みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2012年3月のテーマ: 「子どものようにならなければ」

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マタイによる福音書 18章1-5節

3月のみんたたテーマを提示します。今回はカボチャさんのリクエストにより、マタイによる福音書18章1〜5節です。
マルコ、ルカにも並行記事があります。
以下に新共同訳聖書からの日本語テクストをあげておきます。

**********************************

マタイによる福音書18章1〜5節

1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
2 そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
3 言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
4 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
5 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」

**********************************

このエピソードは3つの共観福音書に収められています。
マルコとマタイの大きな違いは、
(1)マタイは、弟子たちが「誰がいちばん偉いか」と議論し合っていたのに対して、イエスが「何を議論していたのか」と質問するが、弟子たちは答えない……という場面を削除している。
(2)マタイは、弟子たちの「(弟子たちの中で)誰がいちばん偉いか」という話を、「天の国でいちばん偉いのは誰か」という問いにすり替えている。
(3)マタイは、マルコの「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」という教えを削除している。
(4)マタイは、「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」という教えを追加している。「天の国」という言葉がそもそもマタイ特有の用語である。
(5)マタイは、イエスに「わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」という一言を付け加えさせている。
ついでにルカとの比較をしましょう。
(1)ルカは、マルコの「弟子たちの間でいちばん偉いのはだれか」という議論が起きたことは否定しない。
(2)ルカも、マルコの「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」という教えを削除している。
(3)ルカは、マタイ同様、イエスに「わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」という一言を付け加えさせている。
(4)さらにルカは、「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」という一言を付け加えている。
というわけで、3つの共観福音書におけるこのエピソードの共通点は、唯一、「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」という言葉だけということになります。
しかし、この言葉も、マルコとマタイは似ていますが、ルカは「一人の」という言葉は抜いていますし、他の部分ではマルコにはないのに、マタイとルカに共通点があるという部分もあります。
なので、これは単純に最初の福音書マルコを、マタイ、ルカが参照しただけではなく、マタイ、ルカ共通の資料(Q資料?)にも別のヴァージョンが存在していて、そちらも使いながらマタイ、ルカはそれぞれ自分の福音書を書いた可能性があります。
それでは、みなさん、どうぞご自由に叩いてください。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - カボチャ
2012/03/02 (Fri) 06:09:50
まだ教会に足を踏み入れて間もない私がしゃしゃり出ることをお許しください。
福音書の中で、使徒たちは誰が一番偉いのか=イエス様に近いのか?と議論しているように思えます。
しかし、それは同時に誰が一番偉いのかという驕りを含んでいるように思えます。
そこでイエス様は子供を引き合いに出し、驕りない空っぽの心のものこそ、イエス様の教えを純粋に受け入れることが出来、天の国に近いと仰ったのではないでしょうか?
また、同時に子供は社会的弱者でもあります。
しかしこれが、同時に「自分を低くするもの」の例えと言えるのではないでしょうか?
新参につき荒削りもいいところでしょが、どうかご容赦ください。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - tomita@iChurch.me
2012/03/02 (Fri) 16:34:56
素っ気ない聖書学的な考察ですが、「心を入れ替えて子どものようにならなければ天の国に入れない」というのは、イエスが言ったというより、マタイの作文のように感じます。
「自分を低くして子どものようにならないと天の国でいちばん偉い」と言っているのもマタイだけです。
どちらも、イエス自身が語った言葉である可能性は低いように感じます。
一方マルコ9:33-37ですが。
まず、弟子たちが「誰がいちばん偉いか」で議論していたというのは、まず史実の記録というより、イエスの死後エルサレムにできた十二使徒教会の批判でしょう。彼らはイエスの弟子という権威を教団形成に利用しながら、自分たちでも誰が一番権威があるか争っている、という指摘です。
この設定からマルコは、「いちばん先になりたいものは全ての人の後になり、仕えよ」という逆転の教えを説きます。
これに対して、マタイは「天の国でいちばん偉い者」という「いちばん偉い」の原理に舞い戻ってしまっている、ということも指摘できると思います。
ルカ9:46-48も、マタイ同様、「最も偉い」という事に結局は固執しているように感じられます。
ぼくは、これらの並行記事の比較から、3つの福音書に共通する伝承である、「わたしの名のためにこの子どもを受け入れる者は、私を受け入れるのである」という言葉が、最もイエス自身の発した可能性が高く、またイエス自身の言葉ではなかったとしても、伝承として強力なインパクトがあったからこそ、ここに生き残っているのではないかなと思います。
子どもを大切にすることがイエスの望みであり、子どもを大切にすることはイエスを大切にすることなんだというメッセージがここから浮かび上がってくると思います。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - カボチャ
2012/03/02 (Fri) 18:10:19
>冨田さん
なるほど。そう考えると話に合点がいきますね。
私はまだまだ聖書について学び始めて間もないのでああいう解釈をしてしまいましたが。
「最も偉い」に固執することに対して、誰が偉いかなのではなく、イエス様を受け入れること≠子供を受け入れること、と解釈できるのですね。
勉強になります。
色んなご指摘をいただいて、私自身知識の向上を出来たらと思います。
余談ですが、今日教会で信仰の告白をしてきました。
私は6月生まれですが、今日が「第二の誕生日だね」と牧師さんに仰っていただきました。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - tomita@iChurch.me
2012/03/02 (Fri) 22:56:57
おおー、第二の誕生日、おめでとうございます。
ぼくらの兄弟になるんですね。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - tomita@iChurch.me
2012/03/02 (Fri) 23:01:27
いや、姉妹かな?(笑)

