愛ゆえに変化する

2006年2月14日(火) 同志社女子中学校 新島襄誕生記念礼拝奨励

説教時間:約12分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:ローマの信徒への手紙 12章15節 (新共同訳・新約)

  喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

「襦袢三枚」の屈辱

  同志社の創立者、新島襄という人が、みなさんと同じくらい若かった頃、「新島七五三太(にいじま・しめた)」と名乗っていたのは、みなさん授業で習ったことと思います。
  その新島七五三太が、初めて外国船に乗って、日本を脱出したとき、無料で船に乗せてもらう代わりに、船長の身の回りの世話をするキャビン・ボーイとして働くことになりました。
  キャピン・ボーイというのは、船長が食事をするテーブルの用意を整えたり、テープルのそばに立って水を注いだり、食事が終わるとお皿やフォーク・スプーンなどを片付けて洗ったりしますし、船長室を掃除したり、船長の服の洗濯をしたりもします。
  そういう仕事を七五三太は日本にいるあいだ、大人になるまで、やったことがありませんでした。
  みなさんは、自分の食べたあとの食器を自分で片付けたり、自分の着たものを自分で洗濯して、干したりしていますか?
  うちには子どもが3人いて、上は8歳、下は6歳の双子ですが、ぼくら両親二人が働いていて、なかなか家のことに手が回らないこともあるので、けっこう自分たちでなんでもやってます。
  休みの日は、私も私の妻もしんどくて起き上がれなくても、子どもが勝手に起きてトーストを作って、牛乳を温めて、朝ごはんをすませて、食器も片付けてます。だらしない親ですが、そのおかげで結局子どもは生活力が身につくかな、と勝手なことを考えていたりもします。
  しかし、今から140年近くも昔の武士の家では、そんなことは考えられなかったでしょうね。炊事、給仕、洗濯、掃除は女の人の仕事でした。たとえ子どもであったとしても、男の子として武士の家に生まれたからには、女の人がする仕事、つまりご飯を用意したり、洗濯したりといったことをするのは、男子の恥であるという考え方が浸透していたわけです。
  そんな中で育った新島が、いくら日本を変えてやるぞと意気込んで、過去を捨て、未来を夢見て日本を脱出したとは言っても、やはり長年の間にしみこんだ体質というのはなかなかぬぐえません。いままで全部、お母さんやお姉さんに任せてきたことをするのには相当つらい思いがあったようで、「襦袢(じゅばん)三枚」を洗ったときには、両親がこれを見たら泣くだろうな、と思ったそうです。
  「襦袢」というのは下着のことですね。ベルリン号の船長セイヴォリーの下着を3枚洗ったところで、情けなさに涙が出そうになった、と。ただその労働がしんどいからというのではなくて、「女の人の仕事をやらされている」と思って落ち込む、そういう旧い体質も新島にはあったんだなぁ、ということなんですね。

変化する新島

  ところが、9年間のアメリカでの生活を終えて、新島は「新島襄(にいじま・じょう)」として日本に帰ってきます。帰ってきてから1年と1ヶ月の後には、山本八重(やまもと・やえ)という女性と結婚しています。
  このときの新島はどうだったでしょうか。9年たっても昔どおりサムライの男として女の上に立つようなものの考え方だったでしょうか。
  もともと日本に帰る直前に、アメリカでは周りの人に、「私は当分結婚をするつもりはありません」と話していたそうです。これからの人生は大変なものになるだろうから、最初から結婚をあきらめていたんですね。そんな新島が帰ってきてからたった1年ほどで速攻で結婚した山本八重とはどういう人だったのでしょうか。
  新島は、日本風の女性は好きではないと言っていました。日本人でいいのだけれど、「夫が『東を向け』と言ったら3年でも東を向いているような東洋風の女性はごめんです」と人に話していたそうです。
  八重さんはそんな新島の理想の人だったわけですね。明治維新のときに起こった戦争でも男の人にまじって鉄砲を持って戦争に参加していた、勇ましく、自分の信念で次々に行動を起こしてゆく、そんな女性が新島のハートをつかんだわけです。
  つまり、新島は9年間のアメリカでの生活によって、女性に対する見方や価値観というものが180度変わってしまっていたのですね。
  もとは、江戸時代の武士の子らしく、男尊女卑の体質がしみついていました。しかし、日本に帰る頃には、精神的に自立した強い女性を好きになる人間に変化していました。

変化する八重

  変化したのは新島襄ひとりではないはずです。
  妻となった八重さんも、新島襄を理解し、寄り添うために、キリスト教というものを学んでゆきます。
  八重さんは、新島と婚約したときに、自分が教えていた学校を辞めさせられています。キリスト教の信者と婚約したからというのが、クビになった理由だろうと言われています。まだまだキリスト教というものが理解されていない時代でした。
  そんな出来事があると、婚約者である襄は「自分がクリスチャンだから、八重さんが仕事を奪われてしまった」と自責の念にかられたはずです。しかし、そんな新島に、八重さんは「いいのよ、これで福音の真理を学ぶ時間がもっととれるわ」と答えたそうです。
  八重さんにとってはキリスト教を学んでゆくということは、婚約者である襄を理解してゆくということにもつながるはずなんですね。ですから、この言葉は「もっとあなたのことを理解できるようにもなる」という意味も含まれているのではないかと思います。
  ですから、襄が変化していったのと同時に、八重も変化をしていった。襄は八重を一人の人間として丁重に扱うべく変化したし、八重も襄を理解するために変化していったわけです。

愛ゆえに変わる

  人と付き合う、あるいは愛し合う、ということは、ただ自分に合う人をたくさんの相手の中から選ぶということではない、と思います。
  自分に合う人を見つけるというのではなくて、「この人を大切にあつかう為にはどうすればいいのだろうか」と考えたり、「この人を理解するためには、何を学べばいいのだろうか」と考えたりして、自分に合うように相手に合わせてもらうのではなくて、「自分が変化するために行動を始める」ということも、ひとつ愛ではないかと思います。
  人間というのは、居心地の悪い人間関係のなかに置かれているときに、「あの人がもうちょっとこうなってくれたら」とか「この人がもう少しああなってくれたら」と、いかにも他人に問題があるような愚痴をこぼすことがあります。
  しかし、他人を変えたり、周囲の状況を変えたりすることは簡単ではありません。変えられるとしたら、それは自分しかありません。
  「愛するがゆえに自分を変えてゆく」ということを、私たちは新島襄と八重のカップルから学ぶことができるのではないかと思います。
  祈りましょう。

祈り

  愛する天の神さま。
  今日このように、同志社女子中学校のみなさんと共にあなたに礼拝をささげることができます恵みを感謝いたします。
  ここにおられる全ての人びとが、これからの人生において、よい出会いを経験し、成長してゆかれますように。
  人とのぶつかり合いのなかで、しなやかに、したたかに、自分を変化させ、成長させることのできる者として、ひとりひとりが心豊かな人生を歩んでゆくことができますように、どうか神さま導いてください。
  この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお聴き下さい。
  アーメン。

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