みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2011年12月のテーマ: 「マリアの賛歌」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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ルカによる福音書1章46-56節

2011年最後のみんたたテーマは、ルカによる福音書1章46−56、いわゆる「マリアの賛歌」のところにいたしましょう。
イエスの誕生が予告され、マリアが親戚のエリサベトを訪問し、自分と同じようにエリサベトも奇跡的な妊娠をした事を知って、神をたたえる歌です。
ここ最近、富の問題についての論議がみんたたでは続いているようですので、これにもマッチしそうな個所です。
もちろん、他のテーマについての話し合いも歓迎です。どうぞ、みなさん、お読みいただいた上で、叩いてみましょう。

***************************************

ルカによる福音書1章46−56節

46 そこで、マリアは言った。
47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
56 マリアは、三ヶ月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

***************************************

ルカによる福音書では「幸いと不幸」についての言葉(6章20−26節)についての言葉との類似性が一部に見られます(51−53節)。
また、旧約聖書のサムエル記上2章1−11節の、いわゆる「ハンナの祈り」と非常に似ているという指摘もあります。
どうぞみなさん、ご自由にご感想、ご意見をどうぞ。



Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - ノンクリ
2011/11/29 (Tue) 13:19:49
 あの、非常に幼稚、かつくどい質問で申し訳ないんですが、マリアって何がどうエライ、んですか?
 単にイエスを産んだってだけで、聖書を読んでも、イエスにこんな影響を与えた、とか、こんなことを教えた、とか教育を施した・・なんて話が全然ないような。
 イエスが処刑される瀬戸際の苦悩の場面にも、全然関わってこないし、仲もさほど良くなかったようだし。
 品のない言い方をすれば、なんだよ、産みっぱなしかよ?といった感想しかないんですが・・。

Re: ハンナの祈り - トマス
2011/12/01 (Thu) 18:09:51
せっかくですから、ハンナの祈りもアップしておきましょうか。
マリアの賛歌はイエス誕生前ですが、ハンナの祈りはサムエルの誕生後、サムエルを神殿に連れて行って奉献した時の詩ですね。

01 ハンナは祈って言った。
 「主にあってわたしの心は喜び
  主にあってわたしは角を高く上げる。
  わたしは敵に対して口を大きく開き
  御救いを喜び祝う。
02 聖なる方は主のみ。
  あなたと並ぶ者はだれもいない。
  岩と頼むのはわたしたちの神のみ。
03 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。
  思い上がった言葉を口にしてはならない。
  主は何事も知っておられる神
  人の行いが正されずに済むであろうか。
04 勇士の弓は折られるが
  よろめく者は力を帯びる。
05 食べ飽きている者はパンのために雇われ
  飢えている者は再び飢えることがない。
  子のない女は七人の子を産み
  多くの子をもつ女は衰える。
06 主は命を絶ち、また命を与え
  陰府に下し、また引き上げてくださる。
07 主は貧しくし、また富ませ
  低くし、また高めてくださる。
08 弱い者を塵の中から立ち上がらせ
  貧しい者を芥の中から高く上げ
  高貴な者と共に座に着かせ
  栄光の座を嗣業としてお与えになる。
  大地のもろもろの柱は主のもの
  主は世界をそれらの上に据えられた。
09 主の慈しみに生きる者の足を主は守り
  主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。
  人は力によって勝つのではない。
10 主は逆らう者を打ち砕き
  天から彼らに雷鳴をとどろかされる。
  主は地の果てまで裁きを及ぼし
  王に力を与え
  油注がれた者の角を高く上げられる。」
11 エルカナはラマの家に帰った。幼子は祭司エリのもとにとどまって、主に仕えた。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - nikaya
2011/12/01 (Thu) 22:23:57
ご意見ご自由にということでしたので。
仏教ファンの人間からしたら、産みの親マリアが崇拝対象になってること自体が、ある意味羨ましいです。
ブッダのご生母は、出産一週間後に亡くなってるし。
マリア様信仰って何であるんですか??
ノンクリさんと同じような感想持ってます。もちろん聖書読んだことありますよ。
(やっぱりどうして旧約聖書がキリスト教に入っているのか、さっぱり理解出来ません)

