ただいま

2004年8月1日(日) 日本キリスト教団光明園家族教会 聖日礼拝説教

説教時間:約20分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

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聖書:ルカによる福音書15章11〜24節

  また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。そこで、その地方に住むある人にところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました、もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

  いまここには、12人の家族教会のみなさんと、12人の高校生たちと、そしてこの高校生たちを引率した2人の顧問がいて、合計26人で礼拝を守っています。そして、その顧問の1人がこうして礼拝の講壇に立たせていただき、これから説教と聖餐式を行わせていただくことができます恵みを、心から感謝したいと思います。

祈りの原点

  およそ20年前、私は関西学院大学のワークキャンプを通して、この島にやってくる大学生の一人でした。
  その頃はまだ橋はかかっていなくて、小さな渡し舟で島に出入りしていました。初めて長島に入る時、何か未知の世界に入ってゆく恐ろしさというか悲壮な覚悟というようなものを抱きながら、小船に揺られていたのを憶えています。
  正直に白状して、わたしは最初に療養所の入園者の方々とお会いした時、怖いと思いました。しかし、これも正直な話ですが、何度も長島に通ううちに次第に慣れて、何とも思わなくなりました。
  むしろ、今でも永く記憶に残るのは、家族教会の方が本当に手厚くわれわれワークの参加者たちをお世話してくださったこと。この教会の外でワークの合間にナスのからし漬けを食べて、辛くて涙が出たこととか、夏祭りの夕べ、光明園の大通りでいっしょに食べたおでんがうまかったとか、食べ物のことばかり言ってますが、うれしかったことや、楽しかったことばかり憶えております。
  そしてそれ以上に、わたしのクリスチャンとしての信仰生活の基礎にあるものの一つに、この家族教会での礼拝があります。
  わたしの中で、祈りというものをこうやってするんだという型のようなものというか、祈りの原点のようなものは、家族教会によって与えられたように感じています。
  初めて家族教会の礼拝に参加した時、とにかく長い礼拝だと思いました。特に祈りの時間になると、その祈りがなかなか終わらない。みなさん一人一人の教会員の方が、とても丁寧な祈りをされるので、とても長い時間がかかる。しかし、時間の長さを意識しないほど、その祈りには心がこもっています。
  特にわたしが衝撃を受けたのは、今は天におられる田宮ヤス子さんの祈りでした。一週間の一日一日の細々した出来事を思い出しては、田宮さんは逐一感謝をささげておられました。うれしいことも感謝し、うれしくなかったことにも感謝をささげておられました。また、自分のことに感謝をささげるだけでなく、実に事細かに人のことについても感謝と願いをささげていました。本当にこの人はどうしてこんなにたくさんの人についての詳しいデータが頭に入っているのかと思うくらい何人もの人のことを思い出して、順番に、ていねいに、神さまの具体的な恵みがその人にあるように願いの祈りをささげておられました。
  わたしは夏の暑いさなかの礼拝で、長い長い時間、祈りの言葉に耳を傾けながら、こんな風に自分以外の人のことを大切に思うことが人間にはできるんだ、ということに静かに衝撃を受けていました。

離れる心

  しかし、大学を卒業し、就職して名古屋で働いている間に、わたしは少しずつ、長島から心が離れてゆきました。
  会社員としての生活の忙しさにまぎれて、物理的に長島に来ることができない時期が続き、田宮さんとのカセットテープによる声の手紙のやりとりも途絶えがちになり、そうなると余計に心が遠のき、やがて、長島のことを思い出すこともまれな状況になっていきました。
  長島ワークキャンプは、自分の中で大学時代の単なる思い出の一ページということになってしまい、わたしは忙しい日々をただ走り抜くだけで精一杯になっていきました。
わたしの信仰や祈りの原点だと思っていたはずの光明園家族教会のことも、離れている時間が長くなればなるほど、連絡を取るのが億劫になり、またさらにそういう自分が嫌で、やがてすっかり過去のものになるのを待っているかのように、放置したままでいました。
  近い世代でワークキャンプに参加していた関西学院大学の先輩方が、社会人になってからも、長島との関わりを続けてこられていることをウワサに聞くと、自分がいかに冷たい人間であったかということを思わずにはおれません。
  また、何が情けなかったかと言って、田宮さんが天に召されたということさえも、ずいぶんあとになってから、やはりウワサで聞いた、その自分の冷たさがいちばん情けなく思えました。
  そうして、わたしは名古屋で会社員として働き、その会社を辞めて京都の同志社大学神学部に編入学し、牧師の資格を取り、同志社香里中学校・高等学校に聖書の教師として赴任しました。その間、約18年間、わたしは長島から遠ざかったまま、長島を忘れ去ろうとしていたわけです。

偶然の到来

  ところが、その長島に「帰ろう」という話に、突然なったわけです。
  わたしが顧問をしている同志社香里中高のボランティア部は、年に何回か、大阪は西成区の釜ケ崎という寄せ場の町で、おにぎりを握って配るという炊き出しの活動をしています。学校がこの活動を始めて10年くらいになります。
  同じ同志社系の学校である同志社国際中高のサービス部の顧問であるS先生は、この釜ケ崎でのボランティアに、いっしょに参加したいと申し出てこられました。そこである日、その打ち合わせをしていた時、S先生の口から突然、「サービス部の子たちと、長島のハンセン病療養所に行きたいんです」という言葉が飛び出し、わたしはイスから転げ落ちそうになるくらい驚きました。
  いろいろ話を聴いていると、S先生はご実家がここから近くの西大寺だし、中学時代からの仲の良いお友達もお隣の長島愛生園で働いておられるということだし、長島は身近な存在だったので、いつか行こうと思っておられたのですね。そして、せっかくこうして同志社国際と同志社香里がいっしょにボランティアをする機会ができたのだから、この際いっしょに行きましょうという話になったのです。
  わたしは「ああ、ぼくは呼び戻されようとしているのかな」と思いました。同志社香里に最初に聖書の教師としてきた時、この学校にはキリスト教主義に基づくクラブがすべて崩壊していました。そこにボランティア部を作り、聖歌隊を作り、そしてボランティア活動における学校間交流も進めていこうと努力してきた矢先に、自分の信仰と祈りの原点に戻りなさいと神さまに言われているような気がしました。
  また不思議なことに、香里ボランティア部の部長であるA君も、あまりにも簡単に「はい、行きましょう」と言う。釜ケ崎で炊き出しのボランティアに行く日の朝に、「行こうかなと思っている」程度の話をしたと思うのですが、その日の釜ケ崎のボランティアが終わるお昼のミーティングのときには、もうA君は「今年の夏はハンセン病の療養所に行くつもりです」とみんなに言ってしまっていたのでした。

紆余曲折

  しかし私は、これはよくないクリスチャンなのですが、神さまが導いてくれてはるんちゃうかなーと思った時に、「ほんまにそうかいな」と試したくなるのですね。「あなたの神である主を試してはならない」(マタイによる福音書4章7節)と聖書に書いてありますけど、神さまの出方を見ようかな、という気で受身的な気分になるときがわたしにはあります。
  それで、S先生のお友達が愛生園で勤めておられるということだから、それではそのお友達を通じて、愛生園にお邪魔することにしてはどうか、細かいことはS先生にお任せしよう、という風に話を進めていったのです。
  ところが、連絡を取ってみるとお友達はいま広島に移っておられて愛生園にはいない。一応連絡先を教えてもらったけれども、愛生園にじっさいに電話をかけてみると、その日はお祭りの期間で、あちこちからいっぱいボランティア・グループがやってくるし、来られても受け入れる余裕がないよ、という冷たい返事。
  しかし、参加するメンバーの間ではもう7月29日からという日程は他に動かせない状況になっていて、結局、私が光明園側に連絡をすることになりました。
  そこでまず、虫明伝道所のH牧師に連絡を取りました。H牧師は、関西学院のワークキャンプにずっと付き添ってこられて、私が学生として参加した時にも、キャンプのあり方についての意見や、信仰理解など相当なへだたりがあり、ずいぶん激しく口論したりもしたものでした。なかなか扱いにくいオヤジではあったのですが、いちばん印象深い人物でもありました。それで連絡を取りました。
  H先生は関学のワークキャンプに対する懐かしさもあってか、ずいぶん優しく丁寧に園内を案内してくださいました。しかし、確かに今回の合宿の計画を具体的に推進することについては、顔を曇らせていました。そして、その理由が、彼が家族教会の兼務牧師の任を去られるからである、と間もなく私は知ることになりました。
  そして私は、やっと家族教会、Kさん、Tさんと直接お話をさせていただき、合宿の計画を進めてゆくことになりました。

