みんたた!

「みんたた!」:みんなでたたこう聖書とメッセージ研究のコーナー

2013年4月のテーマ: 「イエス、7人の弟子に現れる」

日本語訳聖書の版権は財団法人・日本聖書協会に帰属します。
当教会は、ホームページ上での聖書の引用に関して、
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ヨハネによる福音書21章1-14節「イエス、7人の弟子に現れる」


2013年4月のみんたたテーマは、ヨハネによる福音書第21章1−14節「イエス、7人の弟子に現れる」です。
長谷川さんのリクエストによります。

イースターの季節にふさわしい聖書箇所だと思います。
以下に新共同訳の日本語テクストを提示しますので、みなさん、どうぞご自由にご意見を書き込んで下さい。



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▼ヨハネによる福音書16章1−14節


1 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。

2 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。

3 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。

4 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
5 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。

6 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。

7 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。

8 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。

9 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。

10 イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。

11 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。

12 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。

13 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。

14 イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

****************************


以上です。
みなさん、質問でも、感想でもけっこうです。気軽に書き込んで下さいね!


あのう単純な質問なんですが? - 長谷川
2013/04/02 (Tue) 13:22:08

イエス様はなぜヨハネを一番に愛しておられたのでしょうか?やはり年齢的なものでしょうか?

Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - masaki tomita
2013/04/05 (Fri) 18:49:29

どうなんでしょうね……

「愛しておられた弟子」というのが、確かヨハネによる福音書にしか出てきていないのではないでしょうか。
著者あるいは著者を含むグループが(ヨハネ教団/ヨハネ学派と呼ぶ人もいますが)、自分たちのグループの権威づけのために「ヨハネがいちばんイエスに愛されていたのだ」と主張した結果かもしれませんよ。

あるいは、これはヨハネのことではなく、イエスの妻:マグダラのマリアのことを指しているという考え方もあるようです。


真っ先に湖に飛び込むところが - 長谷川
2013/04/05 (Fri) 19:15:09

シモン・ペトロらしいなと思いました。やはり弟子の中でペトロが一番イエス様のことを愛していたことを証明するようなシーンですね。

Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - トマス
2013/04/09 (Tue) 19:33:33

こうしてみると、やはりペトロは慌て者ですねぇ。自分だけ先に泳いで行ってどうするつもりだったんだか。というか、先に岸に上がって何をしていたんだか。他の弟子たちのぼやく声が聞こえるようです。「あのやろう。自分だけ先に行きやがって。この網どうする気だよ。漁に行くって言い出したのはペトロだぜ。俺たちだって早く岸に戻りたいのに。明日はあいつに全部漕がす。…」



Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - tomita@iChurch.me
2013/04/10 (Wed) 11:10:54

ぼくもこのペトロの飛び込むシーンが好きです。
ペトロはイエスを裏切ったけど、でもやっぱりイエスのことが好きだったんだなあ、と。
好きであるが故に、裏切った自分が赦せないような、つらい気持ちを読み込んでしまいますね。

なぜ明け方にあらわれたのか - 長谷川
2013/04/10 (Wed) 19:59:48

なぜ明け方に野宿していたのでしょうか?ただ単に弟子たちに魚とパンを与えるためだったのでしょうか?不思議な感じがします、

Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - トマス
2013/04/10 (Wed) 22:54:50

この物語もかなりの脚色があるでしょうから、時刻が明け方云々というのは単に漁の帰りの時刻という程度でしょうね。

この物語の元になった伝承のさらに元になった出来事は何だったのか、が気になります。ルカ福音書には公生涯のかなり早い時期(5章)に似たような大漁伝承・弟子獲得物語があるので、元来は大漁奇跡伝承であったものを、ルカは弟子獲得物語に仕立て、ヨハネは復活のイエスとの出会いの物語に仕立て上げた、というところでしょうか。


Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - 白薔薇
2013/04/11 (Thu) 02:52:48

弟子たちが復活したイエスに気づかなった、というくだりにいつも疑問を感じます。エマオへの途上で現れた時もそうですが。
それほど悲しみとあきらめが深かったということでしょうか?

Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - tomita@iChurch.me
2013/04/11 (Thu) 12:15:53

これはおそらく史実を報告しようとしているのではなく、復活のイエスとの再会の体験というものの本質を伝えようとしているだろうと思われます。

つまり、実際にガリラヤ湖のほとりにイエスが現れたり、エマオ途上をイエスが一緒に歩いたりということではないのです。
そうではなく、ガリラヤという庶民の生活空間の、魚とりというどちらかといえば地味で、当時は人から蔑まれるような職業に従事している仲間が、一緒に食事をするとき、あるいは、聖書の話を歩きながら話し、心が燃えたとき、そして共に聖餐のパンを分つ時に、そこにイエスがいる。
そういうことを物語形式で伝えようとしたものなんでしょうね。


Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - 白薔薇
2013/04/12 (Fri) 01:06:06

富田さん、ありがとうございます。
その解釈というかメッセージは、ほっとします。なんかしみじみ安心してきました。

そして、復活を「ほっとする」だなんて軽んじてるみたいでそんなこと思ってはいけないんじゃないか? と恐れている自分を発見しました。
復活のことに限らず、私は「クリスチャンなんだからこう信じないといけない!」と無意識のうちに自分で自分を縛って裁いているようです。
それはイコール、自分とは異なる信じ方を受け入れられない、他人を縛って裁くことへとつながってるんだと思います。

頭も大事だけど心で感じることも大切にしたいです。
私が信じるイエスは優しいのです。

ガリラヤ湖にあらわれたのが本当であると - 長谷川
2013/04/12 (Fri) 01:06:36

僕は、信じたいです。もしこれが脚色されているものだとすると、ヨハネ福音書のクライマックス、イエス様がペトロに「わたしを愛しているか」と三度聞いたのも脚色ぽく感じてしまうしそれはさみしいことです。

Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - tomita@iChurch.me
2013/04/12 (Fri) 08:32:24

イエスがペトロに3度「私を愛しているか」と訊いた場面も、事実ではありませんが、深い意味があり、ペトロが自分の胸をかきむしって悔いたであろうことがよく伝わって来るのです。
が、ちょっと今日はこれからバタバタ忙しいので、またの機会に書きたいと思います。すいません。

Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - トマス
2013/04/12 (Fri) 12:23:16

脚色されているということと、まるっきりの作り話だということは別物ですからね。何某の元になる出来事はあったと思いますよ。それにイエスなら譬え話が許されて、福音書記者なら脚色が許されない、ということもないでしょうし。


事件のあと、弟子たちがガリラヤに帰った、ツテを頼って(?)また漁師をしていた、復活のイエスに出会った、というところまでは実際にあった出来事でしょう。どのように出会ったか、という状況は様々な可能性がありますでしょうけど。


Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - トマス
2013/04/19 (Fri) 20:03:51

動きがないので2ネタ投下。

>ディディモ

双子という意味でしたね。誰と双子なんだか。相方は福音書に出てきているのやらいないのやら。興味は尽きません。


>イエスの愛しておられたあの弟子

伝統的にはこれが12弟子の一人のヨハネのことであって、そのヨハネがヨハネ福音書を書いた、と言われてきたわけですけど、近代以降の聖書学は、12弟子のヨハネがヨハネ福音書を書いたとは考えられないと結論づけましたよね。
そうすると、ヨハネ福音書の著者(グループ)と使徒ヨハネの関係や如何に、なんてことにもなるわけで、下世話な関心は尽きません。

でもって、イエスの愛した弟子というのがヨハネかどうかということもあらためて問題になってくるわけで、マグダラのマリア説なんてのは意表を突いた、しかし重要な読み込みを含めた説なんでしょうねぇ。ただ、この箇所の場合は…、彼女を漁に連れ出したかどうか。もっとも「ほかの二人の弟子」と書いて名前を隠しているところがアヤシイといえばアヤシイですけど。

とは言え、史実ではないと言っちゃえば、何でも書ける(何とでも読める)ワケではありますが…。



Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - トマス
2013/04/23 (Tue) 20:21:19

>弟子たちが復活したイエスに気づかなった、というくだり

弟子たちが気付かなかった。あるいは復活をすぐには信じられなかった(イエスの預言があったにも関わらず?)。というのは、一面で困ったヤツらだなと思わさせられますが、裏を返せば、現代を生きる我々も気付かないウチにイエスに出会っているのかもしれない。とか、弟子たちにとってすら俄には信じられないことだったのだから科学的合理的思考にドップリ漬かった現代人が受け容れにくいのも仕方ないのかな。とか、必ずしも十全な信徒とは言えない「私」を慰めて励ましてくれる話しであるようにも思えますね。



Re: 4月のみんたた「イエス、7人の弟子に現れる」 - 白薔薇
2013/04/26 (Fri) 22:56:54

>ディディモ
実際に双子だったのかもしれないし、誰かと似ている、誰かのそっくりさんだったのかもしれないですよね。
私は「私のそっくりさんだなあ」と思って読んでいますが。
「この目で見てこの手で触れないと信じない」なんていかにも私が言いそうなセリフですもの。





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