sayaka chapel

楽しいけど、このままでいいわけがない

2013年7月14日(日) 
某教会 主日礼拝 子ども説教


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聖書……イザヤ書58章6-7節(新共同訳)

 わたしの選ぶ断食とはこれではないか
 悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて
 虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え
 さまよう貧しい人を家に招き入れ、
 裸の人に会えば衣を着せかけ
 同胞に助けを惜しまないこと。


 

 今日こんな格好をしているのには理由があります。変だよね。青い雨合羽の上下に帽子に、長靴。雨でもないし、今日も暑いのに。汗かいてますよ。お話が終わったら脱ごうと思います。今日こんな格好をしているのは、毎週、金曜日に横浜の寿というところでやっている「炊き出し」のボランティアにいっていて、その話をしようと思うからです。教会では、Tさんとか、Kさんとか、Mさんとか、そのボランティアにきてくださっています。お山の神学校には、一年間、学校のある期間は毎週金曜日、寿にいって、「炊き出しボランティア」に参加するという科目があります。それに行かないと卒業して牧師さんになれません。そんな神学校はたぶん他にないから良い学校だよねと思います。本当だよ。
 こんな格好でその寿に行ってます。雨合羽でいっているのは、雨の日も炊き出しがあるからです。
 寿で炊き出しをやっている公園は横浜の「石川町」って駅から歩いて10分くらいのところにあります。そこに朝の8時までにいかなきゃなんないから、6時20分にお山のふもとのバス停から出るバスに乗らないと間に合いません。私ともう一人、同級生の男の子がいるんだけど、5時50分に学校の中のおうち、寮っていうんだけど、その寮の玄関で待ち合わせて、いっしょにいっています。
炊き出しは、雑炊っていうお米やお野菜を一緒に煮こんだものをつくって配るんだけど、そのためにじゃがいもとか野菜を洗ったり切ったりします。初めて寿にいった日にね、じゃがいもの皮むきをしました。あまりにたくさんのじゃがいものかわむきをしたもんだから、じゃがいもから出る汁で、おそでがびっしゃびしゃになってびっくりしました。
 寿の炊き出しにはいろんな人がボランティアにきます。寿に住んでいる人たちも一緒にお仕事をします。いろんな教会の人が来ます。牧師さんや韓国からの宣教師さんも来ています。カトリックの教会に行っているお姉さんとも友達になりました。教会の人だけじゃなくて、お坊さんも来ています。ヒンズー教の人もバナナをもってきていっしょに配ってくれています。もちろんキリスト教でも他の宗教にもいないよという人もきます。ミッションスクールの中学生や大学生も来ます。いろんな人といっしょに野菜を切ったり、お仕事をしたりお話をするのは楽しいです。4月からいって、いろんな人に覚えてもらって、もう一人が休んだときなんかに「おう、もう一人どうした?」なんて聞かれて、きっと爽歌さんも休んだら、もう一人が同じこと言われてるんだとおもうけど、そうやって気にしてもらったり、逆にいつも居る人がいなかったら「どうしたんだろう?部屋で倒れてなければいいけど」って心配したりして、そんなつながりが与えられています。毎週寿に行くのが楽しみになりました。
でもね、「楽しい」けど、それでいいのかな・・・とも思うんだ。
 寿という街は、「寄せ場」っていって、日雇い労働の人たちが集まって、そこで1回だけとか、何日かだけとか、一ヶ月とか短いお仕事をもらって、仕事が終わったら、また戻ってきて・・・というところでした。でも、爽歌さんが子どもの頃に、ちょうど爽歌さんが、HちゃんやAちゃんくらいの年に「バブルがはじけて」景気というのが悪くなって、日雇い労働の人たちの仕事がなくなってしまいました。仕事がなくなって困って、ご飯が食べられなくなった人たちがいっぱいでてきたから、その「炊き出し」が始まりました。「炊き出し」をはじめたおじちゃんにきいたら、20年だって。そのおじちゃんから聞いたんだけど、「こんなのはすぐやめるつもりだった。」んだって。「景気がよくなってまた仕事が増えれば、炊き出しなんてする必要はなくなるから。」「でも20年続いちゃった。そして炊き出しに食べにくる人の数は全然減らない。」って。そんな風に言っていました。
 炊き出しは午後1時から、その作った雑炊を配り始めるんだけど、毎回200人くらいの人が来ます。びっくりするくらい長い列になって、公園の外を出て大きな通りまで続くこともあります。おかわりしたり鍋をもってきて持ち帰ったりする人もいるから多いときでどんぶりで500杯くらいの雑炊を出します。そこでもやっぱりいろんな人が並んでいます。だいたい、昔日雇い労働で働いた人で仕事がないし、おじいちゃんになっちゃったから「生活保護」っていうのをもらって近くに住んでいる人がくるんだけど、中には、この人おうちに住んでないんだろうなという若い人、爽歌さんとあんまり年の変わらない人もいます。その「炊き出し」は作った人も並んで食べるんだけど、ボランティアに来ていた中学生と一緒にならんでたときにね、並んでたおじちゃんにこんなこと言われました。「この長い列を見てどう思う?」って。言葉になりませんでした。
 本当はさ、「炊き出し」なんてやらなくて良い世の中になるのがいちばんいいんだよね。本当は、「炊き出し」をしなくて良い世の中にするためにみんなで考えて、炊き出しをしなくていい世の中にしていくことが必要なんだよね。みんなが大人になるころには、「炊き出し」なんて必要なくなる世の中になればいいなと思います。
 みんなも大きくなったら寿にボランティアに来てください。いや、やっぱり違うな。みんなが大きくなったらそんなものなくなっているようなそんな世の中をつくれるように、今、大人の人ががんばれるように、お祈りしてしてくださいね。

 お祈りします。
 イザヤ書にはこんな言葉があります。
 「わたしの選ぶ断食とはこれではないか
 悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて
 虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え
 さまよう貧しい人を家に招き入れ、
 裸の人に会えば衣を着せかけ
 同胞に助けを惜しまないこと。」(イザヤ58:6~7)

 パンを裂き与えることも必要です。それと同じくらい悪の軛を折ることも必要であると聖書は預言者を通して伝えます。命の源である神さま、どうか、あなたの正義が実現することができますように、
知恵を示し、力を与えてください。
 この祈りを、世にあって小さくされた者として生きられた、あなたの御子、イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン。


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