最初は小さな勇気から または 信じる勇気

2007年12月8日(土) 第18回同志社京田辺クリスマス燭火讃美礼拝説教

説教時間:約15分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:マタイによる福音書1章18〜25節 (新共同訳・新約)

  イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えて考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
  「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
  その名はインマヌエルと呼ばれる。」
  この名は、「神は共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。



ルカによる福音書2章1〜7節 (新共同訳・新約)

  そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

夢見る人ヨセフ

  みなさん、クリスマスおめでとうございます。
  クリスマスは、イエス・キリストの誕生日。イエス・キリストの両親は、大工のヨセフとマリアの夫婦です。そんなことは知っているよ、という方も多いのではないかと思います。
  しかし、二人の結婚は一筋縄ではいかなかったことだろうと思います。
  ヨセフは、結婚する前に、マリアのお腹のなかに子どもがいることを知って、最初はひそかにマリアと別れてしまおうと考えました。
  今から2000年前のユダヤ人は、結婚するのはたいてい14歳ぐらいからでした。とても若いときに結婚をするんですね。また、結婚相手はたいてい父親が決めるもので、自由な恋愛で結婚するということはありませんでした。そして、そうやって決められた結婚相手とは違う、別の人と子どもを作ってしまうなどということは、とんでもない法律違反で、死刑にされるほどのことでした。
  もし、ヨセフがマリアを離縁してしまっても、マリアのお腹の中の子どもはどんどん大きくなるでしょう。すると「いったいこれは誰の子だ?」ということになります。その結果、マリアとそのお腹の子は、死刑にされて命を奪われてしまうかもしれません。
  ヨセフは自問自答したでしょう。「ヨセフ、お前はマリアと別れて、この母と子を見殺しにしようとするのか」と、ヨセフは自分に話しかけて苦しんだかも知れません。
  しかし、ヨセフは夢見る人でした。聖書を読みますと、彼が危機に陥るときには、必ず天使が夢の中に現れて助言をしていることがわかります。彼はそうやって、未来を予知することができました。そのような夢の中で、ヨセフは「マリアのお腹のなかにいる子どもは、神の霊によって宿ったものだから、それを迎え入れなさい」というアドバイスを天使から受け取ります。そして、彼はその夢を信じ、マリアを妻として迎え入れ、マリアのおなかの中の子どもを自分の子どもとして受け入れようと決心したのでした。

信じる人マリア

  さて、マリアにもヨセフ以上の勇気と覚悟が必要でした。ヨセフでも他の男性でもなく、ただ神さまの霊によって、自分のおなかの中に新しい命が宿ったのだということは、自分にはわかっていたのですが、そのことをヨセフに信じてもらわねばなりません。
  ヨセフが自分のことを信じてくれなかったら、彼女はヨセフを裏切った罪をかぶせられて、処刑されるかも知れない……。
  しかし、マリアは「まず自分からヨセフのことを信じよう」と思いました。「あの人はきっとわかってくれるはずだ」と信じることにしたのです。
  誰かから「信じられている」、特に自分にとって大切な人から「信じられている」ということほど、人に喜びを与え、勇気づけてくれることはありません。
  マリアは一生懸命に、ヨセフに信じてもらえるということを信じながら、ヨセフに説明をしたのでしょう。
  さてヨセフには、マリアとその子を自分の家族として受け入れるために、勇気が必要でした。その子は自分の子どもではない、それをわが子であるかのように受け入れて、上手に育ててゆけるだろうか。愛してゆけるだろうか……。
  悩んだあげく、ヨセフは、勇気をふりしぼることにしました。自分の子どもではないけれど、この子を育ててゆこうと、ヨセフは決心しました。彼にそのような決心をさせたのは、マリアのヨセフを信じる勇気からです。そんな風に自分を信じてくれる人が嘘をつくはずがない、そうヨセフも彼女を信じたのです。
  マリアとヨセフは、この新しい家族を始めるにあたって、それぞれの小さな勇気を持ち寄ったのでした。

