sayaka chapel

『マギ』としての牧者 vol.1

2015年3月8日
某教会(爽歌*sayaka神学生母教会)主日礼拝説教


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▼聖書……マタイによる福音書2章1~12節

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 それを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。



 


 この受難節の折に、このように説教者として立ててくださりありがとうございます。私のことをご存知ない方もおられるかもしれませんのでかんたんに自己紹介させていただきます。私は2003年にこの教会に導かれました。郷里のKを出て、某私立大学に入学したばかりの頃でありました。たまたま履修した一般教養科目の環境経済学の先生が、当時この教会に出席していたこともあって、導かれたのだったと思い返します。それから3年ほど求道者として教会生活を送り、大学4年になった2006年の4月、イースター礼拝で洗礼を受けました。大学を卒業してから4年間、札幌に残り、2011年に日本基督教団の認可神学校のひとつである某神学校に入学しました。東京都の山の中にあります。所在地はだいたい旭川くらいの人口ですが、神学校のあるところは、そうですね・・・札幌でも三十分車を走らせたら風光明媚なところに出ますように、東京とは思えないようなところにあります。町田駅からバスで30分程度のって終点でおり、山道を十分登り、竹やぶの中をくぐりぬけると農伝にたどりつきます。入学する直前まで、自宅の最寄り駅からから徒歩15分程度、緑町に住んでおりましたから、いちばん近いスーパーマーケットまで徒歩30分という環境にたじろいだのを思い出します。4年前の4月、寮に入ったその日の夜、寮の窓からきれいな星が輝いておりました。札幌では見られないようなきれいな星空で、「ここから人生やり直すんだ」と思ったのでした。
 先週3月4日に卒業式がありました。肌寒い中で梅の花が咲き誇る中、教会からは、F・T牧師、M牧師、H・T先生が来てくださいました。多くの人からの祈り、支えによってこの4年間を全うすることができたのだということを肌身で感じる一日となりました。また、お葉書でもお伝えしたとおり、2月末に行われました師検定試験、補教師試験も合格の恵みに与りました。ひとえに神の憐れみによるものであると信じます。本日の聖書としてマタイ福音書2章1節から12節が与えられました。本日は、このイエスの降誕物語のひとつであります東方の占星術の学者たちの来訪の物語から、イエス・キリストがどのような働きをされた方であったのか、そして、これから私がどのような牧師となっていくことを志すのか、お話させていただきたいと思います。

 そのマタイ福音書の2章1節から12節には、先ほど申し上げました通り、いわゆる東方の博士の来訪の物語があります。マタイ福音書によれば、お生まれになったイエスを最初に詣でたのは、新共同訳でいうところの「東方から来た占星術の学者」であったと証言されております。
 まず、この「占星術の学者」ということに着目したいと思います。今、新共同訳の翻訳に従って「占星術の学者」と申し上げましたが、みなさまはどのようなイメージでこの人物たちのことを思い描いておられるでしょうか?クリスマスのページェントでは「ひがしのはかせが」というように、またみなさまもよくご存知の「まきびとひつじを」の賛美歌の歌詞の中の「博士は輝くその星たよりに」というように「博士」のイメージをお持ちである方もおれれるでしょう。聖書翻訳はどのようになっているかと言いますと、文語訳、口語訳共に「博士」でした。また、クリスマスの絵本にはその博士たちに王冠がかぶせられていることもあり「外国の王様」というイメージもあるかもしれません。また「占星術の」ということから「魔法使い」「魔術師」を連想される方もおられるでしょう。
 この「占星術の学者」とは、原典をひらきますと「マーゴイ」という言葉がそれに該当します。マーゴイは複数形ですから、元は「マギ」という言葉になります。マギとは、イスラエルから見て東の、異邦の地で、当時としては最高の学問体系であった天文学、占星術の担い手でありました。ある註解書には「ペルシャの宗教的権威であり祭司」という書かれ方をしております。そういった意味では新共同訳の翻訳は適切であるといえそうです。
 また例えばイザヤ書49章7節の「王たちは見て立ち上がり、君候はひれ伏す。」というような旧約聖書の言葉と結びつけられてこの「マギ」たちは「王」であると解されてきました。全地の、異邦の国の王様が、本当の「王様」であるイエス・キリストを詣でて、本当の王である方に、この世の王に対してするように「黄金・乳香・没薬」の贈り物をした。そして、ユダヤの、この地の王様であるヘロデがそれを妬んで亡き者にしようとした・・・伝統的にはそのように読まれてきました。マーゴイが「王」だとすると、ここには「王様」しか出てこないわけですね。マギを「王」と言わなくても、「他の国の偉い人が、本当の偉い方にひれ伏した」というような読み方を、私たちはこの物語に対してしているのではないでしょうか。「王なるキリスト」という信仰告白もあるくらいですから、そのような読み方もやはり魅力的なものであったのでしょう。
 しかし、私はあえて「マギ」の別の働きから、イエスがどのような方であったのかに思いを向けたいと思います。それは「癒し人」としての働きです。「癒し人」「治療者」「治癒者」「医者」という働きを、この「マギ」たちはになっていたのではないか、ということです。
 聖書学者であり、カトリック司祭として大阪・釜が崎で働いている本田哲郎神父がこの『釜が崎と福音』の中で治療者としての「マギ」を紹介しております。少し引用したいと思います。
 
「『マーゴイ』とは、博士でも王様でもなく、占い師です。占い師は医者やカウンセラーの役割もする、原始的な形で人の悩みを受け止める人たちです。病人がいたら、あの薬草、この薬草といろいろ試したり、病気の元とみなしていた悪霊を払ったり、病人の痛みを我が身に共有するというようなことです。すると、病人は『あ、自分だけではなく、目の前の相手もいっしょに、この痛みをわかってくれている』と気持ちが楽になる。コンパッション、つまり共に苦しむことで癒しが行なわれる。これが占い師=『マーゴイ』でした。」(p135)
 福音書を読み返すと、イエスもまたそのような癒しをなさっていたのではないか、と思うのです。そのように考えれば、イエスもまた、この点でマギと同じような働きを担われていたと言えそうです。つまりこの物語は、「マギが『まことのマギ』であるイエスを詣でた」ということになるでしょう。

 神学校に入学してからこの4年間の歩みを振り返るとき、決定的に変えられたと思うことは、「なりたいと願う牧師像」でした。先ほど申し上げましたとおり、私は大学に進学してから3年間の求道生活を送りました。その間、私は、ひとりで聖書を読むことができませんでした。聖書を開けば傷つくという思いがしたからです。今では、聖書の中には宝があると確信しておりますけれど、聖書に躓き続けてきた教会生活を送っておりましたので、農伝に入学するときは、聖書に隠されている宝を伝える「教師」なりたいと考えておりました。それを捨てたわけではありませんけれど、今招かれているのは、語ることよりも「聴くという生き方」だと感じています。

