みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2012年10月のテーマ: 「主の祈り」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
日本聖書協会の認可を受けています。

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マタイによる福音書 6章9-15節

10月のみんたたは9月の続きで山上の説教から「祈るときには」の後半、主の祈りです。
平行するルカ本文と、今後日本でのスタンダードな口語訳となるのではないかと考えられる聖公会・カトリック共通口語訳(コピーライト問題有るかな?有れば削除します)とを並べてみます。
毎週の礼拝で、毎朝のミサで、あるいは教会以外の場所でも祈る機会の多い主の祈りですから、みなさんそれぞれに思い入れがあると思います。大学はともかく、中高の学校礼拝なら祈るところもあるのではないでしょうか。
思い入れ、思い出、感想、発見、なんでもどうぞ、たたくと言っちゃうとネタがネタだけに書きにくいでしょうから…。ま、御自由に。

***********************

マタイによる福音書6章9-15節〔新共同訳〕

9 だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、
 御名が崇められますように。
10 御国が来ますように。
 御心が行われますように、
 天におけるように地の上にも。
11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
12 わたしたちの負い目を赦してください、
 わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
13 わたしたちを誘惑に遭わせず、
 悪い者から救ってください。』
14 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
15 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

ルカによる福音書11章1-4節〔新共同訳〕

1 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、
 御名が崇められますように。
 御国が来ますように。
3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
4 わたしたちの罪を赦してください、
 わたしたちも自分に負い目のある人を
 皆赦しますから。
 わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

主の祈り〔聖公会・カトリック共通口語訳、2000年2月より使用〕

 天におられるわたしたちの父よ、
 み名が聖とされますように。
 み国が来ますように。
 みこころが天に行われるとおり
 地にも行われますように。
 わたしたちの日ごとの糧を
 今日もお与えください。
 わたしたちの罪をおゆるしください。
 わたしたちも人をゆるします。
 わたしたちを誘惑におちいらせず、
 悪からお救いください。

***********************

勝手にスレ立てしちゃいました。すんません。

Re: 10月みんたた「主の祈り」 - tomita@iChurch.me
2012/10/06 (Sat) 22:07:26
いやー、助かります。本当にありがとうございます。
こうして見ると、よくある主の祈りの「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」というあれは、いつの時点でどういう経緯で入ってきたのかな? と思いますね。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/06 (Sat) 23:37:06
>「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」
>いつの時点でどういう経緯で入ってきたのかな?
そうですよねぇ。たしかに主の祈りを祈るときに、この頌栄の部分だけ何か異質感がありますよね。
カトリックのミサに行きますと、聖体拝領の一連の儀式の中で主の祈りが祈られますけど、頌栄は会衆一同ではなく司祭が唱えるんです。この方がつまり原形に近い?
訂正
すみません。間違えてました。
頌栄は会衆に戻って唱えていました。
本文(!?)と頌栄の間に司式司祭の短い祈りが入ります。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - tomita@iChurch.me
2012/10/08 (Mon) 21:18:57
ああ、そうか……これは頌栄なわけですね。
頌栄は頌栄だけでそういう役割の歌もあるわけですから、頌栄独自の発達ルートのようなものがあるのではないでしょうか?

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - エリサベト
2012/10/09 (Tue) 19:09:16
突然乱入いたします。^^;
iChurch.usの方で書かれていたことについてとリンクしますが、主の祈りは、実はとてもご利益お祈りなのではないかなと思いながらいつも祈っています。
御国が来ることも、御心が地上でも行われることも、今日の食べもんがあることも、罪の許しも、誘惑や悪からの救いも、どれも、人にとって必要で、ありがたーいご利益だと思うのです。
祈りは願い出あっていい、その一番シンプル系をイエスが示してくれたようなそういう印象を持っております。
他だ。必ず一個だけ引っかかりますよね。
ルーテルの口語だと「私たちに罪を犯した者を許しましたから私たちの犯した罪をお許しください」のところですね。
ここだけが、どうしても許せない自分があるので、じゃあ罪の許しをお願いできないのかなぁと。
それくらい、罪の許しって、重いことなのかなぁと。
あ、ちなみに、カトリックの聖体拝領のことにトマス先生が言及されていましたが、ルーテルでも、聖餐の中で主の祈りを祈ります。(説教礼拝の時は礼拝のラストで。)
すみません。とりとめもないのですが。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - masaki tomita
2012/10/10 (Wed) 22:04:00
ああ、その疑問は他の人にも真剣に相談されたことがあります。
なので、「下世話なQ&A」にも「工事中」の質問としてあげてあるんですけど、やっぱり「赦しなさい」と言われても赦せないこともあるんだと言われます。
教会では牧師さんが「赦しなさい」と書かれていますよ、と教えてくれるわけです。
でも、人によってはやはり赦せないこともあるんですよ。
「赦せない私を赦してください」みたいなことになるんですが、それが人間の現実です。
そういう話を聴いたときは、「赦せなくてもいいんですよ」と言っています。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/11 (Thu) 08:30:52
マタイ自身がどんな思いでこう書いたのか、今となっては想像しかできないわけですが、日本で現在よく使われている文語訳(1880年訳)はおおむねマタイ準拠ですよね。
マタイは、「わたしたちも赦しましたように」とある。「赦しました」も引っ掛かるんだけど、主語も「わたしたちが」じゃないんですね。これをどう読むか。意見の分かれるところかもしれません。
ルカと共通口語訳は「わたしたちも赦します」なので、赦すことの難しさを見据えて、出来ないかもしれないけど努力します。出来たとすればそれは神様あなたが支えてくださったからです。という信仰が見えてくるような気がします。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - masaki tomita
2012/10/11 (Thu) 09:13:45
赦すのが先か、赦されるのが先か、というのは、実際赦せない人との関係を抱えている人にとっては、重要な問題だと思うんです。
赦せるものなら赦すのが理想なんでしょうけど、そして、赦してしまうことができたら、自分も解放されるんでしょうけど、それでも、傷がうずくと赦せないというのが現実だと思います。
ところが、そういう赦せないという現実をも、神は赦しておられるのだろうとは思いますけれどね。
また、生きてる間ずっと赦せなくても、自分が死ぬときには、ふっと赦せるようになるのかも知れません。一概には言えませんが。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/11 (Thu) 18:29:42
一方で赦しなさいと言われているのは確かなんだけど、それが出来ないときに、赦せるようになりたい、あるいは、赦せるように成る時があるかもしれない、という希望を語っている祈りなのかもしれませんね。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - tomita@iChurch.me
2012/10/12 (Fri) 17:25:14
そこまで予想できたら、もう赦しているようなものではないかと思いますねえ。
やはり、赦せないという状態で凝り固まっているときは、本当に赦そうと思えるときが来るかもしれない、という予想をも、完全に自分で否定しているときでしょうね。
それでも、赦せた方が健康にもいいんですけどね、きっと。
赦せないというこわばりや頑さが、自分自身を不健康にしているということがあるんではないかなと思う事があります。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - 入谷
2012/10/13 (Sat) 15:54:55
疑問。何を赦すのでしょうか。
人 ? 行為 ?
過去 ? 現在 ?
悔い改めている、あるいはそのつもりがある場合 ? それを罪だど思っていない人は、どうする ?
例えば、日々幼児虐待を続けて、ニタニタ笑っている人間を赦す ? そいつを赦すの ? その行為を赦すの ? (i.e. 是認するの ?)
などなど、とりとめなくてすみません。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - tomita@iChurch.me
2012/10/14 (Sun) 16:19:36
入谷さんのご質問には、「許す」と「赦す」が入り交じっているような気がします。
「許す」は、「それをしてもいいですよ」と許可すること。
「赦す」は、既に犯してしまった罪について、被害者が加害者を赦す、あるいは社会がその加害者を赦す。
そのように、ぼくは使い分けています。
そして、ぼくが時折相談を受けるのは、被害者となった人が、加害者を「赦しなさい」と教会の牧師や信徒に諭されるけれども、「私は断じて赦したくない。赦せないことがあるのです。いけませんか?」ということなのです。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/15 (Mon) 08:20:08
許すと赦すの違い、加えて、赦す範囲というのかな、犯罪ではないけど道義的責任が生じるような事とか、事に依ったら道義的責任すら生じないんだけど、「私」にとっては認めがたい出来事とか、そういうのを何処まで織り込んでいくか、正解はないんだろうけど、悩みどころですよね。
と思いながら読むと、1880年訳はだいたいがマタイ準拠なんだけど、なぜかその部分はルカ準拠になっていて「負い目」でなく「罪」となっている。これも悩むところです。
>そこまで予想できたら、もう赦しているようなものではないかと
そういう読みがあったか。私自身は赦すつもりのないヤツが何人か居るし、赦すのは無理と思い定めてそいつらを赦す信仰的努力は放擲していたりします。
逆に、私のことを死んでも赦さないだろうな、と思う人の顔もそれなりの人数思い浮かぶから収支トントン(!?)なんかな。と思う部分なきにしもあらず。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - tomita@iChurch.me
2012/10/15 (Mon) 18:53:53
そうですね……
ぼくは自分の人生の終わりのことをよく考えますが、本当に死んでしまう前には、全ての人と和解しておきたいな、と思う事がよくあります。
罪を犯した人には謝りに行って……赦してくれない場合は仕方がないんですけどね。
自分が今は赦せないでいる人も、死ぬ前には「今まで赦でなかったけれど、頑だった自分を赦して欲しい」と、こっちもやはり謝りたいです。
死ぬ前には、一応、自分の知っている全ての人と、曇りのない状態にして去りたいと思います。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - リリィ
2012/10/15 (Mon) 19:53:34
 ご存じの方も多いと思いますが、「シークレット・サンシャイン」という韓国映画があります。
キリスト教徒が3割にものぼるという韓国の、教会の様子や信徒さんたちの集いの様子などに驚かされたりもしますが、「赦し」についての示唆に富んだ映画で、深く考えさせられます。
 最愛の一人息子を誘拐され殺された母親が犯人を赦せるのか、また、犯人は信仰によってその罪から救われるのか、救われていいのか、神様はこんな罪人をお赦しになるのか、人が人を赦すことは本当に可能なのか、などなど、この映画で描かれているシーンひとつひとつに絶望的な投げかけがあり、そしてかすかな希望も描かれているようでもあり・・・。
題名通りのかすかな光と共に、重いものを持たされるような映画でした。
 私は、罪を犯してしまったなら、赦されてラクになることを期待せず、犯した罪と共に生きていかなきゃいけないんじゃないかと思いますし、赦すことは人の領分じゃないんじゃないかとも思います。
 主の祈りの中で、「私たちに罪を犯すものを我らがゆるすごとく・・・」とさらりと流れていく一文は、私はその意味で、なんかもう少しいい祈り方があるんじゃないかと思いつつ、つぶやいています。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - ののか
2012/10/16 (Tue) 15:08:10
リリィさんのお書きになった「シークレット・サンシャイン」は、本当にすごい映画でした。クリスチャンが見たら痛い映画でもありました。
最後のシーンに救いが、と言われていたけど、私にはピンと来なくて。重い映画でした。
>赦すことは人の領分じゃないんじゃないかとも思います
そう思います。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - masaki tomita
2012/10/18 (Thu) 10:25:16
なるほど……「シークレット・サンシャイン」観てみたいと思います。
人が赦さなくても、神は赦している。とよく思いますが、神が赦しても、私はあなたを赦さない、と改めて言わずにはおれない面もあるのかなと思います。
ちょっとピントが外れたようなことを言っているでしょうか。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/19 (Fri) 20:26:29
>神が赦しても、私はあなたを赦さない
まぁそれが人間の本音かもしれませんねぇ。
でも裏を考えると、だからこそ神は赦してくださっていると考えることで「だれそれから赦してもらえない私」が再び前を向いて立ち上がることが出来るのかもしれませんです。更に言えば、だからこそ
>犯した罪と共に生きていかなきゃいけないんじゃないか
という生き方が出来るようになる気がします。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/24 (Wed) 13:36:53
動きがないですね。今月もあと1週間なので切り口を変えてみましょうか。
最初の方でエリサベトさんが書いてくださった
>主の祈りは、実はとてもご利益お祈りなのではないかなと思いながらいつも祈っています。
これはなかなか本質を突いているような気がします。たしかに、主の祈りはどれもこれも本当に必要なことについて祈っている、与えられるように求めている、実現を願っている。大切なことを祈っています。これを御利益と言っていいなら実に御利益でありましょう。
主の祈り以外に話しを広げるなら、キリスト教は御利益宗教じゃない、なんてことがよく言われますけど、それを極論すれば、執り成しの祈りだってできなくなるような気がします。誰かのために祈ることができなくなる?御利益と執り成しは自分のためか他人のためかの違いはありますが、それって理屈はそうでも現実には簡単に分けれる違いではないように思います。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - tomita@iChurch.me
2012/10/25 (Thu) 10:27:01
だから、何かを「願う」というのは、すべからく全部「ご利益」ですよ。
ただ、キリスト教の場合、昔からよく行われてきたことですが、神社・仏閣とは教会は違うんだという差別化のために、邪教/異教/異端を排除し、自分たちが「正しい」「真の」「唯一の」宗教であるということを主張する上で、よく神社・仏閣で行われている、「商売繁盛」とか「無病息災」とか「故人の冥福」とかいったものをする宗教とは違うんだ、という選民意識のようなものが反映した言葉ではないですかね、「ご利益宗教とは違います」というのは。
でも、キリスト教会のお祈りでも「私たちの健康をお守り下さい」、「事業が御心でしたら成功しますように守り、導いてください」というのは、よく祈られているわけで、言葉は格調高いものにしたところで、ご利益を願っているという点では同じです。
しかし、信者たちは「ご利益」ではないと主張する。その矛盾とかアンバランスのために、キリスト教はよくわからない宗教だ、ということに日本ではなってしまうんではないですかね?
キリスト教が「よくわからない」理由は、いろいろありますが、そのひとつが、この「ご利益を願っているにも関わらず、ご利益宗教ではないと主張する、ということがあると思います。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/25 (Thu) 17:34:06
商売繁盛とか交通安全とか安産とか、(第3次産業なんだから)祈りゃぁいいじゃないかと思うけど、御利益宗教であるかどうかじゃなくて、御利益があるかどうかという点で「商売」にならないだろうな。
そういう意味ではヨシュアってのはスケールの大きなリーダーですよね。政治家としてはモーセより余程すごいと思う。まぁモーセは政治家というよりも革命家かもしれないけど。
>矛盾
各個教会で努力することも大事だけど、こういう事こそ各教派とか各教団とかのレベルでしっかりと研究して本気で解決してほしいですねぇ。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - tomita@iChurch.me
2012/10/26 (Fri) 13:36:20
実際には商売繁盛も、交通安全も、安産も祈ってるんですよ。
「あなたが共にいてください」とか「あなたの守りがありますように」とか、やってるんです。
いってるのに、「やってない」というから世間の人は怪しむと言っているんです。
>各教派、各教団のレベルで
いやーそれは無理でしょう。どこかの教団では、内部での話し合いさえ成立していな体たらくですから。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/26 (Fri) 21:25:07
ん?そう読めたか。いや、どうせ需要無いでしょ!!の方が要点だったんだけど。ってこんな大事なことを普通は需要と供給の関係とか投下資源とリターンの関係で考えたりしないか(笑)
>各教派各教団のレベルで
某教団はダメかもしれないけどどこかでやってくれないですかねぇ。それなりに人的物的資源を投下する必要のある大事なことだと思うんだなぁ。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - tomita@iChurch.me
2012/10/27 (Sat) 08:06:03
ぼくは、あまりに大きくなってしまった組織では、きちんとした討論なり、実りのある話し合いにはならないんじゃないかなと思うので、教派や教団のレベルでの話し合いは、なかなか難しいと思います。
まあカトリックはバチカンがしっかり指導しているし、正教会もある程度総主教や主教の指導性があるわけでしょうけど、プロテスタントはみんな自己本位ですから、結論を出すのが難しいと思います。
そもそも合同教会というもの自体に無理があると思うんです。
ですから、教派/教団を超えてでも内部でもいいですけど、個人的信頼によって動けるある程度の人数以下のグループで、あるいは単独で、どんどん新しいものを作って行くしかないと思います。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - ノンクリ
2012/10/27 (Sat) 21:03:54
 信者でない私が僭越かもしれませんが・・・。ご利益は堂々と祈って、願っていいんじゃないですか?牧師先生がおっしゃるように、本音はそうなのに、変に気取った選民意識を出して、御利益など不届きな・・とやるからおかしくなるんであって、と思ってます。
 ただし、その際のルールは設けた方がいいかと思います。個人的には、以下のような「ご利益」はダメってことで。
 ・他者を貶めたり、蹴落とすことで成就する「ご利益」。
 例えば、部活やプロスポーツなんかで、「あいつがケガすれば、俺がレギュラーに」とか、「あいつがいなくなりゃ、楽しい毎日がやってくる」みたいな「お祈り」はペケ。
 もっとも、そうすると、大学、高校入試の合格祈願はどうなるんだろ?あれだって、競争率が1倍を超える学校の受験なら、誰かを蹴落とすわけで、微妙・・という問題がなくもないですが。
 ・政治・軍事に絡むこと
 いうまでもなく、政治に神様が絡むと合理的、理性的な判断を疎外しますし、そもそも、地上の問題に関して何が正しいのか、間違っているのかについては人間様の独断で善悪、正誤ではっきりと判断できることは稀ですし。
 だからこそ、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神のものに・・」なわけで。
 そういう観点からすると、ジャンヌ・ダルクはフランスやフランス人にとって「救国の英雄」ですし、「ヒロイン」の代名詞ですが、戦いに神の名を出しているところが、キリスト教的にはどうなんだろ?という気がしないでも。
 ・射幸性を伴うもの
 宝くじで一発あてて、大金持ちに・・みたいな、要するに虫が良すぎる、地道な努力、過程を無視した棚からボタもち的なご利益、お願い。
 「病気退散」「不老不死」は当人やその関係者からすると切実な願いでしょうが、やはり、自然の摂理を特定の個人のみの為に曲げる、というのは神様の立場になればできない相談でしょうね、たぶん。
 これなんかも、「一日一日、健やかな生活が送れますように」とか、病気で苦しむ人に関しては「苦痛が和らぎますように」「孤独に、一人で苦しまないように」と祈る方が「現実的」な気もします。
 要するに、「自分さえ良ければいい」とか虫が良すぎると思わせない、「神様の立場」(公平性の確保など)を考えたご利益のお祈り、お願いだったらいいんじゃないの?と考えるのですが、どうでしょうね?