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - tomita@iChurch.me
2012/03/02 (Fri) 23:03:45
子ども=社会的弱者というのは、カボチャさんもおっしゃるとおりで、昔も今もそうだと思うんです。
大人の都合によって翻弄されるのはいつも子どもですよ。
その子どもの目線にたって、この子どもを受け容れるんだよ。それが私の言っていることを本当に理解してくれることになるんだよ、とイエスが言ったのかなと思います。
子どもが本当に幸福に生きているところは、良いところですよ。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - カボチャ
2012/03/02 (Fri) 23:09:17
男なので兄弟ですね。改めまして宜しくお願いします。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - tomita@iChurch.me
2012/03/05 (Mon) 13:35:44
ようこそ、弟よ(笑)

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - トマス
2012/03/14 (Wed) 12:56:27
3節ですけど、よく似たことをマルコが10:15に書いていますね。今月のエピソード全体としては、マルコは9:33-37が該当しますから、別のエピソードということになりますでしょうか。
並べてみますと、
マタイ はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
マルコ はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。
こう見ると、3節はマタイの作文というよりも、改変かもしれないですねぇ。ついでながらルカは18:17がマルコと同文です。改変だとすると、「神の国」を「天の国」と書き換えるのはマタイの常套手段ですが、「受け入れる」を「心を入れ替える」と書き換えたのは何だったんでしょうねぇ。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - tomita@iChurch.me
2012/03/15 (Thu) 18:52:23
もし、これがマタイによる改変であるとすれば、興味深いですね。
マルコ版では「子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れる」→「子どものように神の国を受け入れる者が、神の国に入る」となっているのですね。
マタイ版では「子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れる」→「心を入れ替えて子どものようにならないと、神の国には入れない」となっています。
こう比較すると、マタイのほうが文脈をねじ曲げた不自然な形になっているように思えます。
不自然に文脈を曲げてでも改変したかったのは、マルコの「子どものように神の国を受け入れる」ということが、意味が不明瞭だったからではないでしょうか。
「心を入れ替えて子どものようになる」ほうが、人間の姿としては理解しやすい気がします。
「子どものように神の国を受け入れる」と言っても、神の国がどこに、どんな形で存在しているのかわからないし、いま目の前にあるわけではないのですから、それを受け入れるというのは、よくわからない、ということになるのではないでしょうか。
逆に言うと、マタイにとっての「天の国」というのは、どこか遠くにあるか、将来行くところというイメージですが、マルコの「神の国」というのは目の前にある、受け入れようと思えば、今受け入れることができる、というイメージなんだろうと思います。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - トマス
2012/03/15 (Thu) 21:20:45