 そのように変えられた決定的な出来事は、1年目の夏休みに教会実習という扱いで送っていただいたことでした。その教会は、2011年3月11日に起こった東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた教会のひとつです。その教会の牧師の要請で、教会実習として誰か送ってほしいという依頼が神学校に来ました。その時点で夏休みの先輩たちの実習先は決まっており、行けるとしたら1年生のみという状態でした。私は、その牧師の弟を札幌時代の青年会活動で見知っていて、そのためその教会は「気になる教会」でした。そんなこともあり「呼ばれた」と感じて、その教会実習に行くことを決断したのでした。
 今の今まで、あの教会実習での2ヶ月間を適切な言葉で他の人に説明することはできません。話しても人には「わからない」と言われます。私も何が「わからない」のかなぜ「わからない」のか理解することができずに、口をつぐんでしまいます。一般的には、他人にも「わからない」し、そして「自分自身でもわからない」けれど「苦しい」ということは、往々にして「ある」ものだ、と私は確信しておりますけれど、そういうことすらわからないのかと苦い思いがします。それでも、「わからないなりに耳を傾けてくださる方」にはそれでも心から感謝するのですけれど、ささいな一言で過剰に傷付けられた思いがするということをいくどとなく体験することになるのでした。
 あの2ヶ月で、私は「見てはならないもの」を見続けてしまったのだと思います。
 あのときは震災から6ヶ月で、壊れてしまった街の中で、そろそろ震災のただ中から現実に戻っていくという状況でした。その中で、牧師も、教会堂と牧師館の一階部分が水につかってしまうという、言ってみれば自宅と職場が同時に被災している被災者であり、自分自身も傷ついているのに、混乱の中でボランティアと来客対応に負われ、さまざまな問題が起こる中でそれを処理しなければならず、疲れきっておりました。気が付いたら礼拝堂の椅子で横になっている牧師の姿が、今でも目に浮かびます。自分自身が傷ついているからこそ、聴いてもらいたいという思いを持っていたからこそ、その牧師は教会の前に「赤テント」という憩いの場、傾聴の場を設けていくことになります。彼はそこをヨハネ福音書のサマリアの女の物語に出て来る、キリストが水を飲みに来られた「シカルの井戸」(ヨハネ4:6)といっていました。
 その実習期間中にF先生とM先生が来てくださいました。M先生のご実家が横浜で、夏期休暇の終わりに汽車を乗り継いで新生釜石教会に寄ってくださったのでした。
 その日は、M先生が私の話を聴いてくださり、F先生が「赤テント」で地元の方のお話を聴いていました。電車の時間も近づき、そろそろ出発しなければならない時間となりました。F先生が「僕そろそろ失礼します。」と丁寧に席を立とうとしたとき、F先生にお話をしていた地元の方が泣きながら「ありがとう。ありがとう」とF先生と握手をしていました。私の中では、今でも印象的な光景として、それが残っています。率直に言って「実力を見せつけられた」と思いました。

 そのことから、F先生は、「傾聴」という言葉ができる前から、流行る前から「傾聴」によって人に仕え、弱さを抱える方と共に生きる人であり、牧師であるということに気がつかされていくことになったのでした。あるとき、神学校二年目の夏休み、集中講義期間の空き時間にたまたま「信徒の友」を開きました。2012年10月号でした。「神に呼ばれて」という牧師がどのように召され、伝道者としてどのように生きているかということを証言するという記事が毎月連載されているのですけれど、その号はF先生の証言でした。「先生いつのまにこんな仕事してたんだ~」なんて読み進めて参りましたけど、泣きました。読み終わって号泣しました。そこには、普段は決してご自分のことを多く語られない、F先生の証言が語られていたからです。ご家族のこと、中学生の時に目に病気のために、弱視の障害を持つことになったこと、盲学校の先生になるべく東京の大学に進学し、そのときに北森嘉蔵の『神の痛みの神学』に出会い、牧師になることを志されたこと、東京神学大学に入学し、卒業後は高知の須崎で仕え、そこでのご経験から「牧会カウンセリング」の必要性を感じて、アメリカに留学され、それからずっと20年以上この教会で牧師をしていること・・・改めてそのことを知らされました。F先生の信仰と牧師としてのあり方に、私も知らず知らずのうちに養われてきたのだということに気づきました。

 こんなことがありました。
 私は神学校に入学する2年前、2009年度の一年間、ある幼児教育の場に勤めておりました。あるときそこを解雇されることになりました。非正規雇用で雇用保険もなく、来月から冗談でなく無一文になるという状況でした。解雇が確定した日のその帰り、教会に寄りました。会堂に入って、最初旧会堂の事務室でM先生に話を聴いていただき、そのうちF文宏先生が帰って来られました。集会室ヤに移ってそれから3時間以上、泣きながら話す私の話を聴いていただきました。私のことを責めず、裁かず、非難せず、話を聴いてくださりました。
 そろそろ帰ろうかという時に、「ちょっと待っててね」と言われ、F先生が牧師館に戻られました。「これ、菓子パンとお菓子。食べてね。食べなきゃだめだよ。」と食べ物が入った袋を渡されました。音もなく涙があふれました。本当に音もなく、だったのでしょう。先生は「どうしたの?」という顔をされておりました。
 それから、割とすぐ仕事が見つかりました。F先生があのような関わり方をしてくれたから、文字通り死ぬことなく生き延びることができたのだと感じています。そして、「人間やりたいことをやらなければ変わることができない」という思いがわき、神学校に行くことを決意しました。そして、農伝に入学するに至ったのでした。
 思いかえせば、被災地から帰ってきたあとにも、私の言うことを責めず、裁かず聴いてくれたのは、やはりF先生でした。もうすぐ2011年が終わるという12月30日、実家に帰る前に札幌に立ちよることができました。また教会を出る直前まで話を聴いていただきました。当然、あの実習の話にもなりましたけれど、F先生には安心して話ができると思いました。F先生にも話せないことはいくらでもありますけれど、それをさらさなくても受けとめてもらえていると感じることができました。

