sayaka chapel

行きたくないところへ

2014年1月22日
某神学校 学内礼拝説教


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詩編118編17-18節

 死ぬことなく、生きながらえて
 主の御業を語り伝えよう。
 主はわたしを厳しく懲らしめられたが
 死に渡すことはなさらなかった。

ヨハネによる福音書21編18節


 「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年を取ると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」



 


 自己紹介で、「某神学校の神学生です。」と名乗らざるを得ないときがあります。自分から「神学生です。」というのも正直気が引けるのですけれど、うそをつくわけにはいかないし、正直にそう答えます。その後にはだいたいこう続きます。「なんで献身したの?」「なんで牧師になろうと思ったの?」そして「なんで某神学校なの?」特に「なんで某神学校なの?」はこの神学校がマイノリティでそう聞く方のまわりに出身者があまりいらっしゃらず、ものめずらしさにそのようにおっしゃっているのではと感じることがあります。
 なんにせよ簡単には答えられない質問です。お茶のみ話、立ち話で簡単に答えられない質問にも関わらず、そう質問される方はそんなこと意に返さずきいてこられます。ある程度きちんと答えないと不誠実だと思いながら、答えに窮する自分がいます。「なぜ献身したか」「なぜ某神学校だったか」という問いに答えるのは自分の半生を語るようなものだからです。特に「なぜ某神学校だったか」という点は「状況がそうだったから」もっといえば「招かれたからだ」としか言いようのないことが、自分の中には、あるいは周囲にはあったからです。今日は、特に「なんでこの神学校だったのか」時間が許す範囲でお話したいと思います。
 神学校に行きたいと思ったのは、受洗前後の頃でした。それまでに2年半ほど教会に通っていましたけれど、特に聖書に対しては逃げておりましたから、一度聖書通読しなければ、教会員のしての責務である伝道の使命が果たせないと感じていました。それで受洗を決意したアドベントの折りから、洗礼を受けるイースターまでの3ヶ月間で通読しました。新共同訳の翻訳はある程度整ったものですけれど、それでも「わからない」と思いました。「これは読んだだけではわからない。ユダヤ人になったつもりでなければ、またギリシャ人になったつもりでなければ『わかった』といってはならないものだ」と思いました。「いつか聖書を原典で読んでみたい」という思いが与えられました。大学4年の、22歳の誕生日を迎えたばかりの時でした。
 大学を卒業してからろくに就職出来ず、またいちばん初めについた営業の仕事が合わず、幻覚が見えて3ヶ月たらずで辞めた後、精神科通いをしながら3ヶ月に一度職を変えるような生活をしていました。
 2009年の春から無認可幼稚園で幼稚園の先生の仕事のようなことをしておりました。そこを一年足らずで辞めることになりました。私の中では今までにないくらい落ち着いた一年だったのに、大変不本意な結果に終わってしまいました。
 その職は、洗礼を受けた教会とはまた別にずっと並行して通っていた大学の近くのメノナイト派の教会の牧師から紹介されたものでした。洗礼を受けてからもずっとその教会の祈祷会に通っておりました。職を失ってそんなに経ってないある時、その牧師にこんなことを言われました。「献身を考えているなら、某神学校に行きなさい。S君っていう僕の弟子がいるから紹介してあげるよ」その牧師は、かつて札幌のある教会を、信徒伝道者としてある宣教師と組んで開拓伝道した過去があります。そこでは多くの方がCコースで献身されたということがあったのですが、「神学校に行かせなかった」ことを悔いているという思いがあったのでしょう。またその教会からこの神学校に行くことになったそのS牧師は「まともな牧師になった」という思いがあったようです。
 今にして思えば、そのようなことがわかるのですが、そのメノナイト派の牧師と某神学校のスタンスが違いすぎるということもあって、その牧師から「某神学校」の名が出るなんて・・・ということは思っても見ませんでした。「意外な人から意外な言葉がでる。」ということ自体が啓示だと思わされました。私がたまに口にする「神学校は信仰を壊すところである」という言葉は、その牧師から与えられたものでした。
 その前後に母教会の牧師夫婦にも都度相談するようになりました。受難週祈祷会に、そして土曜日のイースターのたまごづくりにも参加していました。受難日祈祷会のあと、ぽろっと「神学校卒業したら北海道に戻って来れますかね・・・」と牧師に言いました。牧師から「いや、どこでも行くという気持ちがないと」という答えが返ってきました。どきっとしました。
 その年のイースター後の祈祷会では、四福音書のイエスさまの復活の記事を順に読んでいくことになりました。今日の箇所も読みましたときです。「これからは『行きたくないところへ連れて行かれる』のだ」と思いました。「行きたい所に行って読みたいものを読んでという信仰生活は終わったんだ。これからは『行きたくないところに連れて行かれる』生き方をするんだ」と思ったことを思い出します。
 それから某神学校ともうひとつ別の神学校の受験要項を取り寄せました。某神学校のその年の卒業生からのメッセージに「牧師とは選ばれたり召されたりするのではなく自分で選ぶのだ。選ぶからには責任が伴う」という言葉がありました。他にもさまざまなことが私の背中を押すように起こったように思いかえします。
それから進学するためにアルバイトをかけもちしてはじめました。
 某神学校が決まったあと、ある人にこんなことを言われました。「某神学校?いいんじゃない?僕がいたころは楽しかったよ。あの神学校は『自分の問題をそのまま神学の課題にできる神学校』だよ。」その人は、札幌で性的少数者のクリスチャンの集会で一緒だった人で、この神学校を中退した人でもありました。中退した人に「僕のいた頃は楽しかった」と言わせる神学校、素朴にいいなあと思いました。また、ある集会でのその人の証で、この神学校のときの話がありました。話の本筋ではありませんが「未だにクリスマスカードのやりとりをしている人がいる」ということを言っていました。そういう友情が続く神学校、たとえ牧師にならなかったとしてもそういうものが残る神学校であることを聞いて、それが心に残ったということもこの神学校を受験するきっかけになったのかもしれません。
 私は秋入試でこの神学校を受験しました。午前中の試験が終わって、昼食の時間になってお茶をくんでいるときにT先生に声をかけられました。「H君知ってる?彼は親友であり戦友です。」H先生とは母教会にご家族で通われている某大学の宗教主任の牧師です。誰も知っている人がいない中でそう声をかけていただき、うれしかったのを覚えています。入試のあと、H先生にお伺いしましたら「T先生ね・・・論客になってしまって心配している。彼はね・・某神大の○○と歌舞伎役者のあだ名がついていて、かっこよかったよ~昔から」と言っておりました。
 私の入学式の時です。「誰も知らないところからはじめるんだ」という思いで私の神学校生活は始まりました。現に、こちらにはほぼ知っている人がいなかったからです。入学式のあとにも同期は牧師の息子ですから「お父さん知っています」「おじさんしっています」といろいろな人に声をかけられておりますけれど、私にはもちろんそんな人はいるはずがないと思っておりました。強がりをいってみても少しさみしかったのを覚えています。
 そんな中、私に声をかけてくださったのが、某神学校の附属幼稚園の園長のF先生でした。F先生は母教会牧師と神学生時代同じ教会にいらっしゃったようでそのよしみで声をかけてくださいました。「うちの娘もさやかっていうのです。」という些細な一言がうれしかったです。
 入学式のあとの茶話会での挨拶では、O先生がたってくださいました。O先生とは母教会を開拓伝道した最初のメンバーで、のちにお医者さんをしながらCコースで牧師になり、札幌の西の方に新しい教会を建て、その後この神学校に聴講され、沖縄に行かれたという牧師です。今はI教会に出席されています。「母教会から送られてきた週報を見て来た」と伺いました。嬉しい出会いでした。
 何が言いたかったというと、「気がついたらこの神学校に包囲されていた」ということです。私の周りで直接関わりのあった牧師にこの神学校出身の方はいません。どれも間接的な関わりです。それでも、振り返ってみたら「この神学校に行くしかなかったんだ」としか言いようがない、「縁」としか言いようがない、「招き」としかいいようのないことが確かにあったのだと思います。
 今も、札幌時代お世話になったメノナイトの牧師がいうところの「弟子」が牧師をしている教会に通っています。それもストレートにいったわけではなく、紆余曲折あり、入学してから1年後から通うことになりました。それもまた名状しがたい導きとしかいいようがない、と感じています。
 これが私の「なぜこの神学校だったのか」ということです。

 お祈りします。
 命の源である神さま、御名をあがめて賛美します。
 本日は、私がこの神学校に入学するまでのことを振り返りました。一言では言い尽くせない招きがあったということを信じます。またさまざまな方の祈りがあって本日を迎えていることを覚えます。この神学校での学びの期間もあと残すところ1年近くとなりました。どうか最後の時まで、あなたの守りがあることを忘れないようにさせてください。
 この神学校のために祈ります。この神学校もまたいろいろな方の祈りと支えによって今もあることを感謝します。どうか吹けば飛ぶ小さな神学校をあなたが守ってください。
 この祈りを、私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


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