みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2012年5月のテーマ: 「神の国はあなたがたの間に」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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ルカによる福音書 17章20-24節

5月のみんたたテーマは、ルカによる福音書17章20〜24節です。
入谷さんのリクエストによります。
以下に新共同訳の日本語テクストをあげておきます。

************************************

ルカによる福音書 17 : 20 - 24

20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。
23 『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。
24 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。

************************************

以上です。どうぞみなさん遠慮なくたたいてください。
ちなみに、この引用部分の最後にある、24節「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである」に続いて、23節「しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている……」といったように、人の子の受難の予告が続いてゆきます。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - 入谷
2012/05/05 (Sat) 13:50:07
この「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」はパリサイ人への韜晦の言葉なんでしょうか ?
それともルカさんの本音なのでしょうか ?
ということなので、あまり展開の余地のない話題かもしれません。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/05/06 (Sun) 15:53:42
「神の国」というと、ひとつには「行く」ところではなく「来る」ものだ、という論議がありますね。
ついつい「神の国」と聞くと、死んだ後魂が行くところのような、この世とは別の「あの世」のように考えがちなんですが、そうではなく聖書における神の国というのは、「この世」に「来る」ものですね。
ですから、ユダヤ人が神の国がいつ来るのか、どこに来るのか、というのは、非常にリアルで(悪く言えば即物的で)、この世における平和と永生が約束されているという感覚があったんじゃないかと思います。
ところが、イエスは「いつ」来るのか、と時間の事を聞かれているのに、「見える形では来ない」と場所や形態のことで答えています。しかも、具体的なリアルなものではないと言っています。
「場所じゃない、私たち人間の間にある。つまり人と人の関わり合いの中に、神の国が生じるのだ」と言っているのではないかと思います。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - 入谷
2012/05/06 (Sun) 17:55:57
17 : 21 は、口語訳では「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」となっていて、その方が原文に即しているとの議論もありますよね。(どこから仕入れた知識かは忘れてしまいました。田川さんの「訳と註」 ? Luther 1912 をみると 「inwendig in euch」となっていました。)
「ひととひとが結ぶ関係 (要するに社会ですな) の中に天国は実現される」の方がイエスらしいとは思いますが、ここでは「天国はあなたがたの (こころの) 中にある」という解釈が正解ではないかという気がします。
こういうどうとでも取れる口上は、私は嫌いです。最初に読んだ口語訳に影響されすぎだろうといわれると反論できませんが。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - ノンクリ
2012/05/06 (Sun) 20:02:42
>こういうどうとでも取れる口上
 そういえば、マルクスの著作にも、最終的にやってくる「共産主義社会」というのはどういう社会なのか、具体的な描写が何もないって話ですね。
 まあ、神の国にしても、共産主義にしても、誰も具体的にみたことがないのですから、はっきりとはいえないですよね。適当なでまかせもいえませんし・・。
 変にリアルに描写して、思いっきり外したりすると、時代遅れのSF小説、映画みたいになってしまって、非常に無様で、言葉の権威というか、重みはガタ落ちですし。
 具体的なところがわからない方が却って希望が持てて頑張れる、張り合いがでる、という効果を狙った一種の心理テクニックのような気がしないでもないです。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/05/07 (Mon) 09:04:18
テクニックというか……具体的に描こうにも、限界があったのかもしれないな、とは思いますけどね……。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - トマス
2012/05/07 (Mon) 11:48:44
3福音書を読み比べてみると、ファリサイ派との応答の中にこれを配置しているのはルカだけですね。とすると、
「いつ?」という問いそのものがルカの付加?
あるいはファリサイ派からでなくともそんな問いをされた可能性はある?
ま、たしかに、何時来るか?と聞かれて、そういうモノじゃないんだ、と一見はぐらかすような答を返すのは如何にもイエスがやりそうな事ですが。
加えて、23節24節はQのようですし、21節だってマルコと共にQにもあったかもしれないですし、何やら複雑ですね。
>こういうどうとでも取れる口上
語録として寄せ集めた限界なんでしょうねぇ。イエスが誰に向かってどんな状況で語ったのか、歴史的には復元できませんからねぇ。それだけに、解釈の余地があり、それはすなわち適用の可能性の広がり、と考える事にしています。甘いかもしれませんが…。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/05/07 (Mon) 12:51:01
「あなたがたの間にある」か「あなたがたの只中にある」かでは、日本語でもだいぶニュアンスが違いますね。
原典も英語の訳も家に置いてきてしまったから、家に帰って忘れてなければ、調べます。
21節の「あなたがたの間に」と22節以降の「人の子」についての言葉の間には断絶があるような気がしますね。
23節の「見よ、あそこだ」「見よ、ここだ」というのは、実際に歴史的にそういう風潮が1世紀にユダヤ人たちの間に広がっていたからではないでしょうか。そういうものに対する警告として、ルカが「ここにくる、あそこにくる」といった風に見える形では来ない、と言ったのではないのでしょうか。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - 入谷
2012/05/07 (Mon) 19:56:12
補足しておきます。
私が「どうとでも取れる口上」といった背景には、17 : 21 を「天国はあなたがたの (こころの) 中にある」としか解釈できなくて、ぢゃあ、ものは考えようかよ、私が不幸だとしたら、全てをポジティヴ志向で考えない私のせいかよ、とやつ当たりした部分があります。
「アダムとイヴは最初の共産主義者だ、二人とも着るものさえない状態で、自分たちは天国にいると信じていた」というジョークはご存知でしょうか。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/05/08 (Tue) 08:07:36
やはり、「あなたがたのただなか」というのを、どう解釈するかによって話は別れますね……。
「心の中」なんでしょうか。
ぼくは、「2、3人、イエスの名によって集まれば、イエスもそこにいる」という言葉との連想で、人ひとりの心の中というよりは、人と人の関係性に鍵があるような気がするんですけどね。
まあ、こういう全然別のところから引っ張ってきた言葉をジョイントさせるのも慎重でないといけないとは思いますが……。


Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - トマス
2012/05/08 (Tue) 15:42:13
>22節
ルカがQに付加したのか、マタイがQから削除したのか、ルカにしかありません。マルコにもないし。
>あなたがたのただ中
岩波訳では、「あなたがたの〔現実の〕只中にある」と訳しています。傍注では、この部分は解釈困難、おそらく心の中にという意味ではない、と。〔現実の〕は翻訳者による敷衍的付加。
NRSVでは the kingdom of God is among you として注で within you とも書いています。
NKJでは within you
TEVでは within you を本文にして注に among you
とても難しい箇所のようですね…。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - ノンクリ
2012/05/08 (Tue) 19:08:12
 心理的テクニックなんて、斜に構えたことを言ってしまいましたが、基本的には好きな聖句ですよ、皆さんのような、豊富な知識に裏付けされたものではないですけども。
 「人と人との関わりの中に神の国」が生じる、というのはまさにその通りだと思いますし。仕事でも、遊びでも、ボランティアでも結局のところ、人と人との関わり合いの希薄ですと、よほどの意志の強い人、または変人でなければ続きませんし、進歩もない。逆に人と人との関わり合いが良きものであれば、思わぬ力が発揮できたりするものですし。
 もちろん、イジメられたり、差別されたりもあるけれど、それを癒したり、是正するのも結局のところ、人間関係ですしね。
 まあ、クサい青春映画、学園ドラマみたいな解釈なのかもしれません。でも、せっかく神様を信じるなら、明るい気持ちでより良き生き方をしたいもの。神様信じて、暗くなったり気が滅入ったりするんじゃ意味ないですし。
 それに、死んでからのことも大切ですが、やはり生きている間に、現世をよりよくした、現世でいい思いをしたい、というのも人情ではないでしょうか?でなければ、皆、投げやりになってしまって、世の中の矛盾や困難を解決してやろう、なんて人間がいなくなってしまいます。
 塩野七生さんの「ローマ人の物語」では、現世利益より来生を重視するキリスト教の普及と国教化が、ローマ帝国をダメにしたみたいに、言ってますが、別にキリスト教は別に現世をないがしろにしているわけではないし、ローマ帝国の没落は別のところに原因がある、と思いますけどね、個人的には・・。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - 入谷
2012/05/08 (Tue) 19:32:17
富田さん、ちょっと反省してみました。なんで
「天国はあなたがたの (こころの) 中にある」
と考えた (短絡した) かというと、
「神の国は、見える形では来ない」
に引きずられたせいだと思います。
人と人の関係性のうちに、神の国が実現されるのであれば、それは形になっていて、見えてるぢゃないかというのが前提にあったようです。
とりたてておかしな思い込みとは考えてはおりません。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/05/09 (Wed) 12:37:47
「見える形では来ない」というのは、ユダヤ的な「神の国」の到来への期待に対して応じたもの、と考えれば、「ユダヤ人の待望するユダヤ人国家の実現という形では来ないよ」と言いたかったのかな、とぼくは解釈しました。
ですから、心の中とは限らないな、と。
そうではなく、あなたがたの間に「いつ」「どこに」ともなく、現れるものなのだよ」と教えてくれているのかなと思ったわけです。
ローマでキリスト教が無視できない勢力になったのは、現世的な救い……現在で言えば、ボランティアとかホスピタリティといった分野……旅人や家の無い人に宿を貸し、飢えている人を食べさせ、渇いている人に飲ませ、病んでいる人に手当を施し、困窮している人の話に耳を傾けるといった、現世的な奉仕のわざを地道にしてゆき、社会に必要不可欠な存在になったからだ、という説があります。
もちろんそれだけではないでしょう、もともと帝国内のあちこちにあった神話や民俗宗教と相通じる要素をキリスト教が身につけて行ったという説もあります。
また、男性中心的で中央集権的な組織構造を持つ教派が、帝国民の支配に役立つマインドコントロールの装置として利用価値を見いだされた、という説もあります。
たぶん帝国に公認化される前のキリスト教は非常に多様だったでしょうから、そのどれもが説得力ある仮説ではないかと思っています。
しかし、その中でも、最初に申し上げた「ホスピタリティあふれる奉仕」というのは、「神の国の先取り」という大きな意味を持っていたと思うのです。
生きているこの世が、もっと住みやすい、もっと優しさに満ちた所ならそれに越した事はないわけで、またそういう場所が教会以外に無かったとしたら、教会はまさに「神の国」のような場所だったと思います。
そして、それは、「やがて来る神の国」の「先取り」だと信者たちも実践しながら信じていたんではないでしょうか。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/05/09 (Wed) 12:42:44
あ、ですから、ぼくも塩野七生さんの「キリスト教が帝国をダメにした」というのは、ちょっと短絡的かなと思います。
もっと複雑なプロセスがあって、キリスト教の男性中心的で権威主義的なヒエラルキー的な組織を持っていた教派が、帝国の政治に利用されて、そしてそいつらが「正統派」ということを自称し始めて、他のキリスト教諸派を弾圧して消していったんですよ。
そこからキリスト教もおかしくなっていった。
権力構造の中にキリスト教が組み込まれてから、キリスト教も腐り始めたし、結果として帝国も腐っていったと思います。
ですから、「キリスト教がもともと悪い」ということではないと思います。
唯一神教と中央集権的権力構造が一体化したことの問題はあると思います。
うーむ、だから、そういう意味ではキリスト教ではなく、多神教的世界のままだったら、どうだったのか……このあたりは、もう少し勉強して深く考えてみたいです。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - ノンクリ
2012/05/10 (Thu) 12:07:57
 キリスト教がローマ帝国をダメにした・・云々っていうのは明らかに短絡的ですよね。でも、ローマ帝国ファンの気持ちとしてはわからなくもないような気もしますねぇ(笑)。
 何でもアリだった異教時代と比べて文化的には明らかに「面白く」なくなってしまいましたし。
 欧米人がローマ帝国末期からルネサンスまでの約千年間を「暗黒時代」と称するのも無理はないですね。
 いつもの話題そらしで申し訳ないですが・・。思うんですが、欧米の大国は多かれ少なかれ、自らを「ローマ帝国の後継者」を任じているような気がしますね。
 例えば、アメリカの上院は「Senate」、ローマ元老院は「Senatus」ですし。大統領と議会が牽制、あるいは協力しあって、国家を運営・・というのも、五賢帝時代までのローマ元老院と皇帝の関係そのものですし。
 あと、かつてのドイツ皇帝はKaiserですが、これってローマ皇帝Caesarのドイツ読み、ロシア皇帝のツアーリ、これもCaesarのロシア読みだし。
 さらにいうと、法王とか教区制とか、教会法などなど、カトリック教会の諸制度もローマ帝国の法制度をそのまんまキリスト教に持ち込んだ感じがしますね。そもそも、昔はラテン語で説教していたくらいだし。
 SF映画のスターウォーズなんかも、どうみてもローマ帝国の宇宙版ですし、そのネタ元(たぶん)となったアイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」なんてのも、中身はエドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」みたいだし。ローマ帝国って偉大だなぁ、って思います。


Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/05/12 (Sat) 15:32:51
何でもアリだった多神教時代にくらべて、キリスト教が「国教」となってから面白くなくなった……というのは、クリスチャンの悩みでもあるんですよ。
というのは、キリスト教が帝国の国教にされちゃったから、それまではキリスト教も諸派何でもありだったのに、国教化されたから「正統派」以外全部異端ということになって、つまらなくなったんですよ。
その時に、「マグダラのマリアの福音書」とか「ユダの福音書」とか「トマス福音書」も「パウロとテクラの言行録」など、おもしろいキリスト教の諸々の流れが封印されちゃった。
だから「キリスト教がダメにした」というより、ぼくは「国教化」という判断が帝国をダメにしたという風に考えたいです。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/05/12 (Sat) 15:33:00
何でもアリだった多神教時代にくらべて、キリスト教が「国教」となってから面白くなくなった……というのは、クリスチャンの悩みでもあるんですよ。
というのは、キリスト教が帝国の国教にされちゃったから、それまではキリスト教も諸派何でもありだったのに、国教化されたから「正統派」以外全部異端ということになって、つまらなくなったんですよ。
その時に、「マグダラのマリアの福音書」とか「ユダの福音書」とか「トマス福音書」も「パウロとテクラの言行録」など、おもしろいキリスト教の諸々の流れが封印されちゃった。
だから「キリスト教がダメにした」というより、ぼくは「国教化」という判断が帝国をダメにしたという風に考えたいです。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - 村人
2012/06/01 (Fri) 22:17:09
「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。」と「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。」のつながりが気になります。人の子が現れるという日が来る。でも、見ることはできない。そうであれば全ての人々に人の子が信じられる、確立する、という日が来るということでしょうか。端から端へ、という表現が世界中で広がる、という意味を持っているような気もします。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/06/01 (Fri) 22:54:44
この言葉遣いはルカ独特のものである、という点に着目したいです。
マルコ、マタイに対してルカは、「終末の遅延」というテーマを持っているんですね。
あるいは、この箇所に関して言うと、神の国の「非終末論化」が起こっているとも言われます。
つまり、待てども待てども終末が来ない……という問題に対して、ルカは「まだまだ君たちが生きている間には終末は来ないよ。それも神が定めた時なのだ」と弁明しているのだろうということです。
しかし今、それから更に1900年以上たって、やっぱり終末は来ていませんね。
となると、ちょっと私たちは聖書の読み方を変えないといけないのかも知れません。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - トマス
2012/06/25 (Mon) 07:30:53
>1900年
今から30年ぐらい前にある雑誌(キリスト教系ではなく科学系)で読んだようなことを思い出しながら書いています…。
創造者が恐竜の設計図を書き換える(進化して別の種にする)のに必要な時間は500万年ぐらい掛かるようである、とかいう話しでした。古生物学も進化してこの言説自体が変わっているかもしれませんけど、時間のスケールがまるで違う創造者相手に1000年や2000年でガタガタ言ってもどうしようもないのかもしれませんねぇ。とすると、終末が来るまで果たして人類は人類であり続けられるのか?

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/06/25 (Mon) 11:48:09
hahaha、そうなると世の終わりなのか、人類の終わりなのかわからないですね。
そもそも「世の」っていうのが、人間の世なんだったら、実は人間の世の終わりはそれこそ何千万年かかるということですか?
そうなると、聖書なんてのは、まだまだ最近できて、明日には読み捨てられる新聞のようなものだということになりますねえ。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/06/25 (Mon) 11:52:05
そうなると、もう終末の問題は自分とは関係がないという判断をして、今の自分に与えられた時間を精一杯良く生きたら、それでいいんだ、ということになりませんかね?
聖書にはまるで数千年前にこの世が作られたことになっているけれども、それは結局聖書を書いた人たちの想像力の範囲がその程度に留まっていたからであって、実際にはこの宇宙は150億年近く経っているんでしょう?
地球ができてからだけでも46億年。
そうなると、聖書記者たちの想像力の限界ということで、相対化して考えた方がいいんじゃないですかね。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - トマス URL
2012/06/25 (Mon) 19:33:58
>聖書記者たちの想像力の限界
いくら啓示を受けたところで、啓示を受ける側のキャパシティの問題があるのでしょうねぇ。
その一方で、詩編でしたっけ?千年といえども御目には一夜の如く、とかいう言葉があったのは。これはこれで、すごい想像力ですよね。想像力の限界自体も一様でないという面白味というか何というか。
どのみち読んでいる我々にも限界があるワケで、そう考えていくと、極めて柔軟な頭と心でもって読むべき書物なのかもしれませんねぇ。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/06/29 (Fri) 16:52:41
いやいや、「千年といえども」という言葉遣いからして、スパンが短いのですよ。億単位の想像力がなかったということですからね。
それはともかく「神の国」についてはどうですか?
ぼくが最近読んだ本では、イエスは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言って教えたので、イエスの言動、またイエスが作り出す場というか、関係というか、フィールドに既に神の国の始まりを人びとは見たのだ、というような事が書いてあったのですが、そういうことについては、皆さんどう思われますか?

