sayaka chapel

爽歌*sayaka-伝道者を志す動機について

2010年10月某日

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 2005年の待降節に受洗を決意し、それから約3ヶ月かけて新旧約聖書を通読しました。
 聖書と向き合わなかったと言わざるを得ない求道生活を送っていましたので、ここで一度通読しなければ教会員としての責務である伝道の使命を果たせないと考えていたからです。
 通読してみて、律法から読み取れるユダヤ人の知恵に感銘を覚える一方、原典にあたらなければ理解した気になってはならないと思わされました。また、ばらつきのあるように見える記述も神が人に「考えろ」と託されているように感じられました。いつか聖書を原典で読みたいという思いが与えられました。

 私が聖書にこだわるのは、私自身聖書につまづき続けたからです。目に入るたび、身を切られるような思いがする記事も少なくなく、平和の預言と虐殺命令が並列するように見える旧約聖書、「柔和で謙遜な者」と自称しながらおよそ柔和でも謙遜でもない言動をとるイエス、教会が宣べ伝える愛と平和に矛盾する記事をどのように読むべきか悩みました。
 今でこそ、納得できる解釈が与えられているものの、現実の教会と聖書との間に著しい乖離を感じ、現実の教会のほうが進歩していると感じ、救いから遠ざかっていました。

 現在では、聖書には人が生きる上で受け止めるべき神の御心と知恵が隠されていると確信しています。私は、聖書につまづくあらゆる人に聖書に託された素晴らしい宝を伝える教師(エフェソ4:11)になりたいと願います。
 そして、神と同じ感性を持つこの世で小さくされた人々から学び、仕え、その願いに心から寄り添い、この世をできるだけ神の国に近づけ、少しでも天の国の先取りを感じられるようにすべく、教会に仕えたいと願います。

 

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