みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2012年11月のテーマ: 「使徒信条」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
日本聖書協会の認可を受けています。

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使徒信条

みなさん、こんにちわ。
10月も押し詰まってまいりました。もうXmasの準備は始まっています。時が過ぎるのが年々早く感じられます。
さて、「みんなでたたこう聖書研究コーナー」では、今回新しい試みとして「使徒信条」をたたいてみることにしました。
多くの教会で唱えられていると思われる使徒信条ですが、これについて、思うこと、感じること、考えること、いろいろ皆さんの思いをお聞かせ願えればうれしいなと思っています。
以下に日本語の使徒信条の文言(文語版と口語版)を提示しておきます。

********************************

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、◯にて葬られ、陰府にくだり、三日目に◯人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまえり、かしこより来りて、生ける者と◯ねる者を審きたまはん。
我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の命を信ず。
アーメン。

********************************

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。
わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、◯んで葬られ、よみにくだり、三日目に◯人のうちからよみがえり、天にのぼられました。
そして全能の父である神の右に座しておられます。
そこからこられて、生きている者と◯んでいる者をさばかれます。
わたしは聖霊を信じます。
きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。
アーメン。

********************************

(この掲示板サービスでは登校できない禁止ワードが入っているので、一部の文字を◯にしています)
これはこれでいろいろ突っ込みどころがありそうですね。
歴史的にはどういう成立でしたっけ?
ポンテオ・ピラトって人も大変ですよね。イエスの最期にちょっと関わっただけなのに、イエスを裏切ったユダやペトロのことにも触れない。ヘロデの大虐殺を生き延びて……とも言われない。ピラトちょっと可哀想です。
しかし、聖書が読めなくても、説教がわからなくても、この使徒信条さえ唱えて「ウソではありません」と言えたら、それでクリスチャンだ、よし、と認められていた時代が長かったのでしょうね。いや実際、宗教改革まで1500年ちかくも、一般人は聖書など読めなかったわけですから、こういう信条が信仰を形作ってゆく、という面が大きかったと思います。
そして、現在でも「聖書によれば……」と得意げに言う人ほど聖書を読んでおらず、結局のところ、この使徒信条をもとに自分の信仰のモデルを形作っている人が多いような気がします。
というわけで、どうぞみなさん、ご意見をお聞かせ下さい。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - ノンクリ
2012/10/27 (Sat) 21:55:54
 前にも述べましたが、ピラト氏は、イエスやイエスを巡るトラブルにはほとんど関心なんてなかったんじゃないでしょうか?
 何しろ、ローマには三万の神がいるっていうくらい、当時のローマ帝国には宗教があふれかえっていましたし、新興宗教も腐るほどにありましたから、そんな中で、イエスとユダヤ教会との確執なんて、ピラト氏にとっては本当に「どうでもいいこと」で、「俺の在任中に要らんトラブルを起こすな!キャリアに傷がつくだろうが」ぐらいの認識だったでしょうね。
 聖書を読む限り、ローマ帝国政府は確かにユダヤの地を支配してはいましたが、現地住民の信仰や自治には干渉しなかったみたいですね。GHQと日本政府みたいな感じでしょうか。
 というか、あんなややこしい土地のワケわかんない宗教問題なんかに関わりたくない、っていうのが偽らざる本音、だったかも?(現代の世界の要人たちもそうかも?)
 イエスを取り調べても、ローマ帝国の基準で犯罪らしい犯罪といえば、神殿で暴れて屋台をぶっ壊した程度。現代でいえば、器物破損程度の罪。カエサルのものはカエサルに、神のものは神のものに・・で反ローマの政治活動をやっているわけでもない。
 死刑、それも当時でもちょっと残酷なんじゃないか?といわれていた磔の刑に処するにはあまりにも無理がある・・、でも、ユダヤ教会は大騒ぎしてるし、どうしよう?って感じで困ったでしょうねぇ、ピラトさん。
 もし、ピラト氏が、ローマ法に照らして、これは死刑には相当せず、エルサレムからの追放刑がせいぜい・・と毅然と対応していたら、イエスとキリスト教はどうなっていたんでしょうね?そもそも、キリスト教が成立していたんでしょうか?興味ありますね。
 まあ、聖書のエピソードから推理できることは、このピラト氏、悪人ではないし、優秀ではあるけれども、なんていうか、基本的には官僚、お役人的な人物で、胆力とか器の大きさを感じさせたり、尊敬を集めたりするような人物ではない、ってことでしょうか?
 だからこそ、使徒信条でスケープゴートにされてしまったんでしょうね。個人的にはとても気の毒に思いますけども。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - ノンクリ
2012/10/27 (Sat) 22:09:02
 連続ですみません。ピラト氏について、前は優秀だから、問題山積のユダヤの地の総督に任命されたのだ、と思っていましたが、もしかしたら、逆の場合もあるかも。
 つまり、ピラト氏は要領が悪く、ローマ帝国政府内ではあまり出世しなかった、というか、いいポストにありつけず、結局、ローマからみて辺境の地で問題がいっぱいのイスラエル、ユダヤ方面に島流し的に配属されてきた、つまり、左遷されてきた、って可能性もあるかも。
 ピラト氏「ええ?ユダヤ・イスラエル方面ですかぁ?」上司「君にはもう他に用意できるポストがないから。イヤなら辞めてもらうよ」という感じで。
 彼がイエス処刑を迫られた際の、投げやり的な対応、態度もその辺に原因があるのかな?と思ったりしましたが、どうでしょうね?そうだとするなら、ますます、ピラト氏は踏んだり蹴ったりの人生を歩んだことになりますが。
 この辺、つまり、当時のローマ帝国政府の配属人事はどうなっていたのか?も知りたいところですね。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - エリサベト
2012/10/29 (Mon) 03:19:05
まず参考までにルーテル教会の使徒信条をご紹介します。
天地の創り主、全農の父である神を私は信じます。
その一人子、私たちの主、イエス・キリストを私は信じます。
主は聖霊によって宿り、乙女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、よみに下り、三日目に●人のうちから復活し、天に昇られました。
そこから来て、生きている人と●んだ人とを裁かれます。
聖霊を私は信じます。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の許し、体の復活、永遠の命を信じます。アーメン。
---
初めて教会に行った日、「体の復活、永遠の命を信じます」とみなさんが言っているのを聞いてドン引きしました。(爆)
今はなんか、もう惰性でスルーしている感じがします。
前に書いたかと思いますが、イエスの公生涯が中抜けじゃん!というのがいつも気になりますが、それくらい、イエスの存在が、初期のキリスト者にとって、十字架と復活に修練され、意味があったということでしょうね。
元は洗礼を受ける人が学び唱えた信条だとか聞いたことがありますが(実際私の受洗前講座も使徒信条で行われました)、それならなるほどと思うインパクトがある半面、日常の礼拝においての信仰告白として、まず、今日的に「聖なる行動の教会」とか「聖徒の交わり」という「聖性」の強調や、なにより先ほども申した、体の復活、永遠の命という、処、非信徒はもちろん、信徒といえどもどこまで本気で受け入れられているのかなあと疑問に思いつつ、唱えております。
ところでノンクリさん。
聖書だけを読む限りでは、ピラトさんは無責任ノーナシ官吏ですが、実際は結構悪辣で、十字架刑もやはり彼がGOサインを出したと聞いたことがあります。
ローマ帝国に布教されていく中で、また国教化していく中で、その辺、ピラトさんの責任が薄められたのが聖書の記述、とか聞いたことがあります。
まあ仮に聖書の記述をそのまま受け取ったとして、不作為の罪というか、無責任の罪は免れない気がしますが…。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - エリサベト
2012/10/29 (Mon) 03:20:28
ごめんなさい誤字修正。
修練→収斂