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - tomita@iChurch.me
2011/12/01 (Thu) 23:16:56
コメント書く前に「ごめんなさい」です。
昨年と同じ時期に、同じ聖書の箇所を選んでしまったようです。
すっかり忘れていて、トマスさんに指摘されて気づきました。
まあでも、既に話題が進んでいるので、このままで行きますね(笑)。
どーもさーせん。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - トマス
2011/12/02 (Fri) 12:28:10
去年けっこう印象に残る盛り上がり方をしましたから…。
いやまぁ、今年は今年でまた違うモノが見えるだろうし…。
>マリア崇敬
プロテスタントの世界だけ見ていると、マグダラのマリアとか、マルタの妹とか、そっちのほうが出てくる頻度が高そうですけど、カトリックではマリア崇敬はとても大切なことのひとつです。
2004年2月には聖公会とカトリックの間でマリア崇敬に関する歴史的な合意(『マリア-キリストにおける恵みと希望』、シアトル声明と呼ばれる)が成立。2007年には日本語に翻訳出版されています。早っ。さすがはカトリックと聖公会の協力事業。
マリア信仰と言っちゃうと違うんですけど、外野席から見れば、五十歩百歩と言われても仕方ないかなぁ。って感じではあります。聖母マリアや諸聖人(聖人の筆頭格・別格大本山が聖母マリアと私はにらんでいます)が、私たちの祈りを取り次いでくれる。と信じられています。
という説明で合ってると思うんだけど、ちょっと自信ないかも。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - ノンクリ
2011/12/02 (Fri) 20:30:06
>聖母マリアや諸聖人(聖人の筆頭格・別格大本山が聖母マリアと私はにらんでいます)が、私たちの祈りを取り次いでくれる。と信じられています。
 聖人の方は、キリスト教業界、カトリックにそれなりに貢献した人物がなってるんで「理解」できるんですが、「聖母」マリアはねぇ・・。一体、彼女がイエスを生んだこと以外にキリスト教に貢献した要素がさっぱり思いつかないんですよ・・。
 イエスを大人物にするような教育を施したわけでなし、イエスの宣教活動を積極的にサポートしたわけでもなし・・。
 例えていうなら、同族会社、独裁国家(たとえが悪いけど)において、創業者、首領様の血縁者、親族というだけで、「業績」もないのに専務だとか書記長だとかといった要職に就いちゃってる・・みたいな違和感というか、割り切れなさがあるんですよね・・。
 熱心な信者さんからには、思いっきり嫌がられそうな話かもしれないけれども。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - 入谷
2011/12/03 (Sat) 12:06:13
この箇所の詩歌としての出来の良し悪しを判定するのはすこぶるむつかしいんでしょうね。
私はルカ書の中では出色の箇所だと思っています。
52, 53 節も力強くて好きです。
牧師、あるいは、神父が、この毒をどう薄めて説教しているのかに、多少興味があります。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - tomita@iChurch.me URL
2011/12/03 (Sat) 17:36:38
52-53節の毒気は、実はルカの中でのイエスの「幸いと不幸」(祝福と呪い)の部分などとはすんなり一致するんですよね。
貧しい暮らしをしている者と、満腹している者の逆転です。
この逆転は、まずぼくが普段授業で接している高校生には受け入れられないです(笑)。
イエスと少し距離を取らなきゃいけないんでしょうかね?
イエスにも癖があるんだと……。
決して客観的、冷静に物を言っているわけではないんだと。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - Milline
2011/12/03 (Sat) 22:51:32
失礼します。
マリアは旧新約聖書中、随一の、神に最も愛された信仰の人で、並ぶ者なき存在だと思います。イエスは、マリアが産んだからこそイエス足りえたとさえ思えます。
カトリックでは、マリアは実質的に女神です(教義上は違いますが)。古代の女神信仰(処女神・母性神の融合)の流用であって、キリスト教的ではないとの見方もありますが、女神のいない宗教が果たして健全なのでしょうか?
「マリアは偉くない。ただイエスを生むための腹を貸しただけ」という説明を教会で聞きましたが、マリアに、というより女性の尊厳について、なんと不敬で失礼な発想かと驚きました。プロテスタントのマリア軽視は理解に苦しみます。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - トマス
2011/12/03 (Sat) 23:57:18
Millineさん、ようこそ御出くださいました。
>「マリアは偉くない。ただイエスを生むための腹を貸しただけ」という説明
それはちょっとヒドイですね。酷すぎます。
>マリアに、というより女性の尊厳について、なんと不敬で失礼な発想かと驚きました。
同感です。プロテスタントの皆がそんな失礼な考え方をしているのではないと思って下さいね。
>プロテスタントのマリア軽視
これは歴史的な説明が必要でしょうか。いわゆる宗教改革の時に、プロテスタントは「聖書のみ」と言い出して、中世の教会が保持していた様々な伝承や伝統にストップを掛けました。そうすると、聖書には(ヨセフもですが)マリアについてはほとんど書かれていないということで、マリア崇敬にもストップが掛かります。
