おともだち

2004年11月30日(火)同志社国際中学校・同志社創立記念礼拝奨励

説教時間:約15分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:ヨハネによる福音書15章14−15節(新共同訳)

  わたしの命じることを行なうならば、あなたがたはわたしの友である。
  もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。
  僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

親友はいますか?

  みんなに質問します。
  「親友」と呼べる人、いますか? 「いる」と思う人は手を挙げて教えてください。別に学校の中だけとは限りません。地球上のどこかに、「この人はわたしの親友だ」と思う人がいるなら、手を挙げてください。
  手を挙げることができた人は、とっても幸せな人ですね。
  では、「親友」がいると答えた人に質問します。あなたには親友が、何人いますか? 1人いるという人は? 2人いるという人は? 3人の人、4人の人、5人以上は……?
  ……ありがとう。
  では、そんな事をみんなに訊いているぼくには、親友がいったい何人いるでしょうか。何人いると思いますか……?
  実は、ぼくには親友が、ひとりいます。
  「なーんや、あれだけ偉そうに人に訊いといて、おっさんはたったひとりか?」と思う人もいるかも知れませんが、本当の友達なんてそんなものじゃないかな、という気がします。
  ぼくは、ここにいるみんなの3倍くらいの年齢は生きてきて、それだけみんなよりもたくさんの人と出会ってきています。そんな人間でも、本当に親友だ、と思える人は1人いればいいほうだな、あるいはいなくてもちっとも恥ずかしいことではないな、と思っています。

ジョーのともだち

  今日は創立記念礼拝、ということで、新島襄のお話になるんですが、新島襄という人はお友だちが多かった人ですよね。
  みんなも授業で新島襄のことは習ってるでしょう? 中学1年生でやってるんですか? ぼくはうちの学校で高校1年生での授業を担当してますけどね。どうもね、進むのが遅くて、まだやっと新島襄がアメリカについて勉強始めて、Amherst College (アーモスト大学/アムハースト大学)を卒業したあたりで、まだ日本に帰ってきてないんですけど……おそい? どうですか?
(「もうお墓に入られました」と、同志社国際中高宗教主任のY先生のお声) いやーすごいですね、国際は、ハハハ。
  さて、その新島襄の授業で黒板を使いながらね、「新島襄という人は、まず函館でニコライさんに会うでしょう」とか言いながら、一番上に「ニコライ」とい書いたりするわけです。
  で、次に「ニコライのところに出入りしていた沢辺琢磨という人がいて、この人が福士卯之吉という人を紹介してくれますね」とか言いながら、矢印を引いて「沢辺琢磨」、「福士卯之吉」と書いていく。
  で、次に「この福士卯之吉がベルリン号という船の船長さんで、セイヴォリーという人を紹介してくれて、これで日本脱出」とか言って「セイヴォリー船長」、「そのセイヴォリー船長が、上海でワイルド・ローヴァ号のテイラー船長を紹介し」と「テイラー船長」。「そしてそのワイルド・ローヴァ号でボストンに着いてから、船会社の社長さんであるハーディさんと会い」とか言って「ハーディ氏」と書く……。
  と、こうして黒板に、「ニコライ→沢辺→福士→セイヴォリー→テイラー→ハーディ」と書いてゆくと、いかに新島という人が、たくさんの人のお世話になったか、人から人、お友だちからお友だちへと紹介されていったか、ということがよくわかってくるんですね。
  そして、彼の場合おもしろいなぁ、すごいなぁと思ってしまうのは、彼は、友だちの友だちを紹介されると、その新しく会った友だちの友だちが、その日から自分の新しい友だちになってしまうんですね。「友だちの友だちは友だちだ」ということになってしまうわけです。
  これって、ぼくなんかはとてもうらやなしいなぁと思います。ぼくは子どものころから友だちを作るのが下手なほうでしたから。
  だいたいいじめられっ子でしたからね。うちの学校でそう言うと、みんな「ウソや」と言いますけど、ぼくはいじめられっ子でした。
  だから、新しい人と出会っても、「こいつはオレの敵なんだろうか、味方なんだろうか」と疑ってかかって、結局なかなか仲良くなれずにいて、損をしてしまう、ということがよくあるんです。
  でも、そんなぼくが、最近ガーンと思ったことをお話します。

