みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2012年7月のテーマ: 「全能者と言い争う者よ」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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ヨブ記 40章1-14節

ヨブ記40章前半を2012年7月のテーマとします。
以下に新共同訳の日本語テクストを上げますので、どうぞみなさん叩いてください。

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ヨブ記40章1-14節

1 ヨブに答えて、主は仰せになった。
2 全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責めたてる者よ、答えるがよい。
3 ヨブは主に答えて言った。
4 わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます。
5 ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、もう繰り返しません。
6 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
7 男らしく、腰に帯をせよ。お前に尋ねる。わたしに答えてみよ。
8 お前はわたしが定めたことを否定し/自分を無罪とするために/わたしを有罪とさえするのか。
9 お前は神に劣らぬ腕をもち/神のような声をもって雷鳴をとどろかせるのか。
10 威厳と誇りで身を飾り/栄えと輝きで身を装うがよい。
11 怒って猛威を振るい/すべて驕り高ぶる者を見れば、これを低くし
12 すべて驕り高ぶる者を見れば、これを挫き/神に逆らう者を打ち倒し
13 ひとり残らず塵に葬り去り/顔を包んで墓穴に置くがよい。
14 そのとき初めて、わたしはお前をたたえよう。お前が自分の右の手で/勝利を得たことになるのだから。

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まずは提案者の爽歌*sayakaさんに、このヨブ記を取り上げたいと思った動機などを教えていただければありがたいです。

動機・・・神さまちょっとばかりじゃなくひどいんじゃない? - 爽歌*sayaka
2012/07/05 (Thu) 22:00:32
あらためて読むとやっぱりひどいなあと思います。
かいつまんでいうと
「全能性を見せつけるだけみせつけて何もしてくれない神ならいらない」と思ったからです。
「ヨブのたこなぐり」にあったあとに
当時の出席教会の集会でヨブ記を読む(聞く)機会がありました。
普段なら読み流せるし聞き流されるところが聞き流せませんでした。
そのときは38章から42章まで一気に読んだのですが
「これは何者か
知識もないのに、言葉を重ねて
神の経綸を暗くするとは。
男らしく、腰に帯をせよ。
わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ」(38:2~3)
が耳に入った瞬間から血の気が引きました。
それから神は謝らず、自己正当化を続ける文言がつづくわけですが
いくら自称リベラル・聖書は人が書いたものとだと思っていても・・・
また自分が「好きな」読み方、解釈を知っていても
自分の精神状態が正常でないとそのまま読んじゃいけないところをそのまま読んでしまうようで
その時は信仰が壊れました。
一方で
ずっとヨブ記のラストは気にくわなかったのですが
「ヨブにとってはそれで納得できたのかもしれない」
と思いました。
何もしてくれないと言いながら
ヨブに「ことばをくれた」し
「現われてくれた」のですから・・・。
ヨブにとっては神が現われてくれたのが大事で
納得できればよかったんだろうと思います。
たとえ耳障りのよい言葉でなくても。
「神が」言ってくれるのが大事で、
友達が善意であれ気休めに適当なことを言って結果的に追いつめるよりずっと
神に「お前はなんなんだ」と言われた方がずっとすっきり納得がいくでしょう。
でも私には
ヨブ以上に神をののしっているのに
神は現われてもくれませんでした。
文字通り何もしてくれませんでした。
文字通り信仰が破綻しました。
やっぱり神はいないんだと。
神の「存在」自体信じることができなくなりました。
あらためて40章を読んでみて
「お前はわたしが定めたことを否定し/自分を無罪とするために/わたしを有罪とさえするのか。」(8節)
・・・そうしますよ。
私が何をしたって言うんだ。
・・・でもそれが言えるのは
少なくとも「神の存在を信じているから」なんですね・・・。
「納得のできる読み方」は私の中にはあるのですが
まずは、ここまでにします。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - tomita@iChurch.me
2012/07/06 (Fri) 14:19:11
ぼくは、「神さま、あんた、本当はいないんだろう? そうなんだろう?」と祈ったことがあります。どうしても理不尽で納得のいかない出来事があった時です。
コヘレトの言葉とも通じるテーマですが、「なぜ弱い人のために心を砕き、体を使い、尽くしてきた人が無惨に死んでゆき、弱い者を虐め、踏みにじり、権威と富の中に生きる者が生きながらえるのか」どうしても納得が行きませんでした。
もっとも、そういう基準から見れば、自分もなぜ生きているのか問いにつながってゆくんですけどね。
「なぜ自分はこんなにひどい人間なのに、生きているのですか?」と問いをぶつけずにはおれないし、余計に神に挑戦したくなるんですよ。「これでもあなたは私を罰さないのか?!」とね。
神さまは何もしてくれません。何も言ってくれません。
ただ沈黙して聴いているだけです。
ぼくらは昔から神を、人間の延長のような、動的で力と言葉を持っているかのように想像してきましたが、そうではなくて、実は神は植物のような存在かもしれません。あるいは地球のような大きな、生きているのだろうけれど、意識があるのかないのかわからないような存在ではないかと思います。
神は植物系ではないかと思います。
だから、何もしてくれないし、何も起こさないし、何が起こっても結果を甘んじて受け入れるだけです。でもちゃんと聴いてくれているんじゃないかな、と信じていたいです。

