みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2012年2月のテーマ: 「最も大いなるものは愛」

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コリントの信徒への手紙一 13章1-13節

2012年2月のみんたたテーマは「コリントの信徒への手紙(一)13章1−13節とします。
今回は長谷川さんのリクエストでした。
以下に日本語、新共同訳の本文を貼付けておきます。

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コリントの信徒への手紙一 13章1-13節 (新共同訳)

1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
10 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

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長谷川さんの元来のご希望は13節のみでしたが、広い文脈の中で読んだ方がよいのではないかというトマス牧師の助言も加え、13章全体を読んでみることにしました。
そういう意味で、たいへん取り上げる題材がたくさんありそうな個所でありますので、どこから取りかかってもよいのですが、最初に13節をご希望された方がいらっしゃるという事を意識しながら、自由にご発言をいただければ幸いです。
みなさん、どうぞよろしくお願い致します。

三題噺 - トマス
2012/01/30 (Mon) 15:59:45
ひとまとまりの文脈で読みましょうよ、といった私がいきなり脈絡のないことを書くようですが、
>信仰と、希望と、愛、
神への信仰と、キリストによる希望と、聖霊の働きに支えられた愛、
と読むと三題噺として父と子と聖霊になって旨く繋がるような気がしますね。もっとも、後半の「最も大いなるものは、愛」には旨く繋がらないような気もしますけど。

トマス先生 - 長谷川
2012/01/30 (Mon) 17:24:54
とても幼稚な質問ですが、愛=アガペーでいいんでしょうか?

真の愛とは - 長谷川
2012/01/30 (Mon) 20:52:54
また幼稚な質問ですみません。イエス様は友のために命を捨てる、これ以上の愛はない。こうおしゃっているのに、このパウロの書簡では、死んでも愛がなければ何の価値もないようなことが、書かれていますも。これは友に愛情をもっての死が本当の愛と言うことですか?

愛は滅びない? - 長谷川
2012/01/30 (Mon) 21:13:56
愛は全てを望み愛は全てを耐える矛盾しているような感じがします。

Re: 2月のみんたた「愛」 - 入谷
2012/01/31 (Tue) 06:30:21
唐突ですが。
「何にあなたは苦しんでいるのですか」とこだわりなく問えること、それが隣人愛のというものです。
(Simone Weil, 1909/02/03 - 1943/08/24)

Re: 愛=アガペー? - トマス URL
2012/01/31 (Tue) 12:17:37
原文ではいずれもアガペーですね。じゃぁアガペーてなんだ?とか、パウロとイエス(ヨハネ?)で違うことを言ってるじゃないか、というあたりボチボチいろんな意見を出していただければ面白いと思います。入谷さんがweilの言葉を紹介して下さいまして、なるほどと思うところもあるのですが、アガペーと隣人愛も同じではないでしょうし…。パウロの言葉を使わずにアガペーを説明するというのはけっこう大変で、いろんな切り口を重ねることでようやく見えてくるのかもしれません。
われわれは福音書を読んで、使徒言行録を読んで、パウロ書簡に辿り着きますから、パウロの言葉を読む時にすでにイエスの言葉を読んでいるのですけど、歴史的にはパウロ書簡は福音書よりも先に書かれているわけでして、パウロがイエスの言葉をどれだけ知っていたか?というとなかなか難しい問題があるみたいですね。

Re: 2月のみんたた「愛」 - tomita@iChurch.me
2012/01/31 (Tue) 12:35:27
>トマスさん
新約聖書の中では一番最初の書かれた文書を書いたパウロでさえ、ギリシア語の思考で「アガペー」を考えていますよね。
でも、イエスはギリシア語を使っていませんでした。
そして、パウロよりも後に、そして例えばマルコなどはパウロの影響を受けながら福音書をギリシア語で書いていますよね。
そしてそれを更に改ざんする形でマタイとルカが自分の福音書を書いていますよね。
ですから、イエスがどういう風に「愛」という言葉を使い何を考えていたのは、いよいよ曖昧ですよね。それを現代の我々がそこまで知りうるのかというと、かなり難しい気がします。
あまり悲観的なことばかり書くのも何だかとは思いますが……
>長谷川さん
パウロの考えていることと、ヨハネが考えていることが、ちょっとズレてるんでしょうね。
でも、パウロは誇ろうとして死んでも、愛がなかったら無意味だ、と言っているのですから、友のために命を捨てるのが友への愛なら、それで整合性は出てくるのではないでしょうか。
ただ、それだけが本当の愛ということではないと思います。
いろんなレベルの愛があるだろうし、愛以外の感情や欲望も入り交じっていて、意識も無意識も含めて考えると、純粋な愛というものが一体考えられるのか、と思います。
ただ、命を誰かのために捨てるというのは、愛した相手が喜ぶ姿を見て自分も喜んだり、愛した結果出た成果で自分も満足したりプライドを感じたりという期待を一切捨てた行為ですから、「これ以上の」愛はない、ということになってもおかしくはないと思います。
>入谷さん
すいません。シモーヌ・ヴェイユですか。聖書と同じで、一言だけ断片を取って来ても、何を言いたいのかわからないことがありますね。

