みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2012年9月のテーマ: 「祈るときには」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
日本聖書協会の認可を受けています。

「みんたた」indexに戻る 




マタイによる福音書 6章5-8節

8月のみんたたが、ここしばらくは見られないほど盛り上がっておりましたので、すっかり9月のみんたたテーマを上げるのを忘れておりました。
9月もこのまま三条の説教を継続したいと思います。
もう9月も半分終わっておりますが、これも継続審議で行きたいと思いますので、みなさんどんどん書き込んでください。
9月のテーマは「祈るときには」です。新共同訳では前半が祈る際の訓戒、後半が主の祈りとなっていますが。今回、前半のみを切り取ってテーマ聖句としたいと思います。
よろしくお願いいたします。

********************************

マタイによる福音書6章5−8節〔新共同訳〕

5 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
7 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
8 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

********************************

以上、どうぞみなさん好きなところからたたいてくださいね。

Re: 言葉数が多ければ? - トマス
2012/09/14 (Fri) 22:13:50
言われてみれば9月も半分終わりかけていた。
8月はもう一ネタ有るのでまた後ほど。
>異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
「異邦人は」というのはイエスの言葉なのかな?マタイの付加かな?
いずれにしても、教会で祈る時(特に礼拝の中の祈りの時)に思い浮かべたい言葉の一つです…。祈りだけじゃないけどね(特大溜息)

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/16 (Sun) 07:18:38
この「異邦人のようにくどくどと……」のくだりですけど、難しいですよね」。
しかし、最終的に編集したのはマタイなので、イエスがこれを言ったかどうかはともかくとしても、マタイが異邦人クリスチャンに対して、どういう思いでいたのか、ということは明らかですよね、これで。
マタイはユダヤ人と異邦人の混在する教会の読者を意識して書いた、とものの本には書いてありますが、これではまるで対立を煽るようですね。
マタイがユダヤ的な生き方を再度強調しようとしたというのはわかりますが、この筆致では異邦人の信徒は怒るでしょうね。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/16 (Sun) 07:22:49
その一方で、前半の「隠れたところで祈れ」というのは、なかなかいい内容だなと感じます。
誰も見ていないところで、本当のその人の信じる心というのが現れるわけですからね。
人に見せるだけの信仰、見られていることを前提にする信仰的な行為というのは、最終的には本物ではないのでしょうから。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - トマス
2012/09/16 (Sun) 17:32:53
イエスが元来ここで批判したのは呪文みたいになっている祈祷だということらしいし、つまりは自分の言葉でシンプルに祈ればいいのだよ、ということなんだろうから、これを持ち出すのは若干ピント外れかもしれないんだけど、説教の前に入る「牧会祈祷」って盛り沢山すぎて、聞いている?分にはシンドイですよね。ホントは礼拝の中の何ヶ所かに分けて祈るべきなんでしょうねぇ。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - がん子
2012/09/16 (Sun) 21:44:03
奥まった自分の部屋での祈りと、礼拝での祈りって違いますよね。
奥まった部屋でなくても、人前での祈りとの違いなのかも。
一人での祈りは「この人のこの働きを」とか「この人の今のこの苦しみを」なんて無茶苦茶現実的なお祈りですもんね。
みんなの前でのお祈りの時に「しんどいっす、助けてくだされ~」って中々言えないかも。
転会して一年、いよいよ「当番」が回ってきます。
献金の祈りも・・・どきどきします。
どの教会も「今日の説教からいただいた気づきと、出席できなかった方、病の中にある方、苦しみの中にある方・・・」という長い祈りなのでしょうか?
母教会の前牧師時代の祈祷会での祈りは小さな集いというコトもあるのかもしれないけど、ものすごく現実的で個人名を挙げての祈りが多かったのですが・・・。
これもびっくらしました。
定型があるっていうのも何だかしっくりきません。
あり?何だかお話からずれちゃったかな?
「異邦人」って聖書を開くたびに自分のことのように思えてしまいます。

Re: 献金祈祷は感謝の奉献 - トマス
2012/09/16 (Sun) 22:42:21
>献金祈祷
教会によってスタイルがあるでしょうし、理屈もあるのでしょうけど、私自身は献金祈祷は献金感謝だけを祈るのがいいと思います。
実際には、それぞれの会員さんがみんなの前でどうしても祈りたいことが一つか二つ入るのは仕方ないかな、という気もします。特に諸事情で祈祷会がない教会とか、祈祷会があっても参加できない人が献金当番の時とか、そういう場合は祈ってほしい課題の共有という意味があると思うのです。それ(祈りの課題の共有)は教会の大切な業だと思います。
だけど、説教のまとめは本当は論外だと思っています。元気づけられました、みたいなことを一言、祈りに入れるのは構わないと思いますけど。
それから、出席できなかった人とか何とかは、いわゆる執り成しの祈りの範疇に入りますよね。牧会祈祷で祈っているはずですし、その時にアーメンと言っているのですから、もう一度献金祈祷で祈るというのは礼拝全体の組立から言えばいささか変な話しです。結局、公の祈りと個人の祈りが区別できていない、ということなのかもしれません。
八つ当たりを承知で書けば、牧師が毎週長々と牧会祈祷で焦点ぼけるぐらいあれもこれも一度に祈るから、信徒の献金祈祷も牧会祈祷のコピーみたいになるんじゃないの?なんて思わなくもないです。
気を付けたいのは、「わずかですが清めて用いて下さい」です。へりくだりの表現であるつもりなのは分かりますが、裏返せば、清くないモノを献げています。と言っているようなものです。避けたい表現のひとつです。「心からの献げ物です。御心のままに用いて下さい。」が対案かな。
献金の祈りと位置づけられているのであれば、少なくとも、献金感謝がかすんでしまうような長い祈りはするべきでないでしょう。と私は思います。異論はあるだろうけど。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/17 (Mon) 10:36:36
学校での礼拝の祈りは短いですよ!(笑)
なにせ次の授業が控えていますから、ちょっとでも礼拝時間が長引くと、「礼拝のせいで授業がけずられた!」って大騒ぎする教師たちがうようよいますからね。
それにちょっとでも長い祈りをすると、生徒は寝てしまいます。
ですから、まあ二言三言ですね。
でも、いろんな教師が礼拝で祈ったりしていると、「あの先生のお祈り、好き!」と言い出す生徒さんもいたりして、面白いです。
まあしかし、短いシンブルな祈りに慣れている生徒たちが教会の礼拝に出席すると、果てしなく続くかのような祈りや説教に、はっきり言ってウンザリするみたいですね。
その一方で、長くてもなんだか聴き入ってしまい、アーメンを言いたくなる祈りもあります。
もう亡くなられましたが、邑久光明園の信徒の方で、ながーーーーーーーーーーーいお祈りをされる方がおられたのです。
何が長いかというと、色んな人のために神の守りや支えや導きを願うわけですが、それが本当に心がこもっていることがよくわかり、またそれだけ膨大な人数の人のことをおぼえているその方の記憶にも感嘆するわけです。
また、一人一人についての神への願いを捧げるごとに、周囲の人も「アーメン」と言うのですね。
この「アーメン」を間投詞のように、入れてゆくのは、一つ一つの祈りに心を留めつつ、長時間の祈りにも耐えるには良い方法ではないかと思います。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - ノンクリ
2012/09/17 (Mon) 10:38:31
 個人的には非常に共感できる聖句です。私の解釈、うまく説明しづらいし、人によっては反発や誤解を食らうかもしれませんが・・。
 前にも述べた通り、私、クリスチャンであることに過剰なまでにアイデンティティーを求めるタイプの信仰が、どうも苦手でして。
 例えば、身内はなんとしても「伝道」してクリスチャンに・・とか、何が何でも教会活動優先・・とか、単に個人的な思想信条にすぎない言動を「キリスト者の良心」と称したり・・とか。
 あなたの宗教なんですか?キリスト教ですけどそれが何か?イエスは救世主と信じる者ですが、それ以上でもそれ以下でもありません・・くらいの信仰の方が個人的には好感がもてます。
 誤解されると困るのですが、「適当に」信じてりゃいいんだ、ということを言っているのではありません。そのつもりや他意はないにしても、必要以上に非クリスチャンと妙な壁とか違和感をつくるような言動は一体どうなのよ?という話です。
 私の解釈するキリスト教のいいところは、そのままの自分、決して品行方正で慈悲深い人間でもない(そのことを自覚する必要はありますが)、欠点だらけの自分でも、肯定してくれる存在(神でも人でも)がいる、という安心感がもてること、なんであって、突如、ノンクリの人間の別種の人間に変身することではないだろう、ノンクリの人間から隔絶したコミュニティをつくることとは違うだろ、というもの。
 以上のような理由から、一部の教会でよく聞くキャッチフレーズ「ボーン・アゲイン」という言葉がどうも苦手です。逃げ出したくなります。
 しつこいようですが、誤解無きように申し上げますと、教会活動に熱心な人とか、信心深いことを批判、非難しているわけではない、ということです。その辺りはきちんとお断りしておきます。
 イエスも同じ考えだったのかな?だとすれば、「救われる」というものですが・・。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/17 (Mon) 10:43:58
聖書の中に書かれている「異邦人」というのは、基本的にユダヤ人以外の民族の者(=異宗教の者)という意味です。
ですから、自分のことを指しているとも言えるし、関係ないとも言える。
だいたいユダヤ人=ユダヤ教徒という発想が根底にあるので、ユダヤ人でなかったら全員異邦人です。
そして、キリスト教もいちばん最初の頃は、ユダヤ教の1つのセクトなので、クリスチャンもユダヤ教徒のはずだ、とユダヤ人も思っているわけです。
でも、福音書が書かれたような時代には、既に異邦人のクリスチャンという人びとが現れてきています。
それはパウロなどが、異邦人に伝道した結果、ユダヤ人になる(割礼を受けるなど)ことなしでも、キリスト信者になれる、という教えを広めてしまったわけで、ここで、クリスチャン=ユダヤ教徒という図式が崩れます。
しかもパウロはクリスチャンを「新しいイスラエル(ユダヤ人)」「真のイスラエル」と言いますから、そうなると、クリスチャンはみんな異邦人ではないということになります。
そういうわけで、がん子さんが「自分を異邦人のように思う」というのは、そういう風に思わなくても、パウロ流に言えば全くかまわないのです。
でも、マタイの場合は非常にユダヤの律法を重要視し、これを「一点一画も疎かにしてはならない」と言いますから、ユダヤ人と異邦人の間に一線引いておこうということになるのかもしれませんね。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/17 (Mon) 10:52:14
トマスさんがおっしゃっている「異邦人のようにくどくどと」というのが、呪文のようになっている祈祷を批判したもの、というのは、どうなんでしょうか。
さきほども言いましたが、「異邦人」ということは非ユダヤ教徒のことですよね。だから、ユダヤ教ではなく、様々なギリシア・ローマ世界、あるいはペルシアの文化圏の諸宗教の批判と読んでもいいんでしょうか?
それと、じゃあ「自分の言葉でシンプルに祈りなさい」というのがイエスの主張であったとすると、その後ですぐにいわゆる「主の祈り」というものが出て来るのは何故なのでしょうか?
「主の祈り」は成文祈祷の親玉みたいな存在ですよね。
まあ、ここでの主の祈りは、イエスの話した一例に過ぎず、それを成文祈祷として権威づけてしまったのは教会の仕業と言えば、そういう見方もできますけど。
プロテスタントの多くの教会は「自由祈祷」を重んじますが、聖公会やカトリックではほとんど「成文祈祷」で決まった文句を読み上げたり暗誦したりしますよね。
聖公会の信徒の生徒さんがいるのですが、聞いてみたら「プロテスタントの自由祈祷は落ち着かない」と言ってました。「安心感がない」「個人の感情に振り回される」とも。
「成文祈祷は会衆がひとつになれるし、自分の個人的な感情によって揺らぐ事がないから、安心感があって落ち着く」と言ってました。
自由祈祷が必ずしも人にとって良いものかというと、そこは色々な感じ方があるみたいですね。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/17 (Mon) 10:53:15
「主の祈り」ついでに言わせていただくと、今年の8月、がん子さんと一緒に神奈川県横浜市の「なか伝道所」の礼拝に出席してきましたが、あそこでささげられている「主の祈り」は、いい感じの日本語にこなれていて、かなり気に入りました。
長話すいませんでした。完全に逃避行動です。
そろそろ仕事に戻ります(笑)。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - トマス
2012/09/17 (Mon) 17:01:41
>主の祈り
イエス自身は自分の言葉でシンプルに祈ったつもりだったと思いますよ。それが初代教会の中で何時しか「主の」祈りになった、と。ただ、文字もあるけど庶民にとっては口伝暗誦が基本だった時代でしょうから、成文化(固定化)についてはそのあたりを割り引いて考えなきゃいけないかも。
それにしても、シンプルなアラム語をシンプルなギリシャ語に訳した人(達?)のセンスもすごいなと思います。
若い頃は成文祈祷なんて決まった文章を読んでるだけ、とか思い込んでましたけど、オッさんになってから改めて成文祈祷に出会い直してみると、様々な場面に応じて吟味された言葉で創られた祈祷文の奥深さにはまりました。聖公会の生徒さんの言う事って分かる気がします。
最近はいろんな口語訳が出てますけど、なか伝道所の主の祈りってオリジナル翻訳ですか?
>自由祈祷
受け売りですけど、献金祈祷にしろ何にしろ、何でも自由に祈りなさいとか言われて丸投げされても何をどう祈っていいのか分からない人って多いと思います。ある程度は元になる型(具体的な実例となる祈祷文)があってこそ、祈りの訓練にも準備にもなるんですよね。
その意味では、あれもこれも詰め込んだ牧会祈祷しか御手本がないというのは条件厳しいですよね(まだ言ってる)。
>マタイとルカ
読み比べてみると、祈りについての訓戒の直後に主の祈りが来ること自体がマタイの編集かもしれないです。一筋縄ではいきませんね。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/18 (Tue) 10:16:44
なるほど、様式史的に考えれば、初代教会の中で口頭伝承として伝えられる時には、ある程度定型化されて儀式の中で用いられたということを考えると、仕方が無いことかもしれませんね。
なか伝道所の主の祈りはオリジナル翻訳ですが、渡辺英俊牧師を囲んで、かなり教会員で話し合ったということを伝え聞いています。
また、あらためてここで紹介したいと思います。
うちの学校の先生は、聖書科以外は全員ノンクリですから、祈りは本当に緊張するし、わからないを言われます。
そこで、ぼくがお祈りの組み立て表みたいなものを作ったのです。
①呼びかけ
②感謝
③反省
④願い
⑤結び(イエス・キリストの名によってアーメン)
この5項目について、3種の例文があって、これを組み合わせれば、3の5乗ぶんの祈りのパターンができあがるというわけです。
そして、慣れてきたら四季折々にふさわしい言葉を入れたり、学校行事にちなんだり、といったバリエーションをつけるのも自由ですよ、とお願いすると、みなさん安心して祈りをできるみたいです。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/18 (Tue) 10:23:25
ノンクリさんへ
ぼくは、イエスもそういう姿勢だったんじゃないかと最近とみに思います。
なんかこう自分たちだけが正しいことを知っているんであって、他の人たちは真理を知らない可哀想な人たちだから、真理を知らせてあげるのが「愛」なんだ、みたいな思い込みは迷惑以外の何者でもありません。
そもそも最近、宗教をいうものを組織でやるということ自体にうさんくささを僕自身が感じていますし、「クリスチャンが増えたらいいな」と一方では願いつつ(共感できる仲間が多いほうが嬉しいなという程度)、改宗を迫るということに抵抗を感じつつもあるんです。
なんだか、それまでの自分を否定してまで、改宗してもらう必要があるのかな……と。
そのままのあなたでいいんだよ。人間だから色々問題も抱え、欠点もあるだろうけど、それでもあなたはそのままで愛されているのさ、ということを宣べ伝えるだけでいいんじゃないかという気がするのです。
とにかく「真理」とか「正義」という言葉が問題です。
そういう言葉を使うということは、自分以外の者は「真理を知らない」「正しくない」と裁く事と表裏一体なのですね。
ですから、自分たちが正しいというポーズをとる者は見ていて吐き気がします。
祈りたかったら、見えないところでこっそり祈っておればいいんですよね。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - がん子
2012/09/19 (Wed) 06:41:00
なか伝道所の「イエスの祈り」です。
親なる神さま                     
みんながあなたを尊びますように          
世界があなたのこころに従いますように
今日一日の食物を下さい
よこしまな富の分け前を受けてきたことをゆるして下さい
これからは持たない人々と分け合いますから
わたしたちを誘惑から守って下さい
                         アーメン