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - エリサベト
2012/10/29 (Mon) 03:28:09
ノンクリ様
>要するに、「自分さえ良ければいい」とか虫が良すぎると思わせない、「神様の立場」(公平性の確保など)を考えたご利益のお祈り、お願いだったらいいんじゃないの?と考えるのですが、どうでしょうね?
これさんせーい!
ところで、また赦しの問題蒸し返しちゃいますが、ふと思うに、人を許せない状態って、自分も辛いと思うんですよね。許せない、そいつに神罰でもなんでも下りゃあいいと思うことはいっぱいあります。でも、そう思っているときの自分の心はガシガシに荒れています。(メンタームでも塗らないといけないぐらい。(笑))
だから、赦しますから、と言っているけど、どちらかというと「赦せるようにしてください」というニュアンスなのかな、なんてことを考えました。
あとちなみに、どうしても赦せなーい、という話をある牧師先生にしたら、詩篇なんか見てご覧よ、呪いのオンパレードじゃん、という趣旨のことを言われました。
許せないことは神様に預けますから、適宜の処置をお願いします、って祈りだったらいいなぁ。なんて。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - リリィ
2012/10/29 (Mon) 16:43:59
あーホント、エリザベトさんの言葉いいですね。はまりました。
「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく」って毎回すんなり言えない自分がある以上、「赦せるようにして下さい」ってお願いする方がしっくりきます。本当。
「我らに罪を犯すものを赦せるようにお導き下さい。人を赦すことは神様にお預け致しますから、人の罪、私の罪をどうぞおゆるし下さい」って、主の祈りをこっそり言い換えたいです。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/10/31 (Wed) 01:42:20
>赦せるようにしてください
おそらく本当はそうなんでしょうね。
私も蒸し返しますけど、
>わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように(マタイ)
>わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから(ルカ)
どちらも「わたしたちも」なんですね。
「わたしたち」って誰なんでしょうか?
そして、わたしたち「も」ということは、わたしたちじゃない誰かは誰なんでしょうか?