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - ノンクリ
2012/10/29 (Mon) 20:26:59
>ピラトは悪辣
 確かに「ポンティオ・ピラト」でググってピラト氏のウィキペディアをみると、
 「ピラトゥスはユダヤ人に対して常に強圧的・挑戦的な態度で臨み、エルサレム神殿での伝統的なユダヤ教の祭祀を侮蔑・挑発することもしばしばであり[1]、ユダヤ人の対ローマ感情を悪化させた。最後にはサマリア人の不当な殺害を理由に住民からシリア総督に直訴され、罷免されている(ローマ帝国では被支配住民に総督のリコール権があった)[2]。」とありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9
 何やら、時代劇の「水戸黄門」や「必殺仕事人」に出てきそうな悪代官ぶりだったようですが。まあ、聖書の記述を信じるにせよ、こちらの話を信じるにせよ、決して尊敬できる人物ではないことは確実みたいですね。
 でも、ウィキによれば、ローマ帝国では、あまりにひどい総督はリコールできたんですね。その辺はさすが世界帝国、古代世界きっての先進国、という感じです。
 いや、実をいうと私、ローマ帝国ファンでして、キリスト教会でローマ帝国の悪口じみた話が出てくると、あまりいい気分がしないのですよ(笑)。
 ただ、このウィキで気になった記述は、
「東方諸教会(コプト正教会、エチオピア正教会)は、その後ピラトゥスが罪を悔いキリスト教に改宗、熱心な信徒となったとの伝承を保存しており、彼を聖人としている。[7]」
 とあるのですが、ホンマかいな?です。ホントだとすれば、やっぱり、使徒信条における執念深い断罪はひどいよ、ってことになりますが・・。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - エリサベト
2012/10/30 (Tue) 03:24:11
ルーテル教会の使徒信条、抜けがありました。m(__)m
…天に昇られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て…
でした。
この辺り読むと、キリストの昇天と再臨が、当時的には切実だったのを感じます。
しかし、今日的には、やはり、ドン引き感があります。
使徒信条もニケヤ信条も、唱えてるときは、なにも感じないんですが、、これがキリスト教だ!となり、これを丸飲みせよ、となると、21世紀人として、飲めませーん!な気になるのは、私だけでしょうか?

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - masaki tomita
2012/10/30 (Tue) 23:53:14
信条というものは結局、公会儀において何が正統かを決めてゆく中で出てくるわけでしょう?
つまり、異分子排除と表裏一体ですよね。
異分子を葉除して、「一致」を求めることが信条の決定につながってくるわけで。そこに違和感が否めません。
クリスチャンになりたての頃は、あの使徒信条を暗誦できる、ということ自体が嬉しかったわけですが、内容を検討し始めると、いろいろと違和感を感じ始めるようになりました。
生前のイエスのことを学ぶようになると、余計にそうなりました。
聖書を自分で読んで自分で解釈する、ということをやり始めると、信条という短く定められた信仰告白では収まりがちかなくなるのは、当たり前だと思います。
逆に言うと、聖書を自分で読むなんでことは、1500年代の印刷機の発明以来、ありえなかったわけで、そうなると、聖書が読めない、あるいは文字さえも読めないという人が多かった時代には、信条の文章を諳んじることができれば、はい信徒です、という風にならざるを得ない気はします。
仏教だって、ややこしい仏典が読めなくても、一般市民は「南無妙法蓮華経」が唱えれば、それでよかったというのと同じようなものではないかと思います。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - トマス
2012/10/31 (Wed) 01:36:28
>南無妙法蓮華経
たしかに南無阿弥陀仏(お念仏)よりは南無妙法蓮華経(お題目)の方が「信仰告白」に近いですね。
宗教学的に割り切れば、プロテスタントの礼拝ではあまり唱えないですけど、「キリエ・エレイソン」が唱名念仏に近いように思います。
>信条という短く定められた信仰告白では収まりがつかなくなる
たしかにそうですね…。一方で、この手の古典的な信条が自分の信仰のベースとしてあるということが、目に見える信仰スタイルがどれほど違おうとも、たとえばプロテスタントも正教もキリスト教徒だよね、という共通点を探す足がかりになってもいるわけで、その意味ではエキュメニズムの時代になって改めて重要さが増してきているようにも思います。まぁ「一致」という言葉に昨今は政治的な色が付きすぎているから私もあんまり使いたくないですけど。
信仰信条というのは歴史的にはたしかに異端排除と表裏一体ですね。あ~、でも、使徒信条は公会議以前じゃなかったですか。異端排除の性格が強く出てくるのはニカイア信条辺りからだったのでは?
おそらく、言葉を足していけば行くほどに、収まり付かなくなるんでしょうねぇ。だから最古最短の信仰信条である「イエスは主である」に最後は辿り着ければそれでいいのかも。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - masaki tomita
2012/10/31 (Wed) 08:40:55
そうですね……「イエスは主である」……それも、じゃあ「主」って何だ? 主人のことか、イエスは我々の主人であることを望んだのだろうか? という風に疑問が湧いてきます。むしろ「友」のほうが近いのではないかとか。少なくとも「友」にもヨハネなど出典がありますから。

