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相手を人間だと思う想像力

2014年4月21日 2013年度 某神学校実践神学特講学期末レポート

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ローマの信徒への手紙12章9・10節
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善からから離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」


 ここ最近、日本と東アジア諸国-主に中国、韓国、北朝鮮との緊張関係が強まってきていると言われています。私が大学生だった頃、今から10年くらい前くらいですけれど、その頃から「嫌韓」という言葉が出て来たりして、中国人や韓国人に対する差別感情を隠すことすらしないようになってきたように感じます。「自虐史観」なんてことが言い出され、「この国で教えられている歴史は自虐的すぎてこれでは誇りが持てない」などと言われています。戦争が終わって70年もたっておらず、実際にあの戦争で被害にあった方の中にはまだご存命の方がいらっしゃるわけで、そのような方からすれば、このような発言自体が許し難く、また傷に塩を塗られるような、また侮辱されたと感じるものでしょう。
 つい最近では、東京の中でも「ヘイトスピーチ」なる差別感情丸出しのデモが起こったり、また1年ほど前にも東京都のある朝鮮学校に対して、前年まで毎年生徒に貸し出していた「防犯ベル」を教育委員会が独断で次年度から貸し出さないという決定をするという差別的な対応をしました。インターネット上でも何か事件があるたび「朝鮮人じゃないのか?」などという発言が頻発します。聞くにも耐えない差別用語が並んだりということも珍しくありません。私の身の回りでも他人事ではなくて、私の友達とふとした雑談の中でそのようなことにふれることがあったのですけれど、そのとき「何で在日の人は文句をいいながら日本にいるの?帰ればいいじゃん。」と言われました。正直、唖然としました。歴史認識も今そこに住まざるを得ない人に対する思いやりもない発言に憤慨したいところでしたがうまく怒ることもできず自分自身にもまた情けない思いがしました。
 このような日本人の配慮のない思考や行動が、お隣の中国、韓国の人たちの反日感情をあおってしまい、憎しみが憎しみを呼ぶ自体になっています。どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。
 それは、勉強が足りないとか歴史認識がゆがめられているとかそれ以前に、「他の人のことを人間だと思う」という根本的な「想像力」が足りないからではないでしょうか。

 パウロはローマの信徒への手紙の中で、神を信じる者がとるべき愛の行動についての模範を述べています。12章の9節から20節までです。「愛に偽りがあってはなりません。」から始まり、「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」という言葉に終わるこの中には、具体的な愛の実践が、「愛とはこのようなものである」ということが述べられています。それは、キリスト教では神の子であり、本当の人で本当の神であると信じられているイエス・キリストがかつて人々に「神と人を愛せ」と教えたということを、パウロなりの仕方でこたえたものだと思います。
 この中で、私は「尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(12:10)という言葉に着目します。このことに尽きるのではないかと思うのです。「相手を優れた者だと思うこと」、それをもっと噛み砕いていうならば、「相手も生身の人間であるという想像力を持つこと」であると思うのです。繰り返しますけれど、先に述べたことは、「相手を優れた者であると思えないこと」「相手を生身の、生きている人間だと思えないこと」が根本にあるから起こることであると思うのです。
 
 「相手を優れた者であると思う」ようになるにはどうすればよいか、という問いがその次に生まれてきます。簡単に言うようで、やはり難しいことだと思います。私は、「出会う」ということがキーワードになると考えます。実際に生身の人間同士で「出会う」こと、相手がどのように考えているか知る機会を持つこと、自分の考えはとりあえず脇において、真剣に相手の話を聴くこと、だと考えます。
 なかなかそのような機会は与えられないかもしれません。ただ、そのような機会が与えられたら、真剣にそのことにむきあってほしいと願います。

 考えて見たら、国籍とか出自とか思想とか、それらのものはその人を構成する一部分でしかありません。それがすべてではないのです。「その人をその人として見る」ことができたら、憎しみをやみくもにぶつけ合うのではなく、愛し合うことができるように思うのです。
 私も「他者を人間だと思う想像力」を持ちたいと心から願います。それが平和への第一歩だと信じるからです。


 (これは、某神学校「実践神学特講」の期末課題として作成したものです。「日本・中国・韓国・北朝鮮など東アジア知己の諸国間の国際緊張が強まっているといわれます。この時代状況のなかでキリスト教宣教の中心となるメッセージはどのようなことでしょうか。あなたが大切だと考える宣教のメッセージを中学生あるいは高校生を聞き手として想定して完結に述べなさい。」という課題でした。)


 


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