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長血をわずらっている女性の物語(マルコ5章25~34節)について

2012年10月23日(金)

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■新共同訳:新約聖書
▼マルコ5章25~34節

 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしてもなんの役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れれば癒していただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止って病気がいやされたことを身体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのは誰か」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『誰がわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起ったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

▼マタイ9賞20~26節
 すると、そこへ12年間も患って出血が続いている女が近寄ってきて、イエスの服の房に触れた。「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき彼女は治った。

▼ルカ8章43~48節
 ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、誰もからも治してもらえない女がいた。この女が近寄ってきて、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。イエスは「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているので。」と言った。しかし、イエスは「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
 
■新共同訳:へブル語聖書 出血の穢れに関する規定
▼レビ記12章1~5節

 主はモーセに仰せになった。
 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
 妊娠して男子を出産したとき、産婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。八日目にはその子の包皮に割礼を施す。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なるものに触れたり、聖所にもうでたりしてはならない。
 女児を出産したとき、産婦は月経委による汚れの場合に準じて、十四日間汚れている。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な六十六日の間、家に留まる。

▼レビ記15章19~25節
 女性の生理が始まったならば、7日間は月経期間であり、この期間に彼女に触れた人はすべて夕方まで汚れている。整理期間中の女性が使った寝床や腰掛けはすべて汚れる。彼女の寝床に触れた人はすべて、衣服を水洗いし、身を洗う。その人は夕方まで汚れている。もし、男が女と寝て月経の汚れを受けたならば、七日間汚れる。またその男が使った寝床はすべて汚れる。
 もし、生理期間中でないときに、何日も出血があるか、あるいはその期間を過ぎても出血がやまないならば、その期間中は汚れており、生理期間中と同じように汚れる。この期間中に彼女が使った寝床は、生理期間中試用した寝床と同様に汚れる。また、彼女が使った腰掛けも月経による汚れと同様汚れる。また、これらの物に触れた人はすべて汚れる。その人は衣服を水洗いし、身を洗う。その人は夕方まで汚れている。


【1】レビ記の規定から読み取れること

  (1)生理、出産という健康体に生ずる生物学的機能であるにもかかわらず出血に関しては、女性が特別に規制を受けている。
  (2)女性の不浄性は、より厳しい扱いを受ける。
  (3)女性は、男性に伝染し、汚すが、その反対はない。
  (4)女性は、彼女全体が不浄と断定される場合があるが、男性は、彼の精が汚れていると言われる以外、人格的全体が汚れる場合はない。
  (5)活動の範囲が男性に比べて女性の方が遙かに限定されている。

 レビ記の規定を鑑みると、女性が「汚れた者」として社会的・宗教的に抑圧されていたかが推測される。また、「群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。」(マルコ5:27)という行為は、群衆とイエスを「汚」した「反社会的行為」と 非難される可能性が高い。ゆえに彼女は「女は自分の身に起ったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてありのまま話した。」(マルコ5:33)のであったと言えよう。

【2】彼女をそこまで突き動かしたもの-12年の長血からのいやしと救いを求めて

 彼女を「まわりを汚す反社会的な行為」にかり出すような「のっぴきなさ」は一体なんだったのだろうか?
 長血を患っている女性の苦悩は三通りの仕方で表現される。
 長血―女性の身体を不健康にし精神を陰鬱にするもっともみじめな病のひとつ―をわずらっている。
 彼女の病気は今に始まったわけではなく、12年という長期に渡っている。女子は12年で結婚適齢期に入る。
 
「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしてもなんの役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。」(マルコ5:26)彼女の病がどれだけ深刻で、彼女がどれだけ真剣に癒されたいと願っているかが見て取れる表現。
 彼女の異常ともいえる回復への執着・・・宗教的、社会的抑圧(律法の理由付けによる深刻な抑圧)からの解放。彼女の全体性の回復。社会的に認められる「浄さ」の求め。

【3】「あなたの信仰があなたを救った」―イエスの女性に対する賞賛

 女性の「反社会的」な「浄・不浄」の境界線破り(女性がイエスに触れて血液の汚れを感染させたこと)に対して、女性も弟子たちも、おそらく群衆も、イエスが彼女を責めるだろうと思った。しかし、イエスは彼女を責めるどころか、賞賛している。彼女と彼女の信仰を受け入れたことによって、イエスもまた浄い人々と不浄な人々とを隔てている祭儀的境界線を踏み越えたことを意味する。イエスは、浄不浄の規定を直接的に攻撃することをしないが、それを全く無視することによって否定した。イエスが境界線を踏み越える機会と舞台を設定したのは彼女であり、彼女の振るまいに呼応するようにイエスが「境界線破り」となったことを強調しておかなければならない。まず、名もなき長血の女性が境界に挑戦したのである。


 

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