カナダ合同教会 - masaki tomita
2012/10/31 (Wed) 08:43:31
そうそう、それで、信条の話をし始めると決めてから、ご紹介したいと思っていた新しい信条があるんですよ。
ご存じの方も多いと思いますが、カナダ合同教会の「新しい信条」というものです。
ここに全文のせておきます。

*****************************************

わたしたちは一人ではありません
   わたしたちは神の世界に生きています。

わたしたちは神を信じています。
   神は創造され、その創造のみ業を続けられています。
   神はイエスを此の世につかわし、
      言葉を肉体とされて、
      世と和解し、新しくされました。
   聖霊によってわたしたちや他の人々に
      働かれています。

わたしたちは神を信頼します。

わたしたちは教会となるように招かれています。 
   神様がご臨在されていることを祝い、
   被造物を尊重しつつ生活し、
   他者を愛し、仕えるため、
   正義を求め、悪を退け、
   十字架に釘(つ)けられ、復活されたイエスを
   わたしたちの審判と希望とするために。
 生と死、死を超えた生命であられる神が
   私たちと一緒に居られます。
私たちは一人ではありません。

   神様に感謝を捧げます。

*****************************************

いかがですか? なかなかいいでしょう?

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - 入谷
2012/11/04 (Sun) 07:12:41
使徒信条にポンティウス・ピラトゥスの名が出てくるのは、イエスというその実在を疑おうと思えばそれも可能な形象を史実と紐付けるための表現なのだと思っていました。
この記述自体にピラトゥスに対する悪意は、私は感じないのですが。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - 村人
2012/11/04 (Sun) 09:33:28
私は初めてピラトの話を読んだとき、奥さんにもやめて欲しいと言われていたのにイエス様を死刑にせざるを得ない状況になり、可哀想だと思うと共に、鞭で打つなどの行動は何故したのだろうとも思いました。極悪人、といった感じはしませんでしたね。
カナダの新しい信条いいですね。神様の愛がよく表現されていると思います。

友なるイェスよ… - トマス
2012/11/06 (Tue) 22:31:49
>友
古典的信条を大切に継承することも大事だけど、現代人の腑に落ちる言葉で、腑に落ちる状況を語る信条というのは常に新しく作られてゆくべきなのでしょうねぇ。そういう意味では、イエスを「友」と呼ぶ信条が作られてもいいのかも。
賛美歌ではずいぶん前から「友なるイェスよ」と歌っているんだし、賛美歌の歌詞って「信仰告白」そのもののはずなんだから…。
カナダ合同教会の信条も現代という時代の抱える課題をちゃんと見ていますよね。先月の話題と行ったり来たりしますけど、この信条を見ていると、合同教会って捨てたモノじゃないな、と思います。

