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十字架ってなあに?

2013年2月17日(日) 
某教会子ども会礼拝説教


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聖書……使徒言行録2章22-24節(新共同訳)

 イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行なわれた奇跡と、不思議な業と、しるしによってそのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っている通りです。
 このイエスを神はお定めになったご計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。
 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

聖書……使徒言行録2章22-24節(私訳)

 イスラエルの男たちよ、この言葉を聞きなさい。あなたがたに対して神から選ばれた男、ナザレのイエスを、彼(イエス)を通して神がなした力と奇跡としるしにおいてちょうどあなた方自身が知っているように、神のあらかじめ決められた予定と計画において引き渡された彼(イエス)を律法を持たない者の手を通してあなたがたが十字架につけて殺しました。そのイエスを神は死の苦しみを解いて起こしました。なぜなら、彼(イエス)が彼(死)によってつかまれることがありえなかったからです。

 

  Rさんから「今日は受難節に入った最初の日曜日だから十字架の話をして欲しい」とお願いされました。牧師先生のお話とも違うし、子ども会の他のスタッフが言うこととも違うし、みなさんのお父さんやお母さんが教えてくれる十字架のお話とも違うかもしれません。爽歌*sayakaさんの信じている「十字架」のお話をします。
 十字架のことを知るためにはイエスさまのご生涯を知らなければならないし、復活のことも言わなければなりません。
 イエスさまはお父さんが誰かわからない子として生まれました。
 みなさんはクリスマスのお話は知っているでしょう?今の時代の人たちは聖書があるから「イエスさまは聖霊によって生まれた」とみんな知っているけれど、マリアさんやヨセフさんのまわりの人はみんなそんなこと信じられませんでした。そして、ヨセフさんの子どもでもないことはみんなわかっていました。イエスさまは「お父さんが誰かわからない子ども」だと言われてたくさんいじめられたんじゃないかなと思います。

 イエスさまはヨセフさんといっしょに大工さんの仕事をしていました。でも、30歳くらいになってからある時おうちを飛び出して、自分と同じように世の中でいじめられている人たちのために働くようになりました。お弟子さんたちをあつめて、病気の人を治したり、世の中で「罪人」と悪口を言われて嫌われている人たちと食事をしたりしていました。病気になった人は「それは天罰だ」とか「あなたが悪いことをしたからそんな病気になったんだ」と悪口を言われていました。イエスさまはそういう人に「そうじゃないんだよ」と言って神さまの力で病気を治していきました。「罪人」だと嫌われている人たちとご飯を一緒に食べることで「そうやって悪口言われている人たちが本当に神さまのことを知っているんですよ」と伝えました。そうやって「天国とはこういうところですよ」と神さまのことを宣べ伝えていました。

 そういうことをしているとさらにイエスさまに悪口を言って嫌う人たちがでてきました。「律法学者」や「祭司長」なんていう人たちです。その人たちは自分たちがいちばん神さまのことを知っていて、自分たちが言っているように律法を守ることが神さまがいちばん喜ぶことだと教えていました。ある面でそれは正しいけれど、「罪人」だと悪口を言われている人は貧乏だったりいろんなことが理由で「律法」が守れない人たちでした。

 また、そのときユダヤの国はローマの国の植民地でした。イエスさまは「本当の神さまは天の神さまだ」「私たちの本当のお父さんは神さまで私たちも神さまの子どもなんだよ」と宣べ伝えていました。ローマの国では皇帝が「神さま」とか「お父さん」「救い主」と呼ばれていました。「本当の神さまはローマの皇帝じゃなくて天の神さまですよ」と言っていたらローマの国の偉い人にも嫌われてしまいます。イエスさまたちだけでなくユダヤの国もローマに滅ぼされてしまうかもしれないと思った律法学者たちは、イエスさまを捕まえてローマの総督という偉い人に引き渡して殺すことにしました。ローマの国は、イエスさまを十字架にかけて殺しました。十字架というのはローマの国に逆らった罪でかけられる痛くて苦しくて恐ろしい罰です。

 神さまにはイエスさまを助ける力はありませんでした。でも、神さまは「イエスさまは間違ってないよ」「イエスさまが言っていたことは神さまの願いだよ」ということを示すために、そして「死んでもおわりではないよ」ということを伝えるためにイエスさまを死から復活させました。聖書には復活のことを「死から起こされた」と書いています。それがどんなことかよくわかりません。よくわからないけれど聖書にはたくさんのイエスさまの復活のお話が残されています。きっとお弟子さんたちは復活したイエスさまに出会ったのでしょう。

 私は十字架が神さまの業だとは思いません。神さまがやったことだとは思いません。あくまで人間が「イエスさまみたいな人が気にくわない」「嫌いだから殺してしまえ」と弱いものいじめのためにやったことだと思います。もし、十字架が神さまのやったことだというのなら神さまは「弱いものいじめ」を認める神さまだということになります。神さまは本当にそんな方なのか?と思います。

 イエスさまの十字架と復活は「神さまの目に正しいことをしようとしたら弱いものいじめにあうかもしれないけれど、もし失敗してもそれで終りではないよ」ということを教えてくれているものだと思います。


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