もっとも、プロテスタントにもいろいろありまして、聖書が明らかに許可している伝統以外は残してはならない、という教派もあれば、聖書が明らかに禁じている事以外は教会の伝統として認める、という教派もあります。
ですから、マリアの立場の重さも教派によって様々だったりします。横並びではありません。マジメに比較研究すると面白いですよ。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - ノンクリ
2011/12/04 (Sun) 11:36:18
 初めまして。
>「マリアは偉くない。ただイエスを生むための腹を貸しただけ」
 いや、これは酷い言いぐさですね。さすがにそこまで極端なマリア観は持ってません。別にカトリック教会に反感があるわけでもありません。むしろ、ゴチゴチの聖書絶対の一部のプロテスタント教会よりはずっといい、と思ってるくらいなんですが。
 でも、マリア崇敬はやっぱり、よくわからないところが多いんですよ、私的に。
 先ほど挙げた、「イエスに与えた「具体的」な影響」「イエスの宣教活動への「具体的」な貢献」の他に「イエスの思想との絡み」も疑問の種・・なんです。
 あくまで、私が聖書を読んだ限りでは、ですが、イエスって常日頃から、どこかの競艇団体のドンみたいに「お父さん、お母さんを大切にしよう」みたいなことを触れ回っているような人物だったかな?ってことですね。
 もちろん、親孝行、親子愛、家族愛を否定しているわけではないでしょう。
 でも、一方で家族だから、身内だから大事にする、みたいな、言い方が過激かもしれませんが、「馴れ合い」的な愛には否定的、な印象がすごく強いんですよね。(ついでにいうと、組織化された「宗教」にも否定的なような)
 そんな開祖、教祖を持つ宗教から、何故に聖母とか聖家族なんて発想が出てくるのだ?方向性がかなり違ってるんじゃ?みたいな疑問が出てくるんですよね。
 あくまで、素朴な疑問を感じているだけです。
 人の信仰にケチをつけているわけでもなければ、論争を仕掛けているわけでもなんでもないことを堅くお断り申し上げます、念の為。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - tomita@iChurch.me
2011/12/04 (Sun) 15:53:42
福音書の中でのイエスの母マリアの扱いは、誕生物語を除いては冷たいものです。
ルカ福音書では、マリアは大きな役割を演じますが、マタイではむしろヨセフのほうが主役ですし、マルコは誕生物語そのものがないし、ヨハネではマリアは息子のイエスに「婦人よ、何の関係があるのですか?」と邪険に扱われていますし。
それ以外には大した役どころはありません。
初代教会の頃にも、マリア崇敬はなかったようですね。
何世紀かは忘れましたが、マリア崇敬が始まったのはキリスト教の歴史において、中頃ではなかったかと思います。何世紀か、一応1桁台だったと思います。
それも、教会側からマリアの聖人化が起こったのではなく、民衆の側が根強く要求した結果、教会が認めざるをえなかったという事を読んだことがあります。
Millineさんがおっしゃる事に近いかも知れませんが、民衆の方が女神的存在を必要としたということですね。裁く父の神だけではなく、どうしても慈しみの女神が必要だったということでしょう。
そして、ヨーロッパに古代からあったヴィーナス(金星)信仰を取り込むようにして、マリアがカトリック教会での女神的地位に入り込んで来るのですね。
ですから、マリアの象徴は金星です。明けの明星、宵の明星。海の星。
そういうわけで、カトリック学校にも「星」のついた学校名が多いんですよね。「明星」「暁星」「海星」……。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - ノンクリ
2011/12/04 (Sun) 16:31:28
>民衆の方が女神的存在を必要としたということですね。裁く父の神だけではなく、どうしても慈しみの女神が必要だったということでしょう。
 やっぱり、イエスやパウロの教えのみだと、過激だったりちょっと一般的な感覚からズレてたり、味気なさすぎたりで、その中和役、ってことなんでしょうか、マリア様の役割を簡単に言ってしまうと。
 ただ、一部のカトリックの方の過剰なマリア信仰には、ちょっとなぁ、って思わされることも。私自身はターゲットになったことはないのですが、某カトリック関係のBBSでマリア崇敬について、批判的というかツッコミを入れるような書きこみがあったところ、たちどころに侮辱、とか冒涜、とか炎上寸前まで荒れてましたし・・。
 一部プロテスタントの聖書の過剰な絶対視とは別の意味で原理主義チックだなぁ、って思ったことがありますね。
 確か、カトリック教会でも、過剰なマリア信仰は諌めていたように思いましたが・・。まあ、マリア信仰嫌いの人にも「貸し腹」呼ばわりする人間もいるみたいなので、どっちもどっちかもしれませんが。
 もちろん、「私も初めのころは(マリア信仰)がよくわかりませんでした」という冷静なカトリックの方も多いですけれども。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - 入谷
2011/12/04 (Sun) 18:05:54
私は、この箇所を
めでたし、聖寵みちみてるマリア、/ 主御身と共にまします。
Ave Maria, gratia plena, / Dominus tecum,
その他への連想なしに読めないのですが。
そういうのは、異教徒の美的道楽でしかないのでしょうか。

マリアが偉いか否か - 爽歌*sayaka
2011/12/05 (Mon) 18:48:58
マリアが偉いかどうかでいえば
私は「偉い」と思います。
神からの命令だとはいえ
まだ若いのに身ごもって
ヨセフの子ではないと知っている近所の人からのうさわ話や冷たい目線に耐え
一人前になるまで育てるって…
想像を絶する苦労だと思いますよ。
周りからどんな目で見られても、どんな目にあっても
神からの命令に忠実に従う。
ひとつの模範だと思います。
その模範に従えるかといえば…私は無理ですね…。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - ノンクリ
2011/12/05 (Mon) 20:33:11
>まだ若いのに身ごもって
>ヨセフの子ではないと知っている近所の人からのうさわ話
>や冷たい目線に耐え
>一人前になるまで育てるって…
>想像を絶する苦労だと思いますよ
 それはそうだ、とは思いますけれども、しかし、それはマリアに限った話じゃないし、そういうことなら、世の子を持つ母親は皆、「聖母」なんじゃないかなぁ、と思ってしまいます。うーん、やっぱり「救い主」イエスの誕生とか、キリスト教への貢献への話には結び付いてこないなぁ、という感覚がどうしても・・。
 子供ができると、皆一様に、それこそ神から授けられたような一種独特な感慨を持つもので、これまた、マリアのイエス懐胎に限った話でもないだろうし。
 そもそも、そんな大切な息子の処刑前後のシーンにマリアは全然出てこないか、あるいは存在感が薄いし、イエスはイエスで、せっかく復活したのに、顔を出すのは「マグダラのマリア」のところでしょ?
 一体、どういう関係なんだ?一体、どこが「聖家族」なんだ?って「ダビンチコード」の作者でなくても、思ってしまいます。
 しつこいようですが、これは、あくまで、私の独断と偏見、個人的感想です。善し悪しや人の信仰をあれこれ評論、評価しているわけではないことを、お断りしますね。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - @プー
2011/12/05 (Mon) 23:13:05
何の根拠があってのことかわかりませんが、マリアが受胎告知を受けたのは14歳の時だったとカトでは言われており、
では、それが本当なら、マリアは実は知的な障害があったのでは?なんてことをいうと、正統カト系のBBSでは半殺しに
されます。しかし、ポーランドあたりの聖母崇敬を見ていると、一体イエス様はどこにいったの?といった感想をもって
しまいます。
ただ聖母崇敬が、単なるヴィーナス信仰の名残にすぎない
という説明には、それだけではないだろうと考えます。
洋の東西を問わず、母性への尊敬はあるわけで、「母なるもの」への尊敬をマリア崇敬が表していた面はあると思います。
それを宗教改革の名のもとに、切り捨てたということであれば残念なことですね。
マリアを人類の母として尊重すべきという聖書的根拠は一応
あるみたいです。ヨハネ福音書19章26~27です。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - トマス
2011/12/06 (Tue) 14:25:51
件の合意文書に依りますと、
・エフェソ公会議とカルケドン公会議(どちらも5世紀)におけるキリスト論論争のあと、マリア崇敬が盛んになった。
・6世紀に入るとユーカリスト(聖餐式、聖体拝領、聖体礼儀)の祈りの中でマリアを神を産んだ女性として記念することが広く行われるようになった。
・マリアへの注目はユスティノス(-150年頃)やエイレナイオス(-202年頃)まで遡ることが出来る。アダムと新しいアダムを対応させるのと同じようにエバとマリアを対応させて創世記3章やルカ1章26-38節を読み解いた。
・民衆の信心に促される形で、7世紀前後にマリアに関する祝日(御宿り、誕生、奉献、就眠・被昇天)が教会でも祝われるようになった。上記祝日はいずれもイエスの生涯に関する典礼に対応している。
ということのようです。
一方では教父たちの注目があり、一方では民衆の根強い支持があったみたいですね。
と書いて振り返ってみると、
・ウチの聖餐式式文では確かにマリアには触れないですね。教父に倣って、という意味では触れてもいいんですねぇ。