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - tomita@iChurch.me
2012/09/19 (Wed) 18:33:56
がん子さん、ありがとうございます。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - トマス
2012/09/20 (Thu) 08:06:54
ありがとうございます。
なか伝道所といえば寿に在る伝道所でしたっけ。
寿から社会を見ているというのがとってもよく判る祈りの言葉ですね。
それが自分の言葉になっているということなのかもしれませんよね。

Re: 祈りのパターン - トマス
2012/09/20 (Thu) 08:08:34
レスを分けますけど…
>これを組み合わせれば、3の5乗ぶんの祈りのパターンができあがる
おぉ、いいですね。
いやはや、とりあえず15種類考えるのもけっこう大変だったでしょう。
教会も見習わなきゃ。
ところで、
>短いシンブルな祈りに慣れている生徒たちが教会の礼拝に出席すると、果てしなく続くかのような祈りや説教に、はっきり言ってウンザリするみたいですね
それの最悪パターン級を経験したことがありますよ。
あの学生さん、あの教会には2度と行かなかっただろうな。初回出席でこれはキツイと思う。
私もそれなりにいろんな教会の礼拝を経験して、ということはそれなりにいろんな人の献金祈祷を聞いていますけど、一番すごかったのはこんな感じだったですよ(その教会が毎週そんな献金祈祷しているかどうかは知らない)。
細かい順番と内容はもう覚えていませんが、目次風に概略リストすると…
・罪の懺悔
・1週間の日々を経て今日の礼拝に集まれたことへの感謝
・説教の要約と批判
・社会の出来事を振り返って政府の政策を批判
・それに対してキリスト者としてどんな生き方をしたいという決意表明
・執り成し一式一通り
・献金感謝
どれも大事なことなんだけど、献金祈祷でこれを全部祈るべきかどうか。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - リリィ
2012/09/20 (Thu) 21:15:40
お久しぶりです。
ここしばらく、いろんな人の意見や主張、解説等をインプットしすぎたのか、心が乱れることが多く、疲れ気味だったので、ぼんやりモードに切り替えて暮らしておりました。
 私が通っている教会はぼんやりしていても大丈夫?なので、毎週ではありませんが、都合がつく限りは礼拝に出席しています。
高校生の娘も興味があるのか、時々ついて来たりしています。
 がん子さんや皆さんの投稿で、「当番」や「献金祈祷」の言葉を読み、礼拝で牧師先生以外の信者の方が皆さんの前でお祈りを捧げることがあるのを、初めて知りました。
 通っている教会では、お祈りはすべて牧師先生がされ、献金の後はみんなで献金感謝の讃美歌を歌います。
 牧師先生がお祈りの中で、
「人間の、私どもの愚かな思いからではなく、神さまの導きによって、信仰を求めて集われている人々を信仰の道に至らしめて下さい。」と言われたことがあり、
私のような立場の者のために、そのように祈って下さったことがとても胸に響きました。
 小さな集いなので、名前は出さないまでもそれぞれの立場に応じた祈りをして下さり、娘が一緒のときは必ず、
「若い兄弟姉妹の大切な学びの時をお守りください。」と言って下さるのですが、
自分やわが子のために祈って下さることがありがたく、嬉しく思います。
 家族や人前で祈ることにまだまだ抵抗がある私には、この「祈るときには」の一節には助けられます。
 トマスさんが書いておられるような「最悪パターン級」に遭遇していたら、やはり二度とその教会の敷居をまたぐ勇気は私には持てなかったと思います。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - トマス
2012/09/22 (Sat) 19:51:46
>献金感謝の讃美歌
言われてみれば、祈りでなく讃美歌の教会も多いですよね。当番の人が選んだ言葉ということではなく、会衆一同がよく知っている同じ言葉を同時に唱えるという意味では、これは一種の成文祈祷なのかもしれません。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - masaki tomita
2012/09/23 (Sun) 17:11:38
あ、そういえばそうだ。
今日も徳島北教会に行ってきましたが、そこでも献金のあとは歌でした。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - masaki tomita
2012/09/23 (Sun) 17:15:26
1954年版の「讃美歌」には、主の祈りを唱える際の、音楽も収録されていましたね。564番。
徳島北では献金のあとに歌うのは、「讃美歌21」の64番。「まーごころこーめー、さーさげますー、こーのたからーとー、こーのわたしー、主ーなるー、かーみよー」
そうなんだ、これは「宝」を捧げているのかあ〜と妙に感心したりするのでした。

Re: 9月のみんたた「祈るときには」 - トマス
2012/09/25 (Tue) 10:06:58
>564番
伴奏が付いてちゃんと声が揃うと主の祈りにしても使徒信条にしてもまた格別の味わいがありますが、せっかく伴奏しているのに合ってなかったりすると…(泣)
>これは「宝」を捧げているのかあ〜
そういうことに気付かせてくれるのもまた讃美歌の良いところですよね。
ところで、
>あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
と言われると大変安心感がありますね。必要なものに気付いていても無くてもなるほど必要なものは与えられるのだな、とか思ってしまいます。甘えすぎですかね。





「みんたた」indexに戻る


iChurch.me:三十番地キリスト教会の玄関に戻る
iChurch.me:三十番地キリスト教会の案内図へ進む

iChurch.me:三十番地キリスト教会の礼拝堂案内に戻る
大礼拝堂に入る
小礼拝堂に入る
ブラザー・トマスの小チャペルに入る
「キリスト教・下世話なQ&A」コーナを訪ねる