良心のハローワーク

2004年4月19日(月)同志社香里中学校・ショート礼拝奨励

説教時間:約9分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る

聖書:ローマの信徒への手紙 15章1−2節(新共同訳・新約・p.295)

  わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。

君は何のために学ぶ?

  「君はなんのために勉強しているんや?」ともし聞かれたら、自分だったらどう答えると思いますか?
  「君はなんのために学校行って勉強しているんや。誰のための勉強かわかってんのか?」と聞かれたら、君らはどう答えますか?
  こういう質問が投げかけられたとき、よく聞かれるのが、「自分のためです」「そうや、他の誰でもない自分のためやろ」というような会話です。
  でも、ぼくは、それがなんだか違うような気がするときもよくあるんです。
  ここにいる1年生は、つい2週間ほど前に入学式をしたところです。上級生の人たちも、昨年、一昨年、入学式を経て、この学校に入ってきました。
  入学式では必ず、創立者・新島襄の『同志社大学設立の旨意』という文章が読まれます。今年の入学式でも、西山教頭先生が朗読してくれました。この『同志社大学設立の旨意』には、新島襄が、この同志社からどんな人が育っていってほしいと願っていたかが書かれているので、大学だけではなくて同志社のあらゆる学校で読まれています。
  その中に、「良心を手腕に運用する人物」という言葉が出てきます。
  「良心」というのは、文字通り「良い心」のことです。言い換えると他の人のことをちゃんと思いやることのできる気持ち、と言えるでしょう。
  「手腕」というのは、世の中で実際に通用する知識や能力のことです。
  「運用する」というのは、その知識や能力を使って、なにかを実行してゆくことです。
  新島襄は、知識や能力を使っていろんなことを実行してゆくのはいいけれど、「良心」というのも君の能力のひとつとして活用しなさいよ、と言っているわけです。
  人を思いやり、人を喜ばせ、人の役に立つような知識と能力の使い方ができるような人間になりなさいということです。
  新島襄はこれを、聖書から学びました。
  今日、みんなで開いて読んだ聖書の箇所には、「自分の満足を求めるのではなくて、人を喜ばせるために、お互いの力を高めなさい。強い者は弱い者を助けなさい」ということが書いてあります。

良心なき手腕でなく

  そういう人間になるために、たとえばおよそ宗教とか道徳とかと関係ないように思われるような、数学という科目だって、聖書の、キリスト教の精神で勉強して欲しいと、ぼくは思っています。そんなことできるわけないやん、と思う人もいるかもしれませんが、ぼくはできると思います。
  いい本が世の中にありましてね。『13歳のハローワーク』(村上龍編、幻冬舎、2003)という本をここに持ってきました。これいい本ですよ。ぼくが今、聖書の次にみんなに勧めたい本です。これは、自分が何が好きかによって、自分に向いている職業を探すことができる本です。「虫が好き」とかね、「文章が好き」「ダンスが好き」「乗り物が好き」「地図を見るのが好き」、変わったところでは「賭け事や勝負事が好き」とか「カラオケが好き」とか「ナイフが好き」「エッチなことが好き」他にもいろいろ、よくもまぁ、世の中にはこれだけいろんな仕事があるもんやな、と感心させられる本です。見ているだけでも楽しい。
  その中に、ちゃんと「算数・数学が好き」という項目もあります。その項目の中には「金融業界でディーラー、トレーダー、アナリスト」「税理士」「公認会計士」「保険会社のアドバイザーや商品プランナー」などなど、最近は金融工学という方法が発達していて、理工系の勉強ができる人が金融業界で必要なんだそうですね。
  ぼくなんかは、お金の運用というのは本当に苦手なほうですから、誰か「良心が全身に充満」しているような同志社出身のファイナンシャル・プランナーに、将来のためのお金の運用とか保険の入り方とか、親切に教えてほしいです。
  良心の欠けた人は要りません。そういう人はお客から金を巻き上げるだけです。でもそういう人はたとえ逮捕されなかったとしても、最終的には嫌われて相手にされなくなりますから、生きる場所を次第に失ってゆくことになるでしょう。
  もし、ここにいる人の中で誰かが、自分の欲望や利益のためではなく、聖書に書いてある「自分のためではなく、人のために」という精神で数学を学んでいってくれたら、その人は将来、金融会社や保険会社などで、きっと「人に喜ばれる」いいプランナーやアドバイザーになっているかもしれない。そういう将来の夢を持っていたら、理数系の科目をキリスト教精神に基づいて学ぶということはありうるんじゃないかな、と思っています。他の教科でもまったく同じことです。その知識で、君は世の中で誰の役に立てるんや、どんな役に立てるんや、ということが大事なんですね。
  ここにいるみんなが、この同志社で、将来誰かを喜ばせるために使える何かを見つけ、身につける、そんな気持ちで勉強やクラブをしていってくれたらな、と願っています。
  お祈りしましょう……。

祈り

  愛する天の御神さま。
  ここにいるみんなが今日も健康と安全を守られて、ここに生きていることを感謝します。
  せっかく与えられた一度きりの命、一度きりの学校生活を、自分以外の人と幸せを分け合うための大切な時として過ごす事ができますように。どうか人を喜ばせ、社会を明るくするための、力をこの学校で身につけることができますように、どうかわたしたちを導いてください。
  この感謝と願いの祈りを、主イエス・キリストの御名によっておささげいたします。
  アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール