誰もいないと思っていても

2003年11月20日(木)同志社香里中学校・ショート礼拝奨励

説教時間:約7分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る

聖書:マタイによる福音書 18章18−20節(新共同訳・新約・p.35)

  はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。

神さまには見えないか

  おととい、学校から家に帰ったら、6歳と4歳の娘たちがお風呂から上がったところで口げんかをしておりました。
  何を口論しているのかと聞いてみると、上の6歳の娘が言うことに、
  「あのね、誰も見てないと思ってても、神さまは見てるんやんね?」
  ぼくは「うん、見てるよ、ちゃんと」と言います。
  「ほーら見てみ」とお姉ちゃん。
  「なにがあったの?」と聞いてみました。すると……
  「あのね、しおんがね(上の娘の名前です)、『お母さんが見てないと思ってても、ちゃんと神さまが見てるのよ』と言ったらね、まりんがね(下の娘の名前です)、『神さま見てへんもん』て言うねん」
  「ふーん、なんで神さまは見てへんてわかるの?」と聞きましたらば、下の4歳の娘(まりん)はキッとぼくの方を見上げまして、言いました。
  「だって、今日は、雲があるもん!」
  たしかに! ここのところ天気が悪い。空は曇ってる。
  「そうかー、お天気が悪くて、雲があるから、神さまには見えへんもん、って思ったんやな?」とぼくが言うと、まりんは、「うんっ」と強くうなずきました。

人のいるところに神がいる

  ぼくは、そろそろ上の子も来年には小学生になろうかという時期、そろそろ『幼児のための宗教教育第2段階』(笑)というやつを考えなきゃいけないのかな、と思い、説明を始めました。
  「あのね、ほんまはね。神さまってのは、雲の上にいてはるわけやないんやね、これが」
  「じゃあ、どこにいるの?」
  「人のいるところには、必ずどこにでもいてはる。つまり、人の心のとなりに、いつも住んではるんやな」
  いいですか? 一応これは、最新の研究結果を踏まえてますからね。人間は宗教的なことは、脳の側頭葉というところで感じ取ることができるんです。でも今日は、そういうことを詳しく話すのはやめときます。
  とにかく、人の心のあるところに、神がいる。
  二人、三人の人が、神を信じて集まってるところでは、その二人、三人の間に神さまが存在していることを、感じることができるようになる、そう聖書に書いてある。
  今日読んだところです。
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしはその中にいるのである」(マタイによる福音書18章20節)

誰もいないと思っていても

  ぼくは、最終的には、神さまや仏さまのような方を信じている人が、信用できる人だと思っています。
  そういう人は、誰も人が見ていないときでも、ちゃんとやるべきことをやり、やってはいけないことはやらないからです。
  人間には3種類あります。
   @一つ目は、人が見ていなくても、きちんとできる人……。
   Aもう一種類は、人が見ている時だけ、きちんとできる人……。
   Bさいごに、人が見ていても、ぜんぜんきちんとできない人……。
  人が見ていても、人に言われても、できない、という人は、何をすべきかわかってない人なので、これは最初から分かってもらわないと話になりません。
  しかし、一見きちんとやっているようでも、人が見ている時だけ、きちんとできるというのは、見ている人がいなくなると何をしだすかわかりません。こういう人は怖いです。人が見ていなければ何をしてもいいと思っているのと同じですから、こういう人は信用されません。信用されないということは、寂しい人生を歩まざるを得ないということです。
  逆に信用できるのは、人が見ていなくても、人に見られているのと同じような行動が取れる人です。そういう人は信じられることができます。
  神や仏や、あるいは、そこにはいない人の気持ちを思い浮かべることのできる人は、人が見ていなくても、神も仏も人も裏切りません。少なくとも、自分の良心を裏切ることがありません。
  誰もいないと思っていても、自分の良心までは裏切らない人になってください。
  最後に一言、お祈りをさせていただきます。

祈り

  愛する天の御神様
  わたしたちの心に、自分の姿を見つめる、もう一つの目、良心の目を与えてください。それによって、自分の値打ちを高める行動を日々取ることができますように。
  主イエス・キリストの御名によって祈ります。
  アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール