないと思います。
この金持ちは、多分律法を守って生活していたものと思われますが、貧しいラザロのために残飯を持って行ってやることすらしていません。
イエスが、このたとえ話を通して言いたいのは、
律法を守って正しい生活しているだけで満足している人びとへの警鐘だと思われます。
いかに正しい生活をしていたとしても、隣人愛がないなら、そんなものは何の意味もないと言いたいのでしょう。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - tomita@iChurch.me
2011/11/03 (Thu) 00:15:43
金持ちであることそのものが悪、という発想は、聖書のなかに見ることができます。
例えば、同じルカによる福音書で6章20〜26節のように、「貧しい人々は幸いだ、神の国はあなたがたのものだ」「今飢えている人びとは幸いだ、満たされるからだ」と言っている一方で、「飛んでいるあなたがたは不幸だ。もう慰めを受けているから」「今満腹しているあなたがたは不幸だ。あなたがたは飢えるようになるからだ」と言っている個所があります。
こういう言葉には、はっきりと裕福な暮らしをしている人に対する怒り、裁きがあります。
その背景には、「金持ちというのは、貧しい者から奪っているから金持ちなのだ」という発想があるという説もあります。
確かに、限りある食糧や資源や財産を、ある人びとがたくさん所有していて、他の多くの人びとが欠乏しているという状況なら、そういう発想が出てきてもおかしくないと思います。
持っているのに、ラザロに分け与えなかったということ一つ取っても犯罪的だということでしょう。
こういう個所を授業でやったりすると、生徒さんたちは、「おかしい。金持ちが引きずり下ろされて、貧しくなったら、また満たされるようになって、満たされるとまた引きずり下ろされて、キリが無いではないか」と言うのですが、実際にはそんな風に人間頻繁に生まれ変わったりはしませんし、あるいは一生の間に頻繁に浮き沈みがある人も少ないわけで、現実的ではありません。
要するに、「金持ちが金持ちなのは、俺たち貧しい者から奪っているからだ」という一方的な怒りの宣言なのだということですね。
金持ちとラザロはそういう物の考え方から出てきた物語だと思います。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - 毛利
2011/11/04 (Fri) 10:30:00
「富んでいる人が不幸である」部分は何となく分かる気がします。人間の欲望に終わりは無いので、常に更なる刺激や金を求めてしまう、それは結果として本人を不幸にしてしまう、という発想は割と自然なことのような気がするからです。世の中にはJobsのように金があっても質素な生活で満足しており金を持つことに執着しない人物も居ますが彼は例外でしょう、一般的には更に出世したい、更に金が欲しい、名誉が欲しい、と執着してしまう。これは仏陀にとっても「望ましくない姿」と見えていたでしょうし、イエスが同様の考えを持っていても不思議はありません。もっとも、貧しい人達が本当に幸せになっているとはイエスも思えず「飢えている人は幸いだ」と補足したのだと思っていますからルカの箇所は「貧しい人への慰め」と「富んでいる人の苦悩に対する予言」だと思っています(金持ちを憎んでいる、とまでは思っていません、冷めた視線で皮肉っぽく「ありゃりゃ、金があると苦労するのに・・・」とイエスは思っていたのかなと)。
しかしラザロではそれを飛び越えて、一見すると金持ちはそれだけで悪人になってしまっています。分け与えなかったから悪人とは言っておらず(その辺りには触れず、つまり隣人愛があったか無かったかも触れず)、金があるから即悪人と決めつけている訳です。その一方で後半は預言者のことも言及しています。何か、2つの話が混ざったかのような、そんな印象を受けずにはいられません。この箇所を読む限りは生徒さんが言う「金持ちが引きずり下ろされて・・・」という意味が通じますが、実はイエスが言いたかったことは後半部分なのではないか、というのが今の私の感想です。それが勝手に「金持ち」が敵になってしまったのではないかと。そうでなければ「ラザロに寄付をしなかったから悪い」というオチになっていないと辻褄が合わない気がするのですが、いかがですか?

