sayaka chapel

マーゴイとしての牧者

2013年10月13日(日) 
某教会 神学校日礼拝 説教


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聖書……マタイによる福音書2章1~12節(新共同訳)

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。


 

 おはようございます。
 某神学校3年の爽歌*sayakaと申します。本日は神学校日礼拝に招いてくださりありがとうございます。現在、私は神学校の最寄りの某教会に通わせていただいております。牧師は、かつて20年程前にこの教会の牧師でもありましたS牧師です。S牧師は、私の父と2歳しか変わからないので、私にとっては父親のようでなんというか親しさがあります。本日はS牧師にあやかって、ピンクのシャツできました。

 本日はマタイ福音書2章1節から12節が与えられました。本日は、イエスの降誕物語のひとつである東方の占星術の学者の来訪の記事から、イエス・キリストがどのような働きをされた方であったのか、ひいては私がどのような牧師となっていくことを志すのか、お話させていただきたいと思います。
 そのマタイ福音書2章1節から12節には、先ほど申し上げましたように、いわゆる東方の博士の来訪の物語があります。マタイ福音書によれば、お生まれになったイエスを最初に詣でたのは、新共同訳でいうところの東方から来た占星術の学者であったと証言されております。
 まず、「占星術の学者」ということに着目したいと思います。今、新共同訳の翻訳に従って「占星術の学者」と申し上げましたが、みなさまはどのようなイメージを持ってこの人物たちのことを思い描いておられるでしょうか。よくクリスマスのページェントでは「ひがしのはかせが」というように、またみなさんよくご存知の「まきびとひつじを」の賛美歌の歌詞に「博士は輝くその星たよりに」とあるように「博士」のイメージを持たれているかたもいるでしょう。また、絵本にはその博士たちに王冠がかぶせられていたりということもあり「外国の王様」というイメージもおありになるでしょう。また「占星術の」というところから「魔法使い」というか「魔術師」を連想されるかたもいらっしゃるでしょう。

 この「占星術の学者」とは、原典を開きますと「マーゴイ」という言葉がそれに該当します。マーゴイとは、マーゴイは、複数形ですね、単数形ですと「マギ」となるわけですけれど、イスラエルから見て東の、異邦の地で、当時としては最高の学問体系であった天文学、占星術の担い手でありました。ある注解書には「ペルシャの宗教的権威であり祭司」というような書かれ方をしております。そういう意味では新共同訳の翻訳は適切であるといえそうです。
 また、例えばイザヤ書49章7節の「王たち見て立ち上がり、君候はひれ伏す。」というようなヘブル語聖書の言葉と結びつけられてこの「マーゴイ」は「王」であると解されてきました。全地の、異邦の国の王様が、本当の「王様」であるイエス・キリストを詣で、真の王である方に、この世の王にするように「黄金、乳香、没薬」の贈り物をした。そして、ユダヤの、この地の王様であるヘロデがそれを妬んで亡き者にしようとした・・・伝統的にそう読まれてきたところがあります。マーゴイを「王」だとすると、ここには「王様」しか出てこないわけですね。マーゴイを「王」と言わなくても、「他の国の偉い人が、本当の偉い方にひれ伏した」というような読み方を私たちはこの物語に対してしているのではないでしょうか。「王なるキリスト」という信仰告白があるくらいですから、そのような読み方もまた人の心をとらえるものがあったのだろうと思います。

 しかし、私はあえて「マーゴイ」の別の働きから、イエスはどのような方であったのかに思いを向けたいと思います。
 実は説教題なのですけれど、聖書と讃美歌と説教題を決めて牧師先生にメールでお伝えした時点では、ただ単に「マーゴイとしての牧者」でした。それに対してですね、先生から「『マーゴイ』を日本語の訳をつけるとしたらどうなりますか?地域の方々にも、看板として掲示するので、訳をつけた方がよいかなと思いました。わかりやすい方がよいかな、と。」とご返信をいただきました。実は「マーゴイ」にはさまざまな役割がありますからひとつの翻訳はつけたくなかったし、あえてつけると若者言葉でいうところの「ネタバレ」というか「お話の内容がまるわかりになってしまう」のであまり気が進まなかったのですけれど、悩んだ末に「癒し人」とさせていただきました。・・・今朝看板を見てメールの意味がわかりました。ホームページで見たように、バスを降りて直進すると、あの説教題の看板に出くわすわけですね。インパクトがありました。うれしすぎて思わず携帯で写真をとってしまいました。「これはわかりやすい方がいい」と思いました。説教看板を美しい字で書いてくださりありがとうございます。・・・戻りますけれど、「癒し人」、「治療者」「治癒者」「医者」という働きをこの「マーゴイ」たちは担っていたのではないかということです。
 あまり一般的な解説ではないですし、あまり調べ物が得意ではない私が知っているのはこれからご紹介するものだけなのですけれど、本田哲郎神父が『釜が崎と福音』の中で、治療者としての「マーゴイ」を紹介しています。少し引用したいと思います。
 「『マーゴイ』とは博士でも王様でもなく、占い師です。占い師は医者とカウンセラーの役割もする、原始的な形で人の悩みを受け止める人たちです。病人がいたら、あの薬草、この薬草といろいろ試したり、病気の元とみなしていた悪霊を払ったり、病人の痛みを我が身に共有するというようなことです。すると、病人は『あ、自分だけではなくて、目の前の相手もいっしょに、この痛みをわかってくれている』と気持ちが楽になる。コンパッション、つまり共に苦しむことで癒しが行われる。これが占い師=『マーゴイ』でした。」(『釜が崎の福音』p135)

 福音書を読み返すと、イエスもまたそのような癒しを行われていたのではないかと思うのです。そう考えればイエスもまた、この点でマーゴイと同じような働きをになっていたと言えそうです。つまりこの物語はマーゴイが「まことのマーゴイ」であるイエスを詣でた、ということになるでしょう。
 イエスの癒しはどのようなものであったのかということで取りあげたいのはマルコ福音書の9章14節からの物語です。共観福音書すべてに収められて物語ですけれど、こういう物語です。
 イエスの弟子たちと律法学者が論争をしておりました。何のことで論争しているかといえば、悪霊に取りつかれて痙攣を起こしている息子をその父親がイエスの弟子のところにつれてくるわけですけれど、弟子たちはその息子を癒すことができなかった、そのことについてでした。それを見てイエスは「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」(マルコ9:19)と憤慨され、その息子をイエスのところに連れて来るように言われました。弟子にはできなかった、癒しをイエスはなさいました。のちに弟子たちは人のいないところでイエスに尋ねました。「なぜわたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか。」それに対してイエスは「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われました。
 癒しと祈り、ということがここでは問題にされるわけです。今年の神学校の修養会という一泊二日の学生、教師は全員参加が原則の行事がありまして、今年度は、聖書学者のSさんをお招きしました。1日目の夜、懇談会というような雰囲気になり、「癒し」のことが話題になりました。Sさんはこの物語をとりあげて、このようなことを言われたように思います。
 「この息子と『ひとつになる』ことができれば、この息子は癒された。弟子たちにはそれができなかった。それが『祈り』によって癒されるということである。」
 イエスの癒しはまさしくこの「ひとつになる」ことで、その人の痛み、苦しみがわかることで、行われるものであったように思います。繰り返しになりますがその点で「マーゴイ」と同じ働きをされたのでないかと思います。

 神学校に入学してから2年半が過ぎました。入学してから今までで決定的に変わったのが「なりたいと願う牧師像」でした。まさか入学前には本日のような話をするなんて思っても見ませんでした。
 そのように変えられた決定的な出来事は、1年目の夏休みにある被災教会に教会実習という扱いで送って頂いたことです。みなさまもよくご存知だとは思いますが、この教会は2011年3月11日に起こった東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた教会のひとつです。その教会の牧師の要請で、教会実習として誰か送ってほしいという依頼が神学校に来ました。6月の末でしたので、先輩方の実習先は決まっており、行けるとしたら1年生のみという状況でした。牧師の弟さんを、私は札幌時代に知っていて、「気になる教会」であったということもあり、また「呼ばれた」と思って、その教会実習に行くことを決断しました。
 今の今まで、あの教会実習での2ヶ月を、適切な表現で他の人に説明することができません。話しても人には「わからない」と言われます。私も何が「わからない」のか、またなぜ「わからない」のか理解することができず、口をつぐんでしまいます。人には、または自分でも「わからない」けれど「苦しい」ということも私は「ある」と確信しているのですけれど、そういうものであるということすら伝われず、苦い思いがします。それでも、その聞いてくださっている方にたいして「わからないなりに耳を傾けて頂ける」ときは、それでも心から感謝することができるのですけれど、ささいな一言で過剰に傷付けられた思いがするということをいくどとなく体験することになるのでした。
 あの2ヶ月で、私は「見てはならないもの」を見続けてしまったのだと思います。あのときは震災から6ヶ月で、壊れてしまった街の中で、そろそろ震災のただ中から現実に戻っていくという状況でした。
 その中で、牧師も、教会堂と牧師館が一階部分が水につかってしまうという、言ってみれば自宅と職場が同時に被災しているという中で、自分自身も傷ついているのに、混乱の中でボランティアと来客対応に追われ、さまざまな問題が起こるなかでそれを処理しなければならないただ中で疲れきっていました。気がついたら礼拝堂の椅子に横になって寝ているその牧師の姿が、今でも目に浮かびます。
 自分自身が傷ついているからこそ、聴いてもらいたいという思いをもっていたからこそ、その牧師は教会の前に、傾聴の場を設けていくことになります。
 実習期間中に私の母教会の牧師夫妻が来てくださいました。札幌にありますM教会という教会なのですけれど、F・T牧師、M・T牧師といいます。M先生の実家が横浜にあるそうで、夏期休暇の終りに実習先教会に寄ってくださいました。
 その日は、M先生が私の話を聴いてくださり、F先生が地元の方のお話を聴いていました。電車の時間も近づき、そろそろ出発しなければならない時間となりF先生が「僕、そろそろ失礼します」と丁寧に席を立とうとされたとき、F先生に話をしていたその方が泣きながら「ありがとう。ありがとう。」とF先生と握手をしていました。私の中では、今でも印象的な光景として、それが残っています。率直に言って「実力を見せつけられた」と思いました。

 思えば、特にF先生は「傾聴」という言葉ができる前から、はやる前から「傾聴」によって人に仕え、弱さを抱える方と共に生きておられる方でした。
 F先生は、中学の時に目の病気のために弱視の障がいを持たれて、盲学校の教師となるべく大学に進学されたのですが、そのときに北森嘉蔵の「神の痛みの神学」に出会われ、牧師となることを志し、某神大に入学、卒業後は高知で牧会にでられたそうです。須崎での経験から「牧会カウンセリング」の必要性を痛感して、アメリカの神学校に留学され、それからずっと20年以上あの教会で牧師をされています。私も、そのF先生の姿勢に養われてきたのだと思いかえします。
 
 こんなことがありました。
 私は神学校に入学する2年前から一年間、ある無認可幼稚園に勤めていたのですが、あるときそこを解雇されることになりました。私も悔いなければならないところもあったのでしょうが、今でもあの放り出され方は納得できないというところがあります。そんな解雇でした。非正規雇用で雇用保険もなく、来月から冗談ではなく無一文になるという状況でした。
 解雇が確定した日のその帰り、教会に寄りました。自宅から徒歩15分ですから、行こうと思えばすぐいけるところに教会はありました。その時、最初M先生に話を聴いて頂き、F先生が帰ってこられて、それから3時間以上泣きながら話を聴いて頂きました。私のことを責めず、裁かず、非難せず、話を聴いてくださいました。
 そろそろ帰るというときに「ちょっと待ってて」と言われ、F先生が一度牧師館に戻られました。「これ、菓子パンとお菓子。食べてね。食べなきゃだめだよ。」と食べ物の入った袋を渡されました。音もなく涙があふれました。本当に音もなく、だったのでしょう。目の見えない牧師は「どうしたの?」という顔をしていました。
 それからわりとすぐ仕事が見つかりました。F先生があのような関わり方をしてくださったから、文字どおり死ぬことなく生きのびることができたのだと思います。そして、「人間、やりたいことをやらなければ変わることができない」という思いがわき、神学校に行くことを決意しました。そして、あの神学校に入学するに至ったのでした。
 思いかえせば、被災地から帰ってきたあとにも、私の言うことを責めず、裁かず聴いてくださったのは、やはりF先生でした。もうすぐ2011年も終わるという12月30日、実家に変える前に札幌にたちよることができました。また教会を出る直前まで話を聴いて頂きました。当然、実習の話にもなりましたけれど、F先生には安心して話ができると思いました。F先生にも話せないことはいくらでもありますけれど、それをさらさなくても受け止めていただけていると思うことができました。

 先ほど、マルコ福音書9章の物語から「ひとつになる」ということに触れました。「ひとつになる」というのは、癒しを行う者が癒される者に同化することではないと思うのです。癒されなければならない者が「受け入れられた」という体験ができるようにすることだと思うのです。人が「受け入れられた」と思うことができるのは、自分の思いや感情が否定されず、それが届いたと思うことができたときではないでしょうか。それは、もしかしたら多少の努力と想像力があれば、決してできないことではないと思うのです。

 イエスは癒しを行いました。イエスに倣うなら、従うなら、そう願うすべての人が癒しにおけるイエスの生き方をめざさなければなりません。現代は、イエスの時代のように「悪霊がすべての煩いの原因」だとはもはや信じることはできません。イエスの時代のような祈れば一瞬で疾病が癒されてしまうような劇的な奇跡は現代ではそうそう起こらないでしょう。ただ、私たちが傷ついた人に寄り添い、正しい意味で「ひとつとなる」ことができれば、その人がまた立ち上がっていくという「小さな奇跡」を起こしていけるのではいかと、私は信じます。
 それゆえ、私が現実に牧師になろうがなるまいが関係なく「マーゴイとしてのイエス」「マーゴイとしての牧者」を志したいと思います。「傷に塩を塗らずに話を聴ける牧師」というのが私のテーマとなりました。この決意が全うされるよう神に祈り求めていきたいと願います。

 お祈りします。
 すべての命の源である神さま、御名をあがめて賛美します。
 キリストであるイエスは、癒し人として世にあって業をおこなわれました。
 それは、異邦の地からイエスを詣でたマーゴイのように、痛むその人とひとつになることでした。人の悩み、苦しみと共に生きられた方でした。
 私たちもそれに倣うことができますように、知恵と力とをお与えください。
 語る機会を与えてくださりありがとうございます。
 このたび私を招いてくださったこの教会のために祈ります。どうかこの教会の宣教が祝福されますように。牧師をはじめ、ひとりひとりの生き方そのものが、あなたのみ栄えをあらわすものとなりますように。
 この祈りを、痛む者と共に生きた私たちの癒し主、イエス・キリストの御名によって祈ります。
 アーメン


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