なるほど。マタイの天の国とマルコの神の国のイメージの違いですか。マタイなりマルコなりの中でイメージにブレがないかと言えばそうでもない気がしますけど、この箇所についてはそう言われれば確かにそんな気がしますね。
マルコ10:13-16と、平行するマタイ19:13-15をチェックしてみましたけど、やっぱりマタイは意図的に改変してるみたいですね。件の部分を抜き出して18章に持ってきていますよ。何でまたそんないじり方したんでしょうね。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - tomita@iChurch.me
2012/03/16 (Fri) 10:36:17
やはり、マタイにとって、天の国が目の前に現れるものという感覚が持てなかったからではないでしょうか。
それに対して、マルコは「今ここにでも現れるかもしれない神の国」という感覚があったのではないでしょうか。
ルカは「そこにある、ここにあるとは言えない。あなたがたの間にある」と書いていますが、マルコはそれに近かったんではないでしょうか。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - トマス
2012/03/22 (Thu) 17:54:30
考えてもせんないことかもしれませんけど、三者三様の感覚のベースにある体験とか文化とかが判ると面白いかもしれませんねぇ。
ところで、5節、
>わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は
何やら子どもを受け入れることが簡単ではないような口振りに読めるのですが、見るからにヤンチャそうな悪ガキを呼び寄せて中に立たせたんでしょうか?
考えすぎ?

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - 毛利
2012/03/24 (Sat) 08:24:09
ご無沙汰しています。
私は・・・子供ってそんなに純粋なのかな、というところで既に逸脱しました。子供は邪悪な気持ちを持たずに悪さをする、大人は邪悪な気持ちを持って隠れて悪さをする、という意味では子供の方が邪心は無いのかもしれませんが、それでも大人も子供も同じように嫉妬するし攻撃するし。人間は子供の頃から大人になるまでちっとも変わっていない、ただ手口が巧妙になっただけだ、というのが私の今までの経験で思うことです。
一般的に「子供は弱者である」と言われていますが、弱者だから天国に入れるというのは違う意味で差別されている(優遇差別と言えば良いでしょうか)ように思います。

Re: Q資料? - トマス
2012/03/28 (Wed) 22:22:02
>マタイ、ルカ共通の資料(Q資料?)にも別のヴァージョンが存在していて…
全然違う箇所のネタですけど、福音書の終わり近く、ペトロが「知らない」と3回言う場面ですが、これも細かく見ると、マタイとルカの言葉遣いが共通している部分があったりして、マルコ福音書とは別系統の伝承も在った可能性を伺わせますね。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - ともたん
2012/03/30 (Fri) 00:46:05
御無沙汰しております。
皆さまお元気そうで嬉しく思います。
この聖句を読んで昔の映画「穢れなき悪戯」を思い出しました。
幼いマルセリーノは、どうしようもないヤンチャくれの悪戯っ子ですが、信じるという意識も無しに神様を信じている姿が印象的でした。
きっと、神様の前に誰が1番偉いかなどという事は、発想すら出来そうに無い、この子供の清らかさに憧れます。

Re: 3月のみんたた「天の国でいちばん偉い者」 - tomita@iChurch.me
2012/03/30 (Fri) 16:35:21
まあね……すばらしく純粋な子どももいるし、すばらしく汚れた心を持つ子どももいるし、ものすごく純粋なんだけど、非常に間違ったことをしている子どももいたりするので、あまり深入りすると、ややこしい話になるのかな、とは思います。





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