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - tomita@iChurch.me
2011/11/04 (Fri) 15:57:49
そういう考え方もできますね。
ただ、「飢えている人びとは幸いだ」が後から補足されたというのは、ちょっとぼくには疑問に感じるところですね。
(話が貧しい人、富んだ人の方に行っちゃってごめんなさい)
ルカの「貧しい人は幸い」「今飢えている人は幸い」は、マタイにも並行記事があって、そっちでは「心の貧しい人はさいわい」「義に飢え渇く人は幸い」になっています。
つまり、ルカのほうが現実の貧富の格差のことを言っているのに対して、マタイはそれを精神化、観念化していると考えられます。
もちろん、マタイ版のほうがオリジナルに近い可能性もあるのですが、「貧しい者は幸い」「今飢えている者は幸い」と言うのと、「心の貧しい人は幸い」「義に飢え渇く人は幸い」というのとでは、話す相手にもよるでしょうけど、衝撃が断然違います。
「貧しい、飢えている者は幸いだ」と言うと、聞いている人が金持ちなら腹を立てるでしょうし、貧乏人だったら「なぜだ!」と問いつめたくなるでしょう。でも「心が……」「義に……」と言っていれば、金持ちは別に自分が攻撃されたとは思わないでしょうし、「衣食足りて礼節を知る」みたいな自己満足を覚えるかもしれません。貧しい人がこれを聞いたら、「心よりまず腹が減ってるんだよ」と見向きもしないでしょう。
そうなると、ルカよりもマタイのほうが安全な言葉遣いをしている。少なくとも貧しい人はルカ版もマタイ版も見向きもしないかも知れないですが、裕福な人はルカ版には不快感を示すでしょうけど、マタイ版は許容するでしょう。
そうなると、あとは考え方次第なんですが、ルカとマタイは同じ資料を使っていたんだけれど、ルカはイエスの過激な言葉をそのまま収録したが、マタイはそれを広い読者層向けに柔らかく言葉遣いを変えた。あるいは、もともとイエスは観念論を唱えていたのだが、マタイはそれを忠実に記録し、ルカは富裕層に対して挑戦的な物言いに改変した。そのどちらかということになります。
ある作品を著すとき、基本的には幅広い読者を想定するものではないかという仮定に立つと、ルカはオリジナルを特に改変せずに収録したけれども、マタイは富裕層向けに受けが良いように改変した、というほうが考えやすいと思うんですけどね。
それから、ぼくは、モーセと預言者をちゃんと読んでいないからだということと、金持ちが家の真ん前に自分の食べている物のほんのわずかでも分けて欲しいと願いながら死んだ人がいるということ、しかもそれがラザロという名前であることを知っていたくらいなのに、彼に少しも分けてやらずに死に追いやったという事の罪深さが、別問題だとは思いません。
モーセと預言者というのは、旧約聖書のことですが、それをちゃんと読んでいたら、貧しい人のためにわざと畑を刈り残しておいたり、ヨベルの年には債権を放棄したり、奴隷を解放したり、といった弱者救済のシステムを知っているはずだからです。
それなのに、貧しいラザロを知っていながら放置した金持ちは、明らかにモーセと預言者を無視していたわけで、同時に貧しい者から奪い、死に追いやっている罪人なのです。
聖書に従わないことと、貧しいラザロに与えなかった罪は、ここでは表裏一体です。
この時代、ぼくの不十分な勉強の結果ではありますが、どうも非常に少数の金持ちたちが権力も持っていて、司祭される側の人のほとんどは貧しい人々。つまり中間層というものがほとんどいなかったかのように感じます。
イエスの出自も非常に貧しい貧農階級だったと言われていますし、彼はいつも祭司や律法学者のように裕福な人に対しては冷たい態度をとっています。
イエスは基本的に貧しい人の側に身を置いて、決して中間的な立場からではなく、かなり一方的に貧しい者の側に立って言葉を発していたように感じます。
もちろんそんなイエスの言葉に、ぼく自身も裁かれてしまうわけですが……
とりあえず定職について食べていけて、それも満腹になるほど食べることができて、Macを3台も持っていたりもするわけですから、今風に言えば中間層ですけど、イエスから見れば攻撃の対象でしょうね。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - 毛利
2011/11/07 (Mon) 09:27:52
なるほど、21で「食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた」ということは、金持ちはラザロに何ら施しをしなかったということですね。この部分が旧約で定められた「貧しい人への救済策」を無視したと取れる訳ですか。
金銭的に貧しく、病んでいる人は無条件に天国に行けるが(それは律法を守っているかどうかは別にしてフリーパスで行けるが)、金持ちは一定の基準を満たしていないと地獄に落とされる・・・。別に、金持ちに「お前らも同様にして貧しくなれ」と命令しているのではなく、金持ちであることを批判しているのではなくて、金持ちの取った行動が批判されるということのように思います。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - tomita@iChurch.me
2011/11/07 (Mon) 13:33:07
ええ、でも、ルカ福音書の幸いと不幸についての言葉では、「富んでいる者は不幸」と無条件に断罪されていますよね。
金持ちのとった行動が、ではなくて、金持ちであるということ自体が「貧しい者の取り分を奪ったからお前は金持ちなんだ」ということで、災いなのです。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - 毛利
2011/11/07 (Mon) 14:43:18
「金持ちになった=貧しい人の分を奪った」と言い切って良いのか私には疑問です。いや、当時のイエスがそう思ったのかもしれないとは思いますし、それはイエスに聞いてみないと分からないことですが、ルカの「富んでいる者は不幸」自体は、今回の聖書箇所とは切り離して「あくまでも一般論として」案外と当てはまっているのではないでしょうか?
