『ダ・ヴィンチ・コード』をめぐって

2006年6月27日(火)同志社香里高等学校・ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込むか印刷してからゆっくりお読みください。

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聖書:マルコによる福音書15章33−39節(新共同訳・「イエスの死」)

  昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
  そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒にに付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
  百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当にこの人は神の子だった」と言った。

なぜ『ダ・ヴィンチ・コード』は騒がれるのか

  いくつかのクラスでは授業の中で話したこともあるのですが、現在、『ダ・ヴィンチ・コード』という映画が圧倒的な人気の中、上映中です。
  原作となった同じ題名の小説は、昨年から話題になっていました。
  そこで、ぼくもこの小説を読んでみました。映画も観ました。そして何が世界中で問題になっているのかがわかりました。
  まだ読んだり観たりしていない人には、ネタバレになって申し訳ないのですが、『ダ・ヴィンチ・コード』という物語は、要は、イエス・キリストと、イエスの弟子の一人であった女性の、マグダラのマリアという人が、実は結婚していて、子どもも作り、子孫も現在まで生き長らえている、そのことを聖書は、そしてキリスト教会、特にカトリック教会はひたすらに今まで隠してきたのだ、ということを暴露しようという話なんですね。
  なぜイエスが結婚し、子どもも作っていたということをカトリック教会が隠そうとするのか。それは、結婚して子どもも作って子孫も残していたということになると、「イエスはただの人間だった」ということになるからですね。
  世界中のおよそ3分の1の人がキリスト教を信じています。その中でも特に保守的な人たちは、イエスのことを神そのものだと信じています。そういう人たちの信仰をぶちこわしてしまうのではないか、ということで、キリスト教の中でも保守的な人たちが、非常にこの小説を恐れたのですね。

保守とリベラル

  しかし、じっさいにはキリスト教と一言に言っても、保守的な人たちとリベラルな人たちがいます。たとえば、私も含めてですが、同志社の神学部などで教育を受けているようなクリスチャンは、たいへんリベラルな傾向の持ち主なんですね、キリスト教の中では。
  リベラルなキリスト教徒の中では、「イエスが人間? そら当たり前やろ」という話が通用します。
  イエスは人間です。まぎれもなく人間です。ただ、イエスが十字架につけられて死んだとき、今日読んでいただいた聖書に書かれているように、その死に様を見て、思わず見ていた人が「この人は神の子だ」としか言いようのない、そういう生涯と死に様を見せた人として、ただ者ではなかったというわけですが、人間であることは間違いありません。
  イエスが結婚していた可能性についても、リベラルなキリスト教徒の間では自由に論議できます。ぼくらにとって「イエスは人間で、実は結婚していて子どももいたかも知れない」というのは、実はずいぶん前から可能性としては話されていたことだったんですね。だから、今回『ダ・ヴィンチ・コード』が流行ったからといって、特に大さわぎするほどのことではなく、むしろ可能性のひとつとして楽しむことができました。

フィクションの証拠

  それに、そんなに言うほど危険な小説でもないんですね、この本は。というのは、この小説の中では、イエスの子孫は結局誰なのか、というと、それはこの小説の主人公の一人だった、ということで終わっていますから、「ああ、なんや結局フィクションやんか」ということで、ちゃんと安全に終わるようになっているんです。
  だから、この小説は間違いなくフィクションだとわかるようになっているので、これをもとに「聖書に書いていることは、全部ウソらしいで」というのも大げさな話で、それほどの効果を持つ小説ではありません。
  しかし、世の中というのは保守的な傾向を強めていますから、こういうリベラルな小説に恐れをなす人びとも結構世界にはたくさんいるんだな、ということがわかるわけです。世界はまだまだそういうところなんだ、ということも知っておいたほうがよい現実なのだろうと思います。
  そういうわけで、今日は一つの小説・映画について思うことをお話させていただきました。最後にお祈りをいたしましょう。

祈り

  愛する天の御神さま。
  今日もあなたの守りのもと、日々の学校生活が送ってゆけますことを心から感謝します。
  イエスという、とてつもなく大きなエネルギーを持った人物をこの世に生まれされてくださって、ありがとうございます。
  私たち一人ひとりもそれぞれの人生を激しく生きていこうとしていますが、どうかイエスのように強く、優しく、生きてゆくことができますように。
  イエスの名において祈ります。
  アーメン。

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