恐怖のはじまり

2007年2月11日(日) 日本キリスト教団香里ケ丘教会 信教の自由を守る日 聖日礼拝説教

説教時間:約20分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:マルコによる福音書 13章3〜13節 (新共同訳・新約)

  イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。
  「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」
  イエスは話し始められた。
  「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをする。しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

小黙示録

  今日お読みしましたこの聖書の箇所、マルコによる福音書の13章は「マルコの小黙示録(小さな黙示録)」と呼ばれ、マルコが「もうすぐ来る」と信じていた世界の終わりが、どのようにやってくるのかを予言した言葉です。今から1900年あまり前、紀元1世紀に生きていたマルコが信じていた「世の終わり」は、結局やってはきませんでした。いまでも世界は終わってしまわずに、こうして今も私たちは連続した歴史のなかで生きています。
  しかし、このマルコの残した「小黙示録」の言葉は、今私たちが置かれている危険な状況にあてはめると、不思議なほどピッタリと当てはまるように感じます。それは、マルコが直感的に感じ取っていた時代や社会の危険な匂いが、いま私たちが置かれている状況と似ていたからではないかと思います。

多くの人が惑わされる

  5節をご覧ください。イエスは「人に惑わされないように気をつけなさい」と語っています。「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう」(6節)とも言っています。これは、「わたしが救い主だ」と言って人びとを惑わせる者が登場することを予告しています。
  惑わそうとする者たちがたくさん現れ、またたくさんの人びとが惑わされるのはなぜかというと、何が正しいことで何が本物なのかを見分けることができなくなってしまっている時代だからでしょう。いまの社会には、あまりにも多くの情報がテレビやインターネットを通じて流されています。そしてそれらの情報のほとんどが、営利目的や世論の操作のために流されているものです。
  日本はカルトの被害者がたいへん多い国です。「宗教にはかかわりたくない」と思っている人が多いはずなのに、宗教めいた組織の勧誘にのってしまうのは、逆に宗教に対してあまりに無知だから、ということが言えるでしょう。「これは宗教ではありません」と説明されると、簡単にだまされてしまうわけです。宗教をしっかり正面から見据えて、宗教の持つ恐ろしさも、宗教の持つ本当の価値も、きちんと理解しようとしません。ただ「宗教はこわい」とばかり言って、宗教のことをきちんと考えずにきているために、何が本物で何が偽者であるかを判断することができなくなっているのではないでしょうか。
  「これは宗教ではない。宗教以上のものである」と説明され、神社と天皇を拝まされてきた歴史から、日本人はもっと多くのことを学ぶべきでした。しかし、第2次世界大戦に敗戦した後、天皇が「人間宣言」をおこなったあとも、なぜ日本人が「神社非宗教説:神社は宗教のあらず」という詭弁にだまされたのか、ということの反省はきちんとなされてきませんでした。
  いまの時代は、まさか天皇は神々の子孫であると説明しても、それをまともに信じる人はいないでしょう。しかし、メディアにつなぐと、占い師、運命判断、スピリチュアル・カウンセラーなどの誘惑がありとあらゆるところにころがっています。宗教嫌いのはずの日本人が、何か信じられるもの、すがれるものを求めて、右往左往しています。
  みんな不安を抱えています。みんな自分のことが頼りなく感じています。そんな不安や頼りなさを狙って、誘惑をかけてくるものが、いまの世の中にはあふれ返っています。それらの誘惑はほとんどが営利目的です。今日のマーケティングは、人が何に不安を抱いているのかも調査した上で、救いの手を差し伸べるかのように人を誘惑します。
  そんなわたしたちに、聖書は、
「人に惑わされないように気をつけなさい」(5節)と警告してくれるのであります。

戦争のうわさ

  7節をごらんいただきますと、「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことが起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」とあります。
この「戦争の騒ぎ」「戦争のうわさ」もまた、人を惑わすものの一つです。戦争をできるように準備し、戦争をしなければならないように人の心を操作し、戦争を命令するのは、すべて政府・国家権力のやることです。
  いま私たちはまさに、政府によって、戦争の準備が着々となされている只中にいます。
  まず1999年には、「日米新ガイドライン法」が成立し、アメリカと日本が共に戦争を戦えるようにするための枠組みが出来上がりました。また同じ1999年「国旗国家法」も成立し、日本中の学校で「日の丸」に敬礼し「君が代」を歌うことを義務付ける動きが加速し、これに従わない教員に対する処分の嵐が吹き荒れ始めました。
  2001年には、「同時多発テロ」が起こりましたが、当時の小泉首相は「アメリカを全面的に支持する」と発表し、この年、歴史上初めて、作戦行動中のアメリカ軍と日本の自衛隊の同時行動が行われました。
  翌2002年には、「有事関連3法案」と呼ばれる法律が閣議決定して国会での審議に入り、同じ年「教育基本法」の見直し案も提出されました。この2002年の衆議院有事法制特別委員会で、当時の福田康夫官房長官は、「武力攻撃事態では、国民の思想、良心、信仰の自由が制約を受けることがある」とコメントしています。つまり、たとえば私たちが自分の思想や、良心や、信仰を理由として、作戦行動中の自衛隊に協力しないことは認められない、という見解が政府関係者から出されているわけです。また、「作戦行動の中で、教会や神社、仏閣の撤収や除去は可能か」という質問に対しても、当時の津野修内閣法制局長は、「それはありうる」と答えています。
  翌2003年には、さきほど申し上げた「有事関連3法案」が参議院を通過し、われわれ日本国民は自衛隊が作戦行動を取ったとき、それに協力しない場合、罰則を受ける状態に定められてしまいました。同じ年、イラク復興特別措置法も成立し、イラクへの自衛隊派遣が始まりました。
  翌2004年には、自民党憲法調査会が、「憲法第9条」の改定案概要を固め、軍隊の保持の明文化や、国を守る義務という条項を設ける案を提示しました。
  続いてその翌年、2005年には、自民党新憲法起草委員会が、「天皇制」や「愛国心」についての条項を盛り込み、自衛隊を「自衛軍」としてその存在を明記する方向を主張しました。
  そして昨年、2006年には、やらせのタウンミーティングで世論を欺いたあげくに、改定教育基本法が成立し、「個人の尊厳と自由と平和のために行う」とされた国民の教育が、「日本の伝統を守り伝えるための教育」にすりかえられ、「権力の不当な支配を受けない」とされていたはずの教育が、逆に権力者が定める「法律に従って行われなければならない」という条文に書き換えられてしまいました。
  「教育は法律に従って行われなければならない」。いったいどんな教育のための法律がこれから作られてくるのか。それは、今までこうして私が挙げ連ねてきた昨今の法律制定の動きを見れば、明らかなのではないでしょうか。
  私たちキリスト教学校で働いている者の間では、現在、公立学校で軒並み反対者の処分が行われている「日の丸、君が代」の強制が、やがてキリスト教学校にも襲ってくるのではないかと危惧されています。
  また、奉仕活動の義務化ということが、現在、東京都を筆頭に進められており、全国の都道府県もこれに習う傾向にあるそうです。こうやって、上の命令で無償の奉仕活動を強制されても文句を言えない状況が作られてゆこうとしているわけです。
  そして、安部晋三首相は自分の任期のうちに、「日本国憲法を改定する」と宣言しています。憲法を変えてしまえば、日本の軍事国家への道は、実にスムーズなものになるでしょう。
  聖書は
「そういうことが起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」(7節)と告げています。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである」(8節)。これらの戦争のうわさ、戦争の騒ぎは、まだまだ苦しみの始まりである、と。
  しかし、この戦争の苦しみはマルコいわく「産みの苦しみ」だとも言っています。マルコは自分の時代に起ころうとしていた大きな戦争の苦しみを、「産みの苦しみ」と呼んでいるわけです。その言葉の裏に、「この戦争はいつか必ず終わる」「苦しみの時代は必ず終わる」という希望がこめられているのを、私たちは読み取ることができます。

教えられることを話せばよい

  しかし、さきほどから申し上げていますように、これからの時代は、キリスト者にとっては非常に不利な状況です。
  有事の事態に直面したとき、私たちは自分の信仰を理由として、軍事行動に協力しないという選択をした場合、非常な不利益をこうむる可能性があります。具体的には警察に同行を求められ、取調べを受けたり、あるいは威力をもって協力を強制されるか、有形無形の暴力を受けたりする可能性も出てくるでしょう。じっさい、沖縄では昨年末、米軍基地の建設に反対する牧師が逮捕されるという事態が起こっています。
  もし、2003年以来継続審議になっており、この2007年の国会で最大の山場を迎えると言われている「共謀罪等新設法案」の成立を許してしまったら、私たちは政府の軍国化への道に反対する相談をしただけでも犯罪者として追及されることになります。たとえば教会で、戦争に反対する意見表明をしようか、集会をしようか、と相談しただけで有罪となるし、密告者には恩典が与えられます。とんでもない恐怖の社会が、私たちの前に待ち受けているわけです。
  キリスト者は、
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」(マタイによる福音書5章9節:口語訳)という御言葉に立つ者です。しかし、この言葉によって立つということが、そのまま世の体制に対する反逆として受け取られる時代が迫っています。キリスト者が再び日本で「非国民」と呼ばれる日も近いのであります。
  福音書記者マルコは、彼の置かれた混乱の時代のなかで、迫害を受けたクリスチャンが、どのように事態に対処すればよいのか、を教えています。9節以降を読んでみましょう。
  
「あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。しかし、まず福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかを取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ」(9〜11節)……。
  何を言おうかと取り越し苦労をする必要はない。言うべきことは聖霊が教えてくださる……。
  この信頼に立てるかどうかが、キリスト者には問われているのだろうと思います。私たちが言うべき言葉、行うべき行動は、実は単純なことなのかも知れません。たとえばそれは、
「幸福(さいはひ)なるかな、平和ならしむる者」(マタイによる福音書:文語訳)という御言葉にすでに端的に表されているわけです。
  しかし、素直にこの御言葉を実行するためには、聖霊の支えに身を任せていく勇気、己をむなしくして御言葉に聞き従う信頼が必要となるのだろうと思います。
  誰もが勇気ある抵抗をなすことができるとは限りません。心ならずも屈辱を味わわされながら、忍従を強いられて生き残るという方法を取らざるを得ない人もいるでしょう。しかし、
「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(13節)と聖書には書いてあります。そこを読みましょう。
  
12節、「兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう」。自分の子どもを戦地に送り出す親が増える世の中が来ることを思うと、この聖句は平静な心境では読み流せません。
  そして
13節、「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」……。
  私たちがこの日本で非国民呼ばわりされる日が来ようとも、それを耐え忍ぶ力を、神さまが与えてくださることを、ひたすら祈りたいと思います。
  祈りましょう。

祈り

  愛する天の御神さま。
  世の流れは、私たちをたいへんな試練に追い込もうとしています。
  私たちは、どこまであなたの御心を信じ、あなたの御心に沿う生き方を続けてゆけるでしょうか。
  どうか、神さま、わたしたちの心から不安を取り除いてください。恐怖を取り除いてください。
  常に私たちと共にあり、私たちを守り、導いてください。
  どうかこれから私たちを襲うであろう時代の嵐を、私たちが潜り抜けてゆけますように。そして、世の栄光ではなく、あなたの栄光を証ししながら生きつづけてゆけますように、  どうか私たちを支えてください。
  主の御名によって祈ります。
  アーメン。

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