礼拝をなめてはいけません

2007年12月7日(金) 同志社香里高等学校 ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:マタイによる福音書 17章12節 (新共同訳・新約)

  「言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」

礼拝をなめるな

  君らはかなりなめてかかってますよね、この礼拝という時間を。
  同志社香里高等学校のプログラムのなかで、この礼拝というのは、本当に君ら生徒になめられているな、と感じます。わたしはこの学校で宗教主任という仕事をしているなかで、この1年間見てきていても、本当に情けない、悲しい、つらい思いでいっぱいです。
  新島襄がもし、この現状を見ていたら、どう思うだろうか、と考えることがあります。
  いま高校1年生の聖書の試験を採点している最中なんですが、そのなかで「新島襄の遺言の中で一番強く印象付けられたものを一項目選び、それについて論述しなさい」というような問題を、試験のいちばん最後の問題として出しました。
  選ばれた項目のなかで、いちばん多かったのは、「いやしくも教職員は学生を丁重に扱うこと」という項目でした。いろんな意見がありましたが、どうやら今年の一年生は、この遺言は今でも同志社の中で生きていて、自分たちは教職員に丁重に扱われている、と感じている人が多いようです。いや、少なくとも、試験のなかの作文の中では、そういう風に書いている人が多かったです。もちろんそう感じていない人もいます。人それぞれ感じ方がいろいろ違うのは確かです。しかし、自分たちは同志社の生徒として丁重に扱われている、ということを書く人は比較的多いように感じました。
  でも、これは新島襄の遺言ではなく、別の機会に語られた言葉ですが、「チャペルは同志社の基礎である」という言葉は、いったい私たちによって守られているでしょうか?
  時間には平気で遅れてくる。聖書と讃美歌を持ってこない。礼拝堂だというのにガムをかんで入ってくる者がいる。沈黙しなければいけないときに、いつまでたってもおしゃべりがやめられない。讃美歌は歌わないで立ったままボーっとしている。あるいは隣近所をつつき合ってちょっかいを出して騒いでいる。そして再び座ると寝てしまう……。
  これが同志社の基礎の部分、同志社の心の部分に対する君らの多くの者の態度ですよ。新島襄が見たら、泣いて怒ると思います。
  いや、新島襄は涙を流すことはよくありましたが、それは感激の涙であったり、感謝のうれし涙であったことが多かったようです。泣いて怒ったという記録を読んだことはありません。しかし、新島はかなり激しく怒る人ではあったようです。
  意外に思われるかも知れませんが、妻の八重さんの語録によれば、新島襄はすぐ頭に血が上る人だったようです。しかし、一瞬怒った後、すぐにその怒りをおさめて、冷静に戻ることの早さは、ほかの人にはまねのできないほどだったといいます。
  いまの同志社香里の礼拝を見たら、新島は激しく怒るでしょう。けれども、すぐにその怒りをおさめて、丁重にみなさんに言うと思います。
  「何度もいいますが、礼拝は同志社の基礎なんですよ」と。
  礼拝は短い時間ですが、大人が心を開いて、自分が大切だと思うメッセージを若い君らに一生懸命に伝えようとしているんです。そんな礼拝をなめないでください。大人をなめないでください。神さまをなめてかからないでください。
  祈ります。

祈り

  愛する神さま。
  2007年ももうすぐ終わりです。あなたに見守られながらも、私たちは誠実な一日一日を守ってきていたでしょうか。深く反省をいたします。残された日々を大切に心を込めて遅れますように。主の御名によって祈ります。
  アーメン。

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