さなぎから蝶へ

2008年6月2日(月)同志社香里中学校高等学校 春の宗教週間 早天祈祷礼拝奨励

説教時間:約15分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:マルコによる福音書 8章36−37節(新共同訳)

  人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

家族に疲れる

  もう2ヶ月近く経ったのか、と思うと、時の流れは早いものだなあと思わされます。およそ2ヶ月前、4月5日にぼくは父を亡くしました。
  父は、決して愛情に満ちてやさしい人ではありませんでしたし、頼りがいのある父親でもありませんでした。家で物理的な暴力を振るったことはありませんでしたが、そのかわり言葉による虐待がひどかったです。それが、お酒が入るとなおいっそうひどくなるのでした。
  ぼくには弟がいますが、ぼくとその弟は、「どっちのほうがいい子だ」、「こっちのほうが賢い」などと、何かあるたびに比較され、劣ったほうの子どもは「おまえはアホか」とけなされました。そんな毎日の中で、ぼくたち兄弟は、いっしょにいると自分たち自身でも常に自分と相手を比較したり、相手よりも一歩でも先んじなければと競ってしまったりして、会って一緒にいるだけで非常に緊張し、ストレスがたまる兄弟になってしまいました。これは大人になった今でも、あまり変わっていません。弟といると疲れます。
  そうなってしまう原因が父にあることはわかっているのですが、父には何の反論も許されませんでした。ですから、ここにいる皆さんと同じような中学生・高校生の時などは、父が早く死んでしまえばいいと思うときさえありました。

憎まれる人

  父にはもうひとつ大きな問題がありました。実は、父はかなりの金額の借金をこしらえてしまっていました。彼は神戸の三ノ宮という街で飲食店を経営していました。一時期は高度成長期の波に乗って、商売が順調だった頃もありました。そういう時期にぼくたち兄弟は育ててもらったのですが、やがてバブルがはじけ、従業員にも裏切られ、そしてとどめをさしたのが阪神淡路大震災でした。
  店は文字通り地震で倒壊してしまいました。しかし、父親は――すでにその頃にもう多額の借金を抱えていたのですが――さらに借金をかさねて新しいビルに移って店を再開しました。しかし、思うように商売にならず、借金が増えてゆくばかりとなりました。
  親戚から借りたり、違法な利子を押し付けてくる怪しげな貸金業者からも借りたり、自分が乗ったタクシーの運転手から借り、店の従業員から借り、ついには店のお客さんにまで金を借りて、そして父の店には誰も来なくなりました。当たり前ですよね。店に行ったら「金、貸しておくれ」と店の主人にせがまれる。そんな恐ろしい店に誰が足を運ぶでしょうか。
  そういう場合、自己破産してしまえば借金を返すのは免除になるのですが、それは結局、お金を貸してくれた人びとに対する裏切り、つまり借金を踏み倒して自分だけ生き残ろうとすることになるので、ヘタをすると命を狙われます。
  かといって、自己破産しないということにしても、何の解決策もありません。結局、自己破産する以外に彼が借金の取立てを逃れる方法は、死ぬことしかなかったのでした。
そんなときに、彼はガンを患いました。大病院で検査を受けましたが、すでに手遅れ、リンパ節に転移していたので全身にガンの種がばらまかれているという状態でした。

死ぬという道

  それをお医者さんから聞いたとき、「あ、親父はこれで死ぬな」と直感しました。実際、余命はあと数ヶ月と医者に言われました。その時、たいへん不謹慎な物言いで、こんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、ぼくはその時「よかった。これで親父、この世から逃げることができるな……」と。ちょっと変ですが、父の落ち着く先が決まったみたいで、少しホッとした気分。「よかったな、親父、これで楽になれるで」と言ってやりたくなったのでした。もちろん、そんなことは決して口にはしませんけどね。
  それからは、残された短い人生の期間を、いかに生きて、いかにより良い終わりを迎えるかということが課題になります。痛み止めが効くようなら、有馬温泉にでも連れて行きたいな、とか、そんなのんきなことを考えているうちに、ガンの進行は予想以上に早く、すぐに父は寝たきりになってしまいました。
  その後は、ぼくたち家族がお見舞いに行くたびに、どんどんやせ細り、驚くほどのスピードで衰弱してゆきました。まさに、ガンに体をむさぼり食われているという感じでした。