 「癒し」ということを改めて考えたいと思います。「癒される」ということはどのようなことでしょうか。人はどのようなときに「癒された」と感じるのでしょうか。それは、癒されなければならない者が「受け入れられた」という体験ができるようにすること、だと思うのです。人が「受け入れられた」と感じるのは、自分の思いや感情が否定されず、それが届いたと思うことができたときではないでしょうか。それは、もしかしたら多少の努力と想像力があれば、できないことではないと思うのです。

 10月第2週の礼拝は「神学校日」ということで、神学校のことを覚える礼拝が諸教会でもたれますけれど、3年次から、私にも神学校を通じて、神学校日礼拝の説教奉仕の機会が与えられました。そのようなときに、私はこのようなことを繰り返し、繰り返し証言してきました。3年次、2週にわたって2つの教会でこのような証言をしました。どちらの教会の牧師からも「泣いたよ」と言われました。4年になってから、3度、このような証言をさせていただく機会を与えられました。ある教会では、女性の若い信徒の方から「今日のことは忘れません」と言われました。またある教会では「私もそう思うの。今、死別遺族の会のボランティアをしていて・・・」とご自分のなさっている活動を教えてくださる方もいました。心や体に傷を持っておられる方、弱さを抱えている方は私たちの周りにたくさんいらっしゃいます。私の、このような証言が共感を持って迎えられるのは、そのような働きが必要だからであると確信しています。F先生のような「傷に塩を塗らずに話を聴く」という働きが、今本当に求められているのだと感じています。

 イエスは癒しを行われたのでした。イエスに倣おうとするなら、従うなら、そう願うすべての人が癒しにおけるイエスの生き方をめざさなければなりません。現代は、イエスの時代のように「悪霊がすべての煩いの原因」であると信じることはできません。イエスの時代のような、祈れば一瞬で疾病が癒されるような劇的な奇跡は現代ではそうそう起こらないでしょう。ただ、わたしたちが傷ついた人に寄り添い、その人の痛み、苦しみに対し、適切に「聴く」ことができれば、その人が立ち上がっていくという「小さな奇跡」を体験することができる、と私は信じます。
 これから、教会での働きがはじまります。4月から横浜にありますなか伝道所で、担任教師として召されることになりました。主任のI牧師から「これから牧師になるかどうか見極めたらいい」と言われています。教会の牧師をやめるということも、もしかしてありえるかもしれません。しかし、牧師であろうが信徒であろうがこのような働きは必要であるし、このような生き方が私にも求められているのだと感じています。それゆえ、これからも私は「マギとしてのイエス」「マギとしての牧者」を目指して歩みます。「傷に塩を塗らず話を聴ける牧師」というのが私のテーマとなりました。この決意が全うされるようにこれからも神に祈り求めていきたいと思います。

 お祈りします。
 すべての命の源である神さま、御名をあがめて賛美します。
 キリストであるイエスは、癒し人として世にあって業を行なわれました。
 それは、異邦の地からイエスを詣でたマギのように、痛むその人の痛みを身に受けることでした。人の悩み、痛み、苦しみと共に生きられた方でした。
 私たちもそのイエスの生きたかに倣うことができますように、知恵と力をお与えください。
 この教会のために祈ります。まさしく私を生かし、私に命を与えてくれた教会でした。私にキリストにある生き方を教えてくれた教会でした。私は、この教会の会員であるということを誇りに思います。
 これからもこの教会の宣教が豊かに祝福されますように、このたび与えられた新会堂が大いに用いられ、地域に開かれ、キリストの福音があまねく宣べ伝えられますように、
 そして何よりも、F・T牧師、M牧師をはじめ、この教会に連なるひとりひとりの生き方があなたの御栄えを表わすものとなりますように、導いてください。
 この祈りを、痛む者と共に生きた私たちの癒し主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
 


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