・マリアに関する祝日はどれも祝わないです。ただ、被昇天の祝日は8月15日ですから、お盆だし、終戦記念日だし、去年なんかはちょうど日曜日だったし、礼拝説教の中で絡めたりはしますけど、それでも去年も被昇天の祝日とは銘打たなかったなぁ。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - トマス
2011/12/08 (Thu) 14:08:15
>ヨハネ福音書19章26~27
マリア崇敬全体に関してということでしたらこの箇所なんでしょうねぇ。付け加えますと、マリア(や諸聖人)が祈りを取り次いでくれるという信心に注目するなら、
使徒言行録 1:14 およびその前後と 2:1-4 でしょうか。
カトリック教会のステンドグラスに描かれた聖書物語ではペンテコステ(というか聖霊降臨)の出来事の中心に、ペトロでなくマリアが立っていたりしますね。それが一般的なのかどうか確言できないですけど、数年前にそういう絵柄を見たことがあります。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - tomita@iChurch.me URL
2011/12/08 (Thu) 16:05:32
プーさんに誤解をされているままではちょっと不本意なので(笑)。
ぼくは、マリア崇敬がヴィーナス信仰の名残に「すぎない」と言ったつもりはありません。
ただ、ヴィーナス信仰の要素をうまくカトリック教会は取り入れていったということを述べたまでです。
これは、宗教というものが、どうやって「土着化」してゆくのか、というテーマと関連しているので、面白いことだと私は思っています。
大阪の聖マリア大聖堂では、真っ正面の大壁画が、和服の聖母子像です。そういうことを連想させます。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - ノンクリ
2011/12/08 (Thu) 18:48:23
 聖母・マリアっていうのも、実際のイエスの母、マリアとは関係のない、マンガ・アニメオタクの世界でいうところの「二次創作」に限りなく近い、ヴァーチャル・アイドルだな、って思ったりしますね。
 なんてことを、正統派というか、コチコチのカトリックBBSでいうと袋叩きにされるんでしょうね、きっと。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - フィーカ
2011/12/09 (Fri) 00:26:00
こんばんは。
私もプロテスタントの環境で学生時代を過ごし、今もプロテスタント教会に所属しているので、マリア様が絵画的に美しいとは思いますが、信仰の対象にまでなるというのはちょっとよく分からない部分があります。
ただ個人的には、アガサ・クリスティの『ベツレヘムの星』という短編集を読んで以来、一人の女性としてのマリアに心を寄せる気持ちがあるのです。
この中の「島」という短編では、既に年老い、“息子”(恐らく黙示録を記したヨハネ)と2人でひっそり暮らすマリアの姿が描かれています。マリアはイエスと約束した通り、ヨセフの世話をして過ごしています―「わたしは賢くはないし―あの子の高い思想や、人には見えない幻像など、いつもわかるわけではなかったけど、おいしいものをつくってあげたり、足を洗ってあげたり、面倒をみたり、それに心をこめて愛しました」。時が来て、マリアを迎えに来た息子(イエス)は、年老いやつれた母を“天国の女王”と呼ぶ…(本文はもっと美しいです(^_^;))。
クリスティの信仰がどのようなものであったかは分かりませんが(イギリス人なら英国国教会?)、与えられた人生を誠実に生きる事の尊さを体現している“象徴としてのマリア”という捉え方もできるかもしれない、確かマザー・テレサが「聖人になるという事は何も特別な事ではない」と言っていたのは、こういう事かな、と…。
ちょっとテーマからは外れましたかね。スイマセン。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - ノンクリ
2011/12/09 (Fri) 19:52:58
 アガサ・クリスティはどうなのかは知りませんが、やはり、英国の有名な推理小説作家のG・Kチェスタートンはカトリックで、これまた、推理小説界では有名な「ブラウン神父シリーズ」がありますよ。
 アイルランド系の人間もいますし、英国人だから英国教会ってわけでもないんじゃないですかね?
 英国教会にしたって、ローマの支配下にない、離婚あり、聖人・マリア崇敬がない以外はカトリックと大して変わらないし・・。