ベツレヘムの町

  ヨセフはかつて栄えた王族の子孫:ダビデの子孫であったと伝えられています。そして、彼はマリアと共に、ダビデの家系の出身地であるベツレヘムという町にやってきました。しかし、二人を迎え入れるベツレヘムの町は、二人に冷たい態度を取りました。
  本来、ダビデの子孫が妻と一緒に故郷に帰って来たとあれば、親族が彼らを温かく迎え入れてもよさそうなものです。しかし、聖書には、こう記されています。
「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(ルカによる福音書2章7節)と。
  それは、二人が結婚する前にマリアのおなかが大きくなり始めていたことを、うわさで聞きつけていたからかもしれません。マリアの子どもがヨセフの子ではないことを、ベツレヘムの親族たちは知っていて、そのようなマリアと、マリアを責めようともしないヨセフを、受け入れることを拒否したのだろうと思われます。
  しかし、マリアとヨセフは、人から後ろ指をさされても、「気にしないで生きていこう」と決心していました。マリアとヨセフは、お互いに信じあうことで、お互いの心の中に勇気の炎をともしていました。そしてさらに二人は、二人を見守ってくれる神さまがいることを信じていました。
  そんな二人の気持ちは、この世の巨大な暗闇のなかでは、あまりにも小さなともし火に過ぎないように見えるかも知れません。しかし、このマリアとヨセフの小さな勇気によって育てられた小さな命:イエスという命が、やがて成長して大人になり、キリストとして、世界中の暗闇にいくつものともし火がともるよう、勇気を分け与える偉大な存在となりました。

最初は小さな勇気から

  聖書には、イエス・キリストがこんな事を語ったと伝えられています。
  
「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(マルコによる福音書4章30−32節)
  最初は小さな1個の種の粒であったものが、時間をかけて、知らない間に、大きな木に育っていきます。「神の国」とはそういうものだ、とイエスは言います。
イエスはご自分がヨセフとマリアの小さな勇気によって命を救われ、成長することができたということを知っておられたのかも知れません。小さな種から大きな木に育ったというのは、イエスご自身の人生とも相通じるのです。
  ですから、そんな小さな勇気があちこちで生まれ、やがて世界中が希望と愛と平和に満ちた「神の国」になったら、どんなにすばらしいことだろう、という夢を、彼は描くことができました。
  考えてみれば、このマリアとヨセフの小さな勇気は、実は私たちが日々を生きていくときの勇気と同じものかもしれません。
  私たちは日々の生活の中で、いくつもいくつも小さな決断をしながら、人生を過ごしています。決していつも自分に対して有利なときばかりではありません。時には苦しいことがあったり、悲しいことがあったりします。自分が頼りなく、人には知られていないような弱さを抱えていると感じることもあります。
  しかし、そんな時でも、私たちは自分のなかに小さな勇気の炎を灯すことを忘れたくありません。また、自分以外の人にも「ちょっとだけ未来を信じてみようよ」と声をかける、小さな勇気を忘れたくありません。
  マリアがヨセフを信じた勇気。ヨセフがマリアを信じた勇気。そして他の誰もがわかってくれなくても、「神さまは自分のことをわかっていてくださる」と信じた勇気。そんな風に小さな勇気を持ち寄れば、大きな希望が生まれてくるのではないかな、と思います。
  マリアとヨセフの二人の小さな勇気にあやかって、私たちも私たちの人生を恐れることなく、足元を照らすともし火のような、勇気を持つことができますように、お祈りをしたいと思います。

祈り

  愛する天の神さま。
  今日、ここに集う小さなひとりひとりの魂を、温めてください。
  こうして、暗闇のなかにたくさん灯る光のように、私たちがお互いにたくさんの勇気を持ち合って、世界をよいところに変えてゆくことができますように、どうかお導きください。
  イエス・キリストの名によってお祈りいたします。
  アーメン。

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