Re: 2月のみんたた「愛」 - トマス
2012/02/01 (Wed) 20:17:36
>かなり難しい
たしかにそうですね。パウロのアガペーに辿り着くのも簡単じゃないだろうけど、イエスのアガペー(ここはヘブル語で言うべきか?)に辿り着くのはもっと大変。どうやったってパウロとか福音書記者とか、そもそもギリシャ語とか、そういうフィルター越しですものね。
でもそれだけに、いろんな切り口を重ねる中から自分なりに腑に落ちるアガペー理解を見つけてもいいのかな?なんて考えてしまえばいいのかもしれないですよ。ってお気楽すぎるかな?

Re: 2月のみんたた「愛」 - tomita@iChurch.me
2012/02/02 (Thu) 01:26:28
パウロにとってのアガペーとは何だったのかを解釈する事と、自分なりに腑に落ちるアガペーを見つける事は別だとは思いますが、どちらもありだろうと思います。
むしろ、ぼくらが生きている上で、自分にとってのアガペーとは何かを考え、「アガペーを生きる」ということができたら、どんなに素晴らしいだろうと思います。
自分はとてもアガペーを生きるなんてできてないんですけど、憧れます。

Re: 2月のみんたた「愛」 - トマス
2012/02/06 (Mon) 11:42:02
>山を動かすほどの完全な信仰
この言葉って当時の一般的な言い回しだったんですかね。というのは、パウロ自身は福音書記者たちと違ってイエスの言葉を系統的に集めようなんてことはして無かったと思うんですよ。だけどこの言葉って、マルコ11とかマタイ17とかのイエスの言葉を思わせますよね。パウロが聞き知っていたイエスの言葉の一つだったのか、むしろ当時の諺か何かに似たようなモノがあってたまたまイエスとパウロがそれぞれ引用したのか。どっちかなぁ、なんて思ってしまいます。

Re: 2月のみんたた「愛」 - tomita@iChurch.me
2012/02/06 (Mon) 18:09:18
>トマスさん
どっちかわからないですけど、同じような言い回しが初期の教会の中で使い回されていた可能性がありますよね。
当時の諺的な言い回しだったのか、イエスオリジナルかはわかりませんが、「山だって動くぞ」とイエスが言った記憶が、パウロにも福音書作家たちにも伝わっていた可能性はありますよね。

Re: 2月のみんたた「愛」 - トマス
2012/02/07 (Tue) 14:58:13
どっちかわかんないけど、そういう表現の類似を見つけると面白いですよね。ホントはユダヤ教の文書とかをちゃんと調べたら分かるのかもしれませんけど、それは素人の手に余る、ということで。

Re: 2月のみんたた「愛」 - tomita@iChurch.me
2012/02/08 (Wed) 14:54:37
話は変わりますが、
4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
……というところを読んでいますと、本当に身につまされるというか。
忍耐強い、いらだたない、忍び、耐える……ぼくがいちばん苦手なことですね。特にこれが結婚式にも使われたりして、自分が司式しながら朗読したりするわけですよね。
ほんとうに、こんな事ができたらええけどな、と思いながら、新婚さんには気の毒だなあと思い……。
でもまあ、忍耐がなければ結婚は続きません。
好きだと思う気持ちがさめると、あとは気に食わないところがどんどん湧いて出て来る。それにいかに耐えるか。「忍」の一文字ですね。

Re: 2月のみんたた「愛」 - トマス
2012/02/09 (Thu) 17:25:58
結婚式にこの箇所を読むのって、万国共通なんですかね?それとも日本独自の習慣なのかしらん。落ち着いて読むと結婚という人間関係社会関係とどう繋がるのか、よく判らない箇所ですよねぇ。それに、(終末近しと思っていたからとはいえ)結婚にはあまり好意的でなかったらしいパウロの言葉を結婚式に読むのってなんかとっても場違いかもしれない気がしますし…。

