わがやいばをくだきたまえ

2006年11月10日(金)同志社香里中学校・高等学校 早天祈祷礼拝奨励

説教時間:約15分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:マタイによる福音書 5章9節(新共同訳)

  平和を実現する人々は、幸いである。
  その人たちは神の子と呼ばれる。

自由がふつうな毎日

  『これから戦争なんてないよね?』という本が最近出ました(にしかわしげのり×みなみななみ著)。いま日本が危ない方向に向かっているのではないかな、と感じているぼくにとっては、みなさんにおすすめの本です。この本には「自由がふつうじゃなくなる日」という副題がついています。
  ぼくはこの学校に集まっているみんなを見ていて、本当にのびのびと自由を謳歌しているなぁと思います。もちろん、なんでも自分の好き勝手というわけにはいかないでしょう。人間として最低の距離とかルールというものは当然必要です。例えば、授業は先生の指導に従って参加するというのは、当然のルールです。
  しかし、それ以外の時間も学校にはたくさんあります。どんなクラブで活動するのも自由だし、クラブ活動をしない自由もあるし、休み時間や放課後などは誰とどんな話をしてケタケタ笑っていようが、誰も責める人はいません。この学校にはとても自由な雰囲気が満ちていると思います。
  しかし、こんな自由な雰囲気が許されている時代がいつまで続くんだろうと、ぼくは心配になるときがあります。「自由がふつうじゃなくなる日」というのが本当に来るんじゃないかと心配しているんです。
  自由がふつうじゃなくなる日、自由じゃなくなるというのは、つまり自由に笑ったり、話したりすることもできない。自由に遊ぶこともできない。それだけではなく、誰かの強制的な命令でどこかに行かなくてはならなくなったり、誰かの命令で何かを強制的にやらなければならなくなる状態です。
  ひょっとしたらみなさんは、「そんなことないわ。わたしら先生に強制されてることたくさんある」と言いたくなることがあるかも知れません。
  でも、たとえ先生の指導のとおりにしなくても、みなさんは叱られるだけでしょう? 叱られるだけ、と言ったら叱ってる先生に失礼な言い方かも知れないけど、言い換えるなら、みなさんは先生に命を取られるなんてことはありえないでしょう? そして叱ってる先生は、生徒である君たちのことを考えて、まぁ言うなれば、大人になったときに、より自由に生きる力をつけるために一生懸命叱っているわけだから、別にみなさんの自由を奪うために叱っているわけではありません。

自由がふつうじゃなくなる日

  しかし、この日本は61年前にはそうではありませんでした。学校の先生が、みなさんのような生徒に「おまえたちは自由ではない」と言う時代でした。
  国の命令で強制的に戦場に連れて行かれ、国の命令で命を捨てることを要求され、死ぬことが美しい生き方なのだと言われていた時代でした。それを教師も本気で生徒に教えたし、生徒も「国のために死ぬことが正しいことなんだ」と自分で思いこむようにしていました。それ以外の生き方が認められない時代だったからです。
  なんでこんな話をしているのかというと、実は、これが過去の話ではなくなりつつあるからです。
  みなさん知っているかどうかわかりませんが、ひょっとしたら社会の時間などに倣っているかもしれませんけれども、今の段階では、日本は戦争ができる仕組みだけは整えているんです。
  すでに7年前にできた法律なんですけど、もし、日本とアメリカの仮想敵国が戦争を始めたとき、日本の軍隊(つまり自衛隊)とアメリカの軍隊は共同して出て行くことができる、ということになっているんです。そして、その戦争に協力するように、企業も個人も国からお願いされるときがある、という法律がもうできているんです。もしお願いされて断った場合の罰則もちゃんと決まっています。
  でも、まだ今の段階では「日本は戦争はしません」と決めた憲法の第9条があるから、本当に日本が単独で戦争をする、ということはできないことになっています。
  しかし、この憲法を、今度新しく総理大臣になった人は、5年以内に「変える」と言っています。つまり積極的に、そして単独でも戦争ができるように変えてゆく、とおっしゃってるわけです。
  5年以内とまで言わなくても、もうすでに先月、私の知り合いの牧師が沖縄で逮捕されました。なんで逮捕されたかわかりますか? 戦争反対を訴えて、新しい基地の建設に反対していたから、見せしめに逮捕されて数日間拘置所に入れられたんです。何の暴力も振るわなかった人なのに、「平和を守りたい。戦争には反対です」と言ってるだけで逮捕されるような世の中に、今の日本はいつの間にかなってしまっています。
  このまま放っておくと、ごく近いうちに、本当に日本は、ひとりひとりの自由を奪って、いろいろなうれしくない命令を強制する国になっていってしまうのではないかと、ぼくは真剣に心配しています。