金を10億円持っている人は20億円欲しくなる、100億円持っている人は200億円欲しくなる、1兆円持っている人は2兆円欲しくなる、その上限は無いのではないかと思います。そして50億円持っている人が仮に45億円に減ったとしても、それ自体は依然として十分な額面を持っているにも関わらず「資産が減った」と焦るのではないでしょうか?
そういう意味で「特別に富んでいる訳では無く、中間層として欲張らず平穏な暮らしに満足していること」が幸せなのだ、という意味をこのメッセージから私は感じ取りました。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - ノンクリ
2011/11/07 (Mon) 18:47:18
 スレの話題と多少ずれるかもしれませんが、パスカルの『プロヴァンシャル』という本を思い出しました。これは、カトリック・イエズス会のずぶずぶのマニュアルを批判した本です。
 皆さん、ご承知の通り、新約でイエスは、今回の「金持ちとラザロ」などで「金持ちは天国に入れない。天国に行きたければ、全財産を寄付せよ」と文字通りに受け取るとかなり過激なことを言っていますより。でも、それじゃ、金持ちを敵に回すことになって、教会はやっていけない。
 だから、イエズス会は、一見すると聖書に反するような階級や人間でも、ちょっと何かすればちゃんと救われるという、手を取り足を取るようなマニュアルを書いていたそうです。
 それを原理主義者パスカルが批判したのが『プロヴァンシャル』なんですが。
 まあ、どの時代のキリスト教会も、『旧約』や『新約』という聖典の「教え」と、自分たちの生きている「現代」とのギャップをどう埋めるか?苦労してきたんだなぁ、ってことで。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - 入谷
2011/11/07 (Mon) 20:57:20
毛利さん
「イマイチあまり正確ではない事が多いですね」とのトマスさんの評言がある wikipedia の記述で恐縮ですが、たとえば現在のフィリピンの社会は
<quote>
この地主は全国に数十人おり、彼らの家族が国土の半分以上の土地を所有している。農村部では半数以上が一日1ドル以下の生活をする最貧困層で、これが南部イスラム地域では更に75パーセント以上が最貧困層とされる。
</quote>
と描写されています。
2000 年前のパレスティナは、もっと酷い格差社会だったのではないでしょうか。
そういう意味で日本の都市生活者的な「中間層」というのは、想像しにくいです。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - トマス
2011/11/07 (Mon) 21:37:25
>現在のフィリピン
当たらずとも遠からずかもしれません。数字は合ってない可能性もありますが、おおむね傾向としてはそんなモノだと思います。キリスト教関係は仕事柄!?引っ掛かりやすいのですよ、きっと(苦笑)
もっとも、お気付きのように、この手の統計には落とし穴があって、1日1ドル以下であっても自給自足や物々交換できていたりすると最貧困と言っていいのかな?なんて部分もあります。為替レートのマジックもありますし。先進国の基準では計りきれないモノがあるかもしれません。それにしても1ドルはきついかな。
2000年前のパレスチナの状況はどうだったのでしょうねぇ。経済的な面もですけど、ヨセフスの『ユダヤ戦記』なんかを読んでいるとトンデモな社会に見えてしまいますが…。
>「金持ちになった=貧しい人の分を奪った」
とりあえずルカにはそのように思えた、そう思わせるような現実があったということでしょうねぇ。

Re: Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - et
2011/11/07 (Mon) 23:25:22
旧約聖書を読むと、律法を一生懸命守っている人は
経済的な祝福を受けて栄えるという思想が根強くあることが理解できます。
詩編1編なんか、まったくそのものズバリです。
つまり、律法を守っているから、祝福されて金持ちになったと考えている。
そして、イエスはこのような因果応報的な考え方に真っ向から対立したので、ファリサイ派から憎まれたのでしょう。
ところで、現代の聖霊派や福音派の教会でも、この因果応報的な祝福論は根強いものがあります。
その代表的なものが、繁栄の神学と什ー祝福論でしょう。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - ogion
2011/11/08 (Tue) 00:12:02
ROMのogionと申します。書き込まざるを得ない気持ちになっています。
たぶん、「みんたた」のコーナーはテキスト解釈について意見を交換しながら、何かしらの方向性を探ろうとする共同作業だと、わたしは理解してきました。ところが、自分の側にすり寄せるようにしてカルトなどの献金略奪のことなどに収斂させて、テキストを窒息させてしまうような議論へのすり替えがなされているように見受けられます。他意はないのかもしれませんし、カルトの被害者との関係性はおありでしょうが、Etさんの議論の展開には読み手としてモヤモヤ感が残ります。etさんに喧嘩を売るつもりはありませんが、このテキスト解釈に集中くださいませんか。牧師ならば、テキストに対する即時性から解釈を展開したら、どうでしょう。このテキストをあなたはどのように理解して、なおかつ説教しているのでしょうか。まず、Etさんの釈義的な方向性を示してくださいますか。そうでないと、テキスト理解をめぐっての議論が非常に不毛な展開になっていくと思うのですが。「その代表的なものが、繁栄の神学と什ー祝福論でしょう。」など、結論は分かりました、そうでしょう。しかし、テキストをあなたはどのようように解釈し、また説教しているのでしょうか。テキストに即してのご発言をお願いします。わたしとしては、Etさんのこのテキストの釈義をまず求めたいと思います。その上で、さらに議論を深めていくのが、より建設的だと思います。そこで、Etさんにお願いです。このテキストの釈義を提示してくださいますか。そこで、批判的な応答を通して、事柄を深められると、わたしは考えています。よろしくお願いします。このコーナーが浅薄なものとならないために、是非ともEtさんの釈義の提示を願います。そうすれば、「みんたた」の意義が深められ、共通の土俵に立てる気がしてます。如何でしょうか。

Re: Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - et
2011/11/08 (Tue) 07:22:06
Ogionさん
まず私は、牧師ではありません。
また、現在は教会役員でもありません。
もちろんバプテスト教会の信徒ですから、説教をしたことはありますが、それも洗礼を受けてから、今まで数回程度です。
それと、私はこの談話室で議論を一定の方向に持って行こうと思ってもおりません。
ただ、自分が思ったり感じたりした事を書いているつもりです。
もちろん、この箇所の自分なりの解釈を書くことも可能ですが、他人の解釈を要求される前に、まずOgion さんご自身の解釈を書かれてはいかがでしょうか。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - アンディ
2011/11/08 (Tue) 15:08:54
私もずっとROMしておりました。我慢にも限界を感じています。
ET殿
貴殿の「警告」を毎月毎月読まされていることにうんざりしている人が居ることにそろそろ気付いて下さらんか。

Re: Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - et
2011/11/08 (Tue) 21:44:16
我慢にも限界?
いったいあなたは何を言っておられるのですか?
我慢してまで、私の書き込みを読まれているということでしょうか?
非常に奇特な人ですね。
私の書き込みなど、読まずに無視されたらいかがでしょうか。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - アンディ
2011/11/09 (Wed) 08:29:02
奇特な人が嫌われるのを承知で申し上げます。
貴殿の話題が受け入れられていないと悟られたらばそれに見合った行動を取る勇気と見識を持たれていることを期待します。
なお貴殿がカルト教会直営の掲示板に殴り込みをしていらっしゃるつもりならばその不屈の精神を評します。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - et
2011/11/09 (Wed) 11:09:05
カルト直営の掲示板?
まったく意味不明の書き込みです。
それと私が問題にしていることは、何もカルトに限ったことではありません。
日本の多くの教会が陥っている問題です。
また、そこまで言われるなら、あなたの所属する教派名と教会名、あなたの教会でのお立場を明らかにされるべきと考えます。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - アンディ
2011/11/09 (Wed) 13:00:08
ogionさんの質問にも似たような切り返しをされておられましたな。かの質問へは返答される気はござらんのだろうか。
既に先月カルトと原理主義と献金から話題を転じようとする声が上がっておりましたのをよもや御見落としではありますまい。ですから大人の分別を持って話題を展開して下さらんかな。

Re: Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - et
2011/11/09 (Wed) 17:00:33
アンディさん
こちらの注文には、何も答えられないようですね。
ならば、私もあなたの注文には今後一切お答えいたしません。
つまり、あなたへのレスはこれが最後になりますので、悪しからずご了承下さい。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - tomita@iChurch.me
2011/11/09 (Wed) 19:58:21
管理人の富田です。
討論ではなく、ケンカになってきましたので、介入します。
私は正直に申し上げて、etさんが十一献金の話題に収斂しすぎる傾向があると感じていました。
どんな話題でも、たいてい十一献金の問題につないでしまわれますね。
意図的にそうしているわけではなく、思う事を思う通りに書かれているとの事ですが、その思う事の内容が、非常に狭く限定されているように感じます。
しかし、それはetさんにとっては非常に重要な課題であり、確かに昨今、不景気の影響もあって、十一とは限らずとも、教会への献金を負担に感じるクリスチャンが増えているという現実はあります。それは、私のところに送られて来る相談メールの中で、献金に関する悩みが増えてきていることを見ても明らかです。
しかし、献金のことに悩んでいる人は多いですが、十一献金で困っているという人は少ないのです。
それを強要している教会は、圧倒的に少数派であろうと思います。
少数だからといって重要ではないとは思いませんが、etさんのように相当頻繁に各種問題を十一献金に結びつけてゆくというのは、疑問を感じます。
ここでは、多様な物の考え方を広めるという趣旨を持っておりますので。1人の人の意見であっても、いろいろ多面的に理解し、発言して欲しいのです。
ですから、私はある書き込みで「献金の問題からは少し離れて……」というような内容のことを書きました。
それである程度察知していただけるかな、と思っていたのです。
しかし、etさんにはおわかりいただけなかったようでした。
しかし、不満をお持ちの方が私だけではないようなので、少し厳しいことを申し上げますが、etさんにお願いがあります。
■今後、この掲示板では、「什一」「十一」「十分の一」という言葉を一切使わないでください。
■今後、この掲示板では、ご自身の掲示板または教会のリンクを張るのをおやめ下さい。ご自身のURLを入れる欄は、書き込みを入力するボックスに設けてあるはずですから、そこにURLを書き込みだけにしてください。(これは、毎回広告を入れられて不愉快に感じるのと同じような感覚を私自身が覚えているからです)。
以上2点のお願いを守っていただけませんでしたら、ここでのご発言をお断りすることになるかも知れません。
どうぞよろしくお願いいたします。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - tomita@iChurch.me
2011/11/09 (Wed) 20:11:02
>毛利さん
ぼくは毛利さんの考えが間違っていると思っているわけではないんです。
毛利さんがおっしゃる、金持ちがもっともっと金持ちになりたいと思って、いつまでたっても幸福感を味わうことができない、という人間の欲の深さは確かにあるんです。
ただ、この聖書の箇所でその事を言おうとしているとは、ぼくには思えないというだけのことです。
毛利さんは、この聖書に書いてあることはそうだと思う、と主張してらっしゃるのは、「富んでいる人は不幸だ」という言葉からの連想ではあると思います。
でも、「欲が欲を生んで、きりがないから一生幸せになれない」というような内容は、聖書にはどこにも書いていません。
そうではなくて、「富んでいるお前らは災いだ。お前らは泣きわめくようになる」「今満腹しているお前らは不幸だ。お前らは飢えるようになる」、といった言葉が、「飢えている人は幸いだ。満腹するようになるぞ」「泣いている人は幸いだ。笑うようになるぞ」という言葉とワンセットで伝えられています。
これは、完全に「立場の逆転」を説いているのです。
今豊かな奴らは、引きずり下ろされるぞ、災いだなあ。
今貧しい奴らは、引き揚げられるぞ(あの世でかも知れないけど……ラザロの場合、あの世でですよね)。
そういう、社会階層の逆転です。
ここには、金持ちはきりがないから大変だなあというような憐れみも同情もありません。
「あいつらをたたき落として、ひっくり返さないと腹がおさまらねえ」というような心情が描かれていると読むのが、言葉上自然だと思います。
もちろん、そういう考えが適切かどうかというのは、別問題です。
聖書に書いてあるから正しい、のではなく、聖書とはいえ一つの文学ですから、これに対して「異議あり」でも別に構わないのです。
そういう意味で、聖書にこう書いてあるから毛利さんの考えが間違っている、とは全然言ってないのであって、聖書の解釈については全然違う見解を持っていますが、毛利さんが「金持ちは不幸だ」と思う根拠については、ぼくも反対意見ではありません。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - et
2011/11/09 (Wed) 20:30:05
了解です。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - アンディ
2011/11/09 (Wed) 21:37:19
小生もとよりET殿と口論したかったのではございませぬ。お願いいたしたかっただけでございます。
小生の申し述べ様がET殿の勘気に触れましたのなら幾重にもお詫びいたします。
根本的な問題が解決したようでありますすのでこれにてROMに戻ります。
参加者の皆様と富田牧師にも御不快であったことをお詫びいたします。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - トマス
2011/11/09 (Wed) 22:31:06
落ち着いたようですので、仕切り直しましょう。
とりあえず、スレのトップに戻ってネタを投下してみます。
>聖書を読め。ちゃんと読まないなら、死者の中から生き返った者があっても意味ないだろう、ということかと。
私も以前にこの譬え話を取り上げた時にこのあたりに注目しました。本質的なテーマではないかもしれない、と富田先生は書いていますけど、現代に如何にアダプテーションしていくかという意味ではけっこうポイントかもしれませんよね。とても厳しい批判となるかもしれないです。だってその死者はイエスかもしれないんですもの。それに、もう一つ前の小見出し(16節)から続けて読むと、聖書をちゃんと読め、ってのは実はけっこうこの譬え話の隠れテーマのような気もします。
>実は今まで何人も死者の中からよみがえって忠告したにも関わらず、お前たちはそれに気づいていないではないか、というメッセージとも取れる
これは私になかった視点でした。面白いですよね。その可能性があるとしたらどうなるんでしょう。今も私たちのまわりによみがえった死者が居るのでしょうか?
そういえば、イエスと弟子たちとの遣り取りで(ペトロの信仰告白の場面)、人々はイエスのことをよみがえった預言者だと言っている、と弟子たちが報告していますから、少なくとも民間信仰としては、終末の復活ではなく、もっと早い時に預言者がよみがえると思われていたと考えてもいいのですよね。
もう少し展開してもいいのだけど、また次回に。
あ、でも毛利さんの最初の疑問にも一つだけ私なりの答えを。私が読み落としていてどなたか答えて下さっていたらゴメンナサイ。
>ラザロは貧しいにも関わらずモーセと預言者についての知識があったからアブラハムと席を共にすることが出来たのですか?
譬え話の登場人物にこういう言い方も変ですが、まず間違いなくラザロはモーセと預言者についての知識はなかったでしょう。むしろ、ただひたすら貧しかった故に(マタイ流の言い方で言えば「もっとも小さかった者」であったが故に)、神の恵みを受けた、ということだと思います。
旧約でも申命記7章に(エゼキエルかと思いましたが)、イスラエルが強大な民族だったからではなく、小さな民族であったから神は慈しんだ、ような事が書かれていたと思います。おそらくは同じパターンでしょう。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - トマス
2011/11/10 (Thu) 23:16:06
あれ、落ち着きすぎて立ち止まってしまいましたか?
教科書的な解説も少々しておきましょうか。
・よく知られたことですけど、正典福音書に残されたイエスの譬え話の中で、この物語だけが、登場人物にラザロという名前が付けられています。アブラハムも出て参りますが。
正典外では登場人物にいろいろ名前がついていますけど、後代の書き足しも混じっていたりするのかな?
・ラザロという名前はエリアザルの短縮形だそうで、「神は助ける」を意味します。ヨハネ福音書でマルタとマリアの兄弟ラザロなんて人も出てきますよね。
・細かいことですが、金持ちは「葬られた」と書かれておりますが、ラザロは葬られたとは書いてありません。共同墓地に埋葬された、というか、捨てられた。という解説をどこかで読んだような覚えがあります。と来ると私は映画「アマデウス」のラストシーンを思い出します。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - トマス
2011/11/21 (Mon) 17:50:14
私ばっかり書くのも気が引けますけど、動きがないので再登場。
譬え話の登場人物にこういう言い方もないかな?とか思いますが、私がちょっと面白いと思うのが27節28節あたり。この金持ち、自分が助けてもらえないと判ったところで拗ねだすのかと思いきや、家族思いなところを見せ始めるのですね。だからどうだと言われればそれまでですが、そのことがこの金持ちの人物描写だとか、この譬え話全体だとかに厚みというか深みというかを醸し出している気がします。それって物語を語る時にはけっこう大事なことかな?という気がします。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - 毛利
2011/11/24 (Thu) 21:43:03
すみません、割と放置していました・・・。ずっと考えていることなのですが・・・。このまま今月が終わるとまずいので熟成していませんが、投稿します。
トマスさん
私も同意見です。ラザロに信仰心があったから、とか、モーセと預言者について詳しかったから、という条件付きで天国に行けたとは私にも読めません。ところが違うところでは信仰心が無い者は駄目だと否定的なこともイエスは言っています。ですから、ここでもイエスの思想にぶれがあったように私には思えました。
富田先生
今回の聖書箇所に限って言えばイエスは貧しい人は幸せだ、金持ちは地獄に行くと言っているのですが、彼の富に対する感覚がいまいち分からないのです。
> でも、「欲が欲を生んで、きりがないから一生幸せになれない」というような内容は、聖書にはどこにも書いていません。
とのことですが
マタイ6:24(平行記事ルカ16:13):
あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
マタイ13:22(平行記事ルカ8:14):
この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
については既に富んでいる人達に向けて「富んでいてもいいことないですよ」というニュアンスが含まれているような気がするのです。イコール、欲が欲を生んで一生幸せになれない、とは結びつかないかもしれませんが、少なくとも聞き手に富んでいる人達が含まれていたからこそ、このような言い方をしたのだと思います(貧しい人達しか居ない中で発言しても意味がありませんから)。では何故、富んでいたらダメなのでしょうか?その答えは書かれていませんが、私は「欲は身を滅ぼす」ということをイエスが伝えたかったからではないか、と思っています。
ただ、分からないのが
マタイ22:11~22:14:
王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、
王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
ですが、これは礼服を持っていない=信仰心が無い、という人の比喩だと思いますが、礼服を持っていない貧しい人が聞いたら決して快く思わないであろう比喩になっています(私は、個人的にこの比喩にはカチンと来ました)。
ですからイエスは一貫して貧しい人の立場に立って貧しければ何でも許されると話しているのではなく、富に対して考え方の軸がぶれているような気がするのです。
そこから先が考えがまとまっていませんが・・・投稿します、すみません。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - トマス
2011/11/25 (Fri) 19:51:02
>毛利さん
揚足取りみたいになったら申し訳ないのですけど、ラザロには信仰心は有ったと思うんですよ。むしろ、信仰心があることと、モーセと預言者について詳しいことは別かな、という気がします。じゃぁ、信仰心があるから天国に行けたのかというと、それも確かに断言しにくいかもしれませんけどねぇ。
もう少しちゃんと書いた方がいいですね。でもって追記
日本のキリスト教の世界で信仰というといわゆる自覚的な信仰という難しいものになりますけど、そういう信仰はもちろん想定されてないと思うんです。だけど、ヤハウェは神様だという思いはラザロにもあったと思います。それを信仰心と言ってもいいかな、と。
ただ、その神様の救いから自分は漏れている、と思っていたんじゃないか(譬え話の登場人物なので変な言い方ですけど)とは思います。それで信じていることになるのか?という疑問も出てくるでしょうけど、そのあたりが当時のユダヤ教が民族宗教でもあり国家宗教でもあった所以かな、と思うのです。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - トマス
2011/11/28 (Mon) 17:46:55
相変わらず私ばかり書き込みしていますが…
月末も近いので…
>欲が欲を生んで一生幸せになれない
ルカ福音書12章の「愚かな金持ち」の譬えなんかは最初に貪欲を戒める物語だとハッキリ書かれていますよね。その意味では「欲が欲を生んで…」にかなり近いことを書いている気もします。もっとも、この譬え話はルカにしかないので、「貪欲の戒め」という一言がイエスに遡るかどうか、ルカの付け足しでないかどうか、かなり難しいところでしょうねぇ。
>イエスの思想にぶれがあったように
イエス自身がぶれたのか、目の前の相手に合わせたのか、あるいはまた3年の公生涯のウチにもイエス自身も成長したのか、福音書記者たちがそれぞれの状況に合わせてニュアンスを変えたのか、そう考えていくと、我々がイエスの教えと思っているものはいったい何なのだろうか?と考え込んでしまうところはありますよね。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - がん子
2011/11/28 (Mon) 19:12:53
聖書をバラバラにして・・・いろんな資料から「イエスの言葉」であったりそうじゃなかったりということが分かっている部分もあります。
自分の出席している教会の使信はまさにそのようなカタチだし。
なのに何で「信じる」んでしょうね。
自分も「何を」信じているのか?と言われると答えられませんが、しがみついています。
キリスト教ってふしぎ。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - tomita@iChurch.me
2011/11/29 (Tue) 00:37:13
イエスの言葉とされている言葉が一貫性がなかったとしても、仕方がないことかなと思います。
人間の言うことが、人生のいくつかのステージの中で変わってゆくのはありがちな事ですし、ましてや2000年近くも前の文学となると、元の資料だってどんなルートで伝わってきたかも分からないし、福音書作家によっても扱いが異なったりして改変されていきますし。
「礼服を着ていなかったから放り出された人」のたとえ話も、ひょっとしたらイエス自身が実はそんなに貧しい階級の出身ではなかった可能性だってありますから、何でもかんでも貧困層と協調していたかというと、そのあたりも疑い出したらきりがないですね。
イエスの聴衆がどうであったかはわからないとしても、福音書作家たちは当然、教会の人びとを読者として想定して書いていますから、読者の中にも金持ちがいることは考えていたでしょう。
そうなると、金持ちを無下に否定し去るということは難しかったでしょう。
ですから、まるっきり金持ちを攻撃して終わり、ではなくて、金持ちであることと神の道を歩むのは両立するのは難しいですよ、とお勧めするくらいのニュアンスで書いていたのかなとは思います。
そうなると、逆に福音書作家が読者を意識してそういう文脈を作ったと考えると、元々のイエスの言葉はもっと過激だったかもしれない……なんて考えてしまうのですよね。
だって、ユダヤ人の指導者たちも彼を抹殺しようとしたし、一般大衆は彼を「十字架につけろ!」と叫んだんですよ。
テロとか暗殺とか、そういう行動は起こさないで、言論だけでそこまで自分を追い込んだのなら、相当なことを言ったのだと思います。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - トマス
2011/11/29 (Tue) 14:37:09
>イエスの言葉