放蕩息子のように

  今思えば、こうしていつもじわじわと、恐る恐る外側から物事に近づいてゆく引っ込み思案なところが見かけによらず私にもあって、今回もそれが出たのだと思います。
  最初から直接家族教会に連絡しておれば話が早かったのに、と言われればそれまでなのですが、それをするには私にも長年、不義理をしていた後ろめたさがありました。そんな私を、逃げられないように押し出してくれたのがS先生、そしてA君……。
  結局このような回りくどい過程を通して、わたし自身がちゃんと家族教会に「自分で」帰ってゆかなくてはならないのだよ、ということを改めて神さまは私に教えてくれた、私はそのように導かれたのかな、と思っています。
  しかも、実はこの後、聖餐式があるのですが、実は聖餐式を執り行うのは、私、今日ここで行われる聖餐式が生まれて初めてなのです。私は牧師ではありますが、最初から学校で働いていた牧師なので聖餐式や洗礼式といった聖礼典を執行することがありませんでした。
  わたしが祈りの原点だと自分で思っていた教会で、牧師として初めての聖礼典を執行させていただける。そのような形で、家族教会は私を受け入れてくださいました。
  私だけではなく、今回の私たち同志社グループの訪問を、教会の設備の利用、奉仕活動の斡旋、出会いの場の設定、食事や風呂のお世話など、何から何まで手厚くお世話くださって、温かく迎えてくださいました。
  ただ感謝の念を抱くだけでなく、このような、一度は長島のことを忘却のかなたに投げ捨てたような冷たい人間を、そしてそういう冷たい不義理であった人間が「受け入れてください」とわがままにお願いした集団を、こんなに温かく迎えてくださるこの教会に、わたしは今日読んでいただいた聖書の箇所、放蕩息子のたとえに表わされた、大きな愛情を感じずにはおれません。
  私は大きな顔をして「ただいま」と言えるような者ではありませんが、18年ぶりに帰ることができたこと、そしてこのような者を受け入れることで神さまの愛を証してくださった家族教会の皆さんに心から感謝しています。

導き

  また私は、特に合宿に参加した高校生のみんなには、神さまの導きなんてこんなもんやで、と言いたいと思います。
  神の導きというのは、何かとんでもなくドラマチックで、特別な、運命的な出来事の連続ではない。ゆっくりと、じっくりと(slow but sure)進んでゆく。ごくふつうの何気ない偶然の出来事の中に、すこしずつ神の意図が明らかにされてゆく、そのようなものです。
  「それは単なる偶然であって、神などそこには介在しない」という考え方もあるでしょう。そこは本人の感じ方、考え方しだいです。しかし、ただの偶然だ、そこには神さまなどいないと思っている人間は、そこで立ち止まって終わってしまいます。逆に、そこに神の導きを発見しようとする者は、さらに先へと進むことができます。
  わたしたちは「神がいま私たちに何を示そうとしているのだろうか」と、それを知ろうとすることで、未来に向かって進んでゆくことができます。
  「この世に起こるあらゆる出来事に、神の導きがある」。そういう見方ができる人は、未来に目標を発見し、希望をいだきながら、自らの歩みを推し進めてゆくことができます。
  また、「この世の出来事には、神の導きがある」と考える人は、過去の出来事についても、それが悲しかったことであるか、うれしかったことであるかにかかわらず、そこに何らかの意味があることを学ぶことができます。
  そして、「この世の出来事を通して、神のご意志は実現するのだ」と信じる人は、自分ひとりの人生を超えて、未来を担う人間にも信じて希望を託してゆくことができます。
  私たちは、過去も現在も未来も、神に見守られ、神の導きを発見しながら生きる、時の流れの中に隠された意味を発見しながら生きる、味わい深い人生を送ってゆきたい。そう願うものです。
  お祈りいたします。

祈り

  愛する天の御神さま。
  今日この恵まれた聖日、光明園家族教会のみなさんと、同志社国際高校、同志社香里高校の生徒にみんなとが、ともに集い、出会い、礼拝をささげることができますことを心から感謝いたします。
  神さま、私たちが日々生きている、生かされていることのありがたさを改めて思います。私たちがこの世で生きることを許された時間の中で、あなたがさまざまに示してくださる導きに感謝いたします。
  神さまどうか、わたしたちを、御心でしたら永く永く生きさせてください。そしてその人生を、あなたの導きを常に感じる喜ばしきものとしてください。
  イエス・キリストの御名によって祈ります。
  アーメン。

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