扉がドカンと

  ぼくは同志社香里中学校高等学校でボランティア部というクラブの顧問をしています。
  実はうちのボランティア部は、同志社国際中学校高等学校のサービス部と仲良くさせてもらってて、いっしょにボランティア活動に出かけていったり、合宿をしたりしています。
  このクリスマスには、大阪市内から電車とバスで1時間ほど南にある、富田林市の山の中にある、「大阪府立金剛コロニー」という、心や脳の発達のしかたがちょっとぼくらの多くとは違う子どもや大人が、いっしょに助け合いながら生活している施設で、ささやかなクリスマス会を行なうために、一緒に出かけてゆく予定にしています。
  つい1ヶ月ほど前に、香里のボランティア部と国際のサービス部の選抜メンバーは、この金剛コロニーという施設に下見に行ってきました。
  施設を見学し、クリスマス会を行なうホールの下見も終わり、いろいろ質問もして、よし帰ろうと思ったとき、施設に住んでいる子たち、たぶんみんなと同じくらいか、もう少し上、15〜16歳くらいの年齢の子たちが、美しい紅葉のなか、落ち葉を踏み踏み、散歩をしているのに出くわしました。
  一人の男の子が、ずんずんずんと近寄ってきて、われわれの集団のすぐ近くまでやってきて立ち止まり、そして、じーっとわれわれをひとりひとり観察しはじめました。
  「こんにちは」とこちらが言いました。
  「こんにちは」とその子が言いました。そして、「どこから来た?」と訊きました。
  「京都から来たんよ」と言いました。
  すると、「京都? 学校?」とその子が言いました。
  「そう、学校」と答えました。
  するとその子は「京都……学校……。おともだち?」と言いました。
  ぼくはびっくりしました。
  ぼくは、いつも初めての人に会ったら、まず警戒したり緊張したりで、だいたい人と友だちになるのなんか、ものすごく時間がかかるものと思い込んでいたんで、はっきり言って心が閉じてたままだったんです。
  ところが、相手のほうから先に突然大きな声で「おともだちだよね?」と言われてしまったので、なんというか閉じてた心の扉をドカンと開けてもらったような、急に温かいものがじわっと流れ出るように、ちょっと恥ずかしいような、けれども「助かった」という感じがしたんですね。
  だから本当に「ありがとう」という気持ちで、こちらも「そうやで、おともだちやで」と答えることができました。

友だちになれるね

  世の中、誰でも無条件に信じることはできないと思うし、じっさい危ない人もたくさんいます。でも、たとえ相手が危ない人間ではないことがわかっていても、もう一歩進んで自分から友だちになろうという勇気がなかなか出ないことがあります。
  そんなとき、「君は友だちだね?」「あなたを信じていいね?」という呼びかけをこちらからすること自体が、相手の心の扉を開けてゆくこともあると思うんです。
  新島襄って、ひょっとしたらそういう人だったのかも知れないな、と思います。「あなたと友だちになりたい。そして、あなたを信じたいのです。あなたを信じていいですね?」と大まじめに呼びかけるものだから、相手の人は新島に信頼されていることにちゃんと応えないと悪いことをしたような気になったんじゃないかと思うんですね。
  ちょっと怖いなとか、恥ずかしいなとか、裏切られたら嫌だなとか思っていても、自分から笑顔を人に見せてゆく勇気。そんな勇気で自分や世界を変えてゆこうとすることが、新島襄の願いを継ぐということであり、とっても同志社っぽいことなんじゃないかな、と思っています。
  ぼくは、いまのところ親友はひとり。でも、これからでも本当の友だちを増やしてゆきたい、そのために自分から「君を信じていいね?」と呼びかけてゆく勇気を持とうと思っています。
  みんなも、出会う人に、「仲良くしよう」と自分から言える人になっていってくれたら、と思います。自分から「仲良くしよう」と言える勇気を持つ人が増えれば増えるほど、この世の中は平和で暮らしやすくなっていくはずです。
  お祈りしましょう。

祈り

  愛する天の御神さま。
  今日は、同志社国際中学校のみんなと、こうして礼拝を守ることができますことを、心から感謝します。
  神さま、世の中は疑いと敵意とに満ちあふれ、争いに苦しむ人がたくさんいますけれども、どうか私たちを失望から救ってください。
  私たちを、小さな出会いからでも、誰とも仲良くでき、この世を平和にしてゆく努力ができる人間にならせてください。
  この祈りを、私たちの主、イエス・キリストの名によって、お聴き下さい。
  アーメン。

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