Re: 2月のみんたた「愛」 - がん子
2012/02/09 (Thu) 22:52:11
「忍」の一文字ではあまりに苦しすぎます。一方的すぎて。
「妥協」になれる関係性が夫婦としてはいいのかな?と(失敗していますが)思います。
この箇所の「愛」はあまりにもハードルが高いのですが、もしかしたらこの時代はこんな言葉を使わなくてはならないほど切羽詰まっていたの?とも思えます。
個人的なイメージですが、この箇所を好きだし信じなくちゃと思っている方は苦しんで知ることが多いように感じています。
なんか最近走ってるかも?

Re: 2月のみんたた「愛」 - tomita@iChurch.me
2012/02/10 (Fri) 23:45:18
自分には知らないうちに、ものすごく妥協してるのに、相手には知らないうちに大きなものを求めてしまって、それが満たされないからと言って、不満をぶつけ合って争い続けるというのなら経験がありますけどね……
まあ、この個所を結婚式の時に使うのは、現代人の勝手かもしれませんから、結婚の愛とは切り離して考えてもいい……というか、本来パウロは結婚の事なんか考えないで、ここで「愛」を論じたんでしょうね、たぶん。
でも、「愛」なんて重すぎるよ……(苦笑)
愛せないよ、俺には、人なんか愛せない……そんな事を毎日味わっています。

Re: 2月のみんたた「愛」 - 入谷
2012/02/12 (Sun) 09:37:33
「愛」という言葉ですが、最近の日本語では常用の語なのでしょうか。
それとも未だにキリスト教特有の隠語なのでしょうか。
私はこの言葉を聞くと歯が浮くような感じを多少覚えます。
「感じ」ではわかってもらえないかも、で岩波古語辞典から引用しておきます。
儒教的には親子の情などのように相手をいたわり、生かそうとする心持をいい、仏教的には自分を中心にして相手への自分の執着を貫こうとする心持をいう。仏教では「愛」を必ずしもよいこととは見ていない。また、概して優位にあるものが弱小のものをいとおしみ、もてあぞぶ意の使い方が多かったので、キリスト教が伝来したとき、キリシタンはキリストの愛を「愛」と訳さず、多く「ご大切」といった。
私の「愛」理解は、仏教的なものに近いです。
これを「アガペー」と言い換えてみても、わからないことにかわりはありません。
ヴェーユを引用したのは、多少とも私の実感に引き寄せてみたかったということです。

Re: 2月のみんたた「愛」 - トマス
2012/02/16 (Thu) 17:52:04
>多く「ご大切」といった
明治初期に改めてキリスト教が入ってきた時に、インテリ向けに漢字の多い翻訳とするか、それとも仮名文字の多い翻訳とするか、宣教師たちが意見二分したという歴史に通じる部分がありますよね。
私も「愛」という言葉には歯が浮く感じがあります。それだけにカタカナ言葉でアガペーと言っておく方が落ち着いて考えられるのかも…。

Re: 2月のみんたた「愛」 - tomita@iChurch.me
2012/02/17 (Fri) 11:00:59
「ご大切」というのは、いい言葉ですよね。
なんだか、これからはやっぱり「愛」という言葉もとにかく、「大切ですね」という言葉遣いを多用したほうがいいかなと感じました。

まあ、でも「あなたは本当に私のことを大切にしているのか?」とか問われたりしても返答に窮するし、「あなたはこれまで私のことを大切にしてくれたことなんか一度も無かった」と言われたこともありますから、いくら言葉を入れ替えても、問題は人間としての中身かなという気もします。

Re: 2月のみんたた「愛」 - トマス
2012/02/18 (Sat) 15:48:16
なんかネタがないかと思っていろいろ見ておりましたら、岩波訳の解説を読んで転けそうになりました。結論を先に書くと、
・13章全体(厳密には12:31b-14:1a)が2次的な挿入の可能性がある。
だそうです。そう言われれば、たしかに12章も14章も「愛」が話題では無い。しかも12章の最後と14章の最初は「賜物」「異言」でうまくつながる。
さらに加えて、
・13章にはパウロ文書の中でもここにしか用いられていない単語や、新約全体でもここにしか出てこない単語が集中している。したがって、伝承による文章の可能性がある。
だそうです。
もっとも、「信仰と、希望と、愛」と3つ並べるのは、第1テサロニケとか、ローマとかにもあるのですが。




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