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - トマス
2012/06/30 (Sat) 12:45:44
>億単位の想像力がなかった
まぁそれを古代人に求めるのは酷かな?と思ったけど、現代人でも45億年とか150億年とかいうのは「天文学的」な数字、観念的な数字の世界になっちゃうワケで、それが「ヒト」という動物の限界なんですかねぇ。
もっとも観念的な数字、単位としてなら、仏教の世界には、恒河沙、阿僧祇、那由他、なんてのも有ったりするワケで、これまた想像力という意味では面白い?
>神の国
イエスの言動に神の国を垣間見た、というのはあるでしょうねぇ。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 -
2012/07/01 (Sun) 05:44:53
「神の国」って、内容空疎なただの言葉にもなりかねませんが...
抽象的なある種の理想社会ということではなく、イエスというカリスマありき、の場 ?
だとしたら、取り戻すことは至難の業ということになりそうです。

Re: 5月のみんたた「神の国が来る」 - tomita@iChurch.me
2012/07/03 (Tue) 14:28:08
ぼくも同じようなことを考えていました。
イエス独特のカリスマ性ありきの出来事のことを「神の国」と呼んでいたのであれば、イエスがいない今、それをどうやって再現するのでしょうか?
あるいは別にカリスマ性のある人を呼んできたとしても、それは新たなカルト発生の危険性を高めるだけであって、何の意味も無いという事になりかねません。
でも、だからこそ、イエス体験としての神の国を、礼拝の中に封印せざるを得なかったのかも知れない……と今思いつきました。





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