ひとりひとりが平和を創りだす

  今日読んだ聖書、「平和を実現する人びとは、幸いである」(マタイによる福音書5章9節)。よく読まれる聖書の箇所ですが、聖書にはそんな風に書いてあります。
  
「平和を実現する人びとは、幸いである」。ぼくら、わたしらは平和を作り出して行けるんでしょうか。
  もしも、日本に「問題が起こったときには、戦いで物事を解決すればいいんだ」と考える人が多くなっていったら、かんたんに多数決で戦争が決まってしまうと思います。
  もし戦争が起こってしまったら、若い人から戦場に連れて行かれます。ここにいる若いみなさん自身の命が危ないんです。最大でも5年で憲法が変わったらどうなりますか? みなさんが二十歳になるかならないかの若い時期に、日本は戦争できる国になるんですよ。ぼくはみなさんにもみなさんの後輩にも、戦場に行ってほしくないです。そして、自分の住んでいる国を戦火で燃やしたくはないです。
  でも逆に、ぼくら、わたしらひとりひとりが「何事も平和に物事を進めなければいけない」と強く思っていたら戦争を止めることもできるのではないかと思うときもあります。
  そのためには、ぼくら、わたしらひとりひとりが、戦いで物事を処理するような考え方を捨てて、平和を創りだす人間になってゆかなければいけないと思うんです。
  もちろん、ぼくだって完璧な人間ではありません。でも、平和を創り出してゆくために努力する人間でありたいといつも思ってます。身近なところで戦いを見たくないし、国家レベルでも本当に戦争が起こってほしくないからです。
  そのためにも、わたしたちは、自分自身の個人的なものの言い方や、他の人に対する接し方からも平和を作り出していけると思うんです。そして、それを世の中のどこでも通用するような考え方に広げてゆけば、戦争を防ぐことができるかも知れないし、そうしなければいけないと思うんです。

わがやいばをくだきたまえ

  最後に、今日うたった賛美歌なんですが、讃美歌333番(1954年版『讃美歌』)。これは手前味噌になりますが、ぼくが死んだときには葬式で歌ってほしいと妻に頼んである讃美歌なんです。今週の礼拝ではこれを中心に歌ってます。個人的に好きだということで選ばせてもらって恐縮ですが。
  この讃美歌333番をもう一度開いていただけますでしょうか。
  1番の3行目に、
「わがやいばをくだきたまえ」という歌詞があります。
  
「我が刃を砕きたまえ」とは、自分の中にある攻撃性、人を切りつける刃物のような性質、それを神さまどうぞ砕いてください、という意味の言葉です。
  わたしは、平和を創りだすために、自分のなかの攻撃性、刃物ののような性質を砕きたい。神さまに砕いてもらえるなら砕いてほしいと思っています。
  どうかみなさんも、お互いに戦いのない世の中がいつまでも続くように、願いながら、日々を生きていただきたいものだと思っています。
  お祈りをいたしましょう。

祈り

  愛する天の御神さま。
  今日も学校での生活を平和な朝から始めることができますことを心から感謝いたします。
  どうか、この平和がいつまでも続きますように。
  また、今平和でない国々があることを嘆きたいと思います。1人でも多くの人が平和に生きることができますように、どうか私たちにそれを実現する知恵と勇気をお与え下さい。
  主の御名によって祈ります。
  アーメン。

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