死ぬ瞬間

  いよいよ父が天に召される前の晩、ぼくは病室に泊り込みました。弟と交代で病室に泊まることにしていて、その日はたまたまぼくの当番だったのでした。
  父は、喉の周りのリンパ節がガンで膨れ上がり、ものを食べられなくなっていました。また、たくさんの血痰が出ました。ほとんど一晩中、親父の血混じりの痰をふき取る作業に終われました。
  朝が来て、喉がガンでふさがれて、水を飲み込むこともできなくなりました。そして、酸素マスクが取り付けられました。
  看護師さんからは、「もう自然な呼吸ではなく、自分で努力しないと息ができなくなっています。ご家族をお呼びしたほうがいいと思います」と言われました。それで、家族に携帯電話で召集をかけました。
  一番遅れたのは車に乗っていて出勤の途中で進路を病院に転換し、渋滞にまきこまれた弟でした。弟の到着を待つ時間がジリジリが過ぎてゆき、父は時間をかせぐために必死に呼吸を続けていました。父は、すでに声が出なくなっていたので、息だけで「あと5分」と言いました。あと「5分ならもつ」と言うのです。長距離ランナーのようなものです。しかし5分たっても弟が現れません。「あと2分」と父は言いました。そしてその2分が切れる頃、弟が病室に駆け込んできました。
  弟の顔を見て安心した父は、もうあえて自分から息を吸おうとはせず、体が衰弱するに任せました。呼吸はどんどん弱くなり、眼球は上を向いてゆき、そしてやがて、心臓も鼓動をやめました。
  ぼくは、ずっと父親の頭をなでたり、手をさすったりしていたので、確かに父はぼくの手の中で死んでいったんだ、という実感があります。ぼくは生きている人間が、死体となる瞬間に立ち会いました。親の死に目に会えたといえば、これ以上ないほどに父の死を看取ることができて、ある意味自分は幸せ者だったのだとも思います。

さなぎから蝶へ

  さて、ぼくは生身の人間が屍になる瞬間を見ていたのに、改めてその遺体を見てみると、なんだかその遺体は、抜け殻のように見えました。そこに生きていたはずの父親の命は、そこから抜け出して、別の空間に向かって出て行ったような気がしました。さなぎから蝶に変わるように、この体から抜け出してどこかに行ったのではないかと思いました。
  そして、そこでは、父はもう「金を返せ」と詰め寄る取立て屋に追いかけられることもなく、すべての罪を赦されて、別の世界に旅立ったのだと思います。確かに父はぼくらにとって、決してよい父とは言えなかったけれども、それでも、その全てを赦してしまいたくなりました。
  人間はどんな人でも、最期の時はこの世で犯した罪を、自らの死をもって償うものだと思います。どんなに悪いことをした人でも、いいことをした人でも、死は平等です。「いずれにせよ、死ぬ時には全ての罪が赦されるのだから、今は安心して自分の人生を歩みなさい」ということを、ぼくは今回の父の死を通して学んだような気がします。
  以前は、ぼくは死が怖くてたまらなかったのですが、今回のことを通して、死は恐ろしいものではないのかも知れないと感じました。
  しかし、だからといって、自分から死を選ぶのはよくないと思いました。それは自分にせっかく神さまから与えられた命の時間を、途中で暴力的に断ち切ることです。そういうことはしなくてもいいのです。私の父は死ぬべきときに死んだのだと思いますが、そんな風に「時」はしかるべきときにやってきますから、その「時」をわざわざ自分から引き寄せなくてもいいんです。ちゃんと死ぬべきときに、死がやってきます。
  それが自然にやってくるまでの間、与えられた自分の時間を、大切に、心をこめて生きることが大事なことではないかと思います。

祈り

  愛する天の神さま。
  今日も生かされていることを感謝します。あなたに与えられた命の時間を、大切に味わいながら生きることができますように。
  イエス・キリストの御名によって、アーメン。

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