無謀で軽率な冒険から

2004年11月19日(金)同志社中学校・同志社創立記念礼拝奨励・改訂版
2004年11月22日(月)同志社国際高等学校・同志社創立記念礼拝奨励

説教時間:約15分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る

聖書:ヨハネによる福音書3章16節(新共同訳)

  神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

無謀で軽率な冒険

  香田証生さんという人を知っていますか? 先月末にイラクで、ある武装勢力のグループに捕まり、インターネットを通じて日本政府に自衛隊の撤退が要求され、日本政府はこの交渉に乗らず、そして人質になった香田さんは殺された……そういう事件があったことは、みなさん知っていますよね?
  香田さんは、学校に通っていたときから、友だちをとても大切にする人だったそうで、今回イラクに行ったのも、イラクの人たちと友だちになりに行こうとしていたそうです。
  そして、はっきりした根拠もなくアメリカの軍隊に殺され続けているイラクの人たちの間に平和を取り戻すために、自分にできることは何か考えに行こうとしていたのだということも聞きます。
  残念ながら、彼の行動は警戒心が無さ過ぎたように思えるし、戦場というものの恐ろしさを想像する能力に欠けているというか、危険を知らなさ過ぎるというか……、とにかく明らかに無謀で軽率な旅をやってしまった結果ではないのかという気はします。
  しかしぼくは、この話を聞いた時、みんなヘンだと思うかもしれないけれど、なぜかふと、新島襄のことを思い出したんですよ。
  いやなにも今日が創立記念礼拝だから、わざとらしくこじつけたんじゃなくてね。本当にそういうことを考えてたんです。きっと新島襄が家を出て、函館に行って、外国船に乗って、日本を脱出してしまったときというのは、たとえば親にも相談せずにイラクに行っちゃった香田さんや、その前にもイラクに行って、この時は帰って来ることができたけれども3人の人が拉致された事件があったでしょう。あの人たちと新島襄と、いったい何が違うのかな、と思うことがあるんですよね。

吉田松陰

  まず、新島襄が日本を飛び出した時代は、日本人は日本の外に出たら、逮捕されて処刑にされてもおかしくなかった時代でしょう。
  ちょうど新島襄が日本を出る10年前に、吉田松陰という学者がいました。吉田松陰、知っていますか? 名前は聞いたことがあるかな? やっぱり外国船に乗せてもらって日本を脱出しようとして、それでこの人は失敗するんですよね。
  伊豆半島の下田という所で、夜中に洞窟に潜んで、それから沖合いに小舟をこいで行って、そして「外国に行くことは禁じられているし、見つかったら殺される。でも自分は世界を見たい。どうか慈愛の心で乗せてほしい」と書いた手紙を渡して「乗せて」と頼んだんですが、外国船の船長に拒否られてしまいます。
  しかも刀や荷物を載せていた小舟を流されてしまったもので、すべてが見つかってしまう、と思った吉田松陰は自分から「外国船に乗ろうとしました」と自首して、そして牢屋に入れられてしまうんですね。
  「世界を見たいんだ。だから乗せて」と言ったのも単純と言えば単純、「だめだ、見つかる」と思ったら、「自分がやりました」と名乗り出るところも、とっても純粋な人ですよね、吉田松陰という人は。
  世界がどれだけ広いか、どれだけ危険に満ちているか、なんにもわかってないから、こういうことができるんですよね。

新島襄

  新島襄だって、夜中に小舟で……というパターンですよね。
  函館の沖に停泊しているベルリン号というアメリカ船に乗せてもらうために、福士卯之吉という人がこぐ船で近づいていくわけです。
  新島襄(その頃は七五三太(しめた)って名前だったんですよね。習ってるでしょう?)は、ござをかぶって小舟の中にうずくまって隠れていたわけですけど、波止場から「さあ船を出そう」というときに、奉行所の見回りの役人に見つかってますよね。
  「誰だ!」と声をかけられた瞬間、「しまったー! これで俺の一生も終わりだな」と思ったでしょうね。新島七五三太の心には、打ち首、つまり首を斬られて処刑される自分の姿が浮かび上がったでしょう。
  それでも見逃してもらえたのは、この小舟を漕いでいた福士卯之吉という人が役人にも顔のきく実力者だったからだ、ということになっていますが、まぁこの人と知り合いじゃなかったら、新島は間違いなく失敗して打ち首になっていたでしょうね。
  あるいは、たとえ育った国を無事に脱出できたとしても、今度はたった一人言葉も通じないところに飛び出て、どんな危険に遭うか、どんな苦しみ悩みに遭うか、さっぱりわからないわけですよね。
  上海で新島の乗った船は、実は半年以上もアジアの海を商売で行ったり来たりしてからアメリカに行ってますけど、あれがもう少し早くアメリカに行ってたら、南北戦争に巻き込まれて、北大西洋北米沿岸地域で沈められていたんじゃないか、とか。
  あるいはボストンには無事に着いたけれども、ハーディさんという船会社の社長さんが来てくれてなかったら、あるいは来てくれたとしても、ぽっとやってきたアジア人の若者を面倒みるほどいい人じゃなかったら、新島はその後、船乗りを続けるか、あるいはボストンの漁師に雇われてロブスターかなんか獲りながら一生を終わっていたかも知れない。そうしたら、もう同志社なんて学校は影も形もないわけです。「もしも」のことを言い出すときりがないわけです。

「申し訳ない」

  そんなわけで、ぼくは、新島襄という人は、日本を脱出することにもなんとか成功して、帰ってくるときにもなんとか無事で、そして日本に帰ってきてから他の人にはできなかった経験をもとに偉大な仕事をしたから、結果として「すばらしい人物だ」ということになっているけれども、もし彼が失敗してどこかで命を落としていたら、もうこれはこんな風に言われてしまうしかなかっただろうと思うのです。すなわち、
  「そもそも禁止されていることを破って外国に出たから、こうなるのだ。無謀で軽率な行動だ。彼が死んだのも結局は自業自得だ」と。
  あとあとの歴史でも、「幕末には黒船に乗ろうとした無謀な若者が何人もいた。そのなかに新島七五三太という若者もいた」と、その程度で終わるか、あるいは名前も記録されなかったかも知れません。
  イラクで殺された香田さんは、「すみません。また日本に帰りたいです」という言葉を残して亡くなられましたが、新島襄も日本を出てから船の中で、弟あてに「日本を出るときには、狂ったような思いで必死に飛び出して来てしまった。成功して帰って、お父さんにしっかりとお仕えしたら、自分はこの罪を償うことになるだろうか」といったことを書いています。「申し訳ない」という気持ちでいっぱいだったみたいです。

夢をあざ笑うな

  生きて帰って成功するか、失敗して命を落とすかは、紙一重です。新島襄のやったことは、ひょっとしたら、とっても軽率で、無謀で、無責任で、迷惑な身勝手な行為だったかも知れない。
  しかし歴史というのは、そういう無謀で軽率な行いをする何人かの人間が未来を創る力になって、切り開かれてきたことも事実なのですね。
  人から後ろ指をさされることを恐れて、無難なことばかりしているよりも、無謀でもいいから、軽率でもいいから、夢に向かって危険を冒すような人間が、実はとっても同志社らしい、新島襄の作った学校の人らしいのかな、という気もします。
  平和を夢見ながらイラクで死んだ人もいれば、日本の未来を夢見てアメリカで学び日本でその成果を実現した人もいます。
  ぼくは、みなさんに「一か八か危ないことをやれ」なんて言ってるんじゃないんですよ。けれども、失敗するかも知れない、死ぬかも知れないような夢を追いかけている人を、決して馬鹿にしない、そいつの夢をわかってやれるような人になってほしいし、そういう世の中を作っていくような人になってほしい。そう思います。
  お祈りいたします。

祈り

  愛する天の御神さま。
  今日ここにいるみんなといっしょに礼拝ができることを感謝いたします。
  ここにいるみんなが自分らしく、自分の道をしっかりと自由に生きていくことができるように、どうか一人ひとりを強め、導いてください。
  また、この世が、夢を追って生きる人間を馬鹿にせず、みんなで応援するような世界となりますように。
  この願いを、私たちの主イエス・キリストの御名によってお聴き下さい。
  アーメン。

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール