変わるもの、変わらないもの

2005年3月14日(月)プール学院中学校 卒業感謝礼拝講話 @日本聖公会大阪城南キリスト教会

説教時間:約16分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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旧約聖書・詩編102編24−28節(新共同訳)

  わたしの力が道半ばで衰え
  生涯が短くされようとしたとき
  わたしは言った。「わたしの神よ、生涯の半ばでわたしを取り去らないでください。あなたの歳月は代々に続くのです。かつてあなたは大地の基を据え、御手をもって天を造られました。それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは永らえられます。すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると、すべては替えられてしまいます。
  しかし、あなたが変わることはありません。あなたの歳月は終わることはありません。」

新約聖書・ペトロの手紙(一) 1章22−25節(新共同訳)

  あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。
  あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
  こう言われているからです。
 「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。
  草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
  これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。

あなたの生まれる前から

  プール学院中学校をご卒業されるみなさん。ご卒業おめでとうございます! 多くの人は同じプール学院の高校に進学されると聞きましたが、、それにしても、ひとつの折り返しというか、ひと区切りの時期ですね。
  みなさんはいままで15〜16年近く生きてきたわけですが、いままでの人生は長かったと思いますか? あっと言う間だったと思いますか?
  感じ方は人それぞれだと思いますが、いずれにしろ、もっと歳をとって大人になってゆけば、たぶんほとんどの人が、「中学校時代までなんて、あっと言う間だったなぁ」と思うようになると思います。
  ……突然ですが、ここに『こどもさんびか』という讃美歌集があります。その中の116番に「うまれるまえから」という歌があります。本当は誕生日の歌なんですけどね。
  ちょっと唄ってみます。

    「生まれる前から 神さまに
     守られてきた 友だちの
     たんじょう日です、おめでとう」
    (詞:富岡ぬい、曲:三島徹、『こどもさんびか 改訂版』日本基督教団出版局、2002、p.160 


  ぼくはこの歌の出だしの、「生まれる前から神さまに守られてきた」という言葉が大好きです。
  最近、ぼくが勤めている学校の、ある36歳の男の先生がこんなお話を学校の礼拝でしてくれました。
  その先生は、ふとした機会があって、自分の子ども時代を映した8ミリ映画のフィルム――昔はね、今みたいなビデオがありませんでしたから、子どもの成長記録なんかは、「カタカタカタカタ……」と回る映画のフィルムで撮ってました。フィルムの幅が8ミリなので「8ミリフィルム」と呼んでいました――で、その8ミリ映画を、最近編集してDVDに焼きなおして見たそうです。
  全部で4時間。今から30年以上も前の映像です。どの場面を見ても、やたらと仮面ライダーの変身ポーズをとっている生意気そうなクソガキがいる。それはまぎれもなく自分であった、というお話です。
  その30年前、あるいはそれ以前の時期をも記録した映像を見て、その先生は不思議に感動したそうです。
  まず、画面の中央に写っているのがほとんど自分だったことに、その先生は感動したそうです。いかに、そのカメラを回している自分の親が、自分のことを大切に思ってくれていたのかがわかります。
  それから、画面に映っている自分のお父さん、お母さんが、すごく若かったことにも感動したそうです。特にお母さんはその時20代、今の自分よりも若くて、そしてきれいだ……。
  そして、あわせて彼は、実はその画面に写っている人たちのうちの多くが、すでにこの世の人ではない、ということも知りました。時は容赦なく過ぎ去ってゆくのですね。
  しかしまた彼は、自分が生まれる前の自分の家族の映像も見たそうです。そこには、まだ自分は生まれていませんが、しかし、確かに時は流れていて、人が生きていた。そして、おなかの大きなお母さんを囲んで笑っている。さっきぼくが唄ったこどもさんびかのように、「生まれる前から」彼は愛されていたわけです。

人は変わる、しかし情報は変わらない

  人はいつかこの世に生まれ、この世を生き、そして、いつか必ずこの世を去って行きますね。
  人ひとりの人生も、どんどんと移り変わってゆきます。赤ちゃんから、子どもへ、子どもから大人へ、大人になってしだいに歳をとり、おばあさんやおじいさんになってゆきます。
  きちんと記録に残しておけば、赤ん坊時代や幼稚園のときなどの写真、小学校のとき、今ここにいるみんなの中学校時代のアルバム、そして将来の写真、それらを、あるいはおばあさんになったときの最新の写真と並べて見ることができるかも知れませんね。
  並べてみて、とても同一人物だとは思えないくらい、人間は変わっていってしまう。しかし、たしかに同一人物です。
  人間は変わります。
  でも、記録されたものは変わらないですね。
  記録されているもの、記録された情報。それは、8ミリフィルムであれ、DVDであれ、CDであれ、あるいは紙であれ、なんであれ、きちんと保存さえしていれば、いつまでも変わらないで残ってゆく。記録されたり、記録したりした人間がこの世を去ったあとも、です。
  人間は歳をとって変化したり、現れたり、いなくなったりするけれども、きちんと保存された情報は、変わりません。

永遠を感じる

  人類の歴史の中で、最も長く変わらずに伝えられてきた情報メディアと言えば、それはもうなんと言っても、今日もこうして礼拝で読んだ「聖書」です。
  聖書というのは、今はこうして印刷された紙の本の形で本屋にも並んでいますけれども、今から500年ほど前にこういう印刷本になる前は、教会や修道院のお坊さんが、一文字一文字手で書き写して、次の世代へと伝えてゆきました。
  じゃあ、もともといつごろから書き写し始められたかというと、たとえばイエス・キリストの言葉ひとつとっても2000年前の言葉です。2000年前と言えば、ここにいるみなさんが生まれるよりはるか昔のことですよね。みなさんの親や、おじいちゃんやおばあちゃんが生まれるもっともっと前……。
  みなさんはお父さんお母さんと何歳くらい歳が離れていますか? あなたのお母さんは、何歳のときにあなたを産みましたか? ぼくの母親は、ぼくを二十歳のときに産みました。いまから40年前のことですよ。まぁこれは40年前でも早かったほうだと思います。その当時の女性の第1子出産年齢が、だいたい25歳半くらいです。
  では、みなさんが生まれた今から16〜17年前の第1子出産年齢はというと、だいたい26歳半くらいです。まぁ、ここにいるみんなが長女ってわけではないでしょうけど。
  でも、イエス様をマリアが身ごもったのが14歳だったという説もあるくらいですから、昔にいくほど早いわけですけど、まぁたとえば日本でも昔は12歳で子ども作ってたという時代もあったわけで、あんまり意味ない仮定かも知れないけど、まぁ一応、無理やり1世代20年と仮定して、カウントしてみることにしましょう、聖書の言葉の情報が2000年前として、何世代まえの情報か。
  いいですか? 2000年÷20歳=100世代です。ですから、これは「ひいばあさんの、ひいばあさんの、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい……」と90何回言った先の、ひいばあさんの時代、ということになるわけですね。
  そういうの、ちょっと想像しにくいですよね。
  で、その2000年前のイエス・キリスト自身も、自分よりさらに1000年以上さかのぼった旧約聖書の言葉を引用してしゃべったりしている。
  要するに、この聖書という本は、「気が遠くなるくらい昔から、変わらないで伝えられてきた情報なんだ」という感覚で、みんな読んで、書き写して、伝えてきたわけです。
  この聖書の情報の保存度の高さから見たら、人間の一生なんて、すごくちっぽけで、すごく短い。
  この聖書に触れるたびに、昔から人びとは「『永遠』って、こんな感じかなぁ」と思い浮かべることができたんですよね。
  自分という人間は変わり、いつかは消えてゆく。けれども、ここに「変わらないもの」があるんだなぁってことを感じることができる。
  「わたしたち一人ひとりは、この世でははかない存在だ。けれど、それでも、永遠に変わらないしっかりしたものにつながりながら生きてゆくことができるんだ」。そういうことを感じ合うことができたわけです。

変わらない愛に守られて

  今日ぼくは、このお話の始めのほうで、赤ちゃんのときの写真、幼稚園、小学校、中学校、そして将来の写真も、おばあさんになってから、全部並べてみるといいよ、というお話をしました。
  並べてみて、とても同一人物だとは思えないくらい、人間は変わっていってしまう。しかし、たしかに同一人物。
  その、「たしかに同一人物だ」ということがわかるのは、そんな自分の変わってゆく一生を、客観的に見るもうひとつの目で見ているからですよね。まぁいわば神さまのような目線です。
  というか、そういう風に考えると、神さまがもしいるならば、どんな風に自分のことを見てくれているか、わかるでしょう。
  どんなに自分が変わっていっても、神さまは変わらない目で自分を見守ってくれているわけです。
  みなさんは、今、中学時代を終わってゆく。そしてこれからまた新しい道を歩んでゆくことになります。
  これまで自分が変わってきたように、これからも自分は変わっていきます。自分がどんなに変わっていっても、変わらない目が自分を見守ってくれます。変わらない手が、自分を導いてくれます。
  「自分が生まれる前から変わらない愛が、自分を守ってくれているんだ」ということ。それを信じて、勇気を持ってこれからの人生を生きていってくれたらうれしいな、と思います。
  それでは、お祈りいたしましょう。ふだんとは違って(ふだんは聖公会で、祈祷文にしたがってお祈りしているのでしょうけど)、ここではぼくがフリーに祈りますから、どうぞ祈りの最後に「アーメン」と声を合わせてください。

祈り

  愛する天の神さま。
  今日ここに集められたあなたの愛する子たちが、プール学院中学校を卒業してゆくことができますこの恵みを、感謝いたします。
  ここに集う一人ひとりが、あなたの変わらない愛に守られて、心豊かな人生を送ってゆけますように。
  互いに愛し、互いに仕え合いつつ、良き友とのつながりを続けてゆけますように。
  このささやかな感謝と願いの祈りを、主イエス・キリストの御名においてお聴きください。
  アーメン。

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