Re: Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - リリィ
2012/07/07 (Sat) 12:28:18
私は旧約を読んで考えたことがたくさんあり、今も旧約にあちこちひっかかった状態です。
旧約はインパクトが強過ぎて、到底消化できそうになく、それでも不思議に魅力があります。
私が旧約の中で最も惹かれたのはコヘレトの言葉でした。正しい人がいつも報われるわけではなく、不条理に満ちたこんな世の中で、全ては空しく風を追うようなこと、それでも額に汗して働き、糧を得てそれを楽しむこと、それが人の受けるべき領分だということが、私には素直に受け入れられたからです。
この世で人間に起きることは不条理に満ち、突然予期せぬ不運や不幸、災害や犯罪に見まわれ、何の落ち度もない子どもやお年寄りさえもその被害を免れることができない。
悲しみや不幸があっても、罪を冒した身であっても、不条理な出来事に神様を恨み、絶望していても、「それにも関わらず」生きていく心構えが、コヘレトの言葉にあると感じました。
そもそも旧約の中で、正しい人がこの世できちんと報われて幸せになったという話しなどあったでしょうか?
私は、出エジプトの後あんなに苦労して民を導いてきたモーセが、最後の最後でカナンの地に入ることをヤハウェから許されなかったと知って、驚愕しました。こんなに報われないことがあっていいのかと思いました。
人の目から見ればヨブ記の神様は勝手で威張っていて、嫌な奴といった印象です。
ヨブは次々に起きる不幸不運に嘆きながら、それでも生きて、なぜ自分がこのような不遇に見まわれなければならないのかという、至極もっともな、素朴な疑問を口にすることさえ咎められながらも、その運命を甘んじて受け入れました。
人の世ではヨブに起きたようなことは起きることで、こんな世の中を、それでも生きていかねばならない。
神様がいたとしても、人が営むこの世では不条理な出来事が起きてしまう。それは人が生きていく上で避けては通れない巡り合わせで。
それでもそんな世を生きていくために、人は音楽や文学などの芸術や、哲学や科学などの学問、そして神様という存在を必要としたのではないでしょうか。
神様はヨブの信仰を信じていたからこそ、「こんな不条理に苛まれながらも、それでも生きていくヨブ」を見つめ続け、言葉をかけて人の理解の及ばない、全能の神の世界を知らしめようとしたのではないかと思いました。
ヨブ記を読んで、私は、不条理を嘆きながらそれでも生きていくヨブと、そんなヨブを信じ続ける神様の、ちょっとかみ合わない物語という印象を受けました。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - tomita@iChurch.me
2012/07/09 (Mon) 10:33:24
神さまがぼくらの事を信じてくれているのかな、ということは、ぼくも時々そういうことを考えます。
悪く言えば、丸投げされている。
神さまは手出しできないんですよね。
手出しをするとフェアじゃなくなるから。
神さまの力で何とかするというのは反則なんですよ。
だから神さまはあてにならないし、あてにできないし、あてにする必要も無いし、あてにしてはいけない。
そんな風なことを考えます。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - トマス
2012/07/11 (Wed) 21:18:23
ヨブ記ってあんまりマメに読んでないのですが、たしかに形勢不利と見るや開き直って全能者と言い争う気か、なんて脅しを掛けてくるあたり、あんまり好きになれないカミサマですねぇ。
もっとも、見方を変えれば、少々のことでは何もしてくれないし何も言ってくれない神に、形勢不利と思わせて口を開かせたというあたり、ヨブの口撃が激しかったのか大当たりしてたのか、ヨブってすげーよな、なんて思ったりします。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - ノンクリ
2012/07/11 (Wed) 21:32:34
>あるいは地球のような大きな、生きているのだろうけれど、意識があるのかないのかわからないような存在ではないかと思います。
 牧師先生のこのコメントを聞いて、スタニスワム・レムの「ソラリスの陽の下に」を思い出してしまいました。惑星ソラリスは惑星全体に知性があるらしく、自分で自分の軌道をコントロールしていたりする。
 地球人側がなんとか、コミュニケーションをとろうとすると、なぜか、ソラリスは人の深層意識を実体化してしまい、接触した人間は皆ノイローゼのようになってしまう。
 悪意はないのだけれども、互いに何を考えているのか全く理解できずコミュニケーションが成り立たない・・といった内容だったでしょうか・・。
 神様と人間の関係も所詮はそんなものなのかな?とも。

