sayaka chapel
すべてを完全に結ぶ帯

2011年11月13日(日) 
 某教会・こどもの教会 主日礼拝説教

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聖書:コロサイ人への手紙 3章14~15節(口語訳:新約p.317)

 これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。
 キリストの平和が、あなたがたの心を完全に支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためである。
 
聖書:コロサイの信徒への手紙 3章14~15節(新共同訳:新約p.317)

 これらすべてに加えて、、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。


 今日読んだ聖書の中に「愛はすべてを完全に結ぶ帯」であるとあります。
 愛ってなんでしょう?愛はその人を大切にすることです。あなたがいてくれてうれしい、あなたが生まれてきてくれてありがとう、出会ってくれてありがとう・・・そんな気持ちを伝えることです。

 今日は私のお友達のことをお話ししたいと思います。
 そのお友達は、とってもお歌の上手な人で、教会やいろんなところできれいな声でうたってたくさんの人に喜んでもらっている、そんな人でした。
 ある日突然、そのお友達は耳の聞こえなくなる病気になってしまいました。病気がちょっとよくなって耳が聞こえるようになっても、音がおかしく聞こえてきて、お歌が歌えなくなってしまいました。私は神さまに「どうかそのお友達の耳を治してください。またきれいな声で歌えるようにしてください。」と何回も何回もお祈りしました。

 ある時、そのお友達と大げんかをしてしまいました。そして、その人と絶交してもう会えなくなってしまいました。
 それでも私は、もうそのお友達には会えないとわかっていたけれど、その人のためにお祈りしました。「神さまどうかお友達と仲直りさせてください。」とは祈りませんでした。やっぱり、「神さま、お友達のお耳を治してください。またお歌を歌えるようにしてください。私がそのお友達に会えなくてもいいから、治ったかどうかわからなくてもいいから、治してあげてください。」そのお友達のことを思い出すのもつらかったけど、思い出すたびお祈りしました。

 それから何ヶ月もたって、そのお友達からEメールが届きました。その人のお歌の先生が死んでしまったので、それを教えてくれるメールでした。それから何日かたってまた、「会いませんか?」とメールがきました。もう会えないと思うくらいの大げんかでしたから会うのがとってもこわかったです。
 でも実際あって見ると、けんかしていたなんて思えないくらい楽しくお話しすることができました。病気はだいぶ良くなって、そのお友達はまたお歌が歌えるようになっていました。神さまが私の知らないところで祈りをきいてくださったと思いました。

 もしかしたらそのお友達も私のために祈ってくれていたのかもしれません。知らない所でお祈りすることで神さまが「愛という帯」でそのお友達と私を「ぐるぐる巻き」にしてくださったのだろうと信じています。
 大切にするといっても、いろんなやり方があるみたいです。どうか、いろんなところで、いろんな方法で、神さまと人を大切に出来る人になってください。



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