おとめマリアより生まれ - トマス
2012/11/06 (Tue) 22:53:03
>おとめマリアより生まれ
話題を錯綜させて申し訳ないのだけど、最近この言葉で思うところがあるのですよ。処女から生まれるわけがない。だからキリスト教はうさんくさい。なんてことがよく言われるわけだけど、それって現代の目線でこの言葉を見過ぎているように思うんですね。
2000年前の人だって処女から生まれるわけがない、なんてことぐらい思ったはずで、それなのに当時の教会指導者があえて「おとめマリアから生まれ」と言い、人々がその言葉を受け入れていったのにはそれだけの背景があると思うんですよ。
結論から言えば、これは不妊に悩む夫婦の必死の祈りの言葉だったんじゃないですかね。
子どもの出来ない夫婦って現代だけの問題じゃないはずで、不妊治療なんてなかった時代、しかも初代教会は「産めよ、増えよ、地に満ちよ」の祝福を受け継いでいますよね。その中で、俗な言い方をしますけど、やってもやってもウチは子どもが出来ないんだと思っている夫婦にすれば、やってもないのに出来たマリア様、ってすんごい奇跡ですよ。うらやましいですよ。
シングルマザーになることでマリアがどれだけ大変な思いをしたか、なんてことは眼中になく、ただひたすら子どもが出来ることを願ってすがったんじゃないかな。不妊だけじゃなくて、早産流産を繰り返す夫婦も同じ祈りをマリアに託したんじゃないかな。自分のところにも奇跡を起こしてください、と願ったんじゃないかな。その願いを受け止めたある教会指導者が、その教会全体の祈りとして、一緒に祈ろうよと呼びかけているうちに信条の中に入ってきた。
考えすぎですかね。
もちろん元は70人訳聖書の翻訳から来ているんだろうけど、それだけでは信条の中に入ってくるだけの説得力やモチベーションがあるかというと、弱いように思うんですね。
それに唱えている庶民の方も、指導者が言うから云々という以上のエネルギーがあるように思うんです。マリア信心というのは教会指導者の思惑とは別に庶民の信心として積み上がって教会に認めさせた部分があるそうなんですね。そんな状況を重ねていくと、「おとめマリアから生まれ」を信条に入れさせた何か積極的な力があると思うんだな。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - masaki tomita
2012/11/07 (Wed) 12:16:59
なるほど……マリアの処女懐胎が、子供のできない人々の願いを受け止めたのではないか、という話は大いに興味があります。
と同時に気になるんですが、使徒信条ができたのはマリア信仰が確立するより、ずいぶん前なんじゃないですかね?
ですから、もし子供のできない人々が子宝の授かることを願ってのことであれば、マリアに対する崇敬が教理化するより前に、神の聖霊の御業に対しての信仰がそれを受け止めたのではないかと考えることは可能ですね。
歴史的な経緯はいまここでは推測するしかないですが、現代の私たちが、マリアに子宝のとりなしを願うということはあってもいいですよね。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - masaki tomita
2012/11/07 (Wed) 12:24:28
話は前後しますが、入谷さんのおっしゃる「ピラトの名前は当時なりに歴史性を保証するために入れられたのではないか」というのは、なるほどなと思いました。
そうかも知れませんね。ルカがキリニウスの時代に人口調査がありまして……というのと同じで。
だからこの使徒信条に、ピラトへの憎悪が込められているとまで考えなくてもいいのかもしれませんね。
まあしかし、イエスの一生が「おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」と、これだけに省略されているのには、なんとも苦笑です。
個人的には史的イエスのほうに関心が高いので、ガクッときますよね(笑)

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - トマス
2012/11/07 (Wed) 18:28:05
大胆すぎる仮説でしたかね。
>マリア信心
使徒信条が最終的に今の言葉になったのが8世紀、原形は2世紀にさかのぼるというのが通説でしょうか。
教会会議でマリアに関する諸祝日が定められた(つまりマリア崇敬が公式に認められた)のは7世紀みたいです。でもその前に民衆の圧倒的なフォークロア的信心の高まりがあって追認したのが実情だったんだとか。文字に残るマリアへの注目は2世紀にまで遡ります。
でもって(ここからは私の想像)ルカのクリスマス物語は横へ置くとしても、ヨハネ福音書の十字架の場面の遣り取りが何故書かれたのか、を考えてみると、福音書の時代にすでに何らかのマリア信心が無視できないモノになっていたんじゃないかな、という気がします。学問的根拠はないですけど。
とすると、使徒信条とマリア信心のどちらが先行するのか、微妙かな、とか思ったりして。
現代では(各教派が何を重視するかは別として)キリスト教の基本的な教義は既に固まっていますから教義に信仰を合わせる感がありますけど、古代は信仰を理論化して教義にまとめてゆく途上の時代ですから使徒信条とマリア信心が相互作用で影響を与え合いつつ固まっていっても不思議ではない、ようにも思えますし。
まぁ歴史的なことはさておくとしても、現代の我々が使徒信条を唱える時、現代的解釈として「おとめマリアより生まれ」に子宝の願いを託したっていいよねぇ。そうだよねぇ。あるいはそんな夫婦のためを思って唱える、のも有りですよねぇ。きっと願いをかなえてくださる、という信仰の表白だものねぇ。
>歴史性の保証
言われてみると可能性高そうですね。そうすると確かにピラトへの憎悪ではないのかも。

Re: カナダ合同教会 - トマス URL
2012/11/10 (Sat) 22:34:03
先日の書き忘れ。マリア信心に限らず、信心一般の傾向としてですが、不妊夫婦の祈りとして話が一度動きだした後は、マリアが物理的に処女であるかどうかはあまり問われなかったような気がします。
他の箇所も同様で、背景にある祈りや信心を考えながら読むことで、現代人には一見信じがたい言葉の羅列が、私たちにも身近な信仰になるんじゃないかな。と思います。信じられない、で立ち止まってしまうのは惜しいと思いますよ。
さて、わたしが「おとめマリア」に話を振ってしまったからか、書き込みが止まっちゃったようですので、カナダ合同教会の新しい信条に戻りましょうか。
使徒信条が父なる神と子なるキリストに比べて聖霊について語っていない、というのはよく聞くことですが、カナダ合同教会の信条では、前半部分で父と子と聖霊が、バランス良くまとめられていますよね。
「和解」は20世紀後半以降のキリスト教会のキーコンセプトなのでしょうか。先月の「赦す」とリンクした言葉なのでしょうけど、和解も並みの人間には難しいことですね。
そして後半では、教会についても分かりやすい言葉でシンプルかつコンパクトにまとめられているように思います。現代人の置かれた状況に即して、よく分かる言葉で、というのはなかなかに難しいことだと思うので、随分と苦労してまとめられた信条なのでしょうねぇ。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - 入谷
2012/11/11 (Sun) 09:13:08
聖霊とは何でしょう。
WWW を漁っても、腑に落ちる説明はみつかりません。
父と子が家父長制社会のそれになぞらえて、実体として表象されるのに引きずられて聖霊 (本来、息か風ですよね) も実体として考えようとするから分からなくなるのでしょうか。
聖霊とは、家父長制を成立せしめる場・社会の寓意 ?