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - masaki tomita
2012/11/02 (Fri) 14:16:38
「わたしたちも」というのは、まず「わたしたち」というのは、人間一般のことを指していて、「も」というのは、まず神が私たちを赦してくださっているように……ということではないですかね?
月並みな解釈ですが……。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/11/03 (Sat) 23:15:23
やっぱりその辺りが落とし所ですかね。特に違うことを考えていたわけではないんですが、慣れている言葉だけに(いろいろ考えた挙げ句に月並みな解釈に戻るにせよ)時には立ち止まって考えることも大事かな、と。
しばらく前に、礼拝の中の主の祈りをいつもと違う訳で祈ってみたんです。もちろん覚えてないから讃美歌21に載っている訳を見ながら祈りました。そしたら後で会員さんいわく、あらためて言葉を読み直した気がする、んだとか。そういう意識の仕方もあるのだなとこちらも思わされた次第。11月みんたたの使徒信条も同じ事かもしれませんね。
ところで、これまた蒸し返しますが、
>各教派各教団のレベルで
両方が必要なのでしょうね。現場の取り組み・実践の積み重ねと、教派教団や神学校での理論化・式文改定・公式アナウンスとが、いわば車の両輪となるのだろうなと思います。国内でもこの10年ほどの間にいくつかの教派教団で式文改定の動きがありましたし、その意味で教界全体に対しても、(国外にも視野を広げつつ)合同教会というものに対しても、わたしは期待も希望もまだ捨ててないつもり…。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - masaki tomita
2012/11/07 (Wed) 12:33:16
教派、教団を超えて……というのは、ぼくはほぼ不可能じゃないかみたいなことを先述しましたが、そうでなかったとしても、なかなか時間がかかりそうですよね。
ウェブ教会としては、どんどんそういう祈りの例文などを作っていってみんなでたたいたらどうだろう、と考えてしまいます。
「大切な人の健康を願う祈り」
「病気の人の快癒を願う祈り」
「商いが繁盛することを願う祈り」
「良い仕事ができることを願う祈り」
「お客様に喜ばれるものを作る祈り」
「学業が成就し、目標を達成することを願う祈り」
「旅に出る人を送るときの祈り」
「建物を建てる(建てた)ときの祈り」
「自分にふさわしいパートナーとの出会いが与えられることを願う祈り」
「祝福された結婚を願う祈り」
「子どもが授けられることを願う祈り」
「長生きを願う祈り」
「安らかな死を願う祈り」
……いくらでも出てきそうですが、そういう祈りのサンプルをどんどん出していってもいいんじゃないかなと思います。
思い切りご利益宗教ですが、実際、教会でもこの程度のことは普通に祈られていると思いますよ。

Re: 10月のみんたた「主の祈り」 - トマス
2012/11/07 (Wed) 18:05:31
たしかに、時間が掛かりそうですね。
ところで、
>祈りの例文
カトリックでは信徒向けの祈祷書がいくつか出てますけど、たとえば札幌教区典礼委員会が出している『祝福の祈り』という本では
「出産前の祝福」
「出産後の祝福」
「子どもへの祝福」
「家庭への祝福」
「成人式」
「巡礼や旅に出る人への祝福」
「老人への祝福」
「病人への祝福」
「家への祝福」(定礎、棟上、新居)
「自動車の祝福」(以下、船、家畜、田畑)
「信心用具の祝福」
「食前・食後の祝福」
など、しっかりと式文になって出版されておりますのですよ。20年以上前に。廃盤になったとは聞いてないから今でも手に入るはず。
真似をすればいい、ってもんじゃないけど、こういうのを見ていると、プロテスタントもちゃんと教派教団単位で対応しろよ、と思ってしまいます。もっとも、カトリックがこれで「商売」になっている(信者以外の人からの十分な売り上げが上がっている)とも聞いてないから、やっぱり需要を開拓するところからしなくちゃいけないのかも。第3次産業としては、まず自分とこの商売繁盛から願わなきゃ、ってことか。
こういう式文例をつくるのだって時間とエネルギーと資金が必要なわけです。リターンが欲しければ、それに見合ったリソースを、人材と資金を、ちゃんと投下しなきゃいけません。それって各個教会にまかしといていいのかい?開発された式文例は共有されるべきだろうし、それなら教派教団単位でリソース投下しなきゃ。
隠れた需要を掘り起こすのは「ビジネス」にとって大事な仕事のはず。
" I must be about My Father's business " Luke 2:49 by NKJ





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