 また、メインテーマから話をそらしちゃいました、申し訳ないです。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - トマス
2011/12/09 (Fri) 20:20:59
>英国国教会(聖公会)
実はアングリカンチャーチにも大きく分けて2つありまして…
・ハイチャーチの礼拝は、ほとんどカトリックのミサと同じ。教皇の権威を認めるかどうかぐらいの違いで、カトリックと変わりません。
・かたやローチャーチの方は、いわゆるプロテスタントの雰囲気。
・全体としてはカトリックでもプロテスタントでもないブリッジチャーチだということを大切にしていると聞きます。歴史的にはカトリックへの揺り戻しの時代もあったりしたわけで、ハイチャーチとローチャーチの共存というのもそんなところから来ているのでしょうかねぇ。
日本聖公会の場合は、教区ごとにハイだったりローだったりすると聞いたように思います。
>土着化
カトリックは歴史的に土着化を是としますよねぇ。プロテスタントの多くはテッテ的に土着化を非としますけど、それって結局自分が受け入れないから自分も受け入れられないという一面もありますよね。正しいのは自分たちの信仰だけ、って、それはやっぱり御高く留まっていると思われても仕方ないのでしょうねぇ。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - ノンクリ
2011/12/09 (Fri) 21:23:02
>日本聖公会
 それにしても、日本聖公会の教区分けって謎です。なんで、千葉(うちの地元)が「横浜教区」の管轄なのか?
 英国教会で思い出すのは、映画「時計仕掛けのオレンジ」。
 浮浪者イジメ、レイプ、強盗・・とワルの限りを尽くす主人公が逮捕され、刑務所送りとなり、看守から「貴様の宗教は?」と聞かれて「英国教会」と即座に答えるところ。
 ああ、あちらじゃ、あんなワルも「クリスチャン」「英国教会員」なのね、と思ったりしましたねぇ。。
 またもや、マリアと関係ない話、すんません。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - トマス
2011/12/10 (Sat) 12:39:05
そこが日本とヨーロッパでキリスト教のイメージがずれているところなワケで、一昔前まではヨーロッパ諸国の人は善人も悪人も全員どこかの教会に属していたんですよね。
と書きながら思い出したのは映画『天使にラブソングを』だったりしますが。あれもシスターに化けているがために、親分の秘密を握っちゃった女性を親分も子分も撃てなかったわけで、そういうメンタリティを持っているところがこれまた良くも悪くもヨーロッパ社会にキリスト教が根付いている(いた?)ということなんでしょうねぇ。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - トマス
2011/12/14 (Wed) 08:51:38
年末でお忙しい?
とりあえずネタを一つ投下しておきます。
4世紀後半に活躍した教父の一人にニュッサのグレゴリウスという人が居ます。時代的なことをいえば、コンスタンティノポリス公会議が381年ですから、被ってきます。ニカイア・コンスタンティノポリス信条のあの公会議ですね。彼自身も参加しております。一連の公会議では「父なる神」・神の父性については議論を提起する人は居なかったようです。
ところが、ニュッサのグレゴリウスは晩年(ということは公会議よりも後の時代)に書いた『雅歌講話』の中で神を父と呼ぶほかに母とも述べています。また同じ講話の中で神に中性の定冠詞を付けています。(以上、土井健司『古代キリスト教探訪』より)
マリア崇敬・聖母崇敬とどこかで繋がっているかもしれませんね。

Re: 12月のみんたた「マリアの賛歌」 - 毛利
2011/12/19 (Mon) 20:42:25
ふと気がついたら、1度も書き込んでいなかったです。
一応関連する内容だろうと思うので以下のURLをご紹介します。今回のテーマに重なっていますので(と言いつつ私が個人的に気に入ったのですが)。息抜きにどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=I_28cZIM8Qs






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