Re: 聖霊 - トマス
2012/11/12 (Mon) 18:48:17
入谷さんの疑問に答えてることになるかどうか分からないのですが…
歴史的なことを言い始めるととても大変なことになるので、現代の私たちが父と子と聖霊という三位一体の神について考える時に限定するならば、それは信仰と希望と愛に対応し、また過去と現在と未来に対応するのかな、と思います。
つまり
父なる神への信仰(天地の創造者である神、天地創造という過去)
子なるキリストに託す希望(現在の私)
愛を実践させる聖霊の働き(今は実践できてなくても…)
こうやって関連させるとおぼろげながらもイメージが掴めるように思うのですが、どうでしょう?
天地創造に対応させるなら未来は、終末、再臨、最後の審判に持って行かなきゃいけないかな。
何にしても、厳密な対応じゃないけど、三題噺が三つでウマク合うように自分では思っています。少なくとも、小難しい解説よりも私の中では腑に落ちています。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - トマス
2012/11/16 (Fri) 21:06:02
動きがないのでネタを投下(足止め喰らわしているのは私?)。
使徒信条の「罪の赦しを信じます」と、主の祈りの「私たちの罪を赦してください」と、初代教会という歴史的背景を考えるとリアルにリンクするのでしょうねぇ。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - トマス
2012/11/17 (Sat) 23:02:04
引き続きネタを投下。
>聖なる公同の教会
ってどうもよく分からない言葉ですよねぇ。使徒信条で慣れているし、教会の名前にも時々使うし、字面からもなんとなく意味が分かるような気もしますけど、「公同」って教会以外で聞いたこと有ります?
ちなみに、使徒信条のカトリック訳では「聖なる普遍の教会」。
なるほどね。そう言われるとよく分かる。
それだけに、じゃぁ公同って何よ?なんだな。

Re: Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - エリサベト
2012/11/20 (Tue) 04:23:53
トマス先生
意味的には、普遍のという意味と習いましたが、しかし、日常絶対使わないですよね。<公同
なんか教会用語はそれこそ、普遍性がない、独自の用語が多くて、分かりにくい気がします。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - リリィ
2012/11/20 (Tue) 11:39:13
話がそれますが、お許しください。
今日で、教会に通い始めて丸1年がたちます。
1年前は想像もできなかった「洗礼」という言葉が心の中で大きくなってきました。
牧師先生が開いて下さる講座で、「使徒信条」もそろそろお伝えしなくては、といったお話が出ているのですが、まだ具体的にその中身について理解して語るところまでは全く至っていません。
が、この1年でたくさんの学びがあり、何かを信じる信じないというところではなく、
赦されて生きていくというところに、自分にとっての大きな意味を見出しつつあるという感じです。
1年を機に、なんとなく書いてみました。みんたたになってなくて、すみません。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - トマス
2012/11/20 (Tue) 22:54:09
>赦されて生きていくというところに、自分にとっての大きな意味を見出しつつある
それはとても大切なことだと思います。「信じる」というのとは言葉が違いますけど、キリスト教のとても深いところにすでに触れておられるのだと思いますよ。
>教会用語
日本語というのはだいたいが大事なことは難しい言葉で訳そうとする傾向がありますけど、キリスト教(なかでもプロテスタント)はその傾向が普通以上に強いですね。正確に訳そうとする努力は大事なのですが、正確すぎて難しくなって意味がよく分からなくなってしまっては元も子もないような気がします。そんな傾向があるから、ケセン語訳聖書や『ガリラヤのイェシュー』に多くの人が心を引きつけられるのでしょうねぇ。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - リリィ
2012/11/23 (Fri) 23:28:52
トマスさん、ありがとうございます。
そんなふうに言っていただくとなんだか気持が強くなります。
「下世話なQ&A」の、「あんな人でもクリスチャンなんですか?」への富田さんのお答えの中に、
 『キリスト教というのは「赦し(ゆるし)」の宗教でもあります。赦されて生きるとは、こんな人間でも生きていていいんだ、と確認する宗教だということです。
自分の至らなさ、弱さ、小ささ、罪深さ、それへの「赦し」なくしては生きてはゆけない、そう思っている人の信仰がキリスト教です。』
といった記述があり、私はこの一文にとても影響を受けました。
 囲いの外の羊が、そっと中に足を踏み入れる日がきっと来ると今思っています。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - エリサベト
2012/11/24 (Sat) 21:12:17
話これもずれますが、一応クリスチャンな夫に、自分は使徒信条なんかもう唱えない、と宣言されてしまいました。もちろん強化なんか行かないとの由。
使徒信条の何が嫌なのかも言ってくれません。
たぶん、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、ここあたりに引っかかっちゃったのだと思います…。
私も教会や信徒同士の交わりは、あっても無くてもいいものだという立場に立ってしまっている人です(でも無い方がいいとか無くなれとも思いませんよ)。
教会が神様を独占し、まあいわゆる教会の外に救い無し、という態度を取り、自分で聖なるとか聖徒のとか言ってしまうところが、プンプン臭うのでしょうか、鼻の利く人には。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - masaki tomita
2012/11/28 (Wed) 11:18:15
特段花が利かなくても、「教会の外に救いなし」という態度はありありと感じられますよ。
特に、最近勢力を伸ばしている福音派の教会にその傾向が強く、「キリスト教だけが正しい」という信者と、キリスト教のことをよく知らない一般人との感覚のズレが、今後いっそうひどくなるのではないかと思っています。
最近読んだ「いのちのことば」という小冊子の10月号でも、特集が「日本人が信じる神、宗教観とは」というテーマだったので、興味津々で読んだのですが、結局「日本人がこういう宗教観を持っているのは、唯一の創造神を知らないからだ」という話になっていて、非常にがっかりしました。
基本的にクリスチャンというのは、日本人の多数派の宗教観に対して、どこか優越感というか、上から目線なところがあるのですね。
そんなんではだめだと思います。日本人の宗教観をもっと敬意をもって理解してゆこうという態度が、日本人向きのキリスト教を開拓するためには絶対に必要だと思います。
そのようなことを考える人間は、クリスチャンの中でも少数派だと思いますけれどね。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - ノンクリ
2012/11/28 (Wed) 20:52:51
>結局「日本人がこういう宗教観を持っているのは、唯一の創造神を知らないからだ」という話になっていて、非常にがっかりしました
 私もよく読みますけど、まあ、その出版社なら当然の結論・・って感じで「ふーん」としか思いませんでした。
 以前はその手の話を聞くとがっかりしたり、そりゃ違うだろ、とか考えたりしましたけど、最近は、まあ、いいか、それで当人たちが幸せで、生き甲斐がそれで得られて、第三者に迷惑がかかっているのでなければ、まあいいか・・と思ってます。
 ただ、前にも話題にしましたけれども、「日本のクリスチャンはいつも迫害され、差別され・・・」みたいな妙な被害者妄想的な方向にいくと、「ああ、頼むから勘弁してくださいよ・・」って思ってしまいますが。

Re: 11月のみんたたテーマ:使徒信条 - トマス
2012/11/28 (Wed) 22:07:25
>日本人の宗教観をもっと敬意をもって理解してゆこうという態度
カトリックの場合は第2バチカン公会議で、宣教地の文化に敬意を持って接することだとか、他宗教の中にも真理契機があることなどを公式見解にしていますからねぇ。最近はそれらの見解も随分と骨抜きになったという話も聞きますけど、それでもプロテスタント諸派よりは一歩進んでいますよね。
500年前とは逆に、カトリックの方が大胆に変わってゆくだけのエネルギーと芯の強さがあるように感じます。プロテスタントはその点猪突猛進型というのかな、柔軟性に弱点があるように思います。
>「キリスト教だけが正しい」
たぶん、そう思う方が楽なんでしょうね。自分が常に正しい側に居られますし、何事にも答えがハッキリしていますから。





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