 ちなみにこの惑星ソラリスはロシアとアメリカでそれぞれ映画化されてますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - tomita@iChurch.me
2012/07/12 (Thu) 13:16:33
スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』も、そういう意味で興味深いと思っているんですよ。
モノリスという黒い石板が、地球の生物の進化を導いているんですよね。何も言葉で語ってくれないし、コミュニケーションができる相手ではないんだけど、進化の方向性だけは導いている。
でも、その進化は武器による文明の発展というネガティブな面も持っていることを隠してないです。
そして、人間はやがて次の段階に進んでゆく、という。そしてその時もやはり犠牲者が出る……という風に。
あの映画は暗喩的な表現が多いのに、そういう所が妙にリアルで、好きです。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - ノンクリ
2012/07/13 (Fri) 12:06:30
 「2001年宇宙の旅」はキリスト教ってよりはなんとなく仏教的な感じが個人的にはしましたねぇ・・・。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - tomita@iChurch.me
2012/07/17 (Tue) 18:28:05
はい、そうなんですよね。でも、キリスト教の十字架のシンボルも映像的には使われているなあと思いました。
惑星が直列し、そこにモノリスが進んでいって、水平になって、きれいな十字架になります。
まあディスカバリー号が男性器、ポッドが精子、そしてスターゲイトを抜けて新しい生命体に誕生しますよね。
こういうのは、キリスト教、仏教というより、何かもっと古代のあちこちの文明に見られる、生と死、男性と女性、死と再生の神話の世界に共通してみられる観点が取り入れられているのかな、と思います。
……って、全然ヨブ記から離れてしまいましたね。
さて、ヨブ記で何か皆さん、コメントありませんか?

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - リリィ
2012/07/18 (Wed) 16:54:59
 下世話なQ&A、「『信じる』って一体どういうことなんですか?」、読ませていただきました。
神さまはあてにできない、しないということ、よくわかります。
私は、人の世に起きること全て、神さまは「関知していない」と思っています。
旧約の世界ではがっつり関知して手出ししていて、
特にこのヨブの不幸は、明らかに神さまがサタンに「こんなに苦しめてもヨブは自分を信仰することをやめない」と自慢するために、人の世に手出しをした結果だと思いますが、
新約以後は、神さまもイエス様も人の世に何の手出しもしていないと考えると、「信仰」に至るハードルは少し下がる気がするのです。
 不幸や不運がどこからきたのか、それは不完全な存在である人間が作っている世だから起きてしまうひずみであって、
神さまやイエスさまが何か目的があって操作しているものではなく、関知していないと思います。
 つつましい幸福をやっと手にした正しい人が突然死んでしまったり、家族が治らない過酷な病気にかかってしまったり、それでも奇跡はおきないし、宝くじが当たってお金の心配がなくなるような幸運も舞い込まない。
残された人はそれでも生きていくしかなく、看病しながら子どもたちを必死で育てていかなければならない。
 人の世の巡りあわせの理不尽さに納得がいかない時、また、自分自身を省みてその罪の重さに押しつぶされそうになる時、
ただイエス様がこんな自分のそばにいて下さると感じることができたらいい、と思います。
「ここに来なさい」と招いて下さっていると感じられたらいい、と思います。
私にとっては、そこに確信が持てるということが、『信じる』ということなのかも知れません。
 ここふた月ほど、牧師先生とまともに話をしておらず、教会も遠いし、爽歌さんがショート・メッセージの中で書かれていた「のら」になって、あちこちでいろんな人の話を聞こうかと思ったりもしたのですが、
富田さんが「クリスチャンというのは孤独感を抱えているものです」と書いておられるのを読んで、少し思い直しました。
この「放置されてる感」はどこに行っても一緒かも知れませんね。
 一人で孤独に考える時間だけでは多分、信仰に至る道は見つけられないと思います。
が、ここでこんなふうに、ためらいつつも自分の今の考えや思いを表現したり、他の方々の考えやメッセージにふれながら、いつも忙しそうな牧師先生をつかまえる勇気も出して、
いつか確信が持てればいい、と思います。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - ラム太郎
2012/07/20 (Fri) 20:35:39
ついにヨブ記が登場ですか。
”神様を信じていても救われない。。。”と
思う絶望感と諦めの境地の物語のように私には思えます。
悪魔と掛けをするトンデモな神も、次々とヨブを苦しめる悪魔も
過酷な現実を前に、ヨブの心が生み出した幻影であり、
同時にヨブ記の作者の宗教観が生み出したものではないでしょうか?
過酷な現実を前にしたとき、神が全てを支配しているのなら、
私たちの人生は神にこのようにもて遊ばれているのだ。。。
と思う。。。
ヨブの信仰により、神と悪魔の賭けは、神が勝利して
ヨブの失ったものは全て戻ってきます。
しかし、現実には失ったものは帰ってきませんから、
ヨブ記を書いた人、あるいは後世の編者がむりやり
付け足したように思えてしまいます。
しかし、神に対して何も求めないのであれば、
奪われたとも思わないし、返してほしいとも
思わないのではないでしょうか?
言い換えれば見返りを求めない信仰です。
本来のヨブの信仰の勝利とは、そういうことではないでしょうか?
しかし、これも非常に厳しい”信仰”の道であります。
だから信仰が勝利すれば、失ったものが全て戻ってくる
(財産はともかく、死んだはずの家族まで生き返る)
というラストには納得できません。
現実にはそんなことは有り得ません。
”神を信じていても救われない”
と感じるのは、神があまりにも人から遠い存在であるので
人智を超えてしまっているからだと思います。
全知全能神、唯一絶対神の存在を突き詰めていけば
そうなってしまいます。
でも、人は救われたいのであるし、何を救ってもらいたいのか、
それは人間が考え思う範疇のものでしかありません。
しかし宇宙を制御している唯一絶対神は、一個人の希望を聞く
余裕などないはずです。大宇宙は精密で複雑に組み合わされた
パズルのようなものであり、そこに一個人の都合を反映させる
だけで、宇宙全体の仕組みを大きく変更しなければならなくなる
のでしょう。
たとえば、一人の死んだ家族を生き返らせるためには、生物の
生死のシステム全体を変更しなければならない、、、
となると自然界のシステムはむちゃくちゃになってしまう。。。
一人だけのの人間を生き返らせるために、唯一絶対神はそこまでの犠牲を払うことはしません。
そうなると、神と人間の大きな隔たりというのは埋まりようが
無いように思います。非常に絶望的です。
そういう強い絶望感から立ち上がる信仰というのも
ありえるとは思いますが。。。そこまで強い絶望感に
本当に打ちひしがれたら、通常の人間は精神が持たないのでは
ないでしょうか?
それは一握りの強靭な精神を持つ人だけが出来ることであり、
ある意味エリートの世界です。
そういう限界、絶望感を打ち破るものとしての、
イエスキリスト、あるいは精霊信仰
(神と人間の橋渡しの存在)
が発生してきたのではないでしょうか。
しかし、ここで見返りを求めてしまうと、
また振り出しに戻ってしまいそうです。。。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - 入谷
2012/07/21 (Sat) 06:28:51
この世界を支配するのが残酷な神だというのは、清教徒たちの共通認識だったようにも思えます。
「As flies to wanton boys, are we to the gods. They kill us for their sport. (リア王)」はシェークスピアの苦い世界認識の率直な表出なんだと、私は考えています。
シェークスピアは清教徒ではなかったようですが。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - 毛利
2012/07/21 (Sat) 09:08:16
神は愛に満ちている、神は誰にでも優しい、そういう固定観念を持ってヨブ記を読むと「神はとんでもないことをしている」と言いたくなりますが、聖書という書物の中で「神のキャラクターが十分に決まっていなかった」為に、こういう迷惑(?)な神が描かれてしまったのだろうと思っています。連載モノの漫画では主人公のキャラクターがぶれていて、話が進むにつれて徐々に主人公の生い立ちや周囲の環境、登場人物が変わってくることがありますが、ヨブ記もそのようなものだろうと思っています。
ただ、一方で「優しい神」というのも、これもまた偏った思想ではないかと思います。確かにそういう神は理想であり、神とはそういうものであって欲しいという気持ちは分かりますが、残念ながら自然界を支配している法則は「食うか食われるか」という弱肉強食です。人類が地球を支配するまでの長い間、そして現在でも野生動物は弱肉強食の中を日々生き抜いています。その殺戮によって生態系のバランスも保っています。これが神が意識的に創り出したルールだとしたら、「神は愛なり」とは思えないです。

Re: 7月のみんたた「全能者と言い争う者よ」 - トマス
2012/07/25 (Wed) 23:34:26
考えてもせんないことかもしれませんが、
ヨブが言いたい放題言って、カチンと来た(?)ヤハウェがついに反撃に出てヨブが遣り込められて…、その時、ヨブの3人の友達とか4人目に出てきたエリフとかは何と思ってヤハウェの言いたい放題を聞いていたんでしょうね。
どうもそういう本筋から離れた視点に興味を持ってしまいます。





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