落ち着いて考えると当たり前のことなんだけど、記録されたイエスの言葉というのも、それぞれに発言された時の状況というのがある、つまりは目の前に居た人達が誰であるかということがそれぞれの譬え話や議論の背景にあるわけですよね。そうすると、文字になって記録された言葉を2000年後に見た時に、その時の情景を把握しきれない我々としてはブレがあるように見えるのは仕方ないのかな、という気はします。
でもって最初に戻りますけど、
極めて大まかにイエスの言葉や行動を見た時、律法の精神をラディカルに突き詰めようとしたのがイエスかな、と思うんです。そうすると、「モーセと預言者に聞け」という言葉も2000年後のキリスト教徒である我々に響いてくるように思います。我々の生活がモーセの律法に直接に規定されることはもう無いのだけど、しかし律法の精神はイエスの言葉を通じて我々にも届いているのだ、ということを思います。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - 毛利
2011/11/29 (Tue) 21:04:45
> なのに何で「信じる」んでしょうね。
私は理性では神そのものを信じていませんが(どちらかと言うと悪魔の存在は信じる傾向がありますが)、本能と体験で神を信じさせられることがあるという感じがします。正確には「理解を超えた運命の歪み」を言葉として表現するとそれが「神」になるという感じでしょうか。上手な表現が出来ないので、こういう書き方になってしまうのですが。
> 元々のイエスの言葉はもっと過激だったかもしれない……なんて考えてしまうのですよね。
それは思います。自分のことを神の子と言った程度で処刑されるとしたら、他の預言者達も「勝手に神の名の下に言葉を語った」ということで処刑されていても不思議は無いですから。トマスさんはラディカルと書いていますが、過激派と取られてもおかしくない発言をしていたのではないかと思っています。実際にイエスに会ったら激しく罵倒されて全人格を否定されて追い出されて終わるのかも、という気がしないでもないです(特にJobsの伝記を読んでその気持ちが強くなりました)。
ただイエス自身は律法をどう思っていたのでしょうか。律法に振り回されてはならない、という強い信念を持っていた人だったのではないかと私は思っています。だから今回の聖書箇所で律法の話を持ち出すのは、どこかしっくり来ないです。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - ノンクリ
2011/11/29 (Tue) 23:26:49
>実際にイエスに会ったら激しく罵倒されて全人格を否定されて追い出されて終わるのかも、という気がしないでもないです(特にJobsの伝記を読んでその気持ちが強くなりました)。
 私もそう思いました。「愛の人」的なイメージがありますが、実際はかなりラジカルそう、少なくとも単なる優しい人、いい人ではないことは間違いないですし。
 ジョブスだって一消費者からみれば、「天才」「変革者」でも、実際に身近に上司として付き合ったら、たまらない、毎日が緊張でいっぱい、でしょうね。
 実際、聖書を読むとペテロなどイエスから、かなりキツイ言葉を浴びせられてますし、ジョブスなども、社員食堂で一社員にいきなり声をかけ、仕事内容を聞いたところ、その社員がしどろもどろになったのをみれ、「お前は自分の仕事も満足に説明できんのか!、そんな奴は要らん」と言い放ったみたいですし、確執の末、自分の会社から追い出されたこともありますし・・。
 まあ、私は平凡、凡才の一市民で結構、平和に暮らしたいです、というのも偽らざる本音ですね。

Re: 11月のみんたた「金持ちとラザロ」 - トマス
2011/11/30 (Wed) 20:46:33
>イエスの言葉
私もイエスの言動は相当に過激だったと思います。具体的な箇所を調べる余裕が今はないのですけど、マルコ福音書に書かれたイエスの言葉を、ルカやマタイが書き換えて柔らかくした箇所はいくつもあると言われています。マルコ自身だってイエスの言葉の過激さを薄めていないとは言い切れないでしょう。そうすると、元来の言葉はずいぶんと過激だった可能性は大いにありますよね。あんまり直属上司にしたくないタイプかも…(究極の上司ではあるのですが)。
>律法
この箇所だけを読むと天国と地獄についての話しのようですが、少し前の14節あたりから読みますと、19節からのこの譬え話は、弟子たちというよりもファリサイ派に向けて語られた、と読めます。元来のこの譬え話の文脈はもう復元のしようが無いのですけど、少なくともルカは「金に執着する」ファリサイ派に向けた譬え話として語られた、と設定しているようです。それも、「不正な管理人」の譬えを聞いて、「フン、俺は違うぜ」ぐらいに感じたらしいファリサイ派に向けて、ということです。とすると、モーセと預言者、つまりは律法(の守り方)についての譬え話と解釈できるように思うのです。もちろん、富や財産の使い方についての譬え(教え)でもあります。
もっとも、ヨセフスはファリサイ派を評して、「簡素な生活を営み、かりそめにも贅沢な生活に惑溺するようなことはしない」(ちくま学芸文庫『ユダヤ古代誌』)と言っておりますが…。
>何を信じているのだろう
と悩むことで思考停止に陥らずにいられるのかもしれませんね。そう考えると「迷い」にもポジティブな部分が有るような気がします。だから迷ったり悩んだりしてもいいのかも。